以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=8820887より引用。閲覧日2026年7月2日。引用開始
香港は、英国と中国という二つの大国のはざまで、独自の歴史と文化を育んできました。本講座では、1793年に英国使節マカートニーが清朝の乾隆帝に謁見した挿話から説き起こし、1842年のアヘン戦争後の香港割譲、1941年の日本軍による占領、そして1997年の香港返還まで、約200年にわたる激動の歴史を、豊富な図版を用いてわかりやすく解説します。さらに、香港の武侠小説『射G英雄伝』や香港映画にも触れながら、香港人の矜持やアイデンティティー意識がどのような歴史の中で形成されてきたのかを探ります。(講師・記)
朝日カルチャーセンター新宿教室 2026/7/4 土曜 10:30〜12:00
教室でもオンライン(Zoomウェビナー)でも受講できる自由選択講座です。
香港(ホンコン) Xianggang/Hong Kong
中国南部の広東省と地続きの九竜半島と香港島および周辺の島々からなる地域。 150余年にわたりイギリス領植民地となっていたが,1997年に中国に返還されて中国の特別行政区となった。 イギリスは,南京条約(1842年)と北京条約(1860年)で清朝政府に香港島と九竜半島の先端部を割譲させ, さらに1898年新界と呼ばれる九竜半島のつけ根の部分と周辺の島々を99年間租借することによって香港を植民地とした。 香港は,まず中国の産品を東南アジアや欧米に,また欧米の工業製品と東南アジアの産品を中国に再輸出する中継貿易港として発展した。 第二次世界大戦中,一時日本の占領下に置かれたが,戦後は,工業化を進めて海外から原材料を買い,加工した香港製品を輸出する加工貿易港に転じた。 また1970年代には国際金融センターとして発展した。香港が植民地にもかかわらず,このように発展することができたのはイギリス型の自由貿易や自由放任主義的な経済運営が行われたからだとみられている。
香港 ホンコン Xiānggǎng
中国広東省南東部,珠江の河口にある小島
1842年の南京条約によってイギリス領となり,港市ヴィクトリア市が建設された。 1860年の北京条約でイギリス領となった九竜市,98年に租借地(99か年)となった新界などの後背地とあわせて,イギリスのアジア進出の根拠地となった。 20世紀前半には,革命派や民主的知識人らの拠点としての役割を果たし,中華人民共和国の成立後もイギリス領として産業・貿易を大いに発展させて,アジアNIESの1つに数えられた。 1984年北京で香港返還協定がイギリス・中国間で結ばれた。これにしたがい1997年7月1日中国への返還が実現し,一国家二制度を原則として50年間の資本主義制度を維持する特別行政区となった。
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イギリス国王ジョージ3世は、中国との貿易を拡大するため、外交使節としてジョージ・マカートニーを清へ派遣した。当時の中国は乾隆帝(asahi20210408.html#05)の時代だった。
イギリス側は新しい港を開港して貿易を拡大すること、貿易制度を改善することなどを求めた。しかし乾隆帝は旧来の海禁政策と朝貢体制に固執し
「中国は地大物博なので外国の品物を必要としない」として、貿易を拒んだ。 この会見では、清朝では外マカートニーに対して「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」の礼を求めたが、マカートニーはイギリス国王に対して行うのと同じ片膝をつく礼のみを主張するなど、 儀礼も問題になった。会見は友好的に終わったものの、両国の考え方の違いは埋まらなかった。 |
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1982年9月、イギリス首相マーガレット・サッチャーと、中国の最高実力者・ケ小平(asahi20210114.html#06)は、北京で香港返還問題をめぐって会談した。 サッチャーは、香港の繁栄と安定のためには、1997年の新界租借期限後もイギリスが行政権を維持することが望ましいと主張。 当時のイギリスはフォークランド紛争での勝利を背景に強気だった。 これに対しケ小平は香港全域の返還を強く求め「返還が実現しない場合には、武力行使も排除しない」とまで伝えた。 1982年9月24日、北京の人民大会堂でケ小平との会談を終えたサッチャーは、人民大会堂の階段で足を滑らせて転倒した。 この映像は世界中に報じられ、中国では「大英帝国の時代の終わりを象徴する出来事」として語られることが多い。 しかし、転倒の原因が交渉の精神的衝撃によるものであったことを示す証拠はなく、サッチャー自身は滑りやすい靴が原因であったと説明している。 その後の交渉を経て、1984年に中英共同声明が調印され、1997年7月1日に香港全域を中国へ返還することが決定された。同時に、中国は返還後50年間、香港の資本主義体制と高度な自治を維持する「一国二制度」を実施することを約束した。 |