「八墓村(やつはかむら)」する

 ぼくが留学していた90年代初頭、中国の列車の一番安い自由席「硬座(インズオ)」は、いつも混んでいた。北京などの始発駅であれば、まだしも、寝台車や指定席などを買うことができるが、途中の駅からだと、「硬座」すら買うことは困難であった。日本と違い、コンピューターでつながれた「みどりの窓口」など存在しない中国の鉄道では、列車がその駅に着いてみないと、駅員でさえ席の空き具合がわからないのだ。風まかせのひとり旅の場合、来る列車、来る列車がみな満席で、駅で何日も待つ事態もありえた。・・・
 中国の列車の数、鉄道のキロ数は、人口に対して絶対的に不足していた。そのため、慢性的に東京の山の手線のラッシュ・アワー状態になった。山の手線はまだいい。中国の列車は運行距離が長いから、運よく「硬座」にもぐりこめても、翌朝までたちっぱなし、という可能性もある。
 そんなとき、座席を確保できる裏技があった。
 5元札の紙幣を眼鏡の両脇にはさんで、左右の座席をキョロキョロ見まわすのである(これを北京大学の留学生の符牒で「八墓村(やつはかむら)する」と言った)。すると不思議なことに、必ず近くの誰かが「その金で俺のこのジュースの瓶を買ってくれたら、あんたに俺の座席をゆずるよ」と声をかけてくる。日本のダフ屋のような商売だが、中国の列車の中には、この手の人間がもぐりこんでいる(それゆえ、ますます混むのだ)。10元は、1991年当時のレートでおよそ250円くらいだった。北京の町の食堂ではラーメンが1杯1元で、田舎にゆくとこの値段は半分になった。普通の中国人は、10元も出すくらいなら一晩中立ってる方がましだと思うのか、あるいは良心が邪魔するのだろう。ぼくは、自分以外の乗客がこの裏技を使うのを見たことがない。
 ちなみに「八墓村する」ときのコツは、外国人だとバレぬよう、中国人の顔に徹すること。外国人とわかれば、ジュースの瓶の値段は10倍になるし、スリにも狙われる。
 注意事項がひとつ。座席とともに買った瓶は、決して飲まぬこと。なぜか? たとえば、コカコーラのペットボトルの中に、黄色い液体が入ってるのだ(10年前の中国では、コーラは高級飲料だった)。
 この他にも、混雑する列車で必ず座れる方法、切符の無いはずの駅で切符を買う裏技が、何種類かあった。もちろん、どれも誉められた方法ではない。が、列車にかぎらず、中国での日常生活には「裏技」がつきものだった。中国人自身「裏技」なしでは生きられない時代が、長く続いていたのである。
 しかし「八墓村する」なんて、いまは遠い昔の笑い話。高度成長による経済発展にともない、いまの中国では「裏技」なんて使わなくても・・・
 やってゆけるんでしょうねえ、たぶん。



91,8,2・蘇州の寒山寺にて。「月落ち烏啼いて霜、天に満つ」。しかし8月の蘇州は日なみに蒸し暑く「寒山寺」という名前とは裏腹でした。


同日 町中にて。


 91,8,5・南京の中華門前にて。「昭和12年(1937)12月12日昼12時12分」12ならびの日時に南京に突入しようと、日本軍第6師団がここに猛攻をかけてきました。
 ちなみに、ある日本人の女の子がこの門のうえで写真をとったところ、無数の白い手のようなものが映っていて、恐かったそうです(そのころ南京大学に留学していた友人E.H.の話)。


91,8,6・南京市内の烏衣巷(ういこう)にて。南京大学で借りた自転車を乗りまわしていたら、偶然、唐の絶句で有名な「烏衣巷」を発見しました。ここは本当に、千年以上前の「烏衣巷」と同じ場所なのでしょうか?



91,8,24・北京郊外の蘆溝橋(ろこうきょう)にて。遠くに宛平城(えんぺいじょう)が見えます。1937年7月7日、旧暦6月1日の暗い夜、日本軍は橋のむこう側からこちら側に渡ってきて、以後、1945年8月まで戦争が続いたのです。





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