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exile 流浪

Last updated 2019-3-20 Since 2019-3-20

「弱喪」「其の真宅に帰す」
 ★芸術作品において、幼児の童話的・ファンタジー的世界観が、大人の心をもつかむのは、なぜか?
 漢文古典の人生観・世界観。「弱喪者」は、若くして故郷を失った人。「真宅」(本当のホーム)は、命ある者がいつか帰るところ(あの世)。

 『荘子』斉物論「予悪乎知悪死之非弱喪而不知帰者邪」=予れ悪くんぞ、死を悪むことの弱喪して帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。(ワれイズくんぞ、シをニクむことのジャクソウ してカエるをシらざるモノにアラざるをシらんや)。郭象(かくしょう)注「少而失其故居、名為弱喪。夫弱喪者、遂安於所在而不知帰於故郷也」。cf.弱(じゃく)と若(じゃく)、弱冠
 『列子』天瑞「鬼、帰也。帰其真宅也」=鬼は帰なり。其の真宅に帰るなり。(キはキなり。ソのシンタクにカエるなり)。
真宅=本当の家。→ "The Place I'll Return To Someday" (いつか帰るところ)
[YouTube "The Place I'll Return To Someday", listed by KATO Toru]
 「幼児退行」の重要性

『老子』第十章:載營魄抱一、能無離。專氣致柔、能孾兒。滌除玄覽、能無疵。愛民治國、能無爲。天門開闔、能爲雌。明白四達、能無知。生之畜之。生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

『老子』第五十五章:含徳之厚、比於赤子。蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而全作、精之至也。終日號而不嗄、和之至也。知和曰常、知常曰明。益生曰祥、心使氣曰強。物壯則老。謂之不道。不道早已。

『(旧約)聖書』詩篇 131章2節:わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。

『新約聖書』マタイによる福音書18-1
 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。18-2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、18-3言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない(以下略)
 参考 文語訳 http://jcl.ibibles.net/101Matthew.htm#101-18
 参考 『欽定訳聖書』Authorized Version (1611) Matthew 18 1
  At the same time came the disciples unto Jesus, saying, Who is the greatest in the kingdom of heaven? 2 And Jesus called a little child unto him, and set him in the midst of them, 3 And said, Verily I say unto you, Except ye be converted, and become as little children, ye shall not enter into the kingdom of heaven. 4 Whosoever therefore shall humble himself as this little child, the same is greatest in the kingdom of heaven. 5 And whoso shall receive one such little child in my name receiveth me.

遠藤周作『万華鏡』(朝日新聞社,1993)「命のぬくもり」p.96-p.97より引用
 どなたかが書いておられた。
「夜なかに街では街路樹がたがいに連絡しあったり、話しあったりしています」
 それを読んだ日から私は夜ふけの静寂な路(みち)をポケットに手を入れて歩きながら、昼の排気ガスや乾いた地面で痛めつけられた街路樹や邸宅の庭の樹々が話しあっているのを感じた。
 幼年の頃に信じていたこと、動物も樹々も話をするという童話の世界は、少年になって失われ、それが長く続いた。そして老いた今、ふたたびそのように失った世界を私はせつに欲している。なぜだろう。
 シュタイナーという思想家がこう言っていた。人間は青年時代は肉体で世界を捉(とら)え、壮年の時は心と知で世界を捉えるが――老年になると魂で世界をつかまえようとすると。そして私もその三番目の魂の年齢になったからだ。

『日本書紀』神代下・第九段:然、彼地多有螢火光神及蠅聲邪神、復有草木咸能言語。「くさきことごとくよくものいう」

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