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遼河文明の謎
りょうがぶんめい の なぞ

最新の更新2023年10月5日    最初の公開2023年10月5日

2023年10月7日土曜 10:30〜12:00 朝日カルチャーセンター(https://www.asahiculture.com/)・新宿教室にて。
以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=1647579より自己引用。引用開始。
遼河は中国東北部を流れる大河です。中国文明の源流は、遼河文明・黄河文明・長江文明の3つである、というのが近年の有力な説です。英国の科学雑誌『ネイチャー』2021年11月25日号には、日本語や韓国語、モンゴル語、トルコ語などトランスユーラシア語族の起源は今から9千年前の遼河の農耕民の言葉だった、とする研究論文が発表されました。日本語のルーツとしても脚光を浴びる遼河文明について、豊富な図版を使いながら、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)

YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lhjDxpdyU03Ca68m_supjo

○ポイント、キーワード
 遼河文明は、黄河文明と違って、完全に忘れられた文明であった。その存在を20世紀初めに発見したのは日本人である。
 日露戦争で日本が勝利したあと、考古学者・鳥居龍蔵(1870-1953)が「満蒙」で調査を行い、1908年に、現在の内モンゴル自治区赤峰市にあたる場所で紅山後遺跡を発見した。中華人民共和国の時代、1954年に、この新石器時代の文化は「紅山文化」と命名された。
 その後、紅山文化を含め、遼河流域各地の新石器時代の「文化」をまとめて「遼河文明」と呼ばれるようになった。
遼河文明 紀元前6200年ごろの興隆窪文化(こうりゅうわぶんか)からはじまり、新楽文化、趙宝溝文化、紅山文化、夏家店下層文化を経て、紀元前500年ごろに終わる夏家店上層文化まで続く。
上述の赤峰紅山後遺跡や、遼寧省朝陽市の凌源市と建平県の境に位置する牛河梁遺跡などが有名。
黄河文明 紀元前7千年ごろの裴李崗文化にはじまり、老官台文化、北辛文化、磁山文化、仰韶文化、後岡文化、大?口文化、龍山文化を経て、青銅器時代の二里頭文化(紀元前2千年ごろから前1600年ごろ)、二里岡文化(殷王朝初期)を経て、殷王朝に至る。
陝西省西安市の半坡遺跡(はんぱいせき)や、河南省安陽市の殷墟などが有名。
長江文明 紀元前1万4千年ごろの玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき。稲モミが見つかっている)から紀元前1000年ごろまで。
浙江省余姚県の河姆渡遺跡(かぼといせき)や、四川省徳陽市広漢県の三星堆遺跡などが有名。

遼河文明に含まれる諸文化

その他
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