https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lGKzINhtUjLCjxraxYIcTh |
日本 | 能楽 歌舞伎 他・・・ | 音楽劇→せりふ劇 | ガラパゴス化 | 何代目●●、家元、・・・ | 新旧の劇種が共存 |
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中国 | 崑劇(昆劇) 京劇 他・・・ | 全て音楽劇 | コモディティ化 | 非世襲、輩字制、・・・ | 古い劇種は消滅 |
遠藤周作『万華鏡』(朝日新聞社,1993)「命のぬくもり」p.96-p.97より引用 どなたかが書いておられた。 「夜なかに街では街路樹がたがいに連絡しあったり、話しあったりしています」 それを読んだ日から私は夜ふけの静寂な路(みち)をポケットに手を入れて歩きながら、昼の排気ガスや乾いた地面で痛めつけられた街路樹や邸宅の庭の樹々が話しあっているのを感じた。 幼年の頃に信じていたこと、動物も樹々も話をするという童話の世界は、少年になって失われ、それが長く続いた。そして老いた今、ふたたびそのように失った世界を私はせつに欲している。なぜだろう。 シュタイナーという思想家がこう言っていた。人間は青年時代は肉体で世界を捉(とら)え、壮年の時は心と知で世界を捉えるが――老年になると魂で世界をつかまえようとすると。そして私もその三番目の魂の年齢になったからだ。 |
今は昔、応永の頃(1394〜1427)、紀州熊野から鈴木九郎という若者が中野にやってきました。九郎はある日、総州葛西に馬を売りにいきましたところ、高値で売れました。信心深い九郎は仏様の功徳と感謝して、得たお金はすべて浅草観音に奉納しました。 さて、中野の家に帰ってみたところ、我があばら家は黄金に満ちていたのです。観音様のごほうびでした。それから九郎の運は向き、やがて「中野長者」と呼ばれるお金持ちになりました。その後、故郷の熊野神社を移して熊野十二社を建てたり、信心深い生活は続いていました。ところが、あふれる金銀財宝が屋敷に置ききれなくなった頃、九郎に邪念が生じたのです。 金銀財宝を隠そうと人を使って運ばせて、帰りにその人を亡き者にするという悪業を働きはじめたのです。村人たちは、「淀橋」を渡って出掛けるけれど、帰りはいつも長者一人だということから、いつしかこの橋を「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。 しかし、悪が栄えるためしなし、やがて九郎に罰があたります。九郎の美しい一人娘が婚礼の夜、暴風雨とともに蛇に化身して熊野十二社の池に飛び込んでしまったのです。九郎は相州最乗寺から高僧を呼び、祈りを捧げました。すると暴風雨はおさまり、池から蛇が姿を現し、たちまち娘に戻りましたが、にわかに湧いた紫の雲に乗って天に昇っていってしまったのです。以来、娘の姿は二度とこの世に現れることはなくなったのです。 九郎は嘆き悲しみ、深く反省して僧になりました。そして、自分の屋敷に正歓寺を建て、また、七つの塔を建てて、娘の菩提を弔い、再び、つましく、信心深い生活に戻りました。めでたし、めでたし・・・(引用者―以下省略) |
【地謡】 葛城山の名も高き、役の優婆塞(えんのうばそく)まのあたり、来現も孝行ゆゑ。あらありがたやの御事や。もとより衆生一子にて、もとより衆生一子にて、愛愍(あいみん)あれば親心、仏の慈悲にかくばかり、今顕(あら)はさん待てしばし、使者の鬼神の伎楽伎女(ぎがくぎにょ)よ、とくとく参拝、申すべし。 【後ジテ登場。地謡】伎楽鬼神(ぎがくきじん)は飛び来たり、伎楽鬼神は飛び来たつて、行者のお前に膝まづいて、首(コーベ)を傾け仰せを受けて、谷行に飛び翔けり、上に蔽(おお)へる土木磐石、押し倒し取り払つて、上なる土をばはらはらと静かに翻(かえ)して彼(か)の小童(しょうどう)を、恙(つつが)もなく抱きあげ、行者のお前に参らすれば、行者は喜悦の色をなし、慈悲の御手に髪を撫で、善哉善哉(ぜんざいぜんざい)孝行切なる、心を感ずるぞとて、則ち師匠に与へ給ひ、帰らせ給へば伎楽も共に、御先(みさき)を払つてさがしき路を、分けつくぐつつ登るや高間の雲霧つたふ(ツトー)や葛城の、人の目にこそかからざれどもまことは渡せる岩橋を、大峯かけて遙遙(はるばる)と、大峯かけて遙遙と、虚空を渡つて失せにけり。(留拍子) |