7-2 体脱体験と臨死体験

明治大学情報コミュニケーション学部教授
メタ超心理学研究室 石川 幹人

 本項では,体脱体験と臨死体験について述べる。臨死体験は,事例調査研究の対象であるが,体脱体験は安定して体験する者がいるので,被験者による実験研究が可能である。次の文献でいくつかの研究が日本語で読める。

 笠原敏雄編著訳『霊魂離脱の科学』(叢文社)

<1> 体脱体験とは

 体脱体験(OBE)とは,意識の中心が肉体の外部にあるという主観的印象を与えるような,一連の内的イメージや感覚である。OBEそのものは,夢と同じような「体験」であるので,超常的な現象とは言えない。けれどもOBEに,PSIなどの超常的現象が伴う可能性はある。
 OBEでは,身体の感覚が変容し,宙に浮いたような感覚を伴って,自分のいる部屋の光景が視覚的に感じられる。しばしば,自分自身の身体が上から見下ろしたように下に見える。その身体から,紐のようなものが自分のいる位置まで伸びているのが見えることもある。また,トンネルや光,新たな地平といったイメージが現われることもある。ただし,神や天使などの,特定のイメージが見える訳ではない。まれに,OBEして移動したとされる地点で,第三者が霊姿(人間によって目撃されたり写真に撮られたりする幽霊らしき姿)を見たという報告がある。
 パーマーの600人規模の質問紙調査では,およそ2割がOBEを体験したと報告している。眠っている時などの意識が希薄な状態に体験することがほとんどだが,病気やケガなどのストレスが高い時に起きることもある。体験すると,宗教心があつくなったり,慈悲深くなったりする傾向がある。
 OBEは,催眠暗示性の高さ,分裂傾向,明晰夢(夢を見ていると自覚した夢)を見る傾向と相関がある。ただしOBEの状態では,夢見のような急速眼球運動は起きないので,夢見とは異なる状態にあると見られる。年齢,性別,人種,社会階層との相関は得られていない。

<2> 臨死体験とは

 臨死体験(NDE)とは,一旦死亡と判断された後に生還したり,きわどいところで死から免れたりした人物が持つ,一連の内的イメージや感覚である。NDEの一部にOBEが現われることがよくある(約4割)。
 NDEは総じて,楽しく肯定的で平穏な感覚である。2,3割の事例では,暗闇に入って,トンネルを抜け,光に近づくといった一連のイメージか,その一部を体験している。1割ほどの事例では,光の中に入ると楽園が広がっていて,死んだ親類や神様に会うという体験をしている。また,過去の体験がスライドのように,連続的に次々と想起されることがある。
 ケネス・リングは,病院の患者200名に面談し,48%が何らかのNDEを体験しているという結果を得た。また全体の27%は,多くの要素を伴った「深いNDE」を体験していた。事故によるNDEでは,過去体験の連続想起が多く経験されており,自殺未遂の場合のNDE頻度は比較的小さかった。年齢,性別,人種,社会階層,信仰心との相関は見られなかった。
 リングは,NDEを体験しそうな状態であったのに体験しなかった患者と,実際にNDEを体験した患者とで,気持ちの変化を比較した。前者の人々は総じて,命の大切さを再認識し,目的意識が芽生え,物へのこだわりが減り,他者への思いやりが高まった。後者の人々は総じて,信仰心が高まり,死への恐怖が減り,死後存続の信念が芽生え,生まれ変わりを許容するようになった。

<3> 何かが体脱しているのか

 OBEやNDEを,「霊魂」が肉体から抜け出すことによって説明する,宗教的仮説は数多い。例えば,「半」物理的性質の「霊魂の入れ物(霊体)」が,肉体と二重になっており,それが肉体から分離するのがOBEである。霊魂はどこへでも自由に動いて行けるが,霊体には制限があり,その代わりに「幽霊」として目撃される(霊姿)。霊魂が幽体から出てしまうと,「あの世」に行ってもう戻れない,といった具合いである。
 OBEの際に,実際に「何か」が体脱していると考えると,その「何か」を説明する膨大な仮説が必要である。そしてその仮説は,何でも説明できて検証することがほとんど不可能な「お話し」になってしまう(8-2)。OBEやNDEに超常的な現象が伴うのだとしても,当面は,体験者がPSIを発揮したと考えておくのが良いだろう。

<4> OBEに伴うPSI実験

 頻繁にOBEを体験する人物を被験者にした実験研究が,いくつか行なわれている。モリスらは1978年,OBEを体験したら,そのイメージの中で別の建物にある実験室に行くように被験者に依頼した。そして,その実験室には,人間と子ネコと電磁測定器を置いた。実験の結果,人間は霊姿を見ることはなかったし,電磁測定器にも何も検出されなかった。だが,子ネコについては,OBEの期間のみ有意に活動性が低下する(静かになる)傾向が見られた。
 オシスとマコーミックは1980年,OBEを体験したら,別室に設置した箱の中にあるターゲットを,箱の穴から覗いて見てきて欲しいと被験者に依頼した。その箱の中には2枚の半透明円盤に前景と後景が複数描かれており,穴から覗いた時にのみ,特定の組合せパターンが見えるようになっていた。その組合せパターンが分かるのであれば,箱の中を直接透視するのでなく,穴から覗いたという仮説を支持する。また,箱の穴の前にはアクリル板をぶら下げておき,何ものかが穴を覗こうと箱に接近したら,アクリル板に触れるようになっていた。そのアクリル板の吊り金具には歪み検出器が取付けられ,アクリル板の傾きが常時モニタされていた。実験の結果,OBEによるターゲットのコールが,当たりのときはハズレの時に比べて,有意に大きい歪みが検出された。

<5> 生理-心理学的仮説

 NDEを導くであろう生理学的状態には,低酸素症が指摘される。ブラックモアらは,脳の酸素が希薄になり,抑制性のニューロンが先に障害を受けることで,トンネルや光の感覚が見えるのでは,と推測する。サボアは,それに伴う二酸化炭素の過剰が,NDE様の症状を起こすと主張している。他には,ストレスによるエンドルフィンの過剰分泌が指摘される。エンドルフィンが高揚感・幸福感をもたらすのは良く知られている。またエンドルフィンが発作を誘発して,幻覚や過去の連続想起を起こすのかも知れない。これらの仮説は検証可能であるが,実験されてはいない。
 OBEには,心理学的な存在意義があるとノイエスらは考える。体脱感によって,苦しい状況を一時的に回避し,自我を防衛する手段となっていると言う。エレンウォルドは,死を否定したいという願望からOBEが生まれると推測する。ブラックモアは,感覚刺激によって駆動されている空間把握が,OBEでは,感覚遮断によって記憶駆動になっているのだと主張する。一方アーウィンは,ある音を聞くと特別な匂いがするというような,共感覚現象でOBEを説明する。すなわち,集中によって身体感覚が希薄になると,人によって視覚に特定の感覚が誘発されるのだ,と主張する。
 パーマーは,自己概念の再構築の一環としてOBEを捉える。人間は一般に見知らぬ状態に置かれると,新たな現実感を能動的に構成して自己を位置づける。半覚醒状態で体性感覚のフィードバックが変容している時には,覚醒状態を上げて目覚めるか,下げて眠り込んでしまえば,奇妙な現実に対処する必要はないが,その状態のまま対処して,「自分は夢を見ているのだ」と明晰夢を見ることでも対処される。ところが,人によっては,その状態に対応する新たな現実感として,OBEを体験すると言う。つまり彼によれば,OBEとは,不安な状況に対処するために無意識のうちに作られたリアリティなのである。一方グロッソは,ユング心理学に基づいて,OBEやNDEに現われる光などの象徴は,「死と啓発」の元型の現われであると主張している。
 以上の各仮説は,どれも他を排除する訳ではないので,これらが重なり合ってOBEが起きている,という推測も成立する。また合わせてPSIが起きていると考えることもできる。

<6> パーマーの見解

 パーマーは,OBEが体験された多数の事例をもとに,その時の心理的状況を因子分析した。その結果,リラックスして夢見のような想像をしている状態(催眠様状態)で,OBEが体験されやすいことが示された。ところが,この状態はPSIを発揮しやすい状態でもある(4-3)。
 またOBE体験者に通常のESPテストを行なったところ,感覚遮断状態でヒッティング傾向,感覚刺激状態でミッシング傾向を示した。別の実験では,OBE体験する被験者に,OBE中に別の部屋の棚に置いた数字5文字を見てくるように依頼したところ,OBE体験がないまま数字が透視された例が見られた。
 以上の知見からパーマーは,OBE状態でPSIが発揮されたように見えても,OBEがPSIをもたらすのではなく,催眠様状態がPSIをもたらしている可能性が高いと指摘する。OBEは催眠様状態によって引き起こされる1つの副作用であり,PSIとの直接の関係は無いと推測している。

<X> 付記

 本項の内容はSSPにおけるパーマー氏の講演がもとになっている。


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