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fundamental culture 基層文化

Last updated2024年4月26日 Since 2019-5-17
  1. 基層文化とは
  2. 民族音楽ethnic musicと民俗音楽folk musicの違い
  3. 魯迅のコメント
  4. グリム兄弟(Brüder Grimm)、本居宣長、金万重(김만중)
  5. 漢文と各国語
  6. 実作者・知識人
  7. 原始美術 primitive art
  8. 河上肇舌禍事件

基層文化 fundamental culture, deep culture, basic culture
←→表層文化 surface culture ←→
 cf.
アジア基層文化研究会

ドイツの民俗学者ハンス・ナウマン(Hans Naumann 1886年-1951年)が提唱した概念。
文献資料を重んじる歴史学(history)は表層文化を、口承文芸や「口碑」も重んじる民俗学(folklore studies)は基層文化を、それぞれ研究対象とする。
辞書的な説明 https://kotobank.jp/word/基層文化-50709
『日本大百科全書』(ニッポニカ)によると、基層文化は「身分・階級にかかわらず、日常的に営まれる伝承的・慣行的文化として存在する」「ある民族の基層文化は、伝承文化、民俗文化、常民文化などといわれるものとほぼ一致する」

cf.「口碑」は、「文化の再解釈」などの現象により、歴史学的な資料としては信憑性が低いものが多い。ただし民俗学は、それも含めて研究価値を認めて、研究対象とする。
東アジア芸術論/tradition 伝統/文化の再解釈 reinterpretation of culture」も参照。

iceberg,氷山iceberg,氷山,形式知,暗黙知
氷山の一角:形式知と暗黙知、意識と無意識、表層文化と基層文化、……
都会、支配層
征服者、普遍的、
大伝統

deep culture,基層文化

田舎、被支配層
被征服者、土俗的、
小伝統
東アジアの芸術における、表層文化的なものと、基層文化的なもの
→欧米の文化を研究した日本人が、日本やアジアに回帰して新しい美意識を提唱する、という例が多い。
→本来は純粋に芸術文化の範疇であるはずだが、日本社会においては、近代天皇制や脱亜入欧政策への批判、アジア主義など、芸術以外の主張(いわゆる左翼的、右翼的な主張)とも結びつきやすい。
→現代のサブカルチャーの趣向の一つに、「基層文化インスパイア系」とも呼ぶべきジャンルがある。

民族音楽ethnic musicと民俗音楽folk musicの違い
「エスニックのミンゾク音楽」と「フォークのミンゾク音楽」。
基層文化の音楽、民族音楽、民俗音楽の微妙なニュアンスの違いに注意。
世界大百科事典 第2版の解説
 みんぞくおんがく【民俗音楽 folk music】
ある民族の音楽文化全体を指す〈民族音楽〉とはニュアンスを異にして,〈民俗音楽〉は階層社会の基層に属する集団・共同体にはぐくまれてきた伝統音楽を意味するものとされる。したがってそこには,上層における〈芸術音楽〉と対比させる考え方が介在している。通常,民俗音楽の枠の中にくくられるものとして,わらべうた,子守歌,民謡そして民俗芸能の中の音楽的側面が挙げられるが,敷衍(ふえん)して,日常生活の中でのかけ声,物売りの声,マスコミ的な流行歌などをも含めることもある。

「わらべ唄」「かぞえ唄」<民俗音楽<基層文化
 以下、イ・ギュテ(이규태 李圭泰1933年-2006年)著、矢島暁子・訳『韓国人のこころとくらし』(彩流社、2019/4/26)pp.14-16より引用
 幼いころよく歌った童謡に、「木打令(ナムタリョン)(木の唄)」という歌がある。

清明、寒食の日に木を植えよう。
何の木を植えよう。
十里の半分、五里の木(ハンノキ)
十の倍の、二十の木(ケヤキ)
真っ昼間でも、夜の木(クリ)
おならを鳴らして、ぷぅの木(クワ)
来たとたんに、帰れの木(クルミ)
敷いて座って、しわくちゃの木(クコ)
嘘はつかない、本当の木(クヌギ)
そういうことに、しようの木(クチナシ)
刃物で切って、血の木(シナノキ)
そちらとこちらで、両側の木(二本のエノキ)
口づけをして、チューの木(シャリンバイ)
両班の家に、偉いの木(イブキ)
あなたと私と、生きるの木(アンズ)
この木あの木、私の畑に私の木
(中略)
 私が生まれた全羅(チョルラ)北道と全羅南道の境にある峠の山村では、子どもが生まれるとその子どものために木を植えるならわしがあった。女の子が生まれると畑の隅に桐の木を何本か植え、男の子が生まれると先祖の墓のある山に松や朝鮮松の木を植えた。この子どもの誕生とともに植えられる木が、「私の木」なのである。
 女の子が嫁に行く歳になり、やがて婚礼の日を迎えると、十数年育てたこの「私の木」を切って箪笥や衣装櫃(びつ)(物入れの類)を作って持たせた。男の子の場合は、死ぬまで「私の木」を育てる。六十年くらい経つと「私の木」は堂々とした大木に成長するが、その「私の木」を切って、死んだときに入る棺(ひつぎ)を作った。
 このように「私の木」は、出生からずっと「私」と生涯を共にし、死ぬときは一緒に埋められる、生死を超えた永遠の伴侶なのだ。(以下、略)
 以下は、韓国語が読めない加藤徹がネットから適当に拾った「木打令」(나무 타령)の原文と思われるハングル文。間違っている可能性があるので要注意。
ネットで拾ったハングル文
청명 한식에 나무 심으러 가자.
무슨 나무 심을래.
십리 절반 오리나무
열의 갑절 스무나무
대낮에도 밤나무
방귀 뀌어 뽕나무
오자마자 가래나무
깔고 앉아 구기자나무
거짓없어 참나무
그렇다고 치자나무
칼로 베어 피나무
네편 내편 양편나무
입맞추어 쪽나무
양반 골의 나무,
너하구 나하구 살구나무
이 나무 저 나무 내 밭두렁에 내나무
矢島暁子氏の訳(上掲書)
清明、寒食の日に木を植えよう。
何の木を植えよう。
十里の半分、五里の木(ハンノキ)
十の倍の、二十の木(ケヤキ)
真っ昼間でも、夜の木(クリ)
おならを鳴らして、ぷぅの木(クワ)
来たとたんに、帰れの木(クルミ)
敷いて座って、しわくちゃの木(クコ)
嘘はつかない、本当の木(クヌギ)
そういうことに、しようの木(クチナシ)
刃物で切って、血の木(シナノキ)
そちらとこちらで、両側の木(二本のエノキ)
口づけをして、チューの木(シャリンバイ)
両班の家に、偉いの木(イブキ)
あなたと私と、生きるの木(アンズ)
この木あの木、私の畑に私の木


近代中国の作家・魯迅(ろじん Lu Xun 1881-1936)のコメント。
魯迅「門外文談」より。魯迅は指摘する。文学が行きづまると、文人階級は、民謡や昔話など庶民の口承文芸や外国文化を栄養として吸収し、新境地を開いてきた、と。
  到现在,到处还有民谣,山歌,渔歌等,这就是不识字的诗人的作品;也传述着童话和故事,这就是不识字的小说家的作品;他们,就都是不识字的作家。
  但是,因为没有记录作品的东西,又很容易消灭,流布的范围也不能很广大,知道的人们也就很少了。偶有一点为文人所见,往往倒吃惊,吸入自己的作品中,作为新的养料。旧文学衰颓时,因为摄取民间文学或外国文学而起一个新的转变,这例子是常见于文学史上的。
 原文は中国語版のWiki文庫で読めます。
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魯迅書簡・1934年2月20日、姚克あての第十七信より。中国の文人・知識階級が誇る漢詩などの古典文芸は、もともと民間の生き生きとした口承文芸だったのに、文人階層がこれを取り上げてもてあそぶうちに、難解でコチコチになり生命力を失ってしまった、と魯迅は説く。
  歌、诗、词、曲,我以为原是民间物,文人取为己有,越做越难懂,弄得变成僵石,他们就又去取一样,又来慢慢的绞死它。



 ドイツのグリム兄弟、日本の本居宣長(1730-1801)、朝鮮(朝鮮王朝 조선 왕조)の
金万重(김만중 1637―1692 / きん・まんじゅう / キム・マンジュン / Gim Manjung / Kim Manchung)
は、それぞれ時代も国も違うが、自国の文芸のオリジナル性をどこに求めるか、というナショナリズム的な発想においては、似たところがあった。
【概念図表】
古典言語 the Classical Language
各国語1各国語1各国語3
古典言語は漢文(古典中国語)、サンスクリット(梵語)、古典アラビア語、古典ギリシア語、古典ラテン語など。
漢文と中国語の違いは、古典ラテン語(Classical Latin 文語)と俗ラテン語(Popular Latin / Vulgar Latin 口語)よりも大きい。
漢文は母語話者が原理的に存在できない人工言語・書記言語であるが、中国語は母語話者が存在する自然言語である。
近代以前の東アジアでは、漢詩や漢文の読み書きができることが知識人の条件だった。
漢文は、中国人といえども「座学」で習得する学習原語であり、その意味では同じく「座学」で漢文の読み書きを学んだ日本人や韓国人と条件は対等であった。
その結果、しばしば、日本人や韓国人(の先祖)が作る漢詩や漢文のほうが、中国人が作るそれよりもレベルが上であることがあった。
cf.沈徳符『万暦野獲編』巻三十「朝鮮国詩文」(
banrekiyakakuhen.html#02)では、明の時代に朝鮮国にわたった明の秀才が、現地で漢詩の応酬をいどまれて敗北したこと、それに対する中国人(沈徳符)の思いが書いてある。
cf.清王朝の皇帝の秘書だった鄭任鑰(てい・じんやく 簡体字“郑任钥” 1706年の進仕)は、日本の新井白石が詠んだ漢詩を見て、中国の唐の時代の漢詩人たち(中国史上、最高レベルの漢詩人たち)と同等のレベルだと激賞した。araihakuseki.html#teijinyaku
昔の東アジア
漢文
中国語日本語韓国語
昔の西洋
ラテン語 lingua latina
イタリア語フランス語英語
 Cf.米国のテレビドラマ「コンバット!」第1シーズン第3話「わが心との戦い」(日本版では第4話)で、フランス語が喋れない米国の戦車兵が、フランスの神父と、ラテン語で会話する場面がある。
 COMBAT! s.1 ep.3: "Lost Sheep, Lost Shepherd" (1962) https://www.youtube.com/watch?v=r35lw9CWk-g&t=2216s
近現代の国民国家 nation-state
標準語 standard language / 共通語 common language
方言1方言2方言3
cf.2015年放送のクイズ番組「頭脳王」でも、漢文の問題が出題され、理科系の大学生たちは見事に正答した。
https://www.bilibili.com/video/BV1rs411d7sQ/?spm_id_from=333.337.search-card.all.clickdummy 31分目
https://meiji-univ.ap.panopto.com/Panopto/Pages/Viewer.aspx?id=2549c794-4913-455b-8e69-b07a007427e6dummy

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↑画像は徐首生・徐元燮燮・金光淳(編)『精選大学漢文』
(蛍雪出版社、1979/2/25発行、韓国・ソウル)より引用。
金万重(김만중)『西浦漫筆(서포만필)』
【原漢文】人心之発於口者為言、言之有節奏者為歌詩文賦、四方之言雖不同、 苟有能言者各因其言而節奏之、則皆足以動天地通鬼神、不独中華也。 今我国詩文、捨其言而学他国之言、仮令十分相似、只是鸚鵡之人言。 而閭巷間樵童汲婦咿唖而相和者、雖曰鄙俚、若論真贋、則固不可与学士大夫所謂詩賦者、同日而論。況此三別曲者、有天機之自発、而無夷俗之鄙俚。自古左海真文章、只此三篇。
【漢文訓読・読み下し】人心の口に発する者は言と為る。言の節奏有る者は歌詩文賦と為る。四方の言、同じからずと雖も、苟しくも能く言ふ者、各おの其の言に因りて之を節奏する有らば、則ち皆、以て天地を動かし鬼神に通ずるに足らん。独り中華のみならざるなり。今、我が国の詩文、其の言を捨てて他国の言を学ぶ。仮令ひ十分に相似たれども、只だ是れ鸚鵡の人言なるのみ。而して閭巷の間、樵童・汲婦の咿唖として相和する者は、鄙俚なりと曰ふと雖も、若し真贋を論ぜば、則ち固より学士大夫の所謂詩賦なる者と同日に論ずべからず。況んや此の三別曲は、天機の自発有りて、夷俗の鄙俚無し。古より左海の真文章は、只だ此の三篇のみ。
【大意】人間の心が口に出ると、言葉になる。言葉がリズムに乗ると、歌や詩になる。言葉は国それぞれに違う。自分の国の言葉でいい。リズムに乗せれば、どの国の言葉も、鳥肌がたつくらい感動的な詩や歌になるんだ。漢詩や漢文だけが文学じゃない。自分の国の言葉はダサくて頭悪そう、だって? 外国語はカッコよくて頭が良さそう、だって? あわれだね、そう信じてるアホは。いま、わが国のインテリは、自分の母語で詩を書かず、外国語である漢文で詩を書き、それを自慢する。たとえ中国人そっくりに漢詩や漢文を書けたところで、しょせん、オウムの口マネにすぎないのに。……それにくらべれば、ちまたの無学な庶民の男女がかわす口語体の歌のほうが、ずっとすごい。たしかに卑俗だ。でも、まぎれもなく、我が国のオリジナルはこっちだ。これにくらべたら、わが国のインテリが書く漢詩や漢文なんて、ゴミくずさ。ましてや、ここで紹介する「三別曲」は、意図的に作ろうとしても作れないほどごく自然に、人間の真実を詠み込んだ傑作だ。卑俗さは少しもない。あえて言おう。わが国オリジナルの本物の文学作品は、歴史上、この三篇だけだ、と。(以上、加藤徹がテキトーに望文生義的に解釈した箇所も多いので、アテにしないでください(^^;;)
☆参考・韓国語訳( http://www.seelotus.com/gojeon/gojeon/su-pil-bi-pyeong/seo-po-man-pil.htm より引用。2017/12/15閲覧)
사람의 마음이 입으로 표현된 것이 말이요, 말의 가락에 있는 것이 시가문부(詩歌文賦)이다. 사방(四方)의 말이 비록 같지는 않더라도 진실로 말할 수 있는 사람이 각각 그 말에 따라 가락을 맞춘다면, 다같이 천지를 감동시키고 귀신을 통할 수가 있는 것은 유독 중국만이 그런 것은 아니다. 지금 우리나라의 시문(詩文)은 자기말을 버려 두고 다른 나라말을 배워서 표현한 것이니, 설사 아주 비슷하다 하더라도 이는 단지 앵무새가 사람의 말을 하는 것과 같다. 여염집 골목길에서 나뭇꾼이나 물 긷는 아낙네들이 에야디야 하며 서로 주고 받는 노래가 비록 저속하다 하여도 그 진가(眞價)를 따진다면, 정녕 학사대부(學士大夫)들의 이른바 시부(詩賦)라고 하는 것과 같은 입장에서 논할 수는 없다. - 국어로 쓴 시문(詩文)의 참됨 하물며 이 삼별곡(三別曲)은 천기(天機)의 자발(自發)함이 있고, 이속(夷俗)의 비리(鄙俚)함도 없으니, 자고로 좌해(左海)의 진문장(眞文章)은 이 세 편뿐이다.

cf.金万重の小説作品『九雲夢』(구운몽)

この #漢文 の超意訳は「名門の音大生がバッハやショパンを器用に弾いても、しょせんは猿まね。そこらへんのアンチャン、ネエチャンたちが熱唱するアニソンこそ、わが国が誇れるオリジナル」で、あってるかな??? pic.twitter.com/qax5pYKmaz

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) April 1, 2021

【実作者】
【知識人】


【関連する概念】ペイガニズム、エスニシティ、小伝統、マイノリティー、周圏論、民俗学、「みやび(雅び)」と「ひなび(鄙び)」、・・・・・・
cf.primitive art(プリミティブ・アート 原始芸術)の二つの意味
meijiro,sake,めいじろう,飲酒,イッキ,ハラスメント
世界大百科事典 第2版の解説
げんしびじゅつ【原始美術】
プリミティブ・アートprimitive artの訳語。プリミティブという語には二つの意味があり,一つには初期,古風,始原を,二つには開化に対する未開や素朴をさす。 美術史上プリミティブという語は,先史時代の美術,現存部族社会の美術,児童画,ルネサンス直前の美術,近代の素朴派(素朴画家)などに冠して用いられる。狭義に用いられる場合は,先史時代の美術と,部族社会の美術をさす。先史美術 部族美術【木村 重信】
→先史美術 prehistoric art、部族美術 tribal art、素朴派 Naive Art/Peintre Naif cf.丸木スマ(1875-1956)の絵

cf.2015.5.13にロンドンで行われたサザビーズのオークションで縄文時代の土偶(井上恒一コレクション)が約101万3千ポンド(約1億9千万円)で落札された。 事前の落札予想価格は7万〜9万ポンドで、11倍以上の高値がついた。
[
Sotheby's webpage](2015.5.15閲覧) The Soul of Japanese Aesthetics ? The Tsuneichi Inoue Collection,69 A PAINTED EARTHENWARE FIGURE BUST, DOG? JAPAN, J?MON PERIOD Estimate 70,000 ? 90,000 GBP?LOT SOLD. 1,013,000 GBP (Hammer Price with Buyer's Premium)

【参考】河上肇舌禍事件(かわかみ はじめ ぜっか じけん)
以下、琉球新報のHPの中の頁より引用
 1911(明治44)年4月3日、来沖した京都帝国大学助教授の河上が「新時代来る」と講演。その中で、日本の歴史に対する沖縄の歴史・文化の独自性を強調。沖縄の非国家主義的性格を賞賛し、思想的事件に発展した。
 「中央」の文化人が「辺境」の独自性を褒めたつもりが、かえって現地人の反感を招いてしまった、という事例。「基層文化」という概念は、実は「中央」の知識人による上から目線の概念であり、 基層文化の担い手にとってはしばしば「ありがた迷惑」になりかねない。
 河上肇は「余が沖縄を観察するに沖縄は言語・風俗・習慣・信仰・思想その他あらゆる点において内地とその歴史を異にするがごとし。 而してあるいは本県人を以って忠君愛国の思想に乏しという。然れどもこれは決して嘆ずべきにあらず。余はこれなる為に、却って沖縄人に期待するところ多大なると同時にまた最も興味多く感ずるものなり」 云々と述べ、現地のマスコミから猛反発を受けた。
 河上は沖縄の「基層文化」を述べた訳ではないが、日本本土の知識人が生半可な知識で沖縄の基層文化を褒めると、しばしば現地の人々の反発を買うという状況は、21世紀の今日も存在する。
以下、上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』「東郷平八郎と為朝伝説(3)」より引用
 野蛮で遅れた地域とされた沖縄は、戦前、様々な差別的待遇を受けました。沖縄にとっての近代化とは、=日本化でもありました。沖縄の人々は旧来の価値を否定し「日本人」となることで、差別的な待遇を解消しようとしたのです。 例えば経済学者で後に日本共産党にも入党した河上肇が講演で、「沖縄には独自性があり、本土と違って忠君愛国の思想が薄い。歴史を見るとこのような場所から偉人が誕生する」と指摘したのに対し、 県内マスコミは河上に非難の集中砲火を浴びせます。いわゆる“河上肇舌禍事件”です。河上肇は沖縄の持つ可能性を評価したつもりだったのですが、皇国日本への同化に力をそそいでいた沖縄社会のリーダーたちにとっては、 県民の「忠君愛国」思想を否定する彼の発言は許しがたいものだったのです。
cf.映画「ウンタマギルー」(1898)、「ナビィの恋」(1999)に対する沖縄県人の賛否両論。日本映画「ビルマの竪琴」を見たミャンマー人の感想。

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