遼河は中国東北部を流れる大河です。中国文明の源流は、遼河文明・黄河文明・長江文明の3つである、というのが近年の有力な説です。英国の科学雑誌『ネイチャー』2021年11月25日号には、日本語や韓国語、モンゴル語、トルコ語などトランスユーラシア語族の起源は今から9千年前の遼河の農耕民の言葉だった、とする研究論文が発表されました。日本語のルーツとしても脚光を浴びる遼河文明について、豊富な図版を使いながら、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。と、文明は普遍、文化は特殊、という彼独特の使いかたをした。
遼河文明 |
紀元前6200年ごろの興隆窪文化(こうりゅうわぶんか)からはじまり、新楽文化、趙宝溝文化、紅山文化、夏家店下層文化を経て、紀元前500年ごろに終わる夏家店上層文化まで続く。 上述の赤峰紅山後遺跡や、遼寧省朝陽市の凌源市と建平県の境に位置する牛河梁遺跡などが有名。 |
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黄河文明 |
紀元前7千年ごろの裴李崗文化にはじまり、老官台文化、北辛文化、磁山文化、仰韶文化、後岡文化、大?口文化、龍山文化を経て、青銅器時代の二里頭文化(紀元前2千年ごろから前1600年ごろ)、二里岡文化(殷王朝初期)を経て、殷王朝に至る。 陝西省西安市の半坡遺跡(はんぱいせき)や、河南省安陽市の殷墟などが有名。 |
長江文明 | 紀元前1万4千年ごろの玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき。稲モミが見つかっている)から紀元前1000年ごろまで。 浙江省余姚県の河姆渡遺跡(かぼといせき)や、四川省徳陽市広漢県の三星堆遺跡などが有名。 |
集落の成立(紀元前7,000年頃〜紀元前5,000年頃)
集落の構成要素となる住居は、地域によって形態が異なる。シベリアでは移動に適したテント型の住居、中国華北以南の地域では平地建物や高床建物、日本列島や中国東北部、ロシア極東、朝鮮半島では竪穴建物が用いられた(大貫2010)。紀元前7,000年頃になると、北東アジアでは地理的・自然的環境に応じた生業が営まれ、地域差も生じはじめた。中国やロシアの考古学研究では、遺構や遺物の時間的・空間的なまとまりに基づき、さまざまな考古学文化が設定されている(図3)。