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九連環と「かんかんのう」(明清楽資料庫)

最新の更新 2010-8-30
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目 次
MIDIで伴奏を聴く
清楽の「九連環」 [説明]
北京・百本張抄本「九連環」 [説明]
福建省・建陽県の「九連環」 [説明]
浙江省・金華市の「九連環」 [説明]
江蘇省・無錫の「九連環」 [説明]
安徽省の「九連環」 [説明]
貴州省の「九連環」 [説明]
陝西省の「九連環」 [説明]
日本・明治期の「かんかんのう」 [説明]
群馬県上野村の「かんかん踊り」 [説明]
日本・大正期の"九連環" [説明]
かんかんのう [説明]
梅ヶ枝の手水鉢 [説明]
法界節 [説明]
新法界節 [説明]
サノサ節 [説明]
むらさき節 [説明]
アイウエオの歌 [説明]


九連環(きゅうれんかん)とは?
『長崎古今集覧名勝図絵』より
 遊女3人と唐人4人が「九連環」の曲で遊んでいる。
 右端の遊女は京胡を、左端の後ろ向きの唐人は長棹型の月琴(阮咸)を弾いている。
 クリックすると拡大。
参考 「長崎の夜景が最も美しく見える宿矢太樓
 mp3で「九連環」の歌と演奏が聴ける。
 清楽の数ある曲の中でも、「茉莉花」と並び最もよく歌われた名曲である。
 「九連環」とは中国の伝統的な知恵の輪、いわゆる「チャイニーズリング」のこと。男女の恋愛を、この知恵の輪が解きにくいことにたとえたラブソング「九連環」は、日本を含む東アジア各地に広まった。
 日本へはまず
長崎の唐人屋敷に持ち込まれ、そのあと文化・文政期(1804年〜1829年)から全国的に広まったが、滝沢馬琴『著作堂一夕話』は1801年1月に遠州に漂着した唐船「萬勝号」が伝えたという異説(こちらを参照)を伝える。中国本土でも流行していた曲なので、日本へも複数の伝播ルートがあったとしても不思議ではない。
 九連環の歌詞やメロディーは、時代や流行地域によって変異が大きい。それらを丹念に調べることで、近世東アジアにおける音楽文化の伝播ルートや社会階層の相違などを浮き彫りにすることが期待できる。

(1)中国(民歌)→(2)日本への渡来(清楽)→(3)日本国内での演変(俗曲、演歌、新民謡、歌謡曲)
九連環系歌曲群 「我的」系九連環→遠州(漂着唐船) …→「看看」系と合流?
「看看」系九連環→長崎→全国 鄙俗化:かんかんのう系→梅ヶ枝の手水鉢野球けん(?)など

通俗化:法界節系→新法界節サノサ節むらさき節・鴨緑江節など

 上記の(1)(2)(3)の音楽シーンが、それぞれ別個の独立した範疇になってしまっている点は、極めて東アジア的である。。
 (2)の清楽は、江戸時代末期に枠組みが完成すると、そのまま固定化した。明治の開国後、清国との往来が自由になっても、新たに清国人から同時代の中国本土の民歌を学んで清楽のレパートリーを増やしたり更新する努力はなされなかった。 また、江戸時代以来の「唐音」の歌詞を同時代の中国語に読み替えるといった試みも、なされなかった。
 (3)の大衆歌謡の範疇も、(2)の清楽を越えて新たに(1)の中国本土の民歌から旋律を輸入しなおす、ということも行われなかった。
 (1)の中国本土の民歌が、(2)や(3)を逆輸入する事態も、確認できていない。
 世界の他の地域の音楽交流、例えば、ヨーロッパとアメリカ大陸の民俗音楽の伝播の状況とくらべると、東アジアの特異性はより明確になるであろう。

 以下、オーソドックスなバージョンの清楽「九連環」の楽譜を示す。
mp3 歌】 [MIDI 簡素版(D)]  [MIDI 和音版(D)]  [MIDI 和音版(Eb)]

下記の五線譜はD調です。




 日本で刊行された清楽譜でも、九連環は、ほぼ必ず収録されるほど代表的な曲目であった。
 日本人は必ずしも清楽の歌詞の意味を理解できなかったが、九連環については、江戸時代以来、いくつも「和解」(わげ)が作られていたので、日本人も歌詞の意味をわりあい理解していた。
 以下、儒者の亀井昭陽(1773−1836)の四女のエピソード。
上人為少女宗、言「九連環」首章。宗低首良久、曰、不是剛(ママ)鉄、必純金。不然、能勝刀撃邪。上人笑曰、 季蘭与礼法家、率然得未曾有佳対。(『文集初編』巻二「送一圭上人序」)

一圭から「九連環」の歌を教わっていた四女宗は、第一章の「双手拿来解不開。 拿把刀児割。 割不断了」というくだりの説明を聴いては、しばらく考え込んだ後、真面目な顔で 「是れ鋼鉄ならずんば、必ず純金ならん。然らざれば、能く刀撃に勝(た)へんや」と言うのである。
──中尾友香梨「亀井昭陽を魅了した清楽」、『南腔北調集 中国の伝統と現代 山田敬三先生古稀記念論集』1997,p.168
『月琴楽譜』明治十年刊より
看看也。
賜奴的九連環。
九呀九連環。
双手拿来解不開。
拿把刀児割。
割不断了也也呦。

誰人也。
解奴的九連環。
九呀九連環。
奴就与他做夫妻。
他門是个男。
男子漢了也也呦。

以下、略


カン カン エエ
スウ ヌ テ キウ レン クワン
キウ ヤ キウ レン クワン
シャン シュ ナア ライ キャイ ポ カイ
ナア バア タウ ルウ カ
カ ポ ドワン リャウ エエ エエ ユウ

ジュイ ジン エエ
キャイ ヌウ テ キウ レン クワン
キウ ヤ キウ レン クワン
ヌ ジウ イュイ タア ツヲ フウ ツイイ
タア メン ズウ コ ナン
ナン ツウ ハン リャウ エエ エエ ユウ
「カンカンノー」の歌詞
 (落語「らくだ」他)

かんかんのう
きうれん
きゅうはきゅうれん
さんしょならえ さあいほう

にいかんさんいんぴんたい
やめあんろ
めんこんふほうて
しいかんさん
もえもんとわえ
ぴいほう ぴいほう
「九連環」の歌詞


カン カン エエ スウ  テ
キウ レン クワン
キウ ヤ キウ レン クワン
シャン シュ ナア ライ キャイ ポ カイ
ナア バア タウ ルウ カ
カ ポ ドワン リャウ エエ エエ ユウ

「九連環」の楽譜(工尺譜)と歌詞。
工尺譜って何? ABC譜って? → 参考サイト:Wikipediaの「工尺譜」と「ABC記譜法」の項。
工尺譜
上上工尺。ドドミレ
工四上尺工上四合々。ミラ,ドレミドラ,ソ,ー
上'上'合四。ド'ド'ソラ
四上'四上'四上'合々。ラド'ラド'ラド'ソー
四上'四上'合々。ラド'ラド'ソー
工々尺工六五六工尺上尺上。ミミレミソラソミレドレド
   (最後の一行はリフレイン)

リズムや絶対音高を補い、ネット上の世界標準である「ABC記譜法」でメロディーを示すと、右のようになる。
参考サイト:ABC言語 − テキストで「楽譜」を表現するための言語
左の工尺譜を「ABC譜」に直したもの

X: 1
T:kyuurenkan(1)
M:2/4
L:1/4
K:D
D D/F/ | E2 | F B,/D/ | E/F/ D/B,/ | A,3/2 z/ |
d d/A/ | B2 | B/d/ B/d/ | B d | A3/2 z/ | B/d/ B/d/ |
A3/2 z/|: z/ F F/| E/F/ A | B/A/ F/E/ | D3/2 E/ |D2 :|
[聴く(MIDI)]
伴奏を弾くときは適宜、装飾音等を追加する。
X: 1
T:kyuurenkan(2)
M:2/4
L:1/8
K:D
D>E FA | E-E/F/ E/F/ E/D/ | F F/D/ B,D | E E/F/ D/E/ D/B,/ | A,>F A/F/ A/B/| d>d dA | B B/d/ F/E/ F/A/ | B d B d | B/B/ A/B/ d/e/ d/B/ | A A,/A,/ AA | BA Bd | A A, A A/A/ |: z F2 D| EF A d/d/ | BA FE| D>D D E |D3 z :|
[聴く(MIDI)]

また、五線譜に直し、コードや装飾音などをアレンジすると、このようになる。

↑クリックすると拡大します。



九連環の歌詞のさまざまなバージョン(歌詞の1番のみを比較)
日本・清楽
明治10年刊『月琴楽譜』
看看也賜奴的九連環九呀九連環双手拿来解不開拿把刀児割割不断了也也呦備考
楽譜有り
日本『唐舶漂着雑記』 我的吓
感郎的、呀呀呦
呀吓、呀呀呦
看看吓
送奴個九連環九呀九連環双手拿来解不開奴把刀児割割不断了、呀呀呦呦備考
楽譜無し
日本・滝沢馬琴
『著作堂一夕話』
我的吓、
感郎的、呀呀有
呀吓、呀呀有
看看吓
送奴個九連環九吓九連環双手拿来解不開奴把刀児割割不断了、呀呀有有備考
楽譜無し
日本・俗謡
かんかんのう
かんかんのーきうのれすきゅーわきゅれんすさんしょならえーさーいほーしーかんさん備考
楽譜有り
中国・北京
李家瑞編『北平俗曲略』
<乾隆年間『百本張抄本』
奴的[口夜]干郎児、
[口亦]呀児喲、
[口亦][口亦]呀児喲、
情人児喲
送了奴把九連環九哇九連環双双手児解不開拿把刀児割割不断児来[口亦]呀児喲備考
工尺譜有り。
[詳細はこちら]
中国・浙江省(1)金華市
『中国民間歌曲集成・浙江巻』1993年384頁
親哥哥送奴一根九連環九連環([口阿])十指尖尖解不開拿把刀児割 割也割不動、(呀、[口伊]得児[口阿]・・・[略])備考
[詳細はこちら]
中国・浙江省(2)麗水市
『中国民間歌曲集成・浙江巻』1993年384-5頁
情哥哥贈把奴九連環九[口伊]九連環([口阿])十指尖尖解不開拿把刀来割 割呀割不断、(呀、呀得児・・・[略])備考
数字譜
中国・浙江省(3)楽清県
『中国民間歌曲集成・浙江巻』1993年385-6頁
到春来又到春上来牡丹花開一朶花児開紫燕成双飛 飛来飛去成双、作対飛。備考
数字譜
中国・福建省
『中国民歌集成・福建巻』1996年1112頁
有情人送奴麽一把九連環九呀九連環([口阿])十指尖尖解不開拿把刀来割 割(也)不断、(呀[口那]呀[口那]呀)備考
数字譜/五線譜
中国・陝西省
歌手:杜錦玉、採録:1961年
『声音博物館』2005年1月刊
情人喲哎哎送奴一个九哇連的環九呀九連環双双手児解不的開拿上把刀児割哎 割呀哎哎、
割呀哎哎、
割呀割不断来麼呀得児咿得月得児月
備考
数字譜有り
[詳細はこちら]
江蘇民歌 九連環
 張前『中日音楽交流史』
胡蝶呀 飛来又飛去呀 飛来又飛去呀 飄飄蕩蕩進花園呀 小妹妹上前撲 撲呀撲勿到呀
咿得児呀得児喲哎、
得児喲哎、
得児咿得児呀得児喲哎、
得児喲哎
備考
五線譜有り
 この他、潮劇(地方劇)の九連環(数字譜。歌詞無し)、『月琴新譜』塚原1991(五線譜)、江蘇省無錫『九連環』([
詳細はこちら]。「情人呀送我九連環」。李白英1928。楊桂香2002所引五線譜)など。



「九連環」の歌詞
原本の旧字体は、常用漢字体に直しました。例:雙→双
異体字の一部は、原本のままにしてあります。例:皷=「鼓」の異体字)
ネット上で表示しにくい一部の漢字は、合成字で表しています。例:[口禁]←噤

 明治10年(1877)刊『月琴楽譜』より

1.看看也。賜奴的九連環。九呀(*1)九連環。双手拿来解不開。拿把刀児割。割不断了也也呦。
カン カン エエ。スウ ヌ テ キウ レン クワン。キウ ヤ キウ レン クワン。シャン シュ ナア ライ キャイ ポ カイ。ナア バア タウ ルウ カ。カ ポ ドワン リャウ エエ エエ ユウ。

2.誰人也。解奴的九連環。九呀九連環。奴就与他做夫妻。他門(*2)是个男。男子漢了也也呦。
ジュイ ジン エエ。キャイ ヌウ テ キウ レン クワン。キウ ヤ キウ レン クワン。ヌ ジウ イュイ タア ツヲ フウ ツイイ。タア メン ズウ コ ナン。ナン ツウ ハン リャウ エエ エエ ユウ。

3.情過河(*3)。在岸的妹住船。妹呀妹住船。雖然与他隔不遠。閉了城門難。難得見了也也呦。
ジン コウ ホウ。ヅアイ ガン テ ムイ ジユイ チヱン。ムイ ヤ ムイ ジユイ チヱン。スイ ジヱン イユイ タア ケ ポ ヱン。ピイ リヤウ ジン メン ナン。ナン テ ケン リヤウ エエ エエ ユウ。

4.変个兮。鳥児的飛上天。飛呀飛上天。[口其][口梨][口古][口盧]落下来。還有一个春。同相会了也也呦。
ペン コ ヒイ。ニヤウ ルウ テ フイ ジヤン テン。フイ ヤ フイ ジヤン テン。ギ リ ク ル ロ ヤア ライ。ワン ユウ イ コ チユン。ドン スャン ホイ リヤウ エエ エエ ユウ。

5.雪花兮。飄下的三尺高。三呀三尺高。飄下一个雪美人。落在懐中把。懐中把了也也呦。
シ フハア ヒイ。ピヤウ ヤア テ サン チヱ カウ。サン ヤ サン チヱ カウ。ピヤウ ヤア イ コ シ マイ ジン。ロ ヅアイ ワイ チヨン バア。ワイ チヨン バア リヤウ エエ エエ ユウ。

6.一更兮。奴的也也呦。也呀也呀呦。二更等你不来了。三更皷児敲。敲不断了也也呦。
イ ケン ヒイ。ヌ テ エエ エエ ユウ。エエ ヤ エエ ヤ ユウ。ルウ ケン テン ニイ ポ ライ リヤウ。サン ケン クウ ルウ キヤウ。キヤウ ポ ドワン リヤウ ユユ(ママ) エエ ユウ。

7.四更兮。金鶏報暁天。報呀報暁天。五更三点(*4)天明了。
 錦繍被。鴛鴦枕。枕辺思。枕辺想。害得奴家相。害得奴家思。
 相思病枕也也呦。
スウ ケン ヒイ。キン ケイ パウ ヒヤウ テン。パウ ヤ パウ ヒヤウ テン。ウウ ケン サン テン テン ミン リヤウ。キン スイ ピイ。ヱン ヤン チン。チン ペン スウ。チン ペン スヤン。ハイ テ ヌ キヤア スヤン。ハイ テ ヌ キヤア スウ。スヤン スウ ピン リヤウ エエ エエ ユウ。

*1:原本の字は[口ト](「口へん」の右横に「卜」の一字)。以下、すべての「呀」の字について同様。
*2:現代中国語では「他們」(彼ら、の意)と書くべきところ。
*3:おそらく「情過河」は、近音の「情哥哥」の間違い。
*4:五点、とする歌詞もある。

歌詞の大意(拙訳)
1.見やしゃんせ、わらわがもろうた九連環(中国の知恵の輪)。九よ、九連環。もろ手でいじれど、解けませぬ。刀で切っても、ええい、切れませぬ。
2.どなたか、わらわの九連環を解いてちょうだいな。九よ、九連環。解けたらその人と夫婦になりましょう。ええい、よき殿方たちよ。
3.いとしいお方は岸にいて、わらわは船にいる。わらわは、わらわは船にいる。ふたりのあいだは遠くはないが、町の大門が閉まれば、ええい、逢い引きもままならぬ。
4.鳥になりたや、空を飛びたや。空を飛び、飛びたや。ピーピーヒョロヒョロと落ちてきて、ええい、ともに春の夜長を楽しみたや。
5.雪ぞふる、三尺もふりつもる。三も、三尺も。思いぞ降り積む雪美人。胸に抱かれて、ええい、とろけたや。
6.夜の一更、わらわは・・・えい、ああ、ううん、二更になれども、なぜ来てくださらぬ。三更の鼓は深夜に響く、ええい、いつまでも。
7.四更、夜明けの空にとりが鳴く。とりが、鳴く。 五更、三時、夜が白む。
 錦のふとん、おしどりの枕。枕べに思い、枕べに恋いこがれる。恋こがれて、ため息。恋の病の、ええい、枕かな。





 河副作十郎編選『清楽曲牌雅譜』明治10年(1877)刊より

1.看看兮ママ。賜奴的九連環。九呀九連環。双手拿来解不開。拿把刀児割。割不断了也也呦。
カン カン ヱママー。スウ ヌ テ キウ レン クワン。キウ ヤー キウ レン クワン。シワン シウ ナア ライ キヤイ ポフ キヤイ。ナア バ タウ ルウ カア。カア ポ ドワン リャウ エ エ スママウ。

2.誰人兮ママ。解奴的九連環。九呀九連環。奴就与他做夫妻。他們是个男。男子漢了也也呦。
ヂウイ ジン エー。キヤイ ヌウ テ 8字分ルビ無シ ヌ ズイウ イ タア ツオ フウ ツイ。タア メン ズウ コ ナン。ナン ツウ ハン リヤウ エ エ ユウ。

3.情過兮ママ。在岸的妹住船。妹呀妹住船。雖然与他隔不遠。閉了双ママ門難。難得見了也也呦。
ズイン コフ エ。ズアイ ガン テ ムイ ジイ ジエン。ムイ ヤ ムイ ジイ ジエン。スイ セン イ タア ケ ポ エン。ピ リヤウ シワン メン ナン。ナン テ ケン リヤウ エ エ ユウ。



北京・百本張抄本の「九連環」
 18世紀末くらいに北京で唱われていた九連環は、運河ルートで南方から北京に伝わった「福建調」の歌曲だった。
 歌詞は、同時代の日本に漂着した
唐船「萬勝号」の船員(福建系)が伝えた九連環の歌詞とやや似ており、江戸時代の清楽のスタンダードな「九連環」の歌詞よりもやや通俗的である。(「歌詞の比較」の表を参照)
 旋律も、スタンダードの「九連環」より長くこみ入っており、また「イーヤーアルヨー」というかけ声のあとに舌先を細かくブルルッとふるわせるなど、日本に伝わったものよりねっとりとしている。
北京の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]

「百本張抄本」の工尺譜を張仲樵氏が訳譜したもの

以下略。

 上記の楽譜のもとである工尺譜と歌詞は、李家瑞著『北平俗曲略』(民国22年=1933年1月初版)の「福建調」の項にも載っている。
 左の写真をクリックすると拡大。

 以下、李家瑞著『北平俗曲略』の「福建調」の項より引用。
(引用開始)
 福建調は「九連環調」とも言う。代表的な一曲のタイトルでジャンル全体を代表させたネーミングである。実際、福建調のなかで最も有名な曲は「九連環」である。
 「京都竹枝詞」に言う。
  更愛舌尖声韻砕、 さらにアイす ゼッセンにセイインくだけ
  上場先点九連環。 ジョウジョウしてまずテンず キュウレンカン
  (原註:この曲は一折が終わりにさしかかるたびに、必ず舌先をブルルルッと震わせる「滾舌音」を長くのばす)
 遅くとも嘉慶年間(1796〜1820)には福建調が北京に入っていたことがわかる。
 東南各省の俗曲で北京に伝わってきたものは、どれも運河に沿ったルートで伝わってきたものと思われる。 福建調はもともと運河よりはるか南にあったが、やはりこのルートで伝わってきた。 福建の刻本俗曲『裏京路引』が記すところによれば、清朝時代に福建から都に入るには、まず浙江の江山県から杭州に出て、その後、運河に沿って北上した。 道光年間(1821-1850)の楊掌生はこのルートの状況を次のように記している。
「北道郵亭、抱琵琶入店小女子、唱『九連環』、帯『都魯』、毎卸装、[酉古]村醸解乏、聴之亦資笑楽」(夢華瑣簿)
 「帯都魯」とは、「京都竹枝詞」で「滾舌音」と呼んでいるのと同じもので、俗称は「花腔」である。これはもちろん女子が唱うもので、男子が舌をブルルッとふるわせて唱ったら聴けたものではあるまい。 しかもこの種の福建調には「イ−ヤ−アルヨ−、イ−ヤ−イ−ヤ−アルヨ−」という間投詞的な声もあり、これも男子が唱うにはそぐわない。
 当時の福建調の伴奏楽器は琵琶だったが、現在の北平では琵琶という楽器はすでに衰微がはなはだしいため、もともと琵琶で唱っていた歌曲はすたれてしまうか、あるいは別の楽器で伴奏するようになった。 こういうわけで、九連環も簫笛で伴奏されるようになっている(付録の工尺譜を参照のこと)。
 「百本張」鈔本の俗曲のなかで明確に「福建調」というタイトルをもつのは、この九連環のほかに「抖空鐘」という曲があったが、現在も流行している俗曲のなかではすでに見あたらなくなっている。
(引用終了)



福建省・建陽県の「九連環」
 上掲「北京・百本張抄本」の「九連環」とよく似ている。
福建省・建陽県の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]



『中国民間歌曲集成・福建巻(下)』(中国ISBN中心出版、1996年・北京)p.1112-p.1115に載せる数字譜(「周雪花唱 鄭一源記」)の一部を、加藤が五線譜に直したもの。
原譜は歌詞の三番まで載せる。ここでは、歌詞の一番の部分と、その前後の前奏と間奏の部分のみMIDI化した。
原譜では、yaは「口へんに牙」、durは「口へんに都」、yiは「依」という漢字で表記してある。
原譜の注には「ya dur は、歌うとき舌を震わせる」とある。

 建陽は、福建から杭州、北京へ行く交通の要衝。日本の国宝「曜変天目茶碗」を生んだ建窯(けんよう)でも有名。 清朝時代の北京人が「福建調」と呼んだのは、主としてこの建陽の地を意識してのことであったか。
 →cf.
福建省建陽県の「茉莉花」



浙江省・金華市の「九連環」
 日本の清楽の「九連環」と似ている。
浙江省・金華市の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]



『中国民間歌曲集成 浙江巻』(人民音楽出版社、1993年)p.384に載せる数字譜(「陳素蓮唱 方康明・呉根林記」)を加藤が五線譜に直したもの。

 『中国民間歌曲集成 浙江巻』に載せる「浙江民歌風格分布図」を見ると、金華は寧波市や温州と同じく「丘陵山地風格区」に属し、杭州が属す「杭嘉湖平原風格区」とは別である。
 同書には麗水市の「九連環」、楽清県の「到春来(九連環調)」の歌詞付き数字譜も収録している。歌い出しの旋律はそれぞれ「ドらソミレドレー・・・」「ドらソミレー・・・」で、歌詞や旋律は金華市のバージョンと出入りがある。


江蘇省・無錫の「九連環」
 1928年、音楽家の李白英が江蘇省・無錫一帯で採集した歌曲。李白英『民間十種曲』、徐元勇訳譜。
 日本の清楽の「九連環」とかなり似ている(特に前半部)。
江蘇省・無錫の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]





安徽省の民謡「九連環」
安徽省・来安県の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]

【歌詞】大([口牙])雪児飄飄、飄来飄去三十六丈高、
  送奴家([口牙])一箇九連環、解([口牙])解不開([口牙])
  [口×(伊牙伊)]得[口約] [口×(伊牙伊)]得 [口×(約艾艾亥約)]
(杜観慶唱 張道興記)
『中国民間歌曲集成・安徽巻』通番「599.九連環」に載せる歌詞付きの数字譜を加藤がMIDI化に直した。



貴州省の民謡「九連環」
貴州省・独山県の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]

【歌詞】有情我的郎、 | 相送奴家九連環、 | 九是九連環(口×[艾亥約]) |
  十指我的尖尖 | 解不脱、 | 拿把菜刀割、 | 割[口牙]割不断([口羅][口伊]) |
  洋得児[口伊]得児[口約]、 | 洋得児[口伊]得児、洋得児[口伊]得児、 |
  洋得児[口伊]得児[口約]、 | 洋得児[口伊]得児[口約]、 |
  洋得児[口伊]得児、洋得児[口伊]得児、 | 洋得児[口伊]得児[口約]得、 | [口約]得児[口約]。 ||
(岑子明唱 潘名揮記)
『中国民間歌曲集成・貴州巻』通番「150.九連環」に載せる歌詞付きの数字譜を加藤がMIDI化に直した。



陝西省の民謡「九連環」
 歌詞は東南系と似ているが、旋律はいわゆる「西北風」になっている。
陝西省の「九連環」のメロディーを[MIDIで聴く]


中国・陝西省 歌手:杜錦玉、採録:1961年
王洗平主編『声音博物館』(中国水利水電出版社、2005年1月刊)pp301-303に載せる歌詞付きの数字譜を加藤が五線譜に直した。



かんかんのう
にんぷろ」カルタ↓
(クリックすると拡大)

[演奏](←上野村)
 「かんかんのう」、別名「唐人踊(とうじんおどり)」「看々踊(かんかんおどり)」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた唐人歌(唐人唄)、すなわち中国語をまねたナンセンスソングである。
 歌詞は、清楽「九連環」の唐音の歌詞の一部「カンカンエ、スーテ…」など中国語と対応する前半部と、中国語の卑猥な単語がまじる後半部に分かれる。
 文政3年(1820年)春、長崎の人が難波堀江の荒木座で踊ったのが最初。唐人ふうの扮装をした踊り手が、唐人唄と鉄鼓、太鼓、胡弓、蛇皮線などの伴奏にあわせて踊る、という興行演目で、名古屋や江戸でも大流行し、庶民も盛んにまねた。 流行のあまりの加熱ぶりに、禁令(文政5年2月)が出たほどだった。 その後も庶民のあいだでは、「看々踊」や、その歌である「かんかんのう」が歌い継がれた。
 古典落語「らくだ 」では、肩にかついだ死体の手足を動かして「死人のかんかんおどり」を踊らせる、という場面がある。
 また地方では、
群馬県上野村のカンカンノーのように、郷土芸能として現在も伝承されているところがある。
[歌詞]  [旋律]  [梅ヶ枝の手水鉢]  [野球けんとかんかんのう]

清朝時代の中国→江戸・明治期の日本→江戸〜昭和の日本
俗曲「九連環」 清楽「九連環」 ○江戸時代の「かんかんのう」・唐人踊 cf.落語「らくだ」死人(しびと)のかんかん踊り
 ↓替え歌
○明治時代「ホーカイ節」「さのさ節」「むらさき節」「くれ節」「鴨緑江節」「満州節」「とっちりちん」「梅ケ枝節」
○昭和12年「もしも月給が上ったら」(林伊佐緒、新橋みどり・歌)
○大正13年「野球拳」


「かんかんのう」の歌詞
参考 江戸時代の中国語ブーム(3) 中国語のナンセンス・ソング

『雲錦随筆』(1861)
 歌詞は後述のように様々だが、滝沢馬琴『著作堂雑記抄』に載せるものを示す。
  かんかんのう きうのれんす きうれんす きうはきうれんす さんちよならへ さあはほう にぃくわんさん
  いんひいいたいたい へんあろ めんこんふはうて しんかんさん もへもんとはいい ひいはうひいはう
 ナンセンスソングなので歌詞の意味を詮索しても始まらないが、歌詞の一部の単語の意味は以下のとおり。
  かんかんのう < 九連環「看看(カンカン)…奴(ヌ)…」
  きうはきうれんす < 九連環「九呀連環(キウ ヤ キウ レン クワン)」
  さんちよならへ < 九連環「双手拿来(シャン シュ ナア ライ)」
  めんこんふはう < 面孔不好(中国語。つらがまずい、顔が良くない、の意)
  しんかんさん < 心肝さん。「心肝」は中国語で恋人に呼びかける言葉。英語の「ハニー」「ダーリン」にあたる。
  もへもん < 遊女言葉で男性器を指す隠語。
  とはいい < 福建の中国語での「大」の発音を音写したもの。
  ひいはうひいはう < 「ひい」は中国語で女性器を、「はう」は「好」を指す。


三田村鳶魚「かんかん踊」,中央公論社『三田村鳶魚全集』第20巻 pp.221−228より
三田村鳶魚が記録した「かんかんのう」の歌詞。漢字は当て字であり、必ずしも単語の意味を正しく表してはいない(そもそもナンセンスソングたる唐人唄なので、 単語の意味は二次的なものである)。

かんかんのう看々那きうのれんす連子 きうはきうれんす九連子 きはきうれんれん九九連々 さんしよならへ三叔阿 さァいィほうにくわんさん財副儞官様 いんぴいたいたい□□大々やんあァろ不詳 めんこんぽはうでしんかんさん面孔不好的心肝 もゑもんとはいゝぴいはうはう屁好々
てつこうにくわんさん鉄公儞官様きんちうめーしなァちうらい京酒拿酒来 びやうつうほしいらァさんぱん嫖子考杉板ちいさいさんぱんぴいちいさい杉板屁
もゑもんとはいゝぴいはうぴいはう□□□屁好々

 滝沢馬琴『著作堂雑記抄』に載せる「大通辞」(*1)神代(くましろ)四郎右衛門による「和解」。
 長崎の唐館の「唐音」(中国語)と、遊女の特殊な言葉を合成して作った、卑猥な歌として歌詞を解釈している。
 この「和解」における中国語の原語の比定や、単語の意味の解釈には、間違いも散見される。
日本唄かんかんのふきうのれんすきうれんすきうはきうれんすさんちよならへさあいほう
漢字看看阿久阿恋思久久恋思久阿久恋思三叔阿財副
発音かんかんのうきうのれんすうきうれんすう(原欠)さんしょのう(原欠)
和解ミヨミヨ久敷恋思ふ久々恋思ふ同上他人を叔父分にて尊み申す言葉也、三男を三叔と申候、女より恋思ふ人をさして、尊みし言葉也藩方役人の事
日本唄にいくわんさんいんひいたいたいへんあろめんこうふはうてしんかんさんもへもんとはいいひいはうはう
漢字二官様戒指大大送你面孔不好的心肝男根大陰門はうはう(ママ)
発音にいくわんさんきやそうたあそんにいめんこんふはうてしんかんもへもんとはいい ひい よしよし
和解二男の事、総領を一官、二男を二官と申す。跡は右に准ず、二官の二を唐音はルウと申候得ども、所なまりてニイとも申候わ(ママ)びがね大分おくること、是は唐館門にての和語にて指金の事をいんひいと申候、大分のことをたいたいと申、おくるをやろうと申候、遊女のことば也顔のよくない色黒きと云事(以下省略)右男根をもへんもんと申候、ヒイもへもんと申は唐音にても和語にてもなく、唐館の遊女の言葉也、トハイイと申は唐福州の俗語にて、大なる事をトハイイと申候(以下略)
*1:正しくは「大通事」であろう。参考サイト:「長崎唐通事」について

「看々節」歌詞対照表
参考資料:鍋本由徳「近世後期における中国音楽の伝播と受容──主に唐人踊・看々節を中心に」(平成15年5月)
出典
第1句
第2句
第3句
第4句
第5句
第6句
第7句
著作堂雑記抄
(文政期)
かんかんのう きうれんす きうれんす きうはきうれんす さんちよならへ さあはほう にぃくわんさん
遊歴雑記
(文政期)
かんかんのう きうれんす きゆわきゆです ── さんじよならえ さいほう にいかんさん
かんかんぶし
(江戸後期)
かんかんのふ きうれんす きうハきうれんす きふハきうれんれん さんちよならへ さぁいほう にくハんさん
甲子夜話
(文政五年以降)
かんかんのふ きうれんす きうはきうれんす きうはきうれんれん さんちよならへ さァいほう にいくわんさん
視聴草
(天保期)
かんかんのう きうれんす きうハきうれんす ── さんじよならえ さいしゃう にいくはんさん
守貞謾稿
(嘉永六年)
かんかんのう きうれす ── きうはきうれんれん さんしよならへ さあいほう にいくわんさん
上野村文化財
(現在)
かんかんのう きゅうりす きはきです
(きゅはきゅれす)
── さんしょならえ
(さんしょならい)
さあいほおい みいかんす

出典
第8句
第9句
第10句
第11句
第12句
第13句
著作堂雑記抄
(文政期)
いんひいいたいたい へんあろ めんこんふはうて しんかんさん もへもんとはいい ひいはうひいはう
遊歴雑記
(文政期)
いつぴんたいたい やあんろ めんこしはうで しんかんさん もえもんとはえ ひいはうひいはう
かんかんぶし
(江戸後期)
いんぴいだいだい やんあぁろ めんこんほはうで しんこんさん もへもんとハいゝ ひいはうひいはう
甲子夜話
(文政五年以降)
いんひいたいたい やんあァろ めんこんほほらて しんかんさん もへもんとはいゝ ひいはうはう
視聴草
(天保期)
いつぴんたいたい やああんろ めんかうをはうて しんかんさん もえもんとはいて ひいはうひいはう
守貞謾稿
(嘉永六年)
いんぴんたいたい やぁあんと めんここかくて しいくわんさん もへもんとは□ ひいほうひいほう
上野村文化財
(現在)
いっぴんだいだい
(いっぴんらいらい)
やははんろ ちんぴからくて すいかんす とてつらしゃんしゃん
(すてつるしゃんしゃん)
とてつらしゃんしゃん
(すてつるしゃんしゃん)


「かんかんのう」の旋律の変遷

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合奏曲「漢々能」KANKAN-NO

永井岩井撰曲、小畠賢八郎調曲『日本歌曲集』(付:手風琴独習譜、和漢洋楽器使用法)
三木書店(大阪)、明治25年(1892)10月

2台の手風琴(アコーディオン)と打楽器による合奏譜。

(1)『日本歌曲集』の譜面どおりの旋律を[MIDIで聴く]

(2)この譜面の、ファとドを半音あげて演奏した場合の旋律[MIDIで聴く]

 (2)のほうがポピュラーな旋律である。

 明治期以降は、「かんかんのう」の旋律を「九連環」と混同して載せることもあった。
 例えば、三谷種吉著『手風琴曲譜集 第2集』(京都・村上書房、明24年12月=1891)に載せる五線譜「九連環曲(連奏) 三谷寅之介作譜」は、上記の「漢々能」とほぼ同じである。
   楽譜は「近代デジタルライブラリー」の
こちらの頁

大正5年『古今俗曲全集』の「九連環」の旋律を[MIDIで聴く]

レレ レド、レーー ド、ミレ ドら、そーー そ、ら[ドド] らそ、らーー そ、ら[ドド] らそ、らーー ド、
レーー ド、レーー ド、レミ ドら そー (休)。
れー ミー、レー ドー、レーー ミ、レー (休)、ドレ ミミ、レミ ドド、レレ ドら、そー (休)
※実際には清楽「九連環」の旋律ではなく、「かんかんのう」の旋律であることがわかる。
 「かんかんのう」の旋律や歌詞は、時代や地方によってかなり出入りがある。
 一例として、群馬県上野村に現在も伝わる「かんかんのう」の歌詞と旋律を以下に挙げる。
群馬県上野村の文化財「カンカンノー」の旋律を[MIDIで聴く]



 この楽譜は、参考サイト[(群馬県)上野村商工会・文化財「カンカンノー(かんかん踊り)[乙父]」]で聴ける「唄」の歌唱部分を、加藤が五線譜に起こしたもの。(この旋律は、鍵盤楽器の黒鍵部分だけで弾くとちょうど良い高さになります)。

 上記サイトによると、上野村に伝わる文化財「かんかん踊り」は、昭和35年(1960)12月13日、NHK主催の群馬県民俗芸能大会に出演してから広く知られるようになった。
 踊りは行列式で、赤い襦袢に三尺をしめ、頭にシンモスの草色の鉢巻をして手踊り形式で踊り、足も良く使う。囃子方は音頭取りがいて、太鼓と笛で賑やかにやる。最近は乙父神社祭典余興の一つとして披露されている。



唐人飴と「かんかんのう」
「…(前略…)そのなかで変っているのは唐人飴(とうじんあめ)で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切りの飴ん棒を一本二本ずつ売るんです」
「じゃあ、和国橋(わこくばし)の髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」
「そうです、そうです。更紗(さらさ)でこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓(くつ)をはいて、鉦(かね)をたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……」
──岡本綺堂『半七捕物帳』「唐人飴」より



梅ヶ枝の手水鉢(うめがえのちょうずばち)
 「かんかんのう」の旋律に、仮名垣魯文(1829-94)が『平仮名盛衰記』に出てくる娼妓・梅ヶ枝の話をヒントを得て作ったものと伝えられる。
「梅ケ枝の手水鉢」のメロディーを[MIDIで聴く]。
明治11年(1878)


【元歌】梅ヶ枝の手水鉢 叩いてお金が出るならば もしもお金が出たならば その時ゃ身受けを それ頼む

【替唄】この頃の米相場 当って儲けになるならば もしも儲けになるならば その時ゃ芸者衆を それ頼む
【替唄】青柳(あおやぎ)の風の糸 結んで縁(えにし)になるならば もしも縁になるならば 桜の色香(いろか)を それ頼む
【参考資料】『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998年

『大辞泉』より 「無間の鐘」むけん‐の‐かね
 1 静岡県、佐夜の中山にあった曹洞宗の観音寺の鐘。この鐘をつくと現世では金持ちになるが、来世で無間地獄に落ちるという。
 2 歌舞伎・浄瑠璃の趣向の一つで、手水鉢(ちょうずばち)を1になぞらえて打つもの。

 遠州の佐夜の中山の寺に「無間の鐘」という魔性の鐘がある。この鐘をつくと、娑婆と来世を入れ替えることができると言われていた。現世で金銭的な富を得られるが、それと引き替えに、来世では未来永劫、無間地獄(むけんじごく。俗に「むげん」とも読む)に落ちねばならなくなる。
 無間地獄は阿鼻地獄とも言う。八大地獄のなかでも最悪で、諸地獄を一としてその一千倍の責め苦を受ける。食事はみなカエルやヒル(蛭)に変わってしまう。俗謡で「女房の朝寝と無間の鐘は朝の御飯が昼(蛭)になる」と歌われるとおりである。
 この鐘の故事をふまえて、『ひらかな盛衰記』「神崎揚屋の段」別名「傾城無間鐘(けいせいむげんのかね)」の話が生まれた。

 むかし、梅ヶ枝(うめがえ)という遊女がいた。彼女は武士の腰元だったが、恋人でもあった武士が落魄して、遊女に身を落としたのだった。
 ある日、梅ヶ枝は、元・恋人の武士と再会した。武士は、もしいま三百両の現金があれば、鎧兜をととのえ明日の合戦に行き、もう一度身を立てることができるのだ、と言う。
 梅ヶ枝は、無間の鐘の故事を思い出し、庭の手水鉢を鐘に見立てて、女の一念をこめて叩いた。
 自分は未来永劫、地獄に堕ちてもいい。そのかわり、この人のために、いますぐ現金を──
 すると・・・(話の結末は、これから歌舞伎や文楽、浄瑠璃などを見る人のために、ここでは伏せておきます。「ひらかな盛衰記」の原文はネット上でも読めるので、そちらでどうぞ)。

 上記の「傾城無間鐘(けいせいむげんのかね)」は、今も歌舞伎ファンなどにはよく知られた物語である。



野球拳と「かんかんのう」
 川柳作家の前田伍健(1889年-1960年)が1924年に作詞作曲した「野球拳」の歌(愛媛県松山市の郷土芸能)のメロディーは、「元禄花見踊り」の曲をアレンジしたものと言われる。
 しかし私見によれば、歌い出しと終わりの部分が「かんかんのう」のメロディーと酷似しており、宴会芸というニッチから言っても広義での「九連環」系の俗曲に含めることができる。


「野球けん」該当部分の歌詞:「野球するなら、こういう具合に…(中略)…チョチョンガチョン(orヨヨイノヨイ)」

 念のために書いておくと、本来の「野球拳」はジャンケンではなく「狐拳」(きつねけん)であり、また負けたほうが服を脱ぐという「お色気ゲーム」ではない
 昭和29年(1954)、青木はるみ氏(歌手の青木光一氏の実妹)が歌ってヒットした。「宴会のお色気ゲーム」という誤ったイメージは、昭和40年代にテレビのバラエティ番組で、コント55号が広めたものである。
 愛媛県松山市では、現在も毎年「本家野球拳」のイベントが行われている。

「かんかんのう」(聴いてみる(MIDI))のメロディー(ABC譜)
X:1
T:kankannoo
M:4/4
L:1/8
K:A
B2 B>A B4 | c>B A>F E2 z2 | F>A F>E F2 z2 | F>A F>E F2-F>A | B2-B>A B4 | B>c A>F E2 z2 |



法界節(ホーカイぶし)
 明治から昭和初期にかけて、いわゆる「法界屋(ほうかいや)」が門付(かどづ)けをしたときに歌われた曲。「九連環」のメロディーを日本化したもの。
 「ホーカイ」の語源や意味は不明だが、「九連環」の原詞の中国語「解不開」が訛ったもの、という説が有力。
参考:長崎県教育委員会<長崎の歌特集>『みんなで楽しく歌いましょう』「九連環・法界節・サノサ節対照譜」より(『月琴譜新譜』1991年に引く)。
法界節のメロディーを[MIDIで聴く]。(歌詞や旋律は、歌唱者によって出入りがある)。

春風に、庭に綻ぶ梅の花。鶯、止まれや。あの枝に。ささ、ホーカイ。
そちが囀りゃ、梅が物言う心地する。ホーカイ、ホーカイ。
(最後の「ホーカイ」を「ホケキョ、ホケキョ」と歌う場合もある)。

西村寅二郎『雑曲月琴独稽古』より。
明治26年(1893)10月刊、東京・東雲堂。折本。





新法界節(しんホーカイぶし)
 法界節を、ところどころ半音さげて日本人好みの暗い曲調に変えたもの。「サノサ節」のもととなった。
新ホーカイ節のメロディーを[MIDIで聴く]。
明治26年(1893)

春風に、庭に綻ぶ梅の花。鶯、止まれば、ホーホケキョ、ささホーカイ。
 お前が止まれば、梅がもの言う心地する。ホーホケキョ。

一日も、早く年明(ねんあ)け 主(ぬし)のそば。縞(しま)の着物に繻子(しゅす)の帯、ささホーカイ。
 似あいますかえ、素人(しろうと)じみたか見ておくれ、上等、舶来(はくらい)。
【参考資料】『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998年



サノサ節(「さのさ節」とも)
 法界節の旋律から生まれた民謡で、「サノサ」という囃しことばを入れる。明治の三十年代頃からよく歌われた。部分的に「九連環」の旋律の面影を残している。
サノサ節のメロディーをMIDIで聴く
[その1] 『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998年
[その2] 長崎県教育委員会<長崎の歌特集>『みんなで楽しく歌いましょう』「九連環・法界節・サノサ節対照譜」より
(『月琴譜新譜』1991年に引く。原譜はト短調)

明治32年(1899) 上記の「その1」の楽譜


花づくし 山茶花 桜に 水仙花 寒に咲くのは梅の花
牡丹 芍薬 ネ 百合の花 おもとの事なら南天 菊の花 サノサ

月づくし 三笠の山では春の月 四条がわらの夏の月
石やまでらのネエ秋の月 田ごとさらしな冬の月 サノサ

 上記の「サノサ節」は、各地のご当地ソングとして、あるいは即興的な替え歌として、歌詞や旋律をさまざまに変えて歌い継がれた。
夏目漱石『坊っちゃん』(明治39年=1906)より、「うらなり」の送別会のシーン

 向うの方で漢学のお爺さんが歯のない口を歪めて、そりゃ聞えません伝兵衛(でんべい)さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に 済したが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕(つら)まえて近頃こないなのが、で けましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻(かげつまき)、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半 可(はんか)の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。
[旋律]





むらさき節
 サノサ節から変化した曲に、添田唖蝉坊(1872-1944)が新しい歌詞を載せたもの。明治44年(1911)ごろ東京の花柳界で歌われていた時は「サットネ」と囃されていたが、いち早く 演歌に取り入れられ、囃しことばも「チョイトネ」と替えられ、大流行した。
むらさき節(1911)のメロディーをMIDIで聴く [簡素伴奏版] [和音伴奏版]



参考 『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998年
添田唖蝉坊

 大正7年(1918)にヒットした「鴨緑江節」は、むらさき節の系統のメロディーに、岡田三面子(おかださんめんし。岡田朝太郎1868-1936)が作詞した歌詞を乗せたものである。
「鴨緑江節」のメロディーを[MIDIで聴く]。
歌詞(取扱注意)
一、朝鮮と、ヨイショ  支那の境のアノ鴨緑江  流す筏は、アラよけれども、ヨイショ  雪や氷にヤッコラ、閉ざされてヨ  明日も又、新義州に(或は「安東縣」に)  着きかねる、チョイチョイ
二、 朝鮮と、ヨイショ  支那の境のアノ鴨緑江  架けし鉄橋はアラ東洋一、ヨイショ  十字に開けばヨ、アラ真帆方帆ヨ  行き交ふ又戎克(じゃんく)の  賑はしさ、チョイチョイ
三、朝鮮で、ヨイショ  一番高いはアノ白頭山  峰の白雪 アラ 解くるとも、ヨイショ  解けはせぬぞへ、アラわしが胸ヨ  あけくれ又  あなたの夢ばかり、チョイチョイ
四、鳥ならば、ヨイショ  飛んで行きたや彼の家の屋根に  木の実茅の実 アラ食べてでもヨイショ  駆れて泣く声ヨ、アラ聞かせたらヨ  よもや又  見捨てはなさるまい、チョイチョイ
五、新世帯、ヨイショ  駆れぬ竈(かま)に生薪くべて  セリフ甲「おい馬鹿に煙いぢゃないか」  セリフ乙「だって燃えないんですもの」  叱らず教へてアラ頂戴な、ヨイショ  三味線持つ手にヤッコラ火吹竹ヨ  ほんに又  あなたは罪な人 チョイチョイ


アイウエオの歌
 川崎大治作詞 市川元作曲「アイウエオの歌」。昭和初期の「プロレタリア童謡」である。
 今まで指摘した人はいない(と思う)が、私見によれば、この曲の旋律は「九連環」系統の影響を受けている。
「アイウエオの歌」のメロディーを[MIDIで聴く]。



アイウエ オヤジハストライキ
カキクケ コドモハピオニーロ
サシスセ ソラユケオーエンダ
タチツテ トチウノテキドモヲ
ナニヌネ ノコラズケシトバシ
ハヒフヘ ホンブヘキテミレバ
マミムメ モリモリビラスリダ
ヤイユエ ヨシキタオラピケダ
ラリルレ ロシアノコドモラニ
ワヰウヱ ヲレタチャマケナイゾ
用意はいいか さあいいぞ

増補改訂版日本の革命歌』p.138より
 この「アイウエオの歌」は、槙本楠郎・川崎大治共編『小さい同志 プロレタリア童謡集』(自由社、昭和6年)にも収録されているようである(筆者未見)。

↓西尾治郎平・矢沢保編『増補改訂版日本の革命歌』(一声社、1974年初版、1985年増補改訂版)p.138より引用
「教労かあるいは演劇同盟から出たものかよくわからない。市川元はもともと声楽家だが作曲もし、新築地劇団で劇団の音楽をしばしば担当している。」

【注意】戦時中の国策アニメ映画『桃太郎 海の神兵』(昭和20年4月公開)の挿入歌「アイウエオの歌」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)とは、全く別の曲である(国策アニメ版の「アイウエオの歌」のほうは、戦時中にこれを見て感動した手塚治虫が、後にテレビアニメ『ジャングル大帝』の中で動物たちに言葉を教える「アイウエオの歌」としてオマージュしたことで有名)

【著作権について】「革命歌」(プロレタリア童謡)である本曲の著作権は、日本音楽著作権協会の「作品データベース検索」(こちら)によると「無信託」となっております。

 私見によれば、この「アイウエオの歌」は「九連環」の旋律と部分的に似ている。
九連環 看看
ドードミ
拿把刀児割
ラーどーラーどーソー
割不断了也也呦
ミーミレミソ、ラソミレドーレドー
アイウエ
オの歌
アイウエ
ドドドミ
カキクケコ
ラーラシどーラーソー
(コド)モハピオ(ニー)ロ、ピオニーロ
ミーミーレーミ(略)ミーソ、ラソミレドー

 作曲者の市川元や実際の歌唱者たちが、どのていど「九連環」の旋律との類似性を認識していたかは不明である。
 筆者は、清楽「九連環」は明治末年に消滅したのではなく、そのメロディーと感覚(佐々木隆爾氏の用語を借りれば「戦取性」)は無意識のレベルで民衆の感性にすりこまれ、それが昭和期以降も、いわば地下水脈から地上に噴出する間歇泉のように民衆歌として現れるのだと思惟する。


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