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【ポイント】
 「芸術的なもの」の本質は「遊び心」asobi gokoro である。
 「遊び」は、昔は宗教と深く結びついていた。日本の「芸術的なもの」は、神道(Shintoism)や仏教(Buddhism)の「遊び」観と関係が深い。
 現代日本の「芸術的なもの」を考えるためには、日本的な「遊び」や中国的な「游(遊。ゆう)」、韓国的・朝鮮的な「놀이」(ノリ)、そして西洋的な“play”の本質を理解しておくことが必要である。
 参考 コトバンク「遊び」 https://kotobank.jp/word/遊び-25727
 岡本太郎(おかもと たろう 1911-1996)の言葉「真剣に、命がけで遊べ」 cf.NHK 岡本太郎式特撮活劇(5)「真剣に、命がけで遊べ」初回放送日: 2022年7月23日

  • 子曰「志於道、據於徳、依於仁、於藝。」(術而篇)
    子(し)曰(いわ)く「道に志し、徳に拠(よ)り、仁に依り、芸に游ぶ」と。
    ジェームズ・レッグ(James Legge, 1815-1897)による英語訳:The Master said, "Let the will be set on the path of duty. Let every attainment in what is good be firmly grasped. Let perfect virtue be accorded with. Let relaxation and enjoyment be found in the polite arts."
  • 子曰「父母在、不遠必有方。」(里仁篇)
    子曰く「父母在(いま)せば、遠く遊ばす。遊ぶこと必ず方(ほう)あり」と。
    同上:The Master said, "While his parents are alive, the son may not go abroad to a distance. If he does go abroad, he must have a fixed place to which he goes."
     日本の常用漢字は「遊」が正字で、「游」は異体字扱いだが、中国では逆で「游」が正字。
     よちよち歩きができるようになった幼児が、赤ちゃんだったころと違って自由に動けることが楽しくてあちこち動き回る様子、が漢字「遊」の本質的なイメージ。
    学研の漢和辞典『漢字源 改訂第六版』(ISBN 978-4-05-304619-2)の遊(辵部9画)の解説より引用。改行や原書の符合は改めてある。
    (前略)
    【コア】あっちこっちに動いて一所にじっとしない
    【初義】楽しみを求めて外に出ていく
    【語源】遊は悠・揺と同源。これらは「ゆらゆらとゆれ動く」というイメージがある。
     このイメージは「同じ所にとどまらず、じっとしない」「定位置にいないであっちこっちに動く」というイメージに展開。
     何かの目的で、場所を定めずに、あっちこっちに動き回っていくことを遊という。
     「定位置にいないで、あっちこっちに動く」というコアイメージから、
      楽しみを求めて外に出ていく(あそぶ)意味(遊覧)、
      住まいを離れてよその土地に行く意味(遊学)、
      定職につかずぶらぶらする意味(遊民)、
      行ったり来たりして付き合う意味(交遊)、
      定位置につかずあっちこっちに移動する意味(遊牧)、
      水上に浮かんであっちこっちに動く意味(遊泳)、
     に展開。
    【字源】遊=斿(ユウ−ゆらゆらする▶斿5552)[音・イメージ記号]+辵(行く)[限定記号]<形声>。
     子はよちよち歩きの子で、あちこち動いてじっとしないというイメージがある。
    斿は「子(こ)[イメージ記号]+㫃(はた)[限定記号]」<会意>で、ゆらゆら揺れる旗の吹き流しを示す。  この意匠によって、「定位置にじっとしない」「あっちこっちに所定めず動く」というイメージを示す記号になる。
     遊は決まった場所にいないであっちこっちに動いて行く情景。
     ▷遊は游の古文の字体。
    【同源語】遊・游・
    【単語家族】遊・悠・揺・・遙・猶
    (以下略)
     人間はみな「有限の肉体」「日常のしがらみ」「自分自身のこだわり」に縛られている。
     「自分」という牢獄のなかに閉じ込められている「本当の自分」を、一時的に遊離させるのが「遊」の本質。
    cf.[
    distance 距離] [away from popularity 離俗]
     参考 テレイグジスタンス(telexistence。遠隔臨場感、遠隔存在感)、アバターロボット(avater robot。分身ロボット 参考 http://www.isc.meiji.ac.jp/~kokunichi/gjsforme/personal/09.html)

     参考 https://ja.wiktionary.org/wiki/遊

    ★漢語「遊子(ゆうし/유자/yóuzǐ)」の意味
    島崎藤村(しまざき・とうそん 1872-1943)の詩「千曲川旅情の歌」に「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/(以下略)」
    李白(701-762)の漢詩「送友人」に「浮雲遊子意、落日故人心」
    金昌翕(きん・しょうきゅう 김창흡 Kim Changheup 1653-1722)の漢詩「訪俗離山(방속리산)」に「江南遊子不知還(강남유자부지환) 」。俗離山(ソンニサン Songnisan)は韓国にある山の名前。

    こちら)

    仏教と「遊」 ★仏教用語「遊戯三昧」yuge zammai  유희삼매  “游戏三昧 ”yóuxì sānmèi
    google日本語版「
    yuge zammai 検索結果
     「遊戯」の意味は時代や国によって変わる。現代中国語の“游戏”にはゲームの意味がある。
     参考 臨済宗 黄檗宗 公式サイト「法話 遊び」http://rinnou.net/cont_04/myoshin/2009-12a.html
     cf.1997年のイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(原題 La vita è bella 英語 英題:Life Is Beautiful 韓国語「인생은 아름다워」 中国語「美麗人生」) ネタバレ有紹介 https://youtu.be/8sLoiE2iYpI
     そんな頃、たまたま読んでいた本で知ったのが「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅の言葉。好きなことであっても、そこには楽しいこともつらいこともある。だからやることそのものを楽しめ、という教えです。挫折からはい上がってたどり着いた自分の境地そのものだった。以来、「遊戯三昧」は私の座右の銘にもなりました。
     「テニス杉山愛 挫折後にたどり着いた「遊戯三昧」の境地」2020.07.22
    ★「乃至童子戯」(ないしどうじげ/ないしどうしけ) “And even children in play”
     cf.「大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは / 四、五才くらいの子どもだよ。」(岡本太郎『壁を破る言葉』イースト・プレス、2005)
     「乃至童子戯」は、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』方便品第二にあるパワーワード(power word)である。 cf.「
    加藤徹のサイト内の「乃至童子戯」」も参照のこと
     『妙法蓮華経』略称『法華経』(ほけきょう)は、聖徳太子(しょうとくたいし 574-622)が『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)で『法華経』『勝鬘経』『維摩経』を取り上げて以来、日本文化の精神的支柱の一つとなってきた。
     江戸時代の両点本『妙法蓮華経』の画像
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wood-Block_Print_of_The_Lotus_of_the_True_Law,_Chapter_II_Skilfulness_妙法蓮華経_方便品第二_妙音成仏.jpg
     或有起石廟 栴檀及沈水 木樒竝余材 甎瓦泥土等
     若於曠野中 積土成仏廟
     乃至童子戯 聚沙為仏塔 如是諸人等 皆已成仏道
    (中略)
     乃至童子戯 若艸木及筆 或以指爪甲 而画作仏像
     如是諸人等 漸漸積功徳 具足大悲心 皆已成仏道
     或は石廟を起て 栴檀及び沈水 木樒竝に余の材 甎瓦泥土等をもってするあり
     若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し
     乃至童子の戲に 沙を聚めて仏塔と為る 是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
    (中略)
     乃至童子の戲に 若しくは艸(草)木及び筆 或は指の爪甲を以て 画きて仏像を作(な)す
     是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み 大悲心を具足して 皆已に仏道を成じき
    Those who made rock stupas,
    Stupas out of sandal, aloe, deodar, and other woods,
    As well as brick, tile, mud, and other materials;
    All those who made buddha stupas
    Out of piles of earth in desolate places;
    And even children in play
    Who made buddha stupas out of heaps of sand―
    All such people have certainly attained
    The path of the buddhas
    *snip*
    This even includes children in play
    Who have drawn a buddha image
    With a blade of grass or a twig,
    Brush or fingernail.
    Such people, having gradually accumulated merit
    And perfected great compassion,
    Have certainly attained the path of the buddhas.
    ※https://www.bdk.or.jp/document/dgtl-dl/dBET_T0262_LotusSutra_2007.pdf pp.38-39
    参考 コトバンク https://kotobank.jp/word/聚沙為仏塔-2049146

    ★「遊びをせんとや生まれけん」
     後白河法皇 monk‐emperor Go-Shirakawa が1180年前後にまとめた書物『梁塵秘抄』Ryōjin Hishō  (Songs to Make the Dust Dance on the Beams) に載せる今様 imayō
    遊びをせんとや生れけむ
    戯れせんとや生れけん
    遊ぶ子供の声きけば
    我が身さへこそ動がるれ
    asobi wo se n to ya umare kem, tawabure se n to ya umere ken,
    asobu kodomo no koe kike ba, wa ga mi sae koso yuruga rure
    直訳 遊びをしようと生まれたのであろうか 戯れをしようと生まれたのだろうか 遊ぶ子供の声を聞くと 私の体までもが自然と揺れ動く

    ピーター ジェイ マクミラン氏(Peter J. MacMillan)による英訳
     Were humans born to play
     Born to have fun
     When I hear the cries
     of children playing,
     my body starts to move too
    参考
     https://www.youtube.com/results?search_query=遊びをせんとや生れけむ
     鈴木 一男「梁塵秘抄の歌一首とその作者推論」(『奈良教育大学国文 : 研究と教育』pp.6-8, 1979-03-30)
     『梁塵秘抄』「遊びをせんとや生まれけむ」の解釈と英訳 https://tankanokoto.com/2020/01/ryoujin-eigo.html

    「遊び」asobiという日本語について

    ★「遊び」は神様と関係があった。
     
    https://kotobank.jp/word/遊び-25727より引用。引用開始。
    遊び あそび
     日本の芸能音楽用語。古くは「神遊び」などという言葉が示すように,神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事やそれに付随する芸能全体をさしていたと考えられる。 その後平安時代にはやや限定的に楽舞を演じて楽しむことを意味し,「御遊 (ぎょゆう) 」ともいわれた。当時の宮廷社会には,定められた年中行事や儀式とは別に,「あそび」と称する響宴があり,そのありさまは『源氏物語』や『栄華物語』などの平安文学に叙述されている。 なお,最も狭義には管絃の合奏をさす。
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

      「遊び」の語源は不明だが「総じて,「遊び」という言葉は,「動き」や「何かから離れる」という意味合いを共通して持っているといえるだろう。」
     出典  皆本麻実「「遊び」をめぐる一試論 --民族・社会・宗教との関連から--」 京都大学大学院教育学研究科紀要 (2018), 64: 153-163, 2018-03-30)

    ★古語「遊び」の意味
      神遊び kami asobi 神楽 kagura のこと。
      山や野原に出て楽しむこと。
      詩歌 shiika 管弦 kangen 舞 mai などの遊び。←平安時代の文学ではコレ
      娯楽 goraku のこと。←現代人はコレ
      遊女 asobime / yuujo のこと。
     参考 https://kobun.weblio.jp/content/あそび

    ★天岩戸(あまのいわと / Amano-Iwato / 아마노이와토)
     https://ja.wikipedia.org/wiki/天岩戸
     https://en.wikipedia.org/wiki/Amano-Iwato
     https://zh.wikipedia.org/wiki/天岩戶

    日本の「遊び」の原点は、天岩戸神話 Japanese mythology Ama-no-Iwato (heavenly rock cave)である。
    『古事記』(こじき)に出てくる天岩戸神話の現代語訳は、
    などでも読むことができる。
    以下、芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892-1927)の短編小説「神神の微笑」より引用。
    16世紀に来日した宣教師が、日本太古の天岩戸の幻想(ヴィジョン)を見るくだり。
    参考 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card68.html
     日本の Bacchanalia(注1) は、呆気(あっけ)にとられたオルガンティノ(注2)の前へ、蜃気楼(しんきろう)のように漂って来た。 彼は赤い篝(かがり)の火影(ほかげ)に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交かわしながら、車座(くるまざ)をつくっているのを見た。 そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした体格の女(注3)が一人、大きな桶(おけ)を伏せた上に、踊り狂っているのを見た。 桶の後ろには小山のように、これもまた逞(たくま)しい男(注4)が一人、根こぎにしたらしい榊(さかき)の枝に、玉だの鏡だのが下さがったのを、悠然と押し立てているのを見た。 彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根(おばね)や鶏冠(とさか)をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。 そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のように、彼の眼を疑わずにはいられなかった。 ――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋(いわや)の戸らしい一枚岩が、どっしりと聳(そび)えているのだった。
     桶の上にのった女は、いつまでも踊をやめなかった。彼女の髪を巻いた蔓(つる)は、ひらひらと空に翻(ひる)がえった。 彼女の頸(くび)に垂れた玉は、何度も霰(あられ)のように響き合った。彼女の手にとった小笹の枝は、縦横に風を打ちまわった。 しかもその露(あら)わにした胸! 赤い篝火かがりびの光の中に、艶々(つやつや)と浮(うか)び出た二つの乳房(ちぶさ)は、ほとんどオルガンティノの眼には、情欲そのものとしか思われなかった。 彼は泥烏須(デウス)を念じながら、一心に顔をそむけようとした。が、やはり彼の体は、どう云う神秘な呪のろいの力か、身動きさえ楽には出来なかった。
     その内に突然沈黙が、幻の男女たちの上へ降った。桶の上に乗った女も、もう一度正気(しょうき)に返ったように、やっと狂わしい踊をやめた。 いや、鳴き競っていた鶏さえ、この瞬間は頸を伸ばしたまま、一度にひっそりとなってしまった。するとその沈黙の中に、永久に美しい女(注5)の声が、どこからか厳(おごそ)かに伝わって来た。
    「私(わたし)がここに隠(こも)っていれば、世界は暗闇になった筈ではないか? それを神々は楽しそうに、笑い興じていると見える。」
     その声が夜空に消えた時、桶の上にのった女は、ちらりと一同を見渡しながら、意外なほどしとやかに返事をした。
    「それはあなたにも立ち勝まさった、新しい神がおられますから、喜び合っておるのでございます。」
    (注1) Bacchanaliaは「バッカス祭」つまり酒神バッカスをまつる乱痴気(らんちき)騒ぎ。
    (注2)オルガンティノ(Gnecchi-Soldo Organtino 1533-1609)はイエズス会の宣教師。
    (注3)俳優の元祖とされる女神、アメノウズメノミコト(天鈿女命)。
    (注4)フトダマノミコト(布刀玉命)。
    (注5)アマテラスオオミカミ(天照大神)。
    参考 YouTube「神のまにまに - れるりりfeat.ミク&リン&GUMI / At God's Mercy - rerulili feat.Vocaloids」(https://youtu.be/b2GJcYBoVyg)
    https://www.youtube.com/results?search_query=LiSA+live+紅蓮華

    ★RPG ロールプレイングゲーム  role-playing game  韓国語“롤플레잉 게임” 中国語“角色扮演游戏”
    < 術語「役割理論」やくわりりろん 英語 role theory 中国語“角色理论” 韓国語“역할이론”
     cf.日本語の「役割語」やくわりご
    読売新聞 2018/09/10 掲載
    『禅とジブリ』 鈴木敏夫著 淡交社 1600円
    人生という道楽  評・加藤徹(中国文化学者・明治大教授)

     「道楽」は「仏道を歩むことを楽しむ」という仏教用語だ。世間では、生産的な仕事と無関係の遊び、という意味で使う。良寛の書や白隠の禅画は、両者の意味の区別を越えた道楽だ。スタジオジブリのアニメ映画のほぼ全作をプロデュースし『仕事道楽』という著書もある鈴木敏夫氏(1948年生まれ)が、3人の禅僧と丁々発止の対談をする本書も、上乗(じょうじょう)の道楽だ。
     1979年生まれの細川晋輔和尚は、一般向けの仏教本を多数上梓(じょうし)し、102歳で亡くなった松原泰道の孫。修行中に雲水衣でジブリ作品『千と千尋の神隠し』を見に行ったほどのアニメ好きだ。東日本大震災のとき、細川和尚は被災者から「死んだらあの人に会えますか」と訊きかれた。「会える」とは簡単に答えられない。細川和尚の答えは、禅の開祖・達磨だるまや、ジブリの『もののけ姫』の主人公の言葉と同じだった。それは本書を読んでのお楽しみである。
     64年生まれの横田南嶺老師は、ジブリやアニメは好きではない、昔話ばかりする坊さんの集まりは大嫌い、と言う痛快な高僧だが、人生の苦しみや死など、ジブリ作品のテーマと仏教の共通点を、やさしく説き明かす。
     56年生まれで芥川賞作家でもある玄侑宗久和尚は、現代の世界に広まった禅はインドでも中国でもなく日本の禅であること、その理由はジブリ作品のある特徴と共通することを指摘する。ビートルズや植木等の歌にも言及する。
     鈴木氏は、有名・無名の老若男女の生きかたも、積極的に話題にする。92歳まで生きた母親、若死にした妹。ずっと仕事をしてきた「宮さん」(宮崎駿氏。41年生まれ)の変人ぶり。80歳まで生きた身内がほとんどいない宮さんの覚悟。鈴木氏の口吻(こうふん)を通じ、私たち読者の現在や未来の分身も対談に参加しているような臨場感がある。禅やアニメの予備知識がなくても、すらすらと読める。人生という道楽について、あらためて考えさせられた。
     ◇すずき・としお=愛知県生まれ。1978年から雑誌編集のかたわら宮崎駿、高畑勲監督のアニメ作品を制作。


    playの本質
    YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lbw3NxqkaBab00OVRp9nFB
    cf.アニメ「ワンピース」第380話「ビンクスの酒 過去と現在とをつなぐ唄」One Piece ep 380 (Episode 380)
     重層的なplay
    =遊び/楽器を演奏/死んだ仲間たちの記憶と音声を再生/アニメの芝居を演ずる
     ブルックのセリフ「どうせ死ぬなら、楽しいほうがいい」 動画・音声・記憶のplay(再生)と、rebirth(再生)、reconstruction(再構成)
    内部リンク[演劇と科学・ビンクスの酒(セリフ、歌詞、他)] 外部リンク[Google"One Piece 380"検索結果]
    遠藤周作『万華鏡』(朝日新聞社、1993)「人生の再構成」p.156
     敬愛するわがデーケン神父さんはある時、こんな人生再構成の話をしてくださった。癌で死を前にした一人の母親が、子供たちのために、彼女にとって生涯の思い出だった色々な歌をテープに吹き込み、そして死んでいったという。
     そのテープによって子供たちは母が自分たちのために歌ってくれた幼い頃の童謡、家族のみんなで歌った色々な歌、そして母の好きだった歌をそのままの肉声できくことができた。
     何という美しい、素晴らしい人生の再構成であろう。何という愛情のこもった形見だろう。
     私自身も亡母と亡兄の声のこもったテープを持っている。亡母は今の芸大(当時の上野音楽学校)の卒業生だったので、彼女の歌ったグレゴリアンの古いレコードが残っていて、そのレコードをテープに再生することで私は忘れがたい母の肉声をまだ聴くことができるのだ。
     たった一人の兄弟だった亡兄の声も彼の対談がテープ化されていたお蔭で一人でそっと耳にする夜がある。
     私の経験では実際の声は遺書や写真よりもずっとあざやかに故人を身近に感じさせる。だから自分の歌声を残してくれた末期癌の母親のやさしい心情を子供たちはどんなに感謝しているであろう。母親はそれによって、自分の人生が何であったかを子供たちに再構成してみせたのだ。

    ★「再生」(rebirth)と「復活」(resurrection,revive)の微妙な違い
     再生は「転生」や「生まれ変わり」など、前とは違う姿形での再生や、アイデンティティーが断絶したうえでの再生も含む。仏教やヒンドゥー教など。
     復活は、原則として前と同じ姿形のままで、自己同一性を保持した状態での再生を指す。天啓教など。

    cf.Elena Desserichが遺した絵手紙。Notes Left Behind(2009) http://www.notesleftbehind.com/
     邦訳『パパ、ママ、あいしてる―エレナが残したメッセージ』(早川書房、2010年)ISBN-13:978-4152091130
    [「エレナ・デッセリッチ」Yahoo!での検索結果]
     人間は、高温気候の影響下では、他の場合よりも怠惰かつ無関心になりがちであるから、本や講演、ラジオなどによる部隊の慰安は、とくに重要である。将兵が自分たちで芝居をやることには、とりわけ価値があり、可能なかぎり推奨すべし。
     ドイツ国防軍陸軍総司令部 (著), 大木 毅 (翻訳)『ドイツ国防軍 砂漠・ステップ戦必携教本』作品社 (2019/1/25)の「第一〇章 熱帯衛生 H.生活態度」p.117 より引用。ISBN-13: 978-4861827334

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