朝鮮戦争と日本
朝鮮戦争勃発前の日本の情勢
1.逆コース 言葉の起源;読売新聞の1950年6月の特集
1947. 7 ジョージ・ケナン 日本、英国、ライン河川流域地方
=近代戦遂行可能な潜在的工業力を持つ地域
1948.10 NSC13/2 対日政策の転換
沖縄・横須賀の軍事基地の保持
公職追放の解除
経済復興を主要な政策目的
1948.12.24 A級戦犯の釈放
1949. 7. 5 下山事件
7.16 三鷹事件に関する吉田首相の声明
同事件が共産党の陰謀であるかのごとき声明
8.17 松川事件
1950. 5. 3 マッカーサー、共産党非合法化示唆声明
6. 6 共産党幹部の公職追放、共産党議席を失う
2.独立講和問題
1949. 9.13 アチソン米国務長官とベヴィン英外相の会談
対日講和促進で合意
1949.12.14 平和独立期成同盟(超党派組織) 独立、中立
1950. 1.15 平和問題談話会「講和問題についての声明」
全面講和、経済自立、中立不可侵、軍事基地反対
これらの議論で問題なのは、全面か、単独かという争点は政治的、イデオロギー的な観点からくる対立軸を中心としていた。戦争責任における加害の視点において、いずれの国と、どのように講和すべきなのかという視点は、左右両陣営ともに欠如していたといわざるを得ない点である。当時の左翼の言説においても、講和と戦争責任問題との接点は、「悲惨な戦争体験を繰り返さないため」といった被害者意識を主な立脚点としていたのである。
3.日本経済の状況
1948.12.10 経済安定九原則
インフレ抑制、経費節減、均衡予算、徴税強化、物価統制、
賃金安定(=上方硬直)、為替統制等々
ドッジ・ライン ドッジ:デトロイト銀行頭取、GHQの経済顧問として来日
1949. 3. 7 ドッジ声明
竹馬経済論 日本経済=日本の竹馬;アメリカの援助+政府の補給金
歳入超過の超均衡予算、一ドル360円の固定為替、貸出締め付け
→安定恐慌(インフレを強力に抑制、企業資金繰りの悪化)
→企業の合理化、行政の整理
→40万人の失業者!
ドッジ・ラインは、労働者、中小企業の犠牲の下にインフレを抑制し、国家財政を安定化させ、結果として大企業への資本集中を容易にさせたものであり、産業の二重構造性を前提とし、さらに下部の上部に対する依存体質を強化させるものであった。
4.思想的、イデオロギー的影響
レッド・パージに代表される強権手法は左翼戦線に一大打撃となり、朝鮮戦争の勃発と共に、路線をめぐる左翼戦線内での対立をヨリ深刻なものとした。
5.再軍備問題
吉田内閣/占領軍の対応
6.28 内閣大改造
7. 4 行政措置の範囲で米軍に協力する事を決定
7.24 レッド・パージ
8.10 警察予備隊令公布
8.16 外務省情報局「朝鮮動乱とわれらの立場」
10.13 追放解除
社会党の対応
6.24 社会党「講和問題に対する態度」
7. 5 「朝鮮問題と社会党の態度」
3.21 総評行動考綱領「平和四原則」
全面講和、中立堅持、軍事基地反対、再軍備反対
右 派 左 派 浅沼妥協案
講和条約 ○ × ○
安保条約 ○ × ×
↓ ↓
左派社会党 右派社会党
経済界の対応
8.25 経済同友会「朝鮮事変に対する我等の態度」『経済同友』
9.27 日本経営者団体連合(日経連)、声明「時局に対する経営者の基本的態度」
*「天佑」としての特需
広義の特需
狭義の特需
マスコミと知識人の対応
*プレス・コードとレッド・パージ
1.15 「講話問題についての平和問題談話会声明」『世界』
5. 3 吉田茂首相、南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」と非難
講話問題 戦争の収拾策
読売新聞
朝日新聞