イベントレポ―ト

特別授業「井筒俊彦の旅程」(「シャルギー(東洋人)」上映会と講演会)を開催

2019年6月15日(土)に和泉キャンパスで、特別授業「井筒俊彦の旅程」を開催し、大雨という悪天候のなか、20数名の参加者を得ることができました。前半は、イラン人のマスウード・ターヘリー監督が撮影された「シャルギー(東洋人)」を上映しました。この映画は、井筒俊彦の生涯と業績を世界各地の研究者や知人のインタビューで辿るもので、今回は短縮版の100分ヴァージョンを上映しました。後半は、安藤礼二氏(多摩美術大学教授)に井筒の思想をめぐる御講演をいただき、続いて映画「シャルギー(東洋人)」の撮影・上映に協力されたバフマン・ザキプール氏(明治大学兼任講師)も加わって、来聴者からの質問に答えていただきました。

映画の内容は、今後も上映の機会が国内外であるでしょうから割愛し、安藤氏の講演を中心に報告いたします。安藤氏はまず、井筒俊彦の英文著作が日本語でも読めるようになったことなど、新しい研究環境が整いつつあることを紹介された上で、情熱ほとばしる日本語著作に対して英文著作が明快で整然と書かれているというスタイルの違いを指摘されました。また、英語で業績を発表していた時期はイスラーム研究が中心だったのが、1978年のイラン革命時に日本への帰国を余儀なくされ、日本語でまた書き出すと「精神的東洋」の追求が主要な関心になるという変化もあるわけですが、ただし、井筒は現実の世界と現実を超えた世界を同時に見る眼を常にもっていたと総括され、それが言葉の論理的な側面だけでなく呪術的な側面をみようとする態度にもつながっていると解説されました。こうした視点に立って、『神秘哲学』におけるディオニュソスの憑依の問題、未開社会の民族学への関心、イスラーム神秘主義、アジアに広がるシャーマニズムの問題など、井筒のテーマの一貫性とその射程の広さについて論じていただき、話題は鈴木大拙や折口信夫との関連性にも及びました。最後に、その幅広さは、井筒哲学が今なお、あるいは資料がいっそう整備された今こそ読み直されるべきことを示しているとして、話を締めくくっていただきました。

                      左から安藤礼二氏とバフマン・ザキプール氏

質疑応答では、映画の内容と講演の内容を踏まえ、井筒の好んだ無という概念をどう理解すればよいのか、イスラームを理解するにはイスラーム信者でなければならないのか、さらには、井筒の仏教理解や、大川周明との関係をめぐる質問がなされ、安藤氏とザキプール氏それぞれから明確で充実したお答えをいただきました。私個人としても、井筒が中国にもなみなみならぬ関心を寄せ、中国語の文法書を書きたいと思っていたというエピソードなど、知らなかったことが多く、東アジアの哲学を考える際に井筒の業績のもつ意味がいかに大きいかを痛感する知的興奮をかきたてられるイベントとなりました。(文責:志野)