【大意】いにしえのすぐれた政治家・伊尹の土木工事は、適材適所で見事だった。足が強い人には土を踏み固めさせた。背筋力が強い人には土を背負わせた。片方の目が不自由な人には測量の仕事をさせた。背中が曲がっている人には低いところを塗る仕事をさせた。適材適所の環境さえ整えてもらえれば、人間の個性の優劣はなくなる。北の遊牧民族は馬に乗るのが上手だし、南の異民族は舟を操るのがうまい。障がい者も外国人も、慣れない仕事をやらされれば失敗するし、慣れない所に置かれれば低い評価しかもらえないが、うまく勢いに乗れればS級になれる。聖人はあらゆる人材を登用するが、人材登用のコンセプトは一つなのである。 |
一弓、二弩、三槍、四刀、五剣、六矛、七盾、八斧、九鉞、十戟、十一鞭、十二鐧、十三撾、十四殳、十五叉、十六耙、十七綿縄套索、十八白打。 |
趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛に
及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々飛衛をたずねてその門に入った。 飛衛は新入の門人に、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下に潜り込こんで、そこに仰向にひっくり返った。眼とすれすれに機躡 が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚ろいた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。 厭がる妻を紀昌は叱りつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後には、 遽ただしく往返する牽挺が睫毛を掠めても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって瞼を突つかれても、 まばたきをせぬまでになっていた。不意に火の粉が目に飛入ろうとも、目の前に突然灰神楽が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。 彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。 ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。 (以下略) |
戦国マンガ「#花の慶次」の公式Facebookページで #ガチ甲冑合戦 が紹介された時の師匠の甲冑を纏っての弓術の動画です。
— 吉村英崇@サンダル用意 _(:3 」∠ )_ (@Count_Down_000) September 27, 2018
敵の矢・鉄砲などから身を守るために身を低くし、甲冑や兜に引っかからないよう、弦の引き方が現代弓道とかなり違います#ガチ甲冑合戦 の詳細 https://t.co/n7pe75W3Po pic.twitter.com/HRvFcy7lwf
○東アジアの弓の歴史蟇目鏑(ひきめかぶら)で疫病終息への追い討ち。
— 市村弘 (@kerpanen) June 8, 2020
6月6日、神奈川県小田原市にあるサドルバック牧場での「馬上弓比べスクール」も再開。
この日は定員の20名満員。初めて体験する方も6名。
いつもは室内で食べるランチも三密を避けるため特別に上階のカフェの相模湾を望む絶景のテラスで食べました。 pic.twitter.com/Uwj5PN5Oo9
『論語』八佾(はちいつ)第三 16 子曰「射不主皮。為力不同科。古之道也」。 |