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封日本国王平秀吉誥命
日本国王・平秀吉を封ずる誥命
最新の更新2023年7月14日 最初の公開2023年7月13日
[解説] [原漢文] [書き下し文(+よみかた、大意)] [語注] [参考]
【解説】
1595年、明の第14代皇帝である神宗こと万暦帝(ばんれきてい)が、日本の豊臣秀吉を「日本国王」に封ずるため、日本に与えた「萬暦二十三年正月二十一日」付けの誥命(誥文)。
文禄五年(1595年)九月、秀吉は大坂城で明の皇帝からの封王の金印と冠服、この誥命の文を含む勅諭などを受け取ったが、最終的に交渉は決裂した。江戸時代以降の俗説では、この誥命の文の「茲特封爾為日本国王」のくだりを聞いた秀吉が「王にするとはなにごとだ!」と激怒して交渉が決裂したように伝えられ、歴史ドラマなどでもそのような場面が描かれることが多いが、学者の研究によれば交渉の実態はそのようなものではなかった。
この誥命は、当時の中国の皇帝関係の文書としては標準的なものである。文体は美文調の「四六駢儷文」で、中国の官僚が古典の文句や当時の日中関係をふまえて起草したものと考えられる。語彙は四書五経の古典をちりばめているが、内容は単純で「秀吉。遠い島国に生まれた蛮族であるおまえを、おまえの望みどおり、偉大なる中国皇帝の家来にしてやるから、よろこべ」というものである。
当時、日本の小西行長らは、戦争を終わらせたい一心で、日本と中国の両方にウソをついた。行長は、秀吉には「明が日本に降伏した」とウソをついた。明に対しては「秀吉の意図は侵略戦争ではなく、秀吉は中国の家来になりたいのに、朝鮮国が途中でとおせんぼしたので、しかたなく朝鮮を攻めたのです。もちろん秀吉は、明の皇帝陛下に対して降伏します」とウソをついた。
昔の中国の中華思想と、日中両国の交渉のあいだにたった小西行長らのウソがあいまって、明の皇帝の「誥命」の内容もボケてズレたものとなっている。
この「誥命」の内容は三つの部分からなる。
第一部。中国の皇帝は全世界をすみずみまで支配する仁君である。わが中国のおかげで、世界の人類は平和と友好を満喫している。日本も昔は、明の皇帝から「日本国王」の封号をもらって、おとなしく中国の藩属国となっていた。が、不幸にして、しばらくその関係が中断した(倭寇とか、足利義満の死後に義満の息子が日本国王号を中国からもらうのをやめたとか、中国に対する無礼は不問に付してやる)。いまこそ、本来あるべき世界秩序、つまり日本が中国に服従するという昔から続いた関係をとりもどそう。
第二部。秀吉よ、おまえはいいやつだ。おまえは、中国から遠く離れたちっぽけな島国のなりあがりものだが、野蛮人のくせに中国の皇帝の偉大さを知っている点は、評価してやろう。秀吉よ、おまえは、偉大なる中国の皇帝陛下の家来に加わりたい一心で、使者(小西行長の部下である内藤如安ら)をはるばる北京にまで送ってきた。(秀吉よ、おまえは朝鮮半島で中国軍と戦ったが、その過去は不問に付して)おまえの心がけをくんで、特別に、おまえを日本国王に封じてやる。感謝せよ。
第三部。秀吉よ。おまえに、中国皇帝からの慈愛あふれるプレゼントとして、明王朝の豪華な冠服を与えてやる。おまえの国は、海の中の野蛮な島国だが、公式の晴れ着としては、中国文明の衣冠束帯の制度を踏襲しなさい。ただし、ふだんは、わが中国の偉大なる儒教の経典『書経』に「島夷卉服」云々とあるとおり、島国の野蛮人という身分相応の質素な気風を忘れず、中国の衛星国として中国皇帝を守るためがんばりなさい。秀吉よ、中国皇帝のご恩を忘れず、中国皇帝のため、いつまでもしっかり働くのだぞ。以上。
――中国皇帝の高慢さが鼻につくが、中華思想にこりかたまった昔の中国の外交文書は、日本に対するものだけではなく、どこの外国に対しても、みな、こういう感じだった。
【原漢文】
※四六駢儷文として読解しやすいように加藤徹が改行や句読点をほどこした。
- 奉天承運、皇帝制曰、
- 聖仁広運、凡天覆地載、莫不尊親。
- 帝命溥将、曁海隅日出、罔不率俾。
- 昔我皇祖、誕育多方、
- 亀紐龍章、遠錫扶桑之域、
- 貞a大篆、栄施鎮国之山。
- 嗣以海波之揚、
- 偶致風占之隔。
- 当茲盛際、宜纘彝章。
- 咨爾豊臣平秀吉、
- 崛起海邦、知尊中国、
- 西馳一介之使、欣慕来同、
- 北叩万里之関、懇求内附。
- 情既堅於恭順、
- 恩可靳於柔懐。
- 茲特封爾為日本国王、錫之誥命。
- 於戯、
- 寵賁芝函、襲冠裳於海表。
- 風行卉服、固藩衛於天朝。
- 爾其
- 念臣職之当修、恪循要束。
- 感皇恩之已渥、無替欵誠。
- 祗服綸言、永遵声教。
- 欽哉。
萬暦二十三年正月二十一日
【書き下し文 (よみかた、大意)】
- 天を奉り運を承くる皇帝、制して曰く、
(てんをたてまつりうんをうくるこうてい、せいしていわく、
天命をうけた偉大なる中国の皇帝が、みことのりを伝える。)
- 聖仁は広く運り、凡そ天覆地載、親を尊ばざるは莫し。
(せいじんはひろくめぐり、およそ、てんぷうちさい、しんをたったばざるはなし。
中国皇帝の仁の心は世界にひろがり、友好の機運が全世界に満ちている。)
- 帝命は溥将にして、海隅日出に曁び、率俾せざるは罔し。
(ていめいはふしょうにして、かいぐうにっしゅつにおよび、そっぴせざるはなし。
中国皇帝の支配は広大で、海の果ての太陽がのぼる場所まで、くまなく及んでいる。)
- 昔、我が皇祖は多方を誕育し、
(むかし、わがこうそはたほうをたんいくし、
むかし、わが明帝国の初代皇帝は、四方の異民族を援助なされ、)
- 亀紐と龍章と、遠く扶桑の域に錫ひ、
(きちゅうとりゅうしょうと、とおくふそうのいきにたまい、
中国の藩属国の国印を、遠い日本にお与えになり、)
- 貞aと大篆と、栄を鎮国の山に施す。
(ていびんとだいてんと、えいをちんこくのやまにほどこす。
中国に服属できた栄誉のしるしの石碑を、日本の山に建てさせてやった。)
- 嗣ぐに海波の揚ぐるを以てし、
(つぐにかいはのあぐるをもってし、
その後は、海上交通で波風がたつなどいろいろあって、)
- 偶〻、風占の隔たるを致す。
(たまたま、ふうせんのへだたるをいたす。
日本から中国への朝貢が、たまたましばらく途絶えていた。)
- 茲の盛際に当り、宜しく彝章を纘ぐべし。
(このせいさいにあたり、よろしくいしょうをつぐべし。
いまの太平の世にあたり、本来の正しい国交を復活させよう。)
- 咨、爾、豊臣、平の秀吉は、
(ああ、なんじ、とよとみ、たいらのひでよしは、
ああ、なんじトヨトミことタイラのヒデヨシは、)
- 海邦に崛起するも、中国を尊ぶを知る。
(かいほうにくっきするも、ちゅうごくをたっとぶをしる。
遠い島国に生まれ頭角をあらわした身なのに、中国皇帝の偉大さをわきまえているのは、殊勝である。)
- 西のかた一介の使ひを馳せ、欣慕して来同し、
(にしのかたいっかいのつかいをはせ、きんぼしてらいどうし、
おまえは、中国を中心とする友好の輪に加わりたい一心で、西から使者を中国に送り、)
- 北のかた万里の関を叩き、懇に内附を求む。
(きたのかたばんりのかんをたたき、ねんごろにないふをもとむ。
北京までの万里の道をこえ「どうか中国の家来にしてください」と頼んできた。)
- 情は既にして恭順より堅く、
(じょうはすでにしてきょうじゅんよりかたく、
おまえの中国をしたう心情は、単なる恭順以上で、殊勝である。)
- 恩は柔懐より靳くすべし。
(おんはじゅうかいよりかたくすべし。
わが中国も、単なる蛮族への懐柔以上の恩を、おまえに与えてやろう。)
- 茲に特に爾を封じて日本国王と為し、之に誥命を錫ふ。
(ここにとくになんじをほうじてにほんこくおうとなし、これにこうめいをたまう。
ここに、特別措置として、おまえを日本国王に封冊してやることとし、この勅書を与える。)
- 於戯、
(ああ、
ああ、)
- 寵を芝函に賁り、冠裳を海表に襲ふ。
(ちょうをしかんにかざり、かんしょうをかいひょうにおそう。
中国皇帝のおまえに対する恩寵は、この箱にこもっている。おまえは、この箱のなかの中国の衣冠を晴れ着として、海の果てで着用せよ。)
- 風を卉服に行ひ、藩衛を天朝に固めよ。
(ふうをきふくにおこない、はんえいをてんちょうにかためよ。
普段着としては、おまえは島国らしく質素な草木の服を着用し、わが中国の衛星国として中国防衛のために力をつくせ。)
- 爾は其れ
(なんじはそれ
おまえは、そう、)
- 臣職の当に修むべきを念じ、恪みて要束に循へ。
(しんしょくのまさにおさむべきをねんじ、つつしみてようそくにしたがえ。
中国皇帝の臣下としてやらねばならぬことを忘れず、つつしんで中国との約束を守りなさい。)
- 皇恩の已に渥きを感じ、款誠を替ふる無かれ。
(こうおんのすでにあつきをかんじ、かんせいをかうるなかれ。
中国皇帝のご恩の厚さを忘れず、中国への忠誠の態度を変えてはならぬ。)
- 祗みて綸言に服し、永く声教に遵へ。
(つつしみてりんげんにふくし、ながくせいきょうにしたがえ。
おまえは、つつしんで中国皇帝のお言葉に服従し、永遠に中国皇帝のありがたいご教示にしたがうのだぞ。)
- 欽めや。
(つつしめや。
中国皇帝のたっといお言葉を、つつしんでうけたまわりなさい。以上。)
万暦二十三年正月二十一日
【語注】
天覆地載てんぷうちさい=広く大きな人徳や慈愛の心のたとえ 溥将ふしょう=広く大きい 海隅かいぐう=海の果て 曁ぶ=およぶ 率俾そつぴ=したがう cf.『書経』「海隅出日、罔不率俾」。 誕育たんいく=生み育てる 貞aていびん=固くて美しい石、石碑 彝章いしょう=常の法 纘ぐ=つぐ 咨=ああ 来同=あつまっていっしょになる 内附=その国に服属すること 卉服きふく=くずあさの服。『書経』禹貢「島夷卉服」 綸言りんげん=天子のことば 声教=天子のご教導 きんさい=つつしめや、つつしめよや。
【参考】
○『近世日本国民史』の画像 https://dl.ndl.go.jp/pid/3433687/1/182 国会図書館デジタルコレクション
○大庭脩「豊臣秀吉を日本国王に封ずる誥命について : わが国に現存する明代の誥勅」関西大学東西学術研究所紀要 4 29-77, 1971-03-30 NII論文ID 120006494423
○https://zh.wikisource.org/wiki/萬曆封日本國王平秀吉詔書
以下、「維基文庫」の「萬暦封日本國王平秀吉詔書 / 皇帝敕諭日本國王平秀吉 / 作者:朱翊鈞 明」(パブリックドメイン)より転載。閲覧日2023年7月15日。若干の誤字があるが、誤字もあえてそのまま転載引用する。引用開始。
朕受天明命,覆幬無私,仁育遐荒,有同宇下。惟爾日本遠隔鯨波,昔嘗受爵於先朝,中乃自攜於聲教。爾平秀吉能統其眾,慕義承風。始假道於朝鮮,未能具達,繼歸命於闕下,備見真誠。馳信使以上表章,干屬藩為之代請。恭順如此,朕心嘉之。茲特遣後軍都督府僉書署都督僉事李宗誠充正使,五軍營右副將署都督僉事楊方亨充副使,持節封爾為日本國王,錫以冠服金印誥命。凡爾大小臣民悉聽教令,共圖綏寧,長為中國之藩維,永奠海邦之黎庶,恪遵朕命,克祚天休。故茲昭示,俾咸知悉。
敕諭平秀吉:
朕恭承天命,君臨萬邦,豈獨乂安中華,將使薄海內外,日月照臨之地,罔不樂生而後心始慊也。爾日本平秀吉,比稱兵於朝鮮。夫朝鮮,我天朝二百年恪守職貢之國也。告急於朕,朕是以赫然震怒,出偏師以救之。殺伐用張,原非朕意。乃爾將豐臣行長,遣使藤原如安來,具陳稱兵之由,本為乞封天朝,求朝鮮轉達,而朝鮮隔遠聲教,不肯為通,輒爾觸冒,以煩大兵,既悔禍矣。今退還朝鮮王京,送回朝鮮王子、陪臣,恭具表文,仍申前請。經略諸臣,前後為爾轉奏,而爾眾復犯朝鮮,以失鄰好。披露情實,果爾恭誠,朕是以推心不疑,嘉與為善。因敕原差遊擊沈維敬,前去釜山宣諭爾眾盡數歸國。特遣後軍都督僉書署都督僉事李宗誠為正使,五軍營右副將左軍都督府署都督僉事楊方亨為副使,持節詔封爾平秀吉為日本國王,錫以金印,加以冠服,陪臣以下亦各量授官職,用溥恩賚,仍詔告爾國人,俾奉爾號令,毋得違越,世居爾土,世統爾民。蓋自我祖文皇帝錫封爾國,迄今再封,可謂曠世之盛典矣。自封以後,爾其恪奉三約,永肩一心,以忠誠報天朝,以義信睦諸國。附近夷眾,務加禁戢,毋令生事於沿海。六十六島之民,久事徵調,離棄本業,當加意撫綏,使其父母妻子得相完聚。是爾之所以仰體朕意,而上答天心者也。至於貢獻,固爾恭誠。但我沿海將吏,惟知戰守,風濤出沒,玉石難分。效順既堅,朕豈責報?一切免行,俾絕後釁。遵守朕命,勿得有違。天鑒孔殷,王章有赫,欽哉故諭。
頒賜國王紗帽一頂,金鑲犀帶一條,常服羅一套,大紅織金胸背麒麟員領一件,青褡[衣+(護-言)]一件,綠貼裏一件,皮弁冠服一件,七旒縐紗皮弁冠一頂〈(旒珠金事件全)〉。玉圭一枝〈(袋全)〉。五間絹地紗皮弁服一套,大紅素皮服一件,素白中單一件,纁色素前後裳一件,纁色素蔽膝一件〈(玉鉤全)〉。纁色妝花錦綬一件〈(金鉤玉玎璫全)〉。紅白素大帶一圍,大紅素紵絲舄一雙〈(襪全)〉。丹礬紅羅銷金夾包袱四條,紵絲二匹,黑綠花二匹,深青素一匹,羅二匹,黑絲一匹,青素一匹,白氁綠布十匹。
封日本國王平秀吉誥文:
皇帝制曰,聖仁廣運。凡天覆地載,莫不尊親。帝命溥將,暨海隅日出,罔不率俾。昔我皇祖,誕育多方,龜紐龍章遠錫扶桑之域,貞瑉大篆榮施鎮國之山。嗣以海波之揚,偶致風占之隔。當茲盛隆,宜續彝章。谘爾豐臣平秀吉,崛起海邦,知尊中國,西馳一介之使,欣慕來同,北叩萬里之閽,懇求內附。情既堅於恭順,恩可靳於柔懷。茲特封爾為日本國王,錫之誥命。於戲,寵賁芝函,襲冠裳於海表。風行卉服,固藩服於天朝。爾其念臣職之當修,恪循要束;感皇恩之已渥,無替款誠。祇服綸言,永遵聲教。欽哉。
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