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中国民衆の知恵 兵法(へいほう)三十六計

"九九(くく)"のように覚える処世術(しょせいじゅつ)

最大の効用は「へこたれない強さ」
原載紙:2005年3月13日(日)付『聖教新聞』
第8面「文化のページ サンデーワイド」

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中華ボタン 作戦の定石(じょうせき)を暗誦(あんしょう)用の文に
 漢文には何でもある。宇宙の神秘を問う深遠な哲学もあれば、民衆の生活に密着した人生の知恵もある。
 例えば「兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)」という、民衆のあいだで語り継がれてきた漢文がある。いつ誰が作ったのかは不明だが、勝負にあたって取るべき作戦の定石(じょうせき)を、「九九(くく)」のように暗記するため、「六六」36個にまとめたものである。
 日本でも有名な「三十六計、逃げるにしかず」ということわざは「兵法三十六計」の最後が「走為上」(走(はし)るを上(じょう)と為(な)す=逃げるのがいちばん)であることからきている。
 「兵法三十六計」は人間関係のかけひきのテクニック集であり、日常の知恵として役立つため、中国では庶民にも広く暗誦されている。

中華ボタン 敵の強さ見て6段階の戦略
(1)
まんてんかかい
瞞天過海
いぎきゅうちょう
囲魏救趙
しゃくとうさつじん
借刀殺人
いいつたいろう
以逸待労
ちんかだきょう
趁火打劫
せいとうげきせい
声東撃西
(2)
むちゅうしょうゆう
無中生有
あんとちんそう
暗渡陳倉
かくがんかんか
隔岸観火
しょうりぞうとう
笑裏蔵刀
りだいとうきょう
李代桃僵
じゅんしゅけんよう
順手牽羊
(3)
だそうきょうだ
打草驚蛇
しゃくしかんこん
借屍還魂
ちょうこりざん
調虎離山
よくきんこしょう
欲擒姑縦
ほうせんいんぎょく
抛磚引玉
きんぞくきんおう
擒賊擒王
(4)
ふていちゅうしん
釜底抽薪
こんすいぼぎょ
混水摸魚
きんせんだっかく
金蝉脱殻
かんもんそくぞく
関門捉賊
えんこうきんこう
遠交近攻
かどうばっかく
仮道伐虢
(5)
ちゅうりょうかんちゅう
偸梁換柱
しそうばかい
指桑罵槐
かちふてん
仮痴不癲
じょうおくちゅうてい
上屋抽梯
じゅじょうかいか
樹上開花
はんかくいしゅ
反客為主
(6)
びじんけい
美人計
くうじょうけい
空城計
はんかんけい
反間計
くにくけい
苦肉計
れんかんけい
連環計
そういじょう
走為上
 「九九」の数字が小から大へ整然と並んでいるように、「兵法三十六計」も戦況のレベルの6段階ごとに6計ずつ分類されている。
 第1段階の6計は、こちらが戦いの主導権を握っている場合の作戦の定石(じょうせき)である。例えば「以逸待労(いいつたいろう)」すなわち「逸(いつ)を以(もっ)て労(ろう)を待(ま)つ」は、自分は楽をして敵が疲れるのを待つ、という策。小田原城を包囲した豊臣秀吉が、大阪から淀君や千利休を呼び寄せ、陣中でぜいたくを楽しみながら北条氏の降伏を待ったようなものだ。
 第2段階の6計は、余裕をもって戦える場合の作戦。例えば「隔岸観火(かくがんかんか)」すなわち「岸を隔てて火をみる」は、自分を安全圏に置き、推移を見守るという作戦。第1次世界大戦のとき、日本が戦禍をこうむることなく戦勝国の地位を得たようなもの。
 第3段階は、相手が一筋縄(ひとすじなわ)ではゆかぬ場合。例えば「調虎離山(ちょうこりざん)」すなわち「虎を山林の中からおびき出す」は、敵を本拠地からおびき出し、味方に有利な戦場で叩く戦術。
 第4段階は、相手がてごわい場合。例えば「釜底抽薪(ふていちゅうしん)」は「煮えたぎる釜(かま)の底から燃料のたきぎを取りのぞく」の意で、正面攻撃を避け、敵の後方(こうほう)の補給路を攻撃して相手の戦力をそぐ作戦。
 第5段階は、敵のほうが強い場合。例えば「仮痴不癲(かちふてん)」は、バカのふりをして相手を油断させる策略。豊臣家が滅亡したあと、加賀百万石の大名・前田利常(まえだとしつね)(前田利家の子)が鼻毛を伸ばして「バカ殿」を演じ、徳川幕府の警戒心を解いて取りつぶしを免れたようなもの。
 第6段階は、敵が圧倒的に強い場合。例えば「美人計(びじんけい)」は、敵に美女を贈って戦意をとろかしてしまうという謀略で、中国では貂蝉(ちょうせん)(『三国志』)や西施(せいし)の話が有名。

中華ボタン 犯罪捜査にも生かされる
 深遠な戦争哲学である「孫子の兵法」とくらべると、民衆の知恵である「兵法三十六計」は即物的で、中国では日常会話でもよく耳にする。
中華コウモリ  例えば、警察が麻薬密売ルートを捜査する場合。「擒賊擒王(きんぞくきんおう)(賊の首領を捕えよ)というとおり、末端の売人(ばいにん)を何人捕まえても、麻薬組織はつぶせない。まずは「欲擒姑縦(よくきんこしょう)(しばらく泳がせてから捕らえる)の計で、末端の売人をあえて逮捕せず、尾行し、関係者を洗い出す。そして「順手牽羊(じゅんしゅけんよう)(「行きがけの駄賃」的な思わぬ副収入)で、麻薬の購入者の名前や容疑者の余罪、組織の黒幕をあぶりだす。そして時機を見はからい「関門捉賊(かんもんそくぞく)(ドアの鍵をかけて逃げ道をふさいでから、室内の泥棒を捕らえる)の計で、容疑者を一網打尽。・・・・・・
 また例えば、恋愛中の男女。A子は、B男に結婚する気があるかどうかを探るため「打草驚蛇(だそうきょうだ)(草むらを棒で叩き、ヘビがいないか確かめる)の計を用いた。「父から、お見合いをするよう言われたの」。B男は悩み、友人のC男に相談。C男は一言「そりゃ『走為上(そういじょう)(逃げるのがいちばん)だよ」とアドバイス。B男はA子と別れた。するとC男はすかさずA子に「ボクとつきあってください」。落ち込んでいたA子は、すぐにOK。C男は、B男に対しては「笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)(笑みの後ろに刀を隠す)、A子に対しては「混水摸魚(こんすいぼぎょ)(池の水をかきみだし、驚いて逃げまどう魚を楽々とつかみ取り)の計を用い、まんまと成功したのだった。・・・・・・
 新聞のビジネス欄ともなれば「兵法三十六計」のオンパレードである。新興企業が経営不振の老舗(しにせ)ブランドを買い取る「借屍還魂(しゃくしかんこん)(幽霊が別人の肉体を乗っとる)。ひそかに株を買い占め企業を乗っ取る「偸梁換柱(ちゅうりょうかんちゅう)(家の外観はそのままで中の柱をゴッソリ取りかえる)。倒産直前に悪徳社長が秘密裏に自社株を売って損を免れる「金蝉脱殻(きんせんだっかく)(セミが抜け殻からスーッと抜ける)。自国のライバル企業を蹴落(けお)とすため外国資本と提携する「遠交近攻(えんこうきんこう)(遠い国と同盟し、隣国をはさみうちにして攻める)などなど・・・・・・。

中華ボタン 小細工(こざいく)よりも愚直さ誠実さ
 もちろん、いかに中国人といえど、毎日を「兵法三十六計」で生きているわけではない。「生兵法(なまびょうほう)はケガのもと」であるし「策士、策に溺(おぼ)れる」とも言う。小細工を弄(ろう)する策士より、愚直で誠実な人物のほうが信用される点は、中国も日本と同じである。
 ただ、人生は山あり谷あり、失敗して行きづまったときでも中国人は「ナーニ、どんな状況でも、何か打つ手はあるさ」とすぐに立ち直る。
 「兵法三十六計」の最大の効用は、実はそんなところにあるのだろう。

(広島大学総合科学部助教授)



漢文力 [顔写真=省略 プロフィール] かとう・とおる 1963年東京生まれ。東京大学文学部、同大学院で中国文学を専攻し、その間の90〜91年、北京大学に留学。舞台上演や日本語京劇の創演に参加する。著書に、中国近現代史の激動を描いた『京劇 ──「政治の国」の俳優群像』(2002年サントリー学芸賞受賞)、漢文の英知を紹介した『漢文力』(中央公論新社) ほか。

[写真=省略]
[キャプション] 『三国志』は、「美人計」「苦肉計」「連環計」「空城計」など「兵法三十六計」の実例の宝庫でもある(写真=1999年の民音「中国京劇団」公演より「三国志演義」)

中華ボタン 補足トリビア
 「兵法三十六計」は、(1)5世紀の故事をもとに、(2)誰かが17世紀くらいにまとめた民衆の知恵が、(3)20世紀に再発見されたものである。

(1)淵源は5世紀
 「三十六計、逃げる(逃ぐる)にしかず」ということわざの語源は、『南斉書』王敬則伝の「檀公三十六策、走為上計(檀公の三十六策、走るを上計と為す)」という記述。
 南朝宋の将軍・檀道済(?−436)は、三十六種の作戦を得意としたが、逃げるのを上策としたという。檀道済の「三十六策」の具体的内容は不明。たぶん現行の「兵法三十六計」と直接の関係はない。

(2)明清時代(17世紀ごろ?)に現在の形に
 檀道済の時代から千年以上もたってから、故事やことわざでよく知られている作戦名を三十六個選び「兵法三十六計」にまとめあげた人がいた。
 それが誰か、時代も名前もわからない。明末清初(十七世紀半ば)の動乱の時代にまとめられた、と推定する向きもあるが、真相は不明。
 ただ、作者はあまり頭の良い人ではなかったらしい。(^^;; というのも「兵法三十六計」にはアラが多いからである。
 例えば、本来なら当然三十六計に入れるべき「十面埋伏」や「減灶撤軍」などを漏らしている反面、作戦名として「?」というものを採用している。
 また、権威付けのため(?)『易経』の文句を援用した「解語」(解説文)が書いてあるが、達意の名文であるとは言い難い。(^^;;
 また、6段階ごとに6計を配列しているが、入れ換えたほうが良い箇所も散見される。
 こんなせいもあってか、「兵法三十六計」は歴史に埋もれてしまった。

(3)20世紀の戦争中に再発見
 数百年埋もれていた「兵法三十六計」は、20世紀に再発見され、有名になった。
 1941年、邠州(現・陝西省邠県)で、一冊の古い手抄本(印刷ではなく手で筆写した本)が発見された。この手抄本の前半部は養生についての談義だったが、末尾には「兵法三十六計」が書いてあった。
 当時は、苛烈な抗日戦争の最中である。三十六計の内容は時宜にあっていたため、同年、成都瑞琴楼という書店から中国在来の手漉きの紙を使って翻印・出版された(印刷は成都興華印刷厰)。
 現行「兵法三十六計」の「原本」は、この成都翻印本である。
 1943年、叔和という人が、成都の古本屋でこの翻刻本を入手した。1961年、叔和は『光明日報』紙上で「兵法三十六計」の内容を世に紹介した。その後、彼が所有していた成都翻印本は中国人民解放軍政治学院に寄贈された。ときあたかも東西冷戦の最中であり、兵法三十六計は人民に有用な「大衆兵法」としてもてはやされた。
 これ以後、中国や日本で「兵法三十六計」の解説書が続々と出版され、ふつうの書店でも簡単に手に入るようになった。書店には、漫画版やビジネスマン向けの概説書など、いろいろな「兵法三十六計」関連本が並んでいる。

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