一万人の追放解除
一九五〇年一○月一三日



 総数八千名から一万名におよぶ初めての多数の追放解除がきょう十三日政府から発表される。
 公職資格訴願審査委員会では九月上旬約三万二千件におよぶ訴願全部の審査を終了、このうち三分の一の約一万名が委員会の審査をパスして関係方面と最終的折衝に入っていたが、これらのうちわずかの例外を除いてはとんど全部が総司令部の了解を得て追放を解除されることになり、政府は十三日の閣議に付議したのち正式に発表する。
 政府は十二日総司令部からこれについての重大指示をうけ岡崎官房長官、伊関訴願委員会事務局長は同日午後この重大指示の具体化について総司令部民政局を訪ね、その助言を求めた。今度の追放解除が各界に与える影響は極めて大きいと見られる。政界では牧野良三、安藤正純、平野力三、次田大三郎、石井光次郎氏らが復活、また財界では加納久朗、関桂三、鈴木祥枝氏らをはじめ訴願したものの財界関係者の約六割が解除になるといわれる。
 終戦後の追放は昭和二十一年一月および同二十二年一月の覚書によって行われ、総数は約二十万名の多数に上っているが、そのうち反証のある約三万名の人たちが訴願委員会に追放解除の申請をし、そのうちから今度はじめて大量解除が行われたわけで、これは訴願厭委員会の審査結果が、ほとんどそのまま了承されたもようである。

 <解説>  今度の大量追放解除は長い間の懸案となっていただけ[に]時期的にみても極めて重大な意味をもつものとみられている。
 今回の措置に対し政府は関係当局者の予想をこえた理解ある態度であるとしているが、今回の断行の意義についてはつぎのように観測している。
 追放は単なる刑罰的な意味をもつというよりは、敗戦により日本を新らしく再建するためには古い指導者を一応各界から引退させて新しい指導者によることが第一目標であった。
 この目的は終戦後五ケ年の経過からみてほば達せられたともみられる。また占領政策も五ケ年を経ており日本にも出来る限り自主性を与えるべき時期に来つつあるとの意向もたかまって来ている。さらに六月突発した朝鮮戦乱およびその後の経過をめぐる極東情勢の変化がアメリカの極東政策の推進と相まって今回の措置を促進したとみる向きが強い。
 また国内的には警察予備隊編成および今後の整備に関連して大量にその中堅幹部級が求められているのでこれらとも関連性があるともみられている。



 (出典)『朝日新開』一九五〇年一〇月一三日。



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