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講演会 知られざる琉球芸能
唐躍(とうおどり)のヒミツ

最新の更新2026年2月21日   最初の公開2026年2月19日

  1. 概要
  2. 「唐躍」とは?
  3. 唐躍の復元上演プロジェクト
  4. もっと知りたい人のために

日時 2026年02月23日(月・祝日)
       開場:13:30  開演:14:00  終演:15:30
会場 沖縄県立博物館・美術館講座室
       〒900-0006 沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
入場無料、予約不要
詳細はhttps://www.piratsuka.com/detail/850924



https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nY5hW2SauuJXjq4SC5keun



以下、主催者(玉城流いずみ会)が作成したチラシより引用。引用開始
沖縄には琉球舞踊や組踊、獅子舞や綱引きなど
たくさんの伝統芸能がありますが
琉球王国時代に「唐躍(とうおどり)」という
芸能があった
のを知っていますか?
Eテレ「
中国語!ナビ」で毎週活躍されている
加藤徹先生をお招きして
知られざる琉球芸能「唐躍」についてくわしく語って頂きます
琉球士族が演じていた中国劇?
言葉は? 衣装は? どんな演目?
琉球王国の崩壊とともに消えてしまった幻の芸能を
楽しく学んでみませんか?
引用終了
https://x.com/katotoru1963/status/2002900525080350893

【拡散希望】沖縄県那覇市おもろまちで講演兼講座。入場無料、予約不要です。
「知られざる琉球芸能 唐躍(とうおどり)のヒミツ」
講師 加藤徹
日時 2026年2月23日(月)14:00〜15:30
会場 沖縄県立博物館・美術館講座室
詳細・お問合せ先は https://t.co/5l9tC89UYQ
をどうぞ。 pic.twitter.com/nyLvSPxwtI

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) December 22, 2025
[一番上]



★「唐躍」とは?
 唐躍は、琉球王国時代の中国風の宮廷歌舞劇である。近代以降は上演や伝承が絶え、幻の琉球芸能となった。ただ、上演記録や脚本、絵図などの資料が部分的に残っており、現在、復元上演が進められている。
以下は、1832年に江戸で上演された唐躍の絵図。詳しくは
こちらをクリック
打花鼓


和番


風箏記


★漢字の意味
「唐(とう)」は、中国や中国唐代だけを指す言葉ではない。日本各地に残る、江戸期の朝鮮通信使の行列をまねた芸能「唐人行列」「唐人踊り」の「唐人」も、中国人という意味ではなく、外国人、くらいの意味であった。
「躍」も「踊」も「おどり」だが、漢字のニュアンスが違う。踊は舞踊だが、躍は跳躍など躍動感がより強い。
 なお、沖縄県勝連町津堅島で旧暦8月9日から15日まで踊られる「唐踊」(とうおどり)  https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-42235.html は、琉球王国の宮廷演劇「唐躍」とは全くの別物である。

★外交と宮廷芸能
 琉球は、1372年に明の洪武帝の招諭を受けて行われた中山王察度の入貢から、1875年に明治政府により清への進貢が禁止されるまで、中国皇帝の使節(冊封使)が定期的に来るなど、「政治的な外交」と「文化的な儀礼」が、大きな意味を持った。
 例えば「組踊」の起源も外交と深い関係がある。組踊の創始者・玉城朝薫は生涯で薩摩へ5回、江戸へ2 回おもむき、能楽などの大和芸能にも精通した。玉城朝薫は1718年、御冠船踊(おかんせんおどり/うかんしんうどぅい)の踊奉行に任命され、翌19年の冊封使歓待の重陽之宴で、初めて組踊を上演した。演目は朝薫の作「二童敵討」(護佐丸敵討)と「執心鐘入」の二番。朝薫はこの他に「銘苅子」「女物狂」「孝行の巻」も創作し、その年の冊封使をもてなす宴で上演された。あわせて「朝薫の五番」と呼ばれる。
 この組踊には、琉球や日本、中国などの芸能を研究した成果が生かされている。
 さて、冊封使を迎える外交では、芸能が不可欠だった。那覇から首里までの道程と芸能の関係を言うと、

@ 那覇(港)…到着と行列
路次楽(るじがく)
屋外・移動の音楽。行列の威容をつくり、にぎやか。

A 首里(宮廷)…儀礼の中心
御座楽(うざがく)
屋内・座奏の宮廷音楽。儀礼や宴席の基盤となる。

B 宴席…祝賀の見せ場
唐躍(とうおどり)
中国風で華やか。祝賀性が高く、外交的な演出に向く。

C 舞台…格式の頂点
組踊(くみおどり)
琉球の「文化国家」のレベルを示す。琉球芸能の極致。


★琉球王国滅亡後
 これらの一連の芸能の運命は、1879年の琉球王国の滅亡後に明暗が分かれた。
 路次楽は野外の音楽で、民衆との親和性も比較的高かったため郷土芸能化し、沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の湧川(わくかわ)などで伝承された。
 組踊は琉球文化の粋として、冊封の宴以外の場でも士族階級のたしなみとして広まり、琉球王国滅亡後は庶民の娯楽として興業芸能として生き残った。1972年には国の重要無形文化財に指定され、2010年11月にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
 これと対照的に、琉球王国の国際性をアピールする宮廷芸能であった御座楽と唐躍は、明治維新後の日中関係の変化や、もともと民衆から縁遠い芸能であったことも理由となり、幻の芸能となった。現在、復元のための研究とプロジェクトが進められている。

★芝居なのに「おどり」である唐躍
 琉球舞踊は大きく に整理される。

御座楽と琉球舞踊のコラボ
 唐躍は、中国演劇を土台に琉球化した宮廷舞踊劇で、異国情緒あふれる宮廷の祝宴劇であり、本来は組踊と双璧をなす琉球外交の華という位置づけであった。
 唐躍は沖縄の楽劇文化の「ミッシング・リンク」である。歴史的には「中国劇→唐躍→組踊の要素の一部」という流れが存在した。 唐躍を研究・復元上演することは、琉球王国の文化を知ることでもある。
 「唐躍のヒミツ」を知ると、組踊の魅力がいっそう鮮やかに浮かび上がる。
 以下、犬飼公之 『琉球組踊 玉城朝薫の世界』(瑞木書房、2004)より引用。引用開始
 結論から言えば,琉球王府と朝薫は冊封使を歓迎するにあたって,中国の伝統的な「天子の大宴」を意識したに違いない。そしてまた,そこで催されていた「戯」(戯劇)を思い描いたであろう。 王府と朝薫はそうした大宴に倣い,同時に,琉球王国の威信をかけて「戯」(戯劇)を制作し,上演しようとしたのではないか。 (中略)組踊は一八世紀の琉球に花開いた独自の歌舞劇である。それは琉球芸能の伝統を基盤とし,琉球と中国と日本のかかわりのなかで生まれでた芸能であった。 組踊は独自性と多国籍性をかねそなえた芸能であって,それをいかに読み取り,どう評価するかが,組踊の誕生と特質をとらえるうえで重要な課題となる。 (中略)組踊は中国歌舞劇の影響をうけつつ,琉球独自の展開をなしとげたのであろう。矢野氏がいうように組踊は京劇以前の中国古典劇の影響をうけたとみるべきで,崑劇や閩劇を踏まえた比較研究が進められなければならないであろう。
引用終了
 つまり組踊を語るうえで「中国の崑劇や閩劇→唐躍→組踊」という流れを無視すべきではない、ということである。
 琉球王国はしたたかだった。「唐躍のヒミツ」を知ると、踊奉行をはじめ琉球人の頭の良さに、あらためて驚く(後述)。
 

★江戸立ち(江戸上り)との関係
 1609年の薩摩の支配以降、琉球は日本(薩摩)と中国(明・清)を相手とする高度な二重外交を行った。

 日本側(薩摩藩、江戸幕府)も、琉球からの使節団をあえて「異国風」に見せることで、自分たちの力が「海外」にも及んでいることをアピールする意図があった。
 こういうわけで、日本本土に赴く琉球使節団にとって、外国色が強い御座楽と唐躍の上演は、外交儀礼の重要な一部となった。江戸幕府の外交史料集『通航一覧』や、
 このように、唐躍と御座楽は、琉球王国が「万国津梁」を国是とする国際的な文化国家であることを可視化する宮廷芸能であった。そのため、琉球王国の滅亡後に、衰亡した。同じ外交の場から生まれた組踊が、沖縄人のアイデンティティと結びついて生き延びたのとは、対照的であった。
 しかし、唐躍や御座楽もまた琉球王国時代の輝かしい文化の一部であり、そのエッセンスは沖縄の芸能にも部分的に受け継がれている。唐躍の研究と復元上演のプロジェクトは、失われた沖縄の芸能文化を取り戻すことでもある。

★1832年「琉球人座楽并躍之図」について
 以下、http://cinemaokinawashop.com/?pid=97256022 の「琉球人座楽并躍之図(1/2レプリカ)」(製作 株式会社 便利堂)についての説明より引用。閲覧日2026年2月19日。引用開始
映画『よみがえる琉球芸能 江戸上り』にインスピレーションを与えた歴史的な美術品。1832年の尚育王の謝恩使の一行が、江戸の芝白金の島津邸で行った奏楽と舞踊、演劇の様子を描いた美しい絵巻を1/2のサイズで再現しました。
引用終了

 以下、上記商品の紙の説明文(日本語版)を引用。引用開始
琉球人座楽并躍之図 一巻
縦二五・二cm 横九九四・五cm
紙本着色 沖縄県立博物館蔵
 琉球王国は一六〇九年に薩摩藩の侵入後、その支配をうけるが一方では中国との従属関係を保ちながら幕府の体制下におかれた。徳川幕府と薩摩は、異国支配のアピールと琉球の対中国貿易を継続させるため、将軍の襲職を祝う慶賀使と琉球国王の即位を報告する謝恩使を琉球から江戸に派遣させた。これが江戸上りである。
 江戸上りは、一六三四年から一八五〇年の間に十八回行われた。通常、出発から帰国まで約百の人員が三百日かけて江戸まで往復したが、なかには五百日以上かかったこともあった。正使・副使・賛議官・掌翰使・楽正・儀衛兵・楽童子などで構成された使節団は、船で伏見に行き、伏見から東海道を通り、江戸におもむいた。
 江戸では将軍への謁見など公式行事のなかに舞踊等の公開も組まれていた。この絵巻は一八三二年の尚育王・謝恩使の一行が芝白金の鳥津邸で行った奏楽舞踊を十場面にわけて描いたものである。衣裳や諸道具、さらに人物名まで記してあり、琉球舞踊及び歴史資料としても貴重なものである。なお、この絵巻に描かれている楽器の類似品が徳川美術館や沖縄県立博物館に保存されている。
※親雲上(ペークミまたはペーチン):王府時代の士族の称号で、領地を与えられた。世の役職名。
里之子(サトヌシ):雑務に従事する役人の役職名。
引用終了


★唐躍の復元上演プロジェクト

2011年2月26日(土)、東京・三越劇場(日本橋)で唐躍「打花鼓」を上演
https://www.shincyo.com/main_02.htm


2022年9月25日(日)、沖縄県・琉球新報ホール(那覇市)で唐躍「打花鼓」「和番」を上演

京劇 沖縄公演 2022年9月25日(日) 沖縄県那覇市・琉球新報ホールにて。
沖縄での #京劇 の本格的な公演は史上初です??
琉球王国の宮廷音楽であった御座楽(うざがく)と、宮廷演劇であった唐踊(とうおどり)も同時上演するという、貴重な舞台です。
詳細は https://t.co/jLBfoJZNDH pic.twitter.com/Tta1Efas3l

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) August 28, 2022


★『琉球人座楽并躍之図』の絵図(再掲)の芝居についての解説
城間
親雲上
徳田
親雲上
立津
里之子
許田
親雲上
名嘉地
里之子
嵜山
瀬名波
親雲上
渡慶次
筑登之
屋嘉比
親雲上
打花鼓
和番
風箏記

この3つの演目の風格(加藤徹による分類)
風箏記和番
喜劇悲劇
打花鼓

参考 琉球王国時代の士(さむれー)の位階制度(九品十八階)
 国王、王子、按司(あじ/あんじ)は王族。
 以下、士族は上から親方(うぇーかた)、親雲上(ぺーちん/ぺーくみー)、里之子(さとぅぬし)、筑登之(ちくどぅん)、子(しー)、仁屋(にや)など。それ以下は百姓(ひゃくしょう。平民)。
 一般士族の家格には、中級士族の里之子家と、下級士族の筑登之家という2種類があった。
里之子家の出世コース:子 → 里之子 → 里之子親雲上 → 親雲上
筑登之家の出世コース:子 → 筑登之 → 筑登之親雲上 → 親雲上


打花鼓


 2022年9月25日「新潮劇院 京劇沖縄公演」(KGevent2022.html#0925)夜の部で、唐躍「打花鼓」も上演しました。
   出演:石川直也、又吉聖子、玉城匠、翁長俊輔、ほか

新潮劇院のサイトのhttps://www.shincyo.com/event/220925/に載っている[こちらの復元上演の写真も参照]

通俗的な軽演劇の喜劇。劇中劇的に、庶民の民間芸能や民謡を披露する。
貧しい芸人の夫婦が、お金持ちの前で芸を披露する。芸と連動した軽妙な会話が、笑いのポイント。

下記は、京劇の「打花鼓」。『戯学匯考(戯学彙考)』巻之八「戯曲編 旦角劇本 打花鼓」(上海大東書局、1926年)に載せる挿図。
唐躍にくらべると、衣装はより通俗的で簡素である。

 詳しくは singaku-08.html#kyougekiを参照。

 沖縄県中城村(なかぐすくそん)字伊集の「伊集ターファークーsingaku-08.html#ijuは、 琉球王国時代の久米村(現在の久米町)に伝わった中国劇「打花鼓」が沖縄化したもので、 昭和60年(1985)に沖縄県指定無形民俗文化財となった。

和番

 2022年9月25日「新潮劇院 京劇沖縄公演」(KGevent2022.html#0925)昼の部で、唐躍「和番(王昭君)」も上演しました。

新潮劇院・京劇公演「借趙雲・昭君出塞」2023年

https://www.shincyo.com/event/230805/
 中国の伝統演劇の演目「昭君出塞」の唐躍版である。「和番」(和蕃)は、中国の王朝が、蕃夷(ばんい。「えびす」)の国王に中国の女性を嫁がせて友好を結ぶこと。
 王昭君(おう しょうくん、紀元前51年 - 紀元前15年)は中国四大美女の一人とされ「落雁美人」とも呼ばれる。 前漢の後宮の女性だったが、北の匈奴(きょうど)の君主に嫁がされた。この史実をもとに、後世、悲劇にしたてられた。 王昭君の物語は、漢詩や漢文を通じて、昔の日本人もよく知っていた。

林韑, 宮崎成身 等編『通航一覧 1-2』(泰山社、昭15年)に、明和元年11月25日(西暦1764年12月14日)の上演時の脚本が掲載されている。
『通航一覧』巻十六 183頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1047939/1/98

ちなみに、絵に描かれている「金鼓」の旗は、路次楽の旗を舞台の小道具としても使っている。
『通航一覧』巻九 83頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1047939/1/48

参考
『通航一覧』巻十 91頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1047939/1/52
『通航一覧』巻十四 159頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1047939/1/86
『通航一覧』巻十六 181頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1047939/1/97



風箏記


清の文人・李漁(1611−1680)の長編のラブコメの戯曲『風箏』の一場面と思われる。
参考 『風箏』のあらすじ
 ・烈候(せん・れつこう)には2人の娘がいた。
 妹の淑娟(しゅくけん)は柳氏の生んだ子で、聡明で心優しい美女。
 姉の愛娟(あいけん)は梅氏の生んだ子で、醜女だった。
 ある日、書生の韓g仲(かん・きちゅう)が凧に詩を書いた。 それを貴公子の戚友先(せき・ゆうせん)が揚げて遊んでいたところ、糸が切れ、凧は・家の屋敷に舞い落ち、淑娟が拾った。 淑娟は凧に書かれた詩を読み、その風雅な情趣に心を動かされ、和詩を一首したためる。 その後、凧は戚家の家童によって引き取られる。 韓g仲は戚友先の書斎で淑娟の和詩を目にし、大いに喜び、さらにもう一首詩を書いて再び凧を揚げさせる。
 今度は、凧は、醜い姉の愛娟のところに落ちた。 愛娟は、その詩を戚友先の作だと思い込み、自分を淑娟と偽って、乳母に頼み、月夜の逢瀬を取り持たせる。 韓g仲は名を偽って出向くが、現れた愛娟のあまりの醜さに驚き、逃げ帰ってしまう。
 この出来事ののち、韓g仲は心を入れ替え、勉学に専念する。
 やがて愛娟は、両親の決めた縁談により、戚友先に嫁ぐ。 洞房花燭の夜、夫を韓g仲と取り違える。戚友先は、花嫁が醜い愛娟であることを知ると激怒する。 そこへ愛娟の母が駆けつけてなだめ、さらに将来、三妻四妾を持つことを認めると約束して、ようやく戚友先は怒りを収める。
 一方、韓g仲は後に科挙で状元(最優秀者)に及第し、義父の計らいによって、ついに淑娟を妻に迎えるのであった。
備考 京劇『鳳還巣』は、『風箏』を換骨奪胎した作品。
https://china.min-on.or.jp/2014/play.htmlで、加藤徹が書いた京劇『鳳還巣』の解説から自己引用。引用開始
「○あらすじ / およそ四百年前の昔。程雪雁(ていせつがん)と程雪娥(ていせつが)という、結婚適齢期の姉妹がいた。 姉の雪雁は、顔は不細工だが性格が明るい、いわゆる「ブサかわいい」女性。 妹の雪娥は、おしとやかな美女だった。 ある日、姉妹の家に、顔と性格がちょっとおかしな皇族・朱煥然(しゅかんぜん)と、貧乏だがイケメンの秀才・穆居易(ぼくきょい)が、相次いでたずねてくる。 姉妹は穆居易に魅かれ、朱煥然は妹に魅かれるが・・・人々のさまざまな思惑が次々と誤解と行き違いを生む。果たして姉妹の結婚の行く末は?」



★もっと知りたい人のために

#中国語ナビ
再々放送  (31)「?できます」と言ってみよう/江戸時代人気の「清楽」(しんがく)
11月26日(水)午後1:40?午後2:00
「かんかんのう」の「かんかん」は、中国語の動詞の重ね型“看看” kankan (ちょっと見る)です?? #月琴 や「九連環」(中国の知恵の輪)も紹介します。 pic.twitter.com/cmKAnlID88

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) November 25, 2025

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