講演要旨

「コンピュータ・ネットワークにおける法と法律実務の現在」

(プレビュー版)

 by 夏 井 高 人


日時 : 1998620

場所 : 明治大学大学院南講堂

主催 : 明大法曹会、明治大学法学部資料センター(共催)


 

1  はじめに

 今回のテーマは非常に広範囲に及ぶ問題を取り扱っているために、2時間ほどの時間で全てをきちんと説明あるいは講演するということはほとんど無理でございます。また、具体的な資料を示すということもできません。このスクリーンに投影しているプレゼンテーションにURL(http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/)が書いてありますけれども、これは、私のホームページであります。このホームページをご覧になるとさまざまな資料が入っておりますので、ぜひともご覧いただければと思います。

 また、今日はできるだけインターネットを使ってやりたいと考えまして、あっちこっち当たってみたのですけれども、結局この場所でインターネットを使うことが技術的に難しいということが分かりました。そこで、やむを得ないということで、昨晩必死になってインターネットの画面のハードコピーをとりまして、それをパソコンの中に入れ込みまして、用意いたしました。それをご覧になって、だいたいこんな感じだというところを感じとっていただけたらなあと考えます。

 さて、本日の講演の目的は、ネットワーク上でどのような法律問題が問題となっており、また近未来的に問題となる可能性があるか、それに対して立法・司法・行政が現在どのように対応しており、また法律実務家としてどのような対応がなされており、あるいはなされていないか、というあたりの鳥瞰図を見るというふうな感じのお話をさせていただきたいと思います。現在進行中の問題ばかりでありますし、さまざまな対処がなされており、あるいはなされてない問題ばかりではありますけれども、どのような対処が正しくて、あるいは全く対処しないことが本当に間違っているのかどうかということは、これから何十年か経ったみなければ誰も分かりません。分かりませんが、何が起きているのかということは知っておくべきで、それに対して自分としてどのように対処するべきかを決定することは、皆様方各人のお考えに従うべきだろうと思います。

今回どのような内容でお話しようかということはお手元のレジュメに書いてありますし、このスライドはプロジェクターで映しているものですから見えにくいかなとも考えまして、きょうお話する全てのスライドを縮小して印刷したものを用意いたしました。右欄にはメモをとれるようにしてありますのでご利用いただければと思います。

 進め方といたしましては、レジュメによりますと6番の項目の「日本の実状」というところまでを私がお話したところで、園部先生からコメントをいただき、そのあと7番から9番まで行って、そして再び園部先生からコメントなどをいただく。そのあと質疑応答という形でやらせていただければと考え、予め司会の高地先生ともご相談をしております。

2 コンピュータ・ネットワーク

*(スライド写真)コンピュータ・ネットワーク

 「コンピュータ・ネットワーク」というところでありますけれども、これは概念図であります。左側のほうが全部同じ色で描いてあることは意味があることです。大きな丸は、例えばテレビ局のようなものを考えていただければよろしいと思います。しかもこちらのほうには矢印がついていて一方的な方向に流れる。これ(大きい丸)は読売テレビだとすると、まあどこでもいいのですけれども、その系列にある地方のテレビ局。その下にさらに視聴者がぶら下がっている。こういう感じのネットワークでして、いわば中央集権的なネットワーク構造です。かつて20年ぐらい前までは各大学の電子計算センターに大型コンピュータがあって、それをタイムシェアリングで端末機で利用するというやり方をやっておったわけですけれども、それもやはり中央集権的なやり方ということになります。テレビやラジオのネットワークでは、その中に流れるコンテンツというか内容それ自体は全部同じでありますので、そういうイメージを出すめに全く同じ色にしてあります。

これがネットワークかどうかというのには議論がありますが、少なくとも最初に“ネットワーク" という言葉が出てきたのは、テレビ局のネットワークを考えてネットワークという言葉が出てきたようでありまして、非常に有名な例としては、アメリカの3大ネットワークとかそういうふうなものがある。そういうふうに理解していただければよろしいかと思います。

 真ん中の矢印から右側のほうはちょっと違った図になっております。全部それぞれつながっていて、しかもみんな色が違っていて、一方的な矢印がない図であります。これはどういうことかというと、それぞれが銘々かってに一つの世界をつくっているのだけれども、互いに連絡しあって情報交換し合えるような、そういうふうな状態です。その典型例が現在のインターネットですし、明治大学でいいますとMINDというネットワーク・システムがこれに当たります。これは、どこかで中央集権的に情報を作って一方的に流すというのではなくて、互いに流そうと思えば自由に情報発信できるし、受けるも受けないも自由。それからみんな網の目のようにくっつき合って全体として大きな構造物をつくっている。このような形であります。こちらのほうもやはりネットワークであります。

 このようにネットワークといっても概念的には大きく分ければ2つのタイプがあるとご理解いただきたいと思います。

 このような大きな2つのタイプの流れというのは、現実社会に併存しているわけであります。「超観念的」にいいますと−女子高生みたいな表現ですけれども(笑い)−何か全体がインターネットみたいなもので流れているというふうな錯覚がありますが、現実社会では両方が混在しているというのが事実であります。混在しておりながら、全体的な勢いとしては右側のような形のネットワークのものが非常に優勢になってきている。こういうふうにご理解いただければいいのではないかと思います。

 これに伴いまして、時代の流れ沿ってこのようなネットワークを研究対象というか、事象として捉える法学領域というものも少しずつ変化してまいりました。

3 ネットワーク社会の法に至る道程

*(スライド写真) ネットワーク社会の法に至る道程

 ネットワークに少しでも関係するような何とか法とネーミングされているものを少しずつ調べてみたのですけれども、若干時代順が逆になっているかもしれませんし、大部分がオーバーラップしてますし、どれか消滅したものがあるかというと消滅しているわけでもないので、そこらへん不正確かもしれませんけれども、大雑把な感じということでご理解いただきたいと思います。

 まず、「マスコミ法」というのは、新聞・雑誌だけではなくてテレビも対象としている先生もたくさんおられるわけですけれども、最初にマスコミ法として現れた時期を考えてみると主に新聞・雑誌です。少数の出版社なり新聞社が大量の印刷物を配付して、それによって、これはいわば中央集権的な一種の情報伝達の方法だと私は理解するわけであります。このように言うとマスコミの人は怒るかもしれませんけれども、マスコミ対国家権力という関係ではなくて、出版社あるいは新聞社とユーザーとの関係でみれば、明らかに中央集権的な構造をとっているわけで、そういうふうな時代の考え方。マスコミ自体が国家権力との関係では国家権力に対する対抗的な存在という捉え方ができる一方で、一般大衆との関係では一体どういうことなのか。そういうふうな議論がなされていたわけです。

 それからさらにテレビ・ラジオの世界となりますけれども、これは電波とかケーブルによって活字以外の諸々のコンテンツを流せるようになった時代というふうにご理解いただけると思います。こうなってきますと、活字だけではなくて、情報自体を社会全体で流通するための媒体としてテレビ局とか新聞社というものを考えることができるようになった。そういうふうな時代ではないかと考えます。

 そのあとさらに「通信法」というものが出てきたわけです。これは日本でいいますと公衆電気通信法とか、そういうふうな法律の関係でだんだん議論が出てきたのではないかと、私は理解しているのですけれども、要するに電話とかテレックスの世代の話であります。「マスコミ法」とか「メディア法」というのは、基本的には先ほどの図でいいますと左側のネットワークに属するようなものです。流す側が1で受取手が多数いるような構造だったわけですけれども、「通信法」といわれるような法領域が出てきた時代あたりから、電話に象徴されますように、電話は個人対個人の関係でありまして、電話の受話器をとると一方的にラジオが聞こえてくるとかそういうものではございません。ですから、初めて個々のユーザーが主体として登場し始めた時代と理解できるのではないかと思います。

 ここいら辺からが、過去10年くらいの話になります。

「コンピュータ法」というのは、コンピュータの世代のものであります。コンピュータ法の扱う領域は、それまでのメディア法とか通信法などが扱っていたものに加えて、コンピュータで処理されるデジタル・データ形式の著作物の問題とか、その他の知的財産権などの問題も含めて、よりデータの処理がものすごく速くなった状態で新たな問題が生じてきているというところを捉えて、コンピュータに関わり合いのある諸々の問題を「コンピュータ法」として捉えられるのではないか、こういう観点から出てきたものであります。

 そのあと「情報法」というものも出てきます。普通の公衆回線でもアナログとデジタルの両方ありますけれども、デジタル通信ができることによって、物体としては同じような電話機のようなものを使っても、より多くのいろんなものを個人対個人が流せるようになった。あるいは銀行間その他の企業間のデータ通信などもさらに多様なものを流せるようになった。それによって何ができたかというと、一定時間単位で流れるデータの量が増えることによって、かなり多数の大量のデータを蓄積することが可能になった。つまり、この時代あたりから本当に意味のあるデータベースをオンラインで構築できるようになったのではないか、というふうに私は理解しております。

 それまでも「全銀システム」とかいろいろあったわけですけれども、皆様ご記憶あるかもしれませんけれども、最初はカタカナしか使えなかったのです。カタカナのコードは非常に小さなコードで済みますが、漢字とかその他いろいろなものを入れますと、コードが大きくなりますので、データの送信量が大きくないと処理できないわけです。それが漢字も使えるようになった、その他の記号も使えるようになった、ということは非常に大きなことでありまして、データベースを構築するにしても、内容的に情報量の多いデータベースを構築できるようになった。こういうふうに理解できると思います。この時代に至って情報それ自体を考える時代になったのだと考えます。

 その次は、「サイバー法」「ネットワーク法」と両方を並列してありますけれども、サイバー法の「サイバー」とは一体何なのか。私自身もよく分かりませんが、日本ではしばしば「電脳空間」と訳されております。もとはスラングみたいな言葉だったようですけれども、インターネットを中心とするそういう空間のことを「サイバー空間」と呼ぶ人が多いようでして、「ネットワーク法」というのも、従いましてインターネットに代表されるような双方向通信で主従の関係のないものが互いに結びつきあったような、そういうネットワークという暗黙の前提があります。これは過去、長くても5年くらいしかない世界の話でありまして、現在まさにサイバー法が問題となりつつある状況下にあるということになります。

*(スライド写真)コンピュータ法アソシエイション
  
http://cla.org/

「コンピュータ法」とか「サイバー法」などのが実際にどういうふうな研究活動がなされているかという例は挙げればいくらでもあるのですけれども、これはCLAというところでありますけれども、世界的な規模でのコンピュータ法の学会のようなものです。

*(スライド写真)フロリダ大学コンピュータ法サイト
  
http://grove.ufl.edu/~cmplaw/

 もちろんコンピュータ法については、この例で挙げているものだけではなくて、いろいろなところであるのですけれども、これはフロリダ大学の例です。活字ではよく分からないかもしれませんが、緑色で9つほど箱のようなものがあります。それぞれリンクといいますけれども、スイッチのようなものになっていて、マウスという装置でクリックすると別の場所に行くようになってます。どこに行くかというと、法律のデータベースだとか、判例のデータベースだとか、関連する論文のデータベースに行く。ここのホームページの特徴は、コンピュータ法に関係するそういう資料を集めているものであります。学術研究目的ということになります。

*(スライド写真)UCLAサイバー法サイト
  
http://www.gse.ucla.edu/iclp/csth.html

 これは有名なUCLAの中にある Cyberspace law となっていますけれども、まさにこれが「サイバー法」だと思います。大学レベルでサイバー法を研究しているものです。これはホームページでは表紙に当たるところですので、この絵を見ますと、なんだ大学の古い建物の写真があるだけじゃないかと思われるかもしれませんけれども、先ほど申しましたようにインターネットを使ってぜひともやりたかったのは、ここ(右端)にスクロールバーというのがありまして、これは巻物のようになっていまして、この四角いものをずっとずらしていきますと下のほうにも、(下品ですが)褌のように長くなっております。下のほうにたくさん書いてありまして、先ほどと同じようにいろいろなところに、リンクといいまして飛べるようになっています。ここも全体として一つのサイバー法に関するデータベースという感じの構造になっております。ぜひともご覧いただきたいと思います。

*(スライド写真)指宿先生 The World List
  http://www.law.osaka-u.ac.jp/legal-info/worldlist/worldlst.htm

 いままでの例はアメリカを中心とする例だったわけですけれども、ここに紹介しますのは鹿児島大学の指宿先生が作られた「 The World List 」となっています。Non-U.S. Law-Related Resources for the Internet Users となっている。この“Non-U.S." というところが非常に魅力的です。つまり、サイバースペースというのは、インターネットだから世界的に広がっているのじゃないかといいながらも、やはり、アメリカ人が中心でして、そのアメリカ人がになっていろいろな研究をしますと、中身もアメリカ法中心になってしまうわけです。これは、当たり前のことです。しかし、グローバルではないリアルな社会の中には、現実に主権国家がたくさんあるわけでして、それぞれ法律を持っております。インターネット上でそれが拾えないかというと、ちゃんと拾えるわけです。但し、拾うためにはものすごい苦労が必要なわけです。どこにあるのか分からない。誰かがそういうもののインデックスを作ってくれれば非常に便利なわけでして、Non-U.S.という観点から徹底的に調べ尽くして作ってくれたのが、このデータベースでありまして、これは本当に世界的な規模で見ても称賛に値すべき素晴らしい業績です。そういうものを日本人の研究者が作ったということは、本当に素晴らしいことだなというふうに、私は思っております。

 これも同じで、ここ(スクロールバー)をマウスでクリックすると、ずっと巻物のようになっておりまして、下のほうに大項目の見出しがあって、それを順番に国ごとにクリックしていくと、さらに細かな法律が見れる。こういうふうになっております。

 しかも、驚いたことに、現在でも更新されております。どこから更新されているかというと、指宿先生は現在シカゴ大学のほうに出向中ですけれども、オンラインというかリモートで調べて更新しているということらしいです。インターネットというのは文化的な仕事のためには素晴らしい道具だなということを、まさに実感させるものだというふうに理解しております。

*(スライド写真)コンピュータ法,サイバー法関連の書籍
  
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/prof/txt1993-1.htm
  
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/prof/txt1997-1.htm
  
http://www.sn-hoki.co.jp/html/inet.html

 ここは若干宣伝みたいなものですけれども、左の2つは私の著書です。『裁判実務とコンピュータ』という本は、私が出版社と交渉した当初は、本当は『コンピュータ法概論』というタイトルにしたかったんです。ところが、出版社は、1993年でしたが、当時は「コンピュータ法」という言葉がまだ世間に知られてなかったので、「それでは本が全く売れない」というので、しょうがないから「適当に“実務”とでも付ければ弁護士さん買ってくれるのじゃないの」みたいな話になりまして、それで、本当にいい加減なんですけれども、こういうタイトルになりました。でも、私自身の若干自慢めいた話をしますと、たぶん日本で最初に書かかれた「コンピュータ法」の本ではないかと思っております。この本は、つい先日やっと完売になりまして、売れるのが非常に遅かったので重版しないと出版社から言われまして、とても悲しい気持ちでいるわけです。

 次に『ネットワーク社会の文化と法』という本ですけれども、これは昨年出した本です。これは「ネットワーク法」という観点から書いた本で、現在議論すべき細かな問題もたくさんあるのですが、それを通り越して、その先どうなるかということを予測してみた一種の全体としてシミュレーションみたいな本であります。

 現時点で、インターネットがらみの、ネットワークがらみの本として一番優れているなと私なりに考えているのは、右側にある『インターネットの法律実務』という本です。これは、新日本法規から出ている非常に大きな本ですが、私が知っているかぎりでは、体系的かつ網羅的にいろいろの問題を論じている本として、たぶんこの本の右に出る本はないのではないかと思います。この本を書いたのは大阪弁護士会に所属の岡村弁護士と近藤弁護士です。これも新日本法規に知り合いがいるものですから、このあいだ雑談で聞いていたら、非常に売れ行きがよくてもうすぐ完売になるという話でした。重版になるのは間違いないだろうという話でした。

4 ネットワーク関連の紛争事例

*(スライド写真) ネットワーク関連の紛争事例
  
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/prof/doc/doc1997-3.htm

 学問的にネットワークなり情報通信が発展したから何か新しい問題が起きるだろうと推測することは誰でもできますし、勝手に法律体系を作ることは簡単なんであります。私自身も空想で作ることは簡単なんですけれども、しかし現実に何も問題が起きないのであれば学問としては成り立たないし、その分野で弁護士がメシを食っていくということもできません。でも、残念ながら現実にたくさん問題が起きておりまして、学問も成り立つし弁護士も食っていける。こういうふうな時代になったわけであります。

 どういうふうな問題があるかというと、キリがないのでありますけれども、ここに示した研究報告「ネットワーク関連訴訟事件の審理における問題点について」は、私が去年、明治大学の法学部で研究報告をさせていただいたものを「紀要」のようなものに書きまして、それをかってに電子版にしましてホームページに貼り付けてあるものです。私なりの立場で考えて非常に問題だと思っているのは、さまざまなネットワーク上の法的な問題が生じているのに、法律家がそれに対応していないというところが非常に問題だということでして、これは、そういう観点から考えてみた研究報告であります。

 いろいろな角度から問題を指摘することは可能ですけれども、問題点を一つあげてみますと、「何が問題であるかを知らない、仮に知ったとして、ネットワーク上のいろいろな問題を現在の裁判システムの上に乗せることが本当にできるのか」という問題があることを指摘することができます。

 例えば、特許権などにいたしましても、特許請求の範囲というものを普通は文字で書くわけでありますし、またほかの種類の事件でも、たとえば著作物でも何でも文字で訴状を書くわけであります。判決ももちろんそうであります。文字で書けるものであればいいのですが、例えば、ここの空中に触れば何か感じるような立体画像があったとします。私自身の姿が、私を本物だと思っているかもしれないけど、実はこれはものすごく高度なコンピュータ技術によって立体的に見える虚像であると仮定します。そういうものをどのように訴状に書くのでしょうか。また、何か請求権なり請求原因なりを特定しようとしたときに、そのような状態としか言いようがないので、「これは夏井という者が立っておる姿が立体像として表示される何がし云々」と書いたところで、何も特定されいないわけです。つまり、訴状をパタッと開けた途端に、そこに立体像のミニチュア版がひょんと浮き出るものでなければ特定できてないということになるかもしれないわけです。そういうふうなのはSFみたいな話なんですけれども、私が思いつくのはそれくらいしかないので、こうしか言いようがないのですが、もしかすると、ネットワークに接続しないかぎり特定できないような対象物がどんどんできてくるかもしれない。ところが、現在の訴訟システムというのは紙しかないわけです。昨今はファックスでどうのこうのと、そういうふうなものが利用されておりますけれども、最終的には紙に固定されることになっていますので、このままで本当によろしいのでしょうか。そういうことになります。

 現実的な事件としましても、日本で起きました NIFTY-Serveの名誉棄損事件なども、確かに誹謗中傷の文言は、電子掲示板に書かれたものが活字として当時存在していたわけですし、そういうものを再現することも可能だし、印刷することも可能です。判決文の最後のほうには、誹謗中傷文言一覧みたいなものが延々と何頁も続く。そういう判決ができるわけですけれども、これで本当にそれが誹謗中傷といえるかというのは、もちろん先生方よくご存じのとおり、言葉それ自体で分かるときもあるのですけれども、ネットワークの特性としては、それが一定の時間の中で、一定のネットワーク環境というんですか、一定の特殊な状況の中でスクロールする画面の中で矢継ぎ早に出てくる。そこにすごく大きな特徴があるので、それはフロッピーみたいな判決をテレビにガチャッとはめるとそのときの状況が再現されるというものでなければ実感できないと思います。私自身はパソコン通信の経験が非常に長いので、自分の頭の中で、たぶんこうだったのだろうと再現できていると思っていますけれども、しかし最初からインターネットに入った世代でパソコン通信を知らない世代では、たぶん想像できないのではないかと思います。

 同じようなことは、ほかの通常の事件でももちろん言えるのですけれども、ネットワーク環境において何かが起きるというのは、たとえそれが表面的には文字の塊のように見えるものであったとしても、一定の時間的な間隔とか動きとか、そういうものが必ず伴っております。したがって、文字だけで本当に勝負できるのかということについて、私は、若干疑問に思っております。

 そういう問題などにについて述べたものだということで、この研究報告を見ていただければありがたいと思います。

*(スライド写真) 法情報学ゼミHP内の海外判例紹介ページ
  
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/doc/cases/index.html

 日本以外のところにいろいろと目をやってみますと、世界中にそういう事件はたくさんあるわけでありまして、そういうもののコレクションを少しずつ始めております。

 いま映っているのは、私のホームページの中の英語版のページの中で海外の事例の紹介のページであります。現在コレクションで入っているのは大多数がアメリカのもので、あとオーストラリアのものが1つ入っております。

 アルファベット順で項目を分けているので“Antitrust"が最初に来ちゃって、なぜか、MicrOSoft とか intelが最初に来るのですけど、これは別にいやみでやっている事では……あるかもしれません(笑)。そうではありません。たまたま Antitrustなのでそうなったというふうに強弁することになっております。

 ただのパソコンの話じゃないかとか、Windows の話じゃないかというふうな議論なんですけれども、しかし、そのWindows を使って普通の人が今何を普通やっているのかというと、電話線なり何なりを使ってインターネットにつないで双方向通信をやっているわけです。OSというのは、インターネットのためのドアみたいなものです。実際にはドアの戸板みたいなものがブラウザとか窓枠とかそういうものだろうと思うのですけれども、ドアとか窓枠というものが存在するためには、外側に枠があって、塀とか柱がなければ、窓とかドアの板というものは絶対立たないわけであります。そういう一つの構造体があって、その中で初めて窓が開くとか、そういうふうな構造になっております。

 比喩で言いますと、日本の建物の基準ですとJISの規格がありますから、それに合うような部品ならばディスカウントに行って部品を買ってきてやれるわけですけれども、それを一企業がかってに決めたような規格でなければ窓が取りつけられないとなったらどうなるのか。そういう世界の話であります。そもそも木材とか鉄とかコンクリートの建物と電子的なものを比喩的に並べるのはおかしいというお考えもあるかもしれませんけれども、あえて極端なたとえを言えば、たぶんそういうことなんだろうと思っております。

 ですから、個々のパソコンに乗っているOSの話のように一見みえる話が、実はネットワーク上のまさに始まりの話であるという意味でも、自分でこういう目次のようなものを作りながら、非常に象徴的な出来事だなと。しかもアルファベットでいうと Antitrustから始まるというのが、これはすごく象徴的なことだなと自画自賛して作ったわけであります。しかも、分かりやすくここだけ色を変えてある(笑い)。もちろんこれはそれぞれクリックするとそのテキストにジャンプするようになっています。

 この翻訳版は、自分だけではなくて、少しずついろんな方々にお願いして、協力し合って出していきたいと考えまして、現在、計画中であります。

 中身を見ますと、ずっと下のほうにスクロールしていきますと、さまざまな項目が並んでおります。現在世界では、ありとあらゆる問題がネットワーク上に投影された形で出てくるし、最近ではネットワークでなければあり得ないような問題も少しずつ出てきているということになります。

*(スライド写真) 小樽商大町村先生HP内のPC-VAN事件紹介ページ
  
http://mac-309.ih.otaru-uc.ac.jp/pcvcase/

 これまでの判決情報にしろ法律情報にしても、ネットワーク上でのいろいろなもめ事の情報については、つい最近まで、我々は『判例タイムズ』だとか『判例時報』とか、そういうものからしか手に入れられませんでした。たまたま興味のある弁護士さん方は任意の研究会のようなものとかそういうものを作って情報を受けることができたわけでありますけれども、そうでない限りは、『判例タイムズ』とか『判例時報』に載るのを待つしかない。ところが、判決が言い渡されてから雑誌に載るまでに6か月以上かかるのが普通です。なぜそうなのかというと、この裏話をご存じの方はもちろんご存じだと思うのですけれども、ああいうものには必ずコメントというものがありまして、コメントの執筆に3か月ないし4か月かかるために6か月以上かかってしまうというのが普通であります。判決文そのものをすぐテキストにして雑誌に載せようと思ったら、うんと急げば1週間か2週間でたぶんできると思います。現実に『金融・商事判例』とか『労働判例』とかそういうところは、すごく短いコメントしか載ってないけれども、本文だけはちゃんとものすごく早く出るのです。

 コメントなしでテキストだけをもしインターネットを使って出したらどうなるかという話になりますが、「PC-VANチャットログ無断掲載事件」という判決が、これは平成9年1222日の判決ですけれども、判決が出て間もなく小樽商大の町村先生のホームページに載りました。なんで載ったのかというと、一方の当事者の代理人から町村先生に判決文が送られてきたのだということです。

 もっと早い例があります。関西のほうので猥褻事件の判決を集めている有名な先生でありますけれども、そこは略式判決でも何でもすぐに載るわけです。これも人脈で「今度こんな猥褻でこんな判決をくらったから載せてくれ」みたいに持ってくる弁護士さんもいるのだそうです。その先生も積極的に支援求めていて、それですぐに載る。大半は略式になりますので『判例時報』などには絶対載らないわけです。載らないのですけれども学問研究の対象としてはものすごく重要なものがたくさん入っていて、そういうホームページは、私だけでなく、まじめに研究をしている研究者にとっては非常にありがたいんです。

 このことはいったい何を意味するかというと、あとのほうでも出てまいります法学研究の方法論にも大きな影響を与えることでもありますし、また法情報をいったいどのような形で誰が発信すべきなのか。いったい何がいちばんいいのかということをよく考えてみないといけないよと、そういう問題を含んでいるのではないかと思います。

 ネット上の問題は、このように世界でも日本でもいろいろあって、またそのネット上の紛争を我々が認識するための情報源もネットの上に乗ってものによってはかなり早く手に入れられるような時代になったと理解しております。

5 世界各国の対応

 このような時代の流れを受けて世界各国でどのように対応しているか。

 世界各国でさまざまな対応がなされております。分量的にいうと、もちろんアメリカ合衆国が一番多いのでありますけれども、私が自分で作ったホームページに最初に翻訳を載せたのは、なんとマレーシアの法律でありました。マレーシアで当時世界で最も最初といわれる「サイバー法」という名前のついた法律を作ったわけであります。サイバー法というのは、実際には2つの法律の合体したもので、1つは「コンピュータ犯罪法」、もう一つは「電子署名」の関係の法律。その2つの法律を合わせて「サイバー法」という名前の法律を作ったということをインターネット上で情報を得まして、すぐに探しにいって、これは面白いというので翻訳を始めたのがきっかけで、そのあとずっと翻訳オタクみたいになってしまったわけです(笑い)。

 マレーシアは当時まだ通貨危機よりずっと前でしたので、時代が変わるというのはものすごく恐ろしいことなんだなと思うのですけれども、わずか半年ぐらい前の話であります。その頃はまだまだマレーシアもいいんじゃないかと。プトラジャヤを中心にしてサイバー都市をつくるというので、すごく持てはやされた当時で、それがたった半年たった今現在では、通貨危機のあおりでマレーシアもかなり厳しいです。本当にプトラジャヤができるのかどうかも怪しい状態になってきております。そういう恐ろしい状況にありますけれども、私はアジアの一員として、マレーシアは必ずしも民主国家ではありませんけれども、やっていること自体はすごいなと思うわけであります。

 とはいっても、先ほど申しましたように、実際には立法に関する情報、あるいは司法に関する情報、実際に法律ができた場合の行政の運用情報、これも一つの「法情報」だと考えますけれども、そういうものを最も大量に、しかも迅速に手に入れられるのはアメリカであります。また、単に立法情報を手に入れられるというだけではなくて、新たな立法情報が毎日のように入ってまいります。なぜ入ってくるかというと、それはネットワーク社会に向けた法律の整備がどんどんなされているから、現実にそういうものが存在するからであります。

 そういうふうな状況を受けて法学教育の方法論、これは結局は法曹教育ということにつながっていくわけですけれども、それも具体的なあり方が現実にどんどん変わってきている。しかもネットワークを使って変えていこうというものです。これまでの教育改革というのは、どの国でもネットワークと関係ないところでなされているものでしたから、どんな改革がなされているかというのを本当に知るためには、実際に留学したり、在外研究などに行ったりして、現場に行って見てみなければ分かりませんでした。しかし、ありがたいことにネットワーク上で改革してくれているものだから、何をやっているかがすぐ分かるという状況になります。というわけで、私のように学者になりたてで、ずっと日本にいたままの人間でも新しい情報が手に入るので、一番いい時にこういう学問をやれたなと、私はラッキーな人生だなというふうに日頃から思っているのです。とにかくそういうものがネットワーク上でどんどんなされているということです。

*(スライド写真) Emory Law Library : Federal Courts Finder
  http://www.law.emory.edu/FEDCTS/

 まず判決情報ですけれども、これはただのアメリカ地図のように見えるかもしれませんけれども、それぞれ一定の幾つかの州のまとまりごとに、これはサーキットに対応しているわけですけれども、色分けされております。そこをクリックすると、そのサーキットの中項目ぐらいの目次に行くという感じです。これは、第1サーキットとか、第2サーキットと書いてあるよりずっと分かりやすいです。つまり、第1サーキットとは一体何なのかということを繙けば、それはちゃんと辞書に書いてありますよ。だけど、いったいどこのことを言っているのかというのは頭に入りにくいです。でも、地図をスイッチにしているということは、非常に分かりやすい。これはすごい成功例だと私は思っております。ぜひとも日本も、日本地図があって、東京高裁管内とか、大阪高裁管内とか、色分けしてあるところをクリックするとピュッと出てくるとか、そういうふうなものを誰か作ってくれないかなと切望しているんです。これは、もちろん一人でやるのは無理ですので、組織だってかなり大きな予算をかけて作らなければできないので、できれば日弁連あたりでそういうのを作ってくれるといいなにと思うのです。こういうのはすごくいい例だと思います。

実際の中身は、非常に詳細な判決情報とか法律情報が手に入る素晴らしいデータがこの中に入っております。実際に順番にクリックしていって必要な箇所まで来るとキーワードを入力して必要なものを探す。こういうふうな形になっております。

*(スライド写真) Thomas
  http://thomas.loc.gov/

 これは立法情報を提供するためのサイトです。アメリカの議会で作っているんですけれども、Thomasというのは、機関車トーマスのトーマスではなくて、Thomas JeffersonThomas のようですね。ここに2つ窓のような、クエリーというのですけれども、キーワードを打ち込む穴のようなものがあります。こっちは [search by bill number]となっていますけれども、法案の番号が全部固有番号で決まっておりますので、下院だとHR何番とか、そういうふうに打ち込んでやると、その法案の番号で出てきまする

 下のほうは [search by word number]となってまして、これは普通のキーワード検索と同じで、例えばインターネットがらみの法律がどういうのがありますかというのを調べるときには“internet" と入力してサーチというボタンをクリックしてやると、ザーッと一覧表で出てきます。

 非常にありがたい話で、私はこれを非常に活用していて、日本でもこういうものがないのかなというふうに思っております。

*(スライド写真) JURISTISCHES INTERNETPROJEKT SAARBURCKEN
  http://www.jura.uni-sb.de/

 次はドイツの話です。私の法情報学は、ここのザールブリュッケンの法情報学を真似してやっているのですが、非常にありがたいのです。ドイツのサイトでありながら Englishによる情報提供はもちろんのこと、ちゃんと「日本語のホームページ」と日本語で表示してあるんです。これはとにかく素晴らしいです。内容的にも非常に素晴らしくて、中には半分以上はドイツ語しかないコンテンツのものもあるのですけれども、Alta Vistaというありがたいサーチエンジンを上手に使いますと自動翻訳してくれます。日本語の翻訳はしてくれないのですけれども、英語の自動翻訳をパッとしてくれますので、私のようなドイツ語があまり上手でない人間でも、両方を比較しながら見ると、なるほどこういう意味じゃないかなというのが非常に分かりやすい。複数の仕組みを掛け合わせて使うことによって、かなり多量の情報を手に入れることができます。

*(スライド写真) European Commission Legal Advisory Board
  http://www2.echo.lu/legal/en/labhome.html

これはEUの中の委員会で European Commission Legal Advisory Board 、法律関係の諮問委員会とでも訳すのでしょうか、正確な訳は知らないのですけれども、その中でプライバシー関係のものを扱っている委員会というので、その関係のEUの指令とか、その他の会議とか、会議の結果とか、そういうものが網羅的に入っているところです。これ何で重要なのかというと、EUの指令というのは絶対目を離すことのできない重要なものがたくさん含まれていて、そういうものが単に出来上がったものだけではなくて、どうしてそういうものが出きたのかというプロセスとか、いろいろな資料がここから入手できるということが非常に素晴らしい。

 それから、ここに国旗のようなものがありますけれども、国旗のところをクリックすると、その国の言葉で表示されるというものであります。EUはものすごくたくさんの言語に属する国々の合体したものでありますから、加盟国全部の言語によるドキュメントを用意しなければならなりません。それには、ものすごい大変さがあるのだということを担当していた方から聞いたことがあるのですけれども、とにかく大変だそうです。大変だけれども、これをやっていかないとEUが成り立たないので絶対やるのだということでやっているということでして、そういうところが、ますますすごいなあと思います。

*(スライド写真) Pamela Samuelson : Syllabus for Cyberlaw
  http://www.sims.berkeley.edu/~pam/courses/cyberlaw/syllabus.html

 これは何の変哲もないようなただの文章があるだけじゃないかと思われるような映像ですね。ここだけ見るとそうなんですけれども、これをまたズルズルッと下のほうまでスクロールしますと面白いものがたくさんあります。これは知的財産権の関係で非常に有名なPamela Samuelson という方のシラバスです。シラバスというのは、講義予定表のようなものです。これは何回見ても、これ以上のシラバスは存在しないのじゃないかと思うぐらい完璧によくできてます。ぜひともインターネットで接続してクリックして見ていただきたい。私自身もこういうふうなシラバスを書けたらいいなと思います。これは本当に規範になるのじゃないかと思ってます。内容的にも素晴らしいです。

6 日本の実状

*(スライド写真)日本の実状

 このように、絵ものんびり出てくるようにわざと作ったのですけれども……、やっときましたですね、「迅速・満足とはいえない提供」。

 立法情報しかり、司法情報しかり、行政運用情報にいたっては、通達の類はほとんどネット上では手に入れられないです。

 でも、稀に手に入るジャンルもあるのです。それはネットワークのセキュリティの関係とか、情報通信関係の通達などのうちの重要なもので、幾つかネット上で手に入ります。なんでそういうものが手に入るかというと、それはまさにネットワークそのものに関係するもので、ネットワークで周知したほうが意義があるものだから積極的に出しているのだろうと思います。しかし、誰が出しているのかということをよく考えてみますと、それぞれの管轄官庁の外郭団体や関連する研究会などが出しているのでありまして、それぞれの省庁が直接に出している例というのは滅多にありません。

 それから「ネットワーク社会へ向けた法律の不在」ということであります。私は、先ほどアメリカの例で出しました Thomas というところをしょっちゅう見張っておるのですけれども、毎日のように新しい法が出て、大半はポシャルのです。しかし、アメリカの議員というのはよくもこれだけたくさん法案を作って提出するものだなと、法律気違いじゃないかと思うぐらいたくさん出てくるわけです。それぐらい関心を持ってやっている人がたくさんいるという状態で、その中の幾つかは本当に法律になってしまうわけです。これまで日本では全く考えられないような、例えば著作権法とかその他諸々の法律では、そんなものは法律じゃないよといわれるようなものまで法律としてちゃんと成り立っていくわけです。そして、一旦法律として成り立って、それが権利だといわれれば、少なくともアメリカ国内では権利になってしまいます。そういう具合にどんどん変わっていくわけです。

 ところで、これは日本とは全く無縁の話かというと、そうではありませんで、日本の法律というのは、ありがたいのか不幸なのか私は分かりませんけど、民事法でも刑事法でも、一般条項の塊であります。例えば不法行為に関しては 709条が典型的ですけれども「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ」となっておりますが、「故意」とは何かというのは何となく分かりますけれども、「過失」というのは全く白地でありますし、「他人の権利」これは利益侵害と考えるのでしょうけども、いったいどういう対応のものが侵害になるのかということは、その場その場で決めれるということになっています。そうしますと、事件が起きるたびにその事件に必要な要件事実が決まるという構造になっていて、予め要件事実がないのと同じことですから、これまで日本では権利になるわけないじゃないかと考えられるようなものでも、アメリカのようなところで(アメリカは一番ネットが発達していますからネットユーザーがもちろん多いわけで)、そういうところで連邦法で決まって権利とされているようなものは、ネットの少なくとも半分ぐらいの世界においては権利とされているものだと認識すべきことになります。そうすると、これまでの普通の民法の考え方とか、その他の法律の考え方で、絶対に権利になりえないものはいつまでもそうであるということは断言できなくなってしまいます。何しろインターネットは全部つなかっているわけですから。そうしますと、一般条項である 709条をもとに新しく要件事実を事件ごとに組み立てるときに、これまではそんなの権利じゃないと言われていたはずのものが、ちゃんと権利侵害になりますねということになっていくわけです。これはすごく大きなことです。要するに、アメリカ法は日本法でないのだから関係ないということが言えない時代になっているということです。

 このことは、不法行為だけでなくて、ほかのさまざまなところでそういう問題が存在します。日本の民法はあまりにも大雑把で、ほとんど全てが一般条項ですから、具体的な事件における要件事実の確定の場面において、関連する日本法が何もなければ、日本の普通の裁判官は一生懸命勉強しますから、アメリカの本当の法律であればその法律を参考にして考えます。ですから、少しずつ要件事実の構成の段階で、アメリカ法が日本の裁判の中に入ってきてしまう。また、原告側であれば、やはり同じように一生懸命調べて、アメリカではこうなっているじゃないか、EUはこうなっているじゃないか、世界的にはこうじゃないか、というふうなことを当然主張するわけですから、そういうものがどんどん入ってくる。そうすると、外国の立法なのに、日本の法典があまりにも抽象的であるがゆえに、実際の要件事実論の場面では外国の法律にどんどん、換骨奪胎ならかっこいいですけど、すり替わっていくという現状が、今後ますます増えるだろうということがいえるだろうと思います。これが「不在」ということであります。

 「法学教育方法論の改革の遅延」。これで「ない」というと、「明治大学ではやってますよ」と言いたいので、「不在」とは書きませんでした(笑い)。しかし「遅延」しているということは否めないことであります。

*(スライド写真) 衆議院HP内の議案の一覧
  
http://www.shugiin.go.jp/top/gian.htm

 Thomas の場合ですと、最初のぺージしか示せませんでしたけれども、 Thomas の左のほうにあったクエリーというところに、キーワードとか法律の番号などを入力してやってサーチというふうにスイッチを入れると、パッと法律の条文が出てくる、あるいは法案の条文が出てくる。ポシャッたものも、今生まれつつあるものも含めて、ほとんど全てのもの。それから、司法委員会なり何とか委員会で、どの議員がどういう発言をしたかというような情報がかなり精密にザーッと出てきます。ですから、その法律がどうして出来上がってきたのかという経過をきちんと読んでいくと、かなりよく分かる。

 日本は、つい最近までなかったので、これでも一大革命的な進歩だと評価すべきであろうと思います(こんな偉そうなこと言ってはいけませんね)。例えば、市民活動何とか法案成立、こういう名前の法案があるということは情報として分かるし、どうも成立したらしいということも分かるのですけれども、いったいその法案が中身として何なのかということは全く分からりません。タイトルで分かるぐらいであれば、法学者なんていらないのでありまして、中身を読まなければ分からないわけです。つい最近、情報公開法案というものが内閣提出で出て、すぐに撤回になってポシャッタはずなのに、また出ているというのですが、たいていの学者が、弁護士も含めて、今出ているものは前のものと同じものなのか、それともまた新しく別の人が作り直したのか知らないわけです。情報がないから分からない。前に、こういうところが問題だといって議論したものがそのまま生かせるのか、全く生かせないのか、いったん撤回して議論を消したようなふりをして、こそこそっとやっているのか。そこの識別すらできないという状況になります。

 同じようなことは他の法案にも言えるのです。タイトルで、こういうのをやっていると分かるだけで、それはありがたいのですが、実際やっていることの中身が分からなければ無意味なわけであります。なぜそうなるのだろうということは、議会のほうにも友達がいるので聞いたら、思わず殴りたくなるような理由でそうだと言うので、それは口が割けても(言いたくなるのですが)言えません。ご推測にお任せいたします。

*(スライド写真) 最高裁判所HP内の最近の最高裁判決
  
http://courtdomino.courts.go.jp/judge.nsf/View1?OpenView

 これだけは私、非常に評価したいなと思っているのです。「最近の最高裁判決」というところで、これは最高裁のホームページの中にあるのですけれども、これは今朝とってきたものなので一番最新版です。6月12日に出た第二小法廷の判決が載っている。色の変えてあるところは全部6月12日で、これは早いといえると思います。アメリカの場合ですと、もっと早いのですけれども、これまでの日本の時間から考えるとすごく早いと思います。しかし、最高裁のものしかありません。下級審のものはないわけです。これはなぜだろうかという理由もいろいろとありますが、この程度にしておきます。

*(スライド写真) Ecom Homepage
  http://www.ecom.or.jp/

 今度は行政関係です。 Ecom というのは電子商取引に関する研究をしている郵政省の系列の研究会で、ここではいろいろなガイドライン、指針とか、いろいろな問題点についての研究報告をかなり積極的に載せているところです。高く評価できます。Electronic Commerce となっているのですけれども、郵政省はこれを「電子商取引」と訳しているのに対し、通産省は「電子取引」と訳しております。もしも郵政省に行って「電子取引」というといやな顔されますし、また逆に通産省に行って「電子商取引」と言うと「出ていけ」と言われますから、そこだけはお気をつけください。内容的には全く同じものです。

*(スライド写真) 情報処理振興事業協会(IPA)
  
http://www.ipa.go.jp/index-j.html

 これは通産省の関係の情報処理振興事業協会というところでコンピュータ・セキュリティの関係になっておりまして、今朝ほど新聞に載っていた不正アクセス対策法とかそういうことも、ここで実際には議論しています。それぞれやっていること自体は素晴らしいことで、たくさん情報を出してますし、非常に良いサイトです。

 ところが、ネットワーク空間では、こられの問題が全部密接に関連しております。なぜ不正アクセスを防がなければいけないかというと、電子商取引が脅かされたら取引が成り立たないから。例えばそういうふうな関係にあるわけです。ですから、どこか統括して一緒にやらなければいけないのに、Electronic Commerce という言葉の翻訳だけ取り上げても喧嘩になるくらいで、実際、通産省の関係部署で、「郵政省」とか「文化庁」という名前を出しただけで、吐き捨てるような顔……ウーンという、あいつらというふうな言い方をします。しかし、そんなことやっていては駄目です。私は、この問題を大至急解決しなければ、「日本に夜明けは来ない」のではないかと思っております。

 でも、この問題を解決するのは、実は、比較的簡単ではないかと思います。要するに、ある省庁で採用されたらその中だけで、あとほかに異動しないということではなくて、郵政省3年やったら、次は通産省2年やるとか、そういうことをやれば、簡単に解決つくことです。その中だけで一本で育ているキャリア制度を捨ててしまえばすぐにできることなので、すぐできるのじゃないかと私は思っているのですが、ここらへんは非常に問題だなというあたりで、前半を終わりにします。

 

[小ディスカッション(省略)]

 

7 ネットワーク社会における法

 前半は現状認識ということで固めてみたわけでありますけれども、具体的に法律家としての仕事は何を考えてやっていったらいいのかということが、後半部分のテーマであります。

 項目が3つ書いてありますけれども、「法のファームウェア化」というのと「ネットワーク・サンクション」という部分がシミュレーションで、その前提として、これ(法を法として機能させるもの)は誰でも分かっている理屈なんですけれども再確認ということで項目として掲げたものです。

@ 法を法として機能させるもの

 何が言いたいかというと、非常に簡単なことで、法というのは実際に法として実施されなければ意味がないということです。もちろん基本的人権などは、侵害されて目茶苦茶な状態にあっても「俺は人権がある」と言えるのでなければ意味がないので、そういうものはちょっとズレるのですけれども、普通の個別的な権利のレベルでいいますと、実際に実現されなければ意味がないわけです。民法上の権利でいえば強制執行の手段のないそういう自然債務のようなものは、いくら権利だといったところでしようがないわけですから、単にもらっても不当利得にならない程度で、そんなのは大した意味ないです。つまり、何か法が法として意味がある、とりわけ刑罰法規については、実際に犯人を逮捕して刑務所にぶち込むことができなければ全然意味を持たないわけですから、何が法として機能させているかというところは「実現の可能性」だというふうに一つ考えることができる。

 こう考えた場合に、実現させるものは何かという観点から着目していった場合、ネットワーク空間では何が実現させるのか、というところでちょっと考えてみました。

 この着想は今から5年以上も前に遡るのですけれども、ネットワーク上の意思表示について考えていた時期があります。そのときに発信主義とか到達主義とかということをずっと考えていたのですけれども、そもそも意思表示の合致とかそういうことではなくて、電子処理がなされるだけで、本人の効果意思とは無関係に法律効果が生じる時代が来るのではないかというふうに思い至った。私はその当時は、それを「処理主義」と名付けて、私の今回の教科書にもそれをまだ「処理主義」というふうに書いてあるのですけれども、処理主義というものは何なのかということを考えてみる。それは法解釈論的な切り口から表現すれば確かに処理主義なんだけど、実際にネットワーク空間でそれが実現されるための技術論的な方法論として、どういうふうにすれば処理主義が実現されてしまうのかという観点から考えてみますと、それはプログラム化されてしまうことだというふうに、だんだん考えが進んできたわけです。

 これは既にインターネット以外のところでも、実は広範に認められる現象でありまして、例えばマイクロソフトのOSを買いますと、インストールできますけれども、使い始めようとすると窓のようなものが出てきて、「スクロールせてちゃんとライセンス契約書を読みなさい」と書いてある。普通は読まないで [] というボタンを押しちゃいますね。そして、「以上の条件をあなたは全部承認するときにはこのボタンを押しなさい」。 「いやだ」とやると全部消えちゃって使えなくなっちゃうわけですけれども、 [OK] とやると契約したことになります。だけど、ものすごく長い褌のような「使用許諾契約書」を読む人などまずいないし、私も読まないですよ。読んでも読まなくても、どっちにしろ「NO」といえば使えないわけですから、「YES」というしかないわけです。サブミットとかアクセプトとか何とかとパッとやるわけです。これは何かというと、読んでも読まなくても、あるスイッチをオンにするかどうかで法律関係が自動的に決まってしまうものです。さらには、そういう電子的なものの前に、いわゆる「シュリンクラップ契約」といいますけれども、包装紙をビリッと破いた途端に契約成立するよと、そういうふうなものが書いてあるものが今でもたくさんありますよね。その有効性については、アメリカでもずっと議論があって、いろんな判例もありますけれども、立法動向としてもUCCというのがありますが、UCC2Bというものの関係で議論などされてますけれども、一般的にはしようがないかということで、あまり否定的ではない形で議論が進んできてます。

 そういうふうに、何かスイッチを押せば自動的に出来上がるみたいな、法律効果が自動的に発生してしまう。私には何も効果意思などない。読んだのならばあるかもしれないですよ。少なくともあるはずだと言えるかもしれないけど、読んでもいなのだから、効果意思などあるわけがないです。でも、そこに書かれているとおりの法律効果は、たぶん否定できないのだろうと思います。

A 法のファームウェア化

 そういうものがさらに高度化していって、私の考えによると、先ほどなぜか Antitrustのところで最初にあるようなある某メーカーが、もしもそれをOSの機能とかブラウザの機能として最初から組み込んであって、インターネット上で何か会社にとって不都合なことをすると自動的にそのブラウザが使えなくなるとか、OSが吹っ飛んでしまうような仕組みをもし入れてしまったらどうなるか。そういう議論です。

 契約違反があった場合は、普通の訴訟手続ですと、債務不履行に基づく損害賠償請求の訴えを起こして、裁判所で何年か長々と弁護やった挙げ句に、せいぜい10万取れて、それで弁護士さんに全部もっていかれて本人は泣く。こういうふうな構造になっているはずなんですけれども、損害賠償請求はしないかわりに、おまえには使わせないよと実力行使を自動的にやる。強制執行を自動的に行ってしまうことになります。何か返還請求とか破棄の請求をする場合でも、本来であれば、ちゃんと訴えを起こして、その前にたぶん仮処分はするのでしょうけれども、正規の手続を踏んで、場合によっては執行官が出掛けていったり、その他の方法によって取り戻したり、破棄したりするわけですけれども、プログラムによって自動的に破棄される。つまり、裁判と執行手段がプログラムの中に最初から内在されていて、都合が悪くなれば自動的に強制執行までいってしまうということになる。

これはいったい何なのかというと、プログラム化ということなんですけれども、あえてわざと「ファームウェア化」という形で……。「ファームウェア」というのは、ハードウェアとソフトウェアの中間を「ファームウェア」と呼ぶというならわしになっておりますけれども、「NINTENDO 64 」のゲームカセットはロムでありまして、円盤のようなものには入ってないのですけれども、あれもちゃんとした記憶媒体で、機械のようなものだけれども、ちゃんとディスクと似たようなものです。そういうようなロムチップに入っているものも含めて、とにかく契約書のようでもあり、単なるプログラムのようでもあるのだけれども、両方の力を持ったような“ファームウェア”というふうな感覚で考えて、要するに本来は単なる合意であって、その合意を強制力をもって実施するためには、一定の裁判プロセスを経なければならなかったものが、最初から裁判を先取りしたものがプログラムとして最初から入っておって、何か不都合があれば一方的に強制履行みたいなところまでやれてしまう。そういうふうな仕組みが個々のソフトウェアの中でどんどんできてくるのではないかというふうな一つのシミュレーションであります。

B ネットワーク・サンクション

 個々のソフトウェアであれば、それを使わなければいいじゃないかということになります。あるところで、コンピュータ関係の弁護士さんたち数人と私とで、酒を飲みながら議論していたんです。約5人で議論していて、そのうち3名は私と同意見でしたけれども、残りの1人は意見留保で、最後の1人は大反対というわけです。「夏井さんの議論は抽象論としては分かるのだけれども、いくらでも別のソフトがあるから、そういうのがいやだったらほかのソフトを使えばいいじゃないか。自由競争が守られるかぎり、夏井さんの理論は成り立たない」というわけです。確かにそのとおりです。しかし、例えばマイクロソフトの Windowsを使いたくないから、 UNIX をインストールし直して、 UNIX のコマンドすぐ使えますよという人が、この中に何人いるでしょうか。いると思いますよ、何人かは。だけどほとんどいないと思うのです。まして一般の法律学者とか法学部の学生とか、弁護士のようなほど立派な知能を持ってない人が世の中にごまんといる。差別ではないのですが、実際にはいるわけです。そういう人たちが何かできるかといったら何もできないです。要するに、電気屋さんから勧められたものしか使えないわけです。そうなりますと、確かに自由競争であるのだから別のものを使えばいいじゃないかというのは、理論として正しいのだけれども、実際にはそうならないよということを、そのときは酒飲みながらけんかしていたわけです。

 そういう具合に、誰でもが使っているものを安易に取り入れるというのは、あたりまえのことですから、そのお陰で Windowsは世界中で標準OSになったわけです。この先マイクロソフトでなくて他のところでも、これから何十年たっても、何百年たっても同じことが何回も繰り返されるのでしょうけれども、例えば世界に全部つながっているインターネットに接続するための基本的な技術を、どこか一企業が全部権利として取ってしまうとすると、企業にとって気に入らないものは自動的に予め組み込まれていたプログラムの機能によって、そのユーザーははじき飛ばすことができます。ところが、もしもはじき飛ばされる時点において、全てとはいわないけど、ほとんどの取引が電子マネーを使ってなされていたりとか、いろいろな通信が電子メールなどを使ってなされているような時代にもしなっていたら、インターネットを使えないということは、財布を全部とられるということと、誰とも連絡をとれないということと、その2つが重なると、要するに食料を手に入れることも、公共サービスを利用することもできないということを意味しますから、要するに「死ね」ということと同じになります。

 私は、あまりきつく書くのはどうかなというふうに自分でも思ったものですから、本を書いたときには「ネットワーク・サンクション」ということで、「ネットワーク上の死刑に値する」というふうなことを書いたのですけれども、実はこれはリアル世界でも死刑に値することになってくるだろう。だから、これは避けなければならないことだというふうな考え方を持ってます。

 こういう問題は、まだまだSFみたいに思われるかもしれませんけれども、一般論として、例えば、ネットワーク上でハッカーをやった学生がいたとします。悪いことです。大学以外の多数の人にものすごい迷惑をかけたと仮定します。そいつを退学させるほど学校当局は思わなかったのだけれども、ネットワークを使わせることを禁止したとします。それだけだったら、単にネットワークからはじき飛ばされただけじゃないかというふうにお考えになると思います。けれども、仮にネットワークを使った授業を20単位取ることが卒業のための必修であると決められていたとします。つまり、そういうことが決まっているとすると、ネットワークを使っちゃいかんと決めたとたんに、その人は自動的に退学せざるを得ないのと同じことになります。永久に単位が取れないわけですから。今後、情報教育がどんどん進展していって、そういうふうな情報ルールをきちんと守っていくということが起きてくると、ネットワーク空間だけのサンクションの問題だったはずのものが、リアル空間にもただちに反映されるということが現実に起きてくるわけです。たぶん私が気がつかないだけで、似たような問題がいくらでも本当はあるのだろうと思います。もし、そういうのでいい例があったら、私の講義のネタになりますので教えていただきたいと思うくらいであります。

 こういうふうにかれこれ考えてみますと、我々法律家が、独占の問題だとか、標準化というもののほんとに意味することをよく考えて、それは自由競争の範囲内ではないかと安易に構えないことが重要なのではないかと思います。

 自由競争は自由競争なんだけれども、本当の意味で自由競争を維持するためには、独占というものをどういうふうに考えるのか。しかも地球全体の問題ですから、一国の独占禁止法とか競争法などで何かやるということでは、そのエリアは何かできるかもしれないけど、ほかのところで別なことができちゃうわけですから、国際協力というか、国際的な合意をどういうふうに考えるか。そういう問題がすごく大事になってくる。国内弁護士ということで普通の国内の民事訴訟とか刑事訴訟だけやっているよというふうなことが、たぶん一人の法律家としては許されないのだろうと、私はあえて言いたいなという感じを持っております。それぞれ得意不得意があるので、やれることとやれないことは当然あると思いますけれども、少なくとも関心は持たなければ、知らない間にどこかの一独占企業によって、あるいは多国籍企業かもしれませんけれども、ネットワークが独占されてしまって、それに従わなければリアル世界でも生きていけないような、へんなことになってしまうのではないか。それをとても恐れているわけです。                                        

8 ネットワーク社会における法律実務家

 ネットワーク社会が前提となったところで法律実務家としては何をやっていったらいいのか。「情報」という概念を軸にしてもう一度考え直す必要があるかなというところから、結論のほうをまずここで述べてみたいと思うのです。

 法律実務家というのは、どの職種であっても「法情報サービス産業」であるという位置づけが必要でないか。まずこれが第一である。

 法情報の伝え方というのは、データベース屋さんではないですから、検索してくださいとか、そういうことではないのです。だけれども、正しい法情報をきちんと持っている。普通の一般人は法情報を利用する能力がありませんから、自分が持っているだけではなくて、通訳というか、翻訳家というか、ちゃんと分かる形で伝える役目ももちろんあります。しかも、ネットワーク空間というのは、世界中に全部つながっているわけですから、日本法だけというわけにいかない。先ほど不法行為の例でも話したとおり、ある程度世界の動静を認識したうえで、どうなるかということをきちんとやっていかなければならない時代になっているわけです。そういう意味での現代的な意味での法情報サービス産業というふうに位置づけを考えてみる必要があるのではないか。

 第二点は、そういうふうにやれるためには、「情報リテラシ」と書きましたけれども、かなりの程度インターネットその他の電子的な道具を使いこなせないと、たぶん駄目なんだろうと思います。もちろん電子的な道具を使えこなせれば 100%OKということは絶対あり得ないので、電子的な道具以外の法情報源ももちろんたくさんあるので、両方を使えなければいけないというのが正確なところですけれども、現在の法律のプロフェッショナルは、電子的なもの以外のものについては、それぞれの工夫で使いこなせるようになっている人がプロフェッショナルとして生き残っているわけですから、それに電子的なものを使いこなせる能力をプラスαとしてきちんと持たなければいけないということが一つ。

 それから、「情報倫理」のほうをあえて先に書いたのですけれども、使えるということは悪用できるということにもつながるわけです。これまでも弁護士倫理なり、学者は学者の倫理があるはずですが、そういうものが情報というものにシフトした形で新たな倫理のシステムを考えていかないと、法情報サービス産業という産業界としての倫理基準もいい加減なものになっていくだろう。これはあくまでも情報ネットワークを基盤にしたというところに着眼しているので、あえて「情報倫理」としているのですけれども、「情報倫理と情報リテラシに裏打ちされた新たなプロフェッショナル性」。くどいようですが、これは現実世界のものを捨てていいということは全く言ってません。これまであったものは、もちろん堅持していかなければならないのだけども、それにプラスαして、かなり厳しいけれどもやっていかないと大変なことになるということを言いたいわけです。

 さらに「新たなルールの形成を見抜く力」ということであります。これまでも未来学とか、アルビン・トフラーとかいますけれども、そういういい加減なことを言っているのではなくて、先ほど不法行為の例でお話しましたようなことがいくらでも現状の条文のままで起きてくるわけです。もしも近未来的に似たような権利に関する争いが起きたらどうなるかということは、世界の趨勢としてどういうルールを承認しているかということを認識し、その中から、それを日本法に導入できるのかできないのか、日本の裁判に導入できるのかできないのか。シミュレーションですが、それを常にやって、それでだいたいの見当をつけていくということが、弁護士がメシを食っていくためにも必要だし、学者としても正しいルールを予測するという意味で大事なことになってくるのではないか。

 例えば、最近の立法例ですと、現在、中古ソフトの問題でどうのこうのとか議論されていますけれども、実はWIPOの著作権条約の中に関連したものがありまして、それを日本国の著作権法にどのように取り入れるかということで、立法論的に全部がちっと解決できるはずの問題を多く含まれると、私は理解してます。ただ、文化庁がそれについて曖昧な態度をとっているので、未だにわけの分からない状態が続いておりますけれども、他方でアメリカでも、その他の有力な国は、次々と一定のルールを承認しつつあって、世界的な規模でみると、ある方向に固まりつつあるといというふうに、私は認識してます。

 そうなったときにどうなるかというと、日本法として日本の著作権法ではまだ決まってない問題でも、もしもそれが裁判になれば、裁判官は何かルールを考えなければいけないわけです。解釈論で解決できないものであれば、それは駄目だよというしかないですけれども、解釈論の幅の範囲の問題であれば、何かルールを考えていくわけです。考えるときに、まともな裁判官であれば、やはり世界的な趨勢を勉強しますから、そこでやはり影響が出てくるだちろう。それをきちんと見抜いてなければ、例えば訴訟代理人になったときに、勝訴判決からは遠くなっていくということもいえてくるのではないか。

 要するに、法律実務家でありながら法学研究者としての素養というか、努力というものが必要にってきて、これを個々人が全て持つというのは、実際には大変なことですので、それぞれの弁護士事務所なり何なりで、そういうスタッフを抱えていくということが、すごく重要なことになってくるのではないかという感じを持ちます。

現在、具体的に弁護士の方が何をやっているのか。ちなみに裁判官と検察官は、裁判官誰それ、検察官誰それと個人的にホームページを持つことは、禁止されいることではありませんけれども、やったら、所長から注意を受けることは間違いないでしょうから、私の知っているかぎりでは実名でやっている人は知りません。だけど、「何とかの何とかちゃんだよ」みたいな感じでやっている人は何人か知っています。非常に悲しい話ですね。悲しいけど現実です。

 弁護士に関しても、まだ模索の時期でいろいろなタイプの弁護士ホームページがあり、先生方もご存じのとおり広告規制の関係でホームページを作ること自体がいいのかどうかという議論が未だにくすぶっておりますし、なかなか難しい状況ですけれども、この人たちは度胸あるなと思うような人たちがいて、しかも学術的な内容としても非常に優れたものが幾つかあります。すごいなと思うものを2つほど紹介したいと思うのです。

*(スライド写真) 岡村久道弁護士の情報法学日記
  
http://www.law.co.jp/okamura/nikki.htm

一つは、先ほどの『インターネットの法律実務』を書いた岡村久道弁護士のホームページです。ここは何がすごいかというと、サイバー空間で起きるいろいろな法律的な問題のニュースを、とにかくあちこちから集めてきて日本で一番早く、電車の「吊し」という広告ありますね、見出しだけ見ればだいたい中身わかるわけですけれども、あれ的なものを個人の努力で世界中から集めてきて毎日「日記」という形で出すというすごい人です。これはまさに6月19日ですので昨日になります。今朝はまだ作ってなかったのじゃないでしょうか。作っているかもしれないけど、まだアップしてなかったのかもしれません。これを見ていると、動向というものがよく分かります。バックナンバーがあるので、それを全部かってにコピーしてエクセルか何かに貼りつけて整理しておくと、全部脚注にまわして本文だけ適当に書けば論文が書けちゃうという非常にありがたいものです。でも、あまり露骨にやると岡村先生に悪いので、分からないようにやりますけれども(笑い)、ありがたいところです。

こういうふうに個人の努力でやっているのですけれども、果して個人の努力に任せておいて、平気でいていいのだろうかという問題を考える必要があるのではないか。岡村先生というのは、私、個人的にお会いして、非常に優れた方だと思いますけれども、どんなに優れた人間でも個人ではどうしても能力の限界があって、どこかこれで終わりだよという部分があるはずです。そこを何らかの形でシステマチックにやっていかないといけない。法情報というものを獲得して、分かりやすい形で整理して、そして整理されたものをきちんと提供していくという仕事を組織だってやっていかないとうまくないだろうと思います。

*(スライド写真) 桐原和典弁護士の電脳空間法律
  
http://village.infoweb.ne.jp/~fwja5504/

 この方は桐原さんという弁護士さんで、たしか二弁だったと思いますけれども、こう言っては失礼ですが、すましたような写真しか映っていません。しかし、これもさっきと同じで、下のほうにズルズルッとやると目次みたいなものがたくさんあります。この先生のホームページもすごくいいなと思ったのは、このホームページができあがる以前にすごいと思ったんです。どうしてこのホームページができる前にすごいと思えたかというと、桐原先生は、今年3月までアメリカのほうにお住まいだったようで、全然違うところに似たようなホームページがあったんです。私は、それを読んで、これはすごいと思っていたのですけれども、桐原先生が日本に戻ってこられたときに、そのホームページが無くなっちゃったんです。それで、ずっと探していて、「あっ、見っけ」という感じで見つけたわけです。内容的には変わってなかったですけれども、違ったのは、写真がかっこよく載っているところが違っていたのですが。

 どういうふうにすごいかというと、この先生がアメリカで研究してこられたのは、裁判管轄とか準拠法とかです。正確にいいますとインターナショナルではなくてインターステイツの問題で、州と州との間の州際取引とか、あるいは州をまたがった犯罪などの場合の裁判管轄とか準拠法の問題であります。アメリカは50ぐらい州がありまして、しかもすごくでかい国ですから、世界を縮小された一つの模型だと理解できるのではないかと私は勝手に思っております。主権国家同士の国際的な裁判管轄の問題とか準拠法の問題の今後の動向を見るうえで、もちろん国際司法でも何でもいろいろな学説はありますけれども、裁判例として実務的な観点から参考になるなと思われるのは、まさにアメリカの裁判例で、いくら読んでもなくならない、死ぬほど読まなければさっぱり分からないというふうな、ものすごい膨大な分量の裁判例がネット関係だけでもあります。ネット上の取引とか、ネット上の犯罪などの問題の準拠法とか裁判管轄の問題を考えるうえで、ものすごい参考になって、この方のご努力というのは敬意を表したいと思います。

この方と直接お会いしたことはないので、間接的にしか知らないのですけれども、ものすごく優秀な方だともちろん思います。しかし、やはり個人で全てをやるのは絶対無理です。これも日本中の法学者が寄ってたかって、実体法でも手続法でも全部そうですけれども、国境を越えたときに、あるいは国境がなくなったときにどうなるかという問題を真剣に考えて、どんどんいろんな事例を分析するなり、新しいことを考えていってくださらないと、結局アメリカで積み重ねられた膨大な判決が一つのセットみたいなものになっていって、じゃ世界中でそれにならいましょうという形になっていくと、結局アメリカのルールが世界のルールになってしまいますから、そういうことで本当にいいのだろうか。こういうことをものすごく危惧している。

危惧しながら、いま紹介しました岡村先生も桐原先生も、すごく積極的にそういうふうな研究を自らなされて、自分のご意見を出されていることに、本当に敬意を表したいと思います。それで、あえてここで紹介したいということであります。

*(スライド写真) 法情報学ゼミHP内の英語版日本法紹介リンク集
  
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/index-English.html#bk09

 法情報学ゼミというのは、私のところです。法律関係で日本語のホームページしかないかというと、そんなことはなくて、英語で書かれたものがものすごくたくさんあるのです。ただ、個人でちょっとずつしか持ってない。そういうものを全部集めたものがなかったのです。情報発信というけど、日本人が日本人に対する情報発信しかやってなかったわけです。私、正直に言いますけど、語学能力は非常にレベルが低くて、英語でものを書くというのはすごく苦痛です。苦痛なんですけれども、誰かがやらなければいけないので、とにかく集めてみたというのがこれあります。

 かなりインチキくさいのですけれども作ってみたら、全然知らない人から幾つか電子メールをもらいまして、「英語しか話せない人々にとって非常にありがたい」、「助かるものだ」というふうな激励に近いものをいただいて、すごく嬉しかったのです。アメリカのいろいろな考えがけしからんとか、政治学者がいったり、経済学者がいったりするのは、それは評論の自由ですけれども、何も対案も出さないで、あるいは日本はこうだということをきちんと英語で説明できなくて、それで「だめだ、だめだ」と言ったって、聞きたくても分からないわけです。日本には日本のきちんとした学問もあるし、伝統も文化もあるわけだから、そういうものを相手に分かる形できちんと出していかなければいけない。

 とりわけ法律情報については、日本の法体系はアメリカとはかなり違う部分もあるので、英語で翻訳したところでも相当理解しにくいだろうと思いますけれども、日本語で理解しろというのは土台無理なことを要求していることになるので、英語で何かやっていくしかないのだろうと思います。

 これも私の努力ですと、自分で何か作っていくというのは当然限界があって、私が作ったものもあるのですけれども、ちょっぴりしか作ってません。ほとんどは人のものをリンク張っているだけです。もし私の成果として認められるとすれば、とにかく集めたというところだけしかないのですけれども、こういうふうなものも全ての研究者がやっていってもらわないと、まずいのではないかというふうなことを考えます。

 その具体的な中身は、アメリカのものも含めたいろいろ検討したものを、日本語でも発表するし、世界的には英語で発表すれば、かなり多数の人々をカバーできるわけだから、英語で下手でも何でもとにかく発表していく。別に上手な美しい英語の文章を読みたくてアメリカ人は日本のサイトに日本の法律に関するアーティクルを探しにくるわけではなくて、中身を知りたくて、ここは文法的に間違っているとかそういうことはよく分かっていて、それでも中身をちゃんとくみ取っていくわけですから、中身でバンバン勝負すべきではないかと個人的には思うのです。これまで全くなかったとは言いませんけれども、そういう部分がこれまで非常に弱かったのではないか。

 全部をトータルで考えていきますと、「対象」がリアル世界のものとはかなり違うものを扱わなければいけないし、しかもそれが単にバーチャルだというのではなくて、世界中に広がっている対象を対象としなければいけなくなってきたということ。それから、実際にそういうものを対象として何かをするための「道具」も電子的なものになってきた。そういうふうな状況の中で法学者あるいは法の実務家の「存在」自体も変化してきている。そういうふうに考えるわけです。

9 今後の展望

しかし、ただそれだけでは現象の説明にすぎないと思います。そこで、これからどうしていくかという基本理念が必要だろうということで、幾つか考えてみました。

 これがその図ですけれども、これまで情報関係のものには、もちろん学問がいろんなのがあって、例えばプログラムだとか、コンピュータのアーキテクチャーの組み立て方とか、通信のプロトコルの組み立て方とか、そういう学問はいくらでもあって、理学部とか工学部の立派な人たちが一生懸命考えているわけです。それでスーパー・コンピュータをつくったりとか。それはたぶんシステムの側の学問である。じゃ、これはいってみれば重箱みたいなもので、重箱の中身は何ですかというと「情報」なわけです。中身自体を扱うもの、要するに製品としてのソフトウェアの作り方というのは、どちらかというとシステムに関係するもので、実際に私が「一太郎」というワープロソフトを買って一太郎を使います。でも、パッケージを開けただけの一太郎では使い物ならないから、一生懸命自分なりにチューニングして、辞書も覚え込ませて、実際に何をやるかといったら、私の文章を作るわけで、一太郎というシステム的な道具だけを使ってやっていることというのは、私の情報を作っているわけです。それを誰がやっているかというと、ユーザーである私がやっているわけです。これまで、情報がらみの学問研究でおろそかだったのは、重箱の中身である饅頭の学問と、饅頭を食べるユーザーの学問というのが、たぶんなかったのだろうと考えてます。

 これを法律家のレベルに当てはめると、専門家の言葉で法律家にしか分からない言葉でちゃんと会話ができるわけだし、優秀なシステムエンジニアとかそういう人たちが彼らにしか分からない特殊なコンピュータ用語でちょっとしゃべれば、ほとんど全部分かっちゃう。素人がそれを分かろうとすると何百冊も本を読まなければいけない。そういう世界とほとんど同じで、専門家同士では分かるのだけれども、その専門家がやっているのは何かというと、クライアントであるとか、その他のユーザーのために実際の事件を扱っているわけで、中身である実際の事件のあり方とか、クライアント自体についての学問というのは、これまであまりなかったように……ないとは言いませんよ。例えば、犯罪学、犯罪心理学とかそういうのはまたがっているのだろうと思っています。だけれども、こういうふうな形で重箱と饅頭と、それを食う奴がいるのだというふうに、明確にそれぞれ学問体系としたら別だということは、あまり意識されてなかったのではないかと思います。

 こういう構造だということを一つの理念として捉えたうえで、電脳時代に対応するような電脳弁護士あるいは電脳法学者になるというだけのことだと、やはり個々にとどまっていることになって、饅頭とそれを食う奴が置いてきぼりになってしまうかもしれないので、理念としては、こういう構造の中でいったい自分は何をやっているのかということを、常に意識する必要があるのではないか。私自身は、ちょっとだけ饅頭をやっているよというふうな、法情報学というのは、そういうふうなことになるわけですけれども、そういう意識であります。

 

[質疑応答(省略)]

 


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Last modified : Sep/04/1998