東シナ海をはさんで九州の対岸にある中国浙江省の紹興は、人口500万の大都市で、3千年近い歴史をもつ古都です。※2021年10月14日木曜に新宿教室で講座[臥薪嘗胆の復讐王・勾践]開催予定です。
「会稽(かいけい)の恥」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」「呉越同舟」「顰に倣う(ひそみにならう)」など日本人になじみ深い故事成語は、 古代の越国や紹興に由来します。
また紹興は名所旧跡も多い。4千年前の伝説の聖天子の陵墓「禹陵(うりょう)」や、書聖・王羲之(おうぎし)ゆかりの蘭亭、 近代の作家・魯迅の故里、周恩来の祖居、等々。日本の稲(ジャポニカ米)の起源も、古代日本語での中国の呼称モロコシ(諸越)も 紹興一帯と関係があります。
本講座では、豊富な図版や映像を使いつつ、古都・紹興の歴史と魅力をわかりやすく解説します。(講師・記)
(引用開始)紹興市は中国の東南海地区、揚子江デルタ南部に位置し、中国最大の商工業都市上海から南西に250kmの距離にあります。
人口約430万人、面積7,901平方キロメートルで、市街区の人口は約30万人です。
気候は温潤で自然に恵まれ、湖や水路が多く、「東方のベニス」とも「橋の里」とも称されている名高い水郷の都市です。
また、中華料理の際に供される紹興酒の産地としても有名で、「酒の里」とも言われています。
紹興は、中華民族発祥地のひとつとして、7000年以上の昔から古代文化が栄えていたといわれ、2,400年余り前の 春秋時代(紀元前770年〜403年)、越の都が置かれました。
紹興市は、中国を代表する文学家の魯迅をはじめ、女性革命家の秋瑾、政治家の周恩来など、優れた人物も輩出しています。
市内には中国書道の聖地であり、書聖 王 羲之が「蘭亭集序」を書いたところとして名高い「蘭亭」など、貴重な文化遺跡も数多く 残されています。(引用終了)
越語の原文 | 濫兮抃草濫予昌枑沢予昌州州■州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。 ※■は「食」へんの右横に「甚」。 |
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漢文の訳文 | 今夕何夕兮、搴舟中流。今日何日兮、得与王子同舟。蒙羞被好兮、不訾詬恥。 心幾頑而不絶兮、得知王子。山有木兮木有枝,心悦君兮君不知。 |
「魏志倭人伝」より。古代中国人は、邪馬台国の倭人は、古代の紹興地方と関係があると考えていた。
【原漢文】男子無大小、皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾、諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差、計其道里、當在會稽東冶之東。 【訓読】男子は大小無く、皆、黥面文身す【顔やからだにイレズミをする】。古より以来、その使中国に詣(いた)るや、 皆、自ら大夫(たいふ)【古代中国の卿・大夫・士の真ん中の身分】と称す。 夏后少康【夏王朝の第6代の君主】の子【名前は無余。越王勾践の先祖】は会稽に封ぜられ、 断髪文身して、以て蛟龍(こうりゅう)【みずち。伝説上の水棲動物。ワニがモデルか】の害を避く。今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、 文身は、亦、以て大魚【サメなどの大型の魚】、水禽【みずどり】を厭(はら)う。後、稍(しだい)に以て飾と為る。 諸国の文身は各〻(おのおの)に異なり、或は左し、或は右し、或は大に、或は小に、 尊卑の差有り。その道里を計るに、まさに会稽、東冶【現在の福建省福州市の西にあった会稽郡東冶県を指すか】の東に在るべし。 |