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中国史書で読む日本史

最初の公開 2019-4-19 最新の更新 2019-5-24

講義概要
  1. 04/19 「魏志倭人伝」という本はありません
     日本の「先史時代」「有史以前」は5世紀頃まで続きました。邪馬台国の女王・卑弥呼も、倭の五王も、日本側には記憶がなく、中国の歴史書の中にしか記載がありません。日本を含む外国についての中国の歴史書の記述は、そもそもどれくらい信憑性があるのか。中国の歴史書の性格と古代中国人の世界観も含めて、わかりやすく解説します。
  2. 04/26 唐王朝と日本デビュー
     中国から「倭」と呼ばれていた日本が「日本」と名乗るようになったのはいつからか。実は、日本側の記録は錯綜していて、精確な時期はわかりません。中国の歴史書『旧唐書』や『新唐書』の記載によると、唐の武則天(則天武后)の時代に中国に来た遣唐使が「日本」という新しい国号を名乗ったことがわかります。遣唐使が味わった、明治の鹿鳴館時代の日本の外交官にも似た苦労を、歴史書の行間から読み取ります。
  3. 05/10 天皇をうらやましがった宋の皇帝
     中国の王朝の寿命は長くても300年を超えません。今から千年前、日本から来た僧侶を引見した北宋の第二代皇帝は、日本では建国以来一度も王朝交代がないと聞いて、うらやましがりました。日本の僧侶が直接やって来て、中国に日本の情報を伝えたにもかかわらず、中国の歴史書『宋史』には誤解が散見されます。後に元のフビライが日本征服を決意した一因も、この誤解にあった可能性があります。
  4. 05/17 元寇と200年の不戦
     13世紀、モンゴル帝国(元)と高麗が日本を侵略した事件は、近世以降は「元寇」と呼ばれますが、もともとは「蒙古襲来」と呼ばれていました。実は、鎌倉時代の日本はまだ文書主義が徹底していなかったため、日本の本土が戦場になったにもかかわらず、元寇についても謎だらけです。中国の歴史書『元史』や『明史』を読むと、元寇の意外な側面がわかります。
  5. 05/24 明が恐れた豊臣秀吉
     16世紀の末、日本の豊臣秀吉は明王朝を征服するため、大軍を朝鮮半島に上陸させました。明は朝鮮半島に援軍を送りますが、精強な日本軍を相手に苦戦しました。「小国の日本がこんなに強いはずがない」という発想から、当時は「秀吉中国人説」さえ流布しました。『明史』に出てくる豊臣秀吉の時代の日本史は、日本側の日本史とは全然違い、豪快な間違いだらけです。ただし、個々の誤解にはそれなりの理由があります。現代中国人の歴史認識の問題点のルーツも、ここに見られるのです。
参考図書
『貝と羊の中国人』(新潮新書)(ISBN:978-4106101694)
『倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本』(講談社学術文庫)(ISBN:978-4062920100)
『倭国伝 中国の古典17』藤堂明保・竹田晃・影山輝國 訳(学習研究社、1985年刊)

★「魏志倭人伝」という本はありません
 西晋の陳寿(233-297)が撰した正史『三国志』のなかの『魏志』東夷伝のなかの倭人の条(倭人について書いたくだり)を「魏志倭人伝」と通称する。「魏志倭人伝」は独立した著書でも章立てでもなく、『魏志』東夷伝の一部である。東夷伝を通読せず、いわゆる「魏志倭人伝」の箇所だけを読むと、著者の意図を誤解する可能性がある。
 最古の正史である司馬遷が撰した『史記』は日本に言及していない。
 後漢の班固が撰した『漢書』 (120巻) 地理志には日本への言及がある。
 「魏志倭人伝」は『漢書』に次いで古く、しかも歴代の正史のなかでもかなり詳しく「倭国」について書いている。陳寿は、『漢書』地理志と、彼と同時代の人物である魚豢の『魏略』 (散逸し、逸文が残るのみ)、その他の資料をもとに執筆したと思われる。
 「魏志倭人伝」の記述は、宋 (南北朝) の范曄が撰した『後漢書』東夷伝にも影響を与えている。なお、王朝の時代順は後漢のあとが三国志の魏の時代だが、正史の成立順は逆で、「魏志倭人伝」を含む『三国志』のほうが、より古い時代を記述した『後漢書』より先に成立していることに注意。
 『三国志』は歴代の正史のなかでも評価が高いほうである。
 中国の正史は「本紀、世家、列伝」などの「紀伝体」で書かれている。「魏志倭人伝」が「魏書」の一部であること、東方の諸民族についての記録が「東夷伝」として中国本土の個人の「列伝」と同じ扱いであること、などの意味も知っておく必要がある。

  ミニリンク




★宋史
 北宋と南宋の時代を扱った正史。元のトクトア (脱脱) らの編修した。496巻。元の時代の末、至正5 (1345) 年に完成。本紀 47巻,志 162巻,表 32巻,列伝 255巻より成り、歴代の正史の中でも文量は多いほうであるが、編集は杜撰であるとも言われる。そのぶん、皮肉なことに史料的価値は大きい。
★宋
精選版 日本国語大辞典の解説より
そう【宋】 中国の国名。
[一] 周代の諸侯国の一つ(?━前二八六)。殷の宗族、紂王の異母兄、微子啓が封ぜられた国。河南省の商邱に都し、殷の遺民を統治したと伝えられる。三二代で斉・魏・楚に滅ぼされた。
[二] 中国、南北朝時代、南朝最初の王朝(四二〇‐四七九)。東晉の部将劉裕(武帝)が建国。建康(南京)に都した。第三代文帝の治世(元嘉の治)が最盛期。八代で斉王の武将蕭道成に帝位を譲り滅んだ。他の宋と区別するために、建国者の姓をとって劉宋と別称。
[三] 中国の統一王朝(九六〇‐一二七九)。趙匡胤(太祖)が五代のあとをうけて建国。?(べん)(開封)に都して、中央集権を徹底し文治主義の君主独裁制を樹立。対外的には、遼・西夏・金に対して守勢にたち、文運の隆盛、新文化の誕生にもかかわらず、軍事・財政危機に苦しみ、一一二七年金に圧迫され九代で江南に移転。それ以前を北宋、以後臨安(杭州)に都して蒙古に滅ぼされるまでを南宋と称する。趙宋。


元寇と200年の不戦
★日本と中国の正規軍どうしの交戦は少なかった。
  1. 663年 白村江の戦い(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい) 日本・百済残存勢力vs唐・新羅
  2. (759年 藤原仲麻呂の新羅征討計画、計画のみ)
  3. (1019年 刀伊(とい)の入寇)
  4. 1274年 文永の役。蒙古襲来。元寇。 日本vs元(モンゴル帝国)・高麗
  5. 1281年 弘安の役。蒙古襲来。元寇。 日本vs元(モンゴル帝国)・高麗
  6. 1592年 文禄の役。唐入り。朝鮮出兵。日本vs朝鮮・明
  7. 1597年 慶長の役。唐入り。朝鮮出兵。日本vs朝鮮・明
  8. 1894年 日清戦争。

チンギス・カン 1162年-1227年
源義経 1159年-1189年
クビライ(フビライ。元の太祖) 1215年-1294年
日蓮 1222年-1282年
北条時宗 1251年-1284年

★元寇についてのYouTubeのビデオ

★『元史』
 中国の元代を扱った歴史書。正史の一つ。 210巻。明初の宋濂(そうれん 1310-1381)らの編修。洪武3 (1370) 年に成立。チンギス・カンがイェケ・モンゴル・ウルス(モンゴル帝国)を建国した1206年から、1271年に国号を「大元」と定め、最後に順帝トゴン・テムルが大都を放棄する1367年までを記述する。
 官撰の正史でありながらわずか2年間で2度に分けて編纂されたため、拙速と疎漏のそしりを免れない。その反面、編纂者が原資料をそのまま利用したところが多いことがかえって幸いし、史料的価値は大きいという評価もある。
 清代には正史二十四史の中で最低という悪評が定まっていたため、多くの歴史家が『元史』改訂を試みた。1919年に柯劭サ(かしょうびん)が編纂した『新元史』が有名。

★『元史』日本伝の特徴
 明は、元からの禅譲ではなく、元を放伐によって駆逐した王朝であるため、明初に成立した『元史』には元に肩入れする視点は薄い。
 元の時代の資料をほぼそのまま使っているとみられ、元の対日外交政策についての記述も信頼性が高い。
 日本侵攻の発端が高麗人の建議であったこと、日本派遣外交官の席次をめぐる秘密の訓令なども、ありのままに記述してある。
 『八幡愚童訓』や『蒙古襲来絵詞』など日本側の記録が神仏の霊験や個人的武功を強調するのと比較して、『元史』日本伝の記述は客観的である。


明が恐れた豊臣秀吉
cf.[
『明史』巻322・外国3「日本伝」より、豊臣秀吉の条][李瀷 星湖僿説 漢文選]

★明史
 明の時代を記述した正史。清の張廷玉らの奉勅撰。1679年(康熙18)本格的に編纂が始まり、『明史稿』を経て、1739年(乾隆4)に刊行。完成までに60年の歳月を費やし、多数の学者がこの事業に関与した。歴代の正史のなかでも傑出したものと評価されている(ただし、少なくとも日本についての記述は間違いだらけ)。本紀24巻、志75巻、表13巻、列伝220巻、目録4巻の全336巻というボリュームも二十四史中最大である。

★北虜南倭 ほくりょなんわ
 15世紀から16世紀にかけて、明が南北から受けた外民族の侵攻を指す中国側の呼称。北虜はモンゴル人、南倭は倭寇を指す。

★倭寇
 13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸沿岸で略奪行為や密貿易を行った海賊集団に対する朝鮮・中国側の呼称。15世紀までの前期倭寇の主体は西日本の日本人だったが、勘合貿易によって下火となった。16世紀の後期倭寇の主体は中国人であった。

★文禄・慶長の役
 同時代の日本側の呼称:「唐入り」「唐御陣」「高麗陣」「朝鮮陣」「唐御陣」
 後世の呼称:「朝鮮征伐」「朝鮮征伐」「朝鮮出兵」「朝鮮侵略」
 現在の中国側の呼称:「万暦朝鮮之役」
 現在の朝鮮・韓国側の呼称:「壬辰倭乱・丁酉再乱」「壬辰祖国戦争」


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