3.イスラームの世界観
イスラームの根本となっている考えとは何ですか?

一言で説明するのは難しいですが、イスラームの根本には「タウヒード」による世界観があると考えられます。

そのタウヒードとは何ですか?

タウヒードとは「神の唯一性」を意味し、一般にムスリムは「アッラー以外に神はなし」と信仰告白して、この信仰の根本を表明します。タウヒードとは単に多神崇拝を排することを指すだけではなく、人や宇宙を含む世界のすべてが絶対神アッラーによって創造され、現在においても創造されつづけており、そしていつの日か終末の時を迎える、という実存の時間と空間の原理なのです。ですから、人の運命もアッラーの予定のうちにあるとされ、この神の予定(カダル)を信じることも、ムスリムが信ずるべき6項目(六信)の一つに入ります。

ちなみに・・・

イスラームにおいては、時間は神による天地創造から終末に向かって一方向に進み、神から遣わされる預言者・使徒ごとの共同体によって時代区分がなされます。
終末がくると世界はどうなってしまうというのですか?
終末をしらせる音が鳴り響き、天変地異が起こる、そして死者は墓から甦り、すべての人間が集められて、アッラーにより最後の審判にかけられることになっています。そこで、現世での生き方を裁かれて(生きている間の善行と悪行が秤にかけられて)、来世において天国へ行くか、地獄へ行くかが決定されるということです。この来世というのもイスラームの六信の一つです。
なお・・・
天国は「楽園」として、豊かに茂る植物やオアシスのイメージで示される一方、地獄(ジャハンナム)は、灼熱のイメージで示され、永遠の苦しみを味わうとされています。
どうすれば天国に行けると考えているのですか?

原則としては信仰することで来世での救済が約束されることになっています。アッラーは信仰の必然性の根拠や目的を示し、信仰者としていかに生きるべきかを教えてある、というのです。それは啓示として天使を仲介し、預言者に伝えてある、そしてムスリムはその啓典から神の指示を知ることができる、というわけです。天使啓典預言者を信じることは、神アッラー、上記のカダル来世を信じることとあわせて、イスラームの六信による救済観を形成しています。

ムスリムはその6項目を信じてさえいればよい、いうことですか?

いいえ、信じるだけではなく行動することも大切だと考えられます。 神の意志により現世が存続する限り、啓示に従い、現世の秩序を維持すべく、行ないを正さなくてはいけません。一般にムスリムが義務としてなすべき行為5項目を五行といいます。信仰告白、礼拝、喜捨、巡礼、斎戒(断食)がこれにあたります。

信仰告白とはどのように行なうのですか?

ムスリムは「アッラーのほかに神はなし、ムハンマドは神の使徒なり」という意味のアラビア語を口に出して言うべきだとされます。入信を示す時や礼拝などで繰り返し唱えています。

礼拝はどのように行なうのですか?
原則として、1日に5回メッカの方向を向いて一定の所作を行なうことになっています。 礼拝の所作は、神を敬う姿を示しているともいわれます。
ちなみに…日本人はお祈りというと「神様、〜してください」という祈願を思い浮かべますが、それはドゥアーといって、礼拝とは別の行為だと考えられています。
日々の礼拝は各自で行ないますが、金曜日の昼は集団礼拝をします。この集団礼拝のために立てられているのがモスク(アラビア語ではマスジド)というわけです。
礼拝の詳細については、さらに「ムスリムの生活」章を参照してください。
喜捨とはなんですか?
自分の財産の一部をイスラーム共同体のために差し出すことです。これは原則として共同体の中の困窮者を救うために使われることになっています。
ちなみに…
貧しい人は(当然のことながら)喜捨は免除されます。
喜捨とは慈善行為ですね?

いいえ、イスラームにおける貧者救済は、キリスト教でいうような慈善事業ではなく、義務なのです。義務であるゆえに、喜捨のお金は為政者が税金のようにあつめるようになりました。

巡礼とはいつ、どのように行なうのですか?

イスラーム暦の巡礼(ズ・ル=ヒッジャ)月にメッカのカァバ神殿とその近郊を規則に従ってめぐります。

図(カァバ神殿をめぐる巡礼者たち)
斎戒とはなんですか?

イスラームでいう斎戒(サウム)とは、イスラーム暦のラマダーン月に、欲望をコントロールすべく、日中は断食をし、性的な行為も抑制することです。

ムスリムのなすべき行為は、この五行でおわり、ということですか?

いいえ、ムスリムはすべての行為(手を洗うことから経済・政治的政策まで)を、神の意志に沿うべく行なうべきだとされます。そこで、啓示をいっそう詳細に具体的に展開したイスラーム法(シャリーア)が大切になってくるのです。

ところで、ムスリムはすべてが神の予定にある、と信じているならば、何をしてもそれは運命で、行為を判断する自由意志はどうでもよいことになりませんか?

それはとても難しい問題で、「神は悪行も創造するのか?」といって学者の間でも激しい議論となりました。一応、アシュアリーという学者が「人は行動することによって運命を獲得する」という「獲得理論」で、論争は収拾されたことになっています。神はいつでも世界を創りかえることができ、因果律を超越して瞬間瞬間に世界を存立させているわけで、人間は自分で行動しながら、それぞれの瞬間で神の創造を経験するしかない、ということのようです。

ムスリムは天使の存在を信じるそうですが、悪魔はいないのですか?
神が最初の人間アーダムを創造したときに神の意に背いた天使イブリースは堕天使となった、といいます。そして一般にこのイブリースが悪魔(シャイターン)とみなされています。
ムスリムはお化けを怖がることはないのですか?
死者はお墓で終末を待っていることになっており、日本でいる「タタリ」のような考えはないようです。恨みをかうような悪行は終末で裁かれることになっていますからね。
なお・・・
イスラーム世界では広く「ジン」という存在が信じられています。 霊鬼などとも訳されますが、これが人間を困らせたりすると思っているそうです。

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