問:昔の人の言葉「死者は、二度死なせてはならない」。これはどういう意味でしょう? |
例えば、作家の正宗白鳥(まさむね・はくちょう1879〜1962)の死は、示唆的である。彼は学生時代、 友人の影響でキリスト教の洗礼を受けた。しかし、後に無神論者となり、 「バイブルは吾人が恐入るにもあたらない、凡書である」「自分が死ねば、世界も宗教も、神そのものも消滅するのだ」 等とうそぶいた。その正宗白鳥が膵臓ガンになり、83歳で死んだとき、最期に「アーメン」と神に祈り、世間を驚かせた。 (前略)人々の眼からは厭世家として無神論者として見られた正宗白鳥氏は自分自身もその臨終に際し、 神に祈るとは夢にも考えなかったのかもしれぬ。 しかし氏の意識ではとっくに捨てた筈のXが、 まさにこの世から彼が別れようとする瞬間、 姿を見せたのである。漢文を読むときも、「人間のなかのX」に思いを致さねばならない。 |
明器(めいき)
[ 日本大百科全書(小学館) ] 神明の器の意味で、中国で墓やそれの付属施設に入れるための土、木、玉、石、銅でつくった仮器。人物、動物の場合を俑(よう)という。殷(いん)・周時代の銅武器の、玉や石による模倣や、殉死代用の人物俑、動物俑の製作に始まった。戦国時代には銅、陶、木製の俑葬がみられる。秦(しん)の始皇帝陵の兵馬俑坑出土の加彩武人・馬は硬い表現であるが、実物大でリアルさがあり、明器の画期をなす。漢代には加彩陶質灰陶や緑釉(りょくゆう)で騎兵、男女俑、牛、羊、楼閣、家屋、農舎、水田、貯水池、倉、竈(そう)(かまど)、井戸、家畜小屋、雑技俑など豊富な題材の明器がつくられる。北朝には漢の伝統を引いた緑釉、黒褐釉の騎兵、武士、ラクダ、鎮墓獣が盛行し、南朝には青磁の鼓吹儀仗(ぎじょう)俑などが盛行する。唐代には三彩の馬、騎馬、ラクダ、女子、神将、鎮墓獣や加彩貼金(てんきん)騎兵が現れ、明器の圧巻を迎える。明器は明(みん)時代まで続くが、紙製明器の流行によって陶俑は衰退する。 [ 執筆者:下條信行 ] |
もとより装飾と粗悪、鳴り物と哭泣、歓喜と哀悼は、それぞれ互いに相反するものである。しかし喪礼においては、これらを兼ね合わせて活用し、かわるがわる用いることで、コントロールするのである。装飾と鳴り物と歓喜は、平常心を維持して幸運を呼び込むための方策である。粗悪さと哭泣と哀悼は、危機意識を持って凶事に対処するための方策である。 | 故文飾、麤悪、声楽、哭泣、恬愉、憂戚。是反也。然而礼兼而用之、時挙而代御。故文飾、声楽、恬愉、所以持平奉吉也。麤悪、哭泣、憂戚、所以持険奉凶也。 |
喪礼の本質とは、死者を、生きている人のように装飾することである。死者が生きていたときと全く同じ態度で、その死を送ってあげるのである。つまり、この人は死んでいるようでもあり生きているようでもあり、ここに居るようでもありここに居ないようでもある、という態度を、始終つらぬくことである。 | 喪礼者、以生者飾死者也。大象其生、以送其死也。故如死如生、如存如亡、終始一也。 |
死者の前にすすめる明器については、実用性を排除する。冠は頭にかぶる部分はあっても髪つつみはないようにし、酒を入れるカメは空っぽのままにして中身をつめてはならず、竹で編んだムシロはあっても寝台やスノコはつけず、木製の器はわざと仕上げを荒いままにしておき、陶器はわざとプロポーションを狂わせて作り、竹やアシで編んだ器もわざと中身を入れられぬようにし、死者に供える楽器についても、笙や竽はわざと調律せず、琴や瑟も弦は張っても調弦はわざと狂わせておき、ひつぎを運ぶ車は墓に埋めるが、車を引っぱる馬は埋めずに帰ってくるようにする。これらはすべて、実用品ではない、ということを明示するための措置なのである。 | 薦器、則冠有鍪而毋縰、罋廡虚而不実、有簟席而無床笫、木器不成斲、陶器不成物、薄器不成内、笙竽具而不和、琴瑟張而不均、輿蔵而馬反、告不用也。 |