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漢字の運命

最新の更新 2022年10月9日   最初の公開 2022年10月8日
以下、朝日カルチャーセンター・新宿教室の[https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/eb01bd25-85a8-9dd2-3942-6229b79416f3]から自己引用。引用開始。
 当たり前のように使われている漢字。しかし朝鮮やベトナムは漢字を廃止し、中国と日本も20世紀後半に漢字を廃止する予定でした。日本と中国はなぜ漢字廃止をやめたのか。21世紀も漢字は生き残れるのか。日本と中国の文字改革の歴史を、豊富な図像を使い、初心者にもわかりやすく解説し、社会と文化の闇を解き明かします。教室での受講も可。(講師・記)
(引用終了)
漢字表記の例  繁体字   常用漢字/新字(日本)   簡体字(中国) 广


  1. ポイント、キーワード
  2. 世界の中の漢字
  3. 漢字の長所と短所
  4. 漢字文化圏について
  5. 日本の漢字廃止論
  6. 中国の漢字廃止論
  7. ベトナムの漢字廃止
  8. 朝鮮半島の漢字廃止
  9. まとめ
  10. 参考文献、ミニリンク

YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nB9OtXJloSx-46ElJSJofo

ポイント、キーワード

世界の中の漢字
 いつ:現在、考古学的に確認されている限りでは、最古の漢字は甲骨文字(亀甲獣骨文字)であり、これは殷王朝の後期、紀元前14世紀から前11世紀ごろの占いの記録である。 これより古い時代の遺跡からも、土器にしるされた断片的な原始的な記号(例えば「半坡陶符(はんは とうふ)」など)は発見されているが、それが記号なのか文字なのか、漢字の直接のルーツなのかは、確認されていない。
  参考 高島敏夫「
文字とは何か?──最古の文字とは?【甲骨文の誕生002】」2011-05-07
 どこで:東アジアと東南アジアの一部を含む、いわゆる漢字文化圏で使われてきた。習得の困難さから、中央アジアその他の地域への伝播は限定的だった。
 だれが:東アジアの「集約農業文明圏」の諸民族のあいだに広まった。
 何を:漢字は表語文字であり、音節文字であり、本来は1字で1語の意味と発音を伝える文字であった。その意味で、表音文字であるアルファベットやカナ、ハングルとは、文字としての性格が根本的に違った。
 どのように:漢字は、習得のしきいは高いがいったん覚えるとうまみが大きい、というハイコスト・ハイリターンの文字であり、集約農業文明圏の社会的ステイタスや統治イデオロギーとも結びついていた。 アルファベットを使っていたローマ帝国が滅亡後、二度と「天下統一」できなかったのに対して、秦の始皇帝以来「統一された漢字」を使っていた中華帝国が21世紀まで存続できている理由の1つは、漢字が「方言の外国語化を許さない、統一的イデオロギーを体現した文字」だからである。 cf.鈴木修次『漢字―その特質と漢字文明の将来』(講談社現代新書、1978)
漢字の長所と短所
長所 短所

漢字文化圏について
 漢字文化圏あるいは「漢字圏」は、文化圏の概念の一つである。 漢字を使用しているか、過去に大々的に使用していた地域を指す。 「高位言語」としての漢文や漢語の使用、儒教イデオロギーの受容、「士」と呼ばれる中間支配層の存在、大乗仏教の漢訳仏典の読誦(どくじゅ)などを特徴としていた。 地域的には、日本、朝鮮半島、中国大陸、台湾、東南アジアの一部(ベトナムなど)など、東アジアの集約農業圏に固まっている。
 参考 
基層文化#漢文と各国語
 中国大陸でも、モンゴルや回部(現在の新疆ウイグル自治区を中心とする地域)、チベットなどは集約農業圏ではなく、したがって漢字文化になじまず、昔は漢字文化圏に入っていなかった。 しかし21世紀現在、中華人民共和国は政策により、これらの地域にも中国の共通語と漢字の普及を強力に進め、なかば強制的に漢字文化圏に編入した。
 現在、日本語や朝鮮語/韓国語、ベトナム語では、辞書に収録されている語彙の6割くらいを、漢文由来および漢文をもとに造った「漢語」が占め、基礎語彙は民族の固有語、高級語彙は漢語、という二重構造が見られる。
 19世紀、東アジアが「西洋の衝撃」の洗礼を受けたあと、中国と日本以外の漢字文化圏では、中国(当時は清王朝)からの政治的・文化的自立を含むナショナル・アイデンティティの確立の課題とされ、 漢字の使用は中国文化への従属の象徴と見なされるようになり、漢字の使用をやめる国や地域が続出した。
 今日でも漢字を大々的に使用しているのは、中国語圏と日本語圏だけである。

日本の漢字廃止論
ポイント
 日本古来の神道は「ことあげせず」で、本来は漢字文化とはなじまなかった。
 聖徳太子の時代以降、漢訳仏典(いわゆるお経)の影響もあり、漢字は日本に定着した。
 幕末明治の近代化の過程で、漢字教育廃止の意見が出たにもかかわらず、実際は新漢語など漢字を近代化に役立てるという逆方向に進んだ。
 第二次大戦後には漢字廃止論もおきたが、ワープロの発明により、21世紀現在では「漢字廃止論が廃止された」状態となっている。
 古代の日本人は、宗教的な理由もあり、漢字の使用に消極的だった。日本神話の八百万の神々のなかに文字の神がいないこと、5世紀の巨大な古墳には被葬者の名前が記されておらず「伝・仁徳天皇陵」さえ本当の被葬者が不明であること、などはその例である。cf.加藤徹『漢文の素養』光文社新書、2006
 日本人の漢字に対するアレルギーが緩和したのは、6世紀末の聖徳太子の時代、漢訳仏典の日本への本格的導入からである。 また漢字が庶民の生活にも普及しはじめるのは8世紀、奈良時代の初め、元明天皇の「好字二字令」以降である。
 昔の日本には、文字は漢字しかなかったので、単に「字」といえば漢字だった。8世紀から、漢字をもとにしたカナ(仮名)がしだいに形成されたことで、漢字はマナ(真名)と呼ばれるようになった。 また日本語では、漢字を「音読み」(真読)と「訓読み」(訓読)の2つで読むという独自の路線を採用した。
 カナの発明は、長期的に見れば、日本で漢字が普及して定着する要因の1つとなった。
 近世(江戸時代の、文化面から見た呼び方)に入ると、国学者を中心に、漢字よりもカナの優位性を説く意見もあらわれた。 また近代(明治から昭和)にかけては、日本語の運用効率を高めるため漢字の数を制限すべきだという漢字制限論が盛んになった。
2022年現在、日本では漢字廃止についての論議は低調となっている。一方、外国人労働者や外国出身の定住者が増えている現在、漢字は、あらたな問題となっている。
中国の漢字廃止論
ポイント
 漢字は「漢民族」の文字であり、漢字という文字表記システムそのものに、漢民族の美意識や宗教観、社会倫理が濃厚に反映されている。
 中国でも、漢字をあえて受容しなかった、あるいは受容できなかった民族は多い。逆に古代の日本は、集約農業文明国として、漢字を含む中国式システムを積極的に導入した。
 1912年の中華民国の成立以降、中国でも、漢字廃止論が散見されるようになった。が、非識字者は、ローマ字よりも漢字を学びたがった(サンスクリタイゼイション)。
 1949年の中華人民共和国の成立後、中国共産党は将来的に漢字を全廃するつもりだったが、文化大革命の失敗により、その計画も破綻した。
 1980年の改革開放後は、中国の富裕化、中国語ワープロの普及、ナショナリズムの高揚もあって、漢字全廃論は消滅している。
 中国は多民族国家である。漢字は紀元前2千年紀後半までは、黄河中流域の漢民族(のルーツにあたる民族)が使うローカルな文字であった。
 前1千年紀に漢民族の生活圏が拡大するとともに、漢字の使用地域も広まった。前221年に即位した始皇帝が「同文同軌」政策を行ったことで、漢字は中華帝国の持続性を担保する文化的インフラとなった。
 前202年、楚の項羽との戦いに勝利した漢の劉邦が皇帝に即位し、漢王朝が始まったことで、「漢字」という名称のもととなった。
 その後、漢民族は何度か、異民族による征服王朝の支配下に入ったが、漢民族を支配した異民族も、漢字そのものの廃止は行わなかった。また漢字は、儒学や仏教とも結びつき権威化したため、 漢字を知らない非識字層や漢字弱者(外国出身者や視覚障害者、漢字教育を受ける機会が制限されていた女子や貧困層など)からも、漢字廃止の声はあがらなかった。
 1840年、アヘン戦争が勃発。中国は、西洋の衝撃の洗礼を受けたが、漢字そのものを廃止せよという声は起こらなかった。
 1912年、清が滅亡して、中華民国が成立した。中華民国の国語をどうするかで大論争が起きた。清末の日本留学経験者も、積極的に発言した。
 1918年、漢字の発音をあらわすため新規に考案された表音文字「注音符号」(注音字母)が、「国音字母」という名前で正式に公布された。今も台湾では、繁体字と、改良した注音符号を使用している。cf.倉石武四郎『中国語五十年』岩波新書、1973
 1930年代、中国共産党は各地の解放区で、農民を相手に識字教育を促進した。ロシア文字やラテン文字など表音文字を使った中国語教育は農民のあいだで不評で、農民は、自分たちを苦しめてきたはずの地主階層や士大夫階層が使う漢字を学びたがった。 中国版サンスクリタイゼイションが、ここでも見られた。 cf.倉石武四郎『漢字の運命』岩波新書、1952年
 1936年、日本留学経験もある魯迅が上海で死去。彼が若き日に執筆した出世作「阿Q正伝」は、非識字者のルンペン農民を描いた短編小説であった。魯迅は晩年「漢字不滅、中国必亡(漢字が滅ばねば中国は必ず滅ぶ)」と漢字全廃論を主張した。
 1949年10月1日、中華人民共和国が成立。
 1955年、中国文字改革委員会が『漢字簡化方案草案』を発表。中国の「簡体字」が進む。
 1958年、中華人民共和国が中国語専用に改良したローマ字を使用する表記法「漢語拼音音方案」(かんごピンインほうあん)を制定した。
 中国共産党は、将来的には漢字を全廃し、ピンイン(拼音)というローマ字表記に統一するつもりだった。日本の中国語学者の一部、例えば倉石武四郎も、日中両国で漢字は将来的に全廃すべきだと信ずる漢字廃止論者であった。
 1976年、毛沢東が死去し、文化大革命は大失敗のうちに終わる。さらなる簡体字化の推進や、漢字全廃論は影をひそめた。
 21世紀現在、中華人民共和国では、簡体字が全面的に使われており、ピンインは児童や外国人の中国語学習者のあいだで使われている。中国語のワープロの入力でも、ピンインは入力方式の1つである。
 中国のナショナリズムの高まりと正比例して、中国国内の少数民族に対する中国語教育・漢字教育は、ますます強まっている。

ベトナムの漢字廃止
ポイント
 ベトナムと中国の関係は、文化的親近感と政治的緊張感のあいだを揺れ動いてきた。
 当初は漢文だけだったが、13世紀ごろから民族固有の文字であるチュノムも漢字と併用するようになった。しかしチュノムは、日本のカナほどには普及しなかった。
 20世紀以降、ベトナムでは漢字もチュノムも衰退し、ローマ字に一本化した。
 ベトナムは漢字文化圏の国であった。ベトナムという国名は「越南」、ホーチミンという人名は「胡志明」という具合に、ベトナム語は漢字語が多い。 王朝時代のベトナムでは、公用文は漢文であり、民間では民族固有の文字であるチュノムと漢字の交ぜ書きも使われた。
 19世紀末、ベトナムを「フランス領インドシナ」として植民地として支配するようになったフランスは、 ベトナム語のアルファベット表記「クオック・グー」(国語)を推進した。ベトナム人はもともと、隣接する中国人への反発心も強かったことも一因となり、 1945年にベトナムが独立したとき、漢字に代わる公用文字としてクォック・グーが正式に採用された。以後、漢字の使用は激減し、事実上、全廃となった。
 現在のベトナムで漢字の読み書きができる人間は、日本語や中国語を学ぶ人や、大学で自国の古典を学ぶ学生、 ベトナムの仏教のお経(日本のお経と同じく漢訳仏典である)を読誦する僧侶などに限られる。ただしベトナム語の語彙の多くが漢語由来である点は、今も変わらない。
 以下、『旺文社世界史事典 三訂版』より引用。
チュノム Chu Nôm 字喃
 ヴェトナム人が漢字をもとにして自国語を表すのに用いた俗字体
 字喃とは南方文字の意。これは陳朝時代にヴェトナム人がモンゴル人の侵入を退け,民族意識が高揚した13〜14世紀ごろに流行し始めた。しかし十分に定着せず,現在では広くローマ字が用いられている。

朝鮮半島の漢字廃止
ポイント
 「高麗版大蔵経」を造った高麗も、「小中華」を自認した李氏朝鮮も、書き言葉は漢文だけだった。
 李氏朝鮮第4代国王の世宗大王は1443年、民衆のために「訓民正音」(ハングルの祖型)を公布したが、日本のカナほどには定着しなかった。
 第二次世界大戦後、北朝鮮は漢字を全廃してハングルに一本化し、韓国は漢字教育をやめて漢字の「安楽死」をはかり、21世紀現在、韓国も北朝鮮も、漢字を使わなくなった。
 昔の朝鮮半島の「両班」(やんぱん)は、中国人以上に熱心に漢字や漢文を勉強し、 そのレベルの高さは明王朝の知識人をして「勿為元菟四郡人所笑可也(漢の植民地だった土地の連中に笑われぬようにしなければならない)」(
沈徳符『万暦野獲編』巻三十)と言わしめたほどだった。
 15世紀、李氏朝鮮の世宗大王が民族の固有語を表記するための「訓民正音」(現在のハングル)を制定したが、漢字・漢文の読み書きにたけた知識人のあいだでは不人気で広まらなかった。
 17世紀、李氏朝鮮の知識人である金万重(こちらも参照)は、自国の知識人が漢詩漢文にばかり力をいれている風潮を「しょせんはオウムのものまね」と批判し、ハングルでも文学作品を発表した。
 19世紀末、それまで「諺文(オンモン)」という卑称で呼ばれていた訓民正音を、「ハングル」(偉大な文字)と呼ぶ人々があらわれはじめた。
 20世紀前半、日本統治時代の朝鮮半島で、漢字とハングルを交ぜ書きする表記が広がった。
 1945年以降、朝鮮半島は南北に分裂した。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は漢字を全廃しハングルに一本化した。朝鮮戦争のとき、北を応援するために入った中国の「義勇軍」は、漢字の看板がまったくないことに困惑した、とも伝えられる。
 韓国は1970年、朴正煕大統領のときに漢字廃止宣言を発表して普通教育での漢字教育を全廃した。その後、民間の反発を受けて部分的に漢字教育を復活させたが、 漢字教育は必須ではなくなり、漢字教育をまったく受けたことがないハングル世代が増加し、いわば「漢字の安楽死」によって、現在の韓国の若い世代は、中国語や日本語の学習者を除いて漢字の読み書きができなくなっている。
 日本と違って、韓国で漢字の「安楽死」が達成できた理由は、 などの理由による。とはいえ、近年は「同音衝突」など、漢字を使わないことによる弊害も、韓国人のあいだで問題視されるようになっている。  以下は、豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』(祥伝社新書、2012)についての、祥伝社公式サイトの紹介文(https://shinshomap.info/book/9784396112820.html)の引用である。
 李朝時代、世宗王が発明したとされるハングル文字は、中国に臣下していた時代には公文書に使われる漢字と比べ賤しいものとされていた。日本占領時代、日本経由で入る欧米の文化・技術・学術に関する単語をハングルで表記するようになって普及しはじめたが、それでも漢字と併用されていた。戦後、日本語は禁止され、やがて漢字も姿を消した。それはナショナリズムから来るハングル至上主義という理由だけではない。漢字を復活させると多くの単語が日本に由来することが明らかになってしまうからだ。ハングルの歴史を追い、また韓国における漢字擁護派とハングル至上主義派の抗争を検証。ハングルの真実がわかる一冊。
   
まとめ
 漢字の廃止論や擁護論は、ナショナリズムとか、左翼や右翼とか、政治的な思潮と密接不可分であった。
 漢字の学習効率などのデメリットは、電子機器の発達によって、自然と克服された。これはかつての漢字廃止論者が予想できなかったことである。
 21世紀の今、漢字は、昔とは別の意味ではあるが、またぞろ「社会的ステイタス」と結びつきはじめている。
 漢字は、道路と同じく、生活のインフラである。だから漢字弱者も含めて、誰もが便利に、気軽に、楽しく利用できるようにすること(あるいは利用しなくてもすむようにすること)が望ましい。


参考図書、ミニリンク
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