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[雪山偈] Himalayan Verses [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [巴文] [般若心経] Heart Sutra [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [梵文] [法華経・方便品第二] The Lotus of the True Law, Chapter II Skilfulness [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] 法華経・方便品第二 [妙音成仏] 付録[願文の作例] [法華経・如来寿量品第十六・自我偈] The Lotus of the True Law, Chapter XV Duration of the Life of the Tathâgata [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [法華経・常不軽菩薩品第二十] The Lotus of the True Law, Chapter XX Bodhisattva Sadāparibhūta [概説] [画像] [漢字だけの原文] [読みかた] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [和音] [法華経・如来神力品第二十一] The Lotus of the True Law, Chapter XX - CONCEPTION OF THE TRANSCENDENT POWER OF THE TATHÂGATAS. [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [法華経・観世音菩薩普門品第二十五(観音経)]The Lotus of the True Law, Chapter XXV - The Universal Gateway of Avalokiteśvara Bodhisattva [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [自灯明・法灯明(阿含経)] Attadīpā & Dhammadīpā (Āgama) [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [重誓偈(無量寿経)] Verses Reiterating Vows / Double Oath (Longer Sukhāvatīvyūha Sūtra) [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] [不死家火(雑譬喩経)] [概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな] [漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し] [中国語の発音 ピンイン] [英訳] |
むかし、インドの山奥に人食い鬼がいました。鬼はいつも、この世の真理を歌っていました。 「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ」 歌にはつづきがあるのに、鬼はいつも、そこまでしか歌いませんでした。 ある人が、この山奥の鬼をたずねてきて、言いました。 「ぜひ歌のつづきをおしえてください」 鬼はいいました。 「おまえを食わせてくれるなら、教えてやろう」 「はい。かならず私の命をさしあげます。ですから、歌を教えてください」 鬼は歌いました。 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず (諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽) その人は言いました。 「ありがとうございます。この歌を、ほかの人にも知ってもらうため、これから書き残します。そうしたら私は谷底に飛び込んで死にます。どうぞ私をお食べください」 その人は、その歌を、あたりの葉っぱや岩のうえに書き残すと、鬼との約束どおり、高い山のうえから身をおどらせて、深い谷底にむかって落ちてゆきました。―― |
令和声明 雪山偈と以呂波歌 Dm諸行無常、B♭是Gm生滅C法。F生滅Gm滅已、Am寂滅B♭為楽。 Dm諸行無常、B♭是Gm生滅C法。F生滅Gm滅已、Am寂滅D為楽。 Dm色はAm/EにFほへどG散りぬDm/AるB♭を Dm我が世Am/EーF誰ぞG常なDm/AらB♭む Dm有為のAm/EおFく山G今日越Dm/AえB♭て Dm浅きAm/EーF夢見じG酔ひもDm/AせB♭ず F有為のG奥やDm/AまB♭今日CこえDmて F浅きG夢見Dm/AじB♭酔ひCもせDmず DmいろはAm/EにFほへとGちりぬDm/AるB♭を DmわかよAm/EーFたれそGつねなDm/AらB♭む DmうゐのAm/EおFくやまGけふこDm/AえB♭て DmあさきAm/EーFゆめみしGゑひもDm/AせB♭す FいろはGにほへDm/AとB♭ちりCぬるDmを FわかよGたれDm/AそB♭つねCならDmむ Dm諸行無常、B♭是Gm生滅C法。F生滅Gm滅已、Am寂滅D為楽。 |
一瞬だけ現実逃避しようと思い、「雪山偈」(せっせんげ。ヒマラヤの詩)にメロディーと和音伴奏をつけて コンサーティーナ で弾きがたりしてみたら、ますます迷妄の闇に落ち込んだ??https://t.co/2mcOItYVNx pic.twitter.com/PJedVc6fR2
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) January 30, 2022
【参考の俳句】 舎利子みよ空即是色花ざかり――小笠原長生(おがさわら ながなり)
【参考の和歌】 [詞書] 摂政前右大臣家に百首歌よませ侍りける時、法文歌の中に、般若経のこころをよめる 藤原隆信(ふじわら の たかのぶ)朝臣 くれ竹のむなしととけることのははみよの仏のははとこそきけ [詞書] おなし百首のとき、色即是空空即是色の心をよめる 宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご) むなしきも色なるものとさとれとやはるのみそらのみとりなるらん ※『千載集』(1187年)1228・1229 |
観音さまは言いました。 「もともと、なんにもないんだよ。なやむことなんて、ないんだよ。死ぬのがこわい? 別れがつらい? であえてうれしい? みんなありがとう? うん、どれもほんねだね。でも、どれも、いつまでもはないんだよ。いつかなくなるからこそ、あるんだよ。苦しみはない。苦しみがなくなることもない。怖くない。怖くなくなることもない。むかしのきみは、いまのきみじゃない。きももかわる。ぼくもかわる。なにもかも、とらえどころがない。だからぼくらも、しばられない。こだわらない。ひとつのところにとどまらない。ふかい知恵で、めざめよう。知恵のことばをとなえよう。ガテーガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハ」 |
摩訶般若波羅蜜大明呪経 姚秦天竺三蔵鳩摩羅什訳 観世音菩薩、行深般若波羅蜜時、照見五陰空、度一切苦厄。 舍利弗、色空故無悩壊相、受空故無受相、想空故無知相、行空故無作相、識空故無覚相、何以故。 舍利弗、非色異空、非空異色、色即是空、空即是色、受想行識亦如是。 舍利弗、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是空法、非過去、非未来、非現在。 是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色聲香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、無老死尽、無苦集滅道、無智、亦無得。 以無所得故、菩薩、依般若波羅蜜故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、離一切顛倒夢想苦悩、究竟涅槃。 三世諸仏、依般若波羅蜜故、得阿耨多羅三藐三菩提。 故知般若波羅蜜、是大明呪、無上明呪、無等等明呪、能除一切苦、真実不虚。 故説般若波羅蜜呪、即説呪曰 竭帝竭帝、波羅竭帝、波羅僧竭帝、菩提僧莎呵 摩訶般若波羅蜜大明呪経 |
【自分の備忘用です】 般若心経 楽譜 https://t.co/MyoNU6JjHq pic.twitter.com/sgztgNTw5r
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) June 2, 2022
ローマ字式のコード表記の例自分の備忘用 般若心経
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 ふりがな つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/BdwE4BQ949
『梁塵秘抄』より ○法華は仏の真如なり 万法無二の旨を述べ 一乗妙法聞く人の 仏に成らぬはなかりけり ○法華経八巻(やまき)が其のなかに 方便品こそ頼まるれ 若有聞法者無一 不成仏と といたれば |
お釈迦さまは言いました。 「きみらは、なにもわかっていない。じぶんのすごさを、わかっていない。きみもほとけになれるのに。ありのままこそ真実なのに。さあ、いまこそ聞かせよう。ほとけの、ほんとうのおしえを」 |
自分の備忘用に 江戸期の両点本『法華経』方便品第二(十如是まで) 経文の漢文の原文の右脇に「真読」、左脇に「( #漢文 ) #訓読 」を表記した「両点本」です。この画像はパブリックドメイン(public domain)にします。https://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/Y7aD8mfU2f
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 19, 2022
縦書きのコード譜 [一太郎]自分の備忘用です?? 楽譜を小修正。『妙法蓮華経』方便品第二 (十如是まで)https://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/egXW2J0DzQ
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 15, 2022
Lyrics by Buddha Translated by Kumârajîva Melody and chords by KATÔ Tôru自分の備忘用 妙法蓮華経 方便品第二
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/ZPh0ReCOgm
この楽譜の画像は自分の備忘用です。無視してくださいますよう??(サーバに画像をアップすると残りの容量が減るので、ツイッターに画像をアップして自分のサイトに埋め込みます) pic.twitter.com/MTAm3oP8Qj
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 4, 2022
【自分の備忘用です】過去二千年来、東洋のアーティストやミュージシャン、パフォーマーの心の支えとなってきた言葉。「乃至童子戯」「妙音成仏」。『法華経』方便品第二よりhttps://t.co/CEaZno8vyU pic.twitter.com/HI4c3Oo7Gs
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 17, 2022
鳩摩羅什訳『法華経』方便品第二の偈(げ)より ・・・、若使人作楽、撃鼓吹角貝、簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸、如是衆妙音、尽持以供養、 或以歓喜心、歌唄頌仏徳、乃至一小音、皆已成仏道、・・・ 若使人作楽(にゃく/し/にん/さ/がく)、撃鼓吹角貝(きゃっ/く/すい/かく/ばい)、簫笛琴箜篌(しょう/ちゃく/きん/く/ご)、 琵琶鐃銅鈸(び/わ/にょう/どう/ばつ)、如是衆妙音(にょ/ぜ/しゅ/みょう/おん)、尽持以供養(じん/じ/い/く/よう)、 或以歓喜心(わく/い/かん/ぎ/しん)、歌唄頌仏徳(か/ばい/じゅ/ぶっ/とく)、乃至一小音(ない/し/いち/しょう/おん)、 皆已成仏道(かい/い/じょう/ぶつ/どう) 【日本漢字音のローマ字の例】 nyak shi nin sa gaku, kyak ku sui kaku bai, shou chaku kin ku go, bi wa nyou dou batsu, nyo ze shu myou on, jin ji i ku you, waku i kan gi shin, ka bai ju but toku, nai shi yichi shou on, kai i jou butsu dou. 【中国語 簡体字およびピンイン】参考 http://m.nnycjd.com/mflh/mflz/172345.html 閲覧日2022年2月17日 ruò shǐ rén zuò yuè,jī gǔ chuī jiǎo bèi, 若使人作乐,击鼓吹角贝, xiāo dí qín kōng hóu、pí pá náo tóng bó, 箫笛琴箜篌、琵琶铙铜钹, rú shì zhòng miào yīn,jìn chí yǐ gōng yǎng。 如是众妙音,尽持以供养。 huò yǐ huān xǐ xīn,gē bài sòng fó dé, 或以欢喜心,歌呗颂佛德, nǎi zhì yī xiǎo yīn,jiē yǐ chéng fó dào。 乃至一小音,皆已成佛道。 ・・・もし人をして楽をなさしめ、鼓を撃ち角・貝を吹かしめ、簫・笛・琴・箜篌、琵琶・鐃銅鈸、 是の如き衆の妙音、尽く持し以て供養し、或いは歓喜の心を以て、歌い唄いて仏徳を頌すれば、乃ち一小音に至るまで、皆已に仏道を成せり、・・・ |
植木雅俊・訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』(岩波書店、2008/2018) pp.117-119
また、その時その[ストゥーパの]ところで、妙なる響きを持つペーリー[という小鼓]や、法螺貝、パタハ[という小太鼓]といった楽器を演奏したところの人たち、また最も勝れた最高の覚りへの供養の実施のために太鼓を鳴り響かせたところの人たち、(90) また、心地よく鳴り響くヴィーナー(琵琶)やシンバル、パナヴァ[という太鼓]、ムリダンガ[という小鼓]、ヴァンシャ[という笛]、あるいは極めて優美なエーコーツァヴィー[という楽器を演奏した]ところの人たち、それらの人たちはすべて覚りの獲得者となった。(91) 鉄の鈴や、水、あるいは掌を太鼓のように打ち鳴らし、人格を完成された人(善逝)たちの供養のために、甘く魅力的な歌を上手に歌うところの人たち、(92) それらの人たちは、人格を完成された人たちの遺骨に対してどんなにわずかであれ、ただ一つの楽器でさえをも演奏して、その遺骨への多くの種類の供養をなしてから、[この]世間においてすべてブッダとなった。(93) |
SADDHARMA-PUNDARÎKA OR, THE LOTUS OF THE TRUE LAW. Translated By H. Kern (1884) CHAPTER II. SKILFULNESS https://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot02.htm 89. Who caused musical instruments, drums, conch trumpets, and noisy great drums to be played, and raised the rattle of tymbals at such places in order to celebrate the highest enlightenment; 90. Who caused sweet lutes, cymbals, tabors, small drums, reed-pipes, flutes of ekonnada or sugar-cane to be made, have all of them reached enlightenment. 91. Those who to celebrate the Sugatas made thoughts, one shall in course of time see kotis of Buddhas. 92. They have all of them reached enlightenment. By paying various kinds of worship to the relics of the Sugatas, by doing but a little for the relics, by making resound were it but a single musical instrument; |
天台宗の四つの伝承法流の一つ玄清法流(げんせいほうりゅう)では琵琶を奏でながらお経を唱え、三宝大荒神や諸仏を祈ります。 私たち僧侶が琵琶を弾く理由は「法華経」に由来します。「方便品」に、琵琶や楽器で妙音を奏で仏を供養するならば必ず仏道を成就することができる、と説かれています。つまり「妙音成仏」を目指す修行のよすがとして琵琶を弾奏するのです。 (中略) 玄清法流の開祖を玄清法印といいます。天平神護二年(七六六)、現在の福岡県太宰府市近郊に生まれた玄清は幼くして仏門に入り、十七歳で眼病を患い失明します。後の盲僧のため一派を開こうと決心し盲僧の祖インドの阿那律尊者にならい琵琶を弾き始めます。二十歳の時一大発心し、琵琶を携えて山に籠り二十一日間厳しい修行を行います。満願の朝「心願を成就したければ速やかに比叡山に登って一人の聖者にまみえ、その方を至心にお助けせよ」というお告げを授かります。玄清は早速登叡し導かれるように伝教大師最澄に出会います。当時伝教大師は根本中堂の前身である一乗止観院を建立中でした。しかし大蛇が出て御堂の建設が阻害されていたのです。地神の仕業だと察した玄清は琵琶を弾奏しながら地神陀羅尼経を唱え地神供養を行います。地神は大いに歓喜し、たちまち大蛇の難は消除したと伝えられています。玄清の琵琶を用いた祈祷には感応道交の力があったのです。 妙音成仏と感応道交、これが琵琶弾奏のテーマです。しかしそれのみならず、祈りの場に集う人々の心に琵琶の音が響くことも私たちは古くからとても大切にしてきました。私たちの奏でる琵琶の音が御仏はもとより皆様の心に届き、共鳴共振することを願って現在も修練と試行錯誤を重ねています。 (文・玄清法流 華王院 坂本清昭) |
自分の備忘用 願文
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/Q8SOYnQaqZ
【参考の和歌】
月影の 入るさへ人の ためなれば ひかり見ねども 頼まざらめや ――崇徳院(玉葉和歌集) (直訳)月の光が隠れることまでもが人のためであるので、光を見なくても頼らないだろうか。いや、頼る。 →お釈迦様は他界され人々の前から姿を消されたが、それすらも人々を仏道に導くための方便であった、という。今の私には希望の光が見えないが、それもきっと仏の方便。だから私は仏に帰依します。 鷲の山 曇る心の なかりせば たれもみるべき ありあけの月 ――西行法師 (直訳)霊鷲山(りょうじゅせん)。くもる心がなかったならば、誰も見ることができるはずだ、夜明けの空の月を。 →仏の知恵の象徴でもある月が見えないなら、それは夜空が曇っているからではなく、私たちの心が曇っているからかもしれない。霊鷲山でお釈迦様が説かれたように、真実の世界は永遠に穏やかで曇ることはないのだから。 『梁塵秘抄』より 仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ |
お釈迦さまは言いました。 「この世の秘密をおしえましょう。この世は仮想現実です。わたしはずっと、そばにいます。天国はここです。きみらはもう天国にいるのです。はじめから救われているのです。でも、きみらはそれに気づかない。くるしくゆがんだ仮想現実を、リアルな世界だと思いこむ。だから怖がり、なげき、怒り、かなしむ。でも、目覚めた人は気づいている。わたしがずっと、そばにいることを。この世のほんとうのすがたを、目覚めた人だけが気づいている。では、なぜ、わたしはきみらにすがたを見せないのか。きみらに、がんばってほしいからです。ほとけがそばにいると、きっと、あまえる心が生まれてしまう。目覚める努力をしなくなる。だからわたしは、いないふりをするのです。でも信じてほしい。わたしの願いはただひとつ。みんな、がんばれ。いっしょに、ほとけになろう。それが、わたしの願いです」 |
自分の備忘用に 江戸期の両点本『法華経』自我偈 この画像はパブリックドメイン(public domain)にします。https://t.co/atKHiZdwRQ
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 19, 2022
敬心而供養、乃至一偈於、乃至以一華、乃至一小音、乃至童子戯、無疑成仏道 pic.twitter.com/TX056OTxqy
Lyrics by Buddha Translated by Kumârajîva Melody and chords by KATÔ Tôru自分の備忘用 法華経 自我偈
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/SNpuGMfa2h
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』からの英訳。 BDK Daizokyo Text Database, Bukkyo Dendo Kyokai https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/BDK/bdk_search.php?md=normal&num=B0262 (BDK英訳大蔵経。公益財団法人仏教伝道教会による「英訳大蔵経」による成果)より引用。閲覧日2022年3月9日。引用開始。 |
【参考の和歌】 みる人を常に軽めぬこゝろこそつひには仏の身にはなりぬれ ――赤染衛門 【直訳】見る人を、常に軽んじない心なればこそ、ついに仏の身になったのだ |
宮沢賢治「常不軽菩薩」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/53425_43323.html あらめの衣身にまとひ / 城より城をへめぐりつ / 上慢四衆の人ごとに / 菩薩は礼をなしたまふ (われは不軽ぞかれは慢 / こは無明なりしかもあれ / いましも展く法性と / 菩薩は礼をなし給ふ) われ汝等を尊敬す / 敢て軽賤なさざるは / 汝等作仏せん故と / 菩薩は礼をなし給ふ (こゝにわれなくかれもなし / たゞ一乗の法界ぞ / 法界をこそ拝すれと / 菩薩は礼をなし給ふ) |
むかし、カロンゼラレンぼさつ、という人がいました。ちょっと、おかしな人でした。 カロンゼラレンぼさつは、いつもしずかに笑っています。悪いひとたちにあうと、きまって手をあわせ、こう言うのです。 「わたしは、あなたを軽んじられない。あなたをカロンゼラレン。あなたは大切な人です。あなたはいつかほとけになります」 心がねじまがった悪いひとたちは、怒って、カロンゼラレンぼさつを、打ちのめしました。 「もし汝のことばを信ぜば、汝に軽んぜられん。おまえの言葉を信じたら、おまえに軽んじられてしまうだろう」と言い、カロンゼラレンぼさつをぶちのめしました。 カロンゼラレンぼさつは、めげません。みんなからデクノボーと呼ばれても、東へ西へと歩きまわり、北でも南でも人々にむかって手をあわせ、拝みながら言いました。 「わたしは、あなたを軽んじられない。あなたをカロンゼラレン。あなたは大切な人です。あなたはいつかほとけになります」 人々はあきれました。 「汝がごときものは、世に軽んぜられん。おまえみたいなやつは、世の中できっと軽んじられるだろう」 カロンゼラレンぼさつは、あきらめません。雨の日も風の日も、人々にむかって手をあわせて拝みつづけます。病気のこどもにも、つかれた母親にも、死にそうな人にも、けんかをしている人にも、カロンゼラレンぼさつは手をあわせて拝みながら、 「わたしは、あなたを軽んじられない。あなたをカロンゼラレン。あなたは大切な人です。あなたはいつかほとけになります」 と言いました。 やがて、ひとり、ふたり、と、鏡のようにカロンゼラレンぼさつを拝みかえす人があらわれました。すこしづつ、人々の心はひらきました。 人から軽く見られていたカロンゼラレンぼさつは、人から軽んぜられないカロンゼラレンぼさつになったのです。 |
【自分の備忘用です】 島地大等(1875-1927)『漢和対照 妙法蓮華経』より、常不軽菩薩品第二十の末尾の偈。常不軽菩薩 Bodhisattva Sad?paribh?ta は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の「デクノボー」のモデルらしです。https://t.co/bKexDcR3Ry pic.twitter.com/RNjQaDJBXg
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 5, 2022
【自分の備忘用です】
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 6, 2022
法華経・常不軽菩薩品第二十
The Lotus of the True Law, Chapter XX Bodhisattva Sad?paribh?tahttps://t.co/1ANxQpZnvb pic.twitter.com/MPXhM0ii7L
【自分の備忘用です】
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 6, 2022
法華経・常不軽菩薩品第二十
The Lotus of the True Law, Chapter XX Bodhisattva Sad?paribh?tahttps://t.co/1ANxQpZnvb pic.twitter.com/Dyylu3Qn0P
ローマ数字【自分の備忘用です】
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 8, 2022
法華経・常不軽菩薩品第二十 偈 和音
Chords for the Verse of Bodhisattva Sad?paribh?ta - The Lotus of the True Law, Chapter XXhttps://t.co/d0kgpA9daX pic.twitter.com/LcahUcuuwd
【歌の前の導入の語り】 C雨にもG負けず F風にも負けず Em雪にも夏のAm暑さにも負けぬ E7丈夫な体をAmもち 欲はE7なく 決してAm怒らず いつもE7静かに笑ってAmいる(G)。 C一日にG玄米F四合と 味噌とEm少しの野菜を食べ Amあらゆることを E7自分を勘定にAm入れずに よく見聞きしE7わかり そしてAm忘れず(G)。 C野原のG松のF林の蔭の Em小さな萓ぶきのAm小屋にいて E7東に病気のAm子どもあれば E7行って看病Amしてやり(G)、 C西にG疲れたF母あれば Em行ってそのAm稲の束を負い、 F南に死にそうなG人あれば E7行って「怖がらなくてもAmいい」と言い D北にDm喧嘩やAm訴訟がCあれば E7つまらないからAmやめろと言い(G)、 CヒドリのGときはF涙を流し Em寒さの夏はAmオロオロ歩き(G) CみんなにGデクノボーとF呼ばれ 褒められEmもせず 苦にもAmされず ――E7そういう者に Aわたしはなりたい |
【参考の和歌】 西行法師『聞書集』
[詞書] 法花経廿八品:神力品:如来一切秘要之蔵 くらふ山かこふしはやのうちまてに心をさめぬところやはある 【直訳】暗部山(鞍馬山)の、囲ふ柴屋の内までに、心をおさめない所はあるだろうか。いや、ない。 ※「をさむ」=治む、修む、収む、納む、など、いろいろな漢字をあてうる。 |
【参考】以下、『建撕記・坤巻』(永平開山道元禅師行状建撕記)より引用 出典は仏書刊行会・編『大日本仏教全書 115』(明治45-大正11)p.557 国立国会図書館デジタルコレクション 画像URL https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952819/123(閲覧日2022年2月17日)より転記。 原文は漢字とカタカナ。句読点などは加藤徹が改めた。引用開始。 或日一旦、室内を経行し、低声に誦して言く「若於園中、若於林中、若於樹下、若於僧坊、若白衣舎、若在殿堂、若山谷曠野、 是中皆応起塔供養、所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転于法輪、諸仏於此而般涅槃」と。 誦し了て後、此文を頓て面前の柱に書付たまふ。亦「妙法蓮華経庵」と書とどめたまふなり。この法華経の文を、あそばしたる心は、今俗家にて、入滅あるほどに、昔の諸仏も如㆑是との玉ふなり。 ※「如㆑是」の「㆑」は漢文訓読のレ点。 |
かの宮沢賢治も、自分の手帳(いわゆる『雨ニモマケズ手帳』)のメモのなかで、【自分の備忘用】「如来神力品第二十一」の「道場観」(画像の色つきの文字は加藤徹が書き込んだもの)
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 2, 2022
宮沢賢治が座右の書とした、通称「赤本法華経」より。
正式の書名は、島地大等(1875年-1927年)『漢和対照 妙法蓮華経』(明治書院、大正3年=1914年刊)https://t.co/nWlfDYoyPO pic.twitter.com/BqAsnUiJn3
以下、植木雅俊『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』(角川ソフィア文庫、2018)pp.327-328より引用。引用開始。
そこで、世尊は、その卓越した善行をなすもの≠はじめとする菩薩たちにおっしゃられた。 「良家の息子たちよ、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来たちは、考えることもできない威神力を持っている。この法門の付嘱のために、私は、幾百・千・コーティ・ナユタもの多くの劫にわたり、種々の法によってこの法門の功徳について語っても、その功徳は語りつくすことができないのだ。 私は、この法門において、すべてのブッダの技、すべてのブッダの威神力、すべてのブッダの祕要[の教え]、すべてのブッダの深遠な領域を要約して説いたのである。それ故に、良家の息子たちよ、如来の私の入滅後、あなたたちはこの法門を恭敬して、受持し、説き示し、書写し、読誦し、解説し、修行し、供養するべきである。 この法門を受持する人のいる所が聖地 良家の息子たちよ、果樹園であれ、精舎であれ、在家の家であれ、森であれ、町であれ、木の根もとであれ、宮殿であれ、住房であれ、洞穴であれ――この法門が読誦され、解説され、説き示され、書写され、考察され、語られ、朗詠され、写本になって存在する地上の場所には、どこであれ如来のためにチャイティヤ(塔廟、経塔)が造られるべきである。 理由は何か? 地上のその場所は、すべての如来の覚りの座であると知られるべきであるからだ。また、地上のその場所において、すべての如来が、この上なく正しく完全な覚りを得られ、真理の車輪を転じられ、入滅されたのだと知るべきである」 |
お釈迦さまは言いました。 「ほとけにお墓はいりません。ほとけのことばが、のこっています。あなたが生きるその時代、その場所で、ほとけのことばと向きあってください。あなたが、ほとけのことばに取りくむその時、その場所こそが聖地です。公園であれ、木の下であれ、寺であれ、自宅であれ、学校であれ、野外で寝起きするところであれ、あなたがほとけのことばに取りくむところは、ほとけの聖地です。歴代のほとけがさとりをひらき、歴代のほとけが教えをとき、歴代のほとけが一生を終える聖地なのです」 |
自分の備忘用に。江戸期の両点本『妙法蓮華経』如来神力品第二十一の「道場観」のくだり。道元や宮沢賢治が坐右の銘とした部分を含みます。この画像はパブリックドメインです。https://t.co/Ly2ollmmLD pic.twitter.com/TCGNgpEPul
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 19, 2022
国立国会図書館デジタルコレクション・法華経普及会編『真訓法華経要品』(昭和4年)[真読][訓読]自分の備忘用に。江戸時代の「両点本」。 #漢文 の原文の右側に「真読」(日本漢字音による直読)の読みがなを、左側に「訓読」(漢文訓読)の訓点を施したもの。鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』如来神力品第二十一 (筆者蔵) https://t.co/4Lpi5yMGvs pic.twitter.com/mxEO4ScGt0
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 11, 2022
ni ji butsu gou jou gyou tou bo satsu dai shu; sho butsu jin riki, nyo ze mu ryou mu hen fu ka shi gi. nyaku ga i ze jin riki, o mu ryou mu hen hyaku sen man noku a sou gi kou, i zoku rui ko, set shi kyou ku doku, yu fu nou jin. | 爾時佛告上行等菩薩大衆。諸佛神力如是無量無邊不可思議。若我以是神力、於無量無邊百千萬億阿僧祇劫、爲囑累故、説此經功徳、猶不能盡。 | に/じ/ぶつ/ごう じょう/ぎょう/とう/ぼ/さつ/だい/しゅ しょ/ぶつ/じん/りき にょ/ぜ/む/りょう/む/へん ふ/か/し/ぎ にゃく/が/い/ぜ/じん/りき お/む/りょう/む/へん ひゃく/せん/まん/のく あ/そう/ぎ/こう い/ぞく/るい/こ せっ/し/きょう/く/どく ゆ/ふ/のう/じん |
i you gon shi, nyo rai it sai sho u shi hou, nyo rai it sai ji zai jin riki, nyo rai it sai hi you shi zou, nyo rai it sai jin jin shi ji, kai o shi kyou sen ji ken setsu. | 以要言之、如來一切所有之法、如來一切自在神力、如來一切祕要之藏、如來一切甚深之事、皆於此經宣示顯説。 | い/よう/ごん/し にょ/らい/いっ/さい/しょ/う/し/ほう にょ/らい/いっ/さい/じ/ざい/じん/りき にょ/らい/いっ/さい/ひ/よう/し/ぞう にょ/らい/いっ/さい/じん/じん/し/じ かい/お/し/きょう せん/じ/けん/せつ |
ze ko nyo tou o nyo rai metsu go, ou tou it shin ju ji doku ju ge setsu sho sha nyo setsu shu gyou. sho zai koku do, nyaku u ju ji doku ju ge setsu sho sha nyo setsu shu gyou, nyaku kyou gan sho juu shi sho, nyaku o on chuu, nyaku o rin chuu, nyaku o ju ge, nyaku o sou bou, nyaku byaku e sha, nyaku zai den dou, nyaku sen gok kou ya, ze chuu kai ou ki tou ku you, sho i sha ga? | 是故汝等於如來滅後、應(當)一心受持讀誦解説書寫如説修行。 所在國土、若有受持讀誦解説書寫如説修行、若經卷所住之處、 若於園中、若於林中、若於樹下、若於僧坊、 若白衣舍、若在殿堂、若山谷曠野、 是中皆應起塔供養、所以者何。 | ぜ/こ/にょ/とう お/にょ/らい/めつ/ご おう/とう/いっ/しん(応当一心) じゅ/じ どく/じゅ げ/せつ しょ/しゃ にょ/せっ/しゅ/ぎょう しょ/ざい/こく/ど にゃく/う/じゅ/じ どく/じゅ げ/せつ しょ/しゃ にょ/せっ/しゅ/ぎょう にゃっ/きょう/がん/しょ/じゅう/し/しょ にゃく/お/おん/ちゅう にゃく/お/りん/ちゅう にゃく/お/じゅ/げ にゃく/お/そう/ぼう にゃく/びゃく/え/しゃ にゃく/ざい/でん/どう にゃく/せん/ごっ/こう/や ぜ/ちゅう/かい/おう き/とう/く/よう しょ/い/しゃ/が |
tou chi ze sho soku ze dou jou. sho butsu o shi toku a noku ta ra san myaku san bo dai, sho butsu o shi ten no hou rin, sho butsu o shi ni hatsu ne han. | 當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸佛於此轉于法輪、諸佛於此而般涅槃。 | とう/ち/ぜ/しょ そく/ぜ/どう/じょう しょ/ぶつ/お/し とく/あ/のく/た/ら/さん/みゃく/さん/ぼ/だい しょ/ぶつ/お/し てん/の/ほう/りん しょ/ぶつ/お/し に/はつ/ね/はん |
爾時佛告上行等菩薩大衆。諸佛神力如是無量無邊不可思議。若我以是神力、於無量無邊百千萬億阿僧祇劫、爲囑累故、説此經功徳、猶不能盡。 以要言之、如來一切所有之法、如來一切自在神力、如來一切祕要之藏、如來一切甚深之事、皆於此經宣示顯説。 是故汝等於如來滅後、應一心受持讀誦解説書寫如説修行。所在國土、若有受持讀誦解説書寫如説修行、 若經卷所住之處、若於園中、若於林中、若於樹下、若於僧坊、若白衣舍、若在殿堂、若山谷曠野、是中皆應起塔供養、所以者何。 當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸佛於此轉于法輪、諸佛於此而般涅槃。 |
【自分の備忘用です】『妙法蓮華経』如来神力品第二十一 楽譜 https://t.co/nWlfDYoyPO pic.twitter.com/u20XeVscLo
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) June 2, 2022
自分の備忘用 妙法蓮華経如来神力品第二十一 道場観
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/pDCeBptWyh
別バージョン【自分の備忘用】Key=Dm The Lotus of the True Law, Chapter XX - CONCEPTION OF THE TRANSCENDENT POWER OF THE TATHAGATAS. 『法華経』如来神力品第二十一 https://t.co/GLvJeVVeqv pic.twitter.com/SOgeo273Kw
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) July 29, 2022
Dm昭和の劇作家、Bb寺山修司は言いました。 「F劇場があって劇がC演じられるのではない。Dm劇が演じられると、Bb劇場になるのである。/Fつまり、劇場は「在る」のではなくC「成る」ものなのだ」『寺山修司演劇論集』(国文社、1983年)p.273 「Dm劇場とは、施設や建物のことではBbなく、劇的出会いが生成されるためのF「場」のイデオロギーのことCである。どんな場所でもDm劇場にすることができるし、Bbどんな劇場でも劇が生成されないF限りは、日常的な風景の一部にCすぎなくなる。」『寺山修司著作集 第5巻 文学・芸術・映画・演劇評論』(クインテッセンス出版、2009年)p.370 Dm令和のオタクがBb言いました。 F初音ミクは、いつでもCどこでも現れる。Dm何千、何万のBb初音ミクがF同時に現れることがCできる。Dm初音ミクはBbデジタルなので、Fどれも本物だ。Cコピーではない。Dm漫画喫茶のBbパソコン、F通勤電車のCタブレット、Dmふとんの中のBbスマホ、FどこでもあなたがC初音ミクと出会う場所がDmライブ会場になり、Bb劇場になり、F聖地になるのだ。Cあなたと初音ミクがDm出会う場こそ、BbいつでもどこでもF聖地になるCのである。Dmだから初音ミクには、Bb聖地巡礼する必要はCないのだ。 |
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』からの英訳は、BDK Daizokyo Text Database, Bukkyo Dendo Kyokai https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/BDK/bdk_search.php?md=normal&num=B0262 (BDK英訳大蔵経。公益財団法人仏教伝道教会による「英訳大蔵経」による成果)より引用。閲覧日2022年3月9日。引用開始。 |
【参考の俳句】 観音のいらか見やりつ花の雲 ――松尾芭蕉 (直訳)観音の甍(いらか)を、遠くから眺めた。満開の桜の花ごしに。 貞享3年(1686)、松尾芭蕉が43歳のときの作。芭蕉は、深川の芭蕉庵で病気で寝ながら、桜の花ごしに、はるか遠くの浅草寺(せんそうじ)の観音堂の屋根を見て、この句を詠んだ。 |
観音さまを思いましょう。観音さまはいつでもどこへもあらわれる。そのおちからで助けてくれる。高いところから突き落とされたり、はてしない海に流されたり、邪悪なやいばをむけられたり、大自然のわざわいにあったなら、観音さまのおちからを、しっかり心に念じましょう。 |
【自分の備忘用】「観音経」(画像の青字は加藤徹が書き込んだもの)
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 2, 2022
宮沢賢治が座右の書とした、通称「赤本法華経」より。
正式の書名は、島地大等(1875年-1927年)『漢和対照 妙法蓮華経』(明治書院、大正3年=1914年刊)https://t.co/cfuQ4kpcst pic.twitter.com/NQwa5xMpJO
自分の備忘用。観音偈(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」「観音経」) 江戸時代の読誦用の両点本。経文の右側に「真読」、左側に「漢文訓読」を示している。「念彼観音力」 https://t.co/cfuQ4kpcst pic.twitter.com/J0v6jL9HKQ
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 10, 2022
以下の読み方はあくまでも一例です。 日本語による漢訳仏典の読誦では、宗派や僧侶の個性により細かい部分では読み方が違います。 「念彼観音力」は「ねんぴ(pi)ーかんのんりき」や「ねんび(bi)ーかんのんりき」など、菩薩は「ぼーさつ」や「ぼーさー」など、宗派やお寺ごとにさまざまです。「呪」の正しい漢字音は「しゅ」ですが慣用音で「じゅ」と読む僧侶もいます。 また「或」(わく)を「waKU」と読むか、それとも母音を無声化して「わく」を「waK」と発音するか。これは個人のセンスや好みの問題です。 また日本語には「連声」(れんじょう)という現象もあります。「千億仏」(せんおくぶつ)を連声で「せんのくぶつ」と読むかどうか、なども宗派や寺ごとにさまざまです。 仏教用語の「十万億土」は「じゅうまんおくど」なのに「千億仏」は「せんのくぶつ」というのは、論理的ではありませんが、日本人は論理より先例を重んじる傾向があります。 「困厄」は「こんやく」も「こんにゃく」もどちらもOKですが、他の箇所は連声で読む主義の人も「コンニャクは食べ物みたいでカッコ悪い」と、ここだけ連声で読まない人もいます。 逆に「困厄」を積極的にコンニャクと呼んで食べ物のコンニャクを閻魔大王や奪衣婆の像にお供えする寺もあります。 「神通力」は、古い日本語では「じんずりき」でしたが、後世は「じんずうりき」とか「じんつうりき」と読みます。「じんずりき」「じんずうりき」「じんつうりき」のどれも正しい読み方ですが、宗派や寺ごとに読み癖が固定してしまっています。 困ったことに、自分の読み癖が絶対的に正しいと思いこんでいる狭量な日本人もいます。 なお中国語は一漢字一音が原則で、日本語のような連声も、母音の無声化もありません。中国語による漢訳仏典の読誦の発音は、宗派や寺や個人を問わず同じなので、シンプルでスッキリしています。 日本語による読誦の読み癖の違いとか、日本仏教のセクト主義がめんどくさい人は、いっそ中国語で読誦しましょう。遣唐使の時代に中国に渡り、当時の中国語で仏教を学んだ日本の僧侶に思いをはせましょう。 |
【自分の備忘用です】 観音経 漢字、コード記号、ふりがな https://t.co/pBVWrNZGkj pic.twitter.com/oDhSxO992V
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) August 27, 2022
和音 「観音さまは言いました・・・」と「死んだ男は後悔し・・・」の2箇所以外と、経文の部分をのぞいては、以下のパターンのふしまわしの繰り返し。 基本コード進行 [ディグリー・ネーム]による表記 / I - / IIm - / IIIm - / - - / IV - / V - / I - / / IV - / V - / I - / VIm - / IIm - / - - / VIm IIIm / VIm - / 【例】(F)むーかし(Gm)ひとりの(Am)おとこありー、(B♭)まいにち(C)いのって(F・ラ)おりましたー。 (B♭)かんのん(C)ぎょうをー(F・ラ)おとなえ(Dm・ファ)し、(Gm)じたくでいのって(Dm・ファ)おり(Am・ミ)まし(Dm)たー
|
通常のウクレレ | A | B | C | D | E | F | G |
---|---|---|---|---|---|---|---|
バリトン・ウクレレ | D | E | F | G | A | B♭ | C |
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』からの英訳は、BDK Daizokyo Text Database, Bukkyo Dendo Kyokai https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/BDK/bdk_search.php?md=normal&num=B0262 (BDK英訳大蔵経。公益財団法人仏教伝道教会による「英訳大蔵経」による成果)より引用。閲覧日2022年3月9日。引用開始。 |
秋深し二灯の車で行く夜道 ――加藤徹 |
お釈迦様は最後の旅で、おとものアナンに言いました。 「まえにも言ったとおり、どんなことにも終わりがある。出会ったからには別れがくる。それが法だ。だからアナンよ、悲しむな。私ももうすぐいなくなる。おまえは自分を島とし、自分をよりどころにしなさい。法を島とし、法をよりどころにしなさい。」「自分をともしびとし、法をともしびとしなさい。自分に帰依し、法に帰依しなさい。」 |
以下は「真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺」のサイト自分の備忘用です。https://t.co/YqG3uTViWB pic.twitter.com/AkcRLEwops
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 7, 2022
自灯明 法灯明
さて、仏陀はその晩年、このような言葉を遺されています。 Ye hi keci, ānanda, etarahi vā mama vā accayena attadīpā viharissanti attasaraṇā anaññasaraṇā, dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā, tamatagge me te, ānanda, bhikkhū bhavissanti ye keci sikkhākāmā"ti 阿難。自熾燃。熾燃於法。勿他熾燃。當自歸依。歸依於法。勿他歸依。佛告阿難。吾滅度後。能有修行此法者。則為真我弟子第一學者。この一説は、上に並び引いた「遊行経」の一説が漢訳で対応する箇所となりますが、今の日本では「自灯明・法灯明」の経説として、比較的有名なものとなっています。 ところで、今挙げた漢訳経典では自己と法とを「熾燃(灯明)」とせよとしてあり、またここでは挙げませんでしたが他の漢訳経典では「洲(島)」とせよとの二種の訳があり、パーリ経典では洲としてあって異なっています。 これは、その原語となるパーリ語dīpa[ディーパ]という言葉に、「灯明」・「洲・島・大陸」・「助け(支え)」という三つの意味がある為で、訳者の訳語の選択が異なっていることに依るものです。 (「しま」などといっても、釈尊がご活躍されたのは海から程遠く雨季にはしばしば穏やかな洪水が生じるガンジス川中流域であり、故に海に浮かぶ島というより大河の中洲と捉えたほうが、故中村元博士も指摘していたように、その風土的背景を想えば適切であると考えられます。) 漢訳では灯明と洲の二様に訳されているのに対して、パーリ語仏典に基づく南方の分別説部(通称上座部)では、洲の意であると古来解されています。そのため、ここで付けている日本語訳でもそのように訳しています。 |
自分の備忘用に。「自灯明、法灯明」読誦用和音コードhttps://t.co/YqG3uTViWB pic.twitter.com/EBOteyIL4C
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) February 26, 2022
(『雑阿含経』巻廿四) 汝今阿難、如我先説、所可愛念、種種適意之事、皆是別離之法。 にょ/こん/あ/なん、にょ/が/せん/せつ、しょ/か/あい/ねん、しゅ/じゅ/ちゃく/い/し/じ、かい/ぜ/べつ/り/し/ほう。 是故汝今、莫大愁毒。阿難当知、如来不久、亦当過去。是故阿難、当作自洲而自依、当作法洲而法依。当作不異洲不異依。 ぜ/こ/にょ/こん、まく/だい/しゅう/どく。あ/なん/とう/ち、にょ/らい/ふ/く、やく/とう/か/こ。ぜ/こ/あ/なん、とう/さ/じ/しゅう/に/じ/え、とう/さ/ほう/しゅう/に/ほう/え。とう/さ/ふ/い/しゅう/ふ/い/え。 阿難よ、当に知るべし、如来も久しからずして亦た当に過ぎ去かん。是の故に阿難よ、当に自らを洲とし自らに依ることを作すべし、当に法を洲とし法に依ることを作すべし。当に異を洲とせず異には依らざることを作すべし。 (『仏説長阿含経』巻第二) 是故阿難、当自熾燃、熾燃於法、勿他熾燃。当自帰依、帰依於法、勿他帰依。 ぜ/こ/あ/なん、とう/じ/し/ねん、し/ねん/の/ほう、もっ/た/し/ねん。とう/じ/き/え、き/え/お/ほう、もっ/た/き/え。 是の故に阿難よ、当に自らを熾燃とし法を熾燃とすべし。他を熾燃とする勿れ。当に自からに帰依して法に帰依すべし。他に帰依すること勿れ。 |
縦書きのコード譜 [一太郎]自分の備忘用に 阿含経「自洲法洲」(自灯明法灯明) 五線譜 楽譜 https://t.co/YqG3uTViWB pic.twitter.com/h7pmVJ9a9z
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 5, 2022
Lyrics by Buddha Melody and chords by KATÔ Tôru自分の備忘用 阿含経「自洲自依」(自灯明 法灯明)
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 14, 2022
お経 コード 和音記号 つきhttps://t.co/atKHiZdwRQ pic.twitter.com/RlQBaCrPtn
以下、Bhikkhu Anālayo: Mindfulness in Early Buddhism: Characteristics and Functions, 2020 より引用。引用開始。Now, Ānanda, earlier I purposely told you that whatever there is of various agreeable matters for which one has thoughts of affection, all of this is of a nature to become separated from one; it is as I said earlier. Therefore do not be so very sad, Ānanda. You should know that soon the Tathāgata will also be of the past. Therefore, Ānanda, you should make yourself an island by relying on yourself, you should make the Dharma your island by relying on the Dharma; you should make yourself no other island, no other reliance.cf.「自洲法洲」 < 漢訳仏典『雑阿含経』巻廿四:汝今阿難、如我先説、所可愛念、種種適意之事、皆是別離之法。 是故汝今莫大愁毒。阿難当知、如来不久、亦当過去。 是故阿難、当作自洲而自依、当作法洲而法依。当作不異洲不異依。 cf.René Descartes(1596-1650);“De omnibus dubitandum”,“Cogito ergo sum” 以下、https://www.dhammawheel.com/viewtopic.php?t=29561&start=165の“Re: Nirvana is a Transcendent Reality / Post by Coëmgenu ≫ Wed Aug 16, 2017 6:29 pm”(閲覧日2022年3月1日)より引用。引用開始。
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『梁塵秘抄』より 阿弥陀ほとけの誓願ぞ かへすがへすもたのもしき ひとたびみ名をとなふれば 仏に成るとぞ説いたまふ 【参考の俳句】 ともかくもあなたまかせの年の暮れ ――小林一茶 ※「あなた」は阿弥陀仏を指す。江戸時代の「あなた」は「あなたさま」の意で、現代日本語の「あなた」よりも相手に対する敬意は高い(参考 『学研全訳古語辞典』の「あなた 【彼方・貴方】」の項の説明)。 |
【自分の備忘用です】無量寿経 重誓偈(三誓偈、四誓偈) 大正大蔵経#360 Verses Reiterating Vows / Double Oath (Longer Sukh?vat?vy?ha S?tra)https://t.co/XakwLWVA54 pic.twitter.com/xeDvsoArNv
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) August 31, 2022
【自分の備忘用です】 四誓偈(無量寿経) 和音 https://t.co/fHhTunqedb pic.twitter.com/TYLYdGuQaM
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 2, 2022
THE THREE PURE LAND SUTRAS(浄土三部経), dBET PDF Version c 2010 THE SUTRA ON THE BUDDHA OF INFINITE LIFE DELIVERED BY ŚĀKYAMUNI BUDDHA(仏説無量寿経) Translated into Chinese during the Cao-Wei Dynasty by Tripiṭaka Master Saṃghavarman of India(曹魏天竺三蔵康僧鎧) Translated from the Chinese by Hisao Inagaki(稲垣久雄) in collaboration with Harold Stewart Revised Second Edition, Numata Center for Buddhist Translation and Research, 2003 |
4.漢訳経典の説話引用終了。引用文中のDPAとADは、それぞれ『ダンマパダ・アッタカター』と『アパダーナ』の略称。
すでに指摘しておいたように,漢訳経典の中に「キサーゴータミー説話」と同系統の内容を有する文献が2本存在している。『雑譬喩経』の第23話と『衆経撰雑譬喩』の第36話がそれである。前者は後漢代(西紀20−220)の失訳[=翻訳者が不明]とされる。また後者については,姚秦の鳩摩羅什(350−409)が翻訳したものを道略という僧が集めたと伝えられる。ところが,両本を比較してみると,別人による翻訳とは考えられないほど内容的にも訳語においても酷似している。道略という人物の詳細は不明であり,現存する漢訳の経典目録を調査して両経典の成立年代及び翻訳者の真偽を推定するべきであろうが,どちらも3−4世紀の翻訳本であるといってよかろう。
内容は「病気で一子を亡くし,四日も五日も飲食できない老母に対し,仏は,生きかえらせようと思うのなら,誰も死人の出ていない家から火をもらって来るように言った。数十軒捜し歩いたが,火を得ることができなかった。そこで仏は老母に,天地開闢以来,生の終らざる者のないことを告げ,老母は須陀洹道[=預流に同じ。聖道に入ること]を得て,周りで見ていた人たちも無上のさとりに対する心を起こした」(趣意要約)と説かれる。DPAのようにキサーゴータミーという固有名詞は語られず一老母の物語として説かれていたり,白カラシの種ではなく火をもらってくるように言われるなど若干の相違はあるが,基本的物語の展開はDPAとまったく同じである。しかし,成立年代等と考え合わせると,漢訳経典はDPAよりも古い形を遺しているものと想像され,この点から漢訳両経典は,ADに近い層に属していると考えられる。
【自分の備忘用です】 鳩摩羅什訳『衆経撰雑譬喩』巻下「不死家火」(昔有一老母、惟有一子。・・・) T208-540a=大正大蔵経208巻540頁上段
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 5, 2022
「キサーゴータミー(Kisa Gotami 迦沙喬達弥)と芥子の種」と同様の説話です。https://t.co/z1uj1SlrXJ pic.twitter.com/OOehXAfOOb
(二十三)昔有老母、唯有一子得病命終。載著塚間、停尸、哀慼不能自勝。念曰「止有一子当以備老、而捨我死、吾用活為?」 遂不復帰、便欲併命一処、不飯不食已四五日。 仏以知見、将五百比丘詣塚間。老母遙見仏来、威神之光奕奕、寤酔醒、前趣仏作礼却住。 仏告母「何為塚間耶?」。白言世尊「唯有一子捨我終亡。愛之情切、欲共死在一処」。仏告老母「欲令子活不耶?」。母喜「実爾、世尊」。仏言「索好香火来。吾当呪願、令子更生」。重告老母「宜得不死家火」。 於是、老母便行索火、見人先問「汝家前後頗有死者未?」。答曰「言先祖以来皆死」。過去所問之家、辞皆如是。已経数十家、不敢取火、便還仏所、白言世尊「遍行求火、無有不死家、是以空還」。 仏告老母「天地開闢以来、無生不終之者。生者求活、亦復可憙。母何迷索随子死?」。意便解寤、識無常理。 仏因為広説法要、老母即得須陀洹道。塚間観者無数千人、皆発無上正真道意。 |
その時,在家の大集団が死骸を搬送し,塚間に置いていった.糞掃衣比丘たちはこれを見て,他の比丘たちに「今,糞掃衣を取りに行ったら,たくさん取得できると思います」と伝えた.その比丘たちは「ご自身でお行きなさい.私たちは行きません」と言った.糞掃衣比丘たちはすぐに塚間に行って,糞掃衣をたくさん得た.
須陀洹 しゅだおん
サンスクリット語 srotaāpanna の音写。流れにあずかる者の意で,部派仏教の修行者の修行段階の第1。煩悩を初めて脱した境地。預流に同じ。声聞の四果のなかの初果をいう。 (→四向四果 )
参考 『衆経撰雑譬喩』巻下 比丘道略集 姚秦三藏法師鳩摩羅什訳 大正大蔵経のこちらの頁 (三十六)昔有一老母、惟有一子、得病命終。載著塚間停屍、哀感不能自勝、「正有一子当以備老。而捨我死。吾用活為不能復帰。当併命一処」。不食不飮已四五日。 仏知将五百比丘詣彼塚間。老母遙見仏来威神光奕、迷悟酔醒、前趣仏作礼住。仏告老母「何以塚間也?」 白言世尊「唯有一子、捨我終亡。愛之情重、欲共死一処。」仏告老母「欲令子更活不也?」 母言「善」、曰「欲得矣。」 仏言「索香火、吾当呪願更生。」 告老母「求火、宜得不死家火。」 於是、老母便行取火、見人輒問「汝家前後頗有死者不?」 答言「先祖以来皆死。」 過去所問之処、辞皆如是。経数十家、不敢取火、便還仏所。白言世尊「遍行求火、無不死者、是以空還」。 仏告老母「天地開闢以来、無生不終、人之死亡後、人生活、亦復何喜。母独何迷索随子死也?」 母意便解識無常理。 仏因爾広為説経法、即得須陀洹道。塚間観者数千人、発無上正真道意也。 |
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(三六) 昔有一老母。惟有一子。得病命终。载着冢间停尸。哀感不能自胜。正有一子当以备老。而舍我死。吾用活为不能复归。当并命一处。不食不饮已四五日。佛知将五百比丘诣彼冢间。老母遥见佛来威神光奕。迷悟醉醒。前趣佛作礼住。佛告老母。何以冢间也。白言世尊。唯有一子舍我终亡。爱之情重欲共死一处。佛告老母。欲令子更活不也。母言善。曰欲得矣。佛言。索香火吾当咒愿更生。告老母。求火宜得不死家火。于是老母便行取火。见人辄问。汝家前后颇有死者不。答言。先祖以来皆死。过去所问之处辞皆如是。经数十家不敢取火。便还佛所。白言世尊。遍行求火无不死者。是以空还。佛告老母。天地开辟以来无生不终人之死亡后人生活亦复何喜。母独何迷索随子死也。母意便解识无常理。佛因尔广为说经法。即得须陀洹道。冢间观者数千人。发无上正真道意也。 |
I | IIm | IIIm | IV | V | VIm | VIIm(b5) | |
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ハ長調 | C | Dm | Em | F | G | Am | Bm(b5) |
ト長調 | G | Am | Bm | C | D | Em | F#m(b5) |
ニ長調 | D | Em | F#m | G | A | Bm | C#m(b5) |
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ホ長調 | E | F#m | G#m | A | B | C#m | D#m(b5) |
ロ長調 | B | C#m | D#m | E | F# | G#m | A#m(b5) |
嬰へ長調 変ト長調 | F# Gb | G#m Abm | A#m Bbm | B Cb | C# Db | D#m Ebm | E#m(b5) Fm(b5) |
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変イ長調 | Ab | Bbm | Cm | Db | Eb | Fm | Gm(b5) |
変ホ長調 | Eb | Fm | Gm | Ab | Bb | Cm | Dm(b5) |
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