HOME > 授業教材集 > このページ

シリーズ四大文明 古代中国史
黄河・長江文明

最新の更新2023年12月03日    最初の公開2023年10月1日

以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4471901より自己引用。引用開始。
中国の古代文明は、インドや中東など他の文明から遠く離れた東アジアで成立し、一度も断絶することなく現在まで持続しています。古代中国文明の孤立性、持続性は、21世紀現在の中国にも大きな影響を与えています。およそ1万年前から2千年くらい前までの中国文明の歴史を、日本や西洋と比較しつつ、豊富な図版を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。
第1火曜日 15:30〜17:00 3回
Zoomウェビナーを使用したオンライン講座です。お問合せはcb9info@asahiculture.comで承ります。 

第1回 10/03 中国文明の特徴
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lOFjatcwRe0B7p6cyxbi0s

ポイント
辞書的な説明
「東方地中海」と「西方地中海」
東方地中海=the mediterranean sea in east Asia 「日本海」「黄海」「東シナ海」を中心とする海域の総称。
 ←→ 地中海東部/東地中海=the Eastern Mediterranean Sea

 西方地中海(ヨーロッパ、北アフリカ、中東)の主要国の顔ぶれは、数百年単位で変わる。
 東方地中海の主要国(日本、高麗=Korea、中国)の顔ぶれは、千年単位でも不変。なぜ?
[NASA world wind]で作成

例)西暦57年「倭の奴国」の使者が洛陽に行き、光武帝から「金印」を受領。
福岡市〜洛陽市の距離 約1650km > ローマ市〜ロンドン市の距離 約1450km
海地世界に関する歴史的な経験則
一、「ライバル国横並びの法則」。民度は互いに似ており、対立や戦争も多いが、統合も容易。
 欧州:ギリシャvsローマ、スペインvsポルトガル、ドイツvsフランス、バルト三国、北欧三カ国、・・・
 瀬戸内海:岡山vs広島vs山口、鳥取vs島根、香川vs愛媛、・・・
 東アジア:琉球vs九州vs本州(17世紀に統合)、南中国vs北中国(13世紀に統合)、・・・
二、「立て並びの関係は難しいという法則」。海を隔てて疎遠になりがちで、統合は困難。
 欧州:北岸諸国(キリスト教圏)vs南岸諸国(イスラム教圏)、・・・
 瀬戸内海:中国地方vs四国地方(毛利vs長宗我部、広島県vs愛媛県、・・・)
 東アジア:日本vs中国(9世紀から19世紀まで千年間無国交状態!!)、日本vs朝鮮、・・・

西方地中海の海域世界東方地中海の海域世界
海流密封型→穏やか。海運が容易。鎖国・海禁は不可能。半開型→荒海。鎖国・海禁が可能。
方向性東西に長い→ライバル国家の林立南北に長い→緯度による条件差が大、棲み分け
戦争「人種」間戦争・文明間戦争が多い。例)十字軍近代以前は文明間戦争はなかった。
「人種」構成多種多様比較的均質
基幹産業半集約農業/海商→人口の疎密化集約農業→人口の集中化
支配的な宗教一神教・『聖書』儒教・『論語』
文字体系表音文字漢字・漢字系文字
文明の特色市民階層・個人主義士民階層・古人主義
エントリーコスト小。外国人にもやさしい。大。外国人には敷居が高い。
主要国の中核領域数百年単位で変動千年単位で安定

日中関係史の概観 交流より直流。
近代以前は、国家規模の戦争は千年に三回だけ。曖昧な戦後処理→長い戦間期、「平和の配当」、無国交→次の戦争。

57年 倭の奴国の使者が洛陽に行く(金印)
239年ごろ、邪馬台国の使者が魏に行く


使
630年 日本から、第一回の遣唐使が唐に向けて出発。
663年 ★白村江の戦い、日本と百済の連合軍が、新羅と唐の連合軍に敗れる。
753年 鑑真、来日。
838年 円仁ら、最後の遣唐使が日本を出発。






894年 菅原道真の建議により、遣唐使廃止。
1274年 ★「蒙古襲来」(元寇)。蒙古(元)と高麗の連合軍が日本に侵攻。一二八一年にも侵攻。
1374年 日本の懐良親王(南朝)が、明の皇帝から「日本国王良懐」と認定される。
1401年 足利義満、明の皇帝から「日本国王源義満」の冊封を受ける。
1592年 豊臣秀吉の★朝鮮出兵の開始。日本が朝鮮半島に侵攻、朝鮮と明の連合軍と戦闘。
1603年 徳川家康が江戸幕府を開く。
1644年 中国の明王朝が滅亡。「日本乞師」。


1871年 日清修好条規。
1894年 日清戦争。
1937年 日中戦争。
1972年 日中国交正常化。

  1. 北部と南部→沿海部と内陸部 > 海防派と塞防派
  2. 「民族」の両義性:nation(ネイション、民族、国民、人民)←→ethnic group(エスニック・グループ、亜民族)
  3. 「中国人」と「華人」の違い
  4. アイデンティティー:民族、社会階層(身分、階級、階層、ステイタス)、地縁、血縁、信条(思想、宗教)

中国的思考法の特徴(「特長」に非ず) 漢字語源説「なめらかに美しく並ぶ」→礼(禮)、麗、令、霊、…
【仁・敗北】人が二人並ぶと「仁」。人が二人、背中どうしを向けあうと「北」。
中国人論の視点。「鳥の目、虫の目、魚の目」「3つの座標軸」「漢文派と唐話派」・・・
中国史の三つのスタートライン:古典古代(3千年前〜)、近世(3百年前〜)、現代(30年前〜)

龍と鳳(聞一多、陳舜臣)龍:老子的、融合、皇帝…
鳳:孔子的、純粋、皇后…
貝と羊(加藤徹、他)貝:殷人的、老子的、沿海部、商業、財・貨・買・購…
羊:周人的、孔子的、内陸部、道徳、義・美・祥・善…
cf.「皇帝」の語源=皇(黄、広、光、荒、・・・無限の膨張)+帝(締、蹄、啼、・・・一極集中)
日本語中国語
大義名分名正言順、借口(言い訳)
ホンネ心里話、真心話
タテマエ表面話、官場話、場面話、原則話
「党」の字源<正字「黨」:黒を含んでいる。
「民」の字源→「眠」「罠」と同系。→西洋的「市民」との違い。
殷人的周人的
沿海部内陸部
多神教的一神教的
財、貨、賤、財・・・姜、美、義、祥・・・
老子・荘子孔子・孟子
【分析の視点】
三つの目線 …鳥の目・虫の目・魚の目
三つの座標軸 ・・・世代軸・地域軸・階層軸
知・情・意と雅・俗による分類→「中国理解の三つの座標軸
摩擦抵抗、知の四象限→「中国的思考法の限界と特長
日本と中国の「時間差」 中国のほうが日本より先を行く面も多いが・・・
近代国家(日)明治元年1868(中)民国元年1912差は44年
内戦の終了(日)西南戦争1877(中)国共内戦〜19492差は72年
オリンピック(日)東京オリンピック(1940/64)(中)北京オリンピック2008差は44年(68年)
ルイスの転換点(日)1960年代(中)2010年代?差は50年
人口ボーナスの終了(日)1990〜(中)2015〜差は25年
航空母艦(日)「鳳翔」進水1921(中)「遼寧」就役2012差は91年
中国の課題:意外に弱いブランド力→世界中で愛されるキャラクターは孔子とパンダだけ
 しにせ企業が育たない→「木は動かすと死ぬ、人は動いてこそ生きる」、襲名制・家元制はない
 「摩擦損失」が多すぎる→外国に出たがる中国人、1937年〜1978年の「失われた40年」、「三十年在河東、三十年在河西」

中国人とのつきあいかた(一例)
(1)ホンネとタテマエを一致させた「大義名分」。cf. 「?」 > 愛国心 > 共産党
(2)現場中心の「浸透戦術」。cf.「電撃戦」「人海戦術」「包囲攻略戦」
(3)顔の見える「拙誠」の物語。cf.「英雄」と「ヒーロー」の違い


黄河文明
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mvOuhXumbekjtJ1R7FPAUl

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 ○その他


長江文明
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mhnJUoxbYl-3tIDhWtRIau

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表
○古蜀国(こしょくこく)
長江の上流、四川盆地には、中国の他の地域とは異なる特異な文明が存在した。
蜀は、成都を中心とする四川省一帯の古名。隣接する巴(は。現在の重慶市)とあわせて巴蜀地方という呼び方もある。
「蜀」の字源は「目の大きな虫」を描いた象形文字。「蛮」「閩(びん。現在の福建省)」「蜀」など「虫」がつく地名は、いにしえの黄河中流域の「中原」から見て、南の卑湿な未開地域であった。
日本では、劉備や諸葛孔明が活躍した三国志の「蜀」が有名。
以下、以下、「松岡正剛の千夜千冊」の https://1000ya.isis.ne.jp/1452.html より引用。引用開始。
 蜀王には名前がついている。初代が蚕叢で、次は柏灌、その次は魚鳧だ。三代で約1500年ほどがたつ。このうち柏灌の名は、この風土に扶桑信仰に続いて柏樹信仰があったこと、それらが「建木神話」を担っていたことを物語る。
 魚鳧という名は、この時代になって蜀や巴で鵜飼がさかんになっていただろうことを想定させる。だいたい中国で鵜飼が有名なのが四川なのである。宋の沈括の『夢渓筆談』にも、四川の水辺にいる者たちの多くが鵜飼をしていた、鵜は川辺の樹上に群棲するのでその糞尿で樹木が霜雪のように枯れる、それを蜀水華と言うのだと書いてある。
 三星堆からも鵜を象った青銅製の鳥がかなり多く出土した。この金属技能はもともと巴人がもっていたもので、それを甘粛の斉家文化→寺窪文化というプロセスをへて戈人の漁労集団が獲得したものだったろう。
(中略)
 つまりは、こういうことらしい。古代巴蜀の建国伝説は太古においてすでに養蚕・柏樹信仰・鵜飼・太陽伝説・霊亀観念・聖石崇拝をもっていて、そこに稲作が入ってきた。これが黄河文明には見られない独特の長江文明の母型をつくりあげた。こういうことだが、そうだとすると、四川の長江はナイル・インダス以上の古代文明の母型だったということだ。
 これらをさらに特色づけたのは三国時代以降の五斗米道が四川に流入したことだ。そこにはおそらく濃密なタオイズムが脈動した。初期道教だ。そもそも諸葛孔明が天下三分の計をなす前に四川の蜀に目をつけたのは劉焉だった。そこに張陵や張魯の五斗米道が広がりつつあった。曹操が漢中を破ったので、張魯は巴中に逃れていたのだ。
 この初期道教を伴う思潮と習慣が長江を下って、呉巫や越巫のほうへ降りていったのだろう。蜀から来た李寛は呉に来ても蜀人の方言を使い、水に呪いをかけて病気を治した。古代巴蜀文化はこうして長江を下っていったのである。センセイ曰く、「蓋し巴蜀は百川を入れる大湖にして、百川を出だす大湖である」。
参照 加藤徹「中国の古代都市・成都」#asahi-20220910.html

○その他

HOME > 授業教材集 > このページ