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中国の古代都市 越国の都・紹興

最新の更新2021年9月30日 最初の公開 2021年9月28日

2021年10月2日土曜日  13:00-14:30
(以下、朝日カルチャーセンター・新宿「中国権力者列伝」より自己引用。引用開始)
東シナ海をはさんで九州の対岸にある中国浙江省の紹興は、人口500万の大都市で、3千年近い歴史をもつ古都です。
「会稽(かいけい)の恥」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」「呉越同舟」「顰に倣う(ひそみにならう)」など日本人になじみ深い故事成語は、 古代の越国や紹興に由来します。
 また紹興は名所旧跡も多い。4千年前の伝説の聖天子の陵墓「禹陵(うりょう)」や、書聖・王羲之(おうぎし)ゆかりの蘭亭、 近代の作家・魯迅の故里、周恩来の祖居、等々。日本の稲(ジャポニカ米)の起源も、古代日本語での中国の呼称モロコシ(諸越)も 紹興一帯と関係があります。
 本講座では、豊富な図版や映像を使いつつ、古都・紹興の歴史と魅力をわかりやすく解説します。(講師・記)
※2021年10月14日木曜に新宿教室で講座[臥薪嘗胆の復讐王・勾践]開催予定です。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-n2R3otICQAAfmWqjT1aqK6

○ポイント
○李白(701-762)の漢詩「越中懐古」
  越王句践破呉帰。義士還家尽錦衣。宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。
越王勾践 呉を破って帰る
義士 家に還りて 尽く錦衣す
宮女 花の如く 春殿に満つ
只今惟 鷓鴣の飛ぶ有り
 エツオウコウセン、ゴをヤブってカエる。ギシ、イエにカエりてコトゴトくキンイす。キュウジョ、ハナのゴトく、シュンデンにミつ。 タダイマタダ、シャコのトぶアり。
大意 紀元前473年、越王勾践(在位前497年-前465年) は、宿敵の呉国をやぶり、この地に凱旋した。 忠義の士卒たちは自宅に戻り、みな錦で着飾った。 花のように美しい宮女たちで、春の王宮はいっぱいになった。 悠久の歳月は流れた。今ではただ、シャコが飛んでいるだけだ。
※鷓鴣は鳥の名前。学名は Francolinus pintadeanus で、日本語ではコモンシャコと呼び、中国語では中華鷓鴣、中国鷓鴣、越雉などと呼ぶ。
※現代中国では「越中古」というタイトルのほうが普通。以下は現代中国の簡体字とピンイン。
越王勾践破吴归。战士还家尽锦衣。宫女如花满春殿,只今惟有鹧鸪飞。
Yuè wáng gōu jiàn pò wú guī. Yì shì huán jiā jìn jǐn yī. Gōng nǚ rú huā mǎn chūn diàn, zhǐ jīn wéi yǒu zhè gū fēi.

○紹興の気候と地形
 日本とよく似ている。海に近いモンスーン気候で、山は樹木で覆われている。
年間降水量  紹興:約1400  東京:約1600ミリ
年平均気温  紹興:16-17℃  東京:15.8℃
・日本との姉妹都市は静岡県富士宮市。
・静岡県公式HP > > [静岡県・浙江省友好提携40周年]「浙江省は、本県特産の茶、ミカンのふるさととも言われるように、本県とゆかりが深い土地です。また、温暖な気候や、長い海岸線を有することなど、本県との共通点も多いことなどから交流にふさわしいとして選定されました。」
・富士宮市公式HP > > [友好交流関係都市 中華人民共和国 浙江省 紹興市]
(引用開始)紹興市は中国の東南海地区、揚子江デルタ南部に位置し、中国最大の商工業都市上海から南西に250kmの距離にあります。
人口約430万人、面積7,901平方キロメートルで、市街区の人口は約30万人です。
気候は温潤で自然に恵まれ、湖や水路が多く、「東方のベニス」とも「橋の里」とも称されている名高い水郷の都市です。
また、中華料理の際に供される紹興酒の産地としても有名で、「酒の里」とも言われています。
紹興は、中華民族発祥地のひとつとして、7000年以上の昔から古代文化が栄えていたといわれ、2,400年余り前の 春秋時代(紀元前770年〜403年)、越の都が置かれました。
紹興市は、中国を代表する文学家の魯迅をはじめ、女性革命家の秋瑾、政治家の周恩来など、優れた人物も輩出しています。
市内には中国書道の聖地であり、書聖 王 羲之が「蘭亭集序」を書いたところとして名高い「蘭亭」など、貴重な文化遺跡も数多く 残されています。(引用終了)

○紹興の名所旧跡と地理的な位置
 現在「紹興市」と呼ばれる領域は広い。紹興市の面積7901平方kmは、静岡県の面積7780平方kmよりも広い。
 紹興市の中心部である越城区(人口61万人、面積493平方km)だけで、 鹿児島市(人口60万人、面積548平方km)に匹敵する。「越」は古代の越国、「城」は中国語で「城郭都市」の意味である。
 また紹興市の領域のなかに、下位の行政単位として諸暨市(人口108万人)や嵊州市(人口73万人)という「市」 が含まれる点、つまり市の中にさらに別の市があるという階層構造は、日本人の地名の感覚からすると混乱する。
 古代越国の首都「会稽」も、魯迅など紹興出身の有名人の出生地の多くも、 越城区に集中している。
  他の場所からの直線距離  魯迅の故居から見ると、北京と日本の広島は等距離。
○失われた古代民族「百越」
 古代百越の居住地域は、現在は漢民族が分布しているが、古代には  日本語で中国を指す旧称「唐土(もろこし)」の語源は「諸越」=越族、百越。古代日本人にとって「中国」といえば、 北京などの北方でも洛陽・西安などの内陸部でもなく、まず東シナ海沿岸部を指した。
 古代の越族は、中国江南地方からベトナム北部までの長大な地域に分布していた。 ベトナムの漢字表記は「越南」であり、中国広東省の古名「粤」は「越」の同音異字である。
 越族の歴史の中核は、春秋戦国時代の越国(えつこく。紀元前600年頃-前306年)である。
 日本の「越国」(こしのくに。越前・越中・越後の三越)の地名由来を古代中国の越族と結びつける説もある。
 越族は言語も民族系統も、漢民族とは違っていたが、戦国時代の末から漢民族に同化吸収された。
・百越語 残存資料は少ないが中国語(漢語)とは別系統で、東南アジアの諸民族と類縁関係の言語であったというのが通説。
 中国の北では「河」、南では「江」と言う。「江」の語源は古代の百越語とする説がある。
 劉向(前77年−前6年)の『説苑』には「越人歌」の越語原文(発音を漢字で表記)と、それを漢文(古代中国語)に翻訳した 漢詩が掲載されており、これは中国史上最古の訳詩とも言われる。
越語の原文濫兮抃草濫予昌枑沢予昌州州州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。
は「食」へんの右横に「甚」。
漢文の訳文今夕何夕兮、搴舟中流。今日何日兮、得与王子同舟。蒙羞被好兮、不訾詬恥。 心幾頑而不絶兮、得知王子。山有木兮木有枝,心悦君兮君不知。
大意:今夜はなんという夜でしょう。川の中で舟遊び。 今日はなんという日でしょう。王子さまと同じ舟。 とんだ田舎娘ですが、どうぞ、お嫌いにならないで。 ああ心が乱れます。王子さまとお会いできるなんて。 山には木が生え、木は枝分かれ。 千々(ちぢ)に乱れる私の、あなたをしたうこの気持ち。 あなたは気づいてないけれど。
参考 中国語版WikiPedia「越人歌」の載せる現代中国語訳(2021年9月30日閲覧):
今晩是怎樣的晩上啊在河中漫游。今天是什麼日子啊與王子同舟。 深蒙厚愛啊不嫌我粗鄙。 心緒紛亂不止啊能結識王子。 山上有樹木啊樹木有丫枝,心中喜歡你啊你卻不知此事。

○紹興をめぐる略年表  古代の越国の首都は、現在の中華人民共和国浙江省紹興市越城区にあった。
 紹興という地名は12世紀からで、それ以前は「会稽」や「越」などと呼ばれていた。  
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