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中国五千年の文明と歴史 中国とは何か

朝日カルチャーセンター・新宿教室 講師 加藤徹
最新の更新 2019-6-17 最初の公開 2019ー6-18

 中国とは何か。一言で「こうだ」と答えるのは、なかなか難しいです。ヨーロッパも国ごとに多様ですが、中国は人口も歴史もヨーロッパの数倍もあるのです。ただ、そんな中国でも、過去数千年来、変わらなっかった特徴や、中国文明が現在まで引きずっている「宿命」や「業(ごう)」のような初期条件はあります。
 この講座では、「中国とは何か」を大づかみで理解します。日本や西洋と比較しつつ、中国文明数千年の特徴を、写真や動画なども使いながら、わかりやすく解説します。中国史についての予備知識がないかたも大丈夫です。日本史や西洋史に興味のあるかたも、中国史と比較することで、きっといろいろな発見があると思います。お気軽にご受講くださいますよう。(講師記)
[中国五千年の文明と歴史 中国とは何か 第2期(2019年7月-9月)]
  1. 第一回 2019/4/16 地政学的な宿命 引っ越せる帝国と引っ越せない帝国
  2. 第二回 2019/5/07 人口の変化から見た五千年史 人種交代はなかった
  3. 第三回 2019/5/21 豊富な資源は土と人間 青龍刀の中国と日本刀の日本
  4. 第四回 2019/6/04 漢字で生き延びた中華帝国とローマ字で滅びたローマ帝国
  5. 第五回 2019/6/18 中国的知性の特長と限界 孔子とイエス・キリストの比較

第一回 地政学的な宿命 引っ越せる帝国と引っ越せない帝国

 古来、中国は「地大物博」の巨大国家として、東アジアの中心的な存在であった。
 そんな中国は、しばしば周辺民族から侵攻を受け、征服された。古来、中国人が
「東夷西戎南蛮北狄」とうい せいじゅう なんばん ほくてき
と呼んで見下してきた周辺民族のなかでも、「北狄」とか「胡」と呼ばれた北方系騎馬民族は強かった。人口でははるかに勝る漢民族は、しばしば北方系騎馬民族によって征服された。五胡十六国時代、南北朝時代の北朝、遼・金・元・清などの征服王朝などがそうである。


★参考書評 評者・加藤徹 2016/9/11付 日本経済新聞 朝刊
[
楊海英著『逆転の大中国史』遊牧文明からの刺激的な考察]
「著者は北京の大学で日本語を学んだあと、日本に渡り、文化人類学を研究した。生前の梅棹忠夫に会ったとき、著者は単刀直入にきいた。「私はじつはモンゴルの出身なのですが、梅棹先生は遊牧民族の文化、生き方を実際に調査し、高く評価しているのに、なぜ『悪魔の巣』とか『ものすごくむちゃくちゃな連中』と表現するのですか」。梅棹は京都弁で「いやあ、あれはパワーや」と答えた。著者は「これはなかなか絶妙な答え」と評している。」

★参考地図 [CIAの中国の地図] [google「中国 歴史 地図」検索結果] [baidu“中国 历史 地图”検索結果]

★中国vs北方系民族(北族、胡、北狄)
 漢vs匈奴  東晋vs浸透王朝(五胡十六国時代)  南朝vs北朝(南北朝時代)  唐vs突厥  北宋vs契丹(遼)  南宋vs金、元  明vs北元(韃靼)、後金(清)  清vsジュンガル帝国(最後の遊牧帝国)

★近現代の国家
 モンテビデオ条約 (1933年)第1条では、国家の資格の要件として(1)永久的住民、(2)明確な領域、(3)政府、(4)他国との関係を持つ能力、の4点を挙げる。
 一般には「領域、人民、主権」を国家の三条件とする。
 「マルタ騎士団」のように、領土を持たなくても「主権実態」と認定される存在もある。

★帝国
 古代ローマの「インペリウム」の訳語で「インペリウム(命令権)が及ぶ領域」の意。英語ではエンパイア。皇帝制か共和制か、など政体は問わない。複数の民族や地域を支配する国家を指す。

★遊牧国家
 遊牧民が形成した国家。固定した領土をもたず、国ごと移動することもある。遊牧国家の支配階級は騎馬民族であることが多い(遊牧民族イコール騎馬民族とは限らない)。自給自足は困難で、交易を重視する傾向がある。
cf.世界大百科事典 第2版の解説 ゆうぼくこっか【遊牧国家】 遊牧民族が建てた国家。スキタイ,匈奴(きようど),鮮卑,柔然,エフタル,突厥(とつくつ),ウイグル,契丹,モンゴルその他ユーラシアのステップの遊牧民族が建てた遊牧国家が多く,歴史的にも重要である。中国ではこれを行国と称することがあったが,それはその王以下がすべて定住せず,季節的移動を行っていたことによる。ウイグル以来城郭都市を築いて首都とすることが生じたが,その場合でも王はそこに常居せず,日ごろはその周辺で季節的な移動を行っていたのである。

★胡服騎射 こふくきしゃ
 古来、中国人は馬車を使い、騎馬の習慣はなかった。戦国時代の趙の武霊王(在位前326年 - 前298年)は軍事力を高めるため、臣下の反対を押し切り、それまで中国人が野蛮人と見下していた騎馬民族の戦法を学んだ。騎馬民族の服と、騎乗して弓を射る戦いかたを採用した。

★中国の「帝国」化は、秦漢帝国から。
 始皇帝の万里の長城と、漢の武帝の対匈奴作戦。
 cf.井上靖の「西域小説」の作品の数々

★匈奴vs漢
 匈奴の冒頓単于(ぼくとつ ぜんう 在位前209−前174)と、前漢の初代皇帝・劉邦(前202年−前195年)

★ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説文より
張騫 ちょうけん Zhang Jian; Chang Ch`ien
[生]? [没]元鼎3(前114)
 中国,前漢の旅行家,外交家。漢中 (陝西省) の人。武帝の初年,月氏への使者として,建元2 (前 139) 年頃長安を出発。途中,匈奴に捕えられること十余年,ようやく元朔3 (前 126) 年長安に戻った。大月氏国との同盟には成功しなかったが,ここに1年あまり滞在し,西域の事情を漢に伝えた。この旅行を中国では「張騫鑿空 (さくくう) 」といっている。帰国後,匈奴遠征にも加わり,博望侯となった。そののち烏孫への使者となり,さらに副使を西域諸国に派遣した。これから漢と西域との交通が開かれた。

★対抗不能性
 軍学者・兵頭二十八氏が修士論文で提唱した概念。



第二回 人口の変化から見た五千年史 人種交代はなかった

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nnkxymeXmPrfxwGiCrPFOK
★「億兆」の民
 日本語の表現の例。「億兆の赤子」「億兆心ヲ一ニシテ」「中江兆民」等。「一億人ないし一兆人の民」と訳すと誤訳になるので要注意。
古代中国の「下数」法:十、百、千、万、億=10万、兆=100万
現代日本の「万進」法:十、百、千、万、億=一万の一万倍、兆=一億の一万倍
 日本・台湾・韓国・香港では1兆は1億の1万倍。中華人民共和国とベトナムでは兆は100万の意。
 中華人民共和国の中国語ではメガヘルツを「兆赫兹」、メガバイトを「百万字節」とか「兆字節」と言う。ギガ(十億)は「千兆」とか「吉咖」と言う。テラ(日本の一兆)は「兆兆」(百万の百万倍、の意)とか「太拉」と言う。

 殷の時代の後期、甲骨文字の時代までは、「万」が事実上の最大の単位だった。当時は人口が少なかったので、万までで事足りた。
 億の語源は「憶」や「臆」と同源。一つ一つ数えるのは不可能なほど多く、心のなかで憶測するしかないほど多いことを示す。
 兆の語源はそのまま「兆」。「兆」の原義は左右に二つに割れて離れる意で、古代の占卜では亀の腹甲や動物の肩甲骨の左右に割れたひび割れの形を見て吉凶の運勢の別れを見たことから「兆し」の意が生じ、また、万や億よりもかけ離れて多く現実離れしているので億の十倍ないし万倍の単位の名前になった。

  ★人間集団の適正人数
 人口がN倍ということは、人間関係の組み合わせの可能性がNの二乗倍になるということ。例えば、市場規模が二倍ならビジネスチャンスは四倍になることに注意。
 軍事学における「ランチェスターの法則」の二次法則も参照のこと。
 古来、漢民族の生存戦略は人口的物量作戦であり、「長袖善舞(チョウシュウはよくまう)」「多銭善賈(ぜにおおければよくあきなう)」「大兵に戦術無し」であった。

エデンの園の、アダムとイヴは2人。
狩猟採取明の「バンド」(band)は子供も含めて20人から50人ていど。近親婚でも子孫を維持できる最小限の人数。
新石器時代の農村人口は「ダンバー数」(人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度とする考え)ていど。
青銅器時代の都市国家の人口は一万人から数万人ていど。分業による文明社会を維持できる最小限の人数。
青銅器・鉄器時代の都市国家連合の人口は数十万人ていど。
一民族による強力な「王国」は百万人ていどから。
複数の民族の連合からなる強力な「帝国」は一千万人ていどから。cf.世界史上初の帝国は前7世紀のアッシリア帝国。中国史初の帝国は前3世紀の始皇帝の秦。
フランス革命以降の近代的中央集権国家の適正人口は、一説に五千万人ていど。cf.明治の日本が強かった理由
現代、内需をメインに経済を回せる国家の適正人口は、一億人以上。cf.韓国が外需に頼らざるをえない理由
人口がN倍ということは、人間関係の組み合わせの可能性がNの二乗倍になるということ。

★中国の人口の歴史
こちらの頁も参照。
 中国は古くから人口についての記録を残してきた。人口の増減は政府の租税収入に直結し、また、人口の増減が政治の良否の指標であると考えられてきたからである。
 歴史的に見ると、中国の人口は、常に世界最大級の規模を維持し、周辺世界との人口の流出・流入の比率が少なく、また人口増加と人口崩壊が周期的におとずれた、など興味深い特徴が見られる。
 ちなみに現在われわれが「中国」と呼ぶ地域は、ほとんどが中華人民共和国の領土と重なる。しかし歴史的に見れば、中国という語が指し示す領域の面積は、時代によってかなり変化してきた。古代の黄河文明の時代には、中国と呼びうる領域は今よりはるかに狭かったし、逆に、最後の王朝である清(西暦1636−1912年)の領域は現在の「中国」よりも広く、ロシアの一部やモンゴルも含んでいた。


★中国の人口のサイクル
 中国の王朝の寿命は「十世」三百年を超えない。
 cf.「十世知るべきや(ジュッセイ、シるべきや)」。『論語』為政第二:子張問「十世可知也?」。子曰「殷因於夏礼、所損益可知也。周因於殷礼、所損益可知也。其或継周者、雖百世可知也」。
1.建国期 新しい王朝が建国されたときは、人口は少なく、政府は一般に税金を安くして民を休めるという「小さな政府」の政策を進める。その結果、農民を中心とする中国の人口は急激に増え、太平の世の中となる。
2.繁栄期 人口増加の結果、税収が増える。この豊かな財政を背景に、王朝は、大規模な土木工事や領土拡張など積極的な政策を行いはじめる。ただし外見の繁栄とはうらはらに、民の負担が増えるため、生活は悪化する。また農地の開拓は一般に人口増加に追いつかないため、農民一人あたりの可耕地面積は減少し、世代がくだるにつれて生活環境が悪化する。ちなみに、儒教思想が徹底していた中国の伝統社会は、江戸時代の日本と違い、兄弟による均分相続が普通に行われていたため、農地は細分化されやすかった。
3.衰退期 建国後おおむね十世代ほどで一人あたりの食糧供給量が飢餓線のラインに近づき、社会不安が広まり、農民反乱が頻発するようになる。はじめは王朝政府による反乱鎮圧などの政策が奏功するが、いずれそれも無効になる。
4.交代期 王朝政府の支配力が弱まり、地方政権・地方軍閥が半独立状態となる。戦乱が起こり、王朝は滅亡する。人民の大量死亡と出生率の激減の結果、人口崩壊が起こり、人口は減少して適正ラインにまで下がる。そして新しい王朝が勃興し、サイクルの最初にもどる。ちなみに新しい王朝の支配階級は、多くの場合、前王朝末期の農民反乱グループなり軍閥なりの一つであるか、あるいは、前王朝末期の混乱に乗じて中国本土にはいってきた異民族集団である。



豊富な資源は土と人間 青龍刀の中国と日本刀の日本

 昔の中国で無尽蔵の資源は土と人間であった。古来、中国は周辺諸国にくらべ、圧倒的な大人口を擁してきた。万里の長城や大運河の建設などの大土木工事や、中国のお家芸である人海戦術(21世紀の今日でもAI開発や「ビッグデータ」で強みを発揮している)は、このあらわれである。
 日本も、世界的に見れば昔から人口が多い国であったが、中国よりはずっと少なかった。

★剣と刀
 剣は刺す武器。刀は叩き斬る武器。本来、両者は別の種類の武器である。日本では両者を兼ねた「日本刀」が開発され「武士の魂」となったため、刀と剣の境界が、中国よりも曖昧になっている。
 中国の名剣は、春秋時代までは銅剣だったが、戦国時代からは銅剣と鉄剣になった。
cf.外部サイト 
古代中国十大神剣:中国の伝説の聖剣、名剣を集めてみた
四字熟語「干将莫邪」かんしょうばくや
 日本の「名刀正宗」に相当する、代名詞的な伝説の名剣。「干将」は春秋時代の呉の刀工の名前。「莫邪」は彼の妻の名前。干将は、呉王の闔閭(こうりょ在位 紀元前514-496)から剣を作るように命じられた。最初は満足がゆく剣ができなかった。しかし妻が頭髪と爪を切って炉に入れたところ、地金がよくなじみ、二本の名剣を造ることができた。それぞれの剣は「干将」「莫邪」と名付けて闔閭に献上された。この故事の出典は『呉越春秋』闔閭内伝。
 この名剣をめぐって「眉間尺(みけんじゃく)」の復讐譚が生まれ、『列士伝』『孝子伝』『捜神記』などに記された。日本の古典落語「三つ巴」や、魯迅の短編小説「鋳剣」もこの怪談的な復讐譚にもとづく。
cf青空文庫・岡本綺堂『中国怪奇小説集』「捜神記(六朝)」眉間尺 https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1298_11892.html
 日本の「名刀(名剣)」は伝世品が多いが、中国の名剣は出土品が多く伝世品が少ない。その理由は、両国の社会の歴史の違いを反映している。
 中国の「越王勾践剣」も「秦の始皇帝の兵馬俑坑の剣」も出土品。

★公算射法と必中射法
 中国人は昔から「公算射法」的な戦いかたを得意とし、日本人は昔から「必中射法」的な戦いかたを得意とした。
 「公算射法」「必中射法」は軍事用語である。前者は、多数の砲弾ないし銃弾を斉射し、弾着観測して修正しつつ、散布界に目標を包むという攻撃方法。公算はここでは「確率的、統計的に期待できる見込み」の意。後者は一発必中を期して職人技的な高度な攻撃を行うこと。
 中国的な公算射法的ポリシーは「人海戦術」「物量作戦」「フォーメーション信仰」と結びつき、「量も質の一要素」と考える。
 日本的な必中射法的ポリシーは「少数精鋭」「一点豪華主義」「名人芸」 「自己研鑽」と結びつき、「量と質は別の者」と考える。
 両者のコンセプトの違いは、中華料理と和食の違い、文禄・慶長の役で明軍が得意とした大砲による砲撃と日本軍が得意とした火縄銃による狙撃、第二次大戦中に中国軍が好んだ迫撃砲と日本軍が好んだ九二式重機、など、さまざまなところで見られる。

★青竜刀(青龍刀)に対する日本人の誤解
 日本人が言う「青竜刀」や「胡弓」は、中国語ではそれぞれ「柳葉刀」や「二胡」を指すことが多い。
 中国では、三国志演義の関羽が使う「青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう」略称「青竜刀」と、武術などで使う「柳葉刀」は全く違う武器である。日本で言えば、薙刀(なぎなた)と日本刀くらいも違う。しかしながら、普通の日本人は「青龍偃月刀」も「柳葉刀」も区別せず漠然と「青竜刀」と呼んでしまう。これは、中国では全く違う楽器であった「箏(そう)」も「琴(きん)」も日本に入るとまとめて「琴(こと)」と呼ばれてしまうのと、似た現象である。
例:amazon取り扱い商品「折りたたみ式青龍刀」価格:¥ 5,940 + \ 580 配送料/取扱手数料

★青龍偃月刀について
 青龍偃月刀は、中国の「大刀」の一種。宋代に登場したが、重いため、実用的な武器というよりも、儀仗用・演武用・訓練用の武器であった。明代の古典小説『三国志演義』(三国演義)では、
例 amazonの取り扱い商品:一騎当千風 関羽雲長の青龍偃月刀【コスプレ用小道具】価格:¥ 8,800 & 配送料無料
 古典小説『三国志演義』第一回の桃園三結義のシーンの直後。
 関羽の青竜刀の由来。劉備らは、天下を苦しめる黄巾の賊の討伐に参加するため、旗揚げすることにした。その趣旨に賛同した商人から、馬と軍資金、そして「鑌鉄(ひんてつ)」すなわち鋼(はがね)などをもらった。劉備らは、地元の村の「良匠」に打たせて重さ八十二斤(明の時代の度量衡では約50キログラム)の青龍偃月刀を造り、関羽の武器として冷艶鋸(れいえんきょ)と名づけた。張飛も武器を造った。
 三国志演義の英雄が使った武器は、田舎の無銘の「村の鍛冶屋」が打ったものだった。宮本武蔵の愛刀「無銘金重(むめいかねしげ)」や、近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹(ながそねこてつ)」(偽作の刀という説あり)など、日本の武士が有名な刀工が打った名刀にこだわったのとは、大きな違いがある。  
來日收拾軍器,但恨無馬匹可乘。正思慮間,人報有兩個客人,引一夥伴儅,趕一群馬,投莊上來。玄德曰:「此天佑我也!」三人出莊迎接。原來二客乃中山大商:一名張世平,一名蘇雙,每年往北販馬,近因寇發而回。玄德請二人到莊,置酒管待,訴說欲討賊安民之意。二客大喜,願將良馬五十匹相送;又贈金銀五百兩,鑌鐵一千斤,以資器用。玄德謝別二客,便命良匠打造雙股劍。雲長造青龍偃月刀,又名「冷艷鋸」,重八十二斤。張飛造丈八點鋼矛。各置全身鎧甲。共聚鄉勇五百餘人,來見鄒靖。鄒靖引見太守劉焉。三人參見畢,各通姓名。玄德說起宗派,劉焉大喜,遂認玄德為侄。

★日本刀の魅力と魔力
★欧陽脩(1007-1072)の漢詩「日本刀歌」
昆夷道遠不復通,世傳切玉誰能窮!
寶刀近出日本國,越賈得之滄海東。
魚皮裝貼香木鞘,黃白閒雜鍮與銅。
百金傳入好事手,佩服可以禳妖凶。
傳聞其國居大島,土壤沃饒風俗好。
其先徐福詐秦民,採藥淹留丱童老。
百工五種與之居,至今器玩皆精巧。
前朝貢獻屢往來,士人往往工詞藻。
徐福行時書未焚,逸書百篇今尚存。
令嚴不許傳中國,舉世無人識古文。
先王大典藏夷貊,蒼波浩蕩無通津。
令人感激坐流涕,繡澀短刀何足云。

※日本から輸入された日本刀の精巧さを評価しつつ、刀なんかよりも、中国で失われて日本にのみ保存されている古代中国の貴重な書物を中国に輸入してほしい、という趣旨の漢詩。欧陽脩は北宋の第一級の知識人であったが、中華思想による差別意識や、間違った歴史認識(日本人の祖先は中国人・徐福である)が目立つ。

 昆夷は道遠く、復た通ぜず。世に伝うる切玉、誰か能く極めん。宝刀、近くに出づ、日本の国。越賈は之を滄海の東に得(う)。【いにしえの遠い外国、昆夷には玉を切断するという名刀があったそうだが、今はたしかめようもない。最近、日本の名刀が越地方の商人によって輸入されるようよなった。】魚皮に装貼す香木の鞘(さや)。黄白、間雑す、鍮と銅。百金伝え入る好事の手に。佩服し以て妖凶を禳(はら)うべし。【日本刀は精緻で美しい。香木の鞘にサメの皮。真鍮と銅を使った、黄色と銀白色の組み合わせ。中国の好事家(こうずか)は高い値段を払って手に入れる。】伝え聞く、其の国は大島に居り、土壌沃饒にして風俗好し。其の先たる除福は秦民を詐り、薬を採り淹留し丱童(かんどう)老ゆ。百工、五種、之と与に居り、今に至るまで器玩は皆精巧。前朝は貢献して屡しば往来し、士人は往々にして詞藻を工(たくみ)にす。【聞くところによると、日本は大きな島国で、国土は肥沃で民度も高い。日本人祖先は、秦の始皇帝の時代の徐福である。彼は不老不死の薬を採取するという名目で始皇帝をだまし、 髪をあげまきに結った子どもたちとともに日本に渡った。中国の職人や穀物の種も、いっしょに日本にもたらした。そのおかげで、日本製品は今も精巧なのだ。唐の時代には、日本人はしばしば朝貢しに来た。日本の士人は漢詩や漢文にたくみなものもけっこういた。】徐福行く時、書未だ焚(ふん)せず、逸書百篇、今尚存す。令、厳にして中国に伝うるを許さず。世を挙(こぞ)り人の古文を識る無し。先王の大典、夷貊(いはく)に蔵さる。蒼波、浩蕩として津(しん)を通ずる無し。人をして感激し坐(そぞろ)に流涕せしむ。銹渋(しゅうじゅう)の短刀、何ぞ云うに足らん。【徐福は、始皇帝の焚書の前に日本に渡った。中国で失われた書物が、日本には今も百種類も残っている。しかし日本の法律は厳格で、それらの貴重な古書を中国に輸出することを禁じている。もはやこの世界に、古代の文字を読める人はいない。古代中国の先王の偉大な古典が、未開人に所蔵されている。日中両国の海ははてしなく広がり、人的な交流もない。それを思うと涙が出てくる。こんな錆びた短刀なんかは、貴重な文化財とくらべものにならない。】

 この他、明の時代に「倭寇」と戦った唐順之(1507-1560)も「日本刀歌」という七言古詩を詠んでいる。

★倭寇の「倭刀」(日本刀)vs中国の「苗刀」
 中国の武器では、倭寇の日本刀に勝てなかった。後期倭寇と戦った明の武将・戚継光(せきけいこう。1528-1588)は、日本刀(倭刀)をまねて「苗刀」を造り、また日本の陰流(かげりゅう)の武術を研究して『辛酉刀法』を著した。倭寇との戦いで得た戦訓を生かし、後にモンゴルのアルタン・ハンと戦って勝利した。
cf.中国映画『ゴッド・オブ・ウォー』予告編https://youtu.be/Fr7gwnmVAcE
 中国映画の紹介ビデオ【爆神片】为什么传统武术这么弱《倭寇的踪迹》解释的很清楚了 https://youtu.be/WLqE7ztFxu0

 一部の中国人は、日本刀よりも中国刀のほうが優秀である、と主張する(しかし多くの中国人はアニメやゲームの影響もあって日本刀のほうが優秀だと思っている)。
cf.当日本刀遇到中国的唐刀谁更厉害呢楚了(日本刀と中国の「唐横刀」のどちらがすごいか) https://youtu.be/aY_XfXxZnJo
 中國大刀 vs 日本武士刀 https://youtu.be/r-yDBePqwbE
 日本刀 vs 中國青龍偃月刀.flv https://youtu.be/2pJ_i3r0Yuk
 地上最強の武器 決定戦 https://youtu.be/UsugC828C0A


漢字で生き延びた中華帝国とローマ字で滅びたローマ帝国
 漢字は単なる文字ではない。コンセプト、イデオロギー、ナショナリズムなど、文字以上のさまざまな要素が、漢字の歴史にからみついている。その複合体が、いわゆる「中国五千年」や「漢字文化圏」といった東アジア的共同幻想をささえてきた。
参考 「
共通祖先を探せ

★漢字は表語文字
欧州イスラム圏南北アジア東アジア
古典言語ギリシア語・ラテン語古典アラビア語サンスクリット語漢文
文字アルファベットアブジャド(単子音文字)アブギダ(音素音節文字)表語文字
 漢字を含む「表語文字」は、WikiPediaでは「ヒエログリフ ヒエラティック デモティック アナトリア象形文字 楔形文字 漢字 甲骨文字 西夏文字 チュノム カイダ文字 トンパ文字 マヤ文字 琉球古字」等を立項している(2019-6-4現在)。
 上記のうち、21世紀の今も広く使われているのは漢字のみである。
 世界の文字の使用人口の多い順に並べると、ラテン文字(ローマ字)、漢字、アラビア文字、…となる。
 日本のカナは音節文字、朝鮮半島のハングルは素性文字である。

文字体系
 文字の条件は「その文字だけで文章が書けること」である。この意味では絵文字(ピクトグラム)は記号と文字の中間的存在。
〇表音文字:人類の文字の大半を占める。音素文字と音節文字に分かれる。
 音素文字はコンセプトによってさらに「アブジャド」「アブギダ」「アルファベット」に分かれる。世界で最も普及しているラテン文字は、表音文字であり、音素文字であり、アルファベットの一種である。日本のカナは音節文字である。
〇表語文字:一文字が一単語と対応する。漢字など。
〇表意文字:純粋に意味だけを示し、読み方は国や地域ごとに自由。実在する表意文字は「ブリスシンボル」など少数。なお漢字は「表意文字」ではない。

参考 漢文の非情さ、特に盲人に対する

参考動画

★文字の記号の違い
 文字とは、言葉を表記するために社会習慣として用いられる記号である。言葉と一義的に対応せずに意味だけを示す記号や絵文字は、文字ではなく記号である。
 「文」は線が集まって紋様をなすイメージ、「字」は小さな子が次々と増えてゆくイメージ。
 文字と、絵図や記号の違いは、「文字は、文字だけで文章を表記できる」「それぞの文字は、一義的にそれぞれある特定の言葉と対応している」の二点である。
 例えば「駐車禁止」の標識の図表は、この場所に車を止めてはいけないという意味を示す記号ではあるが、必ず「駐車禁止」という単語と一対一で対応しているわけではなく「NO PARKIKNG」「駐車はご遠慮下さい」など同様の意味のさまざまな言葉と対応している。
 これに対して「駐」「車」「禁」「止」の各文字は、それぞれ読み方や意味は複数あるにしても、言葉と一義的に対応している。
 数千年前、文字が誕生したばかりの時代には、記号と文字の区別は曖昧であった(このような、世界各地の原始的段階の記号的文字を「原文字」と呼ぶ人もいる)。
 例:紀元前6千年−前4千年の「半坡陶符」(はんは とうふ Banpo Script)。仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)時代の遺跡から出土した陶器の上の紋様や図形を、漢字の起源であると見なす学者もいるが、定説とはなっていない。
 21世紀現在、確実に「文字」と見なせる最古の漢字は、紀元前13世紀ごろ、殷王朝後期の甲骨文字(亀甲獣骨文字)である。

★世界の文字の分類
 世界の文字の分類は「表意文字・表音文字」や「表語文字(単語文字)・音節文字・音素文字(単音文字)」に分類される。
 アルファベットは音素文字、カナは音節文字、漢字は表語文字である。
 また、カナとアルファベットは表音文字だが、漢字は「表音表意文字」である(漢字を「表意文字」と呼ぶ人もいるが、漢字は表音能力も有しているので、精確には「表音表意文字」である)。

★世界の文字の歴史的変遷
 おおむね「記号→絵文字→象形文字→表語文字→表音文字」と変遷してきたイメージが強いが、例外や反論も多い。
 19世紀までは、エジプトの象形文字や中国の漢字は原始的な遅れた文字で、日本のカナのような音節文字はやや進歩した文字、西洋のアルファベットは普遍的で最も進歩した文字、と考えられていたが、現在では否定されている。
 20世紀までは、言語の本質は音声であり文字は副次的なものにすぎない、と考えられていたが、この説も21世紀の現在ではゆらいでいる。
 世界最古の文字は、紀元前3400年ごろのメソポタミアの楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)と、紀元前3200年前のエジプトの象形文字(ヒエログリフ)とされる。
 中国最古の文字である甲骨文字は紀元前1400年ごろだが、中国の学者のなかには、紀元前6600年前のいわゆる「賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)」を世界最古の文字と主張する者もいる。
 メソポタミアの楔形文字は紀元後75年に書かれた天文学上の記録を最後に、エジプトのヒエログリフは400年ごろを最後に読み書きできる人が絶滅し、近代に学者が解読するまで「死んだ文字」となっていた。
 これに対して漢字は、甲骨文字以来、字体は変わったものの、一度も廃絶することなく21世紀の今日も使われている。

★文字のコンセプト
表音文字の代表的な例「アルファベット」
 古代ギリシャ文字の最初の2文字「アルファ」「ベータ」にちなむ呼称。ハングルを英語で「コリアン・アルファベット」と呼ぶように、広く世界各地の文字にも使う。
 21世紀現在、世界で最も普及しているのは、ラテン文字(Latin alphabet)である。古代ローマ帝国でも使われた文字であることから「ローマ字」Roman alphabetとも呼ぶ。日本語では「ローマ字」と「ラテン文字」は、意味用法がやや違うので要注意。
 アルファベットの特長は、
  1. 音素文字なので発音を正確に表記しやすい。
  2. 文字数が少ないので初学習や外国人へのエントリーコストが低い(しきいが低い)。
  3. 上記の結果、国際性に富む。
  4. ネットでも「文字化け」しにくい。
 アルファベットの短所は、
  1. 文字数が多くなる。例「朝日文化中心(6字)」「朝日カルチャーセンター(11字)」「Asahi Culture Center(20字=5文字+7文字+6文字+空白2つ)」
  2. なまじ表音文字なので実際の発音との乖離が気になる。例 英語takeは「ターケ」でなく「テイク」と読む。
  3. 方言を発音どおりに表記すると、外国語どうしのような漢じになる。
  4. 結果として、アルファベットを使う言語は、千年単位で「外国語」どうしになってしまう。例 ラテン語から「フランス語」「イタリア語」「スペイン語」「ポルトガル語」
 上記の特長と短所は、人の立場によってはそれぞれ入れ替わりうる。
 漢字の特長は、
  1. 表語文字なので中国語を知らなくても意味を理解できる。例 日本人の漢文訓読など
  2. 少ない文字で多くの内容を書き込める。例 「子曰」→「子、曰く」「The master said」
  3. 方言差が大きくても、外国語どうしでも「漢字文化圏」という共同幻想を共有しやすい。
  4. 結果として、漢字を使う言語は、外国語どうしほど違っていても同一の「国語」としての統一的意識を保ちやすい。
 漢字の短所は、
  1. 文字数が多く初学者や外国人のエントリーコストが高い(しきいが高い)。例 中国に「塙保己一」や「蝉丸」に匹敵する文芸人が出にくい理由
  2. 上記の結果、女性や子供が「文学」に参加しにくい 例 「坊主めくり」ができる日本の百人一首とそれができない「唐詩選」
  3. 国際性が低く、愛国心やナショナリズムと結びつきやすい。
  4. ネットでも「文字化け」リスクが大きい。
などである。上記の特長と短所は、人の立場によってはそれぞれ入れ替わりうる。

★ローマ帝国と漢帝国の運命を決めたのは「文字」だった
 ローマ帝国はローマ字=ラテン文字。文字自体がナショナリズムを喚起することはありまなかった。
 ヒトラーでさえ「ラテン文字は外国起源の文字だから廃止しよう」とは言わなかった。
 ラテン文字はラテン語だけではなく、ローマ帝国の内外の異民族の言語の表記にも使いやすかった。
 結果として、ラテン文字圏では、方言はわずか千年ていどで「外国語」となってしまった。
 古代ゲルマン語がわずか数百年でドイツ語と英語に分裂し、ドイツ人とアングロ・サクソン人(サクソン人の故地はドイツの低地ザクセン州)が互いに別の民族であると意識するようになって、第二次世界大戦まで何度も戦争をしてきたことは、その一例。
 ラテン文字圏では、数百年前もたつと、自国の文献さえ「外国語」のようになってしまい、日本や中国のような意味での「古文」は存在しにくかった。  英米圏の学校教育の「国語」の授業の教材で使う最古の英語はシェイクスピアの戯曲(1564-1616)。中世英語で書かれた14世紀の『カンタベリー物語』や、古期英語で書かれた8世紀〜9世紀の『ベーオウルフ』の原文は、現代英語から見るとほとんど外国語に近い。そのため英語圏では学者の研究対象にはなるが、リライトしていない原文がそのまま中高生の学校教材になることは、あまりないようである。
 一方、日本の「国語」の古文の授業では7世紀の和歌も教材として学ぶし、中国の学校の「語文」の授業では「古文」の教材として『詩経』に載せる3千年前の詩も取り上げるのが普通。

★漢字の「漢」の意味の変遷  古代中国の「天漢」から現代日本の「痴漢」まで
 諸説があるが、おおむね次のように変遷してきたと思われる。
  1. 漢(カン)という文字の最初の意味は「乾」「旱」「干」のカンと同じく「水気がない」の意。
     「少ない」「乏しい」というコアイメージから「僅」「饉」などの語も派生(藤堂明保・加納喜光の説)。
  2. 水のない川、という意味で「あまのがわ」を指す。天漢。銀漢。河漢。
  3. 水が少ない川、という意味で、陝西省から発して漢口の地で長江と合流する川「漢水」を指す。
  4. 漢水の上流である漢中盆地を指す。
  5. 漢中盆地の「漢王」だった劉邦が創始した王朝「漢」(前漢、西漢)を指す。
  6. 漢と戦った匈奴の兵士が、漢の兵士を指して「この漢め!」と呼んだところから、漢民族に対する呼称や「おとこ」の意味も生まれる。
  7. 後世「痴漢」「悪漢」など悪い男を指す言葉も生まれる。
     中国古典の「痴漢」は「愚かな男」の意で、南北朝時代(439年 - 589年)の北朝の歴史を記録した正史『北史』(659年完成)裴謁之伝に見える。
     日本語でも「痴漢」は「愚か者」の意だったが、戦後から「女性にみだらな行いをする不埒な男」の意になった。中野重治『夜と日の暮』1949年に「それが警察用の隠語か何かかと思ったが、『痴漢』だとわかるといっそういやな気がしてきた」
  8. 1949年に成立した中華人民共和国では「漢族」は法律で指定された56の民族名の一つである。漢族以外は、2千万人近いチワン族(壮族)も含めて「少数民族」とされる。

参考図書 鈴木修次『漢字―その特質と漢字文明の将来』講談社現代新書 1978/2
     ジョルジュ ジャン『文字の歴史』 創元社 1990/10/1
     阿辻哲次『漢字再入門 - 楽しく学ぶために』中公新書 2013/4/24

★補足 元号「令和」の出典論争とナショナリズム
 「令和」の出典は日本の古典『万葉集』。
 万葉集は、漢文(古典中国語)の部分と、万葉仮名(古代日本語)の部分があり、「令和」の出典は漢文の部分。
参考 令和元年 福井県白川文字学ゼミ 第1回「元号と漢字」


中国的知性の特長と限界 孔子とイエス・キリストの比較
YouTube The Passion of the Christ - HD (Trailer) 
https://youtu.be/4Aif1qEB_JU
 俳優たちが使う言語はアラム語、ラテン語など二千年前の言語そのまま(一部の発音は違う)。
YouTube 映画『孔子の教え』予告編 https://youtu.be/E6LYWVPJzcs
 俳優たちが使う言語は21世紀の中国語(「普通話」。北京語)。二千五百年前の孔子が喋っていた「古代漢語」ではない。

★孔子とイエス(史的イエス)の比較
孔子イエス
本名氏は孔、名は丘、字は仲尼ヨシュア(יְהוֹשֻׁעַ‎, Yehoshuʿa)
後世の称号文宣王、至聖先師、他神の子、メシア、キリスト、INBI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)、他
伝記資料『史記』孔子世家、他『新約聖書』福音書、他
身長九尺六寸(2m16cm)身長152センチ説(当時の人骨から推定)
178センチ説(トリノ聖骸布)
生没年前552年(前551年説も)−前479年前7年?…前4年?−30年頃
両親叔梁紇(下級武士)と顔徴在(巫女)ヨセフとマリア
先祖宋人(殷王朝の末裔)ダヴィデ王
母語中国語(古代漢語)アラム語? ヘブライ語?
「常師」無し洗礼者ヨハネ
職業公務員、政治家、教育者、校長、他修行者、宗教家、呪術医、革命家、他
弟子弟子三千人、高弟七十二人(「七十子」)、孔門十哲十二使徒
配偶者幵官(けんかん)氏(亓官or并官氏とも)。19歳で結婚生涯独身
子孫息子は孔鯉(字は伯魚)。
歴代の衍聖公。『孔子世家譜』2009年版では二百万人以上
無し
死因自然死。享年七十四刑死
墓所孔林聖墳墓教会、世界各地の「キリストの墓」
後継者による宗教儒教(Confucianism)キリスト教

★宗教の種類  「宗教」という言葉は、ラテン語religioや英語religionなど西洋語の訳語として幕末に考案され、明治に入ってから普及した新しい日本語である。
 religioの原義は「あらためて(re)」「結びつける(ligare)」である。日本語の「宗教」や「科学」は、実は実は良い訳語とは言えない。宗派に分かれていないものは宗教ではない、科に細分化していなければ科学ではない、という日本人特有の誤解を助長しかねないからである。
 佐藤信淵による奇書『宇内混同秘策』(うだいこんどうひさく。1823年)に出てくる「産霊(むすび)の法教」の「法教」は、宗教の意。
 宗教の定義はいろいろあるが、「至高の絶対的存在(神や真理など)と人間の関係を説く」「人間を内面と外面の両方から救済しようとする」「冠婚葬祭の自己完結性」「政治・経済・文化の側面をもつ」などの特長がある。この意味から見れば、中国の儒教は世界的に見ても強力な宗教である。
 江戸幕府は「儒学」を奨励する一方、「儒教」は弾圧し、「儒教徒」についてはキリシタン同様に警戒した。中国や朝鮮と違い、日本は、儒者にも仏式の葬儀を強要し、儒者もそれを受け入れるという異様な国だった。(cf.「儒者捨場」。拙著『本当は危ない『論語』』)。そのため日本では、21世紀の今も儒教は宗教ではないと誤解している人が多い。 例:国家神道は、天照大神を最高神とする選択的一神教である。
 キリスト教は一神教とされるが、マリア崇拝や守護聖人、天使崇拝など多神教的要素もある。
 儒教は客観的に見て宗教であるが、儒教自身はみずからを「儒学」「礼教」「名教」と自己規定する傾向がある。

★世界宗教になったキリスト教と、準世界宗教にとどまった儒教
 世界宗教になるための条件は、加藤徹が思うに、以下のとおり。 参考  中国人の知恵
祖先崇拝の儒教と、祖先崇拝を禁ずるキリスト教 加藤徹のサイト[paganism ペイガニズム]

工事中

[中国五千年の文明と歴史 中国とは何か 第2期(2019年7月-9月)]
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