遠藤周作『万華鏡』(朝日新聞社,1993)「命のぬくもり」p.96-p.97より引用 どなたかが書いておられた。 「夜なかに街では街路樹がたがいに連絡しあったり、話しあったりしています」 それを読んだ日から私は夜ふけの静寂な路(みち)をポケットに手を入れて歩きながら、昼の排気ガスや乾いた地面で痛めつけられた街路樹や邸宅の庭の樹々が話しあっているのを感じた。 幼年の頃に信じていたこと、動物も樹々も話をするという童話の世界は、少年になって失われ、それが長く続いた。そして老いた今、ふたたびそのように失った世界を私はせつに欲している。なぜだろう。 シュタイナーという思想家がこう言っていた。人間は青年時代は肉体で世界を捉(とら)え、壮年の時は心と知で世界を捉えるが――老年になると魂で世界をつかまえようとすると。そして私もその三番目の魂の年齢になったからだ。 |