曜日火曜日 時間10:40−12:10 日程全4回 ・07月18日− 08月08日
(日程詳細 )07/18、07/25、08/01、08/08
目標
・歴史の根底にあるシンプルな本質を知る。
・現在の中国はなぜあのような国になったのか、中国人とはどんな人々なのかを理解する。
・歴史を学ぶことで、現代の世界や日本社会のために役立つ教訓を得る。
講義概要
中国史は、一見すると難しそうです。まず歴史が長い。四千年くらいもあります。国土は広い。人口も多い。地名とか人名とか王朝名とか、漢字の固有名詞がたくさんでてきます。でも実は、中国史はとてもわかりやすい。中国社会を動かすシンプルな「法則」を理解すれば、本質はすぐわかります。この講座では、中国史を理解するうえで役立つ4つの発想を、予備知識のないかたにもわかりやすく説明します。
ごぎょう‐せつ〔ゴギヤウ‐〕【五行説】
中国古代の学説で、自然も人間・社会も、木・火・土・金・水の五つの元素の一定の循環法則に従って変化するという説。木・火・土・金・水の各元素が順々に次の元素を生み出してゆくとする五行相生(そうせい)説と、木・土・水・火・金の各元素がそれぞれ次の元素にうち克ってゆくとする五行相克(そうこく)説とがある。→五行
じっ‐かん【十干】
[名] 甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)の総称。中国の殷(いん)代から、一〇日ごとに循環する日を表示する数詞として用いられ、周代になると、十二支と組み合わされて年と日とを表示するようになった。また漢代にはいって、陰陽説五行説と結合した結果、木(甲乙)・火(丙丁)・土(戊己)・金(庚辛)・水(壬癸)のように二つずつ五行に配当され、さらにその二つは、五行各々の陽すなわち兄(え)と、陰すなわち弟(と)を示すとされた。日本では、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)ともよむ。十干は年と日を示すほか、種々の分類記号としても用いられ、日本では特に学業成績などの表示に使用していたことがある。→干支(えと)。〔名語記(1275)〕
じゅうに‐し ジフニ‥【十二支】
[名] 本来は、木(歳)星が一二年で天を一周することから、中国の天文学で毎年度における木星の位置を示すために天を一二分した場合の称呼である、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)の総称。これらを一二の動物にあてることから、日本では、ね(鼠)・うし(牛)・とら(虎)・う(兎)・たつ(龍)・み(巳)・うま(馬)・ひつじ(羊)・さる(猿)・とり(鶏)・いぬ(犬)・い(猪)と読む。一二年ごとに一巡する年まわりを示し、また十干と組み合わされて、六〇年で一巡する年、あるいは六〇日で一巡する日を表わすほか、時刻や方角などを示すのに用いられる。十二辰。十二。〔名語記(1275)〕 〔史記索隠‐暦書〕
十干十二支 じっかんじゅうにし shi-gan shi-er zhi
干支 (えと。幹支〈もとすえ〉の意) ともいう。中国の上古に始る暦法上の用語。十干は,甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,癸で,何を基準としたかは明らかでないが,もと一旬 (10日) を表わす。十二支は,子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥。すでに殷代に,干支の組合せで暦日を表わしていた。前4世紀頃,十干が五行 (木,火,土,金,水) に配当され,前2世紀頃,十二支が鼠,牛,虎,兎,竜,蛇,馬,羊,猿,鶏,犬,猪に配当され,これが伝えられて,日本では甲子を「きのえね」 (木鼠) ,乙丑を「きのとうし」 (木牛) ,丙寅を「ひのえとら」 (火虎) のように呼ぶ。漢代,前2世紀頃,干支の組合せが,年,月の順を表わすのに用いられ,十二支の時刻,方角などを表わすのに用いられるようになった。また,この頃から,占星術,五行説,その他の俗信と結びついて,迷信が盛んに行われるようになった。
讖緯説 しんいせつ
歴史の変革を陰陽五行説の知識によって予言する思想
漢代末期から盛んとなり,6世紀ころ暦とともに日本に伝えられ,『古事記』『日本書紀』の歴史観となった。干支の組合せで甲子 (かつし) の年には革令,辛酉 (しんゆう) の年には革命(天命が革あらたまる)が,特に60年を1元,21元を1蔀 (ぼう) といい,蔀(1260年)ごとの甲子や辛酉の年に大変革がおこるという。これに基づき,記紀では,推古天皇9年(西暦601年)の辛酉から逆算して,1260年前の辛酉の年,前660年を神武天皇即位の年としたと考えられる。
五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
---|---|---|---|---|---|
五色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒 |
五方 | 東 | 南 | 中央 | 西 | 北 |
五時 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
五臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 |
五事 | 貌 | 視 | 思 | 言 | 聴 |
五常 | 仁 | 礼 | 信 | 義 | 智 |
五虫 | 鱗 | 羽 | 贏 | 毛 | 介 |
五味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 | 鹹 |
五声 | 角 | 徴 | 宮 | 商 | 羽 |
・・・木剋土、火剋金、土剋水、金剋木、水剋火、・・・ → ・・・木>土>水>火>金>木>土>・・・ |
-前11世紀 | 前11-4世紀 | 6-10世紀 | 10世紀-14世紀 | 14-20世紀 | 20世紀- | |
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木徳 | - | 周王朝 | 北周 | 後周 | 中華民国 | |
火徳 | - | 漢王朝 | 隋王朝 | 宋王朝 | 明王朝 | |
土徳 | 黄帝 | 魏王朝 | 唐王朝 | 金王朝 | ||
金徳 | 夏王朝 | 晋王朝 | 後梁 | 元王朝 | ||
水徳 | 殷王朝 | 北魏 | 後漢 | 清王朝 | 中華人民共和国 |
十干 | 音読み | 五行 | 陰陽 五行陰陽 訓読み |
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甲 | こう | 木 | 陽(兄) 木の兄 きのえ |
乙 | おつ | 木 | 陰(弟) 木の弟 きのと |
丙 | へい | 火 | 陽(兄) 火の兄 ひのえ |
丁 | てい | 火 | 陰(弟) 火の弟 ひのと |
戊 | ぼ | 土 | 陽(兄) 土の兄 つちのえ |
己 | き | 土 | 陰(弟) 土の弟 つちのと |
庚 | こう | 金 | 陽(兄) 金の兄 かのえ |
辛 | しん | 金 | 陰(弟) 金の弟 かのと |
壬 | じん | 水 | 陽(兄) 水の兄 みずのえ |
癸 | き | 水 | 陰(弟) 水の弟 みずのと |
十二支 | 音読み | 訓読み | 五行 |
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子 | し | ね | 水 |
丑 | ちゅう | うし | 土 |
寅 | いん | とら | 木 |
卯 | ぼう | う | 木 |
辰 | しん | たつ | 土 |
巳 | し | み | 火 |
午 | ご | うま | 火 |
未 | び | ひつじ | 土 |
申 | しん | さる | 金 |
酉 | ゆう | とり | 金 |
戌 | じゅつ | いぬ | 土 |
亥 | がい | い | 水 |
[律暦志]リツレキシ
史志の一。一朝の楽律及び暦法の因革を記したもの。史記の八書に律書・歴書があり、漢書で合して律歴志としたのに始まる。漢書・後漢書・晋書・隋書・宋史にある。(以下略)
せい‐さく【正×朔】
1 《「正」は年の初め、「朔」は月の初めの意》正月朔日。1月1日。元日。
2 暦のこと。
3 《古代中国で、天子が代わると暦を改めたところから》天子の統治。
正朔(せいさく)を奉・ずる
天子の統治に服する。臣下となる。「誰か夷狄(いてき)の鼻息を仰ぎ渠(かれ)が―・ずるに忍びんや」〈染崎延房(そめざき のぶふさ)・近世紀聞〉
西洋階名 | Do | Re | Mi | Fa | Sol | La | Si | Do | |||||
「簡譜」 | 1 | #1 | 2 | #2 | 3 | 4 | #4 ♭5 | 5 | #5 | 6 | #6 ♭7 | 7 | 1 |
五正声 | 宮 | 商 | 角 | 徴 | 羽 | 宮 | |||||||
七音(1) 古音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 変 徴 | 徴 | 羽 | 変 宮 | 宮 | |||||
七音(2) 新音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 清 角 | 徴 | 羽 | 変 宮 | 宮 | |||||
七音(3) 清商音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 清 角 | 徴 | 羽 | 閏 | 宮 | |||||
日本雅楽 | 宮 | 変 商 | 商 | 嬰 商 | 呂 角 | 律 角 | 変 徴 | 徴 | 変 羽 | 羽 | 嬰 羽 | 変 宮 | 宮 |
民間工尺(旧) | 上 | 尺 | 工 | 凡 | 六 | 五 | 乙 | 仩 | |||||
民間工尺(新) | 上 | 尺 | 工 | 凡 | 六 | 五 | 乙 | 仩 |
十二律 (中国) | 黄鐘 (こうしょう) | 大呂 (たいりょ) | 太簇 (たいそく) | 夾鐘 (きょうしょう) | 姑洗 (こせん) | 仲呂 (ちゅうりょ) | 蕤賓 (すいひん) | 林鐘 (りんしょう) | 夷則 (いそく) | 南呂 (なんりょ) | 無射 (ぶえき) | 応鐘 (おうしょう) |
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十二律 (日本雅楽) | 壱越 (いちこつ) | 断金 (たんぎん) | 平調 (ひょうじょう) | 勝絶 (しょうせつ) | 下無 (しもむ) | 双調 (そうじょう) | 鳧鐘 (ふしょう) | 黄鐘 (おうしき) | 鸞鏡 (らんけい) | 盤渉 (ばんしき) | 神仙 (しんせん) | 上無 (かみむ) |
十二支 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 | 申 | 酉 | 戌 | 亥 |
十二月 (旧暦) | 十一月 | 十二月 | 正月 | 二月 | 三月 | 四月 | 五月 | 六月 | 七月 | 八月 | 九月 | 十月 |
【原漢文】 臣聞 三皇立極、 五帝禅宗、 惟中華之有主、 豈夷狄而無君。 乾坤浩蕩、非一主之独権、 宇宙ェ洪、作諸邦以分守。 蓋天下者、 乃天下之天下、 非一人之天下也。 臣居 遠弱之倭、 褊小之国、 城池不満六十、 封疆不足三千、 尚存知足之心。 陛下 作中華之主、 為万乗之君、 城池数千余、 封疆百万里、 猶有不足之心、 常起滅絶之意。 夫 天発殺機、移星換宿。 地発殺機、龍蛇走陸。 人発殺機、天地反覆。 昔 堯・舜有徳、四海来賓。 湯・武施仁、八方奉貢。 臣聞 天朝有興戦之策、 小邦亦有禦敵之図。 論文有孔・孟道徳之文章、 論武有孫・呉韜略之兵法。 又聞陛下 選股肱之将、 起精鋭之師、 来侵臣境。 水沢之地、 山海之洲、 自有其備、豈肯跪途而奉之乎。 順之未必其生、 逆之未必其死。 相逢賀蘭山前、聊以博戯、臣何懼哉。 倘君勝臣負、且満上国之意。 設臣勝君負、反作小邦之羞。 自古 講和為上、 罷戦為強、 免生霊之塗炭、 拯黎庶之艱辛。 特遣使臣、 敬叩丹陛、 惟上国図之。【拙訳】
クイズ「龍」(異体字は「竜」。中国の簡体字では“龙”、ハングルでは“용”)の爪は何本でしょう? →答え 時代や地域ごとに違う。近世の東アジアでは、中国の皇帝の権力と権威の浸透度、のバロメーターにもなった。 |
斉使者如梁、孫臏以刑徒陰見、説斉使。斉使以為奇、竊載与之斉。斉将田忌善而客待之。忌数与斉諸公子馳逐重射。孫子見其馬足不甚相遠、馬有上、中、下、輩。於是孫子謂田忌曰「君弟重射、臣能令君勝。」田忌信然之、与王及諸公子逐射千金。及臨質、孫子曰「今以君之下駟与彼上駟、取君上駟与彼中駟、取君中駟与彼下駟。」既馳三輩畢、而田忌一不勝而再勝、卒得王千金。於是忌進孫子於威王。威王問兵法、遂以為師。例えば、仮に、
子貢曰「有美玉於斯。韞匵而蔵諸? 求善賈而沽諸?」。子曰「沽之哉、沽之哉。我待賈者也。」インドの釈尊(釈迦)に「十大弟子」がいたように、孔子にも「孔門十哲」がいた。孔門十哲のひとりである子貢は、孔子の死後、政財界で大成功した。司馬遷の『史記』によれば、子貢は魯国や斉国の宰相を歴任し、魯を救うため越・呉・斉・晋をまわって熱弁をふるって魯を救い、呉を滅ぼして越を覇者たらしめ、斉を弱めて晋を守るなど、国際情勢を弁舌力で動かした。また商才によって莫大な富を築いた。魯のローカルな孔子学校の教えを、全国区の永続的な「儒教」に高めた貢献者は、じつは子貢であった。
子貢曰く「斯に美玉、有り。匵に韞&めて諸れを蔵せんか、善賈を求めて諸れを沽らんか」と。子曰く「之を沽らんかな、之を沽らんかな。我は賈を待つ者なり」と。
シコウ、イワく「ココにビギョクアり。ヒツにオサめてコレをゾウせんか、ゼンコをモトめてコレをウらんか」と。シイワく「コレをウらんかな、コレをウらんかな。ワレはコをマつモノなり」と。
孔子の弟子である子貢(前520年 - 前446年)が言った。「ここに美しい宝玉がございます。ひつの中にいれて、人目につかぬようにしまいますか? それとも、よい値段をつけてくれる商賈(しょうこ。あきんど)をさがしもとめて売りますか?」。先生(孔子)は言われた「売るよ。売るよ。わたしはね、ずっと商賈との出会いを待ち望んでいるのだ」
【商人の張世平が、無名の3人に資金援助を申し出る場面。日本の剣豪の名刀と違って、関羽や張羽は近所の無名の鍛冶屋で武器を作らせたことに注意。日本人の職人気質と、中国人の商人気質の対比がよく描かれている。】劉備に仕える前の諸葛孔明のように「出会い」「機会」「組み合わせ」に努力。
張は五十頭の馬匹を、無償で提供するばかりでなく、玄徳に会ってから玄徳の人物をさらに見込んで、それに加うるに、駿馬に積んでいた鉄一千斤と、百反(たん)の獣皮織物と、金銀五百両を挙げてみな、「どうか、軍用の費に」と、献上した。
その際も、張はいった。
「最前も、みちみち、申しました通り、手前はどこまでも、利を道とする商人です。武人に武道あり、聖賢に文道あるごとく、商人にも利道があります。ご献納申しても、手前はこれをもって、義心とは誇りません。その代り、今日さし上げた馬匹金銀が、十年後、三十年後には、莫大な利を生むことを望みます。――ただその利は、自分一個で飽慾(ほうよく)しようとは致しません。困苦の底にいる万民にお頒(わか)ちください。それが私の希望であり、また私の商魂と申すものでございます」
玄徳や関羽は、彼の言を聞いて大いに感じ、どうかしてこの人物を自分らの仲間へ留めおきたいと考えたが、張は、
「いやどうも私は臆病者で、とても戦争なさるあなた方の中にいる勇気はございません。なにかまた、お役に立つ時には出てきますから」といって、倉皇(そうこう)、何処ともなく立ち去ってしまった。
千斤の鉄、百反の織皮しょくひ、五百両の金銀、思いがけない軍費を獲て、玄徳以下三人は、
「これぞ天のご援助」
と、いやが上にも、心は奮い立った。
早速、近郷の鍛冶工(かじこう)をよんできて、張飛は、一丈何尺という蛇矛(じゃぼこ)を鍛(う)ってくれと注文し、関羽は重さ何十斤という偃月刀(えんげつとう)を鍛(きた)えさせた。
知 | 情 | 意 | |
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雅 | 諸葛孔明 | 関羽 | |
雅俗共賞 | 劉備 | 趙雲 | |
俗 | 張飛 |