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反乱者たちの中国史 シリーズ乱

朝日カルチャーセンター・新宿教室 講師 加藤徹
最初の公開2018-5-31 最新の更新2018-9-22

 以下、朝日カルチャーセンター・新宿教室のサイトの本講座の紹介より自己引用。
 中国の歴代王朝の寿命は三百年を超えない。が、中国文明は過去数千年間持続し、今も繁栄している。なぜか。その秘訣は「反乱」にある。
 どこの国でも、平和が長く続けば、貧富の格差や社会問題が増大する。中国史では、社会が傾くと、野心的な反乱者があらわれる。秦末の陳勝・呉広、唐の安禄山、明末の李自成、清末の洪秀全は、登場が早すぎて失敗した反乱者である。漢の劉邦、唐の李世民、明の朱元璋、中華人民共和国の毛沢東は、失敗と紙一重で成功をつかみ、新国家の開祖となった反乱者である。これらの反乱者は、それぞれ出自も資質もバラバラだが、彼らを生んだ中国社会の土壌は今も昔も変わらない。中国は、反乱というドラスティックな形で「文明のOSのアップデート」を繰り返してきた「易姓革命」の国である。現在および未来の中国を理解するうえでも、反乱は重要である。
 本講座では、タイプが異なる三つの大反乱を取り上げ、図版や映像資料も使いながら、反乱が起きた背景や経過、現代への教訓などを、わかりやすく解説する。(講師記)

第一回 7/23月曜 陳勝・呉広の乱
 秦の末、前209年に勃発。無名の農民・陳勝が始めた中国最初の農民反乱は、結局は失敗に終わったものの、始皇帝死後の秦帝国の滅亡を決定づけ、後世の歴代の農民反乱の手本や反面教師となった。
 司馬遷の『史記』によると、陳勝は無名時代に「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」、反乱の挙兵のときには「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と述べた。後者の名言はよく、英国史の農民反乱の言葉「アダムが耕しイブが紡いだとき、一体だれが領主だったか」と比較される。しかし、中国の農民反乱の性格には、西洋的な意味での反乱や革命とは、本質的な違いがあった。

〇史上初の「農民反乱」を起こした陳勝は、「劉邦になりそこねた男」だった。彼には全てが欠けていた。血縁、地縁、職縁、志縁、学縁、人間力。そんな彼がわずか半年間とはいえ、なぜ天下をゆるがすことができたのか。司馬遷『史記』陳渉世家の行間を読む。

★ポイント 〇史上初の「農民反乱」と言われるが・・・・・・
〇司馬遷はなぜ「陳渉世家」を「孔子世家」の次に立てたのか
〇後世への影響。「隠王」と「農民起義」

★反乱とは?
〇被支配者が、支配者に武力で立ち向かう行為を、支配者目線から述べた言葉。
〇反乱が成功すれば「反乱者」のレッテルを卒業。失敗すればそのまま。
〇「暴動か? (C'est une revolte?)」「いえ、陛下、暴動ではなく革命です (Non sire, ce n'est pas une revolte, c'est une revolution.)」
〇民主選挙の本質は制度化された合法的な反乱である。

★中国史の主な反乱
  1. 前9世紀、西周の脂、の時代に起きた「国人暴動」→周召共和
  2. 前3世紀、秦末の陳勝・呉広の乱(大沢郷起義)
  3. 1世紀、王莽に反抗した赤眉軍・緑林軍
  4. 2世紀、後漢末の黄巾の乱
  5. 7世紀、「隋末民変」
  6. 8世紀、唐の中期の安史の乱
  7. 9世紀、唐の末の黄巣の乱
  8. 12世紀、北宋の末の方臘の乱
  9. 14世紀、元末の紅巾の乱(白蓮教徒の乱)→朱元璋による「明」の建国
  10. 17世紀、明末の李自成の乱
  11. 19世紀、清末の太平天国の乱
  12. 19世紀、清末の義和団の乱
 右の反乱は、唐の「安史の乱」を除き、中国共産党史観では「農民起義」ないし「農民起事」と見なされる(ただし反乱の指導者は農民とは限らない)。

★デジタル大辞泉の解説
〇ちん‐しょう【陳勝】
[?〜前208]中国、秦末の農民反乱の指導者。陽城(河南省)の人。字(あざな)は渉。雇農の出身。前209年、呉広とともに兵を挙げ、一時は張楚国を建てて王となったが、6か月後鎮圧された。その後、各地に反乱がつづき、秦朝崩壊のきっかけとなった。陳渉。
〇ご‐こう〔‐クワウ〕【呉広】
[?〜前208]中国、秦末の農民反乱の指導者。陽夏(河南省)の人。字(あざな)は叔。陳勝とともに反乱を起こしたが、秦軍に大敗、部下に殺された。

★名言・成語
〇陳勝呉広(ちんしょうごこう)(漢字検定準2級)
 他の人よりも先に物事を行う人のこと。
〇燕雀安知鴻鵠之志哉
 燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知(し)らんや
〇篝火狐鳴(こうかこめい)(漢字検定1級)
 かがり火をたき狐の鳴き声をまねる。迷信深い民衆を騙して煽動すること。
〇王侯將相寧有種乎
 王侯(おうこう)将相(しょうしょう)寧(いずく)んぞ種(しゅ)有(あ)らんや
〇夥頤、渉之為王沈沈者。
 夥(おびただ)しく頤(おお)いなるかな、渉の王為(た)ること沈々たる者なり。
〇族秦者秦也、非天下也。(唐・杜牧「阿房宮賦」)
 秦を族する者は秦なり、天下にあらざるなり。

★司馬遷『史記』巻四十八 陳渉世家第十八
〇国立国会図書館デジタルコレクション - 漢文叢書. 第12〔3〕
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118527 の178から185まで
〇ウィキペディア 原漢文資料
 https://zh.wikisource.org/wiki/史記/卷048
 陳勝者、陽城人也、字渉。呉廣者、陽夏人也、字叔。陳渉少時、嘗與人傭耕。輟耕之壟上、悵恨久之、曰「苟富貴、無相忘。」傭者笑而應曰「若為庸耕、何富貴也?」陳渉太息曰「嗟乎、燕雀安知鴻鵠之志哉!」
 二世元年七月、發閭左適戍漁陽、九百人屯大澤郷。陳勝、呉廣皆次當行、為屯長。會天大雨、道不通、度已失期。失期、法皆斬。陳勝、呉廣乃謀曰「今亡亦死、舉大計亦死、等死、死國可乎?」
(中略)
 乃行卜。卜者知其指意、曰「足下事皆成、有功。然足下卜之鬼乎!」陳勝、呉廣喜、念鬼、曰「此教我先威衆耳。」乃丹書帛曰「陳勝王」、置人所罾魚腹中。卒買魚烹食、得魚腹中書、固以怪之矣。又彊令呉廣之次所旁叢祠中、夜篝火、狐鳴呼曰「大楚興、陳勝王」。卒皆夜驚恐。旦日、卒中往往語、皆指目陳勝。
 呉廣素愛人、士卒多為用者。將尉醉、廣故數言欲亡、忿恚尉、令辱之、以激怒其衆。尉果笞廣。尉劍挺、廣起、奪而殺尉。陳勝佐之、并殺兩尉。召令徒屬曰「公等遇雨、皆已失期、失期當斬。藉弟令毋斬、而戍死者固十六七。且壯士不死即已、死即舉大名耳、王侯將相寧有種乎!」徒屬皆曰「敬受命。」乃詐稱公子扶蘇、項燕、從民欲也。袒右、稱大楚。為壇而盟、祭以尉首。
(中略)
 陳渉乃立為王、號為張楚。
 當此時、諸郡縣苦秦吏者、皆刑其長吏、殺之以應陳渉。乃以呉叔為假王、監諸將以西撃滎陽。令陳人武臣、張耳、陳餘徇趙地、令汝陰人ケ宗徇九江郡。當此時、楚兵數千人為聚者、不可勝數。
(中略)
 陳勝王凡六月。已為王、王陳。其故人嘗與庸耕者聞之、之陳、扣宮門曰「吾欲見渉。」宮門令欲縛之。自辯數、乃置、不肯為通。陳王出、遮道而呼渉。陳王聞之、乃召見、載與倶歸。入宮、見殿屋帷帳、客曰「夥頤!渉之為王沈沈者!」楚人謂多為夥、故天下傳之、夥渉為王、由陳渉始。客出入愈益發舒、言陳王故情。或説陳王曰「客愚無知、顓妄言、輕威。」陳王斬之。諸陳王故人皆自引去、由是無親陳王者。陳王以朱房為中正、胡武為司過、主司群臣。諸將徇地、至、令之不是者、系而罪之、以苛察為忠。其所不善者、弗下吏、輒自治之。陳王信用之。諸將以其故不親附、此其所以敗也。
 陳勝雖已死、其所置遣侯王將相竟亡秦、由渉首事也。高祖時為陳渉置守冢三十家碭、至今血食。
(中略)(以下は、司馬遷より後の時代の人が加えた引用文の一部)
 始皇既沒、餘威振於殊俗。然而陳渉甕牖繩樞之子、甿隸之人、而遷徙之徒也。材能不及中人、非有仲尼、墨翟之賢、陶朱・猗頓之富也。躡足行伍之閨A俛仰仟佰之中、率罷散之卒、將數百之衆、轉而攻秦。斬木為兵、掲竿為旗、天下雲會響應、贏糧而景從、山東豪俊遂并起而亡秦族矣。 (中略)
 然而秦以區區之地。致萬乘之權、抑八州而朝同列、百有餘年矣。然後以六合為家、殽函為宮。一夫作難而七廟隳、身死人手、為天下笑者、何也? 仁義不施、而攻守之勢異也。


第二回 2018/8/27【安禄山の乱】
 唐の時代、755年に勃発。「外国」出身の安禄山と、彼の軍閥が引き起こした反乱は、「多民族国家」や「国際化」の光と影を浮き彫りにした。杜甫が漢詩で「国破れて山河在り」云々と詠んだほどの戦乱で、中国社会は荒廃した。
 安禄山は「外国」の血を引く軍人だったが、6カ国語を自由にあやつる国際人で、玄宗皇帝から信頼されて出世を重ね、楊貴妃とも親しかった。そんな彼がなぜ反乱を起こしたのか。果たして、移民労働者の「ガラスの天井」と通じる原因があったのか。その理由を探る。
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第三回 2018/9/24【義和団の乱】
 清の末、1900年に勃発。沸騰するナショナリズムの渦の中で、民衆と国家の中枢が共謀した「反乱」は、20世紀の世界史の流れをも変えた。
 従来、中国の反乱は、個性ゆたかなリーダーと、反乱者なりの組織力があった。また反乱は、現有の政権に対する反乱であった。義和団の乱は、その常識を変えた。日清戦争の敗北後、中国のナショナリズムは沸騰した。民衆は「扶清滅洋(ふしんめつよう)」の旗を立てて外国人を殺した。組織もリーダーもない。怒り狂う民衆暴動の津波に、本来、鎮圧する立場の西太后ら清朝の中枢までもが荷担した。
 義和団の乱は本当に「鎮圧」されたのだろうか? 現代の中国人の心の奥底には、「先進国」に対するドロドロとした感情が、今も残っている。
参考 YouTube ビデオ
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mEeUuDlBlVG4CgDco2be9s

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