三撃掌(さんげきしょう)San-ji-zhang

 これから見ていただくのは、三撃掌、手のひらを三回うって親子の絶縁(ぜつえん)を誓う、という芝居です。
 昔の中国では、娘の結婚相手は父親が決めました。自由恋愛など、もってのほかでした。この芝居の主人公であるお姫様は、そんな時代に、ある貧しい若者に一目惚れし、勝手に結婚の約束までしてしまいました。そのため、父親と壮烈(そうれつ)な親子喧嘩(おやこげんか)をすることになります。
 今から千二百年前のものがたり。総理大臣の王允(おういん)には、三人の美しい娘がいました。ふたりの姉はそれぞれ立派な身分のむこと結婚していましたが、一番すえの娘の宝釧(ほうくん)だけは、親にことわりもなく、勝手に自分が見初(みそ)めた相手と婚約してしまいました。しかもその相手は、名も無いホームレスの若者でした。
 王允は腹をたて、娘の宝釧に、婚約を破棄(はき)して、ちゃんとした貴族のむこと結婚するよう迫ります。しかし宝釧は、たとえ相手がホームレスでも婚約は破棄できない、と言いはって、父親の命令をはねつけます。
 激しい言い争いのすえ、王允と宝釧は、手のひらを打って、親子の縁を切るのでした。
 ちなみに、宝釧に見初(みそ)められたホームレスの若者は、名前を薛平貴(せつへいき)といいます。ホームレスだった彼は、これから二十年のち、大出世(だいしゅっせ)して中国の皇帝になり、京劇「大登殿」(だいとうでん)という芝居のなかで、王允たちを見返すことになります。
 それでは、貴族の生活を捨てても自分の愛をつらぬこうとする中国女性の毅然(きぜん)とした美しさを、どうぞこの京劇の舞台で御堪能ください。

 王允が登場し、せりふで自己紹介します。
「わしは、総理大臣・王允である。わしの末娘の宝釧はそろそろ適齢期。錚々(そうそう)たる王侯貴族(おうこうきぞく)の子弟(してい)から、縁談が殺到しておる。しかし宝釧はおろかにも、薛平貴とかいうホームレスの若僧(わかぞう)を見初め、夢中になっておる。まあ宝釧は、まだ恋に恋する年ごろ、男を見る目がないのも仕方ないが、よりによってホームレスの男とは。・・・
 わしは今日、朝廷(ちょうてい)で、科挙(かきょ)の試験の首席合格者の秀才と会った。その秀才は前途洋々、彼こそ宝釧のむこにふさわしい。どこの馬の骨ともしれぬホームレスの若僧などに、かわいい娘をくれてやるものか。これから宝釧を呼びだし、わが家にふさわしいむこは誰か、冷静に話しあうことにしよう」
 王允は、家来に命令して、娘を奥の方から呼び出させます。

 王宝釧(おうほうくん)が登場し、父親と対面します。
 父親と娘は椅子にすわり、まず、型通りのあいさつをかわしながら、お互いに腹のうちをさぐりあいます。

 王允は言います。「そなたが投げた婿(むこ)選びのマリに当った果報者(かほうもの)は、どこの誰かな」
 婿(むこ)選びのマリ、というのは、昔の中国の習慣です。お姫様は高い窓から、自分が気にいった若者にマリを投げて与えて、自分の気持ちを相手の殿方(とのがた)に伝える、という習慣がありました。王宝釧は、薛平貴という名前の貧しい若者を見初めて、彼にマリを投げ与えたのでした。
 王宝釧はトボけて「さあ、わたくしの投げたマリがどの殿方に当ったか、わたくしは知りません」と言います。
 王允は「そなたのマリは、薛平貴とかいう乞食(こじき)の男に当ったのじゃ。まあ、婿選びのマリは、しょせんは一時(いっとき)の座興(ざきょう)。わしはそなたに、本当の結婚相手を探してやったぞ」と言います。
 王允は娘に、国家試験に一番の成績で合格した秀才の若者と結婚するよう命令します。

 王宝釧は父親に、自分が薛平貴と結婚の約束をした経緯を、はじめて打ち明けます。
「お父様には今まで黙っていて、申し訳ございませんでした。実は、お母様が御病気だったとき、わたくしは一生懸命、看病いたしました。そのかいあって、お母様の御病気は直りました。わたくしが一生懸命看病したことを皇后陛下がお聞きになり、わたくしに親孝行の御褒美(ごほうび)として五色(ごしき)のあやいとをくださいました。皇后陛下は、わたくしに、その五色のあやいとで色あざやかな手まりを作り、婿(むこ)選びのマリ投げをして、好きな殿方を結婚相手として選ぶようおおせになりました。それでわたくしは、さる二月二日、町の大通りに面した建物から、そのマリを投げたのでございます。『このマリが貧乏な殿方に当ったら貧乏人の妻になりましょう、お金持ちの殿方に当ったら金持ちのの妻になりましょう』と念じ祈りつつ、そのマリを投げたところ、薛平貴という名前の立派な若者に当ったのでございます。そういうわけで、お父様には黙っていて申し訳ございませんでしたが、わたくしは、その若者の妻となる約束をいたしております」

 王允は、娘に薛平貴との結婚を考え直させようと、説得をこころみます。
「娘よ。婿選びのマリ投げは、しょせんは一時(いっとき)の遊び、形式だけのこと。しかし、結婚は一生の大事である。たとえ婿選びのマリ投げでそなたが選んだ相手とて、父親のメガネにかなわぬ男と勝手に結婚の約束をするなどとは、言語道断。あとはわしが話をつけるから、わしの選んだ秀才の青年と結婚しなさい」

 王允はさらに説得しようとしますが、王宝釧は「一度約束したことは破れません」と、父親の言うことを聞きません。

 王允はとうとう怒りだし、歌います。
「この愚か者め、口ばかり達者で
 歳老いた父親を、ここまで怒らせるとは
 一番うえの姉さんの婿は、厚生大臣になった
 二番目の姉さんの婿は、国防大臣になった
 それなのに、末娘のおまえは、よりによって
 乞食の若者と結婚するというのか」

 王宝釧も歌で言い返します。
「お父様、お怒りをおしずめになり、聞いてください
 わたくしは、お父様のメガネにかなった秀才の殿方とは結婚しません
 お父様は、わたしが見初めた薛平貴どのを乞食とののしられますが
 彼はいつか志(こころざし)を得て、お父様を越える立派な人物になるでしょう」

 王允と王宝釧は交互に歌で言い合います。
 王宝釧は、中国の歴史上の人物たちの例をひき、貧しい男性が大出世した例をあげ、薛平貴こそ、いつか天下をとる大器である、と主張します。
 王允は、ボロをまとった薛平貴は、どう見ても出世するタマではない、と主張します。
 ふたりはそれぞれ、韓信(かんしん)、蘇秦(そしん)、孟姜女(もうきょうじょ)など、歴史の例をあげて相手を説得しようとしますが、言い合いは平行線のままです。

 父親は最後に怒りだし、歌います。
「そなたが父親の言うことを聞けぬというなら
 いまそなたが着ている、皇帝陛下からたまわった着物を脱いで、父に返せ」

 王宝釧はとうとう、豪華な着物を脱いで、父親に返します。
 親子の対立は、いよいよ緊張の度合を増してきます。

 王宝釧は、父親の前を去り、奥にいる母親のところに行こうとします。
 王允は家来に命じて、王宝釧を阻止させます。

 王宝釧は「お姉様ふたりがお嫁に行ったときは、お父様は、持参金と嫁入り道具をたっぷり持たせたのに、わたくしが薛平貴の妻になるときは、着ている着物まではぐのですか」と、皮肉を言います。
 王允は「おまえが頭を冷やして、わが家(や)の家名(かめい)を汚すような結婚を思いとどまるならば、着物といわず、財産相続は思いのままだ」と言い返します。

 親子はふたたび、歌での言い争いを再開します。
 娘は「お父様のお葬式を出すのは誰か、よく考えてください」と言います。
 父親は「乞食男と駆け落ちして野垂(のた)れ死にするバカ娘になぞ、葬式は頼まんわい」と言い返します。
 二人の歌のかけあいはだんだん熱を帯びてきます。
 王宝釧はとうとう「わたくしは家族と縁(えん)を切ります。お互いの顔を見るくらいなら、目に指をつっこんで目玉をえぐり出した方がましです」と、すごいことを歌います。

 王允と王宝釧は、とうとう「三撃掌」の誓いをすることになります。三回手のひらをたたいて、親子の縁を切ることを誓うのです。
 まわりの家来たちは、あわてて止めようとします。
 しかし王允と王宝釧は、親子の縁を切ることを誓ってしまいます。

 王允は家来に「この女を屋敷の外につまみ出せ」と言って立ち去ります。
 王宝釧は「とうとう親子の縁を切ってしまいました。わたくしはもう、二度とこのお屋敷の門のしきいをまたぐことはありますまい。心のこりは、屋敷の奥にいらっしゃるお母様に、最後のご挨拶ができないこと。お父様はわたくしをお母様に会わせてくださいません」と歌います。

 王宝釧の侍女(じじょ)は「お嬢さまのことが心配です。どうぞお供(とも)させてください」と頼みます。
 王宝釧は侍女に言います。
「わたくしは一人で行きます。本来ならば奥にいるお母様にお別れを言いたいのですが、お父様に締め出されてしまいました。代わりにお母様に伝えてください。お母様の末の娘は、これから貧民窟(ひんみんくつ)に引っ越します、と」

 王宝釧は最後に、決然として歌います。
「お母様に伝えてください、掌(てのひら)を打って親子の縁を切ってしまった、と
 父と娘は、これからは、道をゆきかう通行人同然の赤の他人
 ここで分かれて、二度と会いません
 このお屋敷にも、戻ってきません
 これからはもう二度と、このお屋敷のしきいはまたぎません」

 王宝釧は、貴族の身分も、何不自由ない生活も、親子の縁もみな捨てさりました。そして、わが身ひとつで、愛する男のもとに向かうのでした。

(完)

[物語は京劇「武家坡」に続く]


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