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「鳳陽調」と「打花鼓」(明清楽資料庫)

2008-11-27　最新の更新 2015ｰ8ｰ22

目次
[曲目解説]　　[楽譜・試聴]　　[工尺譜]　　[歌詞・旋律のいろいろ]
[逸話(抗日歌曲)]　　[福本勝清先生の「淮北考（後編)」]　　[CJ掲載記事]

【mp3で歌を聴く】(1.2MB　ダウンロード形式)

YouTube http://youtu.be/gmZgF4KFf-E

カラオケ
https://youtu.be/wSnpuQ6MVa8

京劇「打花鼓」の絵。
「鳳陽調」を歌う打花鼓の芸人夫婦にからむ、金持ちの不良。
詳しくはこちらの頁。

楽譜・試聴
さまざまなバージョンがある。本稿では便宜的に、清楽版、旧民謡版、京劇(地方劇)版、新民謡版に分類する。

清楽の「鳳陽調」　

[歌つき(mp3)]　[簡素版1]　[簡素版2]　[和音版]

(一)這鳳陽、那鳳陽、鳳陽原是好地方。自従出了朱皇帝、十年倒有九年荒。

(二)大戸人家売田荘、小戸人家売児郎。奴家未有児郎売、肩背花鼓上街坊。(※肩背花鼓走四方)

意訳
(一)鳳陽(ほうよう)は　鳳陽はね　鳳陽　もともと良いところ
　明(みん)の帝(みかど)が出てからは　十中九年(じっちゅうくねん)は大飢饉(だいききん)

(二)大家(おおいえ)は　土地を売る　小作(こさく)の小家(こいえ)は　せがれ売る
　うちにゃあ　売る子もいねえから　鳴り物かついで町へ出る(※鳴り物かついで旅さ出る)

参考:

[京劇「鳳陽調」の旋律]　　

[旧民謡「鳳陽花鼓」の旋律]　

新民謡「鳳陽花鼓」　[簡素演奏版]　　[和音演奏版]　　(歌詞・出典は下記)

『清曲楽譜』(1893)より(近代デジタルライブラリーのこちらの頁)
四ー工ー、尺ー●○、四ー工ー、尺ー○○、工工ー合、工ー尺ー、乙尺乙四、合ー●○ 乙ー乙ー、四ー尺ー、乙尺乙四、合ー●○ 乙ー乙ー、四ー尺ー、乙尺乙四、合ー●○ 乙ー乙ー、乙乙乙四、合ー●○	ラーミー、レー●○、ラーミー、レー○○ ミミーソ、ミーレー、シレシラ、ソー●○ シーシー、ラーレー、シレシラ、ソー●○ シーシー、ラーレー、シレシラ、ソー●○ シーシー、シシシラ、ソー

鳳陽調(鳳陽歌)について

旧社会における乞食(北京)と、子供売り(上海)。

後藤朝太郎著『大支那大系(8)　風俗・趣味篇』
(昭和5年刊・非売品)

　「鳳陽調」は、しゃれた曲が多い清楽曲のなかでは珍しい「プロレタリア歌謡」である。
　「鳳陽調」、別名「鳳陽花鼓」「鳳陽歌」は、安徽省鳳陽県から広まった歌舞音楽で「花鼓」の一種である。
　鳳陽は、明の太祖(初代皇帝)朱元璋(1328-1398)の生まれ故郷。貧農から身を起こした朱元璋は、即位後、重農主義政策を採った。また故郷の鳳陽の地に新しく首都を建設しようと考え、数十万の農民をこの地に強制移住させて人口密度を高め、建物の工事も始めた。
　が、いなかである鳳陽に一国の首都を作るのは、土台、無理な話であった。
　結局、朱元璋の思いつきから始まった首都造営は途中で放棄され、明の首都は、昔からの大都市である南京(後に北京)に置かれた。
　鳳陽の農民は、地元から皇帝が出たせいで「ありがた迷惑」をこうむり、以前より貧しくなってしまった。
　そのうえ、淮河(わいが)流域では、よく洪水が起きた。そのたびに、厖大な数の農民が避難民として流浪した。避難民の婦女子は、生活のため、道ばたで花鼓と小銅鑼を叩き、唱って踊った。その大道芸が芸能として固定化して「鳳陽花鼓」が生まれた。
　「鳳陽花鼓」で歌う曲の一つがこの「鳳陽調(鳳陽歌)」で、曲調は現地の「秧歌」(ヤンゴ。田植え歌)から採った。
【参考】　福本勝清「中国的なるものを考える２１　淮北考（後編）」
(『蒼蒼』83号、1998.12.10)　[こちらで読めます] 　この「鳳陽調」と「鮮花調(「茉莉花」の異名)」の二曲をもとに、大道芸人の夫婦を描いた短編劇「打花鼓」(詳しくはこちら)は、昆劇や京劇など各地の地方劇の演目にもなった。
　江戸時代の日本へも、福建～琉球ルートで中国演劇「打花鼓」が、寧波～長崎ルートで清楽曲「鳳陽調」と「茉莉花」が、それぞれ伝わった。
　なお現代中国の「鳳陽花鼓」には、日本の清楽「鳳陽調」と同系の暗い歌曲と、テレサ・テンなどもカバーしてレコードに吹き込んだ明るい民謡「鳳陽花鼓」がある。
　1930年代には、歌詞の一部を変えて抗日歌曲としても歌われていた(下記の映画「大路」の項、および山口淑子氏の回想を参照)。

略年表

1328年、朱元璋(1328-1398。在位：洪武帝1368-1398)が、濠州の鐘離（現在の安徽省鳳陽県）の貧農の家の末子に生まれる。
洪武年間(1368-1398)、「洪武赶散」(「紅巾赶散」「紅蠅赶散」とも呼ぶ)で、江南の富裕層と農民を数回にわたり、鳳陽県や江蘇省に強制移住させる。
『明史』巻七十七・志第五十三「食貨一」:「復徙江南民十四万於鳳陽。」
周朝俊(1573年前後)の伝奇(戯曲)『紅梅記』(李慧娘の話)の第十九、第二十出に「打花鼓」が登場。
『明末遺民詩』、桐城趙相如「江南曲四首」：「楼船簫鼓動江城、長板橋頭落日横。少婦不知烽火急、棹歌猶唱鳳陽声。」
『綴白裘』六集・一巻、雑劇、『花鼓』
鳳陽歌「説鳳陽、話鳳陽、鳳陽元是好地方。自従出了朱皇帝、十年到有九年荒。（打鑼鼓介）大戸人家売田地、小戸人家売児郞。惟有我家没有得売、肩背鑼鼓走街坊。（打鑼鼓介）南方人児太猖狂、姐児搽粉巧梳裝。床前抱着情哥睡、下面伸手扯褲襠。」
『綴白裘』十一集・二巻、雑劇、『鬧灯』
「鳳陽女花鼓敲、打鑼的男人跟着跑。」
亀齢軒斗遠『花月琴譜』(別名「亀齢琴譜」、天保二年(1831)跋)に「鳳陽調」も収録。

歌詞・旋律のいろいろ

清楽版	最も古い形を残す。	[歌つき(mp3)]　[簡素演奏版1]　[簡素演奏版2]　[和音演奏版]
旧民謡版	古い形を残す。	[簡素演奏版]
京劇版	歌詞は、旧民謡新民謡の中間形。	[簡素演奏版]
新民謡版	安徽省→全国。曲調は明るい。	[簡素演奏版]　　[和音演奏版]
黄梅戯版	安徽省の地方劇の挿入曲。	[MIDIで聴く]
福建省	龍渓県。	[MIDIで聴く]

『花月琴譜』(柱題『亀齢琴譜』)1831跋「鳳陽調」

　這鳳陽、那鳳陽、鳳陽的原是好地方。
　朱宗出了朱皇帝、十年到有九年荒。

(漢字歌詞のみ。フリガナ無・工尺譜無)

『観生居月琴譜』(見返し題『月琴詞譜』)1860「鳳陽調」

　這鳳陽、那鳳陽、鳳陽的原是好地方。
　朱宗出了朱皇帝、十年到有九年荒。

(歌詞有・フリガナ有・工尺譜有)

『月琴楽譜』1877「鳳陽調」

　這鳳陽、那鳳陽、鳳陽的原是好地方。
　朱宗出了朱皇帝、十年到有九年荒。

(歌詞工尺譜有・フリガナ有)

『清楽曲牌雅譜』1877「鳳陽調」

　1.出鳳陽、萃鳳陽、鳳陽原是好地方。
　　是従出了的朱王帝、十年到有九荒。

　2.大戸人家買田粧、小戸人家買児郎。
　　我家未有的児郎買、肩背花鼓上街坊。

(歌詞有・フリガナ有・工尺譜有｡｢九荒」<「九年荒」。「買田粧」<「売田荘」。「買児郎」「児郎買」<「売児郎」「児郎売」)

『京劇音楽概論』1981「打花鼓」
　花鼓藝人夫妻斉唱「鳳陽歌」

　1.緊打鼓、慢篩鑼、圧鑼住鼓聴唱歌。
　　諸般閑文都休講、聴我唱個鳳陽歌。

　2.説鳳陽、道鳳陽、鳳陽本是個好地方。
　　自従出了朱皇帝、十年倒有九年荒。

　3.大戸人家売土地、小戸人家売児郎。
　　惟有奴家命児苦、肩肯花鼓走四方。

(歌詞・数字譜有、絶対音高不明。「肩肯」<「肩背」？)

[MIDIで聴く]　

『中国音楽詞典』1985「鳳陽花鼓」

　1.説鳳陽、道鳳陽、鳳陽本是好地方。
　　自従出了朱皇帝、十年倒有九年荒。

　2.大戸人家売騾馬、小戸人家売児郎。
　　奴家没有児郎売、身背着花鼓走四方。

(歌詞・五線譜有)

[MIDIで聴く]

『中国民間歌曲集成・安徽巻』p.639-640に載せる「新鳳陽歌」(1935年の抗日映画「大路」の挿入曲)の旋律とほぼ同じ。「新鳳陽歌」の歌詞は三番まである。

テレサ・テン(鄧麗君)らが唱った新民謡『鳳陽花鼓』歌詞
(「YouTube」等で「鳳陽花鼓」と入力すると、複数の映像がヒットします)

1.左手鑼、右手鼓、手拿着鑼鼓来唱歌。
　別的那歌児我也不会唱、只会唱個鳳陽歌。
　鳳鳳陽鼓[口阿]、(かけ声＊)

2.我命苦、真命苦、一生一世討不着好老婆。
人家的老婆如花又如玉、我家的老婆一双大花脚。
　量量一尺多、(かけ声)

3.我命苦、真命薄、一生那一世嫁不到個好丈夫。
　人家的丈夫作官又作福、我家的丈夫単会打花鼓。
　打打花鼓[口阿](かけ声)

(＊かけ声)
[口伊][口牙][口艾][口幼]
得児[金当][金当]飄一飄　得児[金当][金当]飄一飄
得児飄　得児飄　得児飄　得児飄飄飄一飄　得児飄飄飄一飄
(イヤアイヨー、ドゥルー　ダンダン　ピャオイービャオ、
ドゥルー　ダンダン　ピャオイービャオ、
ドゥルピャオ、ドゥルピャオ、ドゥルピャオ
ドゥルピャオピャオ、ピャイピャオ
ドゥルピャオビャオ、ピャイピャオ)

新民謡「鳳陽花鼓」　[簡素演奏版]　　[和音演奏版]　

『中国民間歌曲集成・安徽巻』p.638附録２「鳳陽歌(三)」
黄梅戯『挑牙虫』の中の鳳陽歌。胡遐齢唱、時白林記。

黄梅戯「鳳陽歌」　[MIDIで聴く]　
【歌詞】
大鳳陽来小鳳陽、鳳陽本是好地方。
大戸人家売騾馬、小戸人家売田荘。
小女子家中無事做、学挑(那箇)牙虫度日光。
　(語注)「大鳳陽」は鳳陽府を、「小鳳陽」は鳳陽県を指す。

ラソ	ラ　ド	ミ　レミ	ソ　ー	ラソミレミ	ソ
大　鳳	陽　来	小　鳳		陽

ソ　ラド	ラソ　ミ	ミレ　ソ	ラソミレ	ド　レミ	ド
鳳　陽	本　　是	好　　地		方

ラ　ソ	ラソ	ミソ　レミ	ソ	ラソミレミ	ソ
大　戸	人家	売　　騾		馬

ソ　ド	ラソ　ミ	レ　ソ	ラソミレ	ド　レミ	ド
小　戸	人　　家	売　田		荘

ラ　ソソ	ラ　ソ	ミ　レミ	ソ	ラソミレミ	ソ
小　女子	家　中	無　事		做

ソミ　　ミソ	ラ　ソ	レミ　ソ	ラソミレ	ド　レミ	ド
学挑　(那箇)	牙　虫	度　　日		光

『中国民間歌曲集成・福建巻』p.995-996に載せる「1049.打花鼓(一)　龍渓県」
周治彬・官玉金唱。周治彬記。歌詞付き数字譜。歌詞は八番まである。

福建省龍渓県「打花鼓」　[MIDIで聴く]　
ドはGの高さ。

らドーレ	ミソミレ	ドレミレ	レー
大戸	人　家	売　驢	馬
らドーレ	ミソミレ	ドらそら	ドー
小戸	人　家	売　田	荘
らドドー	らドらド	ミドレー
唯有我	夫妻没有	甚麼買(注1)
らドーレ	ミソミレ	ミーレミレ	ミー　ミミ
身背	花　鼓	走　　四	方、やや
休ソ　　ミレ	ドら　らドレミ	ドーら　そ　ら	ドー
休あい　あいはい	よー　や　や	よー　　あいはい	よー

歌の各回の末尾は、以下の繰り返し。
(＊)呀呀、[口愛][口愛][口海][口約]、呀呀[口約]、[口愛][口海][口約]!
(ヤヤ、アイアイハイヨー、ヤヤヨー、アイハイヨー!)

1男：大戸人家売驢馬、小戸人家売田荘。唯有我夫妻没有甚麼買(注1)、身背花鼓走四方。(＊)
2女：大鑼買了三銭五、小鼓買了二銭多。夫妻(呀)買了鑼(来)又買鼓、上街売唱過生活。(＊)
3男：鼓打皮上鑼打中、[女息]婦年少靠公婆。弟弟(呀)年小只好靠姐姐、妹妹年少靠哥哥。(＊)
4女：我的命苦真命苦、嫁了一個呆丈夫。別人家丈夫作買又作売、我的丈夫鬧花街。(＊)
5男：我的命破真正破、討了一個壊老婆。別人家老婆繍花又繍鞋、我的老婆只唱鳳陽歌。(＊)
6女：鳳陽下去三条街、街街都有花鼓台。有銭人打起花鼓聴花鼓、無銭莫往鼓辺摸。(＊)
7男：鳳陽下去三条灘、灘灘看見紫金山。金山上両只胡蝶舞花蕊、一対芙蓉配牡丹。(＊)
8女：鳳陽下去三条河、銅盆打水養喬莪。喬莪呀不在水住住青山、真是無呀無奈何。(＊)

工尺譜の例

『観生居月琴譜』1860		『月琴楽譜』1877

逸話

旧社会における合奏風景。

後藤朝太郎著
『大支那大系(8)風俗・趣味篇』
(昭和5年刊・非売品)

　以下は、山口淑子氏(李香蘭)が語る1934年の中国での体験。

山口淑子・藤原作弥『李香蘭　私の半生』第三章「北京時代」より　新潮文庫版76頁

(引用開始)日常生活にも反日の機運が高まっていた。たとえば童謡にも寓意がこめられていた。私は潘家の末息子がうたっていた民謡の「鳳陽歌(フエンヤンゲエ)」というメロディーが好きで、歌にこめられた意味に気づかず子供たちと「子とろ子とろ」をして遊んだものである。
　歌詞の大意は「鳳陽という土地がある。土地の人たちはみんな素晴らしい故郷だと自慢していた。しかし朱皇帝が出現してからというものはすっかり荒れ果ててしまった。隣の村には土地もある、子供もいる。けれど、ここは土地もなくなったし、売る子供もいなくなった。だから寝袋を背負って隣村にゆく」
　この、朱皇帝というのは中国の戦国時代に出没した野盗のことだが、私があるときこの歌を口ずさんでいると、クラスメートの温貴華(ウエングエイホワ)が「その朱皇帝というのは日本人のことよ」と教えてくれた。朱は白地に赤い日の丸のことを意味するのだそうだ。(引用終わり)

　1932年の「満洲国」の建国後、土地を奪われた農民が流民となって満洲国から中華民国に流入した。当時の中国人が、昔ながらの民謡の歌詞を変えず、その含意だけを変え、抗日歌曲として歌っていたことがわかる。
　山口氏が聴いたのは、おそらく1935年の抗日映画「大路」(上述)の挿入曲と同系の旋律であろう。
　ただし山口氏の「朱皇帝というのは中国の戦国時代に出没した野盗」云々の認識は誤り。

原載誌『蒼蒼』83号(1998.12.10)
http://www.mmjp.or.jp/sososha/soso/soso083.html

中国的なるものを考える２１
福本勝清（明治大学助教授）

淮北考（後編）

　文革後、鄧小平が再起し、万里が安徽省委第一書記に就任した時のことである（一九七七年六月）。赴任後、万里は全省をくまなく歩き、その実情を自分の目で確かめたが、まさに貧困地区そのものであった。解放前は豊かであったはずの皖南でさえ、ずっと腹を満たすことができないでいると訴えられる始末であった。
　解放前から貧困地区として知られた皖東の惨状は目を覆うばかりであった。訪れた鳳陽県の小さな生産隊では、全隊十戸のうち、家にドアがない（入口ばかりでなく、どんなドアもなかった）のが四戸、水瓶がない家が三戸、テーブルがない家が五戸。もちろん、それすらないという意味である。復員軍人である隊長の家では、十人家族に寝具が一組しかなく、七つの茶碗で食べ、箸は枝切れや藁でつくったものを使用していた。赤貧洗うが如しとはこのことであった。初級合作社の頃には、全隊で一二七人いたのだが、三年の困難期に、飢えに苦しみ、餓死するもの、逃げ出すものが相次ぎ、七七年当時六八人に減っていた。一年の収穫は二万斤前後、一人あたり三百斤であった。手持ちの食糧を食い尽くし、国家からの救済糧で食いつなぎ、後半年は解放前と同じように外に乞食に出てようやく露命をつないでいた。
　歌で知られた鳳陽県は、解放後、一九五五年、三二万の人口を擁し、食糧生産額は二・六億斤、一人あたり約八百斤で、何とか念願だった食糧問題の解決がなったかに思われた。だが、三年間の大飢餓期には、三万数千人以上が「非正常な死」を遂げた。つまり、餓死したり、身体が弱り病死したのだった。二十年以上に渡り、食糧の自給どころか、常に国家からの供給を仰がざるをえず、それでも足りずに、やはり毎年冬になると、あるものは江南へ、あるものは淮北からさらに北上し、至る所で乞食をして食いつなぐことになった。万里が赴任した七七年の冬には、省委に毎日のように江蘇、浙江、福建、上海、山東、河北等の省や市から、頻々と電話がかかってきた。鳳陽から来た「盲流」を引き取りに来るようにとの催促であった。「盲流」の数は、一万三千人以上。彼らは、余所の土地で何とか良民として扱われようと、それぞれ戸口本（戸籍簿）を持ったり、党員の紹介状を携えていたという（張広友『改革風雲中的万里』人民出版社、一九九五年）。
　ここでの鳳陽とは、鳳陽県のことであったが、実は鳳陽が示す範囲は鳳陽県だけにとどまらない。清末の鳳陽府は、北は現在の宿州市や淮北市を含み、南は定遠県、西は寿県や鳳台県まで、その間にある懐遠県や蚌埠市ももちろん含まれる。淮河南北のかなり広い地域であった。前回、淮河の南に位置する寿県人や鳳陽人が、淮北人と同一視されたことを述べたが、もう少し歴史的な由来を知る必要がありそうである。
　先に歌で知られたと書いたが、歌とは「鳳陽花鼓」のことであり、その一節は次のように始まる。

説鳳陽，話鳳陽，	鳳陽を語れば
鳳陽本是好地方。	鳳陽はもともと良い所
自従出了朱皇帝，	朱皇帝が出てから
十年倒有九年荒。	却って十年に九年の災害
三年水淹三年旱，	三年の水害、三年の日照り
三年蝗虫鬧災殃。	三年の蝗害と、災害に見舞われ
大戸人家売田地，	大きな家は田地を売り
小戸人家売児郎，	小さな家は男子を売る
惟有我家没有得売，	ただ我家には売るものがない
肩背鑼鼓走街坊。	肩に銅鑼や鼓を負い路地を流す
（王振忠、汪冰『遥遠的回響―乞丐文化透視』、上海人民出版社）

　朱皇帝とは朱元璋のこと。朱元璋は鳳陽県の「貧農の四男として生まれ、十七歳の時、飢饉と疫病で父母を失い、近くの寺の見習い僧になったのも束の間、食糧の払底によって、乞食僧として各地を流浪」（尾形勇、岸本美緒編『中国史』、山川出版社）したことは、これまたよく知られている。龍座に登ると、朱元璋は自分の故郷に鳳陽県を設置、さらに鳳陽を中都に指定、大規模な造営を始めた。南京と北平（大都）の間にあるから中都と称したのであろう。中都建設のために江南や山西、河南から二十万人を移住させたほか、工匠や軍人など、後には犯罪者（今風に言えば懲役囚であろうか）を含め、さらに数十万人をかき集めたといわれる。洪武帝は自分の陵を鳳凰に築くことを命じ、鳳凰の旧民三三四二戸を賦役黄冊以外の陵戸に編成し、様々な特典を与えた。
　「黄河奪淮」はすでに十二世紀には始まっていた。一一二八年、宋朝は金軍の南下を阻止するため、黄河を決壊。南流した黄河は淮河を経て黄海に注ぎ込む。その後淮河流域は、頻繁に水害に悩まされることになった。そのような貧困地帯に育った朱元璋は、何とか故郷の人々に恵みをたれようとしたのであろう。鳳陽県を中心に鳳陽府を設置、その規模は清末の鳳陽府よりもさらに広く、東は現在江蘇省の洪沢湖畔まで、西は河南省境の霍丘県にまで達した。彼は生前、鳳陽農民の負担の減免を謀っている。大いに配慮したはずであった。
　だが、鳳陽は中都に値するような土地ではなかった。増大した住民の食糧を供給することさえままならなかった。彼の死後、王朝を簒奪し、北京に遷都した永楽帝は、中都を滅びるままにまかせた。洪武帝が約束した農民負担の減免など、数代もすれば反故同然であった。誰も気兼ねすることなく、ほしいままに農民たちをこき使うことになった。皮肉なことに、太祖陵が鳳陽にあることは農民たちに災いをもたらすことになった。皇帝の太祖陵巡幸や大官たちの陵墓拝謁のたびに、地元官吏に命ぜられ農民たちは夫役に駆り出されたほか、掛かりの費用など様々な負担を押しつけられた。さらに、鳳陽は三年に一度の郷試の試験地に指定されていた。南直隷（江蘇・安徽）の江北各地から多数の科挙受験者が鳳陽にやってきた。試験は七〇日前後続いたが、その面倒も鳳陽で見なければならなかった。交通も発達していず、商業地でもない鳳陽が、その費用や世話を負担するのは無理に無理を重ねる以外になかった。
　そうなれば、逃げ出す者がいても不思議ではない。明初に江南から移民した者は十四万人、だが万暦年間（一五七八年）に残っていたのは一万三千余であり、戸数では七〇％が失われた。そこから「鳳陽花鼓」の起源論に、鳳陽に移住を強制された江南出身者が、芸を売り乞食に身をやつして故郷江南に戻ろうとしたのだ、との説が生まれたのだろう。でも、これは、臍を曲げて考えれば、何となく、昔は偉かった式の精神勝利法的説明に思えてくる。
　『遥遠的回響―乞丐文化透視』の著者たちは、「花鼓」はもともとは鳳陽地方の秧歌だったという。ただその伴奏に、「花鼓小鑼」や「双条鼓」といった地方独特の楽器が使われていた。小さな鑼（銅鑼）や鼓にあわせ歌い且つ踊っていたのであろう。明清期を通じて、鳳陽の貧しさは変わらなかった。清初にはすでに鳳陽からやってきた乞食が南北各地に出没し、歌い踊りながら物乞いをしている様子が記されている。貧しさに耐えかねた鳳陽の農民たちは、自分たちの土着の歌舞を、すきっ腹を満たすために利用することを思いついたのだろう。秋から冬にかけ、農民たちは妻子を携え、或いは群れをなして郷里を離れ、各地を流浪した（身背花鼓走四方）。鳳陽花鼓といえば、鳳陽婆といわれるように、必ず女性が含まれている。女性だけの群や夫婦漫才風の者も多かったと思われる。鑼や鼓も旅装に合わせ、さらに小型化したという。
　鳳陽花鼓は南北を流伝するうちに、「乱弾」諸流や各地の「山歌」と結びつき、次第に「民間小戯」の様式を備えるものがでてくる。華中を中心に広がる各地の「花鼓戯」が誕生する（王振忠、汪冰）。北方の秧歌もそうだが、地方の歌舞が流布するにつれ、次第に伝統劇の要素を取り入れ、さらに二、三人もしくは数人の小規模で素朴な芸から、陣容の整った一座を率いるものへと発展する例は少なくない　鳳陽花鼓の担い手は、もちろん鳳陽県の出身者だけではなく、旧鳳陽府の人々、淮河流域の民衆であった。だが、清代の記録に、江蘇諸府を訪れていた鳳陽の乞食は、
　家住廬州並鳳陽
　鳳陽原是好地方
と歌っていたとあり、合肥、舒城、廬江、巣県、無為といった長江流域（廬州府）出身の乞食たちも鳳陽という「ブランド」を使っていた。淮河流域に比べ長江流域の諸県は比較的恵まれていたとしても、清代にはやはり鳳陽の乞食を輩出していたということになる。　鳳陽府、廬州府と続き、安徽省の江北側で残る大きな地区としては安慶府になる。話はすでに、淮北との関わりを失っているが、もう少し続けたい。明清期の皖南（徽州府）をフィールドにしている渋谷裕子によれば、清代徽州府の棚民（福建、江西、浙江、安徽の山中に「棚」と呼ばれる仮小屋をたててすみ、山地を開墾している民）の大半が安慶府の出身者であり、江北からのこのような移住者、出稼ぎ者は、安慶人と総称されていたらしい。自然災害や人口増から故郷を離れ皖南にやってきた安慶人は、徽州人の地主から劣悪な条件の山地を借りて山上に住み、食糧用にとうもろこしを植えるとともに、杉を栽培し、炭を焼いたりして生計をたて、何とか村の土地を買い、山から村に移り住んでいったという（渋谷裕子「清代地域社会における棚民像―安徽省徽州府を中心として」）。安徽とは安慶の安と徽州の徽からなるが、いつも江南から江北を見下していたのではないかと思うと、複雑な気持ちになる。
　安慶地区で発達した黄梅戯はやがて皖南にも伝播するが、それは江北からの移住者や出稼ぎのルートに沿って広まったらしい。茶摘みの時期にはたくさんの労働者が江北から皖南にやってきたが、その中の芝居好きや半玄人たちが、臨時に小屋架けし、夜上演したり、雨天には祠堂や廟宇を借りて出し物を振る舞い、働きに来た男女を喜ばせ、何がしかの喜捨をせしめたという。
　王振忠、汪冰によれば、この黄梅戯もまた鳳陽花鼓と関係浅からぬらしい。明清期、災害に見舞われることの多かった黄梅（湖北東端）一帯から淮河流域にかけて（江淮平原）は、災民が行ったり来たりしていたというから、流浪する飢民の間で、互いの芸が真似たり真似られたりすることも、大いにあったと思われる。

月刊『中国語ジャーナル』2008年12月号より
[連載]　『中国小唄物語』中国語副題「雅俗共賞　中国古老歌曲」
花鼓「鳳陽調」──民衆の600年にわたる苦難と怨念
同誌付録CDよりMP3化したもの　

[mp3　歌]
(1)Zhè Fèngyáng, nà Fèngyáng, Fèngyáng yuán shì hǎo dìfang.
这凤阳, 那凤阳, 凤阳原是好地方。

Zìcóng chū liǎo Zhū huángdì, shínián dào yǒu jiǔnián huāng.
自从出了朱皇帝, 十年倒有九年荒。

(2)Dàhù rénjiā mài tiánzhuāng, xiǎohù rénjiā mài érláng.
大户人家卖田庄, 小户人家卖儿郎。

Nújiā wèi yǒu érláng mài, jiān bēi huāgǔ zǒu sìfāng.
奴家未有儿郎卖, 肩背花鼓走四方。

　歌詞の大意──(1)鳳陽(ほうよう)は、鳳陽はね、鳳陽もともと良いところ。明(みん)の帝(みかど)が出てからは、十中九年(じっちゅうくねん)は大飢饉(だいききん)。
　(2)大家(おおいえ)は、土地を売る。小作の小家(こいえ)は、せがれ売る。うちにゃあ、売る子もいねえから、鳴り物かついで旅さ出る。──

　昔の安徽省は、今と違って貧しい土地だった。よく洪水や飢饉が起きた。食いあぶれた農民は、役者や芸人、物乞い、傭兵になり、故郷を離れて各地を流浪した。

　明王朝の初代皇帝となった朱元璋(1328-1398)は、安徽省の鳳陽県の貧農の家に生まれた。朱元璋の少年時代、家族は飢饉で飢え死にした。ひとりぼっちになった朱元璋は、食うために見習いの托鉢僧となり、物乞いをしながら旅に出た。朱元璋の顔は、生活苦でゆがみ、みにくくただれていた。彼の顔を見たヤクザの大親分は、感心して「てめえみたいなツラがまえは、初めて見た。どうだ、俺の娘といっしょにならねえか」と言い、自分の養女をめあわせた。人間、何が幸いになるか、わからぬものだ。

　ちなみに、このヤクザの養女は中国版「山内一豊の妻」である。朱元璋が天下を取って「洪武帝」になると、彼女は「馬皇后」となった。馬皇后は、中国の芝居やテレビドラマのヒロインとして、今も人気がある。民衆は彼女を「大脚皇后」(纏足をしない貧民出身の皇后)という愛称で呼ぶ。

　さて、皇帝となった朱元璋は、自分のふるさとである鳳陽に、首都を建設しようと思った。鳳陽の人口密度を高めるため、各地から数十万の農民を強制移住させた。首都の建物の工事も始めた。しかし、貧しい田舎に一国の首都を作るのは、土台、無理な話だった。結局、朱元璋の思いつきから始まった首都造営は、途中で放棄された。明の首都は、昔からの大都市である南京(後に北京)に置かれた。鳳陽の農民は、地元から皇帝が出たせいで、ありがた迷惑をこうむり、前より貧しくなった。

　その後も、飢饉や洪水が起きるたびに、厖大な数の農民が故郷をはなれて流浪した。流浪の農民の男女は、道ばたで花鼓(田植え歌で腰につけて叩く太鼓)を叩きつつ唱って踊り、日銭をかせいだ。この大道芸から生まれた「鳳陽調」(別名「鳳陽歌」「鳳陽花鼓」)は、全国各地に民謡として広まった。1930年代、民衆は歌詞の「朱皇帝」を「赤い日の丸」の意味に見立て、日本人への怨念をこめて歌った(山口淑子・藤原作弥『李香蘭　私の半生』)。1950年代末、新中国の経済政策の失敗で大量の餓死者が出たとき、民衆は「朱皇帝」に毛沢東をかさねた。

　「鳳陽調」の歌詞や旋律には、さまざまなバージョンがある。テレサ・テンもレコードに吹き込んだ明るい新民謡と、昔ながらの暗い農民歌は、もはや別の曲である。「鳳陽調」は日本へも江戸時代に長崎経由で伝わり、いわゆる「明清楽」として明治まで歌われた。ここに掲げるのは200年前の明清楽バージョンである。

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