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学校オペラ「イエスマン、ノーマン」
(1)解説もしくは私的な覚え書き

最初の公開 2009-7-15 最新の更新 2018-9-23
[歴史]  [登場人物]  [台本比較]  [作曲ノート]  [著作権]  [上演記録]  

歴史
歴史的な流れ

★作者不明の謡曲「谷行(たにこう)」
 金春禅竹(こんぱるぜんちく 1405-1471?)の作か?
 ↓
Arthur Waley(1889-1966)による脚本の英訳
The No plays of Japan,London,1921
(日本語の原本とかなり違う自由訳※)
 ↓
(翻案)
★Bertolt Brecht(1898-1956)の戯曲
Der Jasager. Der Neinsager(1930)
 ↓
★ブレヒト研究会「イエスマン、ノーマン」
 岩淵達治による日本語訳
 ↓(京劇風の演出)
★京劇研究会「イエスマン、ノーマン」(1994/2010)

※後述の「台本比較」も参照。また参考論文に張偉雄「「谷行」と「黄鳥」から見る
 アーサー・ウェイリーの訳文の変容
」がある。

 「イエスマン、ノーマン」、原題はドイツ語で「Der Jasager. Der Neinsage」。
 劇作家ブレヒトの、初期の「教育劇」の代表作である。
 原作は、中世の日本の能楽「谷行(たにこう)」。

 むかし、山伏(やまぶし)たちは、大峰入りという荒行を行った。
 もし、この修行の途中で病気になって脱落すると、恐ろしい運命が待ち受けていた。
 山伏の掟によれば、病気の脱落者は、神に忌み嫌われた者と見なされる。脱落者は仲間たちの手で深い谷に投げ込まれ、その上に岩石を落として、埋められる。
 気の遠くなるような昔から続いてきた、非情の掟だ。この処置を山伏の言葉で「谷行(たにこう)」と呼んだ。
 松若(まつわか)という少年がいた。
 彼の母は病気だった。
 ある日、松若は、母の病気快復を祈願するため、自分も大峰入りの荒行に加わることを志願する。
 松若の師である阿闍梨(あじゃり。宗教的な先生)は、子供には無理だ、と止める。
 しかし松若は、母のためにどうしても、と頼む。
 結局、阿闍梨は、松若の親孝行の心にうたれて、同行を許す。
 だが、現実は厳しかった。大峰入りの荒行は、子供にはやはり無理だった。

「イエスマン」少年・師・四人の弟子
(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994

 松若は、山の中で病気になり、前に進めなくなる。彼は山伏の掟どおり、「谷行」に処せられ、死ぬ。──
 その後、松若のことをあわれに思った阿闍梨は、鬼神を呼び出して、埋められて死んだ復活させる。
 めでたし、めでしたし。……
 この能では、シテ(主役)は前半では母を、後半では鬼神を演ずる。

 1921年、イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(Arthur David Waley, 1889年8月19日−1966年6月27日)は、日本の能楽の脚本の英訳本『The Nō Plays of Japan』を上梓した。
 日本語の原本とかなり違う部分を含む「創作翻訳」で、原作のニュアンスやテーマもねじまげられている部分がある。ただ、そのぶん西洋人に読みやすいように書かれていた。
 彼が訳した「TANIKŌ(THE VALLEY-HURLING)」も、原作の「谷行」とは別の芝居のように訳された。
 山伏の「阿闍梨」が、ウェイリーの訳では単に「teacher(教師)」と訳され、宗教的ニュアンスが捨象されている。
 またウェイリー訳では、少年が谷底に投げ捨てられ絶命するところで、終わっている。鬼神による救済という結末は、短い註で言及されているにすぎない。
 東洋的な自己犠牲の精神を強調する悲劇になっている。(後述の
台本の比較も参照)

Lehrstücke(教育劇)とは?

 教育劇はドイツ語で「レールシュテュック」と言う。
 「観客を教育する劇」という意味ではない。
 自分が上演に参加し、人生を擬似体験することで世界を見直し、新たな発見を得るための芝居を「教育劇」と言う。

 ドイツ語の「レーレン(lehren 教える)」には潜在的に「レルネン(lernen 学ぶ)」という意味も含まれる。
 そのため、レールシュテュックはむしろ「教材劇」「学習劇」と訳したほうがよい、という意見もある。
 レールシュテュックの英訳も「ラーニング・プレイズ(learning-plays 学ぶ芝居)」と「ティーチング・プレイズ(teaching-plays 教える芝居)」が併存している。

 もし、教師が、ある思想なり道徳観を生徒に押しつけるために芝居を演じさせるとしたら、それは最も「教育劇」の趣旨から遠い行為である。
 教育劇は、その趣旨からいって、演者もまた「観客」を兼ねる。
 すなわち、教育劇は観客をかならずしも必要としない。

 教育劇は、演者と観客の境界線(boundary between actor and audience)を意図的に取りはらった実験的な演劇形式でもある。

 参考 岩淵達治訳『ブレヒト戯曲全集』第8巻(1999)p.402
 ブレヒトは、日本の能の「谷行」のドラマ性に、感銘をうけた。
 とはいえ、まだテレビやビデオが発明される以前の時代なので、ブレヒトは、能の舞台は見ていない。
 彼が読んだのは、ウェイリーによる英訳を、Elisabeth Hauptmannがさらにドイツ語に訳したものであった。 上記の冒頭部を比較するだけでもわかるとおり、ウェイリーの自由訳は、原作の「谷行」とは かなり違うものだった。
 が、ともあれ、ブレヒトは「谷行」に感銘を受け、これを翻案して学生向けの「教育劇」を作った。
 こうしてできた芝居が「Der Jasager」。
 ドイツ語のタイトルを直訳すると「はい、と言う人」。
 ふつう日本では「イエスマン」というタイトルで知られる。ただし英語圏での訳題は「He Who Says Yes」ないし「He said Yes」である。
 学校の生徒でも「学校オペラ」として上演できるように、音楽家のクルト・ヴァイル(Kurt Weill)が曲をつけた。

 ブレヒトがこの芝居で、生徒たちに問いかけるテーマは、明確である。
 「ひとり」は「みんな」のために犠牲となるべきか?──
 古くて新しいテーマだ。

 今と違って、1930年当時はシビアな時代だった。
 左派も右派も、「ひとり」は「みんな」のために犠牲となるべきではない、などという綺麗事を言っている余裕はなかった。

、  ブレヒトの「イエスマン」の初演は、1930年6月30日、ベルリンで、学校の生徒たちによって演じられ、ラジオ放送された。
 当時は、前年の世界大恐慌(1929年)による不景気で世界は行きづまり、全体主義の風が世界に吹き始めていた。
 ドイツでは、1930年の国会選挙でナチスが得票率18%、共産党が得票率13%を獲得し、町ではナチス党員と共産党員の私闘が発生するようになっていた。
 1930年に学校オペラ「イエスマン」を演じたドイツの生徒たちも、わずか数年後には、全体主義と世界大戦の過酷な運命に投げ込まれた──




「イエスマン」(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994

 「イエスマン」の結末は、主人公の少年が、昔からのしきたりにしたがい、みんなのために自己を犠牲にする、という悲劇である。
 芝居を通じて、自分たちが生きているこの世界を見つめなおす、というのが「教育劇」の目的だ。
 果たして、この芝居を演じた生徒たちは「イエスマン」の結末に大きな「?」を感じた。
 生徒たちは、何が正しいのかを自分の頭で考え、話しあった。
 「この結末は、おかしいと思います」
 生徒の声を受けて、ブレヒトは、違う結末をもつもう一つの芝居を書いた。
 これが「ノーマン」である。
 日本語京劇「ホラティ人とクリアティ人」
 原作はブレヒト。1992年「麻布演劇市」にて。
 後列右が筆者。

 詳しくはこちらの頁。  拙著『梅蘭芳 世界を虜にした男』(2009)の「あとがき」で書いた 千田是也先生の思い出は、この公演のときのこと。

 「ノーマン」と「イエスマン」は、いわばパラレルワールドの関係である。
 ブレヒトは、両者の違いをきわだたせるため、二度にわたって手直しした。
 最終的には、以下のようになった。

 この二つの芝居のあらすじは、途中までは同じ。
 昔々、ある小さな田舎町。一人の少年が、病気の母親を直す薬を手にいれるため、「先生」に頼んで、困難な「峯越え」の旅に加わる。
 だが、けわしい山を越える旅の途中で、少年は力尽き、動けなくなる。──

 芝居のあらすじは途中まで同じだが、ブレヒトは、最終稿の「イエスマン」と「ノーマン」の結末の差を説得力のあるものにするため、それぞれの物語の最初の設定を変更した。

 「イエスマン」では、少年が参加したのは「救援隊」。
 旅路を急がねば、町の人々が病で死ぬ。少年は「峯越えの旅の途中で力尽きた者は、置き去りにされる」 という昔ながらの掟に従う。少年は、山中で孤独死する恐怖より、谷底に投げ込んで即死させてもらう道を選ぶ。……
 原作である能の「谷行」では、神仏の奇跡による救済がある。
 だがブレヒトの「イエスマン」に、奇跡は無い。
 これは、ウェイリー訳で救済の結末が省略されている(注では救済の結末に言及されている)こととも対応している。




「ノーマン」 (C)Kyougeki Kenkyuukai,1994
 「ノーマン」では、少年が参加したのは「鍛錬隊」。
 昔からの掟によれば、峯越えの途中で歩けなくなった者は、 命を捨てねばならい。
 少年がくだした決断とは……

 ブレヒトは、「ノーマン」を書いたあと、「イエスマン」と「ノーマン」をセットで上演(順番は問わない)するように要望を残した。
 ただ、クルト・ヴァイルが書いた曲は「イエスマン」だけ。「ノーマン」の曲は無い。
 日本で上演する時は、オペラとして「イエスマン」だけヴァイル作曲のオペラとして上演するか、セリフ劇として「イエスマン」「ノーマン」を通し 上演して歌の部分もセリフで済まして上演するか、どちらかであることが多い。

 「イエスマン、ノーマン」は、ドイツ以外の国々でもよく上演される。
 日本でも、早くも1932年に東京音楽学校奏楽堂で、学校オペラ「ヤーザーゲル」(「イエスマン」のドイツ語原題)をヴァイル作曲のオペラとして上演し、 藤山一郎(1911-1993)が少年役(テノール)を演じた。当時、東京音楽学校では風紀上の理由でオペラの舞台上演を禁止していたにもかかわらず、 「ヤーザーゲル」のみ例外として、特別に舞台上演が許された。それだけ世界的に話題となっていた作品だった。
 なお、1930年代の古いドイツ語の発音は「デル・ヤーザーゲル」だったが、今日のドイツ語では「デア・ヤーザーガー」という発音に変化しているため、現代日本における カナ表記も「ヤーザーガー」が普通である。

 1930年代以来、日本でも「イエスマン、ノーマン」はよく上演される。
 だが、その演出は様々である。
 オーソドックスなオペラ、まじめな翻訳劇、不条理演劇に近いシュールなドタバタ劇、……
 ドイツ文学研究者で演出家でもある岩淵達治先生は、山伏(やくぶし)の衣装で上演したことがある。

「ノーマン」合唱隊
(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994

 京劇研究会ではこの「イエスマン、ノーマン」を、1994年に「日本語京劇」として上演した。
 脚本は「ブレヒト研究会」本(日本語。岩淵達治訳。非売品)、作曲は加藤徹(筆者)。
 2010年3月に、17年ぶりに東京の「麻布演劇市」でこれを再演することになった。

 クルト・ヴァイルが書いた曲による「イエスマン」は、今では、インターネットの動画投稿サイトで簡単に見ることができる。
 筆者が書いた曲は、クルト・ヴァイルの曲とは全然違う。中国の伝統演劇や日本の音階を参考に、東洋風にアレンジしたものである。
 もし仮に、ブレヒトが聴いたら、彼はどんな感想をもつだろうか?

 自分の備忘用も兼ねて、筆者が書いた「イエスマン、ノーマン」の曲の一部のカラオケを、ここに「MP3形式」でアップしておく。
コラム ブレヒト劇の「根っこ」となった、広場の絵解き師の歌
 筆者(加藤)の独断と偏見によれば、「イエスマン ノーマン」の本質は、東洋の古い「少年殺し」事件をあつかったモリタートである。
 昔のドイツには、ベンケルゼンガー(Bänkelsänger)と呼ばれた大道歌手がいた。彼らは、実際にあった殺人事件や戦争、災害などの事件を、歌物語にしたてあげ、手にもった棒で絵を指しながら歌い、聴衆を楽しませた。伴奏には手回しオルガンが使われた。ベンケルゼンガーは、昔の日本の読売(瓦版売り)や演歌師と同様、縁日など人の集まる広場で絵解き歌を歌い、物語の内容を刷った紙や冊子を聴衆に売っ日銭をかせいだ。特に人気があったのは殺人事件を生々しく語る歌で、そうしたジャンルの歌はモリタート(Moritato)と呼ばれた。ベンケルゼンガーの歌は、登場人物の立場になって直接話法的に歌う代言体的な部分と、語り手として事件を客観的に説明する叙事体的な部分からなる。ベンケルゼンガーは、歌のなかで登場人物を演ずるが、同時に自分が語り手であることを忘れず、登場人物の行動を批評し、物語から教訓を引き出すのである。
 ブレヒトが提唱した「叙事詩的演劇」という発想の根底には、ベンケルゼンガーが歌ったベンケルザング(大道歌)の影響があると言われる。(市川明編『ブレヒト 詩とソング』所収、「シンガーソングライター、ブレヒト」参照)

登場人物
能「谷行」
流派ごとに差異がある
ブレヒト劇クルト・ヴァイル版加藤版(案)
松若(子方)Knabe 少年ボーイソプラノ娃娃生or(武)小生
松若の母(前シテ)Mutter 母親メゾソプラノ老旦or青衣
師阿闍梨(ワキ)
小先達(ワキツレ)
Lehrer 師バリトン(武)老生or(武)浄
山伏(ワキツレ)

山伏(立衆。5〜7人)
1.Student
弟子1
ボーイソプラノ
orテノール
生(武生or武小生)
2.Student
弟子2
ボーイソプラノ
orテノール
旦(武旦or花旦)
3.Student
弟子3
ボーイソプラノ
orバリトン
浄(武浄or正浄)
−−
−−
丑(武丑or文丑)
地謡Grosser Chor
合唱隊
コーラス幇腔・龍套・検場
(三役を兼演)
役行者(後シテツレ)
伎楽鬼神(後シテ)
−−
−−
−−
 京劇の発声法ではなく、日本語の発声法で歌ってもよい。
 左の表で「娃娃生」とか「老旦」など京劇の役柄を書いたが、京劇のそれぞれ役柄の風格を参考にしてマネすると面白い、という意味である。厳密に京劇のそれぞれの役柄の発声法までマネる必要はない(もし可能なら、発声法までマネてもよい)。

 少年役は女優でもよい(西洋では女優が演ずるのが普通)。
 母親役は「おんながた」(男旦)でもよい。

 合唱隊は、京劇の「龍套」的な演技も兼ねる。芝居の進行にあわせて、舞台上で歌いながら瞬時に並び変わることで、 農家の柵や、山道の傾斜や、太陽の光の方向や、谷底の深さなどを表す。
 合唱隊の人数は自由だが、「龍套」は八人ていどが望ましい。



「イエスマン」(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994
 四人の弟子と師は「峯越え」のシーンで、京劇の立ち回りの技を使って、 過酷な山越えの演技をすることが望ましい。 峯越えの立ち回りは、現代京劇『奇襲白虎団』のコマンド部隊の山越えの演技や、 古典京劇『八仙過海』の渡海の演技を参考にすると良い(とてもマネできないだろうが)。
と同時に、四人の弟子は歌唱力も要求されるので、難度が高い。

 「イエスマン」「ノーマン」の順で演ずるほうが望ましいが、順番は変えてもよい。

 「イエスマン」「ノーマン」のあいだで、配役を入れ替えると面白い。例えば「イエスマン」の 合唱隊の一部が「ノーマン」の弟子になったり、「ノーマン」の師の役が「イエスマン」では母を演じる、など。 二つの劇の間の役の入れ替えは、観客が見てわかるよう、緞帳を上げたままで行っても面白い。

 「イエスマン」は武戯として、「ノーマン」は文戯として風格を演じ分けると、面白い。

 セリフや歌詞で「きみたち」「わたしたち」という言葉が出るときは、演唱者はなるべく観客を向くこと。 これは京劇の常套的な視線の処理であると同時に、観客も舞台上の芝居に巻き込むという「教育劇」の趣旨を尊重する演技でもある。

台本の比較
 能の原文とウェイリーの訳、ブレヒトの協力者で愛人だったエリザベート・ハウプトマン(Elisabeth Hauptmann 1897.6.20−1973.4.20)のドイツ語訳(英語からの重訳)、そしてブレヒトの「ノーマン」(Der Neinsager)の冒頭部を並べて比較してみよう。
 山伏(やまぶし)の阿闍梨(あじゃり)が登場して、観客にむかって自己紹介をするところのセリフ。
能「谷行」原文(下掛宝生流)
ワキ これは都東山、今熊野に住居する客僧にて候。さても某稚き弟子を一人持ちて候。名をば松若と申し候。かの者父には後れ、母一人に候ほどに、不便に候ひて常は里に置き候。また明日は、峰入を仕り候間、立ち越え松若に暇乞をせばやと存じ候。
いかに此の内へ案内申し候。
Waleyの英訳
TEACHER I am a teacher. I keep a school at one of the temples in the City. I have a pupil whose father is dead; he has only his mother to look after him. Now I will go and say good-bye to them, for I am soon starting on a journey to the mountains.
(He knocks at the door of the house.) May I come in?
Hauptmannによる重訳
DER LEHRER Ich bin der Lehrer. Ich habe eine Schule in einem Tempel in der Stadt. Ich habe einen Schüler, dessen Vater tot ist. Er hat nur seine Mutter, die für ihn sorgt. Ich will Jetzt zu ihnen gehen und ihnen Lebewohl sagen, denn ich begebe mich in Kürze auf eine Reise in die Berge.
Er klopft an die Tür des Hauses. Darf ich eintreten?
Brechtの「Neinsager」
DER LEHRER Ich bin der Lehrer. Ich habe eine Schule in der Stadt und habe einen Schüler, dessen Vater tot ist. Er hat nur mehr seine Mutter, die für ihn sorgt. Jetzt will ich zu ihnen gehen und ihnen Lebewohl sagen, denn ich begebe mich in Kürze auf eine Reise in die Berge.
Er klopft an die Tür. Darf ich eintreten?
田中千禾夫訳
先達 (橋がかりの途中で)ここにいるわたしは、京都今熊野に住む修行僧である。さてわたしは幼い弟子を持っておるが、名は松若と言い、父親に先立たれ、母親ひとり。だからかわいそうで、ふだんは親の家においてある。でわたしは、大和、葛城の山深く入る修行をするので、これから行って松若に別れを告げたいと思う。
(道を歩き、松若の家の玄関にたどり着く)ごめんください。
拙訳
先生 私は教師だ。都の寺で学校を開いてる。うちの生徒に、父を亡くして、母親に女手一つで育てられた子がいる。私はまもなく山へ旅に出かけるので、彼らにさよならを言いに行こう。
(家のドアを叩く)入ってもよろしいかな

(意味内容は、Waleyによる英訳とほぼ同じ)
岩淵達治訳
 私は教師だ。町に学校を開いている。生徒のうちに父親のない子がいる。彼の親身のものは母親ひとりだ。これから彼らのうちへ出かけて、別れを告げてこよう。私はまもなく、山に旅に出るのだ。
(扉をたたく)入ってもよろしいかな。
※能の原文は野上豊一郎『解註・謡曲全集 第五巻』、ウェイリー訳はThe No plays of Japan(1921), TANIKŌ(THE VALLEY-HURLING)、田中千禾夫訳は『日本の古典16 能・狂言集』(河出書房新社、昭和47年)、岩淵達治訳は『ブレヒト戯曲全集 第8巻』未来社刊,pp.212-213による。 ハウブトマンのドイツ語訳は、 John Fuegi著『Brecht and company: sex, politics, and the making of the modern drama』(ISBN-13: 978-0802139108)p.220からの孫引き(Google Booksで検索して読める)。

 ウェイリー訳は、日本の中学生でも読めそうな、やさしい英語である。原文の地名や仏教色は、西洋の読者にはイメージしにくいせいか、バッサリ切り捨てられている。トランスレーション(翻訳)というより、アダプテーション(adaptation 改作・脚色)に近い。
 ブレヒト版は、ウェイリー版・ハウブトマン版にある「寺」を切り捨てるなど、さらにいっそう無国籍性・脱宗教性が進んでいる。
 もちろん演劇作品の常として、台本にはいろいろ異本・別本がある。ここでは以下に二つだけ挙げる。
参考【能『谷行』原文・別本】 これは今熊野、[木那]の木の坊に帥の阿闍梨と申す山伏にて候。さても某、弟子を一人持ちて候が、かの者の父、空しくなり、母ばかりに添ひて候。また某は近き間に峯入を仕り候程に、暇乞の為に只今出京仕り候。いかに案内申し候。(廿四世観世左近、檜書店版)
参考【岩淵達治訳「ブレヒト研究会」上演台本(補綴済み)】  私は教師で、この町に塾を開いています。生徒のうちに早く父をなくし、女手ひとつで育てられた子供がいる。これから出かけて、別れを告げてこようと思います。私はまもなく、山へ研修旅行に出発します。苦難に耐え、心や体を鍛えるためです。(扉をたたく)入ってもよろしいかな。
 京劇研究会の上演台本であり、筆者(加藤徹)が作曲したのは、最後の補綴済み上演台本(非売品)である。
 古典日本語→英語の自由訳→ドイツ語の戯曲→現代日本語訳、と、東洋と西洋を往復したにもかかわらず、原作である能楽作品とかなり対応していることがわかる。
 ブレヒトの「イエスマン」(初稿)は、個々の表現にオリジナリティが散見されるものの、全体としてはウェイリー版「谷行」をなぞっている。 今ふうの俗語で言えば、完全なパクりである。
 冒頭部のみならず、中間部分も良く似ている。例えば後半部の最初を比較してみよう(原文は省略。それぞれの現代日本語訳で比較)
能「谷行」
田中千禾夫訳
ブレヒト「イエスマン」
岩淵達治訳
先達 急いだので早いもの、もう葛城山の一の岩室に着いた。今夜はここで泊まることにしよう。  急いで登ってきたものだ。ここに最初の小屋がある。そこで少し休もう。
小先達 道理でございます。 三人の弟子 そういたします。
先達 まず、こうおはいり。
松若 (はいり)あのう、お話があります。 少年 先生にちょっと申し上げることが。
先達 なんだね。  なんだね?
松若 途中から寒気がするようです。 少年 気分が悪いんです。
先達 待った。この旅に出たからには、かりそめにもそんなようなことを口には出さぬもの。それは、ふだんしつけない旅をした疲れだろう。なんでもあるまい。
(松若、先達の膝を枕にして横になる)
 待て。そういうことはこういう旅では、言ってはいけないのだ。きっと登り坂に慣れていないので、疲れたのだろう。ちょっと立ち止まって休みなさい。
(師、壇に上がる)
※田中千禾夫訳は『日本の古典16 能・狂言集』、岩淵達治訳は『ブレヒト戯曲全集 第8巻』による。

 ブレヒトのオリジナル性は脚本の字句よりも、演出上の創意工夫にある。「ノーマン」を補作して同時上演できるようにしたこと、 あわせて「イエスマン」を改稿したこと、上演にあたって独自のテーマや演出理念をもりこんだ点などである。

参考 以下は、ウェイリー訳と「イエスマン」でカットされている結末部分の詞章。山伏たちが、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)に祈った結果、役行者があらわれて、女神である伎楽鬼神(ぎがくきじん)に命じて谷底から死んだ松若を抱き上げさせ、復活させる。
【地謡】 葛城山の名も高き、役の優婆塞(えんのうばそく)まのあたり、来現も孝行ゆゑ。あらありがたやの御事や。
もとより衆生一子にて、もとより衆生一子にて、愛愍(あいみん)あれば親心、仏の慈悲にかくばかり、今顕(あら)はさん待てしばし、使者の鬼神の伎楽伎女(ぎがくぎにょ)よ、とくとく参拝、申すべし。
【後ジテ登場。地謡】伎楽鬼神(ぎがくきじん)は飛び来たり、伎楽鬼神は飛び来たつて、行者のお前に膝まづいて、首(コーベ)を傾け仰せを受けて、谷行に飛び翔けり、上に蔽(おお)へる土木磐石、押し倒し取り払つて、上なる土をばはらはらと静かに翻(かえ)して彼(か)の小童(しょうどう)を、恙(つつが)もなく抱きあげ、行者のお前に参らすれば、行者は喜悦の色をなし、慈悲の御手に髪を撫で、善哉善哉(ぜんざいぜんざい)孝行切なる、心を感ずるぞとて、則ち師匠に与へ給ひ、帰らせ給へば伎楽も共に、御先(みさき)を払つてさがしき路を、分けつくぐつつ登るや高間の雲霧つたふ(ツトー)や葛城の、人の目にこそかからざれどもまことは渡せる岩橋を、大峯かけて遙遙(はるばる)と、大峯かけて遙遙と、虚空を渡つて失せにけり。(留拍子)(野上豊一郎『解註・謡曲全集』第五巻、昭和26年版、中央公論新社より。原文総ルビ)
 能「谷行」のテーマが「母なるものの示現(じげん)」であること、 松若の母も、山という聖なる空間も、女神も、目に見えぬ「母なるもの」が形を変えて この世に立ち現れた姿であること、が、この最後の詞章で明らかにされている。
もちろん、すべての人間はちょうど一人の子のようなもの、 子をかわいいと思うのが親心なら、仏の慈悲もそんなものだ。今それを目に見せようが、 ちょっと待て」(田中千禾夫訳)
 詳しくは次項「作曲ノート」の「ヴァイルの曲へのアンチテーゼ(2)──「山」のイメージ」も参照のこと。

※能楽と「イエスマン ノーマン」の比較は研究者の興味関心をそそるテーマなので、学会や大学の授業、論文などでも取り上げられます。以下、ネットで拾った情報より。

作曲ノート

ヴァイルの曲へのアンチテーゼ(1)──母親のソング
 クルト=ヴァイルはブレヒトのために、「イエスマン」の曲を書いた。「ノーマン」の曲は書いていない。
 ヴァイルの「イエスマン」の曲は傑作だ。洗練されている。楽譜を読んでもCDを聴いても名曲だと思う。今から80年も前の曲なのに、古さを感じさせない、さすがである。
 ただ、京劇研究会の公演で「イエスマン」を上演する際、もしヴァイルの曲をそのまま使うと、たぶんいろいろと違和感がでるだろう。
 ヴァイルの曲では「母親」は力強いメゾソプラノで歌う。西洋人の耳にはどう聞こえるかよくわからないが、東洋人の耳では、力強く聞こえる。この母親は病気という設定なのだが、東洋人の耳には、少なくとも私には、どこが病気なのかわからないくらい元気な声に聞こえる。
 いや、もちろん中国の京劇だって日本の能楽だって五十歩百歩だ。それはわかっている。ぼくが言いたいのは、脚色とか技巧以前の問題なのだ。東洋人の本音と建前、裏と表の感情表現の呼吸は、西洋人とちょっと違う。ヴァイルの曲は、西洋の「学校オペラ」としては最高だと思う。だからこそ、東洋人の心の動きとところどころズレているような気がする。
 例えば、ヴァイルの楽譜No.6(38)。旅立ちを決意したけなげな息子に向かって母親は歌う。「Aber schnell, Aber schnell. Kehre aus der Gefahr zurück.(でも早く、でも早く、危険から帰ってきておくれ)」。ここでヴァイルはテンポを落とし、Dマイナーで処理する。後奏も、いかにも悲壮な悲劇という重々しい感じだ。
 しかし東洋人の感覚は、ちょっと違う。
 息子が行くのは危険な旅。母も病気。このまま今生(こんじょう)の別れになる可能性も大きい。
 考えてみてほしい。例えば、息子が生還できるかどうかわからぬ手術室に入るとき。息子の前で号泣する母親は、いるだろうか。涙は不吉だ。母親は、息子の前では「大丈夫よ」と笑みを浮かべ、息子の姿が手術室に消えたあと、人目を避けてこっそりと泣く。東洋人の演劇では、それが自然だと思う。
 筆者は、前半最後の母親の歌をDメジャーで処理し、かつ母親を演ずる役者がシュプレヒゲザング(語り歌い)でも歌えるようテンポを落とした(
こちら)。テンポを落とした以外は、ヴァイルとは正反対の作曲思想である。
 巨人ヴァイルに向かって、蟷螂の斧をふるったわけではない。今回の京劇研究会版「イエスマン」の感情線の起伏は、ヴァイル版と違う。だから、ヴァイル版の模倣やまがいものではなく、あえて全く違う曲を作ることにしたのである。
 音楽作品としては、無名のアマチュア・加藤徹の曲なぞより、ヴァイルの曲のほうがはるかに優れている。それ以前として、自分が作った曲より、ヴァイルの「イエスマン」の曲のほうが、私も好きである(^^;;

ヴァイルの曲へのアンチテーゼ(2)──「山」のイメージ
 原作の能「谷行」では、山伏の一行の目的は「峯入り」、すなわち山に入って抱かれること自体が目的である。これは「深山」への「入山」である。
 しかしブレヒト/ヴァイル版では「峯越え」に改変されている。「高山」への「登山」であり、山は乗り越えるべき障害物である。山そのものが生と死の再生の聖地である、という東洋的な発想とは、大きく隔たっている。
 ジブリのアニメ映画「となりのトトロ」や「もののけ姫」の山を思い出してほしい。低くなだからな山で、木々がこんもりと茂り、天狗とか妖怪が出てきそうな神秘的な山である。
 原作である能の「谷行」の山は、金剛山地(大和葛城山や金剛山など)である。標高千メートルていどのなだらかな山地だ。今日では大阪市民の日帰り登山でにぎわっている。アルプスのような天険の障害物ではない。神人交会の聖地としての山である。
 しかしブレヒト/ヴァイル版の山は、日本的な山ではなく、西洋的なイメージの山だ。
 西洋の宗教画や映画に出てくる山は、モーセの十戒のシナイ山とか、登山家が挑戦するアルプスの高山とか、急峻な岩山が多い。

 後半の冒頭の合唱。岩淵訳では「救援隊は、険しい山路に/さしかかった。/先生と/こどもの姿も見える…」の部分。ヴァイルは、高音と低音のあいだを反復するメロディーとリズムで作曲した。この、山の断崖をなぞるような旋律線が聴衆の脳裏に喚起する「山」のイメージは、ゴツゴツとした急峻な岩山である。ハンニバルやナポレオンのアルプス越えのイメージである。
 そもそも、なぜ「山」なのか?
 能の「谷行」は日本古来の山岳信仰を土台にしている。松若(「イエスマン」の「少年」にあたる)の死と再生のドラマは、古代の通過儀礼をなぞっている。
 文化人類学的に言うと、子供が大人になるための儀礼では、いったん擬似的に死に、再生する演出を行う。
 能「谷行」で、山伏たちは、自分たちが殺した松若を祈りで復活させる。これは論理的にはメチャクチャだ。祈って復活させるなら、最初から谷に投げ込まなければいいじゃないか(^^;;
 だがこれは、通過儀礼的な死と再生の暗喩であり、東洋的な作劇法から見れば自然なのだ。

 能「谷行」の隠しテーマは「母なるもの」である。病気の母、山、そして神は、いずれも「母なるもの」として松若の前に立ち現れる。
 ブレヒトの「イエスマン ノーマン」に「主人公」はいない。ブレヒトは確信犯的に、主人公のない芝居に仕立てあげた。もし「少年」を主人公だと見なすと、とたんに浅薄なドラマになる。
 だが能「谷行」では、明白な主人公が存在する。「松若」ではない。彼は単なる「子方」である。
 能では、主人公をシテと言う。舞台公演の脚色にもよるが、「谷行」では、前シテ(前半の主役)は松若の母親、後シテ(後半の主役)は松若を谷底から復活させる「伎楽鬼神」とすることが多い。母親も神も、同一の役者が別の能面をつけて演ずるのである。
 なぜ同一の役者が、母と山の神という、異なるキャラクターを演ずるのか? ここに「谷行」の作者(金春禅竹説あり)の意図がある。

 谷行のテーマは哲学的である。「この世は、永遠なる者の愛に満ちている。それは時には、子をいつくしむ母親の姿となってあらわれる。時には神仏の姿となってあらわれる。山の厳しい自然でさえ、実は神仏の愛の立ち現れた姿である」という、仏教的な、あるいはスピノザ的汎神論的な世界観がある。 だから同一の役者が母と神を演ずるのである。
 そもそも日本の山岳信仰において、「山」は、古代ゲルマン民族における「森」のような存在だった。「山」は死と再生の聖地であり、擬似的な「子宮」だった。日本の「山の神」は女である。
 同じ山岳信仰でも、修験道の葛城山は、キリスト教のシナイ山とは、まったく意味が違うのだ。
 能「谷行」の「山」は、松若の命を奪うきびしさと、再生させる愛をあわせもつ、厳父慈母なのだ。
 だがブレヒトの「イエスマン」では、アーサー・ウェイリー訳で松若の再生をカットしてしまったのも一因だが、山は単なる障害物にすぎない。
 ヴァイルが作ったメロディーラインからも、「山を征服する」というスポーツ登山とか、「ハンニバルのアルプス越え」しか連想できない。
 ヴァイルの曲は完成度が高い。だからこそ、東洋的演出で「イエスマン」を上演しようと思ったら、東洋的なイメージの山とイメージが違う、というような齟齬も出てくる。

 筆者(加藤)の作曲では、東洋人の「山」への複雑な感傷をふまえ、「回峰行(かいほうぎょう)」的なスピーディーなメロディーをつけた(楽譜・音源は
こちら)。
土台にしたメロディーは京劇『九江口』で名優の袁世海が張定辺を演じて歌った「心似火燃・・・」の一段(原曲のMIDIファイルは[D調]と[C調])である。
 実際、京劇研究会によるこの場面の演技も、「峯越え」は西洋式の垂直登山というより、危険な山道を高速で巡回する回峰行に近い。
 繰り返すが、私はヴァイルを尊敬している。彼が書いた「イエスマン」の曲は大好きである。CDも繰り返し聴き、旋律も暗記している。ただ、京劇研究会の舞台公演で、東洋演劇の演出をとりいれて「イエスマン ノーマン」を上演する際、ヴァイルの曲をそのまま使うと、身丈にあわないところがいろいろと出てくる。そこで、恥をしのんで、曲を作り直した次第なのである。


京劇の「唱」とシュプレヒゲザング──「こぶし命」か「楽譜命」か?
 「イエスマン ノーマン」などのブレヒト劇を歌う鍵は「シュプレヒゲザング」にある。
 この異化を有効に生かすためには、メロディーよりこういうシュプレヒゲザングのほうが聞き取りやすいのだ。(中略)これまで見逃されてきたのは、詩形の部分にシュプレヒゲザングや朗誦形式が用いられることが多いということだ。デッサウやアイスラー、ワーグナー=レーゲニやBEの座付き作者だったホザラ(Hans Dieter Hosalla)の音楽を担当した作品は、すべて台詞、ソング、詩の朗詠調もシュプレヒゲザングの三つのレベルを意識して区分して使っている。(中略)デッサウの作曲のない詩型の部分は台詞でもソングでもない別の語り口で上演すると、上演時間の三分の一は短くなるうえに分かり易くなる。
──以上、岩淵達治「ブレヒト劇とかかわった日本の作曲家たち」より引用(市川明編『ブレヒト 音楽と舞台』pp170-171)
 シュプレ(ッ)ヒゲザング Sprechgesangとは「語り歌い(英語ではspoken song ないし singing-speech)」を意味する音楽用語である。シュプレッヒシュティンメ Sprechstimmeとも言う。「無調音楽」「12音技法」で有名なオーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schönberg, 1874−1951)が提唱した技法で、歌と語りの中間的唱法を特色とする。
 「五線譜」を絶対視する西洋芸術音楽では、画期的な理論であった。が、東洋音楽では、昔からシュプレッヒゲザング的な技法を多用してきた。京劇役者も日本の演歌歌手も、シュブレヒゲザングに似た中間的唱法をよく使う。
 筆者が作曲した「イエスマン ノーマン」の楽曲も、楽譜には一々明記していないが「台詞、ソング、第三の部分(ソングと詩の中間的唱法)」の三つを明確に使いわけている。合唱隊はカッチリと楽譜どおり歌うソングであり、ソングの中に部分的に台詞を投げ込んである。一方、役者の歌は「ソング」と「第三の部分」を臨機応変に行き来するようにしてある。実際、京劇など中国の伝統的な芝居の役者は、みな「ソング」と「第三の部分」を行き来するような歌いかたをする。
 例えば、「イエスマン」最後の「ムジョウ節」の少年の歌は、ソングでも台詞でもない「第三の部分」である。便宜的に五線譜で書いてあるが、ここは北島三郎とか越路吹雪の歌い語りふうに歌ってほしい箇所である。これと対照的に、「ムジョウ節」後半の合唱隊の歌はカッチリとしたソングである。部分的に台詞の部分もあるが、ソング部分と台詞部分の境界線はカッチリと分けてある。合唱隊の歌は「第三の部分」ではない。
 筆者(加藤)の専門は中国の伝統演劇である。中国音楽では「唱(チャン chang)」と「唱歌(チャンガー changge)」を区別する。京劇の歌は中国語で「唱」であり、「唱歌」とは言わない。極論すれば、京劇など芝居の「唱」は全てシュプレヒゲザングである。ソングではない。
 京劇など芝居の「唱」のコンセプトは「以字行腔」である。これは「字をもって腔を行う」すなわち、歌詞の一字一字の音やアクセントを優先して「こぶし」などをつける、ふしまわしは「目安」にすぎない、という意味である。劇中劇的な「唱歌」などの例外をのぞき、伝統的な芝居の役者の歌いかたはすべて「唱」である。「五線譜なんか糞くらえ」「こぶし命(いのち)」という発想である。
 いっぽう中国でも、「唱歌」のコンセプトは「以腔行字」である。「楽譜命(がくふいのち)」「初めにメロディーありき」という態度である。これは、西洋劇音楽のソングに対応する。


著作権について──裁判で訴えられないために
 日本の法律では、著作権の保護期間は作者の死後50年間である(映画などは70年)。
 いっぽう、欧米諸国の法律では、著作権の保護期間は日本よりも長いのが一般的である。 ブレヒトの祖国であるドイツでは、死後70年間という保護期間を採用している。

ブレヒトの著作権
 日本国内においては、ブレヒト(1956年8月14日没)の著作権は2006年12月31日(死後50年)をもって消滅した。 2007年1月1日から、ブレヒト作品のドイツ語原文は、パブリック・ドメイン(公有)状態になった。 著作権者の命日からではなく、死去満50年後の翌年1月1日からというのは、日本の法律でそう規定されているからである。
 ただしドイツその他の外国の多くでは、ブレヒトの著作権は死後70年まで消滅しない。
 またブレヒトの作品の日本語訳や、ブレヒト作品を映画化した映画作品については、今も「著作隣接権」が有効である。 例えば、岩淵達治先生によるブレヒトの翻訳を、岩淵先生の了解を得ずに勝手に使うことは、日本の著作権法にも反する。

作曲者クルト・ヴァイルの著作権
 京劇研究会の上演ではヴァイルの原曲は使わないので、以下はあまり関係ない話ではあるが──
 ブレヒトの「ヤーザーガー(Der Jasager)」に作曲したKurt Weill(クルト・ヴァイル)は、ドイツ人だったが、アメリカに移住して市民権をとり、1950年4月3日に死去した。 いわゆる「戦時加算」を考慮しても、彼が作曲したヤーザーガーの曲は、日本国内においてはすでに「PD」(パブリック・ドメイン)扱いになっている (
日本音楽著作権協会のホームページで検索すると、確認できる)。
 ただし、外国ではヴァイルの著作権もまだ有効である国々が多い。特に、ヴァイルの著作権を管理している「クルト・ヴァイル財団」は、厳しいので有名である。
 インターネットは国境性が低い。ヤーザーガーの楽譜や音声ファイルをネット上で扱う場合は、運用に注意を要する。
 ちなみにヴァイルの版権は高額だが、他の作曲家の版権の相場は3万円くらいで、意外に割安である。
 ヴァイルの版権がべら棒に高いのは有名だが、ヴァイル以外の作曲家デッサウ(Paul Dessau)、アイスラー(Hanns Eisler)などがブレヒトの劇につけた音楽も、使うと版権が高いのだろうと勝手に思い込んで日本の作曲家に依頼するケースが多かったが、ヴァイル以外の作曲家の場合は、何を何回上演しても楽譜貸出し料として一律3万円ほど払えば済んでしまう。それに気がついたのはブレヒトの演出をやりだして四年ほど経ち、演出協力という形で千田是也先生と『肝っ玉』のモデルブック通りの上演をしたときであった。俳優座だから高い版権料も払うのだろうと思っていたら、デッサウの作曲したソングのみならず、音楽伴奏譜(いわゆる劇伴)もすべて送られてきて、それを全上演一括して3万円ほどで使えることが分かった。それ以後私は、予算の少ない自分のブレヒト上演は、ヴァイル以外の作曲の場合はすべて台本の版権をとると自動的に付帯されてくる原曲を使うことにした。
(岩淵達治「ブレヒト劇とかかわった日本の作曲家たち」、市川明編『ブレヒト 音楽と舞台』2009年,p.163より引用)

翻訳者の著作権
 上述のおり、ブレヒトの日本語訳の「著作隣接権」は現在も有効であるものが多い。
 例えば、岩淵達治先生による日本語訳を使う場合は、日本の著作権保護に関する 法律を守らねばならない。「京劇研究会」では岩淵訳を練習・上演・宣伝等で使っている。 これについては直接、岩淵先生からご承諾を得ている。

作曲者加藤徹の著作権…(^^;;
 (ここから急に小声になります)
 日本も加盟している「ベルヌ条約」では、著作権の発生について「無方式主義」の考えを採用しています。
 これは「文章であれ音楽であれ、ある作品が生まれ瞬間に著作権も自動的に発生するから、一々お役所に届けて面倒な手続きをする必要はありませんよ、 作品が生まれた瞬間から、自動的に日本国の法律でその作品の著作権は保護されます」という考えかたです。
 人間でたとえていうと「ある人間がもつ人権は、自動的に発生するものです。たとえ親が役所に出生届けを出さなくても、その子の人権は生まれた瞬間からちゃんと法律で保護されてますよ」という考えかたに似ています。
 ということで、私が作ったり編曲したショボい曲も、自動的に著作権が発生しています。
 とはいえ、私は音楽で食ってるわけでもありませんので、うるさいことは申しません。
 そもそも、厳密な著作権保護の適用を主張できるほどリッパな曲でもありませんし…(^^;;
 このHPにアップしてある音源(mp3とかmidiなど)や楽譜は、どうぞご自由にダウンロードするなり、コピーしてお使いください。
 もし芝居に興味のあるかたが、ワークショップや練習、上演などにお使いくだされば、とても光栄です。その際は私にお知らせくださらなくてもOKです。
 ただし著作権は放棄しないので、もし二次的な利用をする場合(再配布とか、投稿サイトにアップするとか)は、出典として弊サイトのURL等をお書き下されば幸いです。
 もし私の音楽を使ってお金を損したり、耳が悪くなっても、私の責任は問わないでくださいね…(^^;;
 あと、本サイトにアップしてある楽曲の「歌詞」の著作権は、私ではなく翻訳者である故・岩淵達治先生(1927.7.6-2013.2.7)の著作権継承者に帰属しますので、その点はくれぐれもご注意くださいますよう。
【蛇足】 非営利の学生演劇も著作権料を支払う必要があるのか?

 著作権法の第38条1項によると、役者がノーギャラで入場無料なら、著作権料を支払う必要はありません。
【著作権法・第38条1項】 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金 (いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。
 しかし、お客さんにチケットを買ってもらう有料の公演の場合は、著作権者と相談し、著作権料を支払う義務があります。
 でも実際問題として、チケット代2千円〜3千円ていどの小劇場などは、ほとんどが赤字覚悟の公演です。もし仮に黒字になっても、「もうけ」とは言えない微々たるものです。
 そういう小劇場的な舞台上演については「著作権料を払ってくれなくてもいいですよ。ご自由にどうぞ」と公言する気前のよい著作権者も、昔はけっこういました。
 しかし近年の傾向として、小劇場にも「上演料を払ってください」とシッカリ要求する著作権者や団体が、増えています。
 脚本や楽譜の使用料として請求される金額は、著作権者によってまちまちですが、相場は1万円から3万円ていどです。昔とちがい、今はインターネットが普及してます。子供の観客ですら、自分のブログに芝居の感想を写真つきでアップする時代です。もし著作権者に連絡せず「もぐり」で上演しても、すぐに情報をキャッチされるでしょう。
 知的財産の保護は大切です。でも、行き過ぎも問題です。
 例えば、中高生や大学生が、発表会とか学園祭で芝居を上演する場合。
 著作権法の第38条1項の条文をすなおに読むかぎり、ふつうの学校演劇では、著作権者に上演料を払う必要はありません。
 しかし実際には、法律とは関係なく、学校演劇にも5千円ていどの脚本使用料を請求する著作権者や演劇団体が、多数派になりつつあります。
 こうした問題についてご興味のあるかたは、[2008-08-20[高校演劇と上演許可]高校演劇の上演料は、なぜ5000円なのか?]とか、[ネコにもわかる知的財産権──音楽や演劇に関わる権利]などのサイトをご覧ください。

【蛇足の蛇足】 私は大学1年生の秋(1983)、「駒場祭」の「文三劇場」で、筒井康隆作の戯曲『12人の浮かれる男』の上演に参加しました。
 自分のセリフとか、「俺たちゃあ、陽気な、陪審員〜!」「出てくる被告は、みんな有罪さ!」という歌は、今も部分的に覚えています。
 著作権料は……誰か払ったのかなあ(^^;;
 2009年12月10日放送のTV番組「ビーバップ! ハイヒール」(こちら)に 出演したとき、筒井康隆先生と初めてお会いしました(上の写真)。
 上演から26年後にして、やっと著作者にご報告し、「事後承諾」を得ることができました。
 ようやく肩の荷がおりました(^^;;

日本における上演等の記録──ネットで拾ってみました
 「イエスマン ノーマン」の本邦初演は、 1932年、東京音楽学校奏楽堂で上演された学校オペラ『デア・ヤーザーガーDer Jasager』(クルト・ワイル作曲)で、指揮は クラウス・プリングスハイム(Klaus Pringsheim)、少年役は藤山一郎(1911−1993)、という ものすごい顔ぶれであった。
 以後、日本でも音楽劇やセリフ劇として、さまざまな形で上演されたり、ワークショップや講座の教材とされてきた。
 1985年以降の公演やワークショップ、講義等で、たまたまネット上で拾った情報を参考までに載せる。 もちろん下記以外にも、たくさんあるはずである。

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