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Power vs Art 権力対芸術

Last updated 2023年6月23日 Since 2020-7-7

★ソフトパワー soft power と ハードパワー hard power
 ソフトパワー(中国語「軟実力」、韓国語「소프트 파워」)とは、ある国が文化や政治的価値観、政策の魅力などによって国際社会から信頼を得て、存在感を高めるというパワーのこと。
 対概念は、軍事力や経済力などにものを言わせて外国を屈服させるハードパワー。
 文化、芸術、娯楽などはソフトパワーであり、自由な国家においては国家はソフトパワーを管理できないし、また管理すべきではない、とされる(ジョセフ・ナイ Joseph Samuel Nye, Jr.)。

★さまざまな物財
  消費財 consumer goods
  生産財 production goods
  威信財 prestige goods

★美術工芸に描かれた龍の爪の数
東アジアにおける龍は「威信財」「権威装置」だった。
クイズ「龍」(異体字は「竜」。中国の簡体字では“龙”、ハングルでは“용”)の爪は何本でしょう?
 →答え 時代や地域ごとに違う。近世の東アジアでは、中国の皇帝の権力と権威の浸透度、のバロメーターにもなった。

 紅山文化(紀元前4700年頃-紀元前2900年頃)の墳墓から「玉龍」が出土。
 先秦時代には龍が天子や王の象徴となっていた。『韓非子』の「逆鱗」の故事。
 唐・宋の時代までは龍の爪の数は一定していなかった。
 元の時代に、皇帝が使う龍の紋様は「五爪二角の龍」が正統とされ、民間での使用を制限した。
 以後、明・清時代を通じて、中国の皇帝だけが「五爪の龍(ごそうのりゅう)」の紋様を使い、臣下や民間、外国は四本爪や三本爪の龍を使うように定められた。
 参考図書 宮崎市定「龍の爪は何本か」<『中国文明論集』岩波文庫、1995年

爪の数の違い
○日本・・・日本の龍は、唐王朝の時代の龍(中国の皇帝が龍の爪の数を規制する前の時代)のなごりもあって、三本爪が多い。また、日本は中国の冊封を受けなかった(日本の中央政府は歴史上、一度も中国の皇帝から冊封を受けたことがない。東アジアでは特異な独立国家であった。ただし、引退した政治家の足利義満が個人的に明から冊封を受けるなど、個人や地方政権が中国の皇帝の臣下になる例はあった)。日本は独立国だったため、中国の皇帝に遠慮する必要はなく、歴代の美術工芸品の龍の爪の数は、三本、四本、五本などと一定しなかった。ちなみに、長崎県壱岐の龍光大神(りゅうこうおおかみ)は七本爪の龍神で、中国の皇帝の龍よりもはるかに「格上」である。
○韓国/朝鮮・・・朝鮮王朝時代まで、歴代の国王は中国の皇帝から冊封を受けていた。中国の皇帝は臣下から「万歳万歳万々歳!(ばんざい ばんざい ばんばんざい / wànsuì wànsuì wàn wànsuì)」と歓呼されていたが、朝鮮国王は「千歳千歳千々歳!(チョンセ チョンセ チョンチョンセ / 천세천세천천세)」しか許されない、など、万事につけて中国皇帝より一段低い儒教的ステイタスに甘んじねばならなかった。朝鮮国王が使用することを許された龍の爪の数も同様で、中国人の目が届くところでは四本爪の龍しか使えなかった。ただし、慶熙宮(けいききゅう/キョンヒグン/경희궁)の崇政殿(すうせいでん/スンジョンジョン/숭정전)には、中国の皇帝の龍をもしのぐ七本爪の龍がある。心のなかでは、中国と対等以上であるという独立心を保っていた。

(→龍についての補足)

参考記事 「中国ビジネス支援のミツトミ株式会社>役立つ情報>中国に関する知識>意外と知らない龍(竜)の爪の意味、ほんとうは何本?」 

★権力者の思惑

★「芸術家 or 芸術的なものの担い手」と、「パトロン or 権力者」のドラマチックな関係(対立と保護)として有名な例。

西洋では
 ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni 1475年-1564年)と、歴代のローマ教皇。
  映画「華麗なる激情」The Agony and the Ecstasy 1965年 ミケランジェロとユリウス2世
    予告編 https://youtu.be/aZHbjT-pZ_I
  六田登(ろくだのぼる)のコミックス『獅子の王国』
  モンティ・パイソン(Monty Python)によるスケッチ「教皇とミケランジェロ」(Pope and Michelangelo Sketch / Why Michelangelo Didn't Paint the Last Supper)
  https://www.nicovideo.jp/watch/sm4547725  https://www.nicovideo.jp/watch/sm28229551

東洋では
 千利休(せんの・りきゅう 1522年-1591年)と豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし 1537年-1598年)、「茶の湯」をめぐる確執。
 YouTubeビデオ 日本國寶茶室:如庵(日本語+中国語字幕) https://youtu.be/aeWphY1BKZo

 野上彌生子の小説『秀吉と利休』↓
 三國連太郎主演の映画『利休』1989 英文タイトル Rikyu (1989) 予告編 https://youtu.be/ryzHusy2AMw  DVD 予告編 https://youtu.be/TJ-W1xYAu7Y

 井上靖の小説『本覺坊遺文』↓
 三船敏郎主演の映画『千利休 本覺坊遺文』1989 英文タイトル Death of a Tea Master(1989)

 映画『利休』1989の予告編で西洋の古楽が流れている理由は、実際に秀吉は、西洋音楽の生演奏を演奏させたことがあるから。
 テレビドラマ『関ヶ原 第一夜 夢のまた夢』 秀吉(演・宇野重吉)が西洋音楽を聴くシーン https://youtu.be/7-iEi7fq3_g?t=92

→利休と秀吉については[tea ceremony 茶道]も参照のこと。

★「権力者による芸術」への反発が一つの要因となり、大正末期(1920年代)に柳宗悦(むねよし)らが「民芸運動」を提唱した。
 民芸すなわち民衆の芸術的工芸品の条件は、『日本大百科全書』(ニッポニカ)の「民芸」の解説によると(1)実用性、(2)民衆性、(3)手仕事であること、(4)地方性、(5)多数性と低価格、などである。
参考 https://kotobank.jp/word/民芸-140021
 柳宗悦については、[基層文化・実作者]も参照。
 柳は韓国でも有名。1979年の韓国映画『族譜』(족보 原作は、日本の作家・梶山季之の同名小説)でも、登場人物が柳宗悦の言説を台詞のなかで引用する場面がある。 https://youtu.be/DHy5W-Gx3dI?t=4738
cf.https://ja.wikipedia.org/wiki/族譜_(映画)


★「レファレンス協同データベース」の「竜の指の数の意味を知りたい。日本と中国で違うのか?」
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000159782 閲覧日2023年6月23日 より引用。引用開始。
中国では位(象徴する人)によって決まりがあったようだが、日本では位というより時代によって違い、室町時代以降に「妖怪めいたものの指の数」として三本に定まってきたようです。

◆中国 
「皇帝の竜のみが、足に5つの鈎爪を持って描かれた。王子クラスでは鈎爪が4つ、宮廷の役人たちは3つの鈎爪しか許されなかった」
(『世界の神話百科 東洋編』) 「一見すると龍だが、皇帝の龍よりランクの低い蠎龍なのだ。爪の数を見ると確かに四本しかない」
(『図説 竜の歴史大事典』)
「指は五本が正しく、これは中国では皇帝の龍のデザインのしるしであったために、王侯貴族の龍の指は四本である」
(『図説 日本未確認生物事典』)
「中国では、大昔から龍は皇帝の象徴でしたので、一般庶民が龍を利用する(衣服の模様や家屋や調度品など)ことは禁じられていましたが、後世になって緩和されても、5本爪は皇帝のみが使用すると定められました。そうした理由で庶民は、3本爪を使用するようになりました」
(『龍の絵入門』)

◆日本
「鬼などの妖怪が三本指のため、妖怪視された近世の龍は三本の指であり、これが一般的となった」
(『図説 日本未確認生物事典』)
「中国の龍は足の指が三本なのに対して、日本では四本の指をそろえて書かれたものが多い」
「奈良時代の龍の指は鷲の脚をかたどったもので、指の数は五本、四本、三本と時によって異なっていたが、平安時代の龍は必ず四本で、熊手状に指がそろえられている。これが鎌倉時代になると四本、三本となり、室町時代以降は三本となる。鬼の指も室町時代には三本で、こうした妖怪めいたものの指は三本に定則化されていく」 (『図説 竜の歴史大事典』)
引用終了

★龍についての補足

以下「自然・神・人間―「龍」の神秘」
朝日カルチャーセンター 新宿教室 2017-4-24 講師 加藤徹」
より自己引用。引用開始。

 麒麟や鳳凰など伝説の瑞獣(ずいじゅう)のなかでも「龍」は別格の存在である。
 龍の歴史は古い。新石器時代の「紅山文化」の遺跡からは、龍をかたどった中国最古の遺物が出土している。龍の起源も謎に包まれている。古代に絶滅した爬虫類の記憶から龍が生まれたという説、原始時代の諸部族のトーテムを融合して龍がデザインされたという説、河川の水系の象徴という説、竜巻という自然現象を幻獣化したという説、等々。
龍は、東洋の伝統的な「天地人」の三才の自然観とも結びついた。老子や諸葛孔明は龍になぞらえられ、皇帝は「五爪の龍」を独占した。現代の中国人も龍を中華民族の象徴として特別視している。
 本講座では、龍にまつわる歴史的な文献や故事成語、芸術作品などを、スライド等を使って紹介しつつ、龍の背後にある東洋人の伝統的な自然哲学について解説する。(講師記)

★「龍」と「竜」★
 「龍」と「竜」は発音も意味も同じ「異体字」の関係にある。「龍」は横から見た姿、「竜」は上から見下ろしたときの姿を写した文字、という字源説もある。「竜」を「古字」や「略字」と見なす説もある。
 現代の日本では、「竜」は「新字」で常用漢字、「龍」は「旧字」で人名用漢字とされている。日本では「龍」と「竜」の書き分けにこだわる人も多い。昔、作家の芥川龍之介は、宛名に「竜之介」と書かれた手紙が届くと読まずに捨てた、という逸話がある。また作家の司馬遼太郎は、坂本龍馬を主人公とした歴史小説を書いたとき、自作がフィクションであることを強調するためタイトルを『竜馬がゆく』とした。
 本講座では、特に必要がない限り「龍」を用いる。

★辞書的な説明★
〇前漢の許慎の『説文解字』
 今から約2100年以上前の「字書」の説明。
龍、鱗蟲之長。能幽,能明,能細,能巨,能短,能長。春分而登天,秋分而潛淵。
 龍はウロコをもつ動物の長である。その姿は見えなかったり見えたり、細小だったり巨大だったり、短かったり長かったり、変幻自在である。春分に天にのぼり、秋分に水の深みにこそむ。
〇「デジタル大辞泉」より引用(2017-4-24閲覧) 現代日本の説明の一例。
たつ【竜】 「りゅう(竜)」に同じ。
りゅう【竜】
1 想像上の動物。体は大きな蛇に似て、4本の足、2本の角、耳、ひげをもち、全身鱗(うろこ)に覆われている。多く水中にすみ、天に昇り雲を起こして雨を降らすという。中国では、鳳(ほう)・亀(き)・麟(りん)とともに四瑞(しずい)として尊ばれる。竜神や竜王はこれを神格化したもの。たつ。 2 「ドラゴン」に同じ。3 将棋で、飛車が成ったもの。成り飛車。竜王。4 紋所の名。1を図案化したもの。5 名詞の上に付いて、複合語をつくる。
【ア】天子、または天子に関する物事の上に付けていう。「竜顔」「竜車」
【イ】特に、すぐれている、りっぱであるなどの意を表す。「竜馬(め)」「竜姿」
りゅう【竜〔龍〕】[漢字項目]
[常用漢字] [音]リュウ(呉) リョウ(漢) [訓]たつ
〈リュウ〉1 想像上の動物。たつ。「竜王・竜宮・竜頭蛇尾/天竜・登竜門」2 すぐれた人物。英雄。「竜象・竜攘虎搏(りゅうじょうこはく)/独眼竜」3 天子に関する物事に冠する語。「竜顔」4 恐竜のこと。「剣竜・翼竜・雷竜」
〈リョウ〉1 の1・2に同じ。「竜頭鷁首(りょうとうげきしゅ)/臥竜(がりょう)・亢竜(こうりょう)・潜竜・屠竜(とりょう)・白竜・飛竜・画竜点睛(がりょうてんせい)」2 の3に同じ。「竜駕(りょうが)」

★中国人にとって龍は中国文明の象徴であり別格の存在である★
(http://forbesjapan.com/articles/detail/14727/1/1/1 2017-4-23閲覧 引用開始)
「2016/12/29 12:30中国の若者が激怒した「ヴィクトリアズ・シークレット」の失態」
ヴィクトリアズ・シークレットは先日、パリで開かれたファッションショーで、中国人消費者を引き付けるために、ドラゴンをテーマにした下着を披露した。スーパーモデルのエルザ・ホスクは体にドラゴンを巻き付けて登場。アドリアナ・リマはドラゴンが刺繍されたスチレット・ブーツを身に着けた。
 しかし、中国人の若者の目にこの趣向は低俗で不格好なものと映ったようだ。中国のミニブログ微博には「本当に醜い」、「中国の文化を分かっていない」などと辛辣なコメントが並んだ。
 コスモポリタンのライフスタイル編集者のヘリン・ユングは、ショーを“人種差別的”とすら表現した。彼女は、「ヴィクトリアズ・シークレットはドラゴンをモデルに巻き付ければ、中国の若い消費者とつながれると思ったようだ。とんでもない見当違いだ」と批判した。(中略)中国文化においてドラゴンは、皇帝の威厳を象徴している。皇帝が着る服は龍袍(ドラゴンローブ)、皇帝の玉座は龍椅(ドラゴンチェア)と呼ばれ、皇帝の体は龍体(ドラゴンボディ)と呼ばれる。中国人は自身を龍の子孫と考えている。(中略)つまり龍は神聖なシンボルで、崇拝の対象だ。セクシーなモデルの下着姿にドラゴンを合わせることは、不愉快で不適切だ。(引用終了)
参考 侯徳健の歌「龍の伝人」(龍的傳人)  https://youtu.be/L8kLPuBSruc

★龍の起源★
(1)絶滅動物説
 古代の黄河流域に生息していたワニ(絶滅種)が「龍」のモデルになったという説。青木良輔『ワニと龍―恐竜になれなかった動物の話』などを参照。
(2)トーテム融合説
 古代中国の各部族のトーテムを融合して「龍」が誕生したという説。「龍」は農耕民族的・老子的・道教的・融和的な性格、「鳳」(鳳凰)は狩猟民族的・孔子的・儒教的・排他的な性格の象徴とされる。聞一多「伏羲考」「龍鳳」、陳舜臣『龍鳳のくに 中国王朝興亡の源流をたどる』などを参照。
(3)竜巻(たつまき)説
 竜巻(中国語では「龙卷风(龍巻風)」)や虹などの自然現象がもとになったという説。

★龍の簡単な歴史★
〇先史時代(有史以前)
 中国北部の紅山文化(紀元前4700年ごろ〜前2900年ごろ)の遺跡から、いわゆる「玉龍」が出土。
仰韶文化の西水坡遺跡(中国河南省濮陽市)では、約6400年前の墓に死者の左右に貝殻を敷き詰めて竜と虎の形にしたレリーフ、いわゆる「中華第一龍」が出土。
まだ文字が無かった時代なので、これらが後世の「龍」と同じものかは確証はない。
〇夏王朝
 伝説の域を出ないが、司馬遷の『史記』は夏王朝の時代に「豢龍氏」(かんりょうし)という「龍の飼育の世襲のプロ」がいたことを記録している。
帝孔甲立,好方鬼神,事淫亂。夏后氏コ衰,諸侯畔之。天降龍二,有雌雄,孔甲不能食,未得豢龍氏。陶唐既衰,其后有劉累,學擾龍于豢龍氏,以事孔甲。孔甲賜之姓曰御龍氏,受豕韋之後。龍一雌死,以食夏后。夏后使求,懼而遷去。(『史記』夏本紀)
夏の第14代の君主であった孔甲はオカルトを好んだ暴君だった。諸侯は夏王朝から離れた。彼の時代、天からオスとメスのペアの龍がくだってきたが、あいにく豢龍氏(かんりょうし。龍の飼育の世襲のプロ)がいなかったため、飼育できなかった。夏王朝の衰えの一例である。劉累という者が龍の飼育の技術を学んで孔甲に仕えたが、龍のメスのほうが死んでしまった。劉累は、死んだ龍の肉を孔甲に献上した。孔甲はさらに龍の肉を求めたので、劉累は怖くなって逃げた、と言う。
『史記』周本紀によれば、夏王朝の時代にあらわれた龍が吐いた「泡」は、殷王朝と周王朝に伝えられたが、周の時代にこの泡から傾国の美女・褒姒が生まれたという。この伝説は、井上靖の短編小説「褒姒の笑い」でも紹介されている。
〇殷周期 …殷王朝(商王朝)と西周
 甲骨文字や金文に「龍」や「竜」の原字が確認できる。「竜」が古字で「龍」が繁字(わざと筆画を増やして荘重に見えるように再デザインした文字)という説、「龍」はこの伝説の動物を横から見た姿で「竜」は上から見下ろした姿という説、など、諸説がある。
〇春秋・戦国・秦漢 …いわゆる「漢文」の故事成語の宝庫となった時代
 龍にまつわる故事成語が多数生まれ、後世のイメージが確定する。
・それなお龍のごときか
 司馬遷の『史記』老子・韓非列伝は、孔子が老子に面会して「礼」についての教えを乞うたあと、「私は今日、老子と会ったが、まるで龍のようであった」と慨嘆した、とある。ただし、この「孔老二聖の会見」の説話は史実ではない可能性が高い。
孔子適周,將問禮於老子。老子曰「子所言者,其人與骨皆已朽矣,獨其言在耳。且君子得其時則駕,不得其時則蓬累而行。吾聞之,良賈深藏若虚,君子盛コ容貌若愚。去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是皆無益於子之身。吾所以告子,若是而已」。孔子去,謂弟子曰「鳥,吾知其能飛。魚,吾知其能游。獸,吾知其能走。走者可以為罔,游者可以為綸,飛者可以為矰。至於龍,吾不能知其乘風雲而上天。吾今日見老子,其猶龍邪!」
・屠龍(とりゅう)
『荘子』雑篇・列御寇「朱泙漫學屠龍於支離益,單千金之家,三年技成,而無所用其巧。」
 朱泙漫という人物は、莫大な財産と三年の歳月を使って、「龍殺し」の秘術を支離益から学んだが、結局、使い道がなかった。
・逆鱗(げきりん)
『韓非子』に逆鱗の比喩が出てくる。
夫龍之為蟲也、柔可狎而騎也。然其喉下有逆鱗径尺。若人有嬰之者、則必殺人。人主亦有逆鱗。説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
本来、龍という動物はおとなしい性格で、飼いならせば騎乗もできる。だが、龍のノドもとには一尺ほどの長さの、逆にはえたウロコがある。もし人がこれに触れると、龍は必ずその人を殺す。君主にも逆鱗がある。君主に意見具申する人が、君主の逆鱗に触れずに済めば、説得は成功に近いと評価できる。 ・葉公(しょうこう/ようこう)龍を好む
前漢の劉向の『新序』に「葉君の龍好き」の故事が出てくる。
子張見魯哀公,七日而哀公不禮,託僕夫而去曰「臣聞君好士,故不遠千里之外,犯霜露,冒塵垢,百舍重趼,不敢休息以見君,七日而君不禮,君之好士也,有似葉公子高之好龍也,葉公子高好龍,鉤以寫龍,鑿以寫龍,屋室雕文以寫龍,於是夫龍聞而下之,窺頭於牖,拖尾於堂,葉公見之,棄而還走,失其魂魄,五色無主,是葉公非好龍也,好夫似龍而非龍者也。今臣聞君好士,不遠千里之外以見君,七日不禮,君非好士也,好夫似士而非士者也。『詩』曰『中心藏之,何日忘之。』敢託而去。」
昔、葉公は龍の姿を好み、家具調度品や身の回りの品を、龍の模様で埋め尽くした。その噂を本物の龍が聞きつけ、葉公のやしきを訪れた。葉公は本物の龍の巨大な姿を見ると肝をつぶし、逃げ出した。葉公が好んでいたのは、あくまでも龍のイミテーションにすぎなかった。これは説話だが、現実の世界でも、「自分は人材を好む」と言う田舎政治家は、大半は葉公と同じだ。世論を気にして人材登用のポーズをとる政治家は多いが、本物の逸材を受け入れて使いこなせる政治家は、ほとんどいない。
・龍顔
 前漢の司馬遷の『史記』高祖本紀によると、漢の初代皇帝となった劉邦の母親は、「蛟龍」の精気に感じて劉邦を妊娠した。そうして生まれた劉邦は「龍顔」だった、と伝えられる。後世、「龍顔」は、劉邦に限らず天子の顔を指す敬語としても使われる。
高祖,沛豐邑中陽裏人,姓劉氏,字季。父曰太公,母曰劉媼。其先劉媼嘗息大澤之陂,夢與神遇。是時雷電晦冥,太公往視,則見蛟龍於其上。已而有身,遂産高祖。高祖為人,隆準而龍顏,美須髯,左股有七十二K子。

★龍の姿★
龍の「蛇に似た細長い体」という点は変わらないが、手足や角、姿勢、プロポーションなどについては時代や地域ごとに差異がある。
龍の姿については、五代・南唐の画人であった董羽の「画龍輯議」(明の唐伯虎 『六如居士画譜』に引く)に載せる「三停九似」説が有名である。三停は龍のプロポーションについて「自首至項、自項至腹、自腹至尾、三停也」と説く。九似は龍のパーツについて「頭似牛、嘴似驢、眼似蝦、角似鹿、耳似象、鱗似魚、鬚似人、腹似蛇、足似鳳」とする。ただし、この九似についても、時代によって様々な説がある。

★龍の爪の数★
・古代の龍の描きかたは比較的自由だった。
・北宋の時代、皇帝権力の強化とともに、皇帝の象徴たる龍の紋様を民間人が用いることを禁じた。その後、「昇り龍」や「二角五爪の龍」は皇帝以外の使用が禁じられるなど、時代がくだるにつれて規制が厳しくなった。
・民間人は三爪以下の「龍に似た動物」の絵図を使うことが許された。中国の皇帝から冊封(さくほう)を受けた外国、例えば朝鮮では国王は「四爪の龍」を使い、中国の皇帝より格下であることを示さねばならなかった。
・明の時代、高級官員の服として「蟒衣」(ぼうい)が制定された。「蟒」は四本の爪をもつ「龍に似た動物」であった。現在でも京劇では舞台衣装として「蟒衣」を用いる。
・俗説では「中国の王朝から冊封を受けていた琉球国の王は四本爪の龍しか使えず、『化外の地』だった日本は三本爪の龍しか使えなかった」とも言うが、これは史実ではない。
・琉球国王は、中国からの冊封を受けつつ、ちゃっかり中国の皇帝と対等の「五爪の龍」の紋様を使ったり、明王朝の滅亡後は明の皇帝の冠より高いランクを示す数の宝玉をちりばめた冠を着用するなど、「島国」の特権をしたたかに活用した。
・日本は、中国の歴代王朝から冊封を受けていなかったので、龍の図像を自由に使えた。そのため、昔の日本の絵図の龍の爪の数は五本、四本、三本など、一定していなかった。
参考 宮崎市定「龍の爪は何本か」(『中国文明論集』)、他

★龍の種類★
 龍には多数の種類があるとされるが、その分類は、時代や文献によって違う。
南朝の梁の任ム『述異記』に「水虺五百年化為蛟、蛟千年化為龍、龍五百年為角龍、千年為応龍」云々とある。「水虺」は五百年たつと「蛟」(みずち)になり、蛟は千年たつと普通の「龍」になり、龍は五百年たつと「角龍」に、千年たつと「応龍」にランクアップする。
滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の最初のほうに、龍の種類を数十種類もあげて、それぞれを説明して延々と蘊蓄を垂れるくだりがある。
(引用開始)夫(それ)龍(たつ)は神物(かみつもの)也。変化(へんくわ)固(もと)より彊(きわまり)なし。古人(いにしへのひと)いへることあり。龍(たつ)は立夏(りつか)の節(せつ)を俟(まち)て、分界(ぶんかい)して雨(あめ)を行(やる)。これを名(なづ)けて分龍(ぶんりう)といふ。今(いま)は則(すなはち)その時(とき)也。夫(それ)龍(たつ)の霊(れい)たるや、昭々(せう/\)として邇(ちか)く顕(あらは)れ、隱々(いん/\)として深(ふか)く潜(ひそ)む。龍(たつ)は誠(まこと)に鱗虫(うろくず)の長(おさ)也。かゝる故(ゆゑ)に、周公(しうこう)易(ゑき)を繋(つな)ぐとき、龍(たつ)を聖人(せいじん)に比(たくらべ)たり。(中略)龍(たつ)は尤(すぐれて)種類(しゆるい)夛(おほ)し。飛龍(ひりやう)あり、應龍(おうりう)あり、蛟龍(こうりう▼○ミツチ)あり、先龍(せんりう)あり、黄龍(くわうりやう)あり、青龍(せいりやう)あり、赤龍(しやくりう)あり、白龍(はくりう)あり、元龍(げんりやう)あり、黒龍(こくりやう)あり。白龍(はくりう)物(もの)を吐(はく)ときは、地(ち)に入(いり)て金(こかね)となり、紫龍(しりう)涎(よだれ)を垂(た)るゝときは、その色(いろ)透(とほり)て玉(たま)の如(ごと)し。(以下、略)
自己引用終了

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