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算命曲と「でんでらりゅう」(明清楽資料庫)


2008-7-9 最新の更新 2011-6-10
[算命曲]  [でんでらりゅう]


算命曲
[
midiで旋律を聴く] ↓『増補改定 清風雅譜』1884年より
清風雅譜,算命曲

 右の図は、『明清楽之栞』1894より。「算命曲」五線譜であるが、第8小節に誤りがある。
 「合合四合」(ソーソラソ)が、五線譜では「ソーソシソ」と誤って直されてしまっている。
 明治時代は西洋音楽の導入期であり、当時の日本人はまだ五線譜の読み書きに習熟していなかった。 明治の五線譜には、ときどき誤記が散見される。

 算命曲は、九連環や茉莉花と並んで、最もよく歌われた清楽の一つである。江戸から明治にかけて刊行された清楽譜ではしばしば筆頭にあげられ、また 明治以降の歌曲集や器楽譜(手風琴=アコーディオンや吹琴=ハーモニカの曲集など)でもよく採られている。

 近年発見された、シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796〜1866)が記録した「 Ein chinesisches Liedchen auf die Gekkin (月琴による中国の小曲)」の楽譜。
 この楽譜資料の存在は、関一郎先生の御教示による。
 下の画像は、関先生からいただいたコピー資料を、そのままスキャンしたもの(オリジナル資料は鮮明である)

 音符の長さが何カ所か間違っているようであるが(八分音符にすべきところを四分音符に書いてある、など)、それらを斟酌して シーボルトが書きたかった旋律を復元すると、このようになるかもしれない。[MIDIで聴く]。
 シーボルトが最初の日本滞在中(1823-1828)に記録したものと思われる。
 筆者(加藤)が思うに、「算命曲」の旋律を記録したものであろう。
 算命曲の旋律は、楽譜本によって出入りがある。シーボルトの五線譜の「誤差」は許容範囲内と言えよう。
月琴楽譜』1877年より↓ 手に占い道具をもつ「算命先生」(占い師)
月琴楽譜,算命曲

声光詞譜』(1872)に載せる算命曲の旋律を[MIDIで聴く]




静夜思(1860年『月琴詞譜』)。[MIDIで聴く]。
算命曲の一変型と思われる。説明はこちらの頁



『月琴詞譜』版の「算命曲」のメロディーを[MIDIで聴く。]




 算命曲の歌詞や旋律は、諸本によって多少の出入りがある。

別バージョンの[無伴奏版]  [コード伴奏版]
『観生居月琴譜(月琴詞譜)』1860年
クリックすると拡大
観生居月琴譜,月琴詞譜
別本(旧・波多野太郎蔵)↓
上尺工六工。工六工上尺工尺。
ドーーーレーミーソーーーミーーーーミーソーミードーレーミーレーーー

六六工尺上尺工尺。四上尺上四上合四合。
ソーソーミーレードレミーレーーーらードーレドらドそーーらそーーーー(リフレイン)

 「算命曲」の歌詞の意味は──家にこもって刺繍仕事をしていた若い娘が、外を通りかかった算命先生(占い師)に 「自分はいつ結婚して家を出ることができるのだろうか?」と自分の未来を占ってもらう。 テキストによって歌詞には出入りが大きい。 娘は、お向かいの同年同月同日生まれの女性がすでに子持ちである、と言って怒る。あるいは、 わたしには実はすでに夫と子供がいるのよ、と言って笑う。本によって内容はまちまちだが、 占い師が最後は退散するという結末は、共通している。

 左の楽譜では、紙数の都合上、歌の初めの部分の歌詞しか書いていない。

 なお、明治期までの「算命曲」の楽譜には、歌詞(中国語)の意味を日本語で解説したものもいくつかあるが、中国語の「姑娘」(クーニャン。「若いむすめ」の意)を「おばさんと娘」と誤訳するなど、中国語の知識の欠如からくる初歩的な誤訳も多いので、注意を要する。

 歌詞の内容は、家を出てゆきたくても出られない、という点で「でんでらりゅう」の歌詞と共通性が全く無いというわけではないが、関連性については何とも言えない。

 左の『観生居月琴譜』には、「静夜思」(歌詞は李白の同名の漢詩)という楽曲も収録されているが、その旋律は「算命曲」とほとんど同じである([「唐詩五七絶譜」清傅士然伝]の頁も参照)。



でんでらりゅう
 長崎を中心に九州圏で広く歌いつがれてきた童歌(わらべうた)「でんでらりゅう」は、「でんでらりゅうが」「でんでれりゅうば」等の異名でも知られる。
 カステラのテレビCMの歌として流れているほか、さだまさし氏のラップ曲「がんばらんば」に挿入されたり、おおたか静流(しずる)氏がNHKテレビの番組「にほんごであそぼ」で歌ったりするなど、現在では全国的に知られるようになった歌である。
 この歌の歌詞や、起源については謎が多い。その旋律の特徴から、明清楽との関連を推測する説もある。
 民間の俗曲の常として「でんでらりゅう」も、歌い手によって様々なバージョンがある。以下、NHK「にほんごであそぼ」で歌われているのを、加藤が歌詞と楽譜に直したものを以下にかかげる。
「でんでらりゅう」のメロディーをMIDIで聴く。[簡素伴奏版]  [コード伴奏版]




旋律ドードレ ミードーレミレドらーそードードレ ミードーレーーミ ソーミー
長崎弁出ん出らりゅうば、出て来る。ばってん、出ん出られんけん、出て来んけん。
意 味出られるのならば出て行くしかし出られないから出て行かないから

旋律ソーラソ ミードーレミレド らーそードーーー、ドー
長崎弁来ん来られんけん、来られられんけん、来ん、来ん。
意 味行けないから行かれないから行かない、行かない

 なお「でんでらリュウば」の「リュウ」は、「龍」の意味ではないようである。

 参考HP:[でんでらりゅうば] < 柳瀬祐樹氏のHP「風雲月露
 

 「でんでらりゅう」は、童歌でありながら、日本のいわゆる「わらべ歌音階」(らドレミソラ)とは異質の、「ドレミソラ」という中国風の明るい五音階からなっている。
 長崎といえば、明清楽の中心地。「でんでらりゅう」の元歌も、明清楽なのであろうか?

 残念ながら、明清楽の曲目のなかに、「でんでらりゅう」とピッタリ一致する旋律をもつものは未発見である。
 ただ曲調や旋律線で部分的に似た曲目は、明清楽のレパートリーの中にいくつも見いだすことができる。
 例えば、清楽の曲目のなかで最も有名なものの一つ「算命曲」(詳しくは次項で)を「でんでらりゅう」と比較すると、冒頭部の旋律線(連続する音の上がり下がりがなすカーブの形、リズムのパターンなど)は、「でんでらりゅう」とよく似ている。
 「でんでらりゅう」の旋律は、この冒頭の旋律線のうねりを、変化させながら三回繰り返している。
 細かく見ると、以下のような部分的類似も見いだすことができる。
「算命曲」(月琴詞譜版)ドーレーミー・・・ ドーレーミーソーミー・・・・・・ソーソーミーレー、ド・・・・・・レドらド そーらそー
「でんでれらりゅう」ドードレ ミードー・・・・・・レーミソーミー・・・・・・ソーラソ ミードー・・・・・・レミレド らーそー・・・

 「でんでらりゅう」の元歌は「算命曲」である──とまでは言えないが、少なくとも清楽曲の影響を受けていると推定しても、あながち間違いはないであろう。


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