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紗窓(明清楽資料庫)

最新の更新 2017-10-15
[紗窓 1877年]  [紗窓 1893年]  [紗窓(日本語)]  [露月]
[李白「春夜洛城聞笛」字音直読]  [復興節]  [ 「復興節」誕生のいきさつ]

紗窓(さそう)
 清楽の曲目の一つ。タイトルは誤って「砂窓」「沙窓」と書かれることもあるが、正しくは「紗」(しゃ)の「窓」と書く。
清楽指南』(1892)で「新曲之部」に編入されているとおり、清楽曲の中では比較的新しい曲である。
 歌詞は、漢詩の七言絶句をそのまま唐音で歌う。大正期の街頭演歌「復興節」の元歌ともなった。

紗窓の旋律をMIDIで聴く。[簡素伴奏版]  [和音midi(C調)]  [和音midi(D調)]



【参考】「紗窓」のabc譜。 [「紗窓」の旋律を単旋律で試聴する] [abc譜についてはこちら]
T:sasou
M:4/4
L:1/4
K:D
A A F/E/ D|E F/A/ E z|b d' e' b/d'/|a>b a2|
F F A F/E/|D/A/ F/A/ E2|b d' e' b/d'/|a>b a2|
B2 B2|B d B/A/ F/A/|B d/B/ A2|D F E B,|D F E B/d/|A>B A2|


月琴楽譜』1877年より。 [和音midi(C調)] 
月琴楽譜,唐音,唐詩 李白「春夜洛城聞笛」
  春夜 洛城に笛を聞く
誰家玉笛暗飛声  誰が家の玉笛か 暗に声を飛ばす
散入春風満洛城  散じて春風に入りて 洛城に満つ
此夜曲中聞折柳  此の夜 曲中 折柳を聞く
何人不起故園情  何人か故園の情を起こさざらん

字音直読・華音直読については[こちらを参照]
月琴楽譜,唐音,唐詩 杜審言「戯贈趙使君美人」
  戯れに趙使君の美人に贈る
紅粉青娥映楚雲  紅粉青娥 楚雲に映ず
桃花馬上石榴裙  桃花の馬上 石榴の裙
羅敷独向東方去  羅敷 独り東方に向かいて去る
謾学他家作使君  謾に他家を学びて使君と作(な)らん

李白「聞王昌齢左遷龍標遥有此寄」
  王昌齢の龍標へ左遷せらるるを聞き遥かに此の寄有り
楊花落尽子規啼  楊花 落ち尽くして 子規 啼(な)く
聞道龍標過五渓  聞道(きくなら)く 龍標 五渓を過ぐと
我寄愁心与明月  我 愁心を寄せて明月に与う
随風直到夜郎西  風に随って直ちに到れ 夜郎の西
月琴楽譜,唐音,唐詩 李白「客中行」
蘭陵美酒鬱金香  蘭陵の美酒 鬱金香
玉碗盛来琥珀光  玉碗盛り来る 琥珀の光
但使主人能酔客  但だ主人をして能く客を酔わしめば
不知何処是他郷  知らず何(いず)れの処(ところ)か是れ他郷

張仲素「秋閨思」
碧窓斜日靄深暉  碧窓の斜日 深暉 靄たり
愁聴寒螿涙湿衣  愁いて寒螿(かんしょう)を聴き 涙 衣を湿(うるお)す
夢裏分明見関塞  夢裏 分明に関塞(かんさい)を見たり
不知何路向金微  知らず 何(いず)れの路(みち)か金微に向かう
月琴楽譜,唐音,唐詩 王勃「蜀中九日」
九月九日望郷台  九月九日 望郷の台
他席他郷送客杯  他席他郷 客を送るの杯
人情已厭南中苦  人情 已に厭う 南中の苦
鴻雁那従北地来  鴻雁 那(なん)ぞ北地より来る

張繼「楓橋夜泊」
月落烏啼霜満天  月落ち 烏啼きて 霜 天に満つ
江楓漁火対愁眠  江楓の漁火  愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺  姑蘇城外 寒山寺
夜半鐘声到客船  夜半の鐘声 客船に到る
月琴楽譜,唐音,唐詩 賈至「送李侍郎赴常州」
   李侍郎の常州に赴くを送る
雪晴雲散北風寒  雪晴れ雲散じ北風寒し
楚水呉山道路難  楚水呉山 道路難し
今日送君須尽酔  今日君を送る 須らく酔いを尽くすべし
明朝相憶路漫漫  明朝 相憶うも 路 漫漫



↓『手風琴速成独習自在』(1893)より。
紗窓(1893)の旋律を[MIDIで聴く]。



工尺譜の最初(左上)の「尺六…」は「六六…」の誤り。
数字譜の音符の長さの表示も、ところどころ間違っている。



紗窓(日本語)
 日本語の歌詞をつけたもの。長崎民謡。
紗窓(日本語)の旋律を[MIDIで聴く]。



春は三月 風頭 金比羅山参りの賑やかさ
野に出て遊ぶ人々も 酒に機嫌で ハタあげる
押すやら 引くやら くれるやら ハタゲンカ
帰りは空びょうたん 家の土産は おこし米

【参考図書】『月琴新譜 長崎明清楽のあゆみ』長崎文献社、平成3年(1991)
【参考HP】 長崎の夜景が最も美しく見える宿矢太樓(mp3で、演奏と、渡瀬ひろ子氏の歌が聴ける)



露月 ろげつ
  旋律(ハ長調)をmidiで聞く [
こちらをクリック]
『清楽曲譜』1893より
同書・十一頁に「露月紗窓ノ曲ヨリ考案シタル者ニテ紗窓ト伴奏スル時ハ大ニ快味ヲ覚ユ。」とある。
MIDIの旋律(2回くりえし)は、一回目は「露月」の旋律だけ、二回目は「露月」に「紗窓」のメロディーを重ねてみた。
露月,明清楽,工尺譜
明清楽,五線譜,紗窓,露月,楽譜,清楽,月琴
ハ長調(C major,1=C)



【参考】李白の七言絶句「春夜洛城聞笛」の字音直読

「誰家玉笛暗飛声」誰が家の玉笛か暗に声を飛ばす
呉音 ずい け ごく じゃく(ぢやく) おん(おむ) ひ しょう(しやう)
漢音 すい か ぎょく てき あん(あむ) ひ せい
唐音 ジュイ キャア ヨ テ アン フイ シン
華音 shui2 jia1 yu4 di2 an4 fei1 sheng1

「散入春風満洛城」散じて春風に入り洛城に満つ
呉音 さん にゅう(にふ) しゅん ふう/ふ まん らく じょう(じやう)
漢音 さん じゅう(じふ) しゅん ほう ばん らく せい
唐音 サン ジ チュン フヲン マン ロ ジン
華音 san4 ru4 chun1 feng1 man3 luo4 cheng2

「此夜曲中聞折柳」此の夜 曲中 折柳を聞く
呉音 し や こく ちゅう(ちう) もん せち る
漢音 し や きょく ちゅう(ちう) ぶん せつ りゅう(りう)
唐音 ツウ エエ キョ チョン ウヱン ツイ リウ
華音 ci3 ye4 qu3 zhong1 wen2 zhe2 liu3

「何人不起故園情」何人か故園の情を起こさざらん
呉音 が にん ほち こ く おん(をん) じょう(じやう)
漢音 か じん ふつ き こ  えん(ゑん) せい
唐音 ホウ ジン ポ キイ クウ ヱン ジン
華音 he2 ren2 bu4 qi3 gu4 yuan2 qing2

※漢字「不」の「慣用音」は「ふ/ぶ」である。
※呉音と漢音は、学研『漢字源』改訂第五版(2011) ISBN-13: 978-4053031013 による。( )内は歴史的かなづかいである。
※唐音は、中村新六『
月琴楽譜』(1877)による長崎唐人系の唐音である。唐音の発音表記は本によって違いが大きい。
※華音は、現代中国の共通語「普通話」の発音である。中国の学校の「語文」(日本の学校の「国語」に相当)では漢詩や漢文を現代中国語で音読する。これは、日本人が古文を現代日本語で音読するのと同様である。



復興節

[参考 
google動画「復興節」検索結果]
 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の直後、「紗窓」の旋律をもとに添田さつき(添田知道。1902-1980。添田唖蝉坊の長男)が作った街頭演歌。
復興節のメロディーをMIDIで聴く。
[簡素伴奏版] [コード伴奏版]
[YouTubeのカラオケ動画 http://youtu.be/5q3_aU1Q4Dc] [「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」の演奏と同じキー]
参考 YouTube  http://youtu.be/dqkZiVV1Og4  http://youtu.be/SGQkSpm79Ao
大正12年(1923)


 震災後、街頭演歌師が販売した歌の本の現物。

↑クリックで拡大。
 大正13年1月25日印刷。
 坂田古典音楽研究所蔵。
ウチは焼けても江戸っ子の 意気は消えない見ておくれ アラマ オヤマ
忽ち並んだバラックに 夜は寝ながら お月さま眺めて エーゾ エーゾ
帝都復興 エーゾ エーゾ

嬶(かかあ)が亭主に言うようは お前さんしっかりしておくれ アラマ  オヤマ
「今川焼」さえ「復興焼」と 改名してるじゃないか お前さんもしっかりして エーゾ エーゾ
亭主復興 エーゾ エーゾ

騒ぎの最中に生まれた子供 つけた名前が震太郎 アラマ オヤマ
震次に震作、シン子に復子(ふくこ) その子が大きくなりゃ地震も話の種 エーゾ エーゾ
帝都復興 エーゾ エーゾ

学校へ行くにもお供を連れた お嬢さんが茹小豆(ゆであずき)開業し アラマ オヤマ
恥ずかしそうに差し出せば お客が恐縮してお辞儀をして受け取る エーゾ エーゾ

ツンとすまして居た事も 夢と消えたる奥様が アラマ オヤマ
顔の色さえ真っ黒け 配給米が欲しさに押したり 押されたり エーゾ エーゾ
その意気 その意気 エーゾ エーゾ

【参考資料】添田知道著『演歌の明治大正史』(岩波新書、1963初版/1970第5刷)
『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998/2002

【著作権について】「復興節」(添田さつき氏による原曲)の著作権は、日本音楽著作権協会の「作品データベース検索」(こちら)によると、詞・曲とも「PD」(著作権消滅)となっております。

 「復興節」の旋律は、清楽「紗窓」の旋律を下敷きにしている。
紗 窓ソーソーミレドーレーミソレーらードーレドらドそーーらそーーー
(中略)
復興節ソーソソ
うーちは
ミレドド
焼けても
らドレミ
江戸っ子
レー
らードミ
意気は
レドらド
消えない
そみそら
見ておく
そー、そそ
れー、アラ
ら、そそ
マ、オヤ
らー

紗 窓らードーらそみそらードらそードーミーレーらードーレミーレー、らドそーらそー
復興節らーらドレ
たーちまち
らそみそ
並んだ
らドドら
バラック
そー
にー
ドーレミソ
よーるは
レドらそ
寝ながら
ドーレミソ
おー月さま
レドらド
眺めて
そーみそら
エーゾエー
そー
ゾー

紗 窓
復興節ミーミ
帝都
ソーミー
復興
レード レミ
エーゾ、エー
レー
ゾー

 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災のあと、日本のロック・バンド「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」(ソウル・フラワー・ユニオン(SOUL FLOWER UNION)の「別働隊」)が、従来の歌詞に加えて「東京の永田にゃ金がある、神戸の長田にゃ唄がある」「コリアンもヤマントチュもアリラン峠を越えてゆけ」云々の歌詞を補作し、演奏・録音した(インターネット上でも聴ける。(http://youtu.be/dqkZiVV1Og4など)。

 この歌が生まれた経緯について、作者の添田さつき(添田知道)は、以下のように書いている。
 以下、添田知道著『演歌の明治大正史』(岩波新書、1963初版/1970第5刷)P.236-p.239より引用
「(前略)叔父の住んだ日暮里地区が焼けのこったことがわかってから、ともあれそこに戻ることにした。焼けあとの野天に、にわか商売のすいとん屋、うであずき屋が現れていたり、やがて道ばたの人だかりをのぞいてみると、震災被害の写真エハガキを売るのであったりするようになった。焼野原に焼けトタンの小屋もふえたが、新材のバラックも建ちはじめ、生皮つきの杉丸太が一本二円、トタン板一枚が三円だった。そうした材料を売る者もまだ自分のバラックなしの野天の商いだった。が、そんな灰燼の中の動きは、復興の意気というより、大地にしがみつく人間の必死の姿と映った。
 そんなとき、本所で焼けて近くへ移ってきた演歌人が、震災の歌をつくってくれないかと相談にきた。(中略)ペラ八頁の唄本ができると、素早い演歌人たちがそれを抱えて各地方へとんだ。
(中略)
 拙速の唄本が刷れて、私も糊口のこともあるので、近くへ演歌に出てみたときのことだ。日暮里の焼亡をのがれた地区とはいえ、夜は暗く死んだように沈みかえっている。そんな中で歌声をあげたりしたら、袋だたきにでもあうのではないか、そんな不安があった。とある横丁でうたいはじめると、忽ち、暗い家々からとび出してきた人々にかこまれた。しかしそれは、不安とは逆な、熱心に聞き入る人々であった。勢い歌う方にも身が入る。大歓迎で、持って出た百部の唄本がすぐに売切れて、妙な拍子ぬけをした。
 そして、どんな深沈の中でも、人々は音をもとめている、ということを知った。音。それは生命の律動。(中略)人々は食の飢えもあるが、音にも飢えていたのだ。そして疎末な唄本にとびついたことは、活字に飢えていたのでもあると考えられた。「復興節」はたちまち人々にうたわれた。そこで歌詞を追作し、印刷の間に合わないときはガリ版にもした。焼土風景の動きやバラック生活をうたったのだが、食料の配給(無料)の前には奥さんも嬶もなく一視同仁、生活の格差をなくした平等感に、一種の和みさえ感じられた。」


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