6-6 信じやすさの心理学

明治大学情報コミュニケーション学部教授
メタ超心理学研究室 石川 幹人

 「見ることは信じることである」と,伝聞よりも体験を重視する格言があるが,体験に基づく我々の認知が体系的な誤りを起こすこともまた確かである。こうした誤りが,大衆における超常現象の信奉につながっている可能性が大きいので,注意を要する。とくにPSIの偶発事例の研究を行なう際には,十分な認識が必要である。
 誤った信念の観点から超常現象批判をしている日本語の良書に,次のものがある。

 菊池聡著『超常現象をなぜ信じるのか』(講談社ブルーバックス)

<1> 信じるものは見える

 我々の眼の網膜には,2次元の画像が映っている。それでも外界が立体的に見えるのは,脳が2次元の情報から3次元情報を再構成しているからである。言い換えれば,「外の世界はこんな世界である」という経験に基づいて情報を補っているのである。写真のサイコロの面は個々には歪んだ四角形に見えているはずだが,全体としてはちゃんと立方体に見える。サイコロは立方体であるという信念も一役かっている。こうした脳の機能は,時に「錯覚」を生み出すが,もし情報が補われなければ,我々は空間の中で生活できないだろう。

立方体(写真:サイコロは立方体か)

 「幽霊が存在するのではないか」と恐怖を抱く人が,薄暗がりに幽霊を「見る」のはありそうなことである。その人にとって,天井裏のネズミの足音は不気味な幽霊の声であり,窓からの夜風は肩に触れる幽霊の冷たい手なのである(7-5)。我々は,信念に従って「見る」傾向があるのだ。

<2> 信じたことは思い出す

 認知心理学者で記憶研究の大家であるエリザベス・ロフタスは,実際には体験してないことであっても,後から与えられた情報で体験したかのように記憶が作られることを,いくつもの事例と実験で明示している。例えば,児童に「昔,迷子になったことを覚えている?」などと聞くと,最初は(事実,迷子になったことがないので)「覚えていない」と言うが,日にちをおいて何度か面談を続けると,迷子の記憶を「思い出す」のである。「迷子になって泣いていると,お巡りさんが飴をくれた」などと,疑う余地の無い鮮明な記憶が現われる。記憶が面談によって作られてしまうのだ。
 またロフタスは,拳銃発砲事件などを演出し,居合わせた人に誰が拳銃を撃ったかを問うと,多数の誤った目撃証言が得られることを示している。たまたま発せられた名前に誘導されて,その人が拳銃を撃ったのを見た記憶を構成していたり,なかには被害者と加害者を取り違えて記憶している場合もあった。事件の目撃証言は,我々が思うほど当てにならないものである(『目撃証言』岩波書店)。
 事件の目撃記憶と,UFOや幽霊の目撃記憶との間には何らかの類似性があると考えておくべきだろう。体験時には気が動転しているが,後から冷静になって「思い出す」という過程を,両方とも経ているのではなかろうか。

<3> 不合理なものを受け入れる

 我々の意思決定は必ずしも合理的ではない。5000円の電卓が2000円で買えるというと,並んででも買いたくなるが,14万8000円のパソコンが14万5000円であるといってもわざわざ買いに行くほどでもない。1万円の携帯電話を買う時には結構な決心がいるが,1000円の通話サービスに1年間加入する時は,それほどでもない。
 高級ブランド店をのぞいたら,前に入った人が1000人目のお客さんとして10万円の商品券を貰っていた。自分も1001人目の記念品を貰ったのだが,何故か悔しさで一杯である。その店に入らなかったら,記念品さえも貰えなかったはずなのだが。
 我々は,不合理なものを信じ込んでも,その不合理さに気づかずにいる。サンタクロースを信じても,彼がどのように一夜にしてプレゼントを配るのかを不審に思う子供は少数である。幽霊を信じても,壁を通り抜ける幽霊が何故服をまとっているかを考える人は数少ない。
 我々の行動や信念は,必ずしも合理的なものとは限らない。

<4> ステレオタイプ効果

 我々が誤った信念を持つきっかけにステレオタイプがある。ステレオタイプとは,これこれの人や物は一般にこうだ,という典型的な特徴を指す。ステレオタイプがうまく当てはまる場合は,思考の倹約になるが,当てはまらない場合は,固定観念からくる誤りとなる。
 ラトガース大学のコーエンは,ステレオタイプによる認知の偏りを示す実験を行なった。被験者は,ある女性の日常生活を撮影した15分間のビデオを見せられるが,事前に被験者の半数には,この女性は「司書」であると,他の半数には「ウェイトレス」であると教示しておく。実は,このビデオの中の女性は,司書のステレオタイプに属する特徴を9つ,ウェイトレスのステレオタイプに属する特徴を同じく9つ備えていた。ビデオを見た数日後に,被験者に内容を思い出してもらうと,知らせておいた職業に合致する特徴がより多く報告されたのである。
 我々は,知らず知らずのうちにステレオタイプを用いて,人物や物事を判断している。とくに対象が少数集団の場合に,ステレオタイプが効きやすいので注意が必要である。「茶髪の若者はとかく○○だ」などと,個々に確認することなしに鋳型にはめてしまうのである。目撃証言でも,「あのような格好の人は犯罪を犯しやすいのだ」と,ステレオタイプで犯人にされてしまう場合があり得る。
 UFOのステレオタイプは,その語意である「未確認飛行物体」からして,流星や気球や雲であるはずなのに,どういう訳か「宇宙人の乗り物」となっている。我々は,自分のステレオタイプがどのように形成されたか,その由来に注意を払う必要がある。

<5> 忘れられた由来

 友達と噂話をしていると時々,誤ってその噂話を聞いた人に同じ噂話を話していることがある。噂話の内容は刻銘に覚えているにも関わらず,その情報の由来(誰から聞いたか)は忘れられやすい。
 我々の周りには情報があふれている。我々は,新聞の情報はそこそこ信じられるのに対し,週刊誌の情報は話半分であるなどと,常識を働かせて情報を取捨選択している。超常現象の話題は,よく週刊誌の誌面をにぎわせているが,新聞に掲載されることは滅多に無い。我々は通常,怪しい話を耳にしても,情報源の信頼性をもとにして妥当な判断をしているのだ。
 ところが,情報の由来を忘れやすいとなると,うかうかしていられない。週刊誌で読んだことと新聞で読んだことの区別がつかなくなるからだ。現に,週刊誌のゴシップ記事の信憑性が(読んだ直後は信憑性がないとされるのだが),1か月も経つと被験者の意識の中で信憑性が上がっているのが,実験的に示されている。怪しい情報源には近づかないほうが良い。

<6> 関連性の錯誤

 昔の友人が事故に遭った夢を見た翌日に,まさにその友人が事故に遭った。「予知夢」だったのだろうか。夢と事故との間に関連性があると主張するためには,それらが偶然の一致では説明しにくいことを,合理的に示さねばならない。その点,夢は分が悪い。我々は,1日に多くの夢を見ているが,そのほとんどを忘れている。翌日の体験に夢の内容と類似した点があると,途端に夢を思い出して,「正夢だ」となりがちである。そのため,偶発的PSIの調査には,予知的内容が事前に記録されているかといった,証拠性が重要視される(7-1)。
 そもそも関連性を主張するためには,関連性の事例を積み上げるだけでは不十分である。「茶髪の若者は非行に走っている」という主張に「非行に走っている茶髪の若者」の例を多数挙げても,「最近,茶髪の若者は多くなったからね」で終わりである。むしろ重要なのは,反証を試みることである(8-2)。つまり,反例を調査して,それが少ないことを示すのである。「茶髪の若者で非行に走っていない者」は少数であり,「茶髪にしてない若者で非行に走っている者」は少数であると主張すべきである。そうしたデータが集まれば,カイ自乗検定で統計的な有意性を厳密に示すこともできる(2-8)。予知夢の例では,膨大な数の反例が気づかずに放置されている可能性が大である(引出し効果)。
 しかし我々は,不合理ではあっても,少数の経験から関連性を見出そうとする傾向がある。とくにスポーツ選手には,こうしたジンクスがつきものである。花柄のシャツを着ているとシュートが決まりやすいとか,バットで踵を叩いてから打席に入るとヒットが出やすいとかである。たまたまうまく行った経験から生まれたジンクスなのだろうが,反証を試みるとスランプに陥りそうな気がして,なかなかそのジンクスから抜け出せなくなる。
 ジンクスについて考えると気がつくが,我々は,同時に起きた事柄や続いて起きた事柄に関連性を見出しやすい。シュートが決まったのを前日の朝食に焦げたトーストを食べたせいだとは思わないし,ホームランが打てたのを試合前にメロドラマを見ていたせいだとも思わないだろう。ジンクスを信じたいのならば,そもそも潜在的な関連性の候補は山ほどあるのだ。たとえ本当に関連性があったとしても,少数の経験からは到底判別できない(それこそPSIでも働かないかぎりは)と思ったほうが良い。

<7> ギャンブラーの錯誤

 ルーレットで赤が5回ほど続くと,次こそは黒が出ると思いがちである。過去に何回赤が出ていようが,次に赤が出る確率と黒が出る確率は等しいにも関わらずである。このような誤認識をギャンブラーの錯誤と呼ぶ。負けがこんでくると,「次こそは勝つはずだ」などと,根拠の無い期待をしてしまうのである。
 スポーツ選手と同様,ギャンブラーにもジンクスがある。ツキを呼ぶおまじないや,スランプから脱け出す儀式の類には事欠かない。統計学的には,ツキやスランプと解釈されるような変動現象は,起きて当然なのである。飛行機事故など「悪いことは続く」というが,滅多に起きないことが続いて起きることも良くあるのである。なにしろ,スロットマシンで遊んでいる時に大当たりしたら,次にまた同じ大当たりをする確率が最も高いのは,その次の回なのである。この点をしっかり理解したい方は,筆者の『体感する統計解析』(2-8)を読まれたい。
 我々は,一般に確率的思考が苦手である。そうした傾向につけ込んで,ギャンブルの胴元は利益を得ているのだろう。加えて記憶の偏りも影響しているに違いない。ギャンブルに強いと自認している人は,大勝ちした記憶が鮮明に残っている一方,スランプ状態の損失を忘れているのではなかろうか。
 占いを信じる人にも同様な誤認が見られる。ハズレた占いを忘れ,当たった占いのみを良く記憶する傾向,占いが偶然に当たる確率を小さく見積もって,占いを実態以上に当たると過大評価する傾向がある。誰にでも当てはまりやすいことを占いと称して次々に述べられると,占いが当たると信じられやすい(バーナム効果)。占いを求めてくる人に,次のような占いをすると,バーナム効果が高いことが知られている(ロウ,EJP, 1995)。

(1) あなたは自分自身についてよく考える傾向がある。
(2) あなたは人と一緒にいるのが好きだ。とくによく知っている人といることを好む。
(3) あなたは主体的に判断できると自信を持っているし,他人の意見は十分満足しない限り受け入れることはない。
(4) あなたはときにふさぎ込むことがあるが,気分屋というほどでもない。
(5) あなたは慎重になることもままあるが,普通は社交的である。
(6) あなたはときどき集中できないことがある。
(7) あなたはちょっと性格的に弱いところがあるが,全体としてそれを埋め合わせることができる。
(8) あなたはある種の変化を好んでおり,行動を規制されると不満を感じる。
(9) あなたは頭痛などの体の不調に悩むことがあるが,気が滅入ってしまうほどではない。

<8> メタ認知

 それでは,健全な信念を持つにはどうしたらよいか。それはメタ認知を持つこと,すなわち,以上に示したような「認知のメカニズムについての認知」を持つことである。我々は普段の生活には支障が無いほどの優れた認知メカニズムを持っているが,例外的場合には系統的な誤りを起こす傾向がある。誤った信念は,新たな誤った認識や記憶をもたらすのである。
 メタ認知を持つようになると,自分の経験や記憶が絶対的なものではなくなる。ありありと感じられる経験も,ことによると幻想だったのかも知れないのだ。経験を大切にしながらも,場合によってはそれを疑ってみる謙虚さが肝要である。我々の認知や経験は,世界に生きるための手段である。それを疑うことは,不安を呼び戻すことになりかねない。時には,かなりの勇気を必要とすることなのだ。

<X> 付記

 本項の内容はSSPにおけるダリル・ベム氏の講演がもとになっている。なお,冒頭の文献『超常現象をなぜ信じるのか』で補った部分もある。


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