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 本教材の内容を活用して、2004年8月、中央公論新社より『漢文力』という本を上梓しました(詳しくはこちら)。
 それにともない、広島大学の授業「中国文学の世界」の使用教科書も、上記の本に変更しましたが、こちらのサイトは記録して残しておきます。
 なお、本教材および『漢文力』に出てくるキーワード(哲学用語、現代の術語)および外国の固有名詞については、『漢文力』キーワード・外国人名等一覧表を御覧ください。
2005.3.3追記
 本稿は、広島大学の授業「中国文学の世界」用オリジナル教科書の原稿をhtml化したものです。
 原本の教科書(広島大学生協で販売)は、B5版、タテ組みで、分量は全110頁です。
 お使いの端末にインストールされている文字セットの関係で、一部の漢字がもしかすると文字化けしたり、「?」と表示される可能性もありますので、ご注意ください。
 なお、お使いのブラウザの文字表示サイズを「大」に設定なさることをお勧めします(書き下し文が読みやすくなります)。
2003年8月3日記


 人間とは何か?
 「わたし」はなぜ生まれ、なぜ死んでゆくのか?
 永遠に答えの無い答えを求めて、先人がのこした古典文学をたどる探求の旅。


広島大学 パッケージ科目 人間と文化
加藤 徹 担当

中国文学の世界
教材

平成十五年九月版
 
 内容目次
 
  本篇     二頁ー七三頁
  補充教材篇  七四頁ー一一〇頁
 
「自分」の不思議 ・・・・・・二頁、補充・七四頁
内面と外面 ・・・・・・七頁、補充・七五頁
言葉の限界 ・・・・・・一〇頁、補充・七六頁
 
あの世の有無 ・・・・・・一二頁、補充・七八頁
宗教とは何か ・・・・・・一九頁、補充・八一頁
生命の連鎖 ・・・・・・二四頁、補充・八二頁
 
老いと成長 ・・・・・・二七頁、補充・八三頁
親と子 ・・・・・・三二頁、補充・八八頁
色と恋 ・・・・・・三三頁、補充・八八頁
 
大自然の掟 ・・・・・・三四頁、補充・八九頁
自然認知 ・・・・・・三六頁、補充・八九頁
宇宙の謎 ・・・・・・三九頁、補充・九一頁
人知の限界 ・・・・・・四二頁、補充・九三頁
推移の感覚 ・・・・・・四四頁、補充・九五頁
 
教育について ・・・・・・四六頁、補充・一〇〇頁
細分化・専門化 ・・・・・・四九頁、補充・一〇一頁
適材適所 ・・・・・・五一頁、補充・一〇二頁
無用の用 ・・・・・・五三頁、補充・一〇二頁
世に出る ・・・・・・五四頁、補充・一〇三頁
人間関係 ・・・・・・五八頁、補充・一〇四頁
 
文化と文明 ・・・・・・五九頁、補充・一〇四頁
政治について ・・・・・・六〇頁、補充・一〇六頁
戦争について ・・・・・・六四頁、補充・一〇八頁
戦略・戦術・戦闘術  ・・・・・・六九頁、補充・一〇八頁
 
 
 
 
○ 「自分」の不思議 ○  
ーー「わたし」とは何でしょうか?
 
☆[考えてみよう]☆ 気の遠くなるほどたくさんの偶然が重なった結果、今のあなたがここにいます。ざっと計算すると、それは何分の一くらいの確率だったのでしょうか? (思考時間三分)
 
  登幽州台歌  幽州(ゆうしゅう)の台(だい)に登(のぼ)る歌
唐(とう) 陳子昂(ちんすごう)(六六一ー七〇二)
 前不見古人    (まへ(え))に古人(こじん)を見(み)
 後不見来者    (しりへ(え))に来者(らいしゃ)を見ず
 念天地之悠悠   天地(てんち)の悠々(ゆうゆう)たるを念(おも)(い)
 独愴然而涕下   (ひと)り愴然(そうぜん)として涕(なんだ)(くだ)
 
 幽州(ゆうしゅう)(いまの北京(ぺきん)一帯)の台(うてな)(高層建築)にのぼって、世界をながめた。昔の人や未来の者は、どこにも見えなかった。永遠の時空のなかで、たった一人のかけがえのない「自分」が、いま、ここにいる。
 どっと涙があふれた。
 
★☆[参考]☆★ 
    土の褥(しとね)の上に横(よこた)わっている者、
    大地の底にかくれて見えない者。
    虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
    そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。
    ーーオマル・ハイヤーム(一〇四〇?ー一一二三)作
小川亮介訳『ルバイヤート』(岩波文庫)
 
 
  ☆[考えてみよう]☆ 自分で自分を裏切る。自分で自分を許せない。そんなことがよくあります。そんな自分は、一人といえるのでしょうか?(思考時間三分)
 
  主人公
南宋(なんそう) 無門慧開(むもんえかい)(一一八三ー一二六〇)『無門関(むもんかん)』
 瑞巌彦和尚、毎日自喚主人公、復自応諾。乃云「惺惺着」「?」「他時異日、莫受人瞞」「??」
 瑞巌彦和尚(ずいがんげん おしょう)、毎日自(みづか)ら主人公と喚(よ)び、復(ま)た自(みづか)ら応諾(おうだく)す。乃(すなは)ち云(いは)く「惺惺着(せいせいじゃく)」「?(だく)」「他時異日(たじいじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ」「??(だくだく)
 瑞巌の彦和尚という人は、毎日、自分に向かって「主人公」と呼びかけ、自分で「はい」と答えた。「しっかりしろよ」「はい」「どんな時も他人にだまされるなよ」「はいはい」
 
★☆[参考]☆★  エピクテートスがいったように「君は一つの小さな死体をかついでいる小さな魂にすぎない。」
  ーーマルクス・アウレーリウス『自省録』第四章四十一節
(神谷美恵子訳、岩波文庫版)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 自分とは別の人間である他者の「内面」を、自分は理解できるのでしょうか?(思考時間一分)
 
★☆[参考]☆★  
 博(ひろし)は、寅(とら)さんの妹と結婚したがっている。だが寅さんは、かわいい妹を博に取られたくない。
博「もし、仮にあんたに好きな人がいて、その人の兄さんが『お前は 大学出じゃないから妹はやれん』と言ったら、あんたどうする」
寅「なに? 俺に好きな人がいてその人に兄さんが・・・・・・バカヤロー、 いるわけねえじゃねえか! 冗談言うなって」
博「いや、仮にそうだとしても、今の俺と同じ気持になるはずだと・・・」
寅「冗談言うなよ! 俺がお前と同じ気持になってたまるか。馬鹿に すんなこの野郎」
博「なぜだ」
寅「『なぜだ』? お前、頭が悪いな。俺とお前は別の人間だぞ。早(はえ) え話が、俺がイモ食えば手前(てめえ)の尻(しり)からプッと屁(へ)がでるか? どうだ」
博「・・・・・・」
寅「ザマ見ろ、人間、理屈じゃ動かねえんだ。言いたいことがあった ら言ってみな、馬鹿」
ーー映画『男はつらいよ』第一作
 
  魚の楽しみ
『荘子』秋水篇第十七
 荘子与恵子遊於濠梁之上。荘子曰「?魚出游従容。是魚楽也」。恵子曰「子非魚、安知魚之楽」。荘子曰「子非我、安知我不知魚之楽」。恵子曰「我非子、固不知子矣。子固非魚也。子之不知魚之楽、全矣」。荘子曰「請循其本。子曰『女安知魚楽』云者、既已知吾知之而問我。我知之濠上也」。
 荘子(そうし)、恵子(けいし)と濠梁(ごうりょう)の上(ほと)りに遊ぶ。荘子曰(いは)く「?魚(ゆうぎょ)、出游(しゅつゆう)すること従容(しょうよう)たり。是(こ)れ魚の楽しみなり」と。恵子曰(いは)く「子(し)は魚に非(あら)ず、安(いづく)んぞ魚の楽しみを知らんや」と。荘子曰(いは)く「子は我に非(あら)ず、安(いづく)んぞ我の魚の楽しみを知らざることを知らんや」と。恵子曰(いは)く「我は子に非(あら)ず、固(もと)より子を知らず。子も固より魚に非(あら)ず。子の魚の楽しみを知らざること、全(まった)し」と。荘子曰(いは)く「請ふ、其の本に循(したが)はん。子の曰(い)ひて『女(なんぢ)(いづく)んぞ魚の楽しみを知らんや』と云(い)へる者(もの)は、既已(すで)に吾(われ)の之(これ)を知るを知りて我に問へり。我は之(これ)を濠の上(ほと)りに知るなり」と。
 荘子が恵子と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。
「ハヤが自由自在に泳ぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」
 恵子は反論した。
「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」
「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」
「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」
「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君が、他者であるぼくの知覚能力を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」
 
★☆[参考]☆★  去る昭和四十年の九月に京都で,中間子論三十周年を記念して,素粒子に関する国際会議を開いた。出席者が三十人ほどの小さな会合であった。会期中の晩餐会の席上で,上記の荘子と恵子の問答を英訳して,外国からきた物理学者たちに披露した。皆たいへん興味をもったようである。
ーー湯川秀樹(ゆかわひでき)「知魚楽」(『湯川秀樹著作集』6)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 十四歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか。
ーー『文藝(ぶんげい)』三十七巻二号 (一九九八年夏)「緊急アンケート」
(思考時間一分)
 
  己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所は人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ
『論語』衛霊公(えいれいこう)第十五
 子貢問曰「有一言而可以終身行之者乎」。子曰「其恕乎。己所不欲、勿施於人也」
 子貢(しこう)(と)ひて曰(いは)く「一言(いちごん)にして以(もっ)て終身之(これ)を行(おこな)ふべき者(もの)(あ)りや」と。子(し)の曰(のたま)はく「其(そ)れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所は、人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」と。
 孔子の弟子の子貢が言った。「たった一言(ひとこと)で言えて、しかも死ぬまで実践できるような黄金律(おうごんりつ)はあるのでしょうか」。先生は言われた。「まあ、恕(思いやり)だろうね。自分がされたくないことを他人にするな、ということだ」。
 
★☆[参考]☆★  黄金律(ゴールデン・ルール)
 然(さ)らば凡(すべ)て人に為(せ)られんと思(おも)ふことは、人にも亦(また)その如(ごと)くせよ。これは律法(おきて)なり、預言者(よげんしゃ)なり。
ーー『新約聖書』「マタイ伝」第七章・十二(日本聖書協会)
 あるとき、非ユダヤ人が一人やってきた。(ユダヤ教の学者兼僧侶(ラビ)である)ヒレルに、「私が片足で立ち続けていられるだけの時間に、ユダヤの学問のすべてを教えよ」と言った。
 そのときヒレルは、「自分がやってもらいたくないことを他人にするな」と答えた。
ーーラビ・M・トケイヤー著・加瀬英明訳
『ユダヤ五〇〇〇年の知恵』講談社+α文庫
 
 
  匹夫(ひっぷ)の志(こころざし)
『論語』子罕(しかん)第九
 子曰「三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也」
 子の曰(のたま)はく「三軍も帥(すい)を奪ふべきなり。匹夫(ひっぷ)も志を奪ふべからざるなり」と。
 先生は言われた。「大軍でも、その大将を奪うことはできる。たった一人の男でも、その志を奪うことはできない」
 
 
  己(おのれ)の為(ため)にす
『論語』憲問(けんもん)第十四
 子曰「古之学者為己、今之学者為人」
 子の曰(のたま)はく「古(いにしへ)の学ぶ者(もの)は己(おのれ)の為(ため)にし、今の学ぶ者(もの)は人の為(ため)にす」と。
 先生は言われた。「むかしの人は、自分のために勉強した。いまどきの人は、他人の目のために勉強する」
 
★☆[参考]☆★  (前略)
  ああ、世の中はなぜ
  こんなに複雑にできてしまっているのだ・・・・・・
  ブスならブスでいい
  美人なら美人でいい、
  なぜもっと自分の立場を把握して
  楽しく充実たっぷりに生きられないのだ!・・・・・・
  おお! 自分だけなんだよ!
  自分にすがるしかないんだよ!
  強くならなきゃならないのは自分!
  そこに何もかも見えてくる。
  自分が不幸であることも!
  自分が今、何をしなければいけないかも!
ーー山田かまち(一九六〇ー七七)七六年五月のノートより
 
 
  己(おのれ)に求める
『論語』衛霊公(えいれいこう)第十五
 子曰「君子求諸己、小人求諸人」
 子の曰(のたま)はく「君子(くんし)は諸(これ)を己(おのれ)に求め、小人(しょうじん)は諸(これ)を人に求む」と。
 先生は言われた。「君子(立派な人)は何事も自分に求める。小人(つまらぬ人)は他人に求める」
 
 
  敵を知り己(おのれ)を知らば・・・
『孫子(そんし)』謀攻篇第三
 知彼知己者、百戦不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戦必殆。
 彼(かれ)を知り己(おのれ)を知る者(もの)は、百戦、殆(あや)ふからず。彼を知らず己(おのれ)を知れば、一勝一負す。彼を知らず己(おのれ)を知らずんば、戦ふ毎(ごと)に必ず殆ふし。
 戦争するとき、相手のことも自分のこともよく知っている者は、百回戦っても危なくない。相手のことはよく知らぬが、自分のことは知っている場合は、勝敗の率は半々だ。相手を知らず、自分のことも知らぬなら、戦うごとに危険である。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ どうしたら他人を誤解しなくて済むのでしょう?(思考時間一分)
 
★☆[参考]☆★  音楽家の團伊玖磨(だん いくま)(一九二四ー二〇〇一)が『パイプのけむり』に書いた、八歳のときの体験談。
 小学校の図画の時間。クレヨンでバラの花を写生した。突然、先生が團少年の絵を取り上げ、それを教壇の上からクラス中に示して叱った。
「見た通りに描けとあれほど言ったのに、なぜ見た通りに描かないのですか。先生の言った通りに出来ない子供は、心のねじけた子供です」
 先生は罰として團少年を教室の隅に立たせた。團少年は、一切が何のことやらわからずに泣いた。一所懸命に見た通りに描いていたのに。・・・・・・自分が「色盲(しきもう)」であると知ったのは、だいぶあとになってからだった。
 
  人に理解してもらえぬ苦しみ
『論語』学而(がくじ)第一
 子曰「不患人之不知己。患己不知人也」
 子の曰(のたま)はく「人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)へず。己の人を知らざるを患ふ」と。
 先生は言われた。「他人から理解されぬことを悩むな。自分が他人を理解していないことを悩め」
 
★☆[参考]☆★  さびしいとき
 
   わたしがさびしいときに、
   よその人は知らないの。
 
   わたしがさびしいときに、
   お友だちは笑ふの。
 
   わたしがさびしいときに、
   お母さんはやさしいの。
 
   わたしがさびしいときに、
   仏さまはさびしいの。
 
ーー金子みすヾ(一九〇三ー一九三〇)(『金子みすヾ全集』)
 
★☆[参考]☆★  妻を理由なくいじめるな。神は彼女の涙の粒を数えるから。
ーー『ユダヤ五〇〇〇年の知恵』
 
 
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 右の他、「補充教材」七四頁(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 内面と外面 ○  
ーー自分の命や体は、本当に自分のものなのでしょうか?
 
★☆[参考]☆★ 
 ぼくの頭の中に
 最高の宝石がずらりと陳列され
 珠玉の音楽が、鋼鉄のようにランクされる。
 名画名場面は脳裏にはりつめられ、
 それらはきらめく宮殿の中・・・
 宮庭は無限に美しい可能の余地を拡張しつづけ、
 その自然環境には目をみはりすぎるものがある。
 
 ぼくの頭の中の青く不思議な世界
 だが、なぜ、見るもの感じるもの
 その世界に入ってこない・・・
 彼ら全く興味なく通りすぎ、
 この世界に入ってこない・・・
 
 くそ! くそ!
 こんなにぼくが待っているのに・・・
 こんなに準備したのに・・・
(下略)
ーー山田かまち(七六年五月)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 事故で手足を失った人が、ないはずの手足の痛みや痒(かゆ)みを実感する「幻肢(げんし)」という現象があります。頭では幻覚だと理解していても、痛みや痒みが止まないのはなぜでしょうか?(思考時間三分)
 
★☆[参考]☆★  ある悪魔的な科学者がいた。彼は生きた人間の頭蓋骨から脳を取り出し、培養液の中に浮かべた。培養槽の中の脳は、超高性能コンピューターと接続され、生かされ続けた。コンピューターは、全ての知覚・感覚が以前と同じように起こるよう脳を制御してる。その結果、脳は「手を伸ばし、木になっているリンゴを取ってかじる」などの実感を完璧に味わい、それが現実であると思いこむ。自分が本当は培養液の中の脳であるとは、決して気づかない。
 さて、あなた自身、自分がこのような培養液に浮かぶ脳ではないと、論理的に証明できるか?
ーーヒラリー・パトナム(Hilary Putnam)の思考実験
「培養槽(ばいようそう)の中の脳」("brain in a vat" hypothesis)
 
胡蝶
  胡蝶(こちょう)の夢
『荘子』斉物論篇第二
 昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与、不知周也。俄然覚、則??然周也。不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
 昔(むかし)、荘周(そうしゅう)、夢(ゆめ)に胡蝶(こちょう)と為(な)る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自(みづか)ら喩(たの)しみて志(こころ)に適(かな)ふか、周たるを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則(すなは)ち??然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為(な)るか、胡蝶の夢に周と為(な)るか。周と胡蝶とは、則(すなは)ち必ず分(ぶん)(あ)らん。此(こ)れを之(こ)れ「物化(ぶっか)」と謂(い)ふ。
 むかし荘周(そうしゅう)は夢に胡蝶(こちょう)となった。楽しく飛び回る胡蝶であった。心が楽しくて思い通りだったせいか、夢のなかでは自分が荘周であることを自覚しなかった。ふと目がさめると、自分はまぎれもなく荘周である。いったい荘周が夢で胡蝶となっていたのか、胡蝶が夢で荘周となっているのか。荘周と胡蝶には必ず区分があるのだろう。これを「物化」という。
 
★☆[参考]☆★ 
   一日物云(ものい)はず蝶(ちょう)の影さす
ーー尾崎放哉(おざき ほうさい)(一八八五―一九二六)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 私たちは自分の体さえ思いどおりにできません(もし思い通りにできるなら、肥満や病気や老化で苦しむことはありません)。そう考えると、自分の体は自分の所有物であると、本当に言えるのでしょうか?(思考時間三分)
 
  汝(なんぢ)の身(み)すら汝の有(ゆう)に非(あら)ざるなり
『荘子』知北遊篇第二十二
 舜問乎丞曰「道可得而有乎」。曰「汝身非汝有也。汝何得有夫天道」。舜曰「吾身非吾有也、孰有之哉」。曰「是天地之委形也(下略)」。
 舜(しゅん)、丞(じょう)に問(と)ひて曰(いは)く「道(みち)は得(え)て有(ゆう)すべきや」と。曰く「汝の身すら汝の有に非ざるなり。汝、何(なん)ぞ夫(か)の天道を有するを得んや」と。舜曰く「吾(わ)が身、吾が有に非ざれば、孰(たれ)か之(これ)を有するや」と。曰く「是(こ)れ天地の委形(いけい)なり(下略)」と。
 舜が丞に質問した。「道を自分のものとできるでしょうか」。丞が答えて「おまえの体さえ、実はおまえのものではないのだ。どうして、自然の道などというものを自分のものにできようか。できはしない」と言うと、舜は「自分の体が自分のものでない、とすると、自分の体は誰のものなのでしょうか?」と質問した。丞は「大自然からの預かりものだよ」と答えた。
 
 
★☆[参考]☆★  星新一(ほししんいち)(一九二六ー九七)の短編小説より。
 未来の病院。交通事故に会い重体となった男が運びこまれる。男は目を覚ます。ぼんやりとした明るさがあるだけで、目の焦点(しょうてん)がさだまらない。ただ女医(じょい)の呼びかけの声だけが聞こえる。
 男は足の裏がかゆいので、女医に「かいてくれ」と頼む。女医は気の毒そうに「実はあなたの足はもうありません」と答える。男はショックを受けるが、気をとりなおし、「腹(はら)が痛い」と訴える。女医は「実はあなたのお腹(なか)もありません」と打ち明ける。男はびっくりし、心臓がどきどきし、頭に血がのぼり、「こめかみが痛む」と訴える。女医はためらったあと、真実を打ち明ける。
「あなたの体はもうありません。あなたの脳だけを取り出し、培養液のなかに浮かべ、電線で装置につないで意志疎通(いしそつう)をしているのです」
 男は覚悟を決め、最後の質問をする。
「おれは生きているのだろうか? それとも、生きているような気がしているだけなのだろうか?」
 女医は考えたあと、衝撃的な回答を口にする。ーー
 さて、もしあなたがこの女医だったら、どう答えますか?(女医の答えは、星新一『これからの出来事』新潮文庫をご覧下さい)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 聞く人が誰もいない森のなかで木が倒れたら、音はするのでしょうか?(思考時間三分)
 
  非風非幡(ひふうひはん)
『無門関』
 六祖、因風??幡。有二僧、對論。一云「幡動」。一云「風動」。往復曾未契理。祖云「不是風動、不是幡動。仁者心動」。二僧悚然。
 六祖(りくそ)、因(ちな)みに風?幡(せっぱん)を?(あ)ぐ。二僧(にそう)有り、対論す。一(いつ)は云(いは)く「幡(はた)動く」と。一(いつ)は云(いは)く「風動く」と。往復し曽(かっ)て未(いま)だ理(り)に契(かな)はず。祖(そ)(いは)く「是(こ)れ風動くにあらず、是れ幡(はた)動くにあらず。仁者(にんじゃ)の心動くなり」と。二僧悚然(しょうぜん)たり。
 六祖(禅宗第六代目)の慧能(えのう)が、まだ本当の身分を隠していたとき、広州(こうしゅう)の寺に行った。
 寺ではちょうど説法(せっぽう)(仏の教えの講習会)の最中で、説法を告げる幡(はた)が風にパタパタとはためいていた。それを見ていた二人の僧が、「因果(いんが)」について論争をはじめた。「あれは幡が動いているのだ」。「いや、風が動いているのだ」。堂々巡りで決着が着かなかった。六祖(りくそ)が脇から言った。
「風が動いているのでも、幡が動いているのでもありません。おふたりの心が動いているのです」
 二人の僧は、ゾッと鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。
 
 
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 右の他、「補充教材」七五頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 言葉(ロゴス)の限界 ○  
ーー自分と他人はどこまでわかりあえるのでしょうか?
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「キティちゃん」には、なぜ口がないのでしょう?(思考時間五分)
 
  渾沌(こんとん)、七竅(しちきょう)に死す
『荘子』応帝王篇第七
 南海之帝為?、北海之帝為忽、中央之帝為渾沌。?与忽、時相与遇於渾沌之地。渾沌待之甚善。?与忽、謀報渾沌之徳、曰「人皆有七竅、以視聴食息。此独無有。嘗試鑿之」。日鑿一竅、七日而渾沌死。
 南海(なんかい)の帝(てい)を?(しゅく)と為(な)し、北海(ほっかい)の帝を忽(こつ)と為(な)し、中央の帝を渾沌(こんとん)と為(な)す。?と忽と、時に相(あひ)(とも)に渾沌の地に遇(あ)ふ。渾沌、之(これ)を待(たい)すること甚(はなは)だ善(よ)し。?と忽と、渾沌の徳に報(むく)いんことを謀(はか)りて曰(いは)く「人皆七竅(しちきょう)有りて、以(もっ)て視聴食息(しちょうそくしょく)す。此(こ)れ独(ひと)り有る無し。嘗試(こころみ)に之(これ)を鑿(うが)たん」と。日(ひ)に一竅(いっきょう)を鑿つに、七日(なぬか)にして渾沌死せり。
 南海の帝を倏(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。倏と忽はときどき渾沌の地で会った。渾沌のもてなしはとても行き届いていた。倏と忽は渾沌にお礼をしようと思い、相談して言った。
「人間の顔には目耳鼻口に七つの穴があり、それで視聴飲食しているが、彼にだけは無い。ためしに穴をあけてあげよう」
 一日にひとつずつ穴をあけていったところ、七日目に渾沌は死んだ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 生まれつき嗅覚(きゅうかく)障害をもち、いままで一度も「におい」を体験したことのない人から「においって、どんな感覚なの? 鼻のなかに味がわいてくるの?」と質問されたら、あなたは言葉でどう説明しますか?(思考時間五分)
 
  古人の糟粕(そうはく)
『荘子』天道篇第十三
 桓公読書於堂上。輪扁?輪於堂下。釈椎鑿而上、問桓公曰「敢問公之所読為何言邪」。公曰「聖人之言也」。曰「聖人在乎」。公曰「已死矣」。曰「然則君之所読者、古人之糟魄已夫」。桓公曰「寡人読書、輪人安得議乎。有説則可、無説則死」。輪扁曰「臣也、以臣之事観之。?輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手、而応於心、口不能言、有数存焉於其間。臣不能以喩臣之子、臣之子亦不能受之於臣。是以行年七十而老?輪。古之人与其不可伝也、死矣。然則君之所読者、古人之糟魄已夫」。
 桓公(かんこう)、書を堂上(どうじょう)に読む。輪扁(りんぺん)、輪(りん)を堂下(どうか)に?(けづ)る。椎鑿(ついさく)を釈(す)てて上(のぼ)り、桓公に問ひて曰(いは)く「敢(あへ)て問ふ、公(こう)の読む所、何(なん)の言(げん)と為(な)すや」と。公曰(いは)く「聖人(せいじん)の言なり」と。曰(いは)く「聖人在(あ)りや」と。公曰(いは)く「已(すで)に死せり」と。曰(いは)く「然(しか)らば則(すなは)ち、君の読む所の者(もの)は、古人(こじん)の糟魄(そうはく)(糟粕)のみ」と。桓公曰(いは)く「寡人(かじん)(しょ)を読むに、輪人(りんじん)(いづく)んぞ議するを得んや。説(せつ)(あ)らば則(すなは)ち可なり、説無くんば則(すなは)ち死せん」と。輪扁曰(いは)く「臣(しん)や、臣の事を以(もっ)て之(これ)を観(み)る。輪を?(けづ)るに、徐(じょ)ならば則(すなは)ち甘(あま)くして固(かた)からず、疾(しつ)ならば則(すなは)ち苦にして入(い)らず。徐ならず疾ならず、之(これ)を手に得て心に応ずるも、口もて言ふ能(あた)はず、数(すう)の其(そ)の間(かん)に存する有り。臣は以(もっ)て臣の子(こ)に喩(さと)すこと能(あた)はず、臣の子も亦(ま)た之(これ)を臣より受くること能(あた)はず。是(ここ)を以(もっ)て行年(こうねん)七十なるも老いて輪を?(けづ)る。古(いにしへ)の人と其(そ)の伝ふべからざるものと、死せり。然(しか)らば則(すなは)ち、君の読む所の者(もの)は、古人の糟魄(そうはく)のみ」と。
 斉(せい)の桓公(かんこう)が、建物のなかで読書をしていた。建物の外の地面では、輪扁(りんぺん)という職人が木を削って車輪を作っていた。彼は木槌(きづち)とノミを置くと、建物にあがり、桓公にたずねた。
「おそれながらお尋ねします。殿様が読んでおられるのは、何ですか」
「聖人の言葉である」
「聖人は、生きていますか」
「とっくに亡くなった」
「そういうことなら、殿がお読みなのは、古人の残りかす、ということですね」
「余の読書について、車輪を作る職人ふぜいが議論するとは、ふとどきであるぞ。なにか説明があればよし、さもなくばそちを死刑にする」
「私めは、自分の経験からそう思うのでございます。木を削って車輪を作るとき、少しゆるいとガタガタしてしまい、少しきついとピタリとはめ込めません。この、ゆるさときつさの微妙な手加減は、手や心では感じられますが、口では表現できませぬ。言葉で言えぬところに、コツがあるのです。私めは自分の息子にコツを口で伝えることができず、息子も私から教わることができません。こういうわけで、私めは今年で七十歳にもなるというのに、いまだに現役で、車輪を作らねばならぬのでございます。いにしえの聖人は、言葉では伝えられぬものといっしょに、とっくにお亡くなりです。ということで、殿がお読みになっているのは古人の残りかすに他ならぬ、と申しあげたのでございます」
 
 
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 右の他、「補充教材」七六頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ あの世の有無 ○  
ーーあの世はあるのでしょうか?
 
★☆[参考]☆★ 
   井戸の暗さにわが顔を見出(みいだ)す
ーー尾崎放哉(おざき ほうさい)
 
☆[考えてみよう]☆ 大自然は永遠なのに、人間はなぜ一回限りなのでしょう?(思考時間三分)
 
  [漢詩] 挽歌(ばんか) 
漢 無名氏(むめいし)
薤上露      薤上(かいじょう)の露(つゆ)
何易晞      (なん)ぞ晞(かは)き易(やす)
露晞明朝更復落 露晞きて明朝(みょうちょう)、更(さら)に復(ま)た落つるも
人死一去不復還 人死して一(ひと)たび去らば復(ま)た還(かへ)らず
 
 ニラの葉のうえの露は、なんと、乾きやすいことか。それでも露は明朝、また葉のうえにもどってくる。人は一度死んだら、もう二度と返れない。
 
 
  [漢詩] 去者日以疎  去(さ)る者(もの)は日(ひ)に以(もっ)て疎(うと)
漢 無名氏(むめいし)
 
 去者日以疎  (さ)る者(もの)は日(ひ)に以(もっ)て疎(うと)
 生者日以親  生(い)くる者(もの)は日に以て親しむ
 出郭門直視  郭門(かくもん)を出(い)でて直視すれば
 但見丘与墳  但(た)だ丘と墳(はか)を見るのみ
 古墓犂為田  古墓(こぼ)は犂(す)かれて田(はたけ)と為(な)
 松柏摧為薪  松柏(しょうはく)は摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為(な)
 白楊多悲風  白楊(はくよう)、悲風(ひふう)(おほ)
 蕭蕭愁殺人  蕭(しょうしょう)として人を愁殺(しゅうさつ)
 思還故里閭  (もと)の里閭(りりょ)に還(かへ)らんと思ふ
 欲帰道無因  帰らんと欲(ほっ)するも、道、因(よ)る無し
 
 死去した者とは一日ごとに遠ざかり、生きている者とは一日ごとに親しくなる。にぎやかな町の城門を出て、目をそむけず、まっすぐ前をごらん。見えるのは、土を盛り上げて作った墓ばかりだ。
 古い墓は牛に鋤(す)きかえされて畑になり、永遠の命を象徴するために植えられた墓地の常緑樹さえ、たきぎにされてしまった。「きっとまた会える」という祈りをこめて植樹されたハコヤナギの枝に、寂しい風がまとわりついている。ヒュウ、ヒュウ、と、幽霊のようにすすり泣いてるよ。
(もとのお家(うち)に帰りたい! 帰りたいけど、もう、道が無い!……)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 死後の世界はあるのでしょうか?(思考時間一分)
 
  未(いま)だ生(せい)を知らず
『論語』先進第十一
 季路問事鬼神。子曰「未能事人、焉能事鬼」。曰「敢問死」。曰「未知生、焉知死」。
 季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)へんことを問ふ。子(し)の曰(のたま)はく「未(いま)だ人に事ふること能(あた)はず、焉(いづく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事へん」と。曰(いは)く「敢(あへ)て死を問ふ」と。曰(のたま)はく「未(いま)だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」 と。
 季路(子路)が神霊につかえる方法を、先生(孔子)に質問した。先生は言われた。「まだ人間につかえることもできぬのに、どうして神霊につかえられよう。つかえられるわけがない」「では、あえて死後の世界についておたずねします」「まだ生の世界もわからぬのに、どうして死後の世界のことがわかろう。わかるはずがない」
 
  知るということ
『論語』為政第二
 子曰「由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也」
 子の曰(のたま)はく「由(ゆう)よ、女(なんぢ)に之(これ)を知るを誨(をし)へんか。之(これ)を知るを之(これ)を知ると為(な)し、知らざるを知らず為(な)せ。是(こ)れ知るなり」と。
 先生(孔子)は言われた。「子路よ。『知る』とは何か教えてやろう。知ることができることを、知ることができる、とする。知ることができないことは、知ることができない、とする。これが『知る』ということだ」
 
  怪力乱神(かいりきらんしん)
『論語』述而第七
 子不語怪力乱神。
 子、怪力乱神を語らず。
 先生(孔子)は、ミステリーとバイオレンスと不倫(ふりん)とオカルトは、話題になされなかった。
 
 
★☆[参考]☆★ 
  この永遠の旅路(たびじ)を人はただ歩み去るばかり、
  帰って来て謎(なぞ)をあかしてくれる人はいない。
  気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
  出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
ーー『ルバイヤート』
 
 
  ☆[考えてみよう]☆ 近代科学は、「あの世ばなれ」できない西洋的思考から生まれました。なぜでしょう?(思考時間三分)
 
 「死後の世界」が無いことを検証する思考実験
漢・王充(おうじゅう)『論衡(ろんこう)』論死第六十二
 人、物也。物、亦物也。物死不為鬼。人死何故独能為鬼。
 人は物なり。物も亦(ま)た物なり。物死して鬼(き)と為(な)らず。人死して何が故(ゆゑ)に独(ひと)り能(よ)く鬼(き)と為(な)らん。
 人は物である。物も物である。物は死んで幽霊とならない。どうして人だけが死んで幽霊になれるだろうか。なれるはずがない。
 
★☆[参考]☆★  人間の体はすべて物質でできており、その物質は原子によって構成されている。人間の成長の仕方も、物の考えかたの変化も、すべて原子の動きによって決まるのだ。したがって、人間が死亡し、その原子がバラバラになって、水や大気の中に散って行くならば、あとには何も残らない。物質がないのに人間の心だけ残るなどということは、絶対にありえない。
ーー大槻義彦(おおつきよしひこ)『学校の怪談に挑戦する』第七章
 
『論衡』論死第六十二
 人之所以生者、精気也。死而精気滅。能為精気者、血脈也。人死血脈竭、竭而精気滅、滅而形体朽、朽而為灰土。何用為鬼。
 人の生くる所以(ゆゑん)の者(もの)は精気なり。死すれば精気滅(めっ)す。能(よ)く精気を為(な)す者(もの)は血脈(けつみゃく)なり。人死すれば血脈竭(つ)き、竭くれば精気滅(めっ)し、滅すれば形体朽(く)ち、朽つれば灰土(かいど)と為(な)る。何を用(もっ)てか鬼(き)と為(な)る。
 人が生きていられる理由は、精気があるからである。死ねば精気は消滅する。精気をつくるのは血脈である。人が死ねば血脈は止まり、止まれば精気は消滅し、消滅すれば肉体は腐敗し、腐敗すれば土になる。どうして幽霊になれよう。なれるはずがない。
 
★☆[参考]☆★  しかしながら魂のすべての能力はかくのごとく脳の組織そのものならびに体全体に依拠しており、否あきらかにこの組織そのものにほかならない以上、これは誠に経験を積んだ機械と言うべきである!
ーーラ・メトリ(一七〇九ー五一)著・杉捷夫訳
『人間機械論』(岩波文庫)九十二頁
 
『論衡』論死第六十二
 天地開闢、人皇以来、随寿而死、若中年夭亡、以億万数。計今人之数、不若死者多。如人死輙為鬼、則道路之上、一歩一鬼也。人且死見鬼、宜見数百千万、満堂盈廷、填塞巷路。不宜徒見一両人也。
 天地開闢(かいびゃく)、人皇以来、寿に随(したが)ひて死し、若(も)しくは中年に夭亡(ようぼう)したる、億万を以(もっ)て数(かぞ)ふ。今の人の数(かず)を計るに、死者の多きに若(し)かず。如(も)し人、死して輙(すなは)ち鬼(き)と為(な)らば、則(すなは)ち道路の上、一歩に一鬼(き)ならん。人且(まさ)に死せんとして鬼(き)を見るに、宜(よろ)しく数百千万、堂に満ち廷(てい)に盈(み)ち、巷路(こうろ)を填塞(てんそく)するを見るべし。宜(よろ)しく徒(た)だ一両人を見るべからず。
 宇宙が創生され、人類の最初の祖先が登場して以来、天寿をまっとうして死んだ者や、中途で若死にした者の頭数を累計すると、億万の単位になる。いま生きている人の数は、死んだ人の累計数にはおよばない。もし人が死ぬとそのたびに幽霊になると仮定するなら、道を一歩あるくと幽霊一人にぶつかるくらい、幽霊人口は多いはずだ。また、人が臨死体験で幽霊を見るときも、何百何千何万という幽霊が、建物のなかや庭にひしめき、町や道路で大渋滞をしていなければ、おかしくなる。(幽霊目撃談の大半がそうであるように)たった一人二人の幽霊しか見えないというのは、理屈にあわない(だから、最初の仮定、つまり人は死ぬとみな幽霊になる、という仮定が成り立たないことがわかる)。
 
『論衡』論死第六十二
 夫為鬼者、人謂死人之精神。如審鬼者死人之精神、則人見之、宜徒見裸袒之形、無為見衣帯被服也。何則、衣服無精神。(中略)今衣服、糸絮布帛也。
 夫(そ)れ鬼(き)と為(な)る者(もの)、人は死人の精神なりと謂(い)ふ。如(も)し審(まこと)に鬼(き)なる者(もの)、死人の精神ならば、則(すなは)ち人之(これ)を見るに、宜(よろ)しく徒(た)だ裸袒(らたん)の形を見るのみにて、衣帯被服を見るを為(な)すこと無かるべし。何(なん)となれば則(すなは)ち衣服に精神無し。(中略)今、衣服は糸絮布帛(しじょふはく)なり。
 いったい、幽霊というものは、死人のタマシイであると言われる。もし本当に幽霊というものが死人のタマシイだと仮定するならば、目撃される幽霊はみなヌードでなければおかしい。幽霊の衣服が見えるはずはない。というのもつまり、衣服にはタマシイがないからだ。(中略)衣服とは、植物繊維とか絹などの物にすぎないのだから(だが、いわゆる幽霊は衣服を着ている。幽霊を見たという人の話が、実は錯覚やウソにすぎぬという証拠である)。
 
 
★☆[参考]☆★  見えないもの
 
   ねんねした間になにがある。
 
   うすももいろの花びらが、
   お床(とこ)の上に降り積り、
   お目々さませば、ふと消える。
 
   誰もみたものないけれど、
   誰がうそだといひませう。
 
   まばたきするまに何がある。
 
   白い天馬が翅(はね)のべて、
   白羽の矢よりもまだ早く、
   青いお空をすぎてゆく。
 
   誰もみたものないけれど、
   誰がうそだといへませう。
ーー金子みすヾ
 
★☆[参考]☆★  あの世が有っても無くても幸福
 また次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分るであろう。けだし死は次の二つの中のいずれかでなければならない。すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚をも持たないか、それとも、人の言う如く、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の転移であるか。またもしそれがすべての感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば、死は驚嘆すべき利得といえるであろう。(中略)これに反して死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また人の言う通りに実際すべての死者がそこに住んでいるのならば、裁判官諸君よ、これより大なる幸福があり得るであろうか。
   ーープラトン著・久保勉訳「ソクラテスの弁明」三十二(岩波文庫『ソクラテスの弁明 クリトン』)
 
 
 
死ぬということ
ーー人はみな生まれた瞬間に死刑宣告をなされています。
 
★☆[参考]☆★  
  生き残つたからだ掻(か)いてゐる
ーー種田山頭火(たねださんとうか)(一八八二ー一九四〇)『草木塔(そうもくとう)』
 
 ☆[考えてみよう]☆ なぜ死ぬのはイヤで、セックスは気持ちいいのでしょう?(思考時間一分)
 
  [漢詩]  無題
(時代不祥。初唐?) 王梵志(おう ぼんし)
 
我見那漢死 (われ)、那(か)の漢(をとこ)の死するを見る
肚裏熱如火 肚裏(とり)、熱きこと火の如(ごと)
不是惜那漢 (こ)れ那の漢を惜しむならず
恐畏還到我 還(めぐ)りて我に到るを恐れ畏(おそ)るるなり
 
 アイツが死ぬのをオレは見た。腹の底からグッときた。アイツが死ぬのはかまわない。オレの番まで一人ぶん、近づいたのが怖いのだ。
 
★☆[参考]☆★  
大空の極(きわみ)はどこにあるのか見えない。
酒をのめ、天(そら)のめぐりは心につらい。
嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、
星の下(もと)誰にも一度はめぐるその盃(はい)。
ーー『ルバイヤート』
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 将来、自分の存在が無になること(死)は厭(いと)わしいのに、以前、自分の存在が無だったこと(出生前)は気になりません。なぜでしょう?(思考時間一分)
 
  無題
王梵志(おう ぼんし)
  我昔未生時 (われ)、昔(むかし)(いま)だ生(う)まれざる時(とき)
  冥冥無所知 冥冥(めいめい)として知(し)る所(ところ)(な)
  天公強生我 天公(てんこう)、強(し)(い)て我を生む
  生我復何為 我を生み復(ま)た何(なに)をか為(な)すや
  無衣使我寒 (ころも)(な)し、我をして寒からしむ
  無食使我飢 (じき)無し、我をして飢(う)(え)しむ
  爾天公還我 (なんぢ(じ))、天公、我を還(かへ(え))
  還我未生時 我を未生(みしょう)の時に還せ
 
 この世に生まれてくる前は、ボクはトロトロ眠ってた。ところが神サマむりやりに、ボクを裸で世に生んだ。着物がないから震えてる。食べ物ないから腹が鳴る。神サマひどいよ、あんまりだ。ボクを昔に返してよ。生まれる前に戻してよ!
 
★☆[参考]☆★  
  そしてわたくしはまもなく死ぬのだら((ろ))う
  わたくしといふ((う))のはいったい何だ
  何べん考へ((え))なおし読みあさり
  さ((そ))うともきゝ((き))か((こ))うも教へ((え))られても
  結局まだはっきりしてゐ((い))ない
  わたくしといふ((う))のは
     [以下空白]
ーー宮沢賢治(みやざわけんじ)(一八九六ー一九三三)『疾中(しっちゅう)』より
 
 
★☆[参考]☆★  
  もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
  生きてなやみのほか得るところ何があったか?
  今は、何のために来(きた)り住みそして去るのやら
  わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!
ーー『ルバイヤート』
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 肉親の死をきっかけに哲学や宗教に関心をもつ人が多いのは、なぜでしょう?(思考時間三分)
 
 [漢訳仏典]  常懐悲感(じょうえひかん)、心遂醒悟(しんずいしょうご)
『法華経(ほけきょう)』如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六
・・・・・・常懐悲感(じょうえひかん)、心遂醒悟(しんずいしょうご)。乃知此薬(ないちしやく)、色香味美(しきこうみみ)、即取服之(そくしゅぶくし)、毒病皆愈(どくびょうかいゆ)。其父聞子(ごぶもんし)、悉已得差(しっちとくさい)、尋便来帰(じんべんらいき)、咸使見之(げんしけんし)。諸善男子(しょぜんなんし)。於意云何(おいうんが)。頗有人能(はうにんのう)。説此良医(せっしろうい)、虚妄罪不(こもうざいふ)、不也(ほっちゃ)。・・・・・・
 
★☆[参考]☆★  「芥子(けし)の実の教え」
 キサゴータミー(キサー・ゴータミーとも)は、裕福な家の若い嫁だった。ある日、彼女の幼いひとり息子が死んだ。彼女は悲しみのあまり発狂し、冷たくなったわが子の死体を胸に抱くと、町に出て、だれか子供の病を治せる者はいないか、必死でたずねまわった。 町の人びとは同情したものの、何もできなかった。
 最後に、この狂った母親は、わが子の死体を胸に、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の釈尊(しゃくそん)(お釈迦様)のもとを訪ねた。釈尊は言われた。
「この子の病を治してあげよう。それには芥子(けし)の実がいる。町に行き、四五粒もらってきなさい。しかし、その芥子の実は、今まで一度も身内から死者を出したことのない人の家でもらわねばならない」
 キサゴータミーは、町に出て芥子の実を求めた。芥子の実は、どの家にもあった。しかしどの家でも、たずねてみると、過去に身内の誰かを亡くしたことがあった。彼女は必死にさがしまわった。が、一度も死者を出したことのない家は、とうとう見つからなかった。彼女は、はっと悟り、正気に戻った。そして、わが子の冷たい遺体を墓所に置くと、釈尊のもとに帰り、弟子となった。
ーーパーリ語の仏典「長老尼偈・注」より
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「病蹟学(びょうせきがく)」という研究分野があります。これによると、芸術家の作品には、往々にして当人の気づかぬうちに死ぬ予兆があらわれるそうです。どんな例があるでしょう?(思考時間三分)
 
★☆[参考]☆★  
 自分は表に猫の墓と書いて、裏に「この下に稲妻(いなづま)起る宵(よい)あらん」と認(したた)めた。
ーー夏目漱石(なつめ そうせき) (一八六七ー一九一六)『永日小品』「猫の墓」
 
 
  [漢詩]  無題
日本 夏目漱石(なつめそうせき)
 
真蹤寂寞杳難尋 真蹤(しんしょう)寂寞(せきばく)として杳(よう)として尋(たづ)ね難(がた)
欲抱虚懐歩古今 虚懐(きょかい)を抱(いだ)きて古今(ここん)に歩(あゆ)まんと欲(ほっ)
碧水碧山何有我 碧水碧山(へきすいへきざん)(なん)ぞ我有(あ)らん
蓋天蓋地是無心 蓋天蓋(がいてんがい)(ち)(こ)れ無心(むしん)
依稀暮色月離草 依稀(いき)たる暮色(ぼしょく)、月(つき)、草(くさ)を離(はな)
錯落秋声風在林 錯落(さくらく)たる秋声(しゅうせい)、風(かぜ)、林(はやし)に在(あ)
眼耳雙忘身亦失 眼耳(げんに)(ふた)つながら忘(わす)れ身(み)も亦(ま)た失(うしな)
空中独唱白雲吟 空中(くうちゅう)(ひと)り唱(とな)ふ白雲(はくうん)の吟(ぎん)
 
 悟(さと)りへの道は寒々と寂しく、暗く、たどるのが難しい。せめて空しい思いをいだきつつ、古今を歩むことにしよう。大自然の緑の山と川は、無我である。天地をつらぬくのは、無心である。ぼんやりとした夕暮れ、西にのぼった月は、もう草を離れた。サクラクとした秋の風音が、木々のあいだに鳴りわたっている。私は目も耳も両方とも忘れ、体までもなくしてしまったので、空中でひとりぼっちになり、白雲の詩吟をうなっている。
 漢詩人でもあった夏目漱石が大正五年十一月二十日夜に書いた、生涯最後の漢詩。漱石はこの翌月に死去。
 
  [漢訳仏典]   般若心経(はんにゃしんぎょう)
 色即是空(しきそくぜ くう)、空即是色(中略)是故(ぜこ)空中(くうちゅう)、無色(む しき)、無受想行識(じゅそうぎょうしき)、無眼(げん)(に)(び)(ぜっ)(しん)(い)、無色声(しょう)(こう)(み)(そく)(ほう)、無眼界(げんかい)、乃至(ないし)無意識界(いしきかい)、・・・
 
★☆[参考]☆★ 
 見納めは医者の鼻毛の二三本     岡村廣治(静岡県焼津市)
ーー『辞世の一句』葉文館出版
 
 
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 右の他、「補充教材」七八頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 宗教とは何か ○   
ーー宗教と迷信は、同じなのでしょうか、違うのでしょうか。
 
★☆[参考]☆★  蓮(はす)と鶏(とり)
 
泥のなかから
蓮が咲く。
 
それをするのは
蓮ぢやない。
 
卵のなかから
鶏(とり)が出る。
 
それをするのは
鶏ぢやない。
 
それに私は
気がついた。
 
それも私の
せいぢやない。
ーー金子みすヾ
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ お墓や仏前に供える花は、死者ではなく生きている人のほうにむけて置きます。なぜでしょう?(思考時間三分)
 
  季札挂剣(きさつ けいけん)
唐・李瀚(り かん)『蒙求(もうぎゅう)』四〇七
『史記』、呉季札呉王寿夢季子也。初使北過徐君。徐君好季札剣、口弗敢言。季札心知之、為使上国未献。還至徐、徐君已死。乃解其宝剣、懸徐君冢樹而去。従者曰「徐君已死、尚誰予乎」。季子曰「不然。始吾心已許之。豈以死倍吾心哉」。札封於延陵。故号延陵季子。『新序』曰「徐人嘉而歌之曰『延陵季子兮不忘故、脱千金之剣兮帶丘墓』」。
 『史記(しき)』にいふ、呉(ご)の季札(きさつ)は呉王寿夢(じゅぼう)の季子なり。初め使(つか)ひして北のかた徐君(じょくん)に過(よぎ)る。徐君、季札の剣を好(この)むも、口、敢(あへ)て言はず。季札、心に之(これ)を知るも、上国(じょうこく)に使ひするが為(ため)に未(いま)だ献(けん)ぜず。還(かへ)りて徐に至れば、徐君已(すで)に死せり。乃(すなは)ち其(そ)の宝剣を解(と)き、徐君の冢(つか)の樹に懸(か)けて去る。従者(じゅうしゃ)(いは)く「徐君已(すで)に死す、尚(な)ほ誰(たれ)にか予(あた)ふるや」と。季子曰(いは)く「然(しか)らず。始め吾(われ)、心に已(すで)に之(これ)を許す。豈(あ)に死を以(もっ)て吾(わ)が心に倍(そむ)かんや」と。札、延陵(えんりょう)に封(ほう)ぜらる。故(ゆゑ)に延陵季子と号す。『新序(しんじょ)』に曰(いは)く「徐人(じょひと)、嘉(よみ)して之(これ)を歌ひて曰(いは)く『延陵季子、故(こ)を忘れず、千金(せんきん)の剣を脱(と)きて丘墓(きゅうぼ)に帯(お)ばしむ』」と。
 『史記』にある話。呉の季札は、呉の王である寿夢の末の息子だった。当時、呉は南方の後進国だった。季札は国の代表として、中国に行った。途中、徐の国を通過した。徐の国の殿様は、季札が帯びていた剣を見て気に入ったが、遠慮して、あえてそれを欲しいとは言わなかった。季札も、徐の殿様の顔色からその気持ちを察したが、自分はこれから大任を果たすべき身であるので、あえて自分の剣を徐の殿様に献上しなかった。
 その後、季札は大任を果たして呉に帰国する途中、ふたたび徐の国を通過した。徐の殿様は、すでに亡くなっていた。季札は徐の殿様の墓に参詣し、自分の宝剣をといて墓の木にかけ、立ち去った。
 季札の従者がたずねた。
「徐の殿様は、もうお亡くなりです。宝剣を、誰にさしあげるのですか」
「そうではない。最初、私は自分の心のなかで、任務を果たしたらこの宝剣を徐の殿様にあげよう、と決めた。相手が死んでも、私は、自分の心に決めた約束を破りたくはない」。
 季札は、延陵という土地に封ぜられたので、世に、延陵の季子、と尊称された。『新序』という本によると、徐の人々は季子の高潔な人柄をしたい、こんな歌をつくった。「延陵の季子は、昔の約束を忘れない。千金の価値がある宝剣を、墓に掛けてあげた」。
 
 
★☆[参考]☆★  昔、大きな河のほとりの村に、信心深い男が暮らしていた。大雪の冬が終わり、洪水の危険が迫った。村人は、信心深い男にいっしょに避難しようと誘った。が、男は「きっと神様が助けてくださる」と、避難を断った。やがて洪水がきた。ボートで通りかかった人が男を助けようとしたが、男はまたも「きっと神様が助けてくださる」と避難を断った。そのうち家が水につかり、男は屋根に登った。救援隊のヘリコプターが来て、ロープを下ろした。男は「きっと神様が助けてくださる」と断った。結局、男は溺れて死んだ。
 信心深い男は天国にのぼり、神様に会った。男が「なぜ助けてくださらなかったのですか」と神様をなじると、神様は答えた。・・・・・・
 さて、神様はどう答えたか、あなたはわかりますか? この答えを自分で考えられるなら、あなたは迷信と宗教の違いがわかっていると言えます(答えは、米原万里『真夜中の太陽』「安全神話」をご覧ください)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 迷信と宗教の違いは、なんでしょう?(思考時間五分)
 
  敬遠
『論語』雍也(ようや)第六
 樊遅問知。子曰「務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」
 樊遅(はんち)、知を問ふ。子曰(のたま)はく「民の義を務(つと)め、鬼神(きじん)を敬して之(これ)を遠ざく。知と謂(い)ふべし」と。
 樊遅が「知とは何か」と先生(孔子)に質問した。先生は言われた。「民の義のために働き、神霊には敬意をはらいつつも距離をおく。そんな姿勢が『知』といえるだろう」。
 
 
★☆[参考]☆★  古代ギリシアの哲学者クセノファネス(前五七〇年頃ー前四八〇年頃)は、神々を姿も心も人間そっくりに描く当時の風潮をあざ笑った。「エチオピア人が想像する神様は真っ黒で獅子鼻だし、トラキア人の神様は紅毛碧眼だ。もし牛や馬に神の像が作れたなら、きっと馬や牛そっくりの神様になるだろう」
 
 
  西門投巫(せいもんとうふ)
唐・李瀚(り かん)『蒙求』四七一
 『史記』、魏文侯時、西門豹為?令。豹到問民所疾苦。長老曰「苦為河伯娶婦。以故貧。俗語、不為娶婦、水来漂溺人民」。豹曰「至時幸来告。吾亦往送女」。至其時、豹往會河上。三老、官屬、豪長者、里父老、皆會。其巫老女子。従弟子女十人。皆衣恕d衣、立大巫後。豹呼河伯婦、視之曰「是女不好。煩大巫嫗。為報河伯。更求好女」。使吏卒拘大巫嫗投之河中。有頃曰「何久也。弟子趣之」。凡投三弟子。豹曰「巫嫗女子、不能白事。煩三老。為入白之」。復投三老河中。豹簪筆磬折、嚮河立良久。又曰「三老不還。欲使廷掾与豪長者一人入趣之」。皆叩頭血流。豹曰「?河伯留客之久。若皆罷去」。吏民大驚恐、従是不敢復言河伯娶婦。豹即發民鑿十二渠、引河水灌民田。皆得水利、民人足富、豹名聞天下、澤流後世。
 『史記』にいふ。魏(ぎ)の文侯の時、西門豹(せいもんひょう)、?(ぎょう)の令と為(な)る。豹(ひょう)、到りて民の疾苦(しっく)する所を問ふ。長老曰(いは)く「河伯(かはく)の為(ため)に婦(つま)を娶(めと)ることに苦しむ。故(ゆゑ)を以(もっ)て貧し。俗に語るらく『為(ため)に婦を娶らずんば、水来(きた)って人民を漂溺(ひょうでき)せん』」と。豹曰(いは)く「時に至らば幸ひに来りて告げよ。吾(われ)も亦(ま)た往きて女を送らん」と。
 其(そ)の時に至り、豹、往きて河上に会す。三老、官属、豪長者、里の父老、皆会す。其(そ)の巫(ふ)は老女子なり。弟子(ていし)の女十人を従ふ。皆、(きぬ)の単衣を衣て、大巫の後に立つ。
 豹、河伯の婦を呼び、之(これ)を視て曰(いは)く「是(こ)の女、好(かほよ)からず。大巫嫗(だいふ う )を煩(わづら)はさん。為(ため)に河伯に報ぜよ。更に好女を求めんとす」と。吏卒をして大巫嫗を拘(とら)へ、之(これ)を河中に投(とう)ぜしむ。
 頃(しばら)く有って曰(いは)く「何ぞ久しきや。弟子、之(これ)に趣(おもむ)け」と。凡(およ)そ三弟子を投ず。
 豹曰(いは)く「巫嫗は女子なり、事を白(まう)すこと能(あた)はじ。三老を煩(わずら)はさん。為(ため)に入(い)って之(これ)を白(まう)せ」と。復(ま)た三老を河中に投ず。
 豹、筆を簪(かんざし)にし磬折(けいせつ)して、河に嚮(むか)って立つこと良(やや)久し。又曰(いは)く「三老還(かへ)らず。廷掾と豪長者一人とをして入(い)って之(これ)に趣(おもむ)かしめんと欲(ほっ)す」と。皆、叩頭(こうとう)して血流る。豹曰(いは)く「河伯、客(かく)を留むるの久しきを状せり。若(なんぢ)皆、罷(や)め去れ」と 。吏民、大いに驚恐し、是(こ)れより敢(あへ)て復(ま)た河伯の婦を娶ることを言はず。
 豹、即ち民を発し十二渠(きょ)を鑿(うが)ち、河水を引きて民田に灌(そそ)ぐ。皆、水利を得て、民人、足(た)り富む。豹の名、天下に聞え、沢(たく)は後世に流(つた)ふ。
『史記』にある話。魏の文侯のとき、西門豹が、?(ぎょう)という土地の長官になった。西門豹は着任すると、さっそく土地の住民に、何かつらいことはないか、たずねた。土地の老人は答えた。
「河伯という川の神様に、毎年、若い女子を人身御供(ひとみごくう)として捧げる儀式が、たいへんな負担になっており、私どもの貧乏の原因になっております。でも、世間では、もし河伯に妻となるべき女性を捧げないと、河伯が怒って洪水がおき、みんな溺れてしまう、と言われておるので、しかたありません」
「その儀式の時がきたら、私に教えてくれ。私もその儀式に行き、女子を見送ろう」
 儀式の日が来た。西門豹は部下を連れて、川のほとりの会場に行った。三老(土地の教化をつかさどる三人の老人)、下役人、豪族、村の顔役たちも参列した。巫女は老女で、女の弟子を十人ほどしたがえていた。女の弟子はみな、豪華な絹のひとえの服をきて、巫女のうしろに立っていた。
 西門豹は、いけにえとして用意された娘を呼んで、その顔をのぞきこんで言った。
「美しくないな。巫女どのにお願いして、河伯に伝えていただきたい。もっと美しい女を用意するので、ちょっと待ってほしい、と」
 西門豹は、部下に命じて、巫女の体を拘束して、川の中に投げ込ませた。巫女は沈んだまま、浮かんでこなかった。
 しばらくして、西門豹は言った。
「らちがあかない。今度は弟子たちにも応援に行ってもらおう」
 三人の高弟たちが川に投げ込まれた。
「巫女は女性なので、河伯と交渉できないのだろう。今度は、三老にお願いしよう。川の中に入って、神様と交渉してきてくれ」
 三老が川に投げ込まれた。
 西門豹は、筆を髪に挿して、腰を「く」の字に折り曲げ、しばらくの間、うやうやしく川に立っていた。
「三老も帰ってこない。では、今度は、役所の属官と、豪族のうち一人に、川の中に入って、神様と交渉してもらうことにしよう」
 一同は頭を地面に血がでるほど叩きつけ、命乞いをした。西門豹は言った。
「河伯は、客をずっと留めて返してくれないことがわかった。おまえたちはみな辞職して、立ち去るがいい」
 土地の役人や人民はたいへん驚き恐れ、これ以後、河伯が妻をめとるなどという迷信を口にする者は絶えた。
 すると西門豹はすぐさま、民を動員して、用水路を十二本つくり、川の水を引いて民の田畑をうるおした。民はみな水利を得て、生活が豊かになった。西門豹の名声は天下に聞こえ、その恩恵は後世にまで及んだ。
 
★☆[参考]☆★  「ロンドン橋落ちた、落ちた、落ちた」という童謡があります。原曲はイギリスの「マザーグース」の一つで、「 London Bridge is broken down 」云々の長い歌詞です。これは昔、ロンドン橋が洪水で何度も流されたため、橋に人柱を埋め込んだ記憶を歌った歌である、という説があります。
 
 
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 右の他、「補充教材」八一頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 生命の連鎖 ○  
ーーあなたは生まれる前、どこにいたのでしょうか?
 
★☆[参考]☆★ 
綾「寅さん、人間はなぜ死ぬのでしょうねえ」
寅「人間? そうねえ、まァ、なんて言うかな、結局あれじゃないですかね、人間がいつまでも生きていると、陸(おか)の上がね、人間ばかりになっちゃう。うじゃうじゃ、うじゃうじゃ。面積が決まっているから、みんなでもって、こうやって満員になって押しくらマンジュウしているうちに、ほら、足の置く場がなくなっちゃって、すみっこにいるやつが『アア』なんて海の中へパチャンと落っこって、アップアップして、『助けてくれ助けてくれ』なんてね、死んじゃう。結局、そういうことになってるんじゃないですか、昔から。そういうことは深く考えないほうがいいですよ」
ーー映画『男はつらいよ』第十八作「寅次郎(とらじろう)純情詩集」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 人はなぜ死ぬのでしょう?(思考時間五分)
 
 [漢詩] 九日斉山登高(きゅうじつせいざんとうこう)
唐 杜牧(とぼく) (八〇三ー八五二)
 江涵秋影雁初飛。与客攜壺上翠微。
 塵世難逢開口笑、菊花須挿満頭帰。
 但将酩酊酬佳節、不用登臨恨落暉。
 古往今来只如此、牛山何必独霑衣。
 
  江(こう)は秋影(しゅうえい)を涵(ひた)し、雁(かり)、初めて飛ぶ
  客と壺を攜(たづさ)へて翠微(すいび)に上(のぼ)
  塵世(じんせい)、逢(あ)ひ難(がた)し、口を開きて笑ふに
  菊花、須(すべか)らく満頭に挿(さ)して帰るべし
  但(た)だ酩酊(めいてい)を将(も)って佳節に酬(むく)
  用(もち)ゐず、登臨して落暉(らっき)を恨むを
  古往今来(こおうこんらい)、只(た)だ此(かく)の如(ごと)
  牛山、何(なん)ぞ必しも独(ひと)り衣(ころも)を霑(うるほ)さん
 
 秋の絶景が映る川面(かわも)に、今年の初雁(はつかり)が飛んだ日。私は友人と酒壺を手にさげ、小高い山にのぼった。
 煩わしい人生で、口を開いて笑えるときは、めったにない。さあ、せめて今日は、菊の花を頭じゅうに挿し、楽しんでゆこう。
 ひたすら酔いしれて、今日の良き日を満喫すればいい。高いところから黄昏(たそがれ)を見て感傷にひたるのは、やめにしよう。
 昔からずっと、みんな同じで、こうだったのさ。「牛山(ぎゅうざん)の嘆き」に自分だけ涙にくれるなんて、やめようじゃないか。
 
 
  牛山(ぎゅうざん)の嘆き
『列子』力命篇第六
 斉景公游於牛山。北臨其国城而流涕曰「美哉国乎。鬱鬱??。若何滴滴去此国而死乎。使古無死者、寡人将去斯而之何」。史孔・梁丘拠皆従而泣曰「臣頼君之賜、疏食悪肉、可得而食、駑馬桟車、可得而乗也、且猶不欲死。而況吾君乎」。晏子独笑於旁。公雪涕而顧晏子曰「寡人今日之游悲。孔与拠、皆従寡人而泣。子之独笑、何也」。晏子対曰「使賢者常守之、則太公・桓公将常守之矣。使勇者而常守之、則荘公・霊公将常守之矣。数君者将守之、吾君方将被蓑笠而立乎●畝之中、唯事之恤、行仮念死乎。則吾君又安得此位而立焉。以其迭処之、迭去之、至於君也。而独為之流涕、是不仁也。見不仁之君、見諂諛之臣。臣見此二者、臣之所為独窃笑也。景公慚焉、挙觴自罰、罰二臣者各二觴焉。
 斉(せい)の景公、牛山に游(あそ)ぶ。北のかた其(そ)の国城を臨みて涕(なみだ)を流して曰(いは)く「美なるかな国や。鬱鬱(うつうつ)たり??(せんせん)たり。若何(いかん)ぞ滴滴として此(こ)の国を去りて死なんや。古(いにしへ)より死なる者(もの)無からしめば、寡人(かじん)(は)た斯(ここ)を去りて何(いづ)くにか之(ゆ)かん」と。史孔(しこう)・梁丘拠(りょうきゅうきょ)、皆従(したが)ひて泣いて曰(いは)く「臣、君の賜に頼り、疏食悪肉(そし あくにく)、得(え)て食らふべく、駑馬桟車(どばさんしゃ)、得て乗るべきすら、且(か)つ猶(な)ほ死を欲(ほっ)せず。而(しか)るを況(いは)んや吾(わ)が君をや」と。晏子(あんし)、独(ひと)り旁(かたはら)に笑ふ。公、涕を雪(ぬぐ)ひて晏子を顧(かへり)みて曰(いは)く「寡人(かじん)の今日の游び、悲し。孔と拠と、皆寡人(かじん)に従ひて泣く。子(し)の独り笑ふは、何ぞや」と。晏子、対(こた)へて曰(いは)く「賢者をして常に之(これ)を守らしめば、則(すなは)ち太公・桓公(かんこう)、将(まさ)に常に之(これ)を守らんとす。勇者をして常に之(これ)を守らしめば、則(すなは)ち荘公・霊公、将に常に之(これ)を守らんとす。数君の者(もの)、将に之(これ)を守らんとせば、吾(わ)が君は方(まさ)に将に蓑笠(みのかさ)を被(き)て●畝(けんぽ)の中に立ち、唯、事のみ之(こ)れ恤(うれ)へ、何ぞ死を念(おも)ふに暇(いとま)あらんや。則ち吾(わ)が君は又、安(いづく)んぞ此(こ)の位を得て焉(ここ)に立たんや。其(そ)の迭(たが)ひに之(これ)に処(を)り、迭ひに之(これ)より去るを以て、君に至る。而(しか)るを独り之(これ)が為(ため)に涕を流すは、是(こ)れ不仁(ふじん)なり。不仁の君を見、諂諛(へつらひ)の臣を見る。臣、此(こ)の二者を見る。臣の独り窃(ひそ)かに笑ふ所以(ゆゑん)なり」と。景公慚(は)ぢ、觴(さかづき)を挙げて自(みづか)ら罰し、二臣を罰すること各おの二觴(にしょう)なり。
 斉(せい)の景公が、牛山にのぼった。北のほうを眺めると、都の町並みが眼下に見えた。彼ははらはらと涙を流して言った。
「緑豊かな美しい国だ。私もいつか、このすばらしい世界を去って、死へと旅立つ日が来るだろう。もし昔から死という宿命さえなければ、私はこの美しい世界を去ってどこへ行こうとも思わぬのに」
 そばにいた二人の家来(けらい)も、もらい泣きして「質素な生活を送る私どもでさえ、死にたくはありません。ましてわが君におかれましては」と言った。
 大臣の晏子(あんし)だけは笑った。景公が、なぜ笑うのか、と理由をたずねると、晏子は答えた。
「もし賢者や勇者が永遠の生命をもてるなら、わが斉(せい)国は、開祖・太公望(たいこうぼう)はじめ、わが君の優秀な御先祖たちが、いまだ君臨し続けているはずです。もしそうなら、わが君に出番が回ってくることも無かったでしょう。わが君はいまごろ、せいぜい蓑(みの)や笠を身につけて野良(のら)仕事の心配で頭がいっぱいで、『死の宿命』云々と悠長な感傷にひたるひまなど無かったはずです。代々のご先祖が、この世にいて、この世を去り、次々と交代で座席を明け渡し、あなた様まで伝えてくれたからこそ、今のあなた様がおありなのですよ。もし、あなた様だけが『いつまでも死にたくない』とごねて涙を流すなら、仁(じん)とは申せません。わたくしめは、不仁の主君と、こびへつらう家来と、二つも目(ま)のあたりにして、思わず笑ってしまったのでございます」
 景公は恥じて、自(みづか)ら罰杯(ばっぱい)を飲み、二人の家来にもそれぞれ二杯ずつ罰杯を飲ませた。
 
★☆[参考]☆★  祖死父死子死孫死
 江戸時代の話。ある人が仙崖和尚(せんがいおしょう)(一七五〇ー一八三七)に、何かめでたい言葉を書いてください、と揮毫(きごう)を頼んだ。和尚は筆をとると「祖死、父死、子死、孫死」と書いた。相手が「縁起でもない」とビックリすると、和尚はすまして言った。
「祖父が死んだあと父が死に、父が死んだあと子が死に、子が死んだあと孫が死ぬ。これは、家族の誰も若死にすることがないということだ。めでたいではないか」
 世の中で、逆縁(子が親よりも先に死ぬこと)ほど悲しいことはない。人は必ず死ぬ。せめて代々天寿を全うして次の世代へと生命の輪をつなげてゆければ「めでたい」と言えよう。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 水も、炭素も、私たちの体や命を作る物質は、地球という惑星のうえで循環しています。いま飲もうとしているコップ一杯の水も、昔、恐竜が飲んだ水なのでしょうか?(思考時間一分)
 
  生命はこの星のなかで循環(じゅんかん)する
『荘子』大宗師篇
 (生死を達観した四人の男たちが、意気投合して、小さなサークルを作った。病気や老化や死も、大自然の摂理なのだから、達観して受け入れよう、という趣旨のサークルだった。会員のひとりが病気になったり死にかけると、別の会員がお見舞いにゆき、病気や死も大自然の摂理なんだよねえ、などと達観した会話をかわすのである。
 会員のひとりが重病になり、危篤になった。別のひとりがお見舞いにゆき、死の達観について語った。)
 偉哉造化、又将奚以汝為、将奚以汝適。以汝為鼠肝乎、以汝為虫臂乎。(中略)夫大塊載我以形、勞我以生、佚我以老、息我以死。故善吾生者、乃所以善吾死也。今、大冶鋳金、金踊躍曰「我且必為??」、大冶必以為不祥之金。今一犯人之形、而曰「人耳、人耳」、夫造化者、必以為不祥之人。今一以天地為大鑪、以造化為大冶。惡乎往而不可哉。成然寐、?然覚。
 偉(い)なるかな造化(ぞうか)、又、将(まさ)に奚(なに)にか汝(なんぢ)を以(もっ)て為(な)さんとするや、将に奚(いづ)くにか汝を以(もっ)て適(ゆ)かしめんとするや。汝を以(もっ)て鼠(ねづみ)の肝(きも)と為(な)さんか、汝を以(もっ)て虫の臂(かひな)と為(な)さんか。(中略)夫(そ)れ大塊(たいかい)、我を載(の)するに形(けい)を以(もっ)てし、我を労(ろう)するに生(せい)を以(もっ)てし、我を佚(いつ)するに老(ろう)を以(もっ)てし、我を息(いこ)はしむるに死を以(もっ)てす。故(ゆゑ)に吾(わ)が生を善(よ)しとする者(もの)は、乃(すなは)ち吾(わ)が死を善しとする所以(ゆゑん)なり。今、大冶(たいや)、金(きん)を鋳(い)るに、金、踊躍(ようやく)して「我且(まさ)に必ず??(ばくや)と為(な)らんとす」と曰(い)はば、大冶、必ず以(もっ)て不祥(ふしょう)の金と為(な)さん。今、一(ひと)たび人の形に犯(はん)せられ、而(しか)も「人のみ、人のみ」と曰(い)はば、夫(そ)れ造化者、必ず以(もっ)て不祥の人と為(な)さん。今、一たび天地を以(もっ)て大鑪(たいろ)と為(な)し、造化を以(もっ)て大冶と為(な)す。悪(いづ)くに往(ゆ)くとして可(か)ならざらんや。成然として寐(い)ね、?然(きょぜん)として覚(さ)めんのみ。
 偉大だなあ、造化者(生命を生み出す大自然の働き)は。君が死んだら、造化者は次に君を何に作り直すのだろう? 君をどこに連れて行ってくれるのだろう? 君はネズミの肝臓になるのだろうか、それとも、虫の腕になるのだろうか? (中略)そもそも大塊(たいかい)(大きなカタマリ=大自然)は、われらを大地に載せるために形を与え、働かせるために生を与え、楽にするために老後を与え、休息させるために死を与えてくれるのだ。だから、自分の生を肯定(こうてい)するなら、究極的には、自分の死をも肯定することになるのさ。
 たとえば名人の鋳物師(いものし)が金属を鋳型(いがた)に溶かし込むとき、もし金属が突然、勝手に「名剣になる以外はイヤだ」とゴネだしたら、鋳物師はきっと、これは悪い金属だと思うだろう。同様に、たまたま一度、人間という形にはめこまれた生命が「ずっと人間じゃなきゃイヤだ、人間じゃなきゃイヤだ」とゴネたら、鋳物師はきっと、これは悪い人間だと思うだろう。
 天地は大きな坩堝(るつぼ)で、造化は鋳物師さ。次にどんな鋳型で鋳なおされようと、構わないじゃないか。死ぬ。ぐっすり眠る。そして造化の手でまた別の生命体に鋳なおされ、パッと目を覚ます。それだけのことだよ。
 
 
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 右の他、「補充教材」八二頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 老いと成長 ○  
ーーなぜ人は老いるのでしょうか。
 
★☆[参考]☆★ 
 正月は冥土(めいど)の旅の一里塚(いちりづか) めでたくもあり めでたくもなし
ーー一休(いっきゅう)禅師(一三九四ー一四八一)の作?
 
  [名句]代悲白頭翁 白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かは)りて
唐 劉希夷(りゅうきい)(六五一ー六七九?)
 
年年歳歳花相似  年年歳歳(ねんねんさいさい) 花(はな) 相似(あひに)たり
歳歳年年人不同  歳歳年年 人 同じからず
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ あなたのこれからの人生のうち、本当に自分らしく生きることのできる時間は、どれくらいあるでしょう? 本当に大切な人とは何人出会えるでしょう?(思考時間三分)
 
  天地は万物(ばんぶつ)の逆旅(げきりょ)
李白(りはく)「春夜宴桃李園序」
 夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客也。而浮生若夢、為歓幾何。古人秉燭夜遊、良有以也。
 夫(そ)れ天地は万物(ばんぶつ)の逆旅(げきりょ)にして、光陰は百代の過客なり。而(しか)して浮生は夢の若(ごと)し、歓(かん)を為(な)すこと幾何(いくばく)ぞ。古人の燭(しょく)を秉(と)りて夜遊ぶは、良(まこと)に以(ゆゑ)有るなり。
 そもそも天地は万物の旅館であり、時間は百代の旅人である。われらの人生は夢のようにはかない。楽しめる時間がどれほどあろう。古人が夜の時間も惜しんで灯火を手に遊んだのは、まことに理にかなったことである。
 
★☆[参考]☆★   
   なんでけがれがある、この酒甕(さけがめ)に?
   盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
   さあ、若人(わこうど)よ、この旅路のはてで
   われわれが酒甕(さけがめ)とならないうちに。
ーー『ルバイヤート』
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ かつてこの星に生まれ死んでいった人類の総数は、推定で約一千億人にのぼります。この一千億人のなかで、不老不死を得た人は何人いたでしょう?(思考時間一分)
 
 [漢訳仏典] 諸仏(しょぶつ)すら尚(なほ)(まぬか)れず
『阿含経(あごんきょう)』増壱阿含経第十八、四意断品第二十六
(大正二・六三七、『国訳一切経』阿含部八・三〇一頁)
 一時仏在舎衛国祇樹給孤独園。爾時尊者阿難至世尊所、頭面礼足在一面住。斯須復以両手摩如来足、已復以口鳴如来足上。而作是説「天尊之体、何故乃爾。身極緩爾。如来之身不如本故」。世尊告曰「如是阿難、如汝所言。今如来身皮肉已緩。今日之体不如本故。所以然者、夫受形体為病所逼。若応病衆生為病所困、応死衆生為死所逼。今日如来年已衰微、年過八十」。是時阿難聞此語已、悲泣哽噎不能自勝。並作是語「咄嗟、老至乃至於斯」。
 是時世尊到時著衣持鉢入舎衛城乞食、是時世尊漸漸乞食、至王波斯匿舍。当於爾時波斯匿門前有故壊車数十乗、捨在一面。是時尊者阿難以見車棄在一面、見已白世尊曰「此車王波斯匿車。
昔日作時極為精妙。如今日観之、与瓦石同色」。世尊告曰「如是阿難、如汝所言。如今観所有車、昔日之時極為精妙、金銀所造、今日壊敗、不可復用。如是外物尚壊敗。況復内者」。爾時世尊便説此偈「咄此老病死、壞人極盛色。初時甚悦意、今為死使逼。雖当寿百歳、皆当帰於死。無免此患苦、尽当帰此道。如内身所有、為死之所駆。外諸四大者、悉趣於本無。是故求無死、唯有涅槃耳。彼無死無生、都無此諸行」。
 爾時世尊即就波斯匿王坐。是時王波斯匿与世尊?種種飮食。観世尊食竟、王更取一小座在如来前坐、白世尊曰「云何世尊。諸仏形体皆金剛数。亦当有老病死乎」。世尊告曰「如是大王、如大王語。如来亦当有此生老病死。我今亦是人数。父名真浄、母名摩耶、出転輪聖王種」。爾時世尊便説此偈「諸仏出於人、父名曰真浄、母名極清妙、豪族刹利種。死径為極困、都不観尊卑、諸仏尚不免、況復余凡俗」
 一時(あるとき)、仏(ほとけ)、舎衛国(しゃえこく)の祇樹(ぎじゅ)給孤独園(ぎっこどくおん)に在(あ)り。爾時(そのとき)、尊者(そんじゃ)阿難(あなん)、世尊(せそん)の所に至り、頭面(づ めん)もて足(あし)に礼(らい)して、一面(いちめん)に在(あ)りて住(じゅう)す。斯須(ししゅ)にして復(ま)た両手(りょうて)を以(もっ)て如来(にょらい)の足(あし)を摩(ま)し、已(すで)に復た口(くち)を以て如来の足上(そくじょう)に鳴(な)らす。而(しか)して是(こ)の説(せつ)を作(な)す「天尊(てんそん)の体(からだ)、何(なん)の故(ゆゑ)にか乃(すなは)ち爾(しか)る。身極(きは)めて緩(ゆる)める爾(のみ)。如来(にょらい)の身(み)、本故(もと)の如(ごと)くならず」と。世尊告(つ)げて曰(のたま)はく「是(かく)の如(ごと)し、阿難(あなん)。汝(なんぢ)の言ふ所の如(ごと)し。今、如来の身は皮肉(ひにく)(すで)に緩(ゆる)む。今日(こんにち)の体(からだ)、本故(もと)の如(ごと)くならず。然(しか)る所以(ゆゑん)の者(もの)は、夫(そ)れ、形体(けいたい)を受(う)けて病(やまひ)の逼(せま)る所(ところ)と為(な)ればなり。若(も)し応(まさ)に病(や)むべくんば、衆生(しゅじょう)は病(やまひ)の困(くる)しむ所と為(な)らん。応に死すべくんば、衆生は死の逼(せま)る所と為らん。今日(こんにち)、如来、年(とし)(すで)に衰微(すいみ)し、年(とし)八十を過(す)ぐ」と。是(こ)の時、阿難、此(こ)の語を聞き已(をは)りて、悲泣(ひきゅう)哽噎(こうえつ)し、自(みづか)ら勝(た)ふること能(あた)はず。並(なら)びに是(こ)の語を作(な)す「咄嗟(ああ)、老(お)いの至れるや、乃(すなは)ち斯(ここ)に至る」と。
 是(こ)の時、世尊(せそん)、時に到(いた)り、衣(え)を著(つ)け鉢(はつ)を持(じ)し、舍衛城(しゃえじょう)に入(い)りて乞食(こつじき)す。是(こ)の時、世尊、漸漸(ぜんぜん)に乞食し、王(おう)波斯匿(はしのく)の舍(しゃ)に至(いた)る。(中略)爾時(そのとき)、世尊、即(すなは)ち波斯匿王(はしのくおう)の坐(ざ)に就(つ)く。是の時、王波斯匿(はしのく)、世尊の与(ため)に種種の飮食(おんじき)を?(べん)(弁)ず。世尊の食(じき)し竟(をは)るを観(み)て、王、更(さら)に一小座を取りて如来(にょらい)の前(まへ)に在(あ)りて坐(すわ)る。世尊に白(まう)して曰(いは)く「云何(いか)なるか、世尊(せそん)よ。諸仏(しょぶつ)の形体(ぎょうたい)は皆金剛(こんごう)の数なり。亦(ま)た当(まさ)に老病死(ろうびょうし)(あ)るべきや」と。世尊告げて曰(のたま)はく「是(かく)の如(ごと)し、大王。大王の語の如(ごと)し。如来(にょらい)も亦(ま)た当(まさ)に此(こ)の生老病死(しょうろうびょうし)(あ)るべし。我今亦た是(こ)れ人(ひと)の数(しゅ)なり。父は真浄(しんじょう)と名づけ、母は摩耶(まや)と名づく。転輪聖王(てんりんじょうおう)の種(しゅ)より出(い)づ」と。爾時(そのとき)、世尊、便(すなは)ち此(こ)の偈(げ)を説(と)く「諸仏出於人(しょぶつしゅつおにん)、父名曰真浄(ふみょうわつしんじょう)、母名極清妙(むみょうごくしょうみょう)、豪族刹利種(ごうぞくせつりしゅ)。死径為極困(しきょういごくこん)、都不観尊卑(つふかんそんぴ)、諸仏尚不免(しょぶつしょうふめん)、況復余凡俗(こうぶよぼんぞく)」と。
(要約) 釈尊(しゃくそん)(ゴウタマ・シッダールタ)の生涯最後の一年のある日。
 弟子の阿難(あなん)(アーナンダ)は、いつものように自分の両手で釈尊の足をさすり、足に口づけした。阿難は、八十歳を過ぎた釈尊の肉体が衰えたことにいまさらながら驚き、慨嘆した。
「世尊(せそん)よ。どうしたことでしょうか。お体がまるで昔とちがい、しわだらけになり、お力も抜けてしまっておられます」
 釈尊は「そうなのだ、阿難よ。そなたの言うとおりだ」と言われ、仏も年齢が八十を過ぎれば体も衰えよう、と、しんみりと語られた。阿難はむせび泣いた。
 その後、釈尊は、コーサラ国の国王から食事の供養(くよう)を受けた。国王も、釈尊の肉体の衰えに気づいた。国王は如来(にょらい)の前にすわり、申しあげた。
「どうしたことでしょう、世尊よ。もろもろの仏の肉体は、みな金剛石(こんごうせき)(ダイヤモンド)のようだと思っていましたが・・・・・・仏でさえ老・病・死があるのでしょうか?」
 釈尊はお答えになった。
「そのとおりですよ、大王。大王のお言葉のとおりです。如来(にょらい)にも、生老病死(しょうろうびょうし)の苦しみがあるのです。わたしもまた人間です。わが父の名はシュッドーダナ、母の名はマーヤでした。転輪聖王の子孫です」
 つづけて、釈尊は次のような(げ)をお詠みになった
 
  諸仏出諸人  諸仏(しょぶつ)は諸人(しょにん)より出(い)
  父名曰真浄  父の名を真浄(しんじょう)と曰(い)
  母名極清妙  母は極清妙(ごくしょうみょう)と名づく
  豪族刹利種  豪族(ごうぞく)、刹利(せつり)の種(しゅ)なり
  死径為極困  死の径(みち)は極(きは)めて困(くる)しと為(な)すも
  都不觀尊卑  (すべ)て尊卑(そんぴ)を観(み)
  諸仏尚不免  諸仏すら尚(なほ)(まぬか)れず
  況復余凡俗  (いはん)や復(ま)た余の凡俗(ぼんぞく)をや
 
 ブッダたちも人の子です。わが父の名はシュッドーダナ、母の名はマーヤー。カーストはクシャトリア(士族)でした。
 死までの道は、とてもつらく苦しい。身分の高下(こうげ)には関係がないのです。ブッダでさえ逃れられません。まして普通の人々なら、なおさらです。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 恋愛マニュアルに『若い男は一年でも待てるけれど、若い女は三ヶ月も待てない』とありました。どういうことでしょうか?(思考時間三分)
 
  [漢詩] 無題
唐 李商隠(り しょういん) (八一二ー八五八)
 
 八歳偸照鏡、 八歳 偸(ぬす)みて鏡に照らし
 長眉已能畫。 長眉(ちょうび) 已(すで)に能(よ)く画(えが)
 十歳去踏、 十歳 去りて青(せい)を踏み
 芙蓉作裙?。 芙蓉(ふよう) 裙?(くんさ)と作(な)
 十二学弾箏、 十二 箏(そう)を弾くを学び
 銀甲不曾卸。 銀甲 曽(かつ)て卸(はず)さず
 十四藏六親、 十四 六親(りくしん)に蔵(かく)
 懸知猶未嫁。 (さだ)めて知る 猶(な)ほ未(いま)だ嫁(か)せざるを
 十五泣春風、 十五 春風に泣き
 背面鞦韆下。 (かほ)を背(そむ)く 鞦韆(しゅうせん)の下(もと)
 
八歳 こっそり鏡をのぞき おませな眉を描いたわ
十歳 春の野原に出かけ 蓮花(れんげ)のスカートはいてたの
十二 お箏(こと)のけいこに夢中 銀のお爪(つめ)がお気に入り
十四 まだ嫁いでないから 親戚たちの目を避けた
十五 春風に泣けてきて こっそり泣いたの、ブランコで
 
 
★☆[参考]☆★  さよなら
 
降(お)りる子は海に、
乗る子は山に。
 
船はさんばしに、
さんばしは船に。
 
鐘(かね)の音(ね)は鐘に、
けむりは町に。
 
町は昼間に、
夕日は空に。
 
私もしましよ、
さよならしましよ。
 
けふの私に
さよならしましよ。
ーー金子みすヾ
 
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 右の他、「補充教材」八三頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 親と子 ○  
ーー最も基本的な人間関係。
 
★☆[参考]☆★ 
   子が出来て川の字形(なり)に寝る夫婦
   子だくさん州の字形に寝る夫婦
   寝ていても団扇のうごく親心
ーー 古川柳
 
  [漢詩名句] 『詩経』小雅「蓼莪(りくが)
 
  哀哀父母 哀哀(あいあい)たる父母(ふぼ)
  生我劬労 我を生みて劬労(くろう)
 
 いたわしきわが父母。私を生み育て、苦労して亡くなった。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 親から自立する最高の方法は、親孝行することだ、という人がいますが、どういう意味でしょうか?(思考時間三分)
 
  父母の年
『論語』里仁(りじん)第四
 子曰、父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。
 子の曰(のたま)はく「父母(ふぼ)の年(とし)は知らざるべからず。一(いつ)は則(すなは)ち以(もっ)て喜び、一は則(すなは)ち以(もっ)て懼(おそ)る」と。
 先生(孔子)は言われた。「両親の年齢を、いつも思い出しなさい。長生きを喜ぶと同時に、もうだいぶ高齢だと恐れるために」
 
 
  君子の楽しみ
『孟子(もうし)』尽心(じんしん)章句上
 孟子曰、君子有三楽、而王天下不与存焉。父母倶存、兄弟無故、一楽也。
 孟子(もうし)(いは)く、君子に三つの楽しみ有り。而(しか)して天下に王たるは与(あづか)り存せず。父母倶(とも)に存して、兄弟(けいてい)、故(こ)無きは、一(いつ)の楽しみなり。
 孟子は言った。「君子には三つの楽しみがある。天下を取って君臨することは、そのなかには入っていない。両親がともに健在で、兄弟にも事故がないことが、第一の楽しみである」
 
 
  [漢詩] 村夜(そんや)
唐  白居易(はくきょい) (七七二ー八四六)
 霜草蒼蒼虫切切。村南村北行人絶。
 独出前門望野田、月明蕎麦花如雪。
 
  霜草(そうそう) 蒼蒼(そうそう)として 虫(むし) 切々(せつせつ)
  村南村北(そんなんそんぼく) 行人(こうじん)(た)
  独(ひと)り前門(ぜんもん)に出(い)でて野田(やでん)を望(のぞ)めば
  月(つき)(あき)らかにして 蕎麦(きょうばく) 花(はな) 雪(ゆき)の如(ごと)
 
 秋の夜、霜の草は暗い青にしずみ、虫が切々と鳴いている。村の南北の道には、人通りもない。ひとり門の外に出て、畑をながめると、明るい月にソバの花が白い雪のように見える。
 元和(げんな)六年(八一一年)、白居易(白楽天)が母親の喪に服するため、長安の西郊にある郷里に帰っていたときの作品。
 
 
★☆[参考]☆★ 
 孝行のしたい時分(じぶん)に親(おや)はなし  ーー『誹風(はいふう)柳多留(やなぎだる)』二十二篇
 孝行のしたくない時親がいる       ーービートたけし
 
 
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 右の他、「補充教材」八八頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 色と恋 ○  
ーー食欲、性欲、社会欲。。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 恋と愛の違いは何でしょう?(思考時間一分)
 
  色と道徳
『論語』子罕(しかん)第九
 子曰「吾未見好徳如好色者也」。
 子の曰(のたま)はく「吾(われ)(いま)だ徳を好(この)むこと、色(いろ)を好むが如(ごと)くする者(もの)を見ざるなり」と。
 先生は言われた。「私はいまだかって、美女を好む熱意で道徳を好む人を、見たことがない」
 
 
  遠距離恋愛
『論語』子罕第九
 「唐棣之華、偏其反而。豈不爾思。室是遠而」。子曰「未之思也。夫何遠之有哉」。
 「唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。豈(あ)に爾(なんぢ)を思はざらんや。室是(こ)れ遠ければなり」。子の曰(のたま)はく「未(いま)だ之(これ)を思はざるなり。夫(そ)れ何の遠きことか之(こ)れ有らん」と。
 「ニワザクラの花がヒラヒラとひるがえる。おまえが恋しくないわけじゃない。でも、家が遠くはなれすぎてるから」という歌について、先生は言われた。「本当の恋とはいえぬ。本当の恋なら、距離を口実にするはずがない」
 
 
  君子(くんし)の三戒(さんかい)
『論語』季子第十六
 孔子曰「君子有三戒。少之時、血気未定、戒之在色。及其壮、血気方剛、戒之在闘。及其老、血気既衰。戒之在得」。
 孔子の曰(のたま)はく「君子に三戒有り。少(わき)き時は血気未(いま)だ定らず、之(これ)を戒(いまし)むること色に在り。其の壮なるに及(およ)びては血気方(まさ)に剛なり、之を戒むること闘(とう)に在り。其(そ)の老いたるに及(およ)びては、血気既(すで)に衰ふ。之を戒むること得(とく)に在り」と。
 先生は言われた。「君子(立派な人物)には、三つの戒めがある。若年のときは血気いまだ定まらず、性欲を戒めよ。壮年になると血気まさに盛ん、闘争心を戒めよ。老年になると血気は衰える、欲を戒めよ」
 
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 右の他、「補充教材」八八頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 大自然の掟(おきて)   
ーー人間もしょせんは大自然の一部でしかありません。
 
 ☆[考えてみよう]☆ 親ライオンが、かわいいシマウマの子供に襲いかかろうとしています。もしあなたが銃を撃って親ライオンを追い払えば、シマウマの子供は助かりますが、ライオンの子供は飢えて死んでしまいます。どうしたらいいのでしょう?(思考時間五分)
 
  [漢詩] 縛?行(ばくけいこう)
杜甫(とほ)(七一二ー七七〇)
 
小奴縛?向市売 小奴(しょうど) ?(にはとり)を縛(ばく)して市(いち)に向(むか)ひて売(う)
?被縛急相喧争 ?は縛せらるること急に相(あひ)喧争(けんそう)
家中厭?食虫蟻 家中(かちゅう) ?の虫蟻(ちゅうぎ)を食(くら)ふを厭(いと)ふも
不知?売還遭烹 知らず、?売らるれば還(ま)た烹(ほう)に遭(あ)ふを
虫?於人何厚薄 (むし)と?と人に於(おい)て何(なん)の厚薄(こうはく)かあらん
吾叱奴人解其縛 (われ) 奴人(どじん)を叱(しか)りて其(そ)の縛(ばく)を解(と)かしむ
?虫得失無了時 ?と虫の得失は了(おは)る時無し
注目寒江倚山閣 (め)を寒江(かんこう)に注(そそ)ぎて山閣(さんかく)に倚(よ)
 
 下男(げなん)が鶏(にわとり)を縛って市場に売りに行く。ギュッと縛られた鶏は、鳴いてバタバタとあばれる。わたしの家族は殺生(せっしょう)を忌(い)み、鶏がアリや虫を食うのを嫌がって売るのだ。でも、今度は売られた鶏が煮て食われてしまうことには気づかない。虫の命と鶏の命と、人間にとってどちらが大事かということはない。私は下男を叱り、鶏を縛る縄を解かせた。鶏と虫の得失は終わるときがない。私は山の建物の窓から、寒々とした川の流れに目を注ぎ考えつづけた。
 
 
  不仁(ふじん)の仁(じん)
『老子』第五章
 天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶?籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言数窮、不如守中。
 天地は仁(じん)ならず、万物(ばんぶつ)を以(もっ)て芻狗(すうく)と為(な)す。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)を以(もっ)て芻狗と為(な)す。天地の間(かん)は、其(そ)れ猶(な)ほ?籥(たくやく)のごときか。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動けば愈(いよ)いよ出(い)だす。多言(たげん)なれば数(しば)しば窮(きゅう)す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。
 大自然には仁がない。万物をワラで作ったイヌのようにあつかう。聖人には仁がない。人民をワラで作ったイヌのようにあつかう。大自然の空間は、ちょうど、ふいごのようなものと言えよう。空虚であると同時に無尽蔵であり、動けば動くほど出てくる。多言であるとしばしば窮する。「中」を守るのが一番である。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 宇宙は、宇宙を観測する知的存在としての人間をあらしめるために存在するのだ、という「人間原理」(anthropic principle)の考えかたがあります。この考えは、正しいでしょうか?(思考時間三分)
 
  ヒトは自然の中心にいるのか
『列子』説符第八
 斉田氏祖於庭、食客千人。中坐有献魚雁者。田氏視之、乃歎曰「天之於民厚矣。殖五穀、生魚鳥以為之用」。衆客和之如響。鮑氏之子年十二、預於次。進曰「不如君言。天地万物与我並生類也。類無貴賎。徒以小大智力而相制、迭相食。非相為而生之。人取可食者而食之、豈天本為人生之。且蚊蚋?膚、虎狼食肉、非天本為蚊蚋生人、虎狼生肉者哉」
 斉(せい)の田氏(でんし)、庭に祖(そ)す。食客(しょっかく)千人あり。中坐に魚と雁(かり)とを献ずる者(もの)有り。田氏、之(これ)を視(み)て、乃(すなは)ち嘆じて曰(いは)く「天の民に於(お)けるや厚し。五穀を殖(しょく)して、魚鳥を生じ、以(もっ)て之(これ)が用(よう)と為(な)す」と。衆客(しゅうかく)、之(これ)に和すること響くが如(ごと)し。鮑氏(ほうし)の子、年十二にして次(じ)に預(あづか)る。進みて曰(いは)く「君が言(げん)の如(ごと)くならず。天地の万物(ばんぶつ)は我と並びて生類なり。類に貴賎(きせん)無し。徒(た)だ小大智力を以(もっ)て相(あひ)制し、迭(たが)ひに相食(あひ は)むのみ。相為(あひため)にして之(これ)を生ずるに非(あら)ず。人は食(くら)ふべき者(もの)を取りて之(これ)を食ふのみ。豈(あ)に天、本(もと)より人の為(ため)に之(これ)を生ぜんや。且(か)つ蚊蚋(ぶんぜい)は膚(はだ)を?(か)み、虎狼(ころう)は肉を食ふ。天、本より蚊蚋の為(ため)に人を生じ、虎狼のために肉を生ずる者(もの)に非(あら)ず」と。
 斉(せい)の田氏が、庭園で祖道(送別の宴会)をもよおした。客が千人も集まった。宴会の途中で、魚と雁の肉が献上された。田氏はそれを見て、感嘆して言った。
「天の人間に対するめぐみは手厚い。五穀を増やし、魚鳥を生じ、人間の役に立たせてくれるとは」
 大勢の客たちは田氏にあいづちを打った。ただ一人だけ、席につらなっていた十二歳になる鮑氏の子だけは進み出て、こう言った。
「そのお言葉は間違っております。天地のあらゆる生物は、われらと平等な生きものです。命に貴賎はありません。ただそれぞれ小・大・智・力のちがいがあるために、互いに牽制し、互いに食べあっているだけです。誰かのために生まれてきた生物などおりません。人間は、食べられる生物を食べているだけです。天が人間のためにこうした生き物を作ったはずはありません。蚊やブヨはヒトの皮膚を噛み、トラやオオカミはヒトの肉を食べます。だからといって、まさか、天が蚊やブヨのためにヒトを生じたとか、天がトラやオオカミのためにヒトの肉を作っているわけはありません」
 
 
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 右の他、「補充教材」八九頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 自然認知 ○  
ーー「自然」という概念はいつ生まれたのでしょう。
 
★☆[参考]☆★   不思議
 
   私は不思議でたまらない、
   黒い雲からふる雨が、
   銀(ぎん)にひかつてゐることが。
 
   わたしは不思議でたまらない、
   青い桑(くは)の葉たべてゐる、
   蠶(かひこ)が白くなることが。
 
   私は不思議でたまらない、
   たれもいぢらぬ夕顔(ゆふがほ)が、
   ひとりでぱらりと開くのが。
 
   私は不思議でたまらない、
   誰にきいても笑つてて、
   あたりまへだ、といふことが。
ーー金子みすヾ
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 科学はいつからあったのでしょう?(思考時間一分)
 
  詭弁(きべん)と思考実験
『荘子』天下篇三十三
 (荘子のライバルだった恵子(けいし)は、論理学者だった。彼は物の意味を吟味するため、以下のような詭弁的命題を立て、思考実験をくりかえした。その一部を紹介すると以下のとおり。)
 
 至大無外、謂之大一。至小無内、謂之小一。
 至大は外無し、之(これ)を大一と謂(い)ふ。至小は内無し、之(これ)を小一と謂(い)
 究極の巨大なものは「外」を持たぬはずだ。これを「大一」と呼ぶ。究極の微小なものは「内」を持たぬはずだ。これを「小一」と呼ぶ。
 
 無厚不可積也、其大千里。
 厚さ無きものは積むべからざるも、其(そ)の大いさは千里なり。
 厚さがゼロであるもの(二次元の存在)は、積みあげることはできない(三次元空間には存在できない)。が、千里四方の面積を持つことはできる。
 
 日方中方睨、物方生方死。
 日は方(まさ)に中(ちゅう)すれば方に睨(かたむ)き、物は方に生ずれば方に死す。
 日はちょうど南中のときに、睥睨(へいげい)するように傾きはじめる。万物はちょうど生成するときに、死滅しはじめている。
 自然界のモノの変化や運動は、つねに相反する力の微妙なバランスのうえに成り立っている。変化なり運動なりが極点に達した瞬間、すでに反対方向へのちからが働いている。数学の「微分」に似た考えかた。
 
 南方無窮而有窮。
 南方は窮(きはまり)無く、而(しか)も窮有り。
 「南方」は無限であると同時に、有限である。
 無限の平面を仮想した場合、南方の面積は無限大である。ただし、北方など「南方」とはいえぬところもあるから、南方それ自体が無限であるとはいえない。自然認知のときは、果てがないことと無限を混同してはならないのだ。例えば、地球や宇宙も、大きさは有限だが、果てはないのだ。
 
 今日適越而昔来。
 今日(けふ)(えつ)に適(ゆ)きて昔(きのふ)(きた)る。
 今日、遠い南の越の国に行き、昨日、帰ってきた。
 移動のスピードをあげてゆくと、目的地までの所要時間はどんどん短くなる。究極のスピードで移動すると、所要時間ゼロ、つまり瞬間移動になる。もし、その究極のスピードを超えた、さらに超究極のスピードで移動できるなら、時間をタイムマシンのようにさかのぼることができる。空間と時間は密接不可分の関係なのだ。アインシュタインの相対性理論の「光速」の重視や、現代の物理学の「タキオン(超光速粒子)」も、基本的にはこれと同じ発想である。
 犬可以為羊。
 犬は以(もっ)て羊と為(な)すべし。
 イヌはヒツジと見なすことができる、もし学問上そう定義したほうが好都合ならば。例えばクジラという生き物は、生物学者は哺乳類に分類するが、経済学者は魚類に分類する。GDP計算上、捕鯨業は「漁業」に分類するので、このほうが便利だからである。
 
 火不熱。
 火は熱からず。
 火は熱くない。絶対温度が高くても、短時間であれば「熱量」は少ないので、熱いとは言えない。例えば、ロウソクの火の中に指先をつっこんでみても、もしそれが零点一秒ほどの一瞬であれば、火の熱さを感じないし、やけどもしない。自然認知には「時間」の概念の吟味が不可欠である。
 
 飛鳥之景、未嘗動也。
 飛鳥の景(かげ)、未(いま)だ嘗(かつ)て動かざるなり。
 飛ぶ鳥の影は静止している。例えば、太陽に向かってまっすぐ飛ぶ鳥が地上におとす影は、静止している。また、映画のフィルムの一枚一枚が静止画像であるように、すべての運動は、無限に細かい「静止画像」の連続であるともみなすことができる。自然認知には、空間や時間の吟味が不可欠なのである。
 
 白狗黒。
 白狗(はくく)は黒し。
 白い犬は黒い。光がまったくない暗闇のなかでは。
 
 一尺之捶、日取其半、万世不竭。
 一尺の捶(むち)、日(ひ)びに其(そ)の半(なかば)を取るに、万世(ばんせい)(つ)きず。
 わずか一尺のムチでも、毎日その半分ずつをとり除くとすると、永遠に無くなることはない。 1=1/2+1/4+1/8+1/16+・・・・・・という式の右辺の各項は無限につづく。逆にいうと、無限に続くことやものが収斂して、有限の値におさまることは、自然界ではよくある。自然認知では、無限と無限大の区別を吟味しておくことが重要である。余談ながら、古代ギリシア人は両者の区別ができなかったため、「アキレスは亀においつけない」「二分法」などの詭弁的命題に解答することができなかった。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 人間はいつから「地球にやさしく」なくなったのでしょう?(思考時間三分)
 
  牛山(ぎゅうざん)の木(き)、かつて美(び)なりき
『孟子』告子章句上
 牛山之木嘗美矣。以其郊於大国也、斧斤伐之、可以為美乎。
 牛山の木、嘗(かつ)て美(び)なりき。其(そ)の大国に郊たるを以(もっ)て、斧斤(ふきん)(これ)を伐(き)る、以(もっ)て美と為(な)すべけんや。
 牛山は昔、美しい森林でおおわれた山だった。だが、大国である斉(せい)の首都の郊外にあったため、森は斧やまさかりで伐採されてしまい、しだいに美林とはいえなくなり、その後、無惨な「はげ山」になってしまった。
 
 
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 右の他、「補充教材」八九頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 宇宙の謎 ○  
ーー宇宙から地球を眺めると、戦争がばかばかしくなります。
 
★☆[参考]☆★  蜂(はち)と神さま
 
   蜂(はち)はお花のなかに、
   お花はお庭のなかに、
   お庭は土塀(どべい)のなかに、
   土塀は町のなかに、
   町は日本のなかに、
   日本は世界のなかに、
   世界は神さまのなかに。
 
   さうして、さうして、神さまは、
   小ちゃな蜂のなかに。
ーー金子みすヾ
 
 
  宇宙の大きさ
前漢・劉安(りゅうあん)『淮南子(えなんじ)』精神訓
 故知宇宙之大、則不可劫以死生。
 故(ゆゑ)に宇宙の大(おほ)いさを知れば則(すなは)ち劫(おびや)かすに死生(しせい)を以(もっ)てすべからず。
 宇宙の大きさを達観している者を、死の恐怖をもって脅すことはできない。
 
 
  「宇宙」と「時空」
『淮南子(えなんじ)』斉俗訓
 往古来今謂之宙、四方上下謂之宇。
 往古来今(おうこらいこん)、之(これ)を宙(ちゅう)と謂(い)ひ、四方上下(しほうじょうげ)、之を宇(う)と謂ふ。
 上下四方の空間を「宇」と言い、古往今来の時間を「宙」と言う。空間と時間をあわせて「宇宙」と呼ぶ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 何人かに一人の割合で、出生の瞬間を記憶している幼児がいます。彼らは幼い言葉で「暗い混沌から光の世界へ」の劇的な変化を語ります。太古の神話や近代科学における宇宙創生観も基本的にこれと同じなのは、なぜでしょうか?(思考時間五分)
 
  宇宙の神秘についての問い
『楚辞(そじ)』天問
  曰隧古之初  (いは)く、隧古(すいこ)の初めは
  誰伝道之  (たれ)か之(これ)を伝(つた)へ道(い)へる
  上下未形  上下未(いま)だ形あらずと
  何由考之  何に由(よ)りてか之を考ふる
 
 太古、宇宙が誕生した瞬間の記憶を、いったい誰が言い伝えてきたのであろう? 天も地もいまだ形成されていなかった大昔のことを、人類は何によって考えたのであろう?
 
  冥昭?闇 (やみ)も昭(ひかり)も?闇(もうあん)なりと
  誰能極之  誰か能(よ)く之を極(きは)むる
  馮翼惟像  馮翼(ひょうよく)として惟(こ)れ像(かげ)ありと
  何以識之  何を以(もっ)てか之を識(し)れる
 
 闇と光がまだ混沌と入り交じっていた太古の宇宙を、いったい誰が見極めたのだろう? 天地はまだもやもやと雲のようだったと、何を根拠にわかったのだろう?
 
  明明闇闇  (めい)を明とし闇(あん)を闇とす
  惟時何為 (こ)れ時(こ)れ何か為(な)せる
  陰陽三合  陰陽(いんよう)三合す
  何本何化  (いづ)れか本(ほん)にして何れか化(か)なる
 
 原始の宇宙で光と闇が分かれたのは、どんなパワーのしわざなのだろう? 正と反のエネルギーが三合して宇宙ができたが、どのエネルギーが根本でどれが変化なのだろう?
 
  何所冬暖  (いづ)れの所か冬暖かき
  何所夏寒  何れの所か夏寒き
  焉有石林  (いづく)くに石林(せきりん)(あ)りや
  何獣能言  何れの獣(けもの)か能(よ)く言(ものい)
 
 冬に暖かい土地はどこだ? 夏に寒い土地はどこだ? 岩の森はどこにある? 言葉をしゃべる動物はどこにいる?
 
 
  ☆[考えてみよう]☆ 大自然のなかには、ミクロの世界からマクロの世界まで、カタツムリの殻(から)のような螺旋形(らせんけい)があふれています(DNAの二重螺旋構造や、銀河系の形など)。なぜでしょう?(思考時間三分)
 
  蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争い
『荘子』則陽篇第二十五
 (斉(せい)と魏(ぎ)のあいだで緊張が高まり、戦争が起きる寸前の状態になった。戴晋人(たいしんじん)という論客がいた。彼は戦争の勃発(ぼっぱつ)を防ぐため、魏の王に会見して申し上げた。)
 戴晋人曰「有所謂蝸者。君知之乎」。曰「然」。「有国於蝸之左角者、曰触氏。有国於蝸之右角者、曰蛮氏。時相与争地而戦。伏尸数万、逐北、旬有五日而後反」。君曰「噫、其虚言与」。曰「臣請為君実之。君以意在四方上下、有窮乎」。君曰「無窮」。曰「知遊心於無窮、而反在通達之国、若存若亡乎」。君曰「然」。曰「通達之中有魏、於魏中有梁、於梁中有王。王与蛮氏有弁乎」。君曰「無弁」。客出。而君?然若有亡也。
 戴晋人(たいしんじん)(いは)く「所謂(いはゆる)(かたつむり)なる者(もの)有り。君之(これ)を知るか」と。曰(いは)く「然(しか)り」と。「蝸の左角に国する者(もの)有り、触氏と曰(い)ふ。蝸の右角に国する者(もの)有り、蛮氏と曰(い)ふ。時に相与(あひとも)に地を争ひて戦ふ。伏尸(ふくし)数万、北(に)ぐるを逐(お)ひ、旬有五日(じゅんゆうごにち)にして後(のち)に反(かへ)る」と。君曰(いは)く「ああ、其(そ)れ虚言か」と。曰(いは)く「臣(しん)、請(こ)ふ、君が為(ため)に之(これ)を実にせん。君、意を以(もっ)て四方上下に在らしめよ。窮(きはまり)有りや」と。君曰(いは)く「窮無し」と。曰(いは)く「心を無窮に遊ばしむることを知りて、反りて通達の国に在れば、存するが若(ごと)く亡(な)きが若(ごと)くならんか」と。君曰(いは)く「然(しか)り」と。曰(いは)く「通達の中に魏(ぎ)有り、魏中に於て梁(りょう)有り、梁中に於て王有り。王と蛮氏と弁(べん)有るか」と。君曰(いは)く「弁無し」と。客出(い)づ。而(しか)して君は?然(しょうぜん)として亡(うしな)ふこと有るが若(ごと)し。
 戴晋人は申しあげた。
「カタツムリという生きものがおります。殿様はご存じですか」。
 王が「ああ」と答えると、戴晋人は続けて、
「むかし、カタツムリの左の角に、触氏、という民族が国をうちたてました。カタツムリ右の角にも、蛮氏、という民族が国をうちたてました。あるとき、両国は領土をあらそって戦争になりました。地面に倒れふす死者の数は数万にもおよび、逃げる敵を追撃する掃討作戦も十五日に及んだとのことです」
 王が「なんだ、つくりばなしか」と言うと、戴晋人は続けて、
「それでは、現実の話をさせてくださいますよう。王様、どうか想像力を働かせて、心を上下四方に広がる宇宙空間に遊ばせてください。(宇宙の基本形はカタツムリと同じ螺旋形ですが、その)宇宙に果てはあるでしょうか」
「果てはない」
「では、無限の宇宙空間に心を遊ばせることを知ったあと、宇宙空間から私たちの生活圏である地上をふりかえってみましょう。有るか無いか、わからぬほどちっぽけに見えませんか」
「・・・・・・そうだな」
「生活圏のなかの小さな一部が魏であり、その魏のなかの一区画が都であり、その都のなかの建物に王がおいでです。大宇宙のなかの王さまの存在と、カタツムリの角のうえの蛮氏と、いかほどの差がありましょうか」
「・・・・・・大差ない」
 戴晋人は退出した。王は茫然として、戦争を中止した。
 
 
  [漢詩名句] 李賀「夢天」
 
 遥望斉州九点煙 (はるか)に望(のぞ)む斉州(せいしゅう)九点(きゅうてん)の煙(けむり)
 一泓海水盃中瀉 一泓(いちおう)の海水(かいすい) 盃中(はいちゅう)に瀉(そそ)
 
 (月世界(げっせかい)に立って、はるかな地球をながめると)大陸は小さな九つの雲煙(うんえん)の点にすぎず、海洋も丸い盃(さかずき)に注がれた澄んだ水に見えた。
 
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 右の他、「補充教材」九一頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 人知の限界 ○     
ーーたかが2キログラム弱の脳髄に、どれほどの事がわかるでしょう。
 
☆[考えてみよう]☆ 科学は今後も永久に無限に発展できるのでしょうか?(思考時間三分)
 
  知は無限に発展する
『荘子』養生主篇
 吾生也有涯、而知也无涯。以有涯随无涯、殆已。
 吾(わ)が生(せい)や涯(はて)(あ)り、而(しか)して知(ち)や涯(はて)(な)し。涯有るを以(もっ)て涯无きに随(したが)ふ、殆(あやふ)きのみ。
 われらの命は有限だが、われらの知は無限である。有限の命で無限の知を追求する。危ないことだ。
 
 
★☆[参考]☆★ 
   苦心して学徳をつみかさねた人たちは
  「世の燈明(とうみょう)」と仰(あお)がれて光りかがやきながら、
   闇(やみ)の夜(よ)にぼそぼそお伽(とぎ)ばなしをしたばかりで、
   夜(よ)も明(あ)けやらぬに早(は)や燃えつきてしまった。
ーー『ルバイヤート』
 
  学を絶たば
『老子』第二十章
 絶学無憂。
 学(がく)を絶(た)たば憂(うれ)い無(な)からん。
 学ぶのをやめれば心配事は消えよう。
 
 
★☆[参考]☆★  「インテリというのは自分で考えすぎますからね。そのうち俺は何を考えていたんだろうなんて、わかんなくなってくるわけです。つまりこのテレビの裏っかたでいいますと、配線がガチャガチャに混みいってるわけなんですよね。ええ、その点私なんか線が一本だけですから、まァ、いってみりゃ空っポといいましょうか。叩けばコーンと澄んだ音がしますよ。殴(なぐ)ってみましょうか?」
ーー映画『男はつらいよ』第三作「フーテンの寅(とら)」
 
★☆[参考]☆★  星のかず
 
十(とを)しきやない
指で、
お星の
かずを、
かずへて
ゐるよ。
きのふも
けふも。
 
十しきやない
指で、
お星のかずを、
かずへて
ゆかう。
いついつ
までも。
ーー金子みすヾ
 
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 右の他、「補充教材」九三頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 推移の感覚 ○  
ーー時間とは何でしょうか。
 
★☆[参考]☆★ 
     わたくしといふ現象は
     仮定された有機交流電燈の
     ひとつの青い照明です
     (あらゆる透明な幽霊の複合体)
     風景やみんなといつしよに
     せはしくせはしく明滅しながら
     いかにもたしかにともりつづける
     因果交流電燈の
     ひとつの青い照明です
     (ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(下略)
ーー宮沢賢治『春と修羅(しゅら)』序
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ (例題一)川の水は、流れることでどんどん入れ替わってゆきます。時間がたって水が入れ替わっても、同じ川であると言えるのでしょうか?
(例題二)一国の国民は、古い世代はどんどん死に、新しい世代がどんどん生まれ、百年ちょっとで入れ替わってしまいます。それなのに、大昔の「戦争責任」をその国はずっと背負ってゆかねばならぬのでしょうか?
(思考時間五分)
 
  逝(ゆ)く者は斯(かく)の如(ごと)きか
『論語』子罕(しかん)第九
 子在川上曰「逝者如斯夫、不舎昼夜」
 子(し)、川の上(ほとり)に在(あ)りて曰(のたま)はく「逝(ゆ)く者は斯(かく)の如(ごと)きか。昼夜を舎(を)かず」と。
 先生は、川のほとりで言われた。「過ぎゆくとは、みな、この川の流れのようなものか。昼も夜もとどまることはない」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「このAは、実はAらしくない。だから本物のAなのだ」(非即の論理)。「このは、まるっきりBそのものだ。だから本物のBではない」(即非の論理)。さて、AやBにどんなモノやコトを入れたら、このような言い方が成り立つでしょうか?
 
  道(みち)の道とすべきは
『老子』第一章
 道可道、非常道。名可名、非常名。無名、天地之始、有名、万物之母。
 道の道とすべきは、常の道に非(あら)ず。名の名づくべきは、常の名に非(あら)ず。名無きは天地の始めにして、名有るは万物(ばんぶつ)の母なり。
 「道」とみなせる道は、永遠の道ではない。名づけることのできる「名」は、永遠の名ではない。名が無い状態が天地の始めであり、名が有る状態が万物の母である。
 
★☆[参考]☆★  『老子』という書物の一番はじめに「道の道とすべきは常道にあらず」という言葉がありますが,この言葉の本当の意味は何であろうと,そのまま素朴に受けとると,わたくしたち現代の物理学者に実にピッタリしているのであります。
ーー湯川秀樹(ゆかわ ひでき)「父から聞いた中国の話」(『湯川秀樹著作集』6)
 
 
  天地も曾(すなは)ち以(もっ)て一瞬なること能(あた)はず
蘇軾(そしょく)「赤壁賦(せきへきのふ)」
 蘇子曰「客亦知夫水与月乎。逝者如斯而未嘗往也。盈虚者如彼而卒莫消長也。蓋将自其変者而観之、則天地曾不能以一瞬。自其不変者而観之、則物与我皆無尽也。而又何羨乎。(下略)」
 蘇子(そし)(いは)く「客も亦(ま)た夫(か)の水と月とを知るか。逝(ゆ)く者は斯(かく)の如(ごと)くして、而(しか)も未(いま)だ嘗(かつ)て往(ゆ)かざるなり。盈虚(えいきょ)するものは彼(か)の如くして、而も卒(つひ)に消長する莫(な)きなり。蓋(けだ)し将(は)たその変(へん)ずる者よりしてこれを観(み)れば、則(すなは)ち天地も曾(すなは)ち以(もっ)て一瞬なること能(あた)はず。その変ぜざるものよりしてこれを観れば、則ち物と我と、皆(みな)(つ)くる無きなり。而(しか)るを又(また)、何をか羨(うらや)まんや。(下略)」
 蘇子は言った。「あなたもまた、かの水と月のことをご存じでしょうか。流れ去るものは、まさにこの長江の水のようです。でも、(水は流れても長江そのものは)実は流れ去ってはいないのです。満ち欠けするものは、まさにあの月のようですが、しかし、(月は影の部分が増減しているだけで)実は消えたり成長したりはしていません。おそらく、変化という観点からこの世を見れば、天地でさえ一瞬たりとも不変ではいられません。逆に、不変という観点から見れば、物も自分も、一つとして無くなるものなんてないのです。というわけで、わたしたちは(長江が無窮であることを)羨むことがありましょうや。羨む必要はありません」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 長い歳月のあいだに地球や宇宙が変化することを、昔の人も知っていたのでしょうか?(思考時間一分)
 
  桑滄(そうそう)の変(へん)
『神仙伝』
 麻姑謂王方平曰「自接待以来、見東海三変為桑田。(下略)」
 麻姑(まこ)、王方平(おうほうへい)に謂(い)ひて曰(いは)く「接待より以来、東海(とうかい)の三(み)たび変(へん)じて桑田(そうでん)と為(な)るを見る。(下略)」と。
 麻姑は、長い爪をもつ仙女(せんにょ)である。日本の「孫の手」の語源は、「麻姑の手」が訛(なま)ったものといわれる。
 あるとき麻姑は、仙人の王方平に言った。「このまえお会いしてから、東の海が三回、桑畑に変わるのを見ました」
 
 
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 右の他、「補充教材」九五頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 教育について ○  
ーー自分で自分を教育しましまょう。
 
 ☆[考えてみよう]☆ 勉強を始めるのに最適な年齢とは、何歳くらいでしょうか?(思考時間三分)
 
  炳燭(へいしょく)(の)(めい)
『説苑(ぜいえん)』建本
 晋平公問於師曠、曰「吾年七十。欲学、恐已暮矣」。師曠曰「何不炳燭乎」。平公曰「安有為人臣而戯其君乎」。師曠曰「盲臣安敢戯君乎。臣聞之『少而好学、如日出之陽。壮而好学、如日中之光。老而好学、如炳燭之明』。炳燭之明、孰与昧行乎」。平公曰「善哉」。
 晋(しん)の平公、師曠(しこう)に問ふ、曰(いは)く「吾(われ)、年七十なり。学ばんと欲(ほっ)するも、恐るらくは已(すで)に暮れたり」と。師曠曰(いは)く「何ぞ燭を炳(とも)さざるか」と。平公曰(いは)く「安(いづく)んぞ人臣と為(な)りて其(そ)の君に戯(たは)むるもの有らんや」と。師曠曰(いは)く「盲臣(もうしん)、安(いづく)んぞ敢(あへ)て君に戯れんや。臣(しん)、之(これ)を聞く『少(わか)くして学を好むは日出(ひので)の陽(ひ)の如(ごと)し。壮にして学を好むは日中の光(ひかり)の如(ごと)し。老いて学を好むは炳燭(へいしょく)の明(めい)の如(ごと)し』と。炳燭の明は、昧行(まいこう)と孰与(いづれ)ぞ」と。平公曰(いは)く「善(よ)きかな」と。
 晋(しん)の平公が、師曠(しこう)という名の盲目(もうもく)の楽師(がくし)にたずねた。
「余はもう七十歳じゃ。学びたいと思うが、もうとっくに日は暮れてしまったのでは、という気がする」
 師曠は「日が暮れたのなら、どうして灯火(ともしび)をおつけにならぬのですか。おつけください」と言った。平公は、
「これ、人臣のくせに主君をからかうという法があるか。『日が暮れた』というのは、老いたことを喩えて言ったまでじゃ」
 とたしなめた。師曠は言った。
「盲臣が、殿をからかうわけがございません。臣はこう聞いております。『若いときに勉強を好むと、いろいろなものごとが、日の出のように明るく見えてくる。中年で勉強を好むと、昼間のように見えてくる。老年で勉強を好むと、夕闇のなかの灯火のように見えてくる』と。さて。暗い夕暮れの道を歩くとき、灯火の明るさがあるのと、ないのとでは、どちらがよいでしょうか」
 平公は「うむ、すばらしい」と言った。
 
★☆[参考]☆★  伊能忠敬(いのうただたか)(一七四五ー一八一八)は、四十九歳で息子に家督を譲って隠居したあと、五十歳で、自分よりはるか年下の高橋至時(当時三十一歳)の弟子となり、地図作りを学び始めた。その後、彼は日本各地を測量して精密な日本地図を作り、歴史に名を残した。
 丸木(まるき)スマ(一八七五ー一九五六)(七四頁参照)は、生涯のほとんどを家庭の婦人として過ごした。彼女は、七十歳をすぎて初めて絵を描きはじめ、異色の女流画家として才能を高く評価された。そして、不慮の死を遂げるまでの十年間に、普通の画家が一生をかけて描くよりも多くの作品を残した。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ なぜあなたは大学で勉強するのですか?(思考時間三十秒)
 
  孔子の教育観
『論語(ろんご)』雍也(ようや)第六
 子曰「知之者不如好之者。好之者不如楽之者」
 子の曰(のたま)はく「之(これ)を知る者(もの)は之(これ)を好む者(もの)に如(し)かず、之(これ)を好む者(もの)は之(これ)を楽しむ者(もの)に如(し)かず」と。
 先生は言われた。「これを知っている、という人は、これが好きだ、という人には及ばない。これが好きだ、という人は、これを楽しむ人には及ばない」
 
『論語』述而(じゅつじ)第七
 子曰「不憤不啓、不?不発。挙一隅、不以三隅反、則不復也」
 子の曰(のたま)はく「憤(ふん)せずんば啓せず、?(ひ)せずんば発せず。一隅(いちぐう)を挙(あ)ぐるに三隅を以(もっ)て反(かへ)らずんば、則(すなは)ち復(また)せざるなり」と。
 先生は言われた。「憤懣をもたぬ生徒は啓発できない。口をムズムズさせてる生徒でなければ啓発できない。教師が四角の一隅を示すと、生徒は三隅をかかげて反論する。そんな反応をする生徒でなければ、二度とは教えない」
 
『論語』為政第二
 子曰「学而不思則罔、思而不学則殆」
 子の曰(のたま)はく「学びて思はざれは則(すなは)ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則(すなは)ち殆(あやふ)し」と。
 先生は言われた。「勉強しても考えなければ、暗い。考えても勉強しなければ、危ない」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 何百年も昔のことを勉強して、現代の私たちの役にたつのでしょうか?(思考時間一分)
 
『論語』為政第二
 子曰「温故而知新、可以為師矣」
 子の曰(のたま)はく「故(ふる)きを温(あたた)めて新しきを知る、以(もっ)て師と為(な)るべし」と。
 先生は言われた。「昔のことをあたためて現代と未来を知る。それで教師になれる」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 幼時教育は良いことづくめなのでしょうか?(思考時間一分)
 
  邯鄲(かんたん)の歩(あゆ)
『荘子』秋水篇
 且子独不聞夫寿陵余子之学行於邯鄲与。未得国能、又失其故行矣。直匍匐而帰耳。
 且(か)つ子(し)は独(ひと)り、夫(か)の寿陵(じゅりょう)の余子(よし)の行(こう)を邯鄲(かんたん)に学べるを聞かざるか。未(いま)だ国能を得(え)ざるに、又(また)、其(そ)の故(もと)の行を失(うしな)ふ。直(た)だ匍匐(ほふく)して帰(かへ)るのみ。
 そのうえ君は、こんな話を聞いたことはないかね。田舎町の寿陵の若者が、大都会の邯鄲に行って、都会派の歩きかたを学ぼうとした。彼は、大都会のおしゃれな歩きかたをマスターできぬうちに、故郷の歩きかたを忘れてしまった。しかたなく、ずっと道を這って田舎に帰ったそうだ。
 
★☆[参考]☆★  つまり、早期英語教育は、英語どころか、母語である日本語さえも、しっかりと身につくことを妨害する要因になってしまうのである。
ーー米原万里『真夜中の太陽』「幼児に英語を学ばせる愚」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 何事も体験してみなければ、本当のところはわからないのでしょうか?(思考時間一分)
 
  戸外に出ることなく
『老子』第四十七章
 不出戸、知天下。不窺?、見天道。其出弥遠、其知弥少。是以聖人、不行而知、不見而名、不為而成。
 戸(と)を出(い)でずして、天下を知る。?(まど)を窺(うかが)はずして、天道を見る。其(そ)の出(い)づること弥(いよ)いよ遠ければ、其(そ)の知ること弥いよ少なし。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、行かずして而(しか)も知り、見ずして而(しか)も名づけ、為(な)さずして而(しか)も成る。
 戸外に出ることなく天下を知り、窓からのぞかずに天道を見る。出てゆくことが遠ければ遠いほど、知ることは少なくなる。それゆえ聖人は行かずに知り、見ずして名づけ、為さずして成る。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 師匠を超える弟子が現れるのは、どういう場合でしょうか?(思考時間一分)
 
  出藍(しゅつらん)の誉(ほま)
『荀子(じゅんし)』勧学
 君子曰、学不可以已。青取之於藍、而青於藍。氷水為之、而寒於水。(中略)干越夷貊之子、生而同声、長而異俗、教使之然也。
 君子(くんし)(いは)く、学(がく)は以(もっ)て已(や)むべからず。青(あを)は之(これ)を藍(あゐ)より取りて而(しか)も藍より青し。氷(こほり)は水(みづ)、之を為(つく)りて而も水より寒(さむ)し。(中略)干(かん)・越(えつ)・夷(い)・貊(はく)の子(こ)、生れて声を同じうし、長(ちょう)じて俗を異(こと)にするは、教(をし)へ之をして然(しか)らしむるなり。
 ある君子が言った。勉強をやめてはならぬ。染料(せんりょう)の青は藍草(あいくさ)から作るが、藍草よりも青い。氷は水からできるが、冷たさは水に勝る。(中略)干(かん)・越(えつ)・夷(い)・貊(はく)など異民族の子どもたちは、生まれたときは同じ声で泣くのに、成長するとそれぞれ違う風俗習慣を身につける。後天的な教育によってそうなるのだ。
 
 
★☆[参考]☆★  土と草
 
母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
 
草があをあを
茂つたら、
土はかくれて
しまふのに。
ーー金子みすヾ
 
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 右の他、「補充教材」一〇〇頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 細分化・専門化 ○  
ーー根本は一つでも、枝や葉はバラバラに分かれる。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 同じ学者でも、理系の学者が一般に「早熟」であるのはなぜでしょう?(思考時間一分)
 
  白首(はくしゅ)にして後(のち)に能(よ)く言(い)
『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)
 幼童而守一芸、白首而後能言。
 幼童(ようどう)にして一芸(いちげい)を守(まも)り、白首(はくしゅ)にして後(のち)に能(よ)く言(い)ふ。
 子供のころから一つの専門を専攻しても、その道の専門家として一人前の発言ができるようになるのは、ようやく白髪頭(しらがあたま)になってからである。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 始めたころは面白いのに、その後だんだんつまらなくなってくる・・・・・・人生でそんなことが多いのは、どうしてでしょう?(思考時間三分)
 
  墨子悲糸(ぼくしひし)、楊朱泣岐(ようしゅきゅうき)
『蒙求』三三
 淮南子曰「楊子見逵路而哭之。為其可以南可以北。墨子見練糸而泣之。為其可以黄可以黒」
 淮南子(えなんじ)に曰(いは)く「楊子(ようし)、逵路(きろ)を見て之(これ)を哭(こく)す。其(そ)の以(もっ)て南(みなみ)すべく以(もっ)て北(きた)すべきが為(ため)なり。墨子(ぼくし)、練糸(れんし)を見て之(これ)を泣く。其(そ)の以(もっ)て黄(き)たるべく以(もっ)て黒(くろ)たるべきが為(ため)なり」
 『淮南子』説林訓にこう書いてある。「学者の楊子は、道がいくつもの方向に分かれているところを見て、声をあげて泣いた。そこから南にも行けるし、北にも行けるが、どちらに踏み出しても、選択肢のはばが限定されるからである。思想家の墨子は、真っ白な練りぎぬの糸束を見て、涙を流した。これから黄色にも染められるし、黒にも染められるが、どちらの色に染めても、将来の可能性を切り捨てることになるからである」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「総合科学」とは何でしょう?(思考時間一分)
 
  多?亡羊(たきぼうよう)
『列子』説符第八
 楊子之鄰人亡羊。既率其党、又請楊子之豎追之。楊子曰「?。亡一羊、何追者之衆」。鄰人曰「多?路」。既反、問「獲羊乎」。曰「亡之矣」。曰「奚亡之」。曰「?路之中又有?焉。吾不知所之、所以反也」。楊子戚然変容、不言者移時、不笑者竟日。(中略)心都子曰「大道以多?亡羊、学者以多方喪生。学非本不同、非本不一、而末異若是。唯帰同反一、為亡得喪(下略)」
 楊子(ようし)の鄰人、羊を亡(うしな)ふ。既(すで)にして其(そ)の党(とう)を率(ひき)ゐ、又、楊子の豎(じゅ)を請(こ)ひて之(これ)を追はしむ。楊子曰(いは)く「?(き)。一羊を亡ふに、何ぞ追ふ者(もの)の衆(おほ)きや」と。鄰人曰(いは)く「?路(きろ)多ければなり」と。既(すで)に反(かへ)りて、問ふ「羊を獲(え)たるか」と。曰(いは)く「之(これ)を亡へり」と。曰(いは)く「奚(なん)ぞ之(これ)を亡ふや」と。曰(いは)く「?路の中、又?有り。吾(われ)、之(ゆ)く所を知らず。反る所以(ゆゑん)なり」と。楊子、戚然(せきぜん)として容(かたち)を変へ、言(ものい)はざること時を移し、笑はざること日を竟(を)ふ。(中略)心都子(しんとし)(いは)く「大道は多?を以(もっ)て羊を亡ひ、学者は多方を以(もっ)て生を喪(うしな)ふ。学は本(もと)同じからざるに非(あら)ず、本(もと)(いつ)ならざるに非(あら)ず、而(しか)も末(すゑ)(こと)なること是(かく)の若(ごと)し。唯、同じきに帰り一に反れば、得喪を亡(な)しと為(な)さん(下略)」
 楊子の隣人が羊をなくした。その隣人は家中の者を引き連れたうえ、楊子の邸の小僧さんまで借りて、羊を追いかけた。
 楊子の小僧が帰ってきたので、楊子はたずねた。「羊はつかまえられたか」「逃げられてしまいました」「なぜ逃げられたのか」「道が枝道に分かれ、それぞれの枝道からさらに枝道が分かれ、結局、羊がどこに行ってしまったのか分かりません。あきらめて帰ってきました」。
 楊子は顔かたちを変え、何時間も押し黙り、その日は一日中、憮然(ぶぜん)としていた。(中略)
 心都子は言った。「大道は多岐なるがゆえに羊をうしない、学者は専門分野の細分化のせいで活力をうしなう。学問の出発点はもともとみな同一のはずなのに、学問が発展して細分化した末端では互いに違ってしまう。ただ同一のところにまでさかのぼり戻るならば、得失もなくなるのだが」
 
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 右の他、「補充教材」一〇一頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 適材適所 ○ 
ーー偉くなるばかりが能じゃない。
 
 ☆[考えてみよう]☆ リーダー、スタッフ、ライン、フロントのうち、リーダーになるのが本当に良いのでしょうか?(思考時間三分)
 
  矢(や)は卒(そつ)なり
『孫?兵法(そんぴんへいほう)』兵情
 矢、卒也。弩、将也。発者、主也。矢、金在前、羽在後、故犀而善走。
 矢は卒なり。弩(ど)は将なり。発する者(もの)は主なり。矢は金(きん)(まえ)に在(あ)り、羽(はね)(うしろ)に在り。故(ゆゑ)に犀(さい)として善(よ)く走る。
 矢は兵である。弩(いしゆみ)は将である。射手は主君である。矢は、金属のやじりが前にあり、風切り羽が後にあるから、ビュンと速く飛ぶ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 第二次大戦後、ヒトラーや東条英機は自国民からも憎まれたのに、坂井三郎(さかいさぶろう)(一九一六ー二〇〇〇)やハンス・ウルリッヒ・ルーデル(Hans Ulrich Rudel一九一六ー八二)が戦後、旧敵国民からさえ尊敬されたのはなぜでしょう?(思考時間三分)
 
  諸侯(しょこう)の剣(けん)
『荘子』説剣篇第三十
 諸侯之剣、以知勇士為鋒、以清廉士為鍔、以賢良士為脊、以忠聖士為鐔、以豪傑士為鋏。此剣直之亦无前、挙之亦无上、案之亦无下、運之亦无旁。
 諸侯の剣は、知勇の士(し)を以(もっ)て鋒(ほう)と為(な)し、清廉(せいれん)の士を以て鍔(がく)と為し、賢良の士を以て脊(せき)と為し、忠聖の士を以て鐔(たん)と為し、豪傑の士を以て鋏(きょう)と為す。此(こ)の剣は、之(これ)を直(なお)くすれば亦(ま)た前(まえ)(な)く、之を挙(あ)ぐれば亦た上无く、之を案ずれば亦た下无く、之を運(めぐ)らせば亦た旁(かたわら)无し。
 諸侯の剣は、知勇の士を切っ先とし、清廉の士を刃先とし、賢良の士をみねとし、忠聖の士を鍔とし、豪傑の士を柄とします。この剣は無敵です。まっすぐ突き出せば前に当たる者はなく、上下四方にふりまわしても邪魔するものはありません。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 選手(フロント)として有能だった人がチームの監督(リーダー)に抜擢されると、意外に無能なことがあります。反対に、選手としてはそれほどでもなかった人が監督に転身して、すばらしく有能な監督になることもあります。これらの違いは何でしょう?(思考時間三分)
 
  将(しょう)に将たる器(うつわ)
『十八史略』
 高祖、嘗従容問信将能将兵多少。帝曰「如我能将幾何」。信曰「陛下不過十万」。帝曰「於君何如」。曰「臣多多益弁」。帝笑曰「多々益弁、何以為我擒」。曰「陛下不能将兵、而善将将。此信之所以為陛下擒也。且陛下天授非人力也」。
 高祖(こうそ)、嘗(かつ)て従容(しょうよう)として信(しん)に将(しょう)の能(よ)く兵(へい)に将(しょう)たるの多少を問ふ。帝(てい)(いは)く「我(われ)の如(ごと)きは能く幾何(いくばく)に将(しょう)たる」と。信曰く「陛下(へいか)は十万に過ぎず」と。帝曰く「君に於(おい)ては何如(いかん)」と。曰く「臣(しん)は多多益々(たたますます)(べん)ず」と。帝笑ひて曰く「多々益々弁ぜば、何を以(もっ)て我が擒(とりこ)と為(な)りし」と。曰く「陛下は兵(へい)に将(しょう)たる能(あた)はざれども、而(しか)も善(よ)く将(しょう)に将(しょう)たり。此(こ)れ、信の陛下の擒(とりこ)と為(な)りし所以(ゆゑん)なり。且(か)つ陛下は天授(てんじゅ)にして人力(じんりょく)に非(あら)ざるなり」と。
 劉邦(りゅうほう)は、もともと農民の出身であったが、秦末(しんまつ)の乱世のとき天下の英雄豪傑たちをおしのけて勝ち残り、漢王朝の初代皇帝(高祖)となった。
 皇帝となったある日。劉邦はうちくつろいだ様子で、名将の韓信(かんしん)に、将軍たちはそれぞれどれくらいの軍隊を率いる器(うつわ)であるか、たずねた。
 劉邦が「わしは何人の軍隊の将軍になれるだろうか」とたずねると、韓信は「陛下の将器(しょうき)は、せいぜい十万の兵士の将軍になれるていどです」と答えた。劉邦が「それでは君はどうかね」とたずねると、韓信は「何十万人でも何百万人でも、多々(たた)益々(ますます)弁(べん)ず(多ければ多いほど良い)でございます」と答えた。
 劉邦は笑って「しかし君は以前、わしに負けて捕虜となったことがある。そして今はこうして、わしの部将となって甘んじておる。それはなぜかね」と言った。韓信は、
「陛下は、兵に将たる器(うつわ)(ラインの器)ではありません。しかし、将に将たる器(リーダーの器)でいらっしゃいます。そういうわけで、わたしは陛下との競争に負けて、部下となってしまったのです。そのうえ、陛下の将器は天賦の才能です。皇帝の地位は人力で得られるものではありません」
 と答えた。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 人は、自分の才能にあった職種につくのが一番しあわせなのでしょうか?(思考時間三分)
 
  兼官
『韓非子(かんぴし)』説林(ぜいりん)上
 秦武王令甘茂択所欲為於僕与行事。孟卯曰「公不如為僕。公所長者、使也。公雖為僕、王猶使之於公也。公佩僕璽而為行事、是兼官也」。
(書き下し文、略)
 秦(しん)の武王は、甘茂(かんも)という者に、職種を選ばせることにした。なれるのは「僕」(侍従)か「行事(こうじ)」(外交官)か、二つのうち一つだけであった。迷う甘茂に、孟卯(もうぼう)がアドバイスした。
「僕を選ぶといいです。あなたには外交の才能があります。あなたが僕となって王の身近で雑用をこなせば、王はきっと、あなたに外交の仕事も任せるでしょう。あなたは僕の身分で外交の仕事もできるわけで、事実上、ふたつの官職を兼任できますよ」
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇二頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 無用の用 ○ 
ーーリダンダンシーの必要性。
 
 ☆[考えてみよう]☆ 一秒をあらそう緊急電話の番号は、なぜ「一一九」や「一一〇」に決められたのでしょう? もし「一一一」ならもっと早くかけられるのに・・・・・・(思考時間五分)
 
  「自己(じこ)疎外(そがい)」を防ぐ方法
『荘子』天地篇第十二
 (子貢(しこう)が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(ひゃくうね)も水をかけられますよ」。老人は答えて言った。)
 吾聞之吾師。有機械者、必有機事。有機事者、必有機心。機心存於胸中、則純白不備。純白不備、則神生不定。神生不定者、道之所不載也。吾非不知、羞而不為也。
 吾(われ)、之(これ)を吾(わ)が師に聞けり。機械有る者(もの)は、必ず機事有り。機事有る者(もの)は、必ず機心有り。機心、胸中(きょうちゅう)に存すれば、則(すなは)ち純白備(そなは)らず。純白備らずんば、則(すなは)ち神生(しんせい)(さだま)らず。神生定らざる者(もの)は、道(みち)の載(の)せざる所なり。吾(われ)、知らざるに非(あら)ず。羞(は)ぢて為(な)さざるのみ。
 わしは師匠からこう聞いた。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白がなくなる。純白がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない(いわゆる自己疎外のメカニズムがはたらき、自分が仕事をするのではなく、仕事が自分をつかうようになってしまう)。わしはハネツルベを知らない訳ではない。恥ずかしいから使わないだけだよ。
 
★☆[参考]☆★  「ハハハハハ、米原さん、医療ミスっていうのは、こういうふうに一人の人間が治療の最初から最後までを受け持つ場合は、ほとんど起こらないものなのよ」
(中略)そして、医療過誤事件は、どれも分業がさらに細分化された大病院で起こっている。医師も看護婦も、患者さんとその治療の全体像および全プロセスを総合的に捉え、責任を負うことが、なくなっている。
ーー米原万里(よねはら まり)『真夜中の太陽』「疎外の極致」
 
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 右の他、「補充教材」一〇二頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 世に出る ○ 
ーー実力があっても、世間で認められるとは限らない。
 
★☆[参考]☆★  金平糖(こんぺいたう)の夢
 
金平糖は
夢みてた。
 
春の田舎(ゐなか)の
お菓子屋の
硝子(がらす)のびんで
夢みてた。
 
硝子の舟で
海越えて
海のあなたの
大ぞらの
お星になつた
夢みてた。
ーー金子みすヾ
 
 ☆[考えてみよう]☆ 懐才不遇(かいさいふぐう)の一生を送り、死後、ようやく評価された天才は少なくありません。いっぽう、生前から名声をほしいままにした天才も、けっこういます。両者の違いはなんでしょう?(思考時間三分)
 
  馬価十倍
『戦国策』燕策
 人有売駿馬者。比三旦立市、人莫之知。往見伯楽曰「臣有駿馬欲売之。比三旦立於市、人莫与言。願子還而視之、去而顧之。臣請献一朝之賈」。伯楽乃還而視之、去而顧之。一旦而馬価十倍。
 人に駿馬(しゅんめ)を売る者(もの)有り。三旦市に立つに比(およ)び、人之(これ)を知る莫(な)し。往(ゆ)きて伯楽(はくらく)に見(まみ)えて曰(いは)く「臣に駿馬有り、之を売らんと欲(ほっ)す。三旦市に立つに比ぶも、人与(とも)に言ふ莫し。願はくは子(し)(かへ)りて之を視(み)、去りて之を顧(かへり)みよ。臣請ふ一朝の賈(あたひ)(價)を献ぜん」と。伯楽乃(すなは)ち還りて之を視、去りて之を顧みる。一旦にして馬価十倍す。
 駿馬を売りたいという者がいた。三日つづけて朝市に立ったが、誰も気づいてくれない。そこで伯楽に会って頼んだ。
「私めは駿馬を売りたいと思い、三日つづけて朝市に立ちましたが、誰も声をかけてくれません。そこでお願いですが、あなたに市場に来ていただき、いったん私の馬のまえを通り過ぎたあと、もどって私の馬を見てください。そして、立ち去るときも私の馬をふりかえってください。それで値段がはねあがったら、最初の値段との差額ぶんを謝礼としてさしあげます」
 伯楽はそこで言われたとおり、もどってきて馬を見、立ち去りつつ馬をふりかえった。
 その朝、彼の馬の値段は十倍にはね上がった。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 自分を売り込むにはどうすればよいのでしょう?(思考時間一分)
 
  月旦評(げったんひょう)
『十八史略』
 曹操少機警、有権数。任侠放蕩、不治行業。汝南許劭、与従兄靖有高名。共覈論郷党人物、毎月輒更其題品。故汝南俗有月旦評。操往問劭曰「我何如人」。劭不答。劫之。乃曰「子治世之能臣、乱世之姦雄」。操喜而去。至是以討賊起。
 曹操(そうそう)、少(わか)くして機警(きけい)、権数(けんすう)(あ)り。任侠放蕩(にんきょうほうとう)にして行業(こうぎょう)を治(をさ)めず。汝南(じょなん)の許劭(きょしょう)、従兄(じゅうけい)の靖(せい)と高名(こうめい)有り。共に郷党(きょうとう)の人物を覈論(かくろん)し、毎月(まいげつ)(すなは)ち其(そ)の題品(だいひん)を更(あらた)む。故(ゆゑ)に汝南の俗、月旦評(げったんひょう)有り。操、往(ゆ)きて劭に問ひて曰(いは)く「我(われ)は何如(いか)なる人ぞ」と。劭答へず。之(これ)を劫(おど)す。乃(すなは)ち曰く「子(し)は治世(ちせい)の能臣(のうしん)、乱世(らんせい)の姦雄(かんゆう)なり」と。操、喜びて去る。是(ここ)に至りて賊を討つを以(もっ)て起(おこ)る。
 『三国志』の英雄・曹操(そうそう)が、まだ若く無名だったころ。彼は臨機応変で頭の回転が速く、権謀術数(けんぼうじゅっすう)にもたけていた。男気に富んだ性格の彼は、家業そっちのけで、品行方正とはほど遠い自由気ままな生き方をしていた。
 そのころ、汝南(地名)には許劭(きょしょう)という有名な人物鑑定家がいた。許劭のいとこの許靖(きょせい)もやはり人物鑑定家で、後年、劉備(りゅうび)の部下になった。当時、許劭(きょしょう)と許靖(きょせい)は地方の名士を遠慮無く批評し、毎月ごとに題目を変えて人物鑑定を行った。こういうわけで、汝南では、毎月一日に人物評論を発表する「月旦評」という習わしが確立していた。
 無名の青年・曹操は、許劭(きょしょう)のもとをたずね「俺はどんな人物か論評してみよ」と言った。どんな評価であれ、許劭の論評で取り上げてもらえるということは、有名人の仲間入りをすることを意味した。だが、許劭は答えなかった。曹操は許劭を脅し、論評を強要した。許劭はようやく「君は、平和な時代なら有能な臣下、乱世ならば悪知恵のはたらく英雄だ」と論評した(実際の評語は「清平(せいへい)の姦賊(かんぞく)、乱世の英雄」だったともいう)。曹操は喜んで帰っていった。
 のちに黄巾の乱が起きたとき、曹操は、黄巾賊を討伐するために挙兵し、天下に名乗りをあげた。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 同時代に自分を評価してくれる人がいないときは、どうすればよいのでしょう?(思考時間一分)
 
  師曠清耳(し こうせいじ )
『蒙求』三六一
 『呂氏春秋』曰、晋平公鋳為大鐘、使工聴之。皆以為調。師曠曰「不調。請更鋳之」。平公曰「工皆以為調矣」。師曠曰「後世有知音者、将知不調。臣窃為君恥之」。至師涓果知鐘之不調。是師曠欲善調鐘、以為後之知音也。
 『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』に曰(いは)く、晋(しん)の平公、鋳(い)て大鐘(たいしょう)を為(つく)らしめ、工(こう)をして之(これ)を聴(き)かしむ。皆以(もっ)て調(ととの)へりと為(な)す。師曠(し こう)(いは)く「調はず。請(こ)ふ更(あらた)めて之(これ)を鋳(い)ん」と。平公曰(いは)く「工、皆、以(もっ)て調へりと為(な)す」と。師曠曰(いは)く「後世、音(いん)を知る者(もの)有らば、将(まさ)に調はざるを知らんとす。臣、窃(ひそ)かに君が為(ため)に之(これ)を恥づ」と。師涓(しけん)に至り、果(はた)して鐘の調はざるを知る。是(こ)れ師曠の善く鐘を調へんと欲(ほっ)するは、以(もっ)て後の音を知ると為(な)せばなり。
 『呂氏春秋』にある話。晋の平公のとき、金属を溶かして「扁鐘」という楽器を鋳造させた。楽工たちに楽器を叩いて音を確かめさせたところ、全員「正しく調律されております」と答えた。ただ一人、師曠だけは「音の高さが微妙にあってません。もう一度、鋳なおしてくださいますよう」と言った。平公が「他の者はみな、音高があっていると申しておるが」と言うと、師曠は「きっと後世、この音高があっていないことを聞き分ける能力のある者が、あらわれることでしょう。私は、わが君のために、ひそかに恥じておるのでございます」。
 果たして、衛の霊公の時代になって、楽人・師涓(しけん)が、この楽器の音高が微妙にずれていることを聴き分けた。師曠が楽器を直したがったのは、後世にその欠点を知る者があらわれることを、おもんばかったからであった。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 外来語をやたらに好んで使う人に限って英語が苦手なことが多いのは、なぜでしょう?(思考時間三分)
 
  葉公(しょうこう)、龍(りゅう)を好(この)む
『新序』雑事五
 葉公子高好龍。鈎以写龍、鑿以写龍、屋室雕文以写龍。於是天龍聞而下之、窺頭于?、施尾於堂。葉公見之、棄而還走、失其魂魄、五色無主。是葉公非好龍也、好夫似龍而非龍者也。
 葉公子高(しょうこう しこう)、龍(りゅう)を好む。鈎(こう)は以(もっ)て龍を写(うつ)し、鑿(さく)は以て龍を写し、屋室(おくしつ)は文(もん)を雕(ほ)りて以て龍を写す。是(ここ)に於(おい)て天龍聞きて之(これ)に下(くだ)る。頭を?(まど)より窺(うかが)はせ、尾を堂より施(のば)す。葉公之(これ)を見て、棄てて還走す。其(そ)の魂魄(こんぱく)を失ひ、五色(ごしき)(しゅ)無し。是(こ)れ葉公の龍を好むに非(あらざ)るなり。夫(か)の龍に似(に)て龍に非(あらざ)る者(もの)を好むなり。
 葉公子高は、龍を好んだ。鈎(かぎ)や鑿(のみ)などの小道具に龍を描き、部屋の中のあらゆるところに龍の文様を刻み込んだ。天上の本物の龍はこれを聞いて喜び、葉公のところにおりてきた。龍の頭はニューッと窓から中をのぞき、尾は外の建物に揺れているというほど大きかった。葉公はこれを見ると恐怖にかられて逃げ出した。身も心も消し飛んでしまうほどであった。葉公は、本物の龍を好んでいたわけではなかった。彼が好んだのは、実は、本物ではなくまがいものの龍なのであった。
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇三頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 人間関係 ○ 
ーー友だちとは何か。
 
★☆[参考]☆★  こだまでせうか
 
   「遊ぼう」つていふと
   「遊ぼう」つていふ。
 
   「馬鹿」つていふと
   「馬鹿」つていふ。
 
   「もう遊ばない」つていふと
   「遊ばない」つていふ。
 
   さうして、あとで
   さみしくなつて、
 
   「ごめんね」つていふと
   「ごめんね」つていふ。
 
   こだまでせうか、
   いいえ、誰でも。
ーー金子みすヾ
 
 
  我に諂諛(てんゆ)する者は吾(わ)が賊(ぞく)なり
『荀子(じゅんし)』修身篇
 非我而当者吾師也。是我而当者吾友也。諂諛我者吾賊也。
 我(われ)を非(ひ)として当(あた)る者は吾(わ)が師(し)なり。我を是(ぜ)として当る者は吾(わ)が友(とも)なり。我に諂諛(てんゆ)する者は吾(わ)が賊(ぞく)なり。
 私を非難してくれる人は、私の先生といえる。私を支持してくれる人は、私の友人といえる。私に媚びへつらう人は、私の敵である。
 
 
  四海(しかい)の内は皆(みな)兄弟
『論語』顔淵(がんえん)第十二
 四海之内皆兄弟也。
 四海(しかい)の内は皆(みな)兄弟たり。
 世界中の人々は、みな自分の兄弟である。
 
 
  君子(くんし)の交(まじは)りは淡(あは)きこと水(みづ)の若(ごと)
『荘子』山水篇第二十
 君子之交淡若水、小人之交甘如醴。
君子(くんし)の交(まじは)りは淡(あは)きこと水(みづ)の若(ごと)し。小人の交(まじは)りは甘きこと醴(れい)の如(ごと)し。
 立派な人物どうしの交友は水のように淡いので、深く長続きする。つまらぬ者どうしの交友はドロリとした甘酒のように濃厚なので、お互いにすぐ飽きて長続きしない。
 
 
  我を知る者は鮑子(ほうし)なり
『史記』巻六十二·管晏列伝第二
 生我者父母,知我者鮑子也。
 我を生む者は父母なり、我を知る者は鮑子(ほうし)なり。
 管仲(かんちゅう)は言った。私を生んでくれたのは両親、私を理解してくれるのは鮑叔牙(ほうしゅくが)君だ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 『三国志(さんごくし)』(三国演義(さんごくえんぎ))や『水滸伝(すいこでん)』が永遠のベストセラーである理由は何でしょう?(思考時間三分)
 
  尚友(しょうゆう)
修身篇『孟子』万章(ばんしょう)章句下
 孟子謂万章曰「一?之善士斯友一?之善士、一国之善士斯友一国之善士、天下之善士斯友天下之善士。以友天下之善士為未足、又尚論古之人。頌其詩、読其書、不知其人、可乎。是以論其世也。是尚友也」.
 孟子(もうし)、万章(ばんしょう)に謂(い)ひて曰(いは)く「一郷(いっきょう)の善士(ぜんし)は斯(すなは)ち一郷の善士を友とす。一国(いっこく)の善士は斯ち一国の善士を友とす。天下の善士は斯ち天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以(もっ)て、未(いま)だ足(た)らずと為(な)すや、又、古(いにしへ)の人を尚論(しょうろん)す。其(そ)の詩を頌(しょう)し、其の書を読み、其の人を知らずして可ならんや。是(ここ)を以て其の世を論ず。是れ尚友(しょうゆう)なり」と。
 孟子が、弟子の万章(ばんしょう)に言った。
「ある村で一番の傑物(けつぶつ)は、その村の傑物を友とする。一国の傑物は、一国の傑物を友とする。天下の傑物は、天下の傑物を友とする。天下の傑物を友としてもまだ足りぬなら、歴史をひもとき、先人を研究して彼を友とせよ。先人の詩を口ずさみ、彼が書き残したものを読め。彼の人となりを知らずにはいられまい。こうして、彼が生きた時代をまるごと研究して理解する。この、昔にさかのぼって先人を友として語りあうことを、尚友という」
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇四頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 文化と文明   
ーー野蛮と野生の違い。
 
 ☆[考えてみよう]☆ 文字をもたぬ民族や社会は、遅れているのでしょうか?(思考時間一分)
 
  文字の発明にまつわる奇妙な伝説
『淮南子(えなんじ)』本経訓
 昔者蒼頡作書、而天雨粟、鬼夜哭。
 昔者(むかし)、蒼頡(そうけつ)、書を作る。天は粟(ぞく)を雨ふらせ、鬼(き)は夜哭(こく)す。
 その昔、(四つの目をもつ)蒼頡という人物が初めて文字を発明した。このとき二つの奇跡が起きた。天は(人間に階級格差が生じることを見越して貧困層が飢えぬよう)穀物の雨を降らせ、幽霊は(憎悪や悲しみの記憶が長く残ることを悲しんで)夜、声をあげて泣いた。
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇四頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 政治について ○ 
ーー人間が行う最大の事業。
 
★☆[参考]☆★ 
さくら「そんなんじゃないのよ、国勢調査よ」
おいちゃん「これ書かねえと日本の人口からはずされちゃうんだぞ」
寅さん「別にはずされたっていいよ」
ーー映画『男はつらいよ』第二十六作「寅次郎かもめ歌」
 
 
  苛政(かせい)は虎(とら)よりも猛(もう)なり
『礼記(らいき)』
 孔子過泰山側。有婦人哭於墓者。曰「昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉。今吾子又死焉」。孔子曰「何為不去也」。婦人曰「無苛政也」。孔子曰「小子識之。苛政猛於虎也」
 孔子(こうし)、泰山(たいざん)の側(かたはら)を過(す)ぐ。婦人の墓に哭(こく)する者有り。曰(いは)く「昔者(むかし)、吾(わ)が舅(せうと)、虎に死し、吾が夫、又、焉(これ)に死せり。今、吾が子(こ)又焉に死す」と。孔子曰(のたま)はく「何為(なんす)れぞ去らざるや」と。婦人曰く「苛政(かせい)(な)ければなり」と。孔子曰く「小子(しょうし)、之(これ)を識(しる)せ。苛政は虎よりも猛なり」と。
 孔子が泰山の近くを通ったとき、墓の前である婦人が慟哭(どうこく)していた(大声で泣いていた)。孔子が声をかけると、婦人は答えて、
「むかし、わたくしの義父は虎に殺され、夫も虎に殺されました。今度はわたくしの息子までもが虎に殺されてしまったのです」
「なぜこの土地を離れないのかね」
「苛政(むごい政治)が無いからです」
 孔子は弟子たちを振り返って言った。
「弟子たちよ、覚えておきなさい。苛政は人食い虎よりも獰猛(どうもう)である、と」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 政治が悪いのは、誰の責任でしょう?(思考時間三分)
 
  左右を顧(かへりみ)て他(た)を言う
『孟子』梁恵王章句下
 孟子謂斉宣王曰「王之臣有託其妻子於其友而之楚遊者。比其反也、則凍餒其妻子、則如之何」。王曰「棄之」。曰「士師不能治士、則如之何」。王曰「已之」。曰「四境之内不治、則如之何」。王顧左右而言他。
 孟子(もうし)、斉(せい)の宣王(せんのう)に謂(い)ひて曰(いは)く「王の臣(しん)に、其(そ)の妻子を其(そ)の友に託して之(ゆ)きて楚(そ)に遊(あそ)ぶ者(もの)有り。其(そ)の反(かへ)るに比(およ)びて、則(すなは)ち其(そ)の妻子を凍餒(とうたい)すれば、則(すなは)ち之(これ)を如何(いかん)せん」と。王曰(いは)く「之(これ)を棄てん」と。曰(いは)く「士師(しし)、士を治むる能(あた)はずんば、則(すなは)ち之(これ)を如何(いかん)せん」と。王曰(いは)く「之(これ)を已(や)めん」と。曰(いは)く「四境の内治まらずんば、則(すなは)ち之(これ)を如何(いかん)せん」と。王、左右を顧(かへりみ)て他(た)を言ふ。
 孟子が、斉の宣王に言った。
「王様の臣下のある男が、はるか南方の楚の国に旅行することになりました。男は、自分の妻子を親友に託し、留守中、よく面倒をみてくれるように頼みました。ところが帰国してみると、妻子はほったらかしにされ、飢えてこごえておりました。さて、そんな無責任な友人は、どうしたらよいでしょう?」
 王は「棄ててしまえ」と言った。孟子は続けて、
「もし、役人の取締役が、部下の役人たちをちゃんと治めることができなかったら、どうしましょう」
 王は「そんなやつはクビにする」と答えた。孟子は最後に、
「では、国境の内側がうまく治まらなかったら、どうしましょう?」
 王は答えず、左右の側近にむかって別の話題をきりだした。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 国民や社員や生徒に対しては、アメとムチのどちらがより効果的でしょうか?(思考時間一分)
 
  アメとムチ
『韓非子(かんぴし)』外儲説(がいちょぜい)右下
 司城子罕謂宋君曰「慶賞賜与、民之所喜也。君自行之。殺戮誅罰、民之所悪也。臣請当之」。宋君曰「諾」。於是出威令、誅大臣、君曰「問子罕也」。於是大臣畏之、細民帰之。処期年、子罕殺宋君而奪政。
 司城子罕(しじょうしかん)、宋君(そうくん)に謂(い)ひて曰(いは)く「慶賞賜与(けいしょうしよ)は民(たみ)の喜ぶ所(ところ)なり。君(きみ)(みづか)ら之(これ)を行(おこな)へ。殺戮誅罰(さつりくちゅうばつ)は民の悪(にく)む所なり。臣(しん)(こ)ふ、之(これ)に当(あた)らん」と。宋君曰く「諾(だく)」と。是(ここ)に於(おい)て、威令を出(いだ)し、大臣(だいじん)を誅(ちゅう)するにも、君曰く「子罕(しかん)に問へ」と。是に於て大臣之を畏(おそ)れ、細民(さいみん)之に帰(き)す。処(を)ること期年にして、子罕、宋君を殺して政を奪ふ。
 宋(そう)の国の司城(しじょう)(国土交通大臣)の子罕(しかん)が、宋(そう)の君主に申しあげた。
「褒章(ほうしょう)は民が喜ぶアメでございますから、わが君みずから民にお与えください。死刑や刑罰は民がいやがるムチでございますから、今後はわたくしが行うこととし、憎まれ役をお引き受けいたします」
 宋の君主は喜び、「わかった」と言った。その後、禁令を布告したり大臣を処刑するたびに、宋の君主は「子罕に問え」と言った。かくて大臣たちは子罕を恐れ、国民も子罕に服従し、子罕の権力は君主をしのぐようになった。
 一年後、子罕は君主を殺し、政権を奪った。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 援助交際で補導された女子中学生が、警察官に抗議しました。「私もお金がもらえて嬉しいし、おじさんも喜んでくれる。私は誰も傷つけてない。どうして補導されなきゃいけないの?」。その警察官は、答えにつまってしまったそうです。さて、あなたならどう答えますか?(思考時間五分)
 
  道徳政治の主張
『論語』為政第二
 子曰「為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之」
 子曰(のたま)はく「政を為(な)すに徳を以(もっ)てすれば、譬(たと)へば北辰(ほくしん)の其(そ)の所に居(ゐ)て、衆星の之(これ)を共(めぐ)るが如(ごと)し」と。
 先生は言われた。「政治の中心には道徳を置こう。そうすれば、たとえて言うと、不動の北極星の周囲を衆星が回るようにうまくゆく」
 
『論語』為政第二
 子曰「道之以政、斉之以刑、民免而無恥。道之以徳、斉之以礼、有恥且格」
 子曰(のたま)はく「之(これ)を道びくに政を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)ふるに刑を以(もっ)てすれば、民(たみ)(まぬか)れて恥づる無し。之(これ)を道びくに徳を以(もっ)てし、之(これ)を斉ふるに礼を以(もっ)てすれば、恥づる有りて且(か)つ格(ただ)し」と。
 先生は言われた。「民を導くのに政治をもってし、整えるのに刑罰をもってするなら、民は法の網の目をくぐって恥じることはない。民を導くのに道徳をもってし、整えるのに礼儀をもってするなら、民は恥を知って正しくなる」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 強国や大企業や巨漢力士が、意外にあっけなくつぶれてしまうことが多いのはなぜでしょう?(思考時間一分)
 
  六国(りくこく)を滅ぼししは六国なり
杜牧(とぼく)『阿房宮賦(あぼうきゅうふ)』
 嗚呼、滅六国者六国也、非秦也。族秦者秦也、非天下也。嗟夫、使六国各愛其人、則足以拒秦。秦復愛六国之人、則逓三世可至万世而為君、誰得而族滅也。秦人不暇自哀、而後人哀之。後人哀之而不鑑之、亦使後人而復哀後人也。
 嗚呼(ああ)、六国(りくこく)を滅ぼしし者(もの)は六国なり、秦(しん)に非(あら)ざるなり。秦を族(ぞく)せし者(もの)は秦なり、天下に非(あら)ざるなり。嗟夫(ああ)、六国をして各(おの)おの其(そ)の人を愛せしむれば、則(すなは)ち以(もっ)て秦を拒(ふせ)ぐに足(た)らん。秦復(ま)た六国の人を愛すれば、則(すなは)ち三世より逓(てい)して万世(ばんせい)に至るまで君と為(な)るべし。誰か得て族滅(ぞくめつ)せんや。秦人(しんひと)(みづか)らを哀(かな)しむに暇(いとま)あらず、而(しか)して後人(こうじん)(これ)を哀しむ。後人之(これ)を哀しみて之(これ)に鑑(かんが)みずんば、亦(ま)た後人をして復(ま)た後人を哀しましめん。
 ああ、戦国時代の六国を滅ぼしたのは、実に六国自身である。始皇帝の秦ではなかった。始皇帝の死後、秦帝国が滅亡したのは、秦帝国自身のせいである。天下のせいではなかった。ああ、もし六国がそれぞれ自国の人民を愛していたならば、秦の猛攻を防ぐことができたろう。秦もまた、もし六国の人民を愛していたなら、三世皇帝よりずっとのちの万世皇帝まで続き、ずっと天下に君臨したろう。誰も秦を滅ぼすことなどできなかったろう。しかしながら、秦帝国は、秦人自身が亡国の悲運を悲しむまもないほど、あっというまに崩壊した。そして後世のわれわれが、秦の亡国を悲しんでいる。もし、われわれが悲しむだけで、これから教訓をくみ取らねば、今度はわれわれが未来の人々から悲しまれる番になるだろう。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「英雄を持たぬ国は不幸だ。――違うぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだ」(ブレヒト)という名言がありますが、これはどういう意味でしょうか?(思考時間三分)
 
  大道(だいどう)すたれて仁義(じんぎ)あり
『老子』第十八章
 大道廃、有仁義。慧智出、有大偽。六親不和有孝子。国家昏乱有忠臣。
 大道(だいどう)(すた)れて仁義有り。慧智(けいち)(い)でて大偽(たいぎ)有り。六親(りくしん)和せずして孝子有り。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。
 大道が廃れ、仁義があらわれる。知恵が出て、大偽があらわれる。六親が不和のとき、孝子があらわれる。国家が混乱するとき、忠臣があらわれる。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「着やせする」という言い方はあっても「脱ぎぶとりする」という言い方をしないのは、なぜでしょう? 「生きのいい魚」と「死にたての魚」のちがいは何でしょう?(思考時間三分)
 
  朝三暮四(ちょうさんぼし)
『列子』黄帝第二
 宋有狙公者。愛狙養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。俄而匱焉。将限其食、恐衆狙之不馴於己也。先誑之曰「与若?、朝三暮四、足乎」。衆狙皆起而怒。俄而曰「与若?、朝四而暮三、足乎」。衆狙皆伏而喜。物之以能鄙相籠、皆猶此也。聖人以智籠群愚、亦猶狙公之以智籠衆狙也。名実不虧、使其喜怒哉。
 宋(そう)に狙公(そこう)なる者(もの)有り。狙(そ)を愛して之(これ)を養ひ群と成さしむ。能(よ)く狙の意を解し、狙も亦(ま)た、公の心を得(う)。其(そ)の家口を損しても狙の欲を充(み)たす。俄(にはか)にして匱(ことか)く。将(まさ)に其(そ)の食を限らんとするに、衆狙(しゅうそ)の己(おのれ)に馴(な)れざらんことを恐れ、先(ま)づ之(これ)を誑(たぶらか)して曰(いは)く「若(なんぢ)に?(とち)を与へんに、朝三にして暮四ならば、足(た)るか」と。衆狙、皆、起ちて怒(いか)る。俄(にはか)にして曰(いは)く「若(なんぢ)に?を与へんに、朝四にして暮三ならば、足(た)るか」と。衆狙、皆、伏して喜ぶ。物の能鄙(のうひ)を以(もっ)て相籠(あひろう)すること、皆、猶(な)ほ此(かく)のごとし。聖人の智を以(もっ)て群愚を籠すること、亦(ま)た猶ほ狙公の智を以(もっ)て衆狙を籠するがごときなり。名実虧(か)けず、其(それ)をして喜怒せしむ。
 宋(そう)の国に、狙公(そこう)という人がいた。サルをかわいがり、養い、たくさん飼っていた。彼にはサルの考えがわかったし、サルもまた狙公の心がわかった。彼は、家族の口数を減らしてまでも、サルの欲求にこたえようとした。だが、突然、貧しくなってしまった。しかたなく、食事の量を減らそうとしたが、サルたちと自分の仲がこわれてしまうことを恐れて、まずサルをだまして言った。「おまえたちにトチの実を与えるのに、朝三つ、夕方四つにしたら、足りるだろうか」。サルたちは一斉に立ちあがって怒りだした。狙公はすぐさま「おまえたちにトチの実を与えるのに、朝四つ、夕方三つにしたら、足りるだろうか」と言い直した。サルたちは喜び、平伏した。
 いったい、世のなかの物事は、できる人とバカな人が互いに言いくるめあっているもので、みな、この寓話と同じことなのである。聖人(偉大な政治家)が知恵をつかって愚かな大衆を籠絡(ろうらく)する政治術も、狙公が知恵をつかってサルたちを籠絡したのと同じ手口である。中身はかわらなくても巧みな言葉づかいだけで、大衆を喜ばせたり怒らせたり、自在にマインドコントロールするのである。
 
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 右の他、「補充教材」一〇六頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 戦争について ○ T34 
ーー早い話が殺し合い。
 
★☆[参考]☆★  「私は戦争をしているのだよ、副総統。私のいちばん楽しい時間を、くだらん飲み物で邪魔しないでくれたまえ」
ーー『宇宙戦艦ヤマト』第二十四話・デスラー総統のセリフ
 
  兵(へい)を楽(たの)しむ者(もの)は亡(ほろ)
『孫?兵法(そんぴんへいほう)』見威王
 然夫楽兵者亡、而利勝者辱。
 然(しか)るに夫(そ)れ兵を楽しむ者は亡び、勝(かち)を利(り)とする者は辱(はづか)しめらる。
 そもそも、戦争を楽しむ者は滅びますし、勝利をむさぼる者は敗戦の屈辱を味わうものです。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ なぜ戦争はなくせないのでしょう?(思考時間一分)
 
  [漢詩]  弔国殤   国殤(こくしょう)を弔す
唐 孟郊(もうこう)(七五一ー八一四)
徒言人最霊  (いたづ)らに言ふ、人、最も霊なりと
白骨乱縦横  白骨、乱れて縦横たり
如何当春死  如何(いかん)ぞ春に当って死し
不及群草生  群草の生ずるに及ばざる
堯舜宰乾坤  堯舜(ぎょうしゅん)、乾坤(けんこん)を宰(さい)
器農不器兵  農を器(つく)りて兵を器らず
秦漢盗山岳  秦漢(しんかん)、山岳を盗み
鋳殺不鋳耕  (さつ)を鋳(い)て耕(こう)を鋳ず
天地莫生金  天地、金(きん)を生ずる莫(な)かれ
生金人競争  金を生ずれば、人、競争せん
 
 ヒトは万物の霊長、と言うけれど、野原にはヒトの白骨が散らばってる。どうして、春というのに死んでしまったのか。春の日に芽吹いて生きられる雑草にも劣るではないか。
 堯(ぎょう)や舜(しゅん)が世界を治めていた新石器時代、ヒトは農具をつくり、兵器はつくらなかった。鉄器時代の秦(しん)や漢(かん)の帝国は、大自然から金属資源を掠奪して殺人兵器を鋳造し、農具は鋳造しなかった。
 大自然よ、金属を生まないでくれ。 金属を生むと、ヒトは競い争うだろうから。
 
 
★☆[参考]☆★  「おっ、そうか。僕が会話でいこうっていうのに、君は暴力で解決しようというのか。・・・・・・上等じゃねえかよ! 血の雨降らしてやるよ!」
ーー映画『男はつらいよ』第三作「フーテンの寅」
 
  卑梁(ひりょう)の桑(くわ)
『史記』巻六十六·伍子胥(ごししょ)列伝第六
 楚平王以其辺邑鐘離与呉辺邑卑梁氏倶蚕、両女子争桑相攻、乃大怒、至於両国挙兵相伐。
 楚(そ)の平王(へいおう)、其(そ)の辺邑(へんゆう)鐘離(しょうり)と呉(ご)の辺邑卑梁氏(ひりょうし)と倶(とも)に蚕(さん)するに両女子(りょうじょし)の桑を争(あらそ)ひ相攻(あひせ)せむるを以(もっ)て、乃(すなは)ち大(おほ)いに怒(いか)り、両国(りょうこく)(へい)を挙(あ)げて相伐(あひう)つに至(いた)る。
 楚の国境の村・鐘離と呉の国境の村・卑梁氏が共同でカイコを飼っていたが、双方の女が桑をめぐって喧嘩をした。楚の平王はこれを聞いて激怒し、軍隊をくりだしたので、両国は戦争になった。戦争は些細な理由でも始まるのである。
 
★☆[参考]☆★  サッカー戦争
 一九六九年六月二十七日、サッカー・ワールドカップ・メキシコ大会北中南米カリブ海地域予選で、エル・サルバドルとホンジュラスが戦った。試合は延長戦の末、三対二でエル・サルバドルが勝った。もともと険悪だった両国の国民感情は爆発し、試合後間もなくホンジュラスはエル・サルバドルに国交断絶を通告、戦争になった。国連等の呼びかけで停戦が成立するまで数千人が死に、一九八〇年に両国の和平条約が締結されるまで十年かかった。
 
 
  [漢詩]  己亥春(きがいのはる)
唐 曹松(そうしょう)
 沢国江山入戦図。生民何計楽樵蘇。
 憑君莫話封侯事、一将功成万骨枯。
 
  沢国(たくこく)の江山(こうざん)、戦図(せんと)に入(い)
  生民(せいみん)、何の計(はかりごと)ありてか樵蘇(しょうそ)を楽(たの)しまん
  君に憑(たの)む話(かた)る莫(な)かれ封侯(ほうこう)の事
  一将功成(いっしょうこうな)りて万骨枯(ばんこつか)
 
 戦線はついに、水沢(すいたく)の豊かな地方まで達した。住民たちには、樵(きこり)や草刈(くさかり)を楽しむ平和な生活を送るためのどんな手だてがあろうか。ありはしない。君に頼む、戦功を立てて出世するような話はやめてくれ。一人の将軍が戦功を立てるために、何万という人間が骨になるのだ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 戦勝国が裁かれないのはなぜでしょう?(思考時間三分)
 
  大きすぎる悪は罰せられない
『荘子』?篋(きょきょう)篇
 彼窃鉤者誅、窃国者為諸侯。
 彼(か)の鉤(こう)を窃(ぬす)む者(もの)は誅(ちゅう)され、国を窃む者(もの)は諸侯と為(な)る。
 高価なバックルを盗む者は死刑になるが、国を盗んだ者は諸侯となる。
 
★☆[参考]☆★  不況の時代、百万円の手形で不渡りを出して倒産する町工場もあれば、二百万円の借金が返せず自殺する人もいる。
 一方、百億円もの借金を抱える「借金王」小島宣隆社長は、倒産も自殺も免れた。小島氏は、銀行に「倒産させてくれ」と頼んだが、銀行は借金の金額があまりにも多額なため小島氏の会社を倒産させることができなかった。結局、小島氏は、毎月百万円を返済することになった(全額返済するまで五千年以上かかる計算)。小島氏は自分の借金体験をつづった本は、ベストセラーになった。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ ひとりひとりが××を憎む心をもっても、××をなくせないのはなぜでしょう? (××に「戦争」「不況」「学級崩壊」など、いろいろな単語を入れて考えてください)(思考時間五分)
 
  綜合(そうごう)の誤謬(ごびゅう)
『墨子(ぼくし)』非攻篇上
 殺一人、謂之不義。必有一死罪矣。若以此説往、殺十人、十重不義。必有十死罪矣。殺百人、百重不義。必有百死罪矣。当此、天下之君子、皆知而非之、謂之不義。今至大為不義攻国、則弗知非。従而誉之、謂之義。情不知其不義也。故書其言、以遺後世。若知其不義也、夫奚説書其不義以遺後世哉。今有人於此。少見黒曰黒、多見黒曰白、則以此人不知白黒之弁矣。少嘗苦曰苦、多嘗苦曰甘、則必以此人為不知甘苦之弁矣。今小為非、則知而非之。大為非攻国、則不知非。従而誉之、謂之義。此可謂知義与不義之弁乎。
 一人を殺す、之(これ)を不義と謂(い)ふ。必ず死罪有らん。若(も)し此(こ)の説を以(もっ)て往(ゆ)かば、十人を殺さば、不義を十重す。必ず十死罪有らん。百人を殺さば、不義を百重す。必ず百死罪有らん。此(かく)の当(ごと)きは、天下の君子、皆、知りて之(これ)を非とし、之(これ)を不義と謂(い)はん。今、大いに不義を為(な)して国を攻むるに至りては、則(すなは)ち非とするを知らず。従ひて之(これ)を誉め、之(これ)を義と謂(い)ふ。情(まこと)に其(そ)の不義を知らざるなり。故(ゆゑ)に其(そ)の言を書し、以(もっ)て後世に遺(のこ)す。
 若(も)し其(そ)の不義を知らば、夫(そ)れ奚(なん)の説か其(そ)の不義を書して以(もっ)て後世に遺さんや。
 今、人此(ここ)に有り。少しく黒を見て黒と曰(い)ひ、多く黒を見て白と曰(い)はば、則(すなは)ち此(こ)の人を以(もっ)て、白黒の弁を知らずとせん。少しく苦(にが)きを嘗(な)めて苦(にが)しと曰(い)ひ、多く苦きを嘗めて甘しと曰(い)はば、則(すなは)ち必ずや此(こ)の人を以(もっ)て甘苦(かんく)の弁(べん)を知らずと為(な)さん。今、小さく非(ひ)を為(な)さば、則(すなは)ち知りて之(これ)を非とす。大いに非を為(な)して国を攻めば、則(すなは)ち非とするを知らず。従ひて之(これ)を誉め、之(これ)を義と謂(い)ふ。此(こ)れ、義と不義の弁を知ると謂(い)ふべけんや
[要約] もし一人の人間を殺せば、殺人罪で死刑になる。十人を殺せば、罪は十倍で、仮に十回死刑になっても当然である。百人を殺せば、百回死刑になって当然の重罪だ。ところが、国家が他国を攻め、戦争によって多数の国民を殺した場合は、罪どころか、これは正義の戦いだ、などとと標榜される。
 私はこの矛盾について論じ、後世の人類に宿題として残そうと思う。
 もし仮に、少し黒を見ると黒と感じ、たくさん黒を見ると白と感ずるような人がいたら、この人の感覚は異常である。もし仮に、ちょっと苦いのをなめると苦みを感じ、たくさん苦みをなめると甘く感じてしまうような人がいたら、この人の感覚はおかしい。ところが、今の世の人間は、小さな悪事は悪事だと感じるのに、大きな悪事、つまり戦争になると、これが悪事だという感覚がなくなってしまう。他国をせめて人間を殺しても、これは正義の戦争なのだ、などと平気で言う。正義と悪の区別が、できないのである。
 
 
  戦(たたか)ひ勝(か)てば、喪礼(そうれい)を以(もっ)て之(これ)に処(を)
『老子』第三十一章
 殺人之衆、以哀悲泣之。戦勝、以喪礼処之。
 人を殺すことの衆(おほ)ければ、哀悲(あいひ)を以(もっ)て之(これ)を泣(な)け。戦ひ勝てば、喪礼を以て之に処れ。
 戦勝国の人々よ。勝利に酔いしれる前に、膨大(ぼうだい)な敵国人の犠牲者に対して悲しみの涙を流せ。葬式の礼法にしたがい哀悼(あいとう)の態度をとれ。
 
 
★☆[参考]☆★  シュバイツアー博士のノーベル賞受賞講演
 左の英文を日本語に訳してみよう。
 The idea that the reign of peace must come one day has been given expression by a number of peoples who have attained a certain level of civilization. In Palestine it appeared for the first time in the words of the prophet Amos in the eighth century B.C., and it continues to live in the Jewish and Christian religions as the belief in the Kingdom of God. It figures in the doctrine taught by the great Chinese thinkers: Confucius and Lao-tse in the sixth century B.C., Mi-tse in the fifth, and Meng-tse in the fourth. It reappears in Tolstoy and in other contemporary European thinkers. People have labeled it a utopia. But the situation today is such that it must become reality in one way or another; otherwise mankind will perish.
[注] Confucius=孔子(こうし) Lao-tse=老子(ろうし) Mi-tse=墨子(ぼくし) Meng-tse=孟子(もうし)
ーー一九五二年にノーベル平和賞を受賞したアルバート・シュバイツアー(Albert Schweitzer)博士が、一九五四年十一月四日、オスロ大学大講堂(the Auditorium of Oslo University)で行った受賞記念講演「The Problem of Peace」より。
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇八頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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○ 戦略・戦術・戦闘術 ○ 九七式中戦車改
ーー頭を使って生き残れ。
 
★☆[参考]☆★  
 へ、兵隊(へいたい)の位(くらい)にすると、ど、どれくらいかな?
ーー「裸の大将」山下(やました)清(きよし)(一九二二ー七一)の口癖(くちぐせ)
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「戦略の過ちは戦術では補えない」とは、どういう意味でしょう?(思考時間三分)
 
  南轅北轍(なんえんほくてつ)
漢・荀ス(じゅんえつ)『申鑑(しんかん)』雜言下第五
 適楚而北轅者曰「吾馬良、用多、御善」
 楚(そ)に適(ゆ)かんとして北轅(ほくえん)する者(もの)(いは)く「吾(わ)が馬は良し。用も多し。御(ぎょ)も善(よ)し」と。
 南の楚の国に行こうとするのに、まちがえて馬車の轅(ながえ)を北に向け、北のほうへ馬車を走らせている者がいた。それを見た人が「向きが反対ですよ。それでは目的地に行けませんよ」と注意しても、馬車を駆る男は「俺の馬は良い。車体も荷物をたくさん積める。運転技術も優秀だ。こんな高性能の馬車なんだ。南に行けぬわけがない」とうそぶいて、走り去った。
 この寓話(ぐうわ)をもとに「南轅北轍(なんえんほくてつ)」「北轅適楚(ほくえんてきそ)」「北轅適越(ほくえんてきえつ)」などの成語が生まれた。
 
★☆[参考]☆★  「いいかな。敵の弾丸(たま)ちゅうもんは、なかなか当たるもんじゃなかばい。ばってん、ヒュンという音が聞こえたら、注意せんといかんばい。弾丸は近いけんな。ポンという音がいちばん遠くて、つぎばパンだ。よう覚えとけ」
ーー藤崎武男『歴戦1万5000キロ』「一号作戦発令」
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ (例題一)第二次大戦中の米軍のM4中戦車のエンジン・シャフトは、ピストンよりもわざと強度を弱く作ってあったそうです。アメリカの兵器設計者は、どうしてわざわざシャフトを壊れやすく作ったのでしょう?
(例題二)肉体を極限まで鍛えたスポーツ選手がポックリ死ぬいっぽう、ふだんから扁桃腺がすぐ腫れるような虚弱な人が意外と長生きすることがよくあります。なぜでしょう?
(思考時間三分)
 
  柔(じゅう)よく剛(ごう)を制す
『老子』第七十六章
 人之生也柔弱、其死也堅強。草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則不勝、木強則折。強大処下、柔弱処上。
 人の生まるるや柔弱(じゅうじゃく)、其(そ)の死するや堅強(けんきょう)。草木(そうもく)の生ずるや柔脆(じゅうぜい)、其(そ)の死するや枯槁(ここう)。故(ゆゑ)に、堅強なる者(もの)は死の徒、柔弱なる者(もの)は生の徒なり。是(ここ)を以(もっ)て、兵は強ければ則(すなは)ち勝たず、木は強ければ則(すなは)ち折る。強大なるは下に処(を)り、柔弱なるは上に処る。
 生まれたばかりの人は柔弱であり、死ぬと堅強である。生きている草木は柔脆(じゅうぜい)であり、死ぬと枯れて固まる。ゆえに堅強なものは死の仲間であり、柔弱なものは生の仲間である。これゆえに、兵器は強すぎると勝てないし、木は強すぎると折れる。強大なものは下にあり、柔弱なものは上にある。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 郵便料金は全国一律なのに、宅急便の送料はなぜ距離で違うのでしょう? だれがどのような方法で、そう決めたのでしょう?(思考時間一分)
 
  田忌賽馬(でんき さいば)
『史記』「孫子・呉子列伝」
 斉使者如梁。孫?以刑徒陰見、説斉使。斉使以為奇、窃載与之斉。斉将田忌善而客待之。忌、数与斉諸公子馳逐重射。孫子見其馬足、不甚相遠。馬有上、中、下輩。於是、孫子謂田忌曰「君弟重射。臣能令君勝」。田忌信然之、与王及諸公子逐射千金。及臨質、孫子曰「今以君之下駟与彼上駟、取君上駟与彼中駟、取君中駟与彼下駟」。既馳三輩畢、而田忌一不勝而再勝、卒得王千金。於是、忌進孫子於威王。威王問兵法、遂以為師。
 斉(せい)の使者、梁(りょう)に如(ゆ)く。孫?(そんぴん)、刑徒を以(もっ)て陰(ひそ)かに見(まみ)え、斉使に説く。斉使、以(もっ)て奇と為(な)し、窃(ひそ)かに載せて与(とも)に斉に之(ゆ)く。斉将田忌(でんき)、善(よみ)して之(これ)を客待す。
 忌(き)、数(しば)しば斉の諸公子と与に馳逐重射(ちちくちょうしゃ)す。孫子、其(そ)の馬足を見るに、甚(はなは)だしくは相(あひ)遠からず。馬は上、中、下輩有り。是(ここ)に於(おい)て、孫子、田忌に謂(い)ひて曰(いは)く「君、弟(ひとへ)に重射(ちょうしゃ)せよ。臣、能(よ)く君をして勝たしめん」と。田忌、信じて之(これ)を然(しか)りとし、王及び諸公子と千金を逐射(ちくしゃ)す。質に臨むに及び、孫子曰(いは)く「今、君の下駟を以(もっ)て彼の上駟に与て、君の上駟を取りて彼の中駟に与て、君の中駟を取りて彼の下駟に与てよ」と。既(すで)に三輩を馳せ畢(おは)りて、田忌、一は勝たずして再勝し、卒(つひ)に王の千金を得(う)
 是(ここ)に於(おい)て、忌、孫子を威王に進む。威王、兵法を問ひ、遂(つひ)に以(もっ)て師と為(な)す。
 斉の国の使者が、魏の都・梁に行った。孫子(孫武)の孫で兵法家の孫?(そんぴん)は、当時、受刑者の身分だったが、こっそり使者と会見して、自説を披露した。斉の使者は彼を「奇才だ」と評価して、こっそり自分の馬車に乗せて斉に帰った。斉の将軍・田忌も彼の才能を評価し、優遇した。
 田忌はよく、斉の王族の子弟たちと大金をかけて馬車競走をした。孫子(孫?(そんぴん))が馬車のスピードを調べてみると、互いにそれほどの大差はなく、上中下の三ランクに分かれることがわかった。そこで孫子は田忌にアドバイスした。「今日はひたすら大金をかけてください。殿を勝たせてさしあげます」。田忌は信頼して、斉王(威王)とその子弟たちとの勝負に千金をかけた。(レースは、王族側と田忌側の馬車が三回対戦し、勝つ数をきそうものだった)。試合開始の直前、孫子は言った。「三回あるレースのうち、第一回は殿の最低の馬車を、相手の最高の馬車にぶつけてください。第二回は、殿の最高の馬車を、相手の二番目の馬車にぶつけてください。第三回は、殿の中堅の馬車を、相手の最低の馬車にぶつけてください」。三回のレースが終わった結果は、田忌は一回捨て石的に負けただけで二回勝つことができ、とうとう王の千金をせしめた。
 これを機に、田忌は孫子を威王に推薦した。威王は彼に兵法についてたずね、軍師とした。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ パソコンやテレビは数年で型が古くなり、モデルチェンジします。しかし、スペースシャトル(一九八一年初飛行)やF15「イーグル」戦闘機(一九七二年初飛行)は今日でも第一線機として使われています。この差は何でしょう?(思考時間三分)
 
  怒(いか)りを以(もっ)て師(し)を興(おこ)すべからず
『孫子』火攻篇第十二
 夫戦勝攻取、而不修其功者、凶。命曰費留。故曰、明主慮之、良将修之、非利不動、非得不用、非危不戦。主不可以怒而興師、将不可以慍而致戦。合於利而動、不合於利而止。怒可以復喜、慍可以復悦。亡国不可以復存、死者不可以復生。故明君慎之、良将警之。此安国全軍之道也。
 夫(そ)れ戦勝攻取(せんしょうこうしゅ)して、而(しか)も其(そ)の功(こう)を修(をさ)めざる者(もの)は凶なり。命(なづ)けて費留(ひりゅう)と曰(い)ふ。故(ゆゑ)に曰(いは)く、明主(めいしゅ)は之(これ)を慮(おもんばか)り、良将(りょうしょう)は之(これ)を修め、利に非(あら)ざれば動かず、得(う)るに非(あら)ざれば用(もち)ゐず、危(あや)ふきに非(あら)ざれば戦はず。主(しゅ)は怒りを以(もっ)て師を興すべからず、将は慍(うら)みを以(もっ)て戦ひを致すべからず。利に合(がっ)すれば而(すなは)ち動き、利に合せざれば而ち止(や)む。怒りは以(もっ)て復(ま)た喜ぶべし、慍みは以(もっ)て復(ま)た悦(よろこ)ぶべし。亡国は以(もっ)て復(ま)た存すべからず、死者は以(もっ)て復(ま)た生くべからず。故(ゆゑ)に明君は之(これ)を慎しみ、良将は之(これ)を警(いま)しむ。此(こ)れ、国を安んじ軍を全(まった)うするの道なり。
 いったい、戦争で勝って手にいれた権益や領土にいつまでもこだわるなら、かえって凶である。これを「費留」という。だからこそ、明君や良将はこの点を慎重に考慮して、不利なときは軍隊を動かさぬし、国益に合致しなければ軍事力を行使しないし、国に危険が及ばぬかぎり戦争はしない。
 国主は怒りを理由に開戦してはならない。将兵は恨みを理由に開戦してはならない。怒りも恨みも、いつかは喜びにかわる。だが、滅んだ国や死んだ人間は、二度とかえってこない。だから明君や良将は、慎重に自戒の念をもって対処する。これが国や軍隊の安全を守る道である。
 
★☆[参考]☆★  次の英文を日本語に訳してみよう。
 Sun Tzu's essays on `The Art of War' form the earliest of known treatises on the subject, but have never been surpassed in comprehensiveness and depth of understanding. They might well be termed the concentrated essence of wisdom on the conduct of war. Among all the military thinkers of the past, only Clausewitz is comparable, and even he is more `dated' than Sun Tzu, and in part antiquated, although he was writing more than two thousand years later. Sun Tzu has clearer vision, more profound insight, and eternal freshness.
[注] `The Art of War'=「(孫子の)兵法」の英訳名  Sun Tzu=孫子
   Clausewitz=『戦争論』の著者、クラウゼヴィッツ。
  ーー『Sun Tzu's The Art of War』(一九六三年) =英訳『孫子』に、    リデル・ハート(B.H. Liddell Hart)が寄せた序文より。
 
 
  算(さん)(すくな)きは敗(やぶ)
『孫子』計篇第一
 夫未戦而廟算勝者、得算多也。未戦而廟算不勝者、得算少也。多算勝、少算敗。況無算乎。吾以此観之、勝負見矣。
 夫(そ)れ未(いま)だ戦はずして廟算(びょうさん)して勝つ者(もの)は、算を得(う)ること多ければなり。未(いま)だ戦はずして廟算して勝たざる者(もの)は、算を得ること少ければなり。算多きは勝ち、算少きは勝たず。況(いはん)んや算無きをや。吾(われ)(こ)れを以(もっ)て之(これ)を観るに、勝負見(あら)はる。
 実戦の前に彼我の能力を冷徹に計算するシミュレーション能力がすぐれている者は、実戦でも勝利する。シミュレーション能力が弱い者は、実戦の前にすでに敗北している。シミュレーション能力が優れている者は勝ち、劣っている者は勝てない。まして、シミュレーション能力がゼロの者の運命にいたっては、言うまでもない。私はシミュレーションにより、戦争の勝敗を予測することができる。
 
★☆[参考]☆★  大日本帝国の「廟算(びょうさん)」
 戦前、東京の「総力戦研究所」は、きたるべき日米戦争について机上演習(シミュレーション)を行った。平均年齢三十三歳の総力戦研究所研究生たちは模擬内閣を組織し、当時の社会科学の粋を尽くして研究を積んだ結果、昭和十六年(一九四一)年八月に「日本必敗」という結論が出た。この結論は東条英機(とうじょうひでき)首相に報告されたが、極秘とされ、国民に知らされなかった。机上演習から四ヶ月後の十二月八日、日本は真珠湾(しんじゅわん)を奇襲攻撃。昭和二十年八月、日本は総力戦研究所の予測どおり敗北した。
 
 
  其(そ)の下(げ)は城(しろ)を攻(せ)
『孫子』謀攻第三
 故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城。
 故(ゆゑ)に上兵は謀を伐(う)ち、其(そ)の次は交を伐ち、其(そ)の次は兵を伐ち、其(そ)の下は城を攻む。
 最高の戦略とは、敵にそもそも戦争する気を起こさせぬことである。次善の上策は、敵を外交的に抑えることである。その次の策は、敵の軍事力を叩くことである。最低の下策は、敵の本拠地を攻撃することである。
 
 
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 右の他、「補充教材」一〇八頁以下(ここ)も参照のこと。
 この章の自分での納得度・・・ ○ △ × 
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補充教材篇
 
「自分」の不思議
 
★☆[参考]☆★  丸木スマ(一八七五ー一九五六)の絵
 「人間、誰でもみな同じ」というが、本当にそうだろうか? いま自分の隣にいる人も、自分と同じように世界を見ているのだろうか?
 昔、広島に丸木位里(まるきいり)(一九〇一ー一九九五)・丸木俊(とし)(一九一二ー二〇〇〇)という夫婦の画家がいた。彼らが描いた「原爆の図」は、日本史の教科書にもよく採られている。
 終戦後まもないある日。丸木俊は、夫の母親(丸木スマ)といっしょに、近所の山に写生に行った。当時、丸木スマは七十歳をすぎていたが、息子夫婦の手ほどきで絵を習いはじめていた。
 丸木俊は、姑(しゅうとめ)のスマといっしょに仲良く田圃(たんぼ)の畦(あぜ)に腰をおろした。そして、三滝(みたき)の寺(広島市西区)の二重の塔を描きはじめた。
 二重の塔の上には、宝珠(ほうしゅ)の玉が載っていた。
 スマは絵筆を握り、じっと宝珠を見つめた。そして、隣の俊に、おもむろにたずねた。
「あんたあんた、あの上の方にまるいもんがのっとるじゃろう。あのうむこうひらが、あんた見えるかい」
 姑の質問に、俊はビックリした。
 若いころから絵を勉強していた俊は、世界を西洋絵画の「遠近法」で見ていた。球体に限らず、物体の向こう側が見えぬのは当たり前だった。
 しかし、自分の隣に腰をおろしている姑のスマには、世界は違って見えていた。スマは、七十を過ぎるこの年まで「物の反対側は見えぬ」ということに気づかなかった。彼女の目には、世界は遠近法ではなく、ちょうど古い日本画のように見えていたのだ。
 昔の日本の絵巻物(えまきもの)や屏風絵(びょうぶえ)では、近くの物は下に、遠くの物は上に、ほぼ同じ大きさで描く。物の向こう側は、上にずらして描かれる。ただ、それをずっと繰り返すと遠近感のつじつまがあわなくなってくるので、ところどころにモクモクと雲のようなものを描いてごまかす。
 昔の日本画がそんなふうに空間を描いていたのは、昔の日本人の「脳」が、世界をそんなふうに把握していたからである。
 丸木スマは、戦前の日本婦人の常として、三百六十五日、朝も晩も、子育てや家事に追われる生活を送ってきた。そして七十歳を過ぎて初めて絵を習い、純粋に「見るためにものを見る」体験をして、「物の向こう側が見えない」ことを発見したのだった。
 丸木スマは、西洋の遠近画法とまるで違う、原始時代のアートのような不思議な魅力の絵をたくさん描いた。その独創的な画風は、画壇から高く評価されている(四七頁参照)。
ーー丸木俊『言いたいことがありすぎて』筑摩書房、他より
 
 
内面と外面
 
★☆[参考]☆★  夢と現(うつゝ)
 
夢がほんとでほんとが夢なら、
よからうな。
夢ぢやなんにも決まつてないから、
よからうな。
 
ひるまの次は、夜だつてことも、
私が女王でないつてことも、
 
お月さんは手で採(と)れないつてことも、
百合(ゆり)の裡(なか)へはいれないつてことも、
 
時計の針は右へゆくつてことも、
死んだ人たちやゐないつてことも。
 
ほんとになんにも決まつてないから、
よからうな。
ときどきほんとを夢にみたなら、
よからうな。
ーー金子みすヾ
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ リアルな幻覚を味わっている当人にとって、現実と幻覚の違いはどれほどの意味があるのでしょう?
 
  下僕(げぼく)と金持(かねもち)の夢
『列子』周穆王(しゅうぼくおう)第三
 周之尹氏大治産。其下趣役者侵晨昏而弗息。有老役夫、筋力竭矣。而使之弥勤。昼則呻呼而即事、夜則昏憊而熟寐。精神荒散、昔昔夢為国君、居人民之上、総一国之事、遊燕宮観、恣意所欲、其楽無比。覚則復役。人有慰喩其懃者。役夫曰「人生百年、昼夜各分。吾昼為僕虜、苦則苦矣、夜為人君、其楽無比。何所怨哉」。尹氏心営世事、慮鍾家業、心形倶疲、夜亦昏憊而寐。昔昔夢為人僕、趨走作役、無不為也。数罵杖撻、無不至也。眠中?囈呻呼、徹旦息焉。尹氏病之、以訪其友。友曰「若位足栄身、資財有余、勝人遠矣。夜夢為僕、苦逸之復、数之常也。若欲覚夢兼之、豈可得邪」。尹氏聞其友言、寛其役夫之程、減己思慮之事。疾並少間。
 周(しゅう)の尹氏(いんし)、大(おほ)いに産(さん)を治(をさ)む。其(そ)の下(した)の趣役(しゅえき)する者(もの)、晨昏(しんこん)を侵(をか)して息(いこ)はず。老役夫(ろうえきふ)有(あ)り、筋力(きんりょく)竭(つ)く。而(しか)も之(これ)をして弥(いよ)いよ勤(つと)めしむ。昼(ひる)は則(すなは)ち呻呼(しんこ)して事に即(つ)き、夜(よる)は則(すなは)ち昏憊(こんぱい)して熟寐(じゅくび)す。精神荒散し、昔昔(せきせき)夢に国君と為(な)り、人民の上に居(を)り、一国の事を総(す)べ、宮観(きゅうかん)に遊燕(ゆうえん)し、意(い)の欲(ほっ)する所(ところ)を恣(ほしいまま)にす。其(そ)の楽しみ比(くら)ぶるもの無し。覚(さ)むれば則(すなは)ち復(ま)た役(えき)さる。
 人の其(そ)の懃(きん)を慰喩(いゆ)する者(もの)有り。役夫(えきふ)曰(いは)く「人生百年、昼夜(ちゅうや)各(おの)おの分(わか)る。吾(われ)、昼は僕虜(ぼくりょ)と為(な)り、苦しきことは則(すなは)ち苦しきも、夜は人君(じんくん)と為(な)り、其(そ)の楽しみは比(くら)ぶるもの無し。何の怨む所ならんや」と。
 尹氏(いんし)、心は世事を営み、慮(おもんばかり)は家業に鍾(あつ)まり、心形(しんけい)倶(とも)に疲れ、夜は亦(ま)た昏憊(こんぱい)して寐(い)ぬ。昔昔夢に人の僕(ぼく)と為(な)り、趨走(すうそう)して役(えき)を作(な)し、為(な)さざる無きなり。数罵杖撻(すうばじょうたつ)、至らざる無きなり。眠中(みんちゅう)、?囈(がんげい)呻呼(しんこ)し、旦(あした)まで徹(てっ)して息(や)む。尹氏(いんし)、之(これ)を病(や)み、以(もっ)て其(そ)の友に訪(たづ)ぬ。友曰(いは)く「若(なんぢ)が位は身を栄(えい)するに足り、資財は余り有り、人に勝(まさ)ること遠し。夜、夢に僕と為(な)り、苦逸(くいつ)の復(ふく)するは、数(すう)の常(じょう)なり。若(も)し、覚夢(かくむ)之(これ)を兼ねんと欲するも、豈(あ)に得(う)べけんや」と。
 尹氏(いんし)、其(そ)の友の言を聞きて、其(そ)の役夫(えきふ)の程(ほど)を寛(ゆる)くし、己(おのれ)の思慮の事を減ず。疾(やまひ)並(なら)びに少しく間(い)ゆ。
 周の尹氏(いんし)という人は、大いに財産をつくった。
 彼の家でこきつかわれている下僕(げぼく)たちは、朝早くから夜遅くまで働きづめで、息つく暇もなかった。その中にひとり、年寄りの下僕がいた。彼はもう老いて体力もなかったが、尹氏は容赦なくこき使った。
 老いた下僕は、昼は呻吟しつつ働き、夜は精魂尽き果てて昏々と眠った。が、この老いた下僕は、毎夜、夢の中で一国の主君となり、人民に君臨し、国家を統治し、宮殿に遊宴して、やりたいことを何でもすることができた。これは比類ない楽しみだった。そして朝、目が覚めると、また人にこきつかわれる身に戻るのだった。
 ある人がこの老いた下僕を「大変だねえ」と慰めると、彼は答えた。
「人生の寿命の限界は百年。その百年のうち、昼と夜が、それぞれ半分づつだ。俺は昼は下僕だ。苦しいことは苦しい。でも、夜は王様になれる。その楽しみは、くらべものがないんだ。何も不満はないさ」
 いっぽう、金持である尹氏(いんし)は、心は世間とのわずらわしい関わりで疲れ、頭は家業のことで一杯で、身も心もボロホロになり、夜も疲労困憊(ひろうこんぱい)してよく眠れなかった。彼は、毎夜、夢のなかで他人の下僕となり、あらゆる仕事でこきつかわれ、人にののしられ、棒でさんざんにぶたれた。こうして明け方までずっと、寝言(ねごと)でうめきどおしだった。
 尹氏は悩み、友人に相談した。友人は答えた。
「君は、地位は高いし、財産は有り余ってる。人よりずっと勝っている。毎晩、君が夢のなかで人の下僕になるのは、人生の苦と楽がバランスを取ろうとしているからだ。『数(すう)の常(じょう)』(大自然の摂理(せつり))さ。君は、寝てるときも覚めてるときも、どっちでも幸福でありたいと欲張ってるけど、それは高望みというものだ」
 尹氏は友人の言葉を聞き、下僕の仕事をゆるくし、自分の心配事も減らした。彼の病気は少しよくなった。
 
 
言葉の限界
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「言葉や絵では表現できない感じ」を他人に伝える方法はあるのでしょうか?
 
  世尊拈花(せそん ねんげ )
『無門關』
 世尊、昔在霊山會上拈花示衆。是時、衆皆默然。惟迦葉尊者破顏微笑。世尊云「吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門。不立文字、教外別伝。付囑摩訶迦葉」。
 世尊、昔、霊山会上(りょうざんえじょう)に在りて、花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に示す。是(こ)の時、衆皆默然(もくねん)たり。惟(た)だ迦葉尊者(かしょうそんじゃ)のみ破顏微笑(はがん みしょう)す。世尊云(いは)く「吾(われ)に正法眼藏(しょうほうがんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相(じっそうむそう)、微妙(みみょう)の法門有り。不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、摩訶迦葉(ま か かしょう)に付囑(ふしょく)せん」と。
 お釈迦様が昔、霊鷲山(りょうじゅせん)で説法をなさったとき、無言のまま指で花をつまみ、聴衆にお示しになった。このとき、聴衆はお釈迦様の意図がわからず、みな押し黙っていた。ただひとり、弟子の迦葉だけは、顔をくずしてにっこりと微笑んだ。すると、お釈迦様は言われた。
「私が到達した境地、すなわち、正法眼(仏の悟りの眼目)を深く秘めた状態(蔵)、涅槃(究極の悟りの境地)の不可思議な心、実相は無相であるという悟り、目では見えぬ悟りへの道、などは、言葉や文字によって他人に伝えることはできないし、弟子にこれこれだと説明して教示できるものでもない。いましがた私が無言で花をつまんだとき、摩訶迦葉(ま か かしょう)(偉大なる迦葉)だけは、私の真意を悟り、微笑した。私が到達した悟りの境地を後世に伝えるという仕事は、彼にゆだねよう」。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 人間の心は脳神経系に発生する電流素片にすぎない、と、頭では理解していても、怒りや悲しみや不安の感情を自分でコントロールできぬのはなぜでしょう?
 
  達磨安心(だるま あんじん)
『無門関』
 達磨面壁。二祖立雪。斷臂云「弟子心未安。乞師安心」。磨云「将心来為汝安」。祖云「覓心了不可得」。磨云「為汝安心竟」。
 達磨(だるま)、面壁(めんぺき)す。二祖(にそ)、雪に立つ。臂(ひじ)を断(き)りて云(いは)く「弟子は心、未(いま)だ安(やす)からず。師に乞(こ)ふ、安心(あんじん)せしめよ」と。磨(ま)云く「心を将(も)ち来(きた)れ、汝(なんぢ)が為(ため)に安(やす)んぜん」と。祖(そ)云く「心を覓(もと)むれど、了(つひ)に得(う)べからず」と。磨云く「汝が為に安心(あんじん)し竟(おは)りぬ」と。
 インドからはるばる中国に来た達磨は、中国人に悟りの境地を伝えることに絶望し、ひたすら壁に向かって座禅することにした。数年後のある寒い冬、のちに達磨の一番弟子となり禅宗(ぜんしゅう)の「二祖」(二代目の継承者)と呼ばれることになる慧可(えか)が、達磨のもとをたずねてきた。達磨は、座禅したままで、彼を顧みなかった。慧可は、自分の片方の腕を切断し、それを達磨に見せて、仏法を学びたいという熱意を示した。達磨はやっと、慧可の言葉に耳を傾けた。
「先生。私の心は、不安なのです。どうか、私の心の不安をなくしてください」
 と慧可が懇願すると、達磨は答えた。
「では、おまえの心を取り出して、ここに置きなさい。すぐに不安を取り除いてやろう」
「・・・・・・自分のなかを探しましたが、心は見つかりません!」
「ほら、おまえの不安を取り除いてやったぞ」。
 
★☆[参考]☆★ 
  もう五年おそいと達磨首ばかり  (『柳多留』二十六篇)
  人の見ぬ間にはだるまも蝿を追い (川柳評万句合・宝暦十三年)
 
 
  香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)
『無門関』
 香厳和尚云「如人上樹。口啣樹枝、手不攀枝、脚不踏樹。樹下有人問西来意、不対即違他所問、若対又喪身失命。正恁麼時、作麼生対」。
 香厳和尚(きょうげんおしょう)云(いは)く「人の樹(き)に上(のぼ)るが如(ごと)し。口(くち)もて樹枝(じゅし)を啣(ふく)み、手は枝を攀(よ)じず、?(あし)は樹を踏まず。樹下に人有りて西来(せいらい)の意(い)を問ふ。対(こた)へずんば即(すなは)ち他(かれ)の所問(しょもん)に違(そむ)かん。若(も)し対(こた)へなば又、喪身失命(そうしんしつみょう)せん。正恁麼(しょういんも)の時、作麼生(そ も さん)か対へん」と。
 香厳和尚が、禅の不立文字(ふりゅうもんじ)の精神について語った。
「高い木からぶらさがる状況を想像してごらん。ある人が、口で木の横枝にガブリとかみつき、手や足は木に触れずダラリと宙ぶらりんで、ギュッと横枝を噛む顎(あご)の力だけで辛(かろ)うじて宙にぶらさがっている。そのとき、木の下にやってきた者が、こんな質問をした。『すいませーん。達磨(だるま)さんがはるばるインドから来て中国に伝えようとしたことって、何ですか? 説明してください』。もしこれに答えぬなら、相手を無視したことになる。もし答えようと口をパカッとあけたら、その瞬間、木からヒューッと下に落ちて、地面にグシャリと激突して命を失う。さあ、そんな苦境にあるとき、君らは一体どう答えるかね」
 
 
あの世の有無
 
死後の世界が無いことを証明するための思考実験(追加)
『論衡』論死第六十二
 夫死人不能為鬼、則亦無所知矣。何以験之。以未生之時無所知也。人未生、在元気之中。既死、復帰元気。元気荒忽、人気在其中。人未生無所知、其死帰無知之本。何能有知乎。
 夫(そ)れ死人、鬼(き)と為(な)る能(あた)はざれば、則(すなは)ち亦(ま)た知る所も無きなり。何を以(もっ)てか之(これ)を験する。未(いま)だ生れざるの時、知る所無きを以(もっ)てなり。人未(いま)だ生まれざるとき、元気の中(うち)に在り。既(すで)に死するや、復(ま)た元気に帰る。元気は荒忽として、人気(じんき)は其(そ)の中に在り。人未(いま)だ生まれざれば知る所無く、其(そ)の死するや無知の本に帰る。何ぞ能(よ)く知ること有らんや。
 いったい、死んだ人が幽霊となれぬなら、死後の意識もありえないわけだ。どうしてそう断言できるかというと、(あなたや私が)まだ存在しなかったとき、意識もなかったからである。人は、生まれるまえは「元気」の中にある。人は死ぬと「元気」にもどる。「元気」は広大でぼんやりとしており、「人気」はそのなかにある。人は生まれるまえ意識をもたないし、死ねばまた無意識の根元にもどるのだ。どうして(死んだあとも霊魂となって)意識がのこることがありえようか。ありえない。
 
★☆[参考]☆★  死んだ者は宇宙の外に落ちはしない。ここに留まるとすれば、更にここで変化し、分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。更にこれらもまた変化し、ぶつぶつ呟(つぶや)きはしない。
ーー『自省録』
 
『論衡』論死第六十二
 天地之性、能更生火、不能使滅火復燃。能更生人、不能令死人復見。不能使滅灰更為燃火。吾乃頗疑死人能復為形。案、火滅不能復燃。以況之、死人不能復為鬼、明矣。
 天地の性(せい)、能(よ)く更(あらた)めて火を生ずるも、滅火をして復(ま)た燃えしむる能(あた)はず。能(よ)く更めて人を生ずるも、死人をして復(ま)た見(あら)はれしむる能(あた)はず。滅灰をして更めて燃ゆる火と為(な)らしむる能(あた)はず。吾(われ)、乃(すなは)ち頗(すこぶ)る死人の能(よ)く復(ま)た形と為(な)るを疑ふ。案ずるに、火滅すれば復(ま)た燃ゆる能(あた)はず。以(もっ)て之(これ)を況(きょう)すれば、死人の復(ま)た鬼(き)と為(な)る能(あた)はざること明らかなり。
 大自然の性質として、いったん火が消えたあと、あらためて点火することは可能だが、消えた火がひとりでに着火することはありえない(熱力学第二法則=エントロピー増大の法則)。同様に、人をあらためて生むことは可能だが、死滅した人をもう一度出現させることは不可能である。燃え尽きた灰を再び燃やすことができぬのと同じだ。私は、そういうわけで、人は死滅してももとの形になれる(前世とか復活とか幽霊とか)という考えは、すこぶる疑わしいと思う。考えてみると、火は消えると二度と燃焼することはできない。この事実をもとに類推すると、死滅した人が幽霊になれぬことは明らかである。
 
★☆[参考]☆★  私はそのときに、生まれ変わりとか前世というものがあって、いったん死んだ人が、その後、生まれてくる人の体に生まれ変わるなどということは、「エントロピー増大の法則」から絶対にありえない、とコメントした。
ーー大槻義彦『学校の怪談に挑戦する』第七章
 
『論衡』論死第六十二
 人之所以聡明智恵者、以含五常之気也。五常之気所以在人者、以五臓在形中也。五臓不傷、則人智恵。五臓有病、則人荒忽、荒忽則愚痴矣。人死、五臓腐朽。腐朽、則五常無所託矣。所用蔵智者已敗矣、所用為智者已去矣。形須気而成、気須形而知。天下無独燃之火。世間安得有無体独知之精。
 人の聡明智恵(そうめいちけい)ある所以(ゆゑん)の者(もの)は、以(もっ)て五常の気を含めばなり。五常の気の人に在る所以(ゆゑん)の者(もの)は、五臓の形中に在るを以(もっ)てなり。五臓傷(いた)まずんば、則(すなは)ち人、智恵あり。五臓病有らば、則(すなは)ち人、荒忽(こうこつ)たり。荒忽たらば則(すなは)ち愚痴なり。人死すれば、五臓は腐朽す。腐朽すれば、則(すなは)ち五常は託する所無きなり。用(もっ)て智を蔵する所の者(もの)、已(すで)に敗るれば、用(もっ)て智を為(な)す所の者(もの)も已(すで)に去りぬ。形は気を須(もち)て成り、気は形を須て知る。天下に独燃(どくねん)の火、無し。世間、安(いづく)んぞ無体独知の精、有るを得んや。
 人に知恵のはたらきがある理由は、「五常の気」を体内にもっているからである。五常の気が人にある理由は、「五臓」(五種類の臓器)が肉体のなかにあるからである。五臓が正常ならば、人の頭のはたらきもちゃんとしている。五臓に病変があると、人の頭はボーッとしてくる。ボーッとなるとは、つまりバカになる、ということだ。人が死ぬと、五臓も腐る。腐ってしまえば、五常はたよるところがなくなる。頭のはたらきを容れるうつわが壊れてしまった以上、頭のはたらきをささえるものも、なくなってしまったわけだ。肉体は「気」があってこそ存在できるし、「気」も肉体があってこそ意識として存在できる。この世に、(燃える物もないのに)ひとりで燃える火、などというものはない。同様に、肉体もないのに独立して存在できる意識(幽霊など)、などというものも、この世にあるわけがない。
 
★☆[参考]☆★  人間の心は脳神経系に発生する電流素片によって決められるということを述べたが、もともとその神経系の原子がバラバラに四散して行ったならば、そこには何らの電流素片も発生することはない。したがって、どのような心も、そこにはないのである。
ーー大槻義彦『学校の怪談に挑戦する』第七章
 
『論衡』論死第六十二
 人之死也、其猶夢也。(中略)人夢不能知覚時所作、猶死不能識生時所為矣。(中略)夫臥、精神尚在、形体尚全、猶無所知。況死人精神消亡、形体朽敗乎。
 人の死するや、其(そ)れ猶(な)ほ夢のごときなり。(中略)人、夢みるとき、覚むる時に作(な)す所を知る能(あた)はざるは、猶ほ死して生くる時に為(な)す所を識る能(あた)はざるがごときなり。(中略)夫(そ)れ臥(が)すとき、精神は尚(な)ほ在り、形体は尚ほ全きも、猶(な)ほ知る所無し。況(いはん)や、死人は精神消亡し形体朽敗せるをや。
 人は死ぬと、眠っているのと同じ状態になる。(中略)人は眠っているあいだ、目が覚めていたあいだに行ったことを思い出すことはできない。死んだあと、生きているときにしたことがわからなくなるのと同じである。(中略)そもそも寝ているあいだ精神はまだあるし、肉体もちゃんとあるのに、それでも意識はないわけだ。ましてや、死んだ人は精神が消滅して、肉体は腐敗してしまっているのだ(なおさら、意識があるわけがない。つまり、死者が幽霊になったり、タタリをなしたりできるはずがない)。
 
『論衡』論死第六十二
 火滅光消而燭在。人死精亡而形存。謂人死有知、是謂火滅復有光也。
 火滅し光消ゆるも燭在り。人死して精亡ぶるも形存す。人死して知る有りと謂(い)ふは、是(こ)れ、火滅して復(ま)た光有りと謂(い)ふなり。
 火が消えて光が消えても、燭台は残っている。人が死んで精神のはたらきが滅んでも、遺体は残る。人が死んでも意識は残っている、というのは、火は消えても光は残っている、というのと同じである(ナンセンスだ)。
 
★☆[参考]☆★  つまり、人が死んだあと、その人の原子、分子はただこの(●●)世界に、全地球上にバラバラに散って行くだけなのである。人間の体を構成していた十の二十三乗個(百億の百億倍の一千倍)以上の莫大な原子は、またたく間に、地球全体に広がる。およそ三年から四年たてば、一人の人間を構成していた莫大な原子は、ほぼ均等に全世界に散らばって行くと言われている。
ーー大槻義彦『学校の怪談に挑戦する』第七章
 
 
宗教とは何か
 
  不一向説(ふいっこうせつ)(霊魂不説(れいこんふせつ))
『阿含経(あごんきょう)』中阿含例品「箭喩経(せんゆぎょう)」第十
 釈尊(しゃくそん)(お釈迦(しゃか)様=ゴウタマ・シッダールタ)の弟子に鬘童子(まんどうし)という者がいた。彼は、師である釈尊に不満をもっていた。鬘童子がとても重大だと思っている疑問について、釈尊はわざと話題にせず、断定的な結論を言うのを避けているからだった。すなわち、
 世有常、世無有常。世有底、世無底。命即是身、為命異身異。如来終、如来不終、如来終不終、如来亦非終亦非不終耶(世界は有常か無常か? 世界は有底(うてい)か無底か? 生命とは肉体活動そのものか、それとも肉体を離れて存在する生命(霊魂)というのもありうるのか? 如来(にょらい)という存在には終わりがあるのか、終わりがないのか、終わりがあるともないとも言えるのか、終わりがあるとも終わりがないとも言えぬのか? ・・・・・・)
 などの疑問である。
 例えば、死後の世界は有るのか無いのか、釈尊は全然、話題にさえしなかったのである。
 鬘童子(まんどうし)はとうとう我慢できなくなった。そして、師である釈尊に「自分の疑問に明確に答えてくださらぬのなら梵行(ぼんぎょう)をやめます」と申し出た。
 釈尊は、鬘童子(まんどうし)の態度をたしなめた。そして、
「そのような議論をこねあっているうちに、人間は死んでしまうのだ。たとえば、毒矢が刺さって苦しんでいる男がいて、医者にむかって『矢を抜くのはあとにして、その前に教えてもらいたい。あなたの名前と出身、身長体重、住所。それからこの毒矢を私に当てた人の身元と、その弓の材料について、教えてください。それらがわからぬうちは、毒矢を抜いてもらうわけにはゆきません』云々と言っているうちに、手遅れになって死んでしまうのうなものだ」
 という内容の教訓を説かれたあと、こう言われた。
 
 我不一向?此。以何等故。我不一向?此。此非義相應。非法相應。非梵行本。不趣智.不趣覺.不趣涅槃。是故我不一向?此。
 我(われ)、一向(いっこう)には此(こ)れを説(と)かず。何等(なん)の故(ゆゑ)を以(もっ)てか。我、一向には此れを説かざるは、此れ義に相応(そうおう)せず、法に相応せず、梵行(ぼんぎょう)の本(ほん)に非(あら)ず。智に趣(おもむ)かず、覚(さとり)に趣かず、涅槃(ねはん)に趣かず。是(こ)の故に我、一向には此れを説かず。
 私は、これらの疑問(死後の世界があるかないか、などの問題)について、断定的な結論は口にしない。なぜか。私がこれらのことについて断定的な結論を口にしないのは、(これらのことを論じても所詮は水かけ論になるしかないので)論理になじまぬし、真理の法にも合致しないし、精神生活の根本とはなりえぬからだ。仏の知恵や悟りや涅槃の境地への導きにもなりはしないからだ。それゆえに私は、これらの問題について、断定的な結論を口にしないのである。
 
★☆[参考]☆★  私は形相因と物質から成っている。これらのいずれも消滅して無に帰してしまうことはない。また同様にいずれも無から生じたものではない。かように私のあらゆる部分はそれぞれ変化によって宇宙のある部分に配分され、つぎにそれが新たに宇宙のほかの部分に変えられる、という風に無限に続いて行く。私が生まれてきたのもやはりこのような変化によるのであって、私の両親も然り、という具合にもう一つの無限にさかのぼってゆく。たとえ宇宙が一定の周期に支配されているとしても、以上のごとくいうのになんの差支えもない。
ーー『自省録』第五章十三節
 
 
生命の連鎖
 
 
★☆[参考]☆★  
   知は酒杯(しゅはい)をほめたたえてやまず、
   愛は百度もその額(ひたい)に口づける
   だのに無常の陶器師(すえし)は自らの手で焼いた
   妙(たえ)なる器(うつわ)を再び地上に投げつける。
 
   地の表にある一塊の土だっても、
   かつては輝く日の面(おも)、星の額(ひたい)であったろう。
   袖(そで)の上の埃(ほこり)を払うにも静かにしよう、
   それとても花の乙女(おとめ)の変え姿よ。
ーー『ルバイヤート』
 
★☆[参考]☆★  宇宙の自然は「全体」の物質を用いてあたかも蝋でものを作るように、ある時は馬を形作り、つぎにこれをこわし、その素材を用いて樹木をこしらえ、つぎには人間を、つぎにはまたなにかほかのものをこしらえる。各々のものはごく僅かな時間だけ存続するにすぎない。箱の身になって見れば、解体されるのも組立てられるのと同様、別に難儀なことはないのである。
ーーマルクス・アウレーリウス『自省録』第七章二十三節
 
★☆[参考]☆★ 
  雑魚(ざこ)たちへご恩返しに海へ行く  壺内半酔(大阪府豊中市)
ーー『辞世の一句』葉文館出版
 
★☆[参考]☆★  「ボルツマン定数」で有名な科学者・ボルツマン(一八四四ー一九〇六)は、友人ロシュミットの追悼公演の最後にこう言った。「いまロシュミットの肉体は原子に分解してしまった。どれだけ多くの原子になったか、私はあの黒板に数を書かせておいた」。黒板には、数字の1のあとに0が二十五個並んでいた。
ーー山田大隆『心にしみる天才の逸話20』より
 
 
 [漢詩] 辛未尋杜工部祠  辛未(しんび)、杜工部祠(とこうぶし)を尋(たづ)ぬ
日本 加藤 徹(とおる) (一九六三ー )
 
草堂穀雨我来尋 草堂(そうどう) 穀雨(こくう) 我 来(きた)り尋(たづ)ぬ
花洗青潭水愈深 花(はな) 青潭(せいたん)に洗(あら)はれ 水(みづ)愈(いよ)いよ深(ふか)し
剥落金泥遺古額 剥落(はくらく)せる金泥(こんでい) 古額(こがく)を遺(のこ)し
朦朧樹色潤人襟 朦朧(もうろう)たる樹色(じゅしょく) 人(ひと)の襟(きん)を潤(うるほ)す
無邊竹葉指風顫 無辺(むへん)の竹葉(ちくよう) 風(かぜ)を指(さ)して顫(ふる)へ
不盡新蝉伝世吟 不尽(ふじん)の新蝉(しんせん) 世(よ)を伝(つた)へて吟(ぎん)ず
男子蓋棺情未已 男子(だんし)棺(かん)を蓋(おほ)ひて 情(じょう)未(いま)だ已(や)まず
杜詩千載待知音 杜詩(とし) 千載(せんざい) 知音(ちいん)を待(ま)つ
 
 四川省成都(しせんしょうせいと)にある杜甫草堂(とほそうどう)を私がたずねたのは、二十四節季の穀雨のころ。濃い青色の淵の表面に、花びらが散り浮かび、水がますます深く見えた。古い額の金泥の剥落は歴史の重みを感じさせ、木々の緑のあざやかさに目はにじみ、襟もとまで緑に潤うほどだ。果てしない竹林の無数の葉は、風を指してふるえる。代々生まれ変わるセミは、昔ながらの声で歌いつづけている。男子の情は、棺桶のふたをおおったあともやむことはない。杜甫の詩は一千年後のいまも、知音の友を待っている。
 辛未(しんび)の年(一九九一年)、北京大学留学中に、大学が主催した留学生「四川省文学の旅」に参加し「杜工部祠」を訪れたときの作。第一句は清・何紹基「工部祠聯」の語句「錦水春風公占却、草堂人日我帰来」をふまえる。
 
 
老いと成長
 
 ☆[考えてみよう]☆ 老齢になるほど時が早く過ぎ去るように感じるのはなぜでしょう?
 
  人生の短さについて
『列子(れっし)』楊朱(ようしゅ)第七
 楊朱曰、百年、寿之大斉。得百年者千無一焉。設有一者、孩抱以逮昏老、幾居其半矣。夜眠之所弭、昼覚之所遺、又幾居其半矣。痛疾哀苦、亡失憂懼、又幾居其半矣。量十数年之中、?然而自得亡介焉之慮者、亦亡一時之中爾。則人之生也奚為哉。奚楽哉。
 楊朱曰(いは)く、百年は寿の大斉なり。百年を得(う)る者(もの)は千に一(いつ)も無し。設(たと)ひ一者有るも、孩抱(がいほう)より以(もっ)て昏老に逮(およ)ぶまで、幾(ほとん)ど其(そ)の半(なかば)に居(を)る。夜眠の弭(や)む所、昼覚の遺(うしな)ふ所、又幾ど其(そ)の半に居る。痛疾哀苦、亡失憂懼(ゆうく)、又幾ど其(そ)の半に居る。十数年の中(うち)を量(はか)るに、?(ゆう)然(ぜん)として自得し介焉(かいえん)の慮(おもんばかり)亡(な)き者(もの)、亦(また)一時(いちじ)の中にも亡きのみ。則(すなは)ち人の生くるや奚(なに)をか為(な)さんや。奚をか楽しまんや。
 楊朱は言う。「百年は寿命の限界だ。百歳まで生きられる者は千人に一人もいない。たとえ百年生きられても、幼児期と老人期の合計がほとんどその半分を占める。さらに、夜眠っている時間、昼間むだに過ごしている時間が、そのまた残りのほとんど半分を占める。さらに、病気や苦悩、無為や心配が、そのまた残りのほとんど半分を占める。残りの十数年のうち、悠然と気ままに過ごせる時間は、一時つまり一つの季節(三か月)ほどもないのだ。とすれば、人間は人生で何をなし、何を楽しめばよいのか?」
 
 
★☆[参考]☆★ 
  世の中は 食うて糞(くそ)して寝て起きて
     さてその後は 死ぬるばかりよ 
ーー一休(いっきゅう)禅師
 
『列子』楊朱第七
 太古之人知生之暫来、知死之暫往。故従心而動、不違自然。
 太古の人、生の暫(しばら)く来(きた)るを知り、死の暫く往(ゆ)くを知る。故(ゆゑ)に心に従ひて動き、自然に違(たが)はず。
 「太古の人は、人生が束の間の訪れであり、死が暫しの別れであることを知っていた。それゆえ、自分の心のままに動き、自然にたがわなかった」
 
『列子』楊朱第七
 万物所異者生也、所同者死也。生則有賢愚貴賎、是所異也。死則有臭腐消滅、是所同也。(中略)十年亦死、百年亦死。仁聖亦死、凶愚亦死。生則堯舜、死則腐骨。生則桀紂、死則腐骨。腐骨一矣。孰知其異。且趣当生、奚遑死後。
 万物(ばんぶつ)の異(ことな)る所の者(もの)は生なり、同じき所の者(もの)は死なり。生きては則(すなは)ち賢愚貴賎(けんぐきせん)有り、是(こ)れ異る所なり。死しては則(すなは)ち臭腐消滅有り、是(こ)れ同じき所なり。(中略)十年も亦(ま)た死し、百年も亦(ま)た死す。仁聖も亦(ま)た死し、凶愚も亦(ま)た死す。生きては則(すなは)ち堯舜(ぎょうしゅん)なるも、死しては則(すなは)ち腐骨なり。生きては則(すなは)ち桀紂(けっちゅう)なるも、死しては則(すなは)ち腐骨なり。腐骨は一(いつ)なり。孰(たれ)か其(そ)の異るを知らんや。且(しばら)く当生に趣(おもむ)くのみ、奚(なん)ぞ死後に遑(いとま)あらんや。
(楊朱のことばの続き)「万物が異なる所は生であり、同じ所は死である。生きていると賢愚・貴賎の区別がある。死ぬと臭腐消滅し、みな同じになる」
「十歳でも死ぬし、百歳でも死ぬ。仁聖も死ぬし、凶愚も死ぬ。生きているときは堯・舜のような善人でも、死ねば腐骨。生きているときは桀・紂のような悪人でも、死ねば腐骨。腐骨は一様であり、誰も区別などはできない。しばらく当生に赴いているだけである。死後のことを考えているヒマなど無い」
 
 
★☆[参考]☆★  マケドニアのアレクサンドロスも彼のおかかえの馭騾者(ぎょらしゃ)もひとたび死ぬと同じ身の上になってしまった。つまり二人は宇宙の同じ創造的理性の中に取りもどされたか、もしくは原子の中に同じように分散されたのである。
ーー『自省録』第六章二十四節
 
★☆[参考]☆★ 
   壷(つぼ)つくりの仕事場へ来て見れば、
   壷つくり朗(ほが)らかにろくろをまわしては、
   みかどの首もこじきの足もごっちゃに、
   手に取ってつくるは壷の首と足だ。
ーー『ルバイヤート』
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 細胞分裂で増殖する単細胞生物には寿命がなく、年齢「数億歳」のものがザラにいます。しかし、有性生殖をする生命体(ヒトもそうです)には寿命があります。生命はいつから不老不死でなくなったのでしょう?
 
  [漢詩] 大司命(だいしめい)
『楚辞(そじ)』「九歌」
広開兮天門    広く天門を開き
紛吾乗兮玄雲   紛(ふん)として吾(われ)は玄雲(げんうん)に乗る
令飄風兮先駆   飄風(ひょうふう)をして先駆せしめ
使?雨兮灑塵」  ?雨(とうう)をして塵(ちり)に灑(そそ)がしむ
君廻翔兮以下   君は廻翔(かいしょう)して以(もっ)て下(くだ)る
踰空桑兮従女   空桑(くうそう)を踰(こ)えて女(なんぢ)に従(したが)はん
紛総総兮九州   紛(ふん)として総総(そうそう)たる九州
何寿夭兮在予」  何(なん)の寿夭(じゅよう)か予(よ)に在(あ)らんや
高飛兮安翔    高飛(こうひ)して安翔(あんしょう)し
乗清気兮御陰陽  清気(せいき)に乗(じょう)じて陰陽(いんよう)を御(ぎょ)す
吾与君兮斉速   吾(われ)は君と速さを斉(ひと)しうし
導帝之兮九坑」  帝を導きて九坑(きゅうこう)に之(ゆ)かん
霊衣兮被被    霊衣は被被(ひひ)たり
玉佩兮陸離    玉佩(ぎょくはい)は陸離(りくり)たり
壹陰兮壹陽    壹陰(いちいん)にして壹陽(いちよう)
衆莫知兮余所為」 衆(しゅう)は余の為(な)す所を知る莫(な)し
折疏麻兮瑤華   疏麻(そま)と瑤華(ようか)を折(たを)りて
将以遺兮離居   将(まさ)に以(もっ)て離居(りきょ)に遺(おく)らんとす
老冉冉兮既極   老(お)いは冉冉(ぜんぜん)として既(すで)に極(きは)まるも
不?近兮愈疏」  ?近(しんきん)せずして愈(いよ)いよ疏(とほ)ざかる
乗龍兮??    龍(りゅう)に乗りて??(りんりん)と
高馳兮沖天」   高馳(こうち)して天に沖(ちゅう)す
結桂枝兮延佇   桂枝(けいし)を結びて延佇(えんちょ)す
羌愈思兮愁人   羌(ああ)、愈(いよ)いよ思へば人を愁(うれ)へしむ
愁人兮奈何    人を愁へしむれど奈何(いかん)せん
願若今兮無虧   今の虧(か)くる無きが若(ごと)きを願(ねが)はん
固人命兮有当   固(もと)より人の命(めい)は当(とう)有り
孰離合兮可為」  孰(たれ)か離合を為(な)すべきや
 
(これは太古の劇詩である。日が西に沈み、あたりが暗くなりはじめたころ。「大司命」という名前の星の神さまが、東の空に登場し、歌いつつ舞う)
 天の扉を広く開いて、われは黒いむら雲に乗る。つむじ風に命じて先駆けをさせ、夕立に命じて塵を洗い清めさせよう。
(人間が登場。天空の神を見上げつつ伴唱する)
 神さまは大空を飛びめぐったり、地に降臨したりなさる。わたしは地上を駆け、空桑(くうそう)の山を越え、あなたを追いかけてゆくことにします。
(神、下界を見おろしながら歌う)
 世界にひしめく人間たち。どうして、一人一人の寿命を予が関知しきれよう?
(人間、神を見上げながら伴唱)
 神さまは、高く飛び、安らかに天翔(あまが)け、清らかな風に乗り、陰陽を統御なさる。私はあなたと同じ速さで地上を走り、天帝を九坑の山までご案内したいです。
(神、飛翔のしぐさを舞いつつ、天空を次第に高くのぼってゆく)
 神の衣(ころも)はひらめき、神の佩玉(おびだま)はきらめく。個々人の寿命でなく、大自然の陰と陽の循環こそが余の職掌(しょくしょう)であることを、人間どもは知らぬ。
(人間、自分の長寿を神にお願いするため、神を見上げつつ、全速力で追いかける)
 聖なる疏麻(そま)の美しい花を手折(たお)り、離れゆく神さまに贈りたいのだけれども……
(人間は、腰が次第に曲がり、手足が重くなり、息づ かいも荒くなり、呆然と神を見上げる)
 だめだ。老いはじわじわ忍びより、もう限界だ。なのに神さまは、近づくどころかどんどん遠ざかってゆく。
(神、舞いながら歌う)
 竜車に乗って??(りんりん)と、天頂たかく馳せのぼる。
(神、天空高くのぼりつめ、退場。人間、ひとり夜の闇が支配する地上にたたずみ、嘆 息する。視線を地上に戻して歌う)
 捧げものの香木の束を手に、呆然とたたずむばかりだ。ああ、思えば思うほど切ない。でも、はかなんで、どうなるというのだ? そうだ。せめて、今この瞬間が完全であるようにと願おう。もとより人の寿命は天命だ。霊肉の離合を、誰が自由に作為(さくい)できようか?
(人間、退場。劇詩、終わり)
 
 
★☆[参考]☆★  星とともに走っている者として星の運行をながめよ。また元素が互いに変化し合うのを絶えず思い浮べよ。かかる想念は我々の地上生活の汚れを潔め去ってくれる。
ーー『自省録』第七章四十七節
 
  [漢詩] 苦昼短 昼の短きに苦しむ
唐 李賀(りが) (七九一ー八一七)
 飛光飛光    飛光(ひこう)よ 飛光よ
 勸爾一杯   爾(なんぢ)に勧(すす)む一杯の酒
 吾不識青天高  吾(わ)れは識(し)らず 青天(せいてん)の高く
    黄地  黄地の厚きを
 唯見月寒日暖  唯見る 月寒く日暖かく
   来煎人寿  来(きた)りて人寿を煎(い)るを
 食熊則肥    熊を食(く)らへば則(すなは)ち肥(こ)え
 食蛙則    蛙を食らへば則ち痩(や)す
 神君何在    神君 何(いづ)くにか在る
 太一安」   太一(たいいつ) 安(いづ)くにか有る
 天東有若   天の東に若木(じゃくぼく)有り
 下置銜燭龍   下に燭を銜(ふく)む龍を置く
 吾将斬龍   吾(われ)は将(まさ)に龍の足を斬り
   嚼龍   龍の肉を嚼(かみくだ)き
 使之朝不得廻  之(これ)をして朝(あした)に廻(めぐ)るを得ず
   夜不得  夜は伏するを得ざらしめん
 自然老者不死  自然に老者は死せず
   少者不  少者は哭(こく)せず
 何為服黄金   何為(なんす)れぞ黄金を服し
   呑白」  白玉(はくぎょく)を呑(の)むや
 誰似任公子   誰か任公子(じんこうし)に似て
 雲中騎碧   雲中 碧驢(へきろ)に騎(の)らん
 劉徹茂陵多滞骨  劉徹(りゅうてつ)の茂陵(もりょう) 滞骨(たいこつ) 多く
 ?政梓棺費鮑  ?政(えいせい)の梓棺(しかん) 鮑魚(ほうぎょ)を費(つひ)やす
 
 飛ぶ光(時間)よ、飛ぶ光よ。まあ一杯飲んでゆけ。俺は空の高さや大地の厚さがどれほどかは知らぬ。ただ、寒暖や日月がめぐり、人の寿命をジリジリと焦がすのを見るだけだ。熊を食うと太り、蛙を食べると痩せるという。神君(しんくん)の神様ははどこにいますか? 太一(たいいつ)の神様はどこですか? 不老長寿をくれる神様なんて、あてにはならぬのさ。
 天の東には若木(じゃくぼく)があるという。若木の下には燭(しょく)をくわえた巨大な龍がいるという。俺はいつかその龍の足を切り、龍の肉に食らいついてやる。龍が回れば朝になり、龍が臥せば夜が来るというが、二度とそうできぬようにするのだ。そうすれば自然に老人は死ななくなり、若者も泣かずにすむだろう。
 どうして、黄金や白玉でつくった怪しげな仙薬なんぞを服用するのか。仙薬なんかあてにはならぬ。薬を飲んで、雲の中を碧色の驢馬にまたがって昇天した任公子みたいになれた者が、誰かいたか? 一人もいない。昔の皇帝でさえ不老長寿は得られなかった。劉徹(りゅうてつ)(漢の武帝の本名)の陵墓には古い骨がたまってるし、?政(えいせい)(秦の始皇帝の本名)の棺桶(かんおけ)は死臭消しに鮑魚(ほうぎょ)を使ったのだ。
 
 
親と子
 
 
  [漢訳仏典] 親孝行の功徳(くどく)
『阿含経(あごんきょう)』(雑阿含、巻第四、大正二・二二)
 一人の青年のバラモン、名をウッダラと呼ぶ者が、ある日、釈尊のもとに来て、たずねた。
「世尊よ。私は毎日、町や村を乞食(こつじき)して歩き、自分の両親を供養しております。この功徳(くどく)は、どのようなものでございましょうか」
 釈尊はお答えになった。
 
 如汝於父母  如(も)し汝(なんぢ)、父母に於(おい)て
 恭敬修供養  恭敬(くぎょう)して供養(くよう)を修(をさ)めなば
 現世名称流  現世(げんせ)に名称流れ
 命終生天上  命(いのち)終(おは)りて天上に生まれん
 
 もし、君がご両親にうやうやしく供養につとめるなら、この世で評判になるだけでなく、命が終わったあと天上に生まれ変われるだろう。
 
 
★☆[参考]☆★   こころ
 
お母さまは
大人で大きいけれど。
お母さまの
おこころはちひさい。
 
だつて、お母さまはいひました。
ちひさい私でいつぱいだつて。
 
私は子供で
ちひさいけれど、
ちひさい私の
こころは大きい。
 
だつて、大きいお母さまで、
まだいつぱいにならないで、
いろんな事をおもふから。
ーー金子みすヾ
 
 
色と恋
 
★☆[参考]☆★  「死んだ親父(おやじ)はね、私をぶん殴(なぐ)る時ァいつも言ってたね。おまえはヘベレケの時つくった子供だから生まれつきバカだってよう。俺ァ口惜(くや)しかったなァ、酔っぱらってつくったんだもんな俺のこと。・・・・・・真面目(まじめ)にやってもらいたかったよ、俺は本当に」
ーー映画『男はつらいよ』第一作
 
 
大自然の掟
 
★☆[参考]☆★   大漁
 
朝焼小焼(あさやけ こやけ)だ
大漁(たいりょう)だ
大羽鰯(おおばいわし)の
大漁だ。
 
浜は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何万の
鰯(いわし)のとむらひ
するだらう。
ーー金子みすヾ
 
 
自然認知
 
 ☆[考えてみよう]☆ 「howを探求するのが科学。whyを探求するのは哲学・宗教であって、科学ではない」と言う人がいます。どういう意味でしょうか?
 
  天(てん)、其(それ)をして然(しか)らしむ
『啓顔録』
(原文、書き下し文、略)
 蒲州(ほしゅう)の女性はコブのある人が多い。山東のある男が蒲州の女性と結婚したが、妻の母親のうなじには大きなコブがあった。結婚して数ヶ月後、妻の実家では、婿(むこ)は頭が良くないのではないかと疑った。舅(しゅうと)は盛大な宴席をもうけて親類を招き、婿の知能を試すために質問した。
「君は山東で勉学を積んだ。きっとものの道理をよく知っているはずだ。さて、鴻鶴(こうかく)(オオトリやツル)がよく鳴くのはなぜか」
「自然にそうなのです(天使其然)」
「松柏(しょうはく)が冬でも青々としているのはなぜか」
「自然にそうなのです」
「道ばたの木の幹にコブができてるのはなぜか」
「自然にそうなのです」
「君は全くものの道理を知らぬ。いったい山東で何をやってたんだ。いいかね、鴻鶴がよく鳴くのは頸項(けいこう)(くび)が長いからだ。松柏が冬でも青いのは芯(しん)が強いからだ。道ばたの木にコブがあるのは車があたってすりむけたからだ。自然にそうなったはずがない」
「私が見聞したところをもってお答えしてもよろしいでしょうか」
「言ってみなさい」
「蝦蟇(がま)がよく鳴くのは頸項が長いからでしょうか? 竹が冬でも青いのは芯が強いからでしょうか? お義母様(かあさま)の項(うなじ)に大きなコブがあるのは車があたってすりむけたからでしょうか?」
 舅は恥じて沈黙した。
 
★☆[参考]☆★  つまり、科学者は、「法則がなぜそのようになるのか」という問いに答えようとしているわけではなく、「そのようになっていることを証明しようとしている」だけである。なぜ空間は三次元なのか、なぜ光の速さは秒速で三〇万キロメートルなのか、なぜ電子の質量は五一〇キロ電子ボルトなのか、等々の基本的な問いかけに答えることができない。「そうなっている」としか言えないのだ。
ーー池内了(いけうちさとる)『物理学と神』はじめに(集英社新書)
 
 デカルト流に言えば、「目的因ではなく、既成因を調べる」のが正統派の近代科学のなすべき仕事であったからだ。物質や定数は与えられたものとして、その運動や反応の法則を明らかにすること、それが自然に書かれた神の意図を読み取る科学者の仕事なのだ。「なぜ、このようにあるのか」と問いかけると、アリストテレス的本性論に陥るか、神の意志論に追い込まれてしまう。科学者たちは、尊崇するがゆえに神の介入を遠ざけたいデカルトの意向を忠実に守ってきたのである。
ーー同『物理学と神』第六章
 
 ☆[考えてみよう]☆ 生身の人間とまったく同じ人工知能を作ることは、できるのでしょうか?
 
  人造人間
『列子』湯問(とうもん)第五
 周穆王西巡狩、越崑崙、不至?山。反還、未及中国、道有献工人。名偃師、穆王薦之、問曰「若有何能」。偃師曰「臣唯命所試。然臣已有所造、願王先観之」。穆王曰「日以倶来、吾与若倶観之」。
 翌日偃師謁見王。王薦之、曰「若与偕来者何人邪」。対曰「臣之所造能倡者」。穆王驚視之、趣?俯仰、信人也。巧夫?其頤、則歌合律。捧其手、則舞応節。千変万化、惟意所適。王以為実人也、与盛姫内御並観之。技将終、倡者瞬其目而招王之左右侍妾。王大怒、立欲誅偃師。偃師大懾、立剖散倡者以示王、皆傅會革、木、膠、漆、白、K、丹、青之所為。王諦料之、内則肝胆、心肺、脾腎、腸胃。外則筋骨、支節、皮毛、歯髪。皆仮物也、而無不畢具者。合会復如初見。王試廃其心、則口不能言。廃其肝、則目不能視。廃其腎、則足不能?。
 穆王始悦而嘆曰「人之巧、乃可与造化者同功乎」。詔弐車載之以帰。
 夫班輸之雲梯、墨?之飛鳶、自謂能之極也。弟子東門賈禽滑釐聞偃師之巧以告二子、二子終身不敢語芸、而時執規矩。
(書き下し文、略)
 周の穆王(ぼくおう)が西の果てまで旅行して、中国に帰ってくる途中のこと。ある国で、偃師(えんし)という名前の技術者を献上された。その技術者は「わたくしの作品をご覧ください」と言い、一人の人物を連れてきた。彼は、走るのも歩くのもうつむくのも仰ぐのも、生きた人間そっくりの人形であった。技術者がその顎を動かすとちゃんと歌を歌うし、その手を動かすとちゃんと踊をおどった。
 穆王(ぼくおう)はその様を自分の寵愛する女性たちと見ていたが、その人形は最後に、穆王の左右にはべっている女性に色目を送った。穆王は怒り、偃師(えんし)を殺そうとした。
 偃師はふるえあがり、すぐにその人形を分解して穆王に見せた。みな、皮やにかわや漆でかため、それに白黒・赤青などの絵の具をくっつけあわせたものであった。穆王がさらに見ると、内部の肝臓・胆嚢、心臓・肺臓、脾臓・腎臓、腸・胃はもとより、外部の筋肉・骨格、手足・関節、皮膚・体毛、歯・頭髪まで、すべて代用物でつくってあり、足りないものはなかった。それらの部品を元どおり組み合わせると、最初の人間の姿に戻った。
 穆王はためしに人形の心臓を取り外すと、人形は口がきけなくなった。肝臓をはずしてみると、目が見えなくなった。腎臓をはずすと、歩けなくなった。
 穆王は感嘆して言った。
「人間の技術の精妙さは、大自然と同等のレベルまで到達できるのだなあ」
 穆王は自分の副車にその技術者を載せて、都に帰った。
 当時、魯班(ろはん)は雲梯(うんてい)(クレーン車の一種)を、墨子(ぼくし)は飛鳶(ひえん)(模型飛行機の一種)を、それぞれ機械工学の最高傑作であると自負していた。しかし、偃師がロボットを作った超絶的な技術を聞くと、ふたりともその後はあえて技術について口にすることもなく、たまにコンパスや定規を手にするにすぎなくなった。
 
★☆[参考]☆★  人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。熱が消耗させるものを食物が補って行く。
ーーラ・メトリ『人間機械論』(岩波文庫)五十二頁
 
 
宇宙の謎
 
  宇宙の誕生
『淮南子(えなんじ)』天文訓
 天地未形、馮馮翼翼、洞洞??。故曰太始。太始生??、??生宇宙、宇宙生気。気有涯垠。清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合専易、重濁之凝結難。故天先成而後地定。(中略)天有九野、九千九百九十九隅、去地億五万里。
 天地(てんち)未(いま)だ形(かたち)あらざるとき、馮馮(ひょうひょう)翼翼(よくよく)として洞洞(どうどう)??(しょくしょく)たり。故(ゆゑ)に太始(たいし)と曰(い)ふ。太始は??(きょかく)を生(しょう)じ、??は宇宙を生じ、宇宙は気(き)を生ず。気に涯垠(がいぎん)有(あ)り。清陽(せいよう)なる者(もの)は薄靡(はくび)して天と為(な)り、重濁(じゅうだく)せる者は凝滯(ぎょうたい)して地と為(な)る。清妙(せいみょう)の合専(ごうせん)するは易(やす)く、重濁の凝結(ぎょうけつ)するは難(かた)し。故に天先(ま)づ成(な)りて而(しか)る後(のち)に地定(さだ)まる。(中略)天に九野、九千九百九十九隅(ぐう)有り、地を去(さ)ること億五万里(おくごまんり)なり。
 天地がまだ形づくられていなかったころ、ふわふわもやもや、どんよりとしていた。この状態を太始という。この太始からガランドウの空間が生じ、空間から宇宙が生じ、宇宙から気が生じた。気には差があった。明るく澄んだ気は、うっすらたなびいて天となった。重く濁った気は、ドロリと凝り固まって地となった。清く澄んだ気が集中するのは容易だが、重く濁った気が凝固するのは難しい。だから、まず天のほうが先にできて、地はあとからできあがった。(中略)天は九野に分かれ、九千九百九十九隅がある。天と地の距離は、億五万里(十五万里)ほどである。
 
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 宇宙ができるまえ、「この世」はあったのでしょう?
 
  宇宙誕生以前の自然
『老子』第二十五章
 有物混成、先天地生。寂兮寥兮、独立不改。周行而不殆、可以為天下母。吾不知其名、字之曰道、強為之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。
 物有り混成し、天地に先だちて生ず。寂兮(せきけい)たり寥兮(りょうけい)たり、独立して改めず。周行して殆(あや)ふからず、以(もっ)て天下の母為(た)るべし。吾(われ)、其(そ)の名を知らず。之(これ)に字(あざな)して道(みち)と曰(い)ひ、強(し)ひて之(これ)の名を為(な)して大(だい)と曰(い)ふ。大は逝(せい)と曰(い)ひ、逝は遠(えん)と曰(い)ひ、遠は反と曰(い)ふ。故(ゆゑ)に道は大なり、天は大なり、地は大なり、王も亦(ま)た大なり。域中に四大有り、而(しか)して王は其(そ)の一(いつ)に居(を)るなり。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
 ある「物」が混成し、天地に先だって生じた。それは寂寞として寥々として、独立不変、周行しても力が衰えることはなく、この世界の「母」となることができた。私たちはその名前を知らないが、仮に「道」というあざなを付ける。しいて名前をつければ「大」と言う。「大」は「行く」ことであり、「行く」ことは「遠ざかる」ことであり、「遠ざかる」ことは「反る」ことである。それゆえ、道は大、天も大、地も大、王も大である。世界に四つの「大」があり、王はその一つを占めている。人は地にのっとり、地は天にのっとり、天は道にのっとり、道は自然にのっとる。
 
 
★☆[参考]☆★  それに、物質が永遠であるか、それとも創造されたものであるか、ないしは、神があったか、それともなかったか、そんなことはわれわれの安心立命(あんしんりつめい)のためにはどうでもよいことである。しることのできないもの、ようやく知りえたとしても、われわれを現在以上に幸福にすることのないもののために、そんなに我とわが身を苦しめるとはなんというバカバカしいことであろう!
ーーラ・メトリ『人間機械論』(岩波文庫)八十六頁
 
 
人知の限界
 
 ☆[考えてみよう]☆ たかが百年ていどの寿命しかない人間が、百兆年先の宇宙の運命について考えられるのはなぜでしょう?
 
  杞憂(きゆう)
『列子』天瑞第一
 杞国有人憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者。又有憂彼之所憂者、因往曉之、曰「天、積気耳、亡処亡気。若屈伸呼吸、終日在天中行止、奈何憂崩墜乎」。其人曰「天果積気、日月星宿、不当墜耶」。曉之者曰「日月星宿、亦積気中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷」。其人曰「奈地壞何」。曉者曰「地積塊耳、充塞四?、亡処亡塊。若躇??蹈、終日在地上行止、奈何憂其壞」。其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜。
 長廬子聞而笑之曰「虹?也、雲霧也、風雨也、四時也、此積気之成乎天者也。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者也。知積気也、知積塊也、奚謂不壞。夫天地、空中之一細物、有中之最巨者。難終難窮、此固然矣。難測難識、此固然矣。憂其壞者、誠為大遠。言其不壞者、亦為未是。天地不得不壞、則會帰於壞。遇其壞時、奚為不憂哉」。
 子列子聞而笑曰「言天地壞者亦謬、言天地不壞者亦謬。壞与不壞、吾所不能知也。雖然、彼一也、此一也。故生不知死、死不知生。来不知去、去不知来。壞与不壞、吾何容心哉」。
(書き下し文省略)
 杞(き)の国に心配性の男がいた。彼は天が落ちてきて、地が崩壊し、自分の身の寄せどころがなくなるのではないかと心配して、夜も眠れず食事ものどを通らなかった。すると、その男の心配ぶりを見てさらに心配する男がいて、そのためわざわざ出かけて行って、彼をさとして言った。
「天は気の集まりにすぎない。およそ気の無いところはない。現に、君はこのとおり、体をかがめたり伸ばしたり、息を吸ったり吐いたりして、一日中天のなかで行動しているじゃないか。それなのに、どうして天地が落ちてくるなんて心配しなければならないのだ」
「天が本当に気の集まりだとしても、太陽や月や星が落ちてくる心配は無いのだろうか」
「太陽も月も星も、みな気の集まりのなかで光り輝いているだけにすぎない。だから、万一落ちてきたとしても、それがあたって人間が怪我をすることはありえない」
「それじゃ、大地が壊れたらどうしよう」
「大地は、巨大な土のかたまりにすぎない。世界の果てまでふさがっていて、どこまでいっても土のかたまりだけなのだ。現に君は、歩いたり跳ねたり踏んだりして、一日中、大地のうえで行動しているじゃないか。それなのに、どうして大地が壊れるなんて心配する必要があるのかね」
 それを聞いて、心配性の男はすっかり安心して喜んだ。さとした方の男も、晴れ晴れとした気持ちになって喜んだ。
 この話を聞いた楚(そ)の学者・長廬子(ちょうろし)が笑って言った。
「虹も雲も霧も風も雨も、四季の変化も、みな気の集まりが天のなかで作った現象である。また山も川も海も、金属も石も、火や木も、みな物質の集まりが地上で作った現象である。もし、これらがみな気の集まりであり、土くれの集まりであることがわかったならば、いつか崩壊しないはずがない。たしかに天地は、広大な宇宙空間のなかのちっぽけな存在でしかないが、形のある物のなかでは最大の存在である。この天地の本質がとらえがたいのも当然だし、天地の未来が予測しがたいのも当然のことだ。かといって、天地が崩壊するのではないかと心配するのはあまりにもマクロ的すぎるし、反対に、天地が決して崩壊しないと断言するのも正しくない。天地が崩壊する性質をもつなら、いつかは必ず崩壊するだろう。その崩壊の時期にぶつかったら、心配しないわけにはゆくまい」
 わが師である列子、すなわち列禦寇(れつぎょこう)先生はこれらの議論を聞いて笑い、言われた。
「天地は崩壊すると主張する者も間違っているし、天地が崩壊しないと断言する者も間違っている。崩壊するかしないかは、人類にはわかるはずがない。崩壊すると主張するのも一つの見識、崩壊しないと主張するのも一つの見識である。だが、生きている者には死んだ者の世界はわからないし、死んだ者には生きた者の世界はわからない。未来の人間には過去のことはわからないし、過去の人間には未来のことはわからない。天地が崩壊するかしないか、わたしはそんなことで思い悩みはしない」
 
★☆[参考]☆★  現在の太陽は、約四六億年以前に主系列星として誕生した当時に比べると、中心部では水素の約半分はヘリウムに変わっており、半径はわずかに増し、明るさは約二倍になっている。これからも太陽は、ゆっくりと半径と明るさを増し続けていく。今から十数億年たつうちには、半径は二割、明るさは四割くらい増大することが理論的な計算でわかっている。地球上の水は失なわれ、生物は死に絶えることになるだろう。(中略)数十億年の後に太陽が老年期を迎え、赤色巨星となった段階で、現在の一〇〇〇倍以上の太陽の光と熱にさらされて、地球は蒸発してしまう。(中略)最近の研究によると、今から一兆年たっても私たちの宇宙は膨張を続けていると考えられる。(中略)さらに一〇の二三乗年(一〇〇兆年の一〇億倍)たつと、銀河団も蒸発して崩壊し、宇宙には一様に散らばった黒色矮星や中性子星、ブラックホールが残される。
 そして、永遠の暗黒な空間と、時間だけが残される。
ーー『万物の死』講談社ブルーバックス
 
★☆[参考]☆★  「ボルツマン定数」で有名な科学者・ボルツマンは、一九〇六年に自殺した。享年六十二歳。自殺の原因は、彼がエントロピーを定義した式S=klogWによって導かれる結論「宇宙の熱的終焉」への恐怖だった。
ーー山田大隆『心にしみる天才の逸話20』より
 
 
推移の感覚
 
 ☆[考えてみよう]☆ 人間の仕事や記憶は、何世代くらいまでなら受け継ぐことができるのでしょう? 個人に寿命があるように、民族や国にも寿命はあるのでしょうか?
 
  愚公移山(ぐこういざん)
『列子』湯問第五
 太形、王屋二山、方七百里、高万仞。本在冀州之南、河陽之北。
 北山愚公者、年且九十、面山而居。懲山北之塞、出入之迂也、聚室而謀、曰「吾与汝畢力平險、指通豫南、達于漢陰、可乎」。雜然相許。其妻献疑曰「以君之力、曾不能損魁父之丘。如太形王屋何。且焉置土石」。雜曰「投諸渤海之尾、隱土之北」。遂率子孫荷擔者三夫、叩石墾壤、箕畚運於渤海之尾。鄰人京城氏之孀妻有遺男、始齔、跳往助之。寒暑易節、始一反焉。
 河曲智叟笑而止之、曰「甚矣、汝之不惠。以残年余力、曾不能毀山之一毛。其如土石何」。北山愚公長息曰「汝心之固、固不可徹。曾不若孀妻弱子。雖我之死、有子存焉。子又生孫、孫又生子。子又有子、子又有孫子子孫孫、無窮匱也。而山不加掾A何苦而不平」。河曲智叟亡以應。
 操蛇之神聞之、懼其不已也、告之於帝。帝感其誠、命夸蛾氏二子負二山、一?朔東、一?雍南。自此、冀之南、漢之陰無隴斷焉。
(書き下し文省略)
 太行山(たいこうざん)と王屋山(おうおくざん)のふたつの山は、もともと今の場所にはなく、昔は、はるか離れた冀州(きしゅう)の南で河陽(かよう)の北にあった。
 その昔、北山に愚公(ぐこう)という九十歳ちかい老人がいた。彼の家は太行山と王屋山のふたつの山に面しており、彼の家の出入り口が山の北側でふさがれていたので、どこかに出かけるにも遠回りしなければならなかった。あるとき、愚公は家族を集めて相談した。
「みんなであの山を切り崩して平にし、予州の南をめざしてまっすぐに道路をつくり、漢水(かんすい)の南岸まで通させたいと思うのだが、どうだろう」
 家族はみな賛成した。愚公の妻はたずねた。
「あなたの力では小さな丘すら崩せませんよ。ましてや太行山と王屋山みたいな大きな山は・・・それに、山を崩した土はどこに捨てるのですか」
 家族のみんなは言った。
「渤海(ぼっかい)か隠土(いんど)のあたりまで捨てに行けばいいよ」
 愚公は息子や孫たちを連れて作業をはじめたが、モッコをかつげる者はたった三人だった。彼らは岩石を打ち砕き、土地を切り開き、箕(み)やモッコで土や石をはるか離れた渤海(ぼっかい)のはずれにまで運んだ。
 愚公のとなりの家に未亡人が住んでいて、彼女には、やっと歯が抜け変わったばかりの七、八歳くらいの男の子がひとりいた。その子も手伝った。しかし作業のペースは遅く、土を運んでやっと一度家に戻るまでに、半年もかかった。
 河曲(かきょく)に住む智叟(ちそう)という名前の利口な老人が、あざ笑って愚公に言った。
「あきれたね。君の老い先短い力では、山の草いっぽんだって満足には抜けまい。まして、あれだけ膨大な土と石をどうできるというのだ」
 愚公は答えた。
「君の頭の固さは、あの未亡人のところの幼い子どもにも劣る。わしが死んでも、子があとを継ぐ。子は孫を生み、孫はまた子を生む。子子孫孫、果てることはない。山の土砂はたしかに膨大な量だが、無限ではない。いつかは平らにできないはずがない」
 智叟(ちそう)は返す言葉も無かった。
 山の神は愚公の言葉を聞いて、本当に山が切り崩されてしまうのではないかと心配し、天帝に報告した。天帝は感心し、巨人の神のふたりの息子に命じて、太行山と王屋山のふたつの山を背負わせて、それぞれ遠くに運ばせた。こうして、冀州の南から漢水の南側にかけては丘ひとつない大平原になったのである。
 
 
★☆[参考]☆★  ある老人が庭で苗を植えていた。
 そこに通りかかった一人の旅行者が、「いったいあなたは、その木の実が収穫できるのはいつごろだと思っているのですか」と聞いた。老人は、「七〇年もしたらなるだろう」と答えた。旅人は「あなたはそんなに長生きするのですか」と聞いた。「いや、違います。私が生まれたとき、果樹園には豊かに実がなっていた。それは自分が生まれる前に、父が自分のために苗を植えておいてくれたからです。それと同じことです」と答えた。
ーーラビ・M・トケイヤー『ユダヤ五〇〇〇年の知恵』
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 宇宙は永遠なのでしょうか? 時間は無限に続くのでしょうか?
 
  春夜偶成并序
加藤徹「戊辰集」
 夏暦戊辰孟春朔昏、徹出郊、望星辰于四表。維執徐之年、而歳星徘徊於奎・昴之間。建寅之月、而斗杓墜落於子丑之間。天狼皎潔、誰詠「夜流血」。参宿可掬、其距入觜之西。日不在營室、而將出虚。昏参未中、而昴中。旦無尾中、而房中。嗚呼、「天地曾不能以一瞬」、豈空言哉。維斗得道、終古自?、禺強立極、終古自乖。物換星移、今人不見古人天。而人智若水、不舎昼夜。「天之高也、星辰之遠也」、既「求其故」、至於「千歳之日至可坐而致也」。吾驚天地之須臾、嘆人文之無窮。乃賦小詩曰、
  燦々天狼皎不紅 觜参相転没昏中 
  無常最是斗杓建 隠地揺光失指東
 春夜偶成(しゅんやぐうせい) 序を并(あは)せたり 夏暦(かれき)戊辰(ぼしん)孟春(もうしゅん)朔(さく)の昏(こん)、徹(てつ)、郊(こう)に出(い)でて、星辰(せいしん)を四表に望む。維(こ)れ執徐(しゅうじょ)の年なるに、而(しか)も歳星、奎(けい)・昴(ぼう)の間に徘徊(はいかい)し、建寅(けんいん)の月なるに、而(しか)も斗杓(とひょう)、子丑(しちゅう)の間に墜落す。天狼(てんろう)皎潔(こうけつ)たり、誰か「夜、血を流す」と詠(えい)ぜん。参宿(しんしゅく)、掬(すく)ふべきも、其(そ)の距(きょ)、觜(し)の西に入(い)る。日、営室(えいしつ)に在らず、而(しか)も将(まさ)に虚を出(い)でなんとす。昏(こん)に参(しん)未(いま)だ中(ちゅう)せず、而(しか)して昴(ぼう)中す。旦(たん)に尾(び)の中する無く、而(しか)して房(ぼう)中す。
 嗚呼(ああ)、「天地も曽(かつ)て以(もっ)て一瞬たること能(あた)はず」とは、豈(あ)に空言ならんや。維斗(いと)道(みち)を得(う)るも、終古(しゅうこ)、自(おのづ)ら?(たが)ふ。禺(ぐう)強(きょう)、極に立つも、終古、自(おのづ)ら乖(はな)る。物換(かは)り星移りて、今人(こんじん)は古人の天を見ず。而(しか)も人智は水の若(ごと)く、昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず。「天の高き、星辰の遠き」、既(すで)にして「其の故(こ)を求」むれば、「千歳(せんざい)の日至(にっし)も坐して致すべ」きに至る。吾(われ)、天地の須臾(しゅゆ)なるを驚き、人文の無窮(むきゅう)を嘆ず。乃(すなは)ち小詩を賦して曰(いは)く、
  燦々(さんさん)たる天狼(てんろう) 皎(きょう)として紅(こう)ならず
  觜参(ししん) 相(あひ)転(てん)じて昏(こん)に中する莫(な)し
  無常は最も是(こ)れ斗杓(とひょう)の建(けん)
  地に隠るる揺光(ようこう)は東を指(さ)すを失ふ
 戊辰の年の、太陰暦一月一日の昏(一九八八年二月十八日午後六時)。私・加藤徹は郊外に出て、四方の星々を観察した。古代人にとって星座は天然の大時計だった。しかし、地球の歳差運動のため、星々の位置はこの二千年あまりですっかり変わり、時間の狂った古時計になってしまった。二千数百年前の古典『礼記(らいき)』月令(がつりょう)の記事と読み比べつつ二十世紀末の天空を観察すると、例えば、今年は「執徐(しゅうじょ)」の年だから木星は天空の亥の方角にあるべきはずなのに、実際には二十四宿の奎(けい)宿と昴(ぼう)宿のあいだ、すなわち戌と酉のあいだをさまよっている。今月は「建寅(けんいん)の月」なのに、北斗七星の柄杓(ひしゃく)の先端は寅(とら)の方角ではなく、子(ね)と丑(うし)のあいだの地平線に食い込んでしまっている。天狼星(てんろうせい)(シリウス)も、現代は青白く明るく輝いている。古代ローマ人がシリウスを赤いと書いたり、古代中国人が「天狼は夜、血を流す」と詠んだことが、とても信じられない。二十四宿のうちの参宿(しんしゅく)の星々は、いまも手ですくえそうなほどくっきりと見えるが、これも千年前の宋の時代に觜(し)宿と順番が逆転してしまったのである。太陽の位置も、『礼記』では営室(えいしつ)にあるはずなのに、現在では虚の位置を出そうなくらいの位置にあるし、昏(こん)の時刻には参(しん)が南中するはずなのに昴が南中し、旦には尾(び)が南中するはずなのに房(ぼう)が南中する。
 かつて蘇軾(そしょく)が『赤壁賦(せきへきのふ)』で「天地ですら一瞬の間も変わらずにいられることばできない」と詠んだのは、言葉の綾ではなく、真実だった。『荘子』には、北斗や北極星は「道」を得て永遠の存在になれた云々と書いてあるが、結局、彼らも永遠に同じ場所にはとどまれなかった。物は変わり星は移って、現代人は古人が見た宇宙を見ることはできない。しかし、人間の知識は、かつて孔子を感嘆させた川の流れのごとく、昼も夜も滔々と流れつづけ無限に発展してゆく。かつて孟子が言ったとおり、人間の知恵は、宇宙空間や星が地球からどんなに遠くとも、データの蓄積をもとに、千年後の天体の位置も計算で求められるほどである。私は宇宙を観察し、大自然の意外なはかなさに驚くとともに、人知の無窮に感慨を禁じ得ない。そこで、つまらぬ詩を作ってみた。
 燦然と輝くシリウスは、青白く、赤ではない
 觜(し)と参(しん)の二つの星宿の位置も逆転し、昏の時刻に南中しない
 天空の大時計でいちばんずれてしまったのは、時針たる北斗七星だ
 北斗のしっぽは、春の方角である東を指すはずなのに、地平線に突き刺さっている
 
 
★☆[参考]☆★  昼と夜
 
昼のあとは
夜よ、
夜のあとは
昼よ。
 
どこに居(ゐ)たら
見えよ。
 
長い長い
縄が、
その端(はし)と
端が。
ーー金子みすヾ
 
★☆[参考]☆★  
 なぎさふりかへる我が足跡も無く
ーー尾崎放哉
 
 
★☆[参考]☆★  漢字「時」の字源
 時は会意兼形声文字である。之(止)は足の形を描いた象形文字。寺は「寸(て)+音符・之(あし)」の会意兼形声文字で、手足を働かせて仕事すること。時は「日+音符・寺」で、日が進行すること。之(いく)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という。ーー藤堂明保の字源説による
   和語「時」の語源
 一説によると、「トキ」は、動詞「トク(溶く・解く)」の連用形が名詞に転じたもの。「ツキ」(尽き・月)と同系。
 
 
  ☆[考えてみよう]☆ 過去は一つだけ、現在も一つだけですが、では未来も一つだけなのでしょうか?
 
★☆[参考]☆★  有間皇子(ありまのみこ)の自(みづか)ら傷(いた)みて松(まつ)が枝(え)を結べる御歌(おんうた)
 磐代(いはしろ)の浜松(はままつ)が枝(え)を引(ひ)き結(むす)びまさきくあらばまたかへり見(み)む
ーー『万葉集(まんようしゅう)』巻二・挽歌
 
  千年後の冬至(とうじ)の日も計算できる
『孟子』離婁章句下
 天之高也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至可坐而致也。
 天の高き、星辰(せいしん)の遠き、苟(いやしく)も其(そ)の故(こ)を求めば、千歳(せんざい)の日至も坐(ざ)して致すべきなり。
 天がどんなに高くとも、星がどんなに遠くとも、もし「故」(昔からのデータ)を求め得たならば、千年先の冬至の日もいながらにして計算することができるのだ。
 
 
  百世代先の未来も予測できる
『論語』為政第二
 子張問「十世可知也」。子曰「殷因於夏礼、所損益可知也。周因於殷礼、所損益可知也。其或継周者、雖百世亦可知也」
 子張(しちょう)問ふ「十世知るべきや」と。子の曰(のたま)はく「殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)り、損益する所は知るべきなり。周は殷の礼に因(よ)り、損益する所は知るべきなり。其(そ)れ或は周を継ぐ者(もの)は、百世と雖(いへど)も亦(また)知るべきなり」と。
 子張がたずねた。「十代先の未来は予測可能ですか」。先生は言われた。「殷は夏の礼を受け継ぎ、損益した所は分かっている。周は殷の礼を受け継ぎ、損益した所は分かっている。もし現在の周のあとを継ぐ王朝があらわれたとしても、百世代さきの未来も予測可能である」
 
★☆[参考]☆★  未来はすでに決まっているのか?
 宗教の未来認識は、おおむね二つに分かれる。
 一つは、未来永劫の歴史は、宇宙創生の瞬間にすでに全知全能の存在(神など)が決定済みであり、人間ごときがどうあがいても変更不可能である、とする「予定説」。
 もう一つは、未来の運命は未定なので、人間は努力によって未来の運命を変えうるという「因果(いんが)説」=「未定説」。
 大部分の宗教では、この二つの相矛盾する未来観を折衷した教義を採用している。
 宗教における未来観の分裂は、自然科学にも影響を与えた。
 
 宗教     自然科学の思考実験
「予定説」→古典物理学の「ラプラスの魔」
「未定説」→近代物理学の「シュレーディンガーの猫」
 
 古典物理学的な自然観では、すべての物体の位置や運動は完全に一つの値であらわされるとする。フランスの数学者ラプラス(一七四九ー一八二七)は「もし、ある瞬間の宇宙のすべての原子の位置と速さを知ることができるなら、未来の宇宙がどうなるかを解析学の力によって未来永劫の先まで知ることができるはずだ」という思考実験を行った。これをもとに、のちに「未来のすべてを知ることのできる存在、もしくはそのことによって、運命を操れる存在」を「ラプラスの魔」(Laplace's Devil )と呼ぶようになった。
 近代物理学的な自然観では、量子力学的な視点から、全ての現象は確率によってしか表現できない、つまり、未来はおろか現在すら実は一つに決定していない、とする。例えば、有名な思考実験「シュレーディンガーの猫」は、量子力学の「観測問題」の本質を極端な形で見事にえぐり出しパラドックスであると同時に、原子レベルのミクロの世界にかぎると思われた「確率による支配」が実は日常的な現象にも影響しうることを示す恐るべき思考実験でもある。
 孔子や孟子の未来観は「ラプラスの魔」の立場に近かったが、「シュレーディンガーの猫」の立場に近い未来観を説く中国人も多かった。
 
★☆[参考]☆★  
  あることはみんな天(そら)の書に記されて、
人の所業(しわざ)を書き入れる筆もくたびれて、
さだめは太初(はじめ)からすっかりさだまっているのに、
何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて!
ーー『ルバイヤート』
 
 
教育について
 
『論語』学而第一
 子曰「学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎」
 子の曰(のたま)はく「学びて時に之(これ)を習ふ、亦(ま)た説(よろこば)しからずや。朋(とも)有り、遠方より来たる、亦(ま)た楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子ならずや」と。
 先生は言われた。「学んだことを実践の機会に復習する。喜ばしいことじゃないか。友が遠方から訪ねてくる。楽しいじゃないか。人が分かってくれなくても気にしない。いかにも君子じゃないか」
『論語』為政第二
 子曰「吾十有五而志乎学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」
 子の曰(のたま)はく「吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲(ほっ)する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず」と。
 先生は言われた。「私は十五歳で学問に志し、三十で自立し、四十で惑わず、五十で天命を知り、六十で人の言葉に耳を傾けられ、七十にいたって心の欲(ほっ)するままに行動しても限度を越えぬようになった」
 
 
★☆[参考]☆★ 
満男「大学へ行くのは何のためかな」
寅さん「決まってるでしょう、それは勉強するためです」
満男「じゃあ、何のために勉強するの」
寅さん「そういうむずかしいことを聞くなと言ったろう。・・・・・・つまり、あれだよ、ほら、人間長いあいだ生きてりゃ色んなことにぶつかるだろう。そんな時に俺みたいに勉強してないやつは、振ったサイコロの出た目で決めるとかその日の気分で決めるよりしようがない。ところが、勉強したやつは自分の頭できちんと筋道を立てて、こういう時はどうしたらいいかなと考えることができるんだなあ。だからみんな大学へ行くんじゃねえか」
ーー映画『男はつらいよ』第四十作「寅次郎サラダ記念日」
 
 
細分化・専門化
  憐菊詩并序
加藤徹『丁卯集稿』
 白玄之際、腥朽之交。黄葉遍而如流、紅磚高而似仄。路隈有小園焉、祇見残菊一簇。金英幽馥、翠葉稍凋、玉露新霜、不留余?。嗚呼、僕一進国庠、五更裘葛。当年同学、強半弾冠。惟吾「楽以忘憂」、興而「忘食」。奈何。「幼童而守一芸、白首而後能言」。「静言思之」、与斯花其何異。遂憐同病、以賦小詩。曰
景物入冬孰最哀 残黄凛冽守庭栽 紫茎自直有人折 金粟猶香無蝶来 殷地羽声風到陌 満天余暎日沈台 憐君内美堪為殿 不与蘭桃一処開
 菊を憐れむの詩 序を并(あは)せたり 白玄(はくげん)の際、腥朽(せいきゅう)の交、黄葉遍(あまね)ねくして流るるが如(ごと)く、紅磚(こうせん)高くして仄(かたむ)くに似たり。路の隈(すみ)に小園有り、祇(ただ)だ残菊(ざんきく)一簇(いっそう)を見る。金英幽(かす)かに馥(かほ)り、翠葉(すいよう)稍(やうや)く凋(しぼ)む。玉露新霜、余?(よい)を留めず。
 嗚呼(ああ)。僕、一(ひと)たび国庠(こくしょう)に進みしより、五たび裘葛(きゅうかつ)を更(か)ふ。当年の同学、強半は弾冠(だんかん)す。惟(ただ)吾(われ)のみ「楽しみて以(もっ)て憂ひを忘れ」、興じて「食を忘る」。奈何(いかん)ぞ、「幼童にして一芸を守り、白首にして後(のち)、能(よ)く言ふ」とは。「静かに言(ここ)に之(これ)を思へば」、斯(こ)の花と其(そ)れ何ぞ異ならん。遂(つひ)に同病を憐み、以(もっ)て小詩を賦す。曰(いは)く、
 景物 冬に入(い)りて孰(いづ)れか最も哀しき
 残黄 凛冽(りんれつ)として 庭を守りて栽(う)はる
 紫茎(しけい) 自(おのづか)ら直(なほ)ければ 人の折(たを)る有らんも
 金粟(きんぞく) 猶(なほ)香(かんば)しきも 蝶の来(きた)る無し
 地に殷(どよ)もせる羽声(うせい) 風 陌(はく)に到り
 満天の余暎(よえい) 日 台に沈む
 君を憐(あは)れむ 内美(だいび)の殿(でん)と為(な)るに堪(た)ふるがゆゑに
 蘭桃(らんとう)と一処(いっしょ)には開かざるを
 秋と冬の色とにおいが交錯する季節。一面に散りしきる銀杏の黄葉は秋風に流れるようで、青空にそびえたつ赤煉瓦の校舎は傾いているほど高い。道のすみに小さな花壇がある。枯れかけた菊の花が、ひっそりと、ひとかたまり残っているだけだ。黄金色の花びらにはかすかに香り、葉はしぼみかけている。冷たい露や霜は、菊以外の花を淘汰してしまった。
 思い返せば、大学に入ってから、もう五年になる。昔の同級生たちは、大半が学部で卒業し、就職して世に出ていった。私は孔子ではないが、学問を「楽しんで心配事も忘れて」大学院にすすみ、面白がって「食事も忘れる」。いかんせん、文学研究の宿命は晩成である。『漢書』芸文志(げいもんし)に「幼童のころから一分野を専攻しつづけ、白髪頭になってやっと一人前の発言ができる」というとおり。『詩経(しきょう)』の句のように「静かに言(ここ)にこれを思う」と、私とこの枯れかけた菊の花は、なんと、同じような境遇ではないか。そこで同病あい憐れんで、つまらぬ詩をよんだ。いわく。
 冬にはいって、いちばん寂しい景色はなんだろうか
 やはり、老いた菊の花が花壇を守るように、凛として残っているさまだろう
 菊のくきはまだまっすぐである 誰かに折られてしまうかもしれないが
 花はまだ青春の余香をはなっている もう蝶は来ないというのに
 地平線の果てから冬の音が 風にのって街頭に届いてきた
 大空を真っ赤な悔恨の色にそめて 日はビルの海に沈んでゆく
 菊の花よ、もし君に花の一族のしんがりをつとめる資質がなかったなら
 春の光のなかで、蘭や桃の花といっしょに咲くことができたろうに
 
 
適材適所
 
★☆[参考]☆★  積つた雪
 
   上の雪
   さむかろな。
   つめたい月がさしてゐて。
 
   下の雪
   重かろな。
   何百人ものせてゐて。
 
   中の雪
   さみしかろな。
   空も地面(ぢべた)もみえないで。
ーー金子みすヾ
 
 
★☆[参考]☆★  (前略)少なくとも太平洋戦争までの一戦場の帰趨は、ひとにぎりの勇敢な戦士によって決せられることが多かった。全体の力もさることながら、一人または二、三人の行動が、勝敗の端緒をつくった。
ーー藤崎武男『歴戦1万5000キロ』「鄭州城に突入」
 
 
無用の用
 
★☆[参考]☆★   雨ニモマケズ / 風ニモマケズ /(中略)/ 南ニ死ニサウナ人アレバ / 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ /(中略)/ ミンナニデクノボートヨバレ / ホメラレモセズ / クニモサレズ / サウイフモノニ / ワタシハナリタイ
ーー宮沢賢治の手帳より
 
 
世に出る
 
  千里(せんり)の馬は常に有れども
   伯楽(はくらく)は常には有らず
韓愈(かんゆ)「雑説(ざっせつ)」
 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。馬之千里者、一食或尽粟一石。食馬者、不知其能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見。且欲与常馬等、不可得。安求其能千里也。策之不以其道。食之不能尽其材。鳴之不能通其意。執策而臨之曰「天下無良馬」。嗚呼、其真馬無耶、其真不識馬耶。
 世(よ)に伯楽(はくらく)有(あ)りて、然(しか)る後(のち)に千里(せんり)の馬(うま)有り。千里の馬は常(つね)に有れども、伯楽は常には有らず。故(ゆゑ)に名馬有りと雖(いへど)も、祇(ただ)に奴隷人(どれいじん)の手に辱(はづか)しめられ、槽櫪(そうれき)の間(かん)に駢死(べんし)して、千里を以(もっ)て称せられざるなり。馬の千里なる者(もの)は、一食に或(あるひ)は粟一石(ぞくいっこく)を尽(つく)す。馬を食(やしな)ふ者(もの)は、其(そ)の能(よ)く千里なるを知らずして食(やしな)ふなり。是(こ)の馬や、千里の能有りと雖(いへど)も、食飽(しょくあ)かず、力足(ちからた)らず、才の美は外に見(あら)はれず。且(か)つ常馬と等しからんと欲(ほっ)するも得(う)べからず。安(いづく)んぞ其の能(よ)く千里なるを求めんや。之(これ)を策(むち)うつに其の道を以てせず。之を食(やしな)ふに其の材を尽す能はず。之に鳴(いなな)けども其の意を通ずる能(あた)はず。策を執(と)りて之に臨みて曰(いは)く、「天下に良馬無し」と。嗚呼(ああ)、其れ真(まこと)に馬無きか、其れ真に馬を識(し)らざるか。
 この世に伯楽(馬の名鑑定家)がいて、そのあとに千里の馬があらわれる。千里の馬は、いつでも、どこにでもいる。だが伯楽は、どこにでもいるわけではない。だから名馬がいても、ただ奴隷の手で侮辱を受けるだけで、飼いばおけの間で一生ほかの駄馬といっしょくたにされ、千里の馬という名声を得られぬまま死ぬのだ。
 一日千里も走れる名馬ともなれば、一回の食事で穀物を一石(いっこく)ほども食べ尽くしてしまう。だが馬を養う者は、それが千里の馬だと気づかぬまま、普通の食事量で飼育してしまう。その馬は、千里を走る能力があるのに、食事が足りぬので力を出せず、才能を外面にあらわすことができない。のみならず、普通の馬ほどの能力も発揮できないのである。こんな不遇な状況下で、どうしてその馬に千里を走ってみろと要求できようか。できはしない。
 馬にムチを当てるやりかたを、わきまえていない。馬の才能を存分に引き出すような食事の与えかたを知らない。馬が悲しげにいなないて訴えかけても、馬の気持ちがわからない。そんな人間にかぎって、手にムチをもって馬にむかい「天下に良馬はいないのう」などとうそぶくのだ。ああ、本当に良馬はいないのだろうか。それとも、本当に馬が見分けられぬのだろうか。
 
 
人間関係
 
  蚤蝨(そうしつ)の細(さい)なる者
『韓非子(かんぴし)』説林(ぜいりん)上
 子圉見孔子於商太宰。孔子出。子圉入、請問客。太宰曰「吾已見孔子、則視子猶蚤蝨之細者也。吾今見之於君」。子圉恐孔子貴於君也、因謂太宰曰「君已見孔子、亦将視子猶蚤蝨也」。太宰因弗復見也。
(書き下し文、省略)
 孔子(こうし)が就職先を探して、諸国を流浪(るろう)していたころのこと。 子圉(しぎょ)は、孔子を宋(そう)(古代の商王朝=殷(いん)の子孫の国)の宰相(さいしょう)に会わせた。孔子が引見を終えて退出すると、子圉が入ってきて、宰相に孔子の印象をたずねた。宰相は答えた。
「すばらしい大人物だ。彼を見たあとで君を見ると、君がノミかシラミのように小さく見える。さっそく、孔子をわが君に会わせようと思う」
 子圉は、孔子が君主に重用されれば自分の影が薄くなると思い、宰相に言った。
「わが君が孔子を見たあとであなたを見たら、きっと、あなたもノミとかシラミのように見えるのでしょうね」
 宰相は孔子を主君に会わせなかった。
 
 
文化と文明
 
 ☆[考えてみよう]☆ 中華思想とはなんでしょう?
 
  多元文化
『列子』湯問(とうもん)第五
 南国之人祝髮而裸、北国之人鞨巾而裘、中国之人冠冕而裳。九土所資、或農或商、或田或漁。如冬裘夏葛、水舟陸車。默而得之、性而成之。
 越之東有輒沐(輒休)之国、其長子生、則鮮而食之、謂之宜弟。其大父死、負其大母而棄之、曰鬼妻不可以同居処。
 楚之南有炎人(啖人)之国、其親戚死、?其肉而棄之、然後埋其骨、迺成為孝子。
 秦之西有儀渠之国者、其親戚死、聚柴積而焚之。燻則煙上、謂之登遐、然後成為孝子。
 此上以為政、下以為俗、而未足為異也。
(書き下し文、省略)
 南の国の人々は、髪形はざんぎり髪で、裸である。北の国の人々は毛織の頭巾をかぶり毛皮を着ている。「中国」の人々は、冠をかぶりズボンをはいている。その中国にも九つの州があり、農業・商業・狩猟業・漁業などいろいろな産業が栄えている。人々は冬には毛皮を着て、夏には葛のかたびらを着る。水上では船を使い、陸上では車を使う。これらは、別に誰からも教わったわけではなく、生まれながらにそうやりこなしているのである。
 南の越の国の東の方に、チョウキュウという国がある。その国の風習として、長男が生まれると、まだ子供のうちに五体をバラバラにして食べてしまう。この風習を「宜弟」と呼ぶ。弟の成長によいと信じられているのである。また祖父が死ぬと、祖母を背負って山の中に捨ててしまう。死者の妻とはいっしょに住めない、と信じられているのである。
 また、楚の国の南の方に、タンジンという国がある。そこでは父や母が死ぬと、死体の肉を腐らせてそれを棄ててしまい、骨だけにしてからその骨を地中にうずめる。こうしてはじめて、立派な孝行息子だと言ってもらえる。
 また、秦の国の西の方にギキョという国がある。そこでは父や母が死ぬと、たきぎを山のように高く積み上げて、死体を焼いてしまう。死体がくすぶって煙があがると、魂が天に昇った、と見なす。こうしてはじめて、立派な孝行息子だと言ってもらえる。
 これらの国々では、上に立つものもこのように政治を行い、下の人民もそれを風俗としているのである。なにも別に不思議がることはないのである。
 
★☆[参考]☆★  漢文に出てくる「中国」という語は「中原(ちゅうげん)」の類義語であり、現代語の「中国」の意味ではありません。「中国」が現代と同じく「世界の中心の国である」という国粋的なニュアンスをもつ国名として使用されるようになるのは、二十世紀になってからです。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 古代中国人は、はるかインドやアラスカのことも知っていたのでしょうか?
 
  三つの国
『列子』周穆王(しゅうぼくおう)第三
 西極之南隅有国焉。不知境界之所接、名古莽之国。陰陽之気所不交、故寒暑亡辨。日月之光所不照、故昼夜亡辨。其民不食不衣而多眠。五旬一覚、以夢中所為者實、覚之所見者妄。
 四海之斉謂中央之国、跨河南北、越岱東西、万有余里。其陰陽之審度、故一寒一暑。昏明之分察、故一昼一夜。其民有智有愚。万物滋殖、才芸多方。有君臣相臨、禮法相持。其所云為、不可稱計。一覚一寐、以為覚之所為者實、夢之所見者妄。
 東極之北隅有国曰阜落之国。其土気常燠、日月余光之照。其土不生嘉苗。其民食草根木實、不知火食、性剛悍、強弱相藉、貴勝而不尚義。多馳?、少休息、常覚而不眠。
(書き下し文、省略)
 世界の西のはての南のすみに、ひとつの国がある。この国は隣の国との境界もはっきりとせず、古莽(こもう)の国と呼ばれている。この国には暑さと寒さとか、昼とか夜などの区別も無い。住民たちは、飯も食わず着物も着ずに眠ってばかりいて、五十日に一度だけ目をさます。そして夢の中でおこったことが真実で、目がさめているときに見たことは虚妄であると信じている。
 世界の中央にあたるところに「中央之国」がある。この国は黄河の南北にまたがり、泰山の東西にまで広がっていて、その広さは一万里あまり四方ほどある。ここでは寒さと暑さの季節が互いに入れ替わり、太陽と月の区別がはっきりしているので、昼と夜が互いに交代する。住民たちのなかには利口と馬鹿の差があるが、万物はよく繁殖し、住民は多方面にわたって才能を発揮している。また君臣上下の別があり、相互にむかいあって、礼儀と法制で秩序を維持している。言論や行動はさまざまで、数えきれない。住民は睡眠と覚醒をくりかえすが、目がさめているときにあったことが真実で、夢のなかであったことが虚妄だと思っている。
 世界の東のはての北のすみに、ひとつの国がある。皐落(こうらく)の国と呼ばれる。この国の気象はいつも温暖で、太陽や月がしずんだあとも余光がまだ明るい。この国では穀物などの上等な作物は取れず、住民たちは草の根や木の実を常食とし、煮炊きして料理することを知らない。住民の性質はあらあらしく、弱肉強食の世界で、正義を重んじない。住民はいつも忙しそうに走りまわり、ほとんど休息せず、いつも起きていて眠るということを知らない。
 
 
政治について
 
  ☆[考えてみよう]☆ 国家の適正サイズは、どのくらいでしょう?
 
  小国寡民(しょうこくかみん)
『老子』第八十章
 小国寡民、使有什伯之器而不用、使民重死而不遠徙。雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使人復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗。隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往来。
 小国寡民(かみん)には、什伯(じゅうはく)の器(うつは)有りて而(しか)も用(もち)ゐざらしめ、民(たみ)をして死を重んじて而(しか)うして遠くに徙(うつ)らざらしむ。舟輿(しゅうよ)有りと雖(いへど)も、之(これ)に乗る所無く、甲兵(こうへい)有りと雖も、之(これ)を陳(つら)ぬる所無し。人をして復(ま)た結縄(けつじょう)して之(これ)を用ゐしめ、其(そ)の食(しょく)を甘(あま)しとし、其(そ)の服を美とし、其(そ)の居(きょ)に安(やす)んじ、其(そ)の俗を楽しましむ。隣国相望(あひのぞ)み、鶏犬(けいけん)の声(こゑ)、相聞(あひきこ)ゆれども、民、老い死するに至るまで、相(あひ)往来せず。
 国を小さくし民も少なくする。軍隊の兵器はあっても使わないようにさせ、民に死を重んじて遠くに移動させぬようにする。舟や車はあっても乗ることがなく、鎧や兵器があっても陳列する機会もないようにする。結縄(けつじょう)を復活させ人間を無文字時代に帰らせ、自分の食事をうまいと思い、自分の服を美しいと思い、自分の居場所に満足し、自分の日常を楽しむようにさせ、隣の国どうしが互いに見えて鶏や犬の声が互いに聞こえても、民が死ぬまで国境を往来することがないようにさせる。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 歴史上、戦争と平和が周期的に交代したのは、なぜでしょう?
 
経済成長の限界と文明の崩壊
『韓非子』五蠧(ごと)
 宋人有耕田者。田中有株。兎走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身為宋国笑。今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。
 宋人(そうひと)に田(はたけ)を耕す者(もの)有り。田の中に株(かぶ)有り。兎(うさぎ)、走りて株に触れ、頸(くび)を折りて死す。因(よ)りて其(そ)の耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得んことを冀(こひねが)ふ。兎、復(ま)たは得(う)べからずして、身は宋国(そうこく)の笑ひと為(な)る。今、先王(せんのう)の政を以(もっ)て当世の民を治めんと欲(ほっ)するは、皆、株を守るの類(たぐひ)なり。
 宋の国で、ある人が畑を耕していた。畑のなかに木の切り株がのこっていた。ウサギが走ってきて、偶然、その切り株にぶつかり、首の骨を折って死んだ。その人は、そこで鋤を捨てて切り株をじっと見守り、ウサギが手に入るという偶然の幸運がもう一度おとずれるのを、切に願った。しかし、もちろんそんな偶然の幸運が重なるはずもなく、ウサギは二度と手に入らなかった。彼は宋の国じゅうの笑いものになった。
 まだ文明化がすすんでいなかった大昔、いわゆる先王の政治がたまたま成功し、世の中はよく治まった。それを理想化して、現代社会の人民も昔ふうのやりかたで治めるべきだと主張する愚か者たち(儒者)がいる。実はみな、この株を見守るのと同じ類なのである。
(前の段の続き)
 古者丈夫不耕、草木之実足食也。婦人不織、禽獣之皮足衣也。不事力而養足、人民少而財有余。故民不争、是以厚賞不行、重罰不用、而民自治。今人有五子不為多、子又有五子、大父未死而有二十五孫。是以人民衆而貨財寡、事力労而供養薄。故民争、雖倍賞累罰、而不免於乱。
 古(いにしへ)は丈夫(じょうふ)耕さず。草木の実、食(くら)ふに足(た)るなり。婦人も織らず。禽獣(きんじゅう)の皮、衣(き)るに足(た)るなり。力を事とせずして養ふこと足(た)り、人民少くして財余り有り。故(ゆゑ)に民は争はず、是(ここ)を以(もっ)て厚賞行はれず、重罰用ゐられず、而(しか)も民は自(おのづか)ら治まる。今人(こんじん)、五子有るは多しと為(な)さず。子に又五子有れば、大父(たいほ)未(いま)だ死せずして二十五孫有らん。是(ここ)を以(もっ)て人民衆(おほ)くして貨財寡(すくな)く、力労を事として供養薄し。故(ゆゑ)に民は争ふ。賞を倍し罰を累(かさ)ぬと雖(いへど)も、乱より免(まぬか)れず。
 昔は、成人男性は農耕をしなかった。草木の実を採取すれば食料は足りたからである。婦人も布を織らなかった。トリやケモノの皮を着れば足りたからである。労働につとめなくても生活は足りたし、人口が少なかったから物財にも余裕があった。だから人々は争わなかった。こういうわけで、手厚い賞与も重い刑罰もつかわずに、人々は自然に治まったのである。現代は違う。一組の夫婦が五人の子を生むのは、多いとはいえない。それぞれの子がさらに五人ずつ子を生めば、祖父がまだ死なぬうちに二十五人も孫ができることになる。こういうわけで、人口が幾何級数的に増加するのと反比例して、一人あたりの物財は減少する。労働量は増えるのに、供給が減ってしまう。かくて人々は争う。たとえ賞与を二倍にしようと、逆に刑罰を重くしようと、混乱は不可避なのだ。
 
 
 ☆[考えてみよう]☆ 明治政府に反逆した西郷隆盛の銅像が、なぜ上野に立っているのでしょう? 「殉教者(じゅんきょうしゃ)を殺して、その墓をかざる」とは、どういう意味でしょう?
 
  [漢詩] 詠四十七士 四十七士(しじゅうしちし)を詠(えい)ず 
広島藩 坂井華(虎山)
若使無茲事    若(も)し茲(こ)の事無からしめば
臣節何由立    臣節(しんせつ)何に由(よ)りてか立たん
若常有此事    若(も)し常に此(こ)の事有らば
終将無王法    終(つひ)に将(まさ)に王法無からんとす
王法不可廃    王法は廃すべからず
臣節不可已    臣節は已(や)むべからず
茫茫天地古今間  茫茫(ぼうぼう)たる天地古今(ここん)の間(かん)
茲事独許赤城士  茲の事独(ひと)り許す赤城(せきじょう)の士(し)
 
 
戦争について
 
★☆[参考]☆★  現代の陸軍の編成
  単位       指揮官           兵数
分隊 squad
小隊 platoon
中隊 caompany
大隊 battalion
連隊 regiment
旅団 brigade
師団 division
軍団 corps
軍曹(ぐんそう) sergeant
少尉(しょうい) second lieutenant
大尉(たいい) captain
少佐(しょうさ) major
大佐(たいさ) colonel
准将(じゅんしょう) brigadier general
少将(しょうしょう) major general
中将(ちゅうじょう) lieutenant general
十人前後
三十〜四十人
百二十人前後
四百〜五百人
二千人前後
数千人
一万数千人
数万人
 
 
戦略・戦術・戦闘術
 
  百戦百勝よりも不戦必勝を
『孫子』謀攻第三
 孫子曰、凡用兵之法、全国為上、破国次之。全軍為上、破軍次之。全旅為上、破旅次之。全卒為上、破卒次之。全伍為上、破伍次之。是故百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也。
 孫子曰(いは)く、凡(おほよ)そ用兵の法は、国(くに)を全(まった)うするを上(じょう)と為(な)し、国を破るは之(これ)に次(つ)ぐ。軍を全うするを上と無し、軍を破るは之(これ)に次ぐ。旅(りょ)を全うするを上と無し、旅を破るは之(これ)に次ぐ。卒(そつ)を全うするを上と為(な)し、卒を破るは之(これ)に次ぐ。伍(ご)を全うするを上と無し、伍を破るは之(これ)に次ぐ。是(こ)の故(ゆゑ)に、百戦百勝は、善の善なる者(もの)に非(あら)ざるなり。戦はずして人の兵を屈す、善の善なるものなり。
 戦争の原則。国の保全が最高で、国を破るのは二番目である。軍(軍隊の編成単位。周の制度では兵力一万二千五百人)の保全が最高で、軍を破るのは二番目である。旅(五百人)の保全が最高で、旅を破るのは二番目である。卒(百人)の保全が最高で、卒を破るのは二番目である。伍(五人)の保全が最高で、伍を破るのは二番目である。それゆえ、百戦百勝は最高の勝利とはいえない。戦わずに敵の戦意をねじふせることこそ、最高の勝利である。
 
 
  囲師(いし)には必ず闕(か)く
『孫子』軍争篇第七
 故用衆之法、高陵勿向、倍丘勿迎、佯北勿従、囲師遺闕、帰師勿遏。此用衆之法也。
 故(ゆゑ)に衆(しゅう)を用(もち)うるの法(ほう)は、高陵(こうりょう)には向(むか)ふ勿(なか)れ、倍丘(ばいきゅう)には迎(むか)ふる勿(なか)れ、佯(いつは)り北(に)ぐるには従(したが)ふ勿(なか)れ、囲師(いし)には闕(か)くるを遺(のこ)し、帰師(きし)には遏(とど)むる勿(なか)れ。此(こ)れ衆を用うるの法なり。
 軍隊を動かすときの原則。高地に陣取る敵は攻撃するな。高地を背に陣取る敵は迎撃するな。敗走するふりをする敵を追撃するな。敵を包囲するときは、わざと敵に逃げ道を残しておけ。帰国途上の敵を阻止しようとするな。これらが、軍隊を動かす原則である。
 
 
★☆[参考]☆★ 
  生兵法(なまびょうほう)は怪我(けが)のもと               ーー俗諺(ぞくげん)
 
  三十六計、逃げるにしかず
『兵法三十六計』より
瞞天過海(まんてんかかい)   天(てん)を瞞(あざむ)きて海を過(わた)る
囲魏救趙(いぎきゅうちゅう)   魏(ぎ)を囲(かこ)みて趙(ちょう)を救ふ
借刀殺人(しゃくとうさつじん)   刀を借りて人を殺す
以逸待労(い いつたいろう)   逸(いつ)を以(もっ)て労(ろう)を待つ
趁火打劫(ちんか だきょう)   火に趁(つけこ)んで劫(おしこみ)を打(はたら)く
声東撃西(せいとうげきせい)   東に声して西を撃つ
無中生有(むちゅうしょうゆう)   無の中に有を生ず
暗渡陳倉(あんと ちんそう)   暗(ひそ)かに陳倉(ちんそう)を渡る
隔岸観火(かくがんかんか )   岸を隔てて火を観(み)る
笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)   笑ひの裏(うち)に刀を蔵(かく)す
李代桃僵(りだいとうきょう)   李(すもも)、桃に代(かは)りて僵(たふ)る
順手牽羊(じゅんしゅけんよう)   手に順(したが)ひて羊を牽(ひ)く
打草驚蛇(だそうきょうだ)   草を打ちて蛇を驚かす
借屍還魂(しゃくしかんこん)   屍(しかばね)を借りて魂を還(かへ)す
調虎離山(ちょうこりざん)   虎(とら)を調(ちょう)して山を離れしむ
欲擒姑縦(よくきんこしょう)   擒(とら)へんと欲(ほっ)すれば姑(しばら)く縦(はな)つ
抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)   磚(せん)を抛(なげう)ちて玉を引(ひ)く
擒賊擒王(きんぞくきんおう)   賊(ぞく)を擒(とら)ふには王を擒ふ
釜底抽薪(ふていちゅうしん)   釜(かま)の底(そこ)より薪(たきぎ)を抽(ぬ)く
混水摸魚(こんすいぼぎょ)   水を混(こん)して魚を摸(とら)ふ
金蝉脱殻(きんせんだっかく)   金蝉(きんせん)、殻(から)を脱(ぬ)ぐ
関門捉賊(かんもんそくぞく)   門を関(とざ)して賊を捉(とら)ふ
遠交近攻(えんこうきんこう)   遠(とほ)きと交(まじは)り近きを攻む
仮道伐?(かどうばっかく)   道を仮(か)りて?(かく)を伐(う)つ
偸梁換柱(ちゅうりょうかんちゅう)  梁(はり)を偸(ぬす)みて柱を換(か)ふ
指桑罵槐(しそうばかい)   桑(くわ)を指(さ)して槐(えんじゅ)を罵(ののし)る
仮痴不癲(かち ふてん)   痴(ち)を仮るも癲(てん)せず
上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)   屋(おく)に上げて梯(はしご)を抽(ぬ)く
樹上開花(じゅじょうかいか)   樹上に花を開く
反客為主(はんかく いしゅ)   客を反(かへ)して主と為(な)る
美人計(びじんけい)    美人の計
空城計(くうじょうけい)    空城の計
反間計(はんかんけい)    反間の計
苦肉計(くにくけい)    苦肉の計
連環計(れんかんけい)    連環の計
走為上(そういじょう)    走るを上(じょう)と為(な)す
 
 
★☆[参考]☆★  左は、インターネット上でもよく見かける漢文の古典の英語名です。それぞれの日本語名は何でしょうか?
 "The Analects", by Confucius
 "Tao Te Ching" (or "Tao Te King"), by Lao Tze
 "Chuang Tse" or "Chuang Tsu"
 "The Art of War", by Sun Tsu
 "Hokekyo"(or "Lotus Sutra","Saddharma Pundarika Sutram")
ーー答えは授業で発表。

[付記] 本ページの作成にあたっては、
 
GIF ANIMATION GALLERY(GIFアニメーション)
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