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11.未来は前にあるのか? 後ろにあるのか?
「逝者如斯而未嘗往也」(「赤壁賦」)を読むための補助線

 現代中国語では「前の」「この」「次の」は、それぞれ「上箇」「這箇」「下箇」と言う。
 例えば「先月」「今月」「来月」は、それぞれ「上箇月」「這箇月」「下箇月」と言う。
 この言い方では、時間は「上から下に」流れているわけである。

 日本語で「過去をふりかえる」とか「これから先のことは」などと言うのは、「未来はわれわれの前にある」ということを前提としている。
 実際、日本の手話では、「過去」は「後ろ」を指すしぐさで、「未来」は「前」のしぐさで表す。
 しかし、外国の手話では、日本と逆に「過去」は「前」を指すしぐさで、「未来」は「後ろ」のしぐさで表す国もある。その理由は「過去のことはわかるから、目の前にある。未来のことは見えないから、頭の後ろにある」。

 考えてみれば、日本語でも、未来は「前」にあったり「後ろ」にあったり一定していない。
 例えば「このさき」と「このあと」は類義語で、ともに未来を指す。「このさき」と言うとき、話し手は未来を前にあるものと意識している。しかし「このあと」と言うとき、話し手は無意識のうちに未来を「あと(後ろ)」にあると見なしている。

 さて、ここで問題です。
(1)時間の流れる向きは、「上から下へ」か「前から後ろへ」か、どちらなのか?

(2)そもそも、時間は本当に「流れる」のだろうか?

(3)もし、この宇宙からあらゆる物質とエネルギーを取り去ってカラッポの空間にして、何の物理的変化も起きない状態にしたら、それでも「時間」は存在するのだろうか?

  解答・解説は授業で。キーワードは「時間の矢」。ヒントは『漢文力』第3部第3章。

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