医と法と倫理の研究センター

西ライブラリー

西ライブラリーのご紹介

当資料館では、西三郎先生が所蔵していた公衆衛生関連の図書系資料を整理・収蔵しています。

西三郎先生 文献リスト>>

西三郎先生略年譜

年  月 経  歴
1927年(昭和 2年) 1月11日東京市に生まれる
1950年(昭和25年) 3月成城学園成城高等学校高等科理科卒業
1950年(昭和25年) 4月千葉医科大学入学
1954年(昭和29年) 3月千葉大学千葉医科大学卒業
1955年(昭和30年) 3月医学実地訓練終了
1955年(昭和30年) 6月第18回医師国家試験合格
1955年(昭和30年) 7月医籍登録 医師
1955年(昭和30年) 7月千葉大学大学院医学研究科社会医学系公衆衛生学専攻 博士課程
1959年(昭和34年) 3月千葉大学医学研究科終了 医学博士(千葉大学)
1959年(昭和34年) 4月厚生省に採用, 厚生技官任官 国立公衆衛生院勤務
1960年(昭和35年) 4月千葉大学文理学部非常勤講師(1961年3月まで)
1963年(昭和38年) 7月国立公衆衛生院衛生行政学部衛生行政室長
1978年(昭和53年) 4月千葉大学看護学部非常勤講師兼職 地域看護学 (1993年3月まで)
1983年(昭和58年) 2月国立公衆衛生院衛生行政学部長
1984年(昭和58年) 4月東京大学医学部非常勤講師兼職 公衆衛生学兼職(1990年3月まで)
1983年(昭和58年) 5月国立公衆衛生院教授
1984年(昭和59年) 5月総理府技官併任 経済企画庁経済研究所勤務
1984年(昭和59年)10月兼官を免ず
1984年(昭和59年)12月国立公衆衛生院退職
1985年(昭和60年) 1月東京都立大学教授 人文学部社会福祉行政論講座担当 兼 大学院社会科学研究科担当
1985年(昭和60年) 4月横浜市立大学医学部非常勤講師兼職 医学史(1991年3月まで)
1988年(昭和63年) 4月日本女子大学非常勤講師兼職 保健医療論,医学一般(1990年3月まで)
1990年(平成 2年) 3月東京都立大学定年退職
1990年(平成 2年)財団法人医療科学研究所理事
1991年(平成 3年) 4月瑞穂短期大学公衆衛生学教授兼愛知みずほ大学設置準備委員
1993年(平成 5年) 1月愛知みずほ大学教授,人間科学部長
1993年(平成 5年) 4月愛知みずほ大学人間科学部人間福祉学専攻長兼務(1998年3月まで)
1996年(平成 8年) 4月田原福祉専門学校校長兼務(1999年3月まで)
1996年(平成 9年)11月叙勲(勲三等瑞宝章)
1999年(平成11年) 4月東海大学健康科学部・大学院健康科学研究科保健福祉学専攻教授
2001年(平成13年) 3月東海大学定年退職
2005年(平成17年) 4月第一福祉大学教授人間社会福祉学部社会福祉学科(2007年3月まで)
2007年(平成19年) 4月山口福祉文化大学教授(2011年3月まで)
2012年(平成24年) 11月23日逝去 従四位に叙せられる

所属学会等

日本公衆衛生学会評議員
日本医事法学会理事
日本プライマリー・ケア学会評議員
日本医療情報学会幹事
千葉医学評議員
社会医学研究会世話人
社会薬学研究会理事
日本医学教育学会
日本エム・イー学会
国際医療保健学会
日本老年社会科学会
日本健康科学会監事
日本総合検診学会
理論・計量経済学会
日本計画行政学会
日本統計学会
日本社会保障法学会
法とコンピュータ学会
日本社会福祉学会
日本地域福祉学会

賞罰

1974年7月 唄孝一等との共同研究に昭和49年朝日学術奨励金交付を受ける
1981年8月 社団法人日野市医師会より感謝状「地域医療の向上に貢献」を受ける
1986年2月 三鷹市長より感謝状「障害児の福祉の向上に貢献」を受ける

主な研究分野

公衆衛生学特に衛生行政学、保健計画学、医事法学、医療経済学、医療情報学
社会福祉学特に社会福祉行政論、地域福祉論

西三郎関連資料

西三郎関連資料

現在のELMの資料群の中核は、唄孝一先生が収蔵されていた資料群ですが、そのいわば唄ライブラリーをある時は支え、またある時は補充するものとして西三郎先生が収蔵されていた資料群(西ライブラリー)があります。

当資料館では、調整作業中に発見された西三郎先生の直筆のノートなど多数を保管しています。例えば、昭和41年10月1日から使用されていたノートには、公衆衛生基本法についての議論がメモされています。ご存知の通り、そのような名前の法律はありません。

現在、医療基本法という名の法律の法案が関係各所から出されています。それらにおいて、はたしてどれだけ公衆衛生について気が配られているでしょうか? このメモは、現在盛んになされている議論を冷静に見つめさせてくれます。

また、昭和51(1976)年1月18日に開催された第7回日本医事法学会のことが記録されたノートでは、鈴木俊光先生(当時明治大学教授)の「診療過誤についての一考察」という報告の、記録があります。

ノートをみると、報告者の報告内容について詳細な記録がとられていますが、それ以上に驚くのは報告後になされる質疑応答についても、誰が質問したのか、質問者のお名前も含め詳細に記録が残されていることです。”一言も聞き漏らすまい”という西先生の学問における姿勢を窺うことができる資料です。(この資料の詳細については、日本医事法学会『医事法学叢書3 医事紛争・医療過誤』(日本評論社1986年)95~126頁をご覧ください。)

西三郎先生は、そのご略歴から窺えるように公衆衛生一筋の生涯をおくられました。公衆衛生は、ただ病気を予防することを目的としているものではなく、もっと幅広く国民の健康を増進させ、より豊かで幸せな社会を作ることを目的としています。それは象牙の塔に籠もっていても叶えられません。

西三郎関連資料

西先生は、積極的に地域に根ざした活動もなされています。その活動を記したノートもあります。そのノートの最後にこのような走り書きが残されています。

良く仕事をさなっているのは
判りましたが もう少こし
子ども達が本当に
幸せる生活が送れるように
なって来ているのかを話して下さると有り難いが

地域の子ども達のことに思いを馳せ、その子ども達のことを気づかう先生のお人柄が偲ばれます。