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Buddhist chant 読経

Last updated 2024年6月11日 Since2021/06/01
  1. YouTube List
  2. 妙音鳥
  3. 身近な文芸作品における「お経」の影響の例
  4. 道場観
  5. 音楽としての読経
  6. 妙音成仏
  7. ニコライ堂のニコライの日本仏教観

YouTube List(1) https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lcgD2thOY7zFrq8SI5oZCX

YouTube List(2) https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-m0YTfU2xYe7XrhrucPWLf7

妙音鳥 myou'onchou 迦陵頻伽 karyoubinga
参考 tweet
畏れ多きことながら、迦陵頻伽のお顔には、既視感がございます(^_^;

畏れ多きことながら、迦陵頻伽のお顔には、既視感がございます?? pic.twitter.com/L8INLVj1yN

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 13, 2021
迦陵頻伽(妙音鳥)は『仏説阿弥陀経』にも登場。極楽浄土(ごくらくじょうど)は美しい宝石の輝きと妙なる音楽のしらべで満たされている、とされる。
漫画・アニメ作品である市川春子『宝石の国』の元ネタの一つは『仏説阿弥陀経』
cf.https://ja.wikisource.org/wiki/仏説阿弥陀経
英訳は BDK大蔵経の The Smaller Sutra on Amitāyus https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/BDK/bdk_search.php?md=normal&num=B0366 より引用。
又舍利弗 極樂國土 有七寶池 八功德水 充滿其中 池底純以 金沙布地 四邊階道 金銀瑠璃 玻瓈合成 上有樓閣 亦以金銀瑠璃 玻瓈硨磲 赤珠碼碯 而嚴飾之
Again, Śāriputra, in the Land of Utmost Bliss there are seven- jeweled ponds filled with water possessing the eight excellent qualities. The beds of the ponds are covered solely with gold sand, and from the four sides of each bed rise stairs of gold, silver, beryl, and crystal. Above these stand pavilions adorned with gold, silver, beryl, crystal, sapphire, rosy pearls, and cornelian.
(中略)
又舍利弗 彼佛國土 常作天樂
Again, Śāriputra, in that buddha land heavenly music is played continually.
(中略)
復次舍利弗 彼國常有 種種奇妙 雜色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舍利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 晝夜六時 出和雅音 其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法 其土衆生 聞是音已 皆悉念佛念法念僧
Again, Śāriputra, in that land there are always many kinds of rare and beautiful birds of various colors, such as white geese, peacocks, parrots, śāris, kalaviṅkas, and jīvaṃjīvakas. Six times during the day and night birds sing with melodious and delicate sounds, which proclaim such teachings as the five roots of good, the five powers, the seven practices leading to enlight- enment, and the Noble Eightfold Path. On hearing them, all the people of that land become mindful of the Buddha, Dharma, and Sangha.

身近な文芸作品における「お経」の影響の例
・宮沢賢治のメモ「雨ニモマケズ」<『法華経』(ほけきょう)「常不軽菩薩」(じょうふきょうぼさつ Sadāparibhūta Bodhisattva)
 [
青空文庫で読む] [google画像検索「雨ニモマケズ 曼荼羅」]
・歌「うっせえわ」の歌詞「一切合切凡庸な」<『正信偈』(しょうしんげ)の語句「一切善悪凡夫人」
・石川智晶の歌「逆行」(「戦国BASARA3」エンディングテーマ)<『般若心経』(はんにゃしんぎょう)の「舎利子、色不異空・・・」
・ジブリのアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』1994で「踊り念仏」の教祖に収まった禿狸「この世は闇じゃ、ドロ舟じゃ。念仏唱えてただ踊れ。ナムアミダブツ、オダブツじゃ」<空也・一遍の「踊り念仏」「念仏踊り」
・『ウルトラマンマックス』第24話(2005年12月10日放送)「狙われない街」<『法華経』如来寿量品第十六の自我偈(じがげ)


道場観 doujoukan
現代日本語の「道場」は武道の稽古場。本来の「道場」は仏道修行の場。
読経のコンセプト 「道場観」(どうじょうかん)
いつの時代、どこの場所でも、お経を「受持、読・誦、解説、書写」する場所はブッダの聖地となる、という『法華経』由来の考えかた。
cf.
okyou-jinriki.html
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』如来神力品第二十一
WikiMedia Commons の画像(PD)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Wood-Block_Print_of_The_Lotus_of_the_True_Law%2C_Chapter_XX_-_CONCEPTION_OF_THE_TRANSCENDENT_POWER_OF_THE_TATHÂGATAS_妙法蓮華経_如来神力品第二十一.jpg
当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転于法輪、諸仏於此而般涅槃。」
Tō chi ze sho soku ze dō jō. Sho butsu o shi toku a noku ta ra san myaku san bo dai, sho butsu o shi ten no hō rin, sho butsu o shi ni hatsu ne han.
BDK Translation: Because you should know that these places are the terraces of enlightenment where all the buddhas have attained highest, complete enlightenment, where all the buddhas have turned the wheel of the Dharma, and where all the buddhas entered parinirvāṇa.
参考 「宮沢賢治手帳」より。賢治の坐右の銘の一つは「道場観」

参考 寺山修司の言葉
劇場があって劇が演じられるのではない。劇が演じられると、劇場になるのである。/つまり、劇場は「在る」のではなく「成る」ものなのだ。――『寺山修司演劇論集』(国文社、1983年)p.273
劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的出会いが生成されるための「場」のイデオロギーのことである。どんな場所でも劇場にすることができるし、どんな劇場でも劇が生成されない限りは、日常的な風景の一部にすぎなくなる。――『寺山修司著作集 第5巻 文学・芸術・映画・演劇評論』(クインテッセンス出版、2009年)p.370
okyou-jinriki.html#e7 higashiajia-flow.html

参考 ○コスプレ好きの中国人の独白
端末でアニメを見る。その場所がどこであっても、過去・現在・未来の三世の「オタク」たちの「道場」になる、という発想。
cf.higashiajia-away.html#04
中島恵『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』(中公新書ラクレ、2015)より引用
その頃、よく布団にくるまって泣きながら一人でこっそり見ていたのは『Angel Beats!』というアニメでした。
布団がゴソゴソするなと思ったら、なんとネズミが這い回っているんですよ。
そんなに汚い環境でも、好きなアニメを見ている時間だけはとても幸せで、ほんの一瞬ですが、辛いことを忘れられました
日本のアニメは温い日本人の人間性が凝縮されていると思いました。
いつか、好きなアニメを山ほど買って、コスプレもたくさんして、日本旅行に行きたいと思って、それで今日まで歯を食いしばってがんばってきたんです。
(中略)
中国人は誰でも明日のことはわからないんです。
今はとても豊かになって、多少のお金を持てるようになったとはいっても、みんな心の中では明日のことをとても心配し、殺伐としているんです。
中国のような国では、どこにどんな落とし穴があって、これから先も順調に生きていけるかどうかわからない。
誰に足を引っ張られるかも、裏切られるかもわかりません。
口に出さなくても、みな、そんな不安をいつも抱えています。
でも、日本人は違う。
(中略)
お金以外に価値を置いて精神的に豊かな暮らしをしている人も多い。
そういう姿は本当にうらやましいんです。
少なくとも、僕の目にはそう映ります。

音楽としての読経
cf.柴佳世乃『仏教儀礼の音曲とことば 中世の〈声〉を聴く』(法藏館、2024)p.99より引用
『台記』他の諸記録や『梁塵秘抄』などを考え合わせると、1100年代前半から後半にかけて、芸能的な読経が行われ、女性芸能者にまで裾野を拡げて行われるようになっていたことが確かめられる。

柴咲コウさんの「謡い経」や、ニコニコ超会議の讃仏偈 https://t.co/jEyQmMH1Pq などを聴くと、平安時代にあった女性芸能者による音楽的読経の伝統が、21世紀の今も形を変えて健在であることに気付く。

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) June 9, 2024

現代人がカラオケで歌を楽しむのと同様、平安貴族は読経を音楽として楽しんでいた。

【備忘用】夕方、18歳の宮沢賢治が耽読した「赤本法華経」を見ながら、「謡い経」(by 柴咲コウ at NHK「おんな城主 直虎」) https://t.co/f7umFAJ1KA を聴くと、清少納言『枕草子』202段の「 陀羅尼は暁。経は夕暮れ。」の本当の意味がわかるような気がする。 pic.twitter.com/8TN4gHLZa0

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) June 22, 2022
清少納言(せいしょうなごん 966年頃-1025年頃)『枕草子』(まくらのそうし)より
「陀羅尼」と「経」が、物語と遊びのあいだにあることに注意。
枕草子の原文は https://ja.wikisource.org/wiki/枕草_(國文大觀) でも読めます。
198段 経は法華経。さらなり。普賢十願(ふげんじゅうがん)。千手経(せんじゅきょう)。随求経(ずいぐきょう)。金剛般若(こんごうはんにゃ)。薬師経。仁王経の下巻。
199段 仏は如意輪(にょいりん)。千手。すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒(みろく)。地蔵。文殊。不動尊。普賢(ふげん)。
200段 書(ふみ)は文集(ぶんじゅ)。文選(もんぜん)。新賦(しんぷ)。史記。五帝本紀(ごていほんぎ)。願文。表。博士の申文(もうしぶみ)。
201段 物語は住吉(すみよし)。宇津保(うつほ)。殿うつり。国譲りはにくし。埋れ木。月待つ女。梅壺(うめつぼ)の大将。道心すすむる。松が枝。こまのの物語は、古蝙蝠(ふるこうもり)さがし出でて、持て行きしが、をかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子うませて形見(かたみ)の衣など乞ひたるぞ、にくき。交野(かたの)の少将。
202段 陀羅尼は暁。経は夕暮れ
203段 遊びは夜。人の顔見えぬほど。
204段 遊びわざは小弓。碁。さまあしけれど、鞠もをかし。
注「202段 陀羅尼は暁。経は夕暮れ。」;陀羅尼(だらに dharani)の読経は現代のラップ、経(sutra)の読経は現代のヒーリング・ミュージック healing music に相当。
 現代の陀羅尼の例:『妙法蓮華経』陀羅尼品第二十六 https://youtu.be/ijiyBbi8jnQ
 現代の「謡い経」の例:『観音経』=『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五・観音偈 https://youtu.be/UwlGQSJ4UsU NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』より)柴崎コウ「謡い経」
 柴崎コウさんが謡っている「観音経」の英語訳は、仏教伝道教会(BDK)のhttps://www.bdk.or.jp/document/dgtl-dl/dBET_T0262_LotusSutra_2007.pdf pp.299-302に載っています。
参考 中村光の漫画『聖☆おにいさん』第38話(コミックス第6巻)「No Music, No Life」

現代人がカラオケでアニソンを歌って点数を競うように、平安貴族はお経を歌ってのど自慢を競い合った。
○国語事典『広辞苑』の説明
どきょう‐あらそい【読経争い】‥キヤウアラソヒ
経文中の主要な文句を諷誦(ふじゅ)し、その声や節回しを競い合うこと。 栄華物語初花「そこはかとなき若君達などは―今様歌ども声を合はせなどしつつ」
⇒ど‐きょう【読経】

 平安時代には、宗教的な勤行としての読経の他に、音楽として楽しむ読経もあった。 貴顕は自分で読経したり、僧俗の美声の読経を聴いて楽しんだり、 管弦の伴奏をつきの読経で盛り上がったりした。
関連論文
妙音成仏 myou'on joubutsu
日本人の音楽芸術のバックボーンとなった「妙音成仏」(みょうおんじょうぶつ)の思想
鳩摩羅什(くまりじゅう)訳『法華経』(ほけきょう)方便品第二の偈(げ)より
・・・若使人作楽、撃鼓吹角貝、簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸、如是衆妙音、尽持以供養、 或以歓喜心、歌唄頌仏徳、乃至一小音、皆已成仏道、・・・
・・・もし人をして楽をなさしめ、鼓を撃ち角・貝を吹かしめ、簫・笛・琴・箜篌、琵琶・鐃銅鈸、 是の如き衆の妙音、尽く持し以て供養し、或いは歓喜の心を以て、歌い唄いて仏徳を頌すれば、乃ち一小音に至るまで、皆已に仏道を成せり、・・・
 以下、天台宗の公式サイトより引用。「法話集 No.138 琵琶の音」
http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=162 2021年2月6日閲覧
 天台宗の四つの伝承法流の一つ玄清法流(げんせいほうりゅう)では琵琶を奏でながらお経を唱え、三宝大荒神や諸仏を祈ります。

 私たち僧侶が琵琶を弾く理由は「法華経」に由来します。「方便品」に、琵琶や楽器で妙音を奏で仏を供養するならば必ず仏道を成就することができる、と説かれています。つまり「妙音成仏」を目指す修行のよすがとして琵琶を弾奏するのです。
(中略)
 玄清法流の開祖を玄清法印といいます。天平神護二年(七六六)、現在の福岡県太宰府市近郊に生まれた玄清は幼くして仏門に入り、十七歳で眼病を患い失明します。後の盲僧のため一派を開こうと決心し盲僧の祖インドの阿那律尊者にならい琵琶を弾き始めます。二十歳の時一大発心し、琵琶を携えて山に籠り二十一日間厳しい修行を行います。満願の朝「心願を成就したければ速やかに比叡山に登って一人の聖者にまみえ、その方を至心にお助けせよ」というお告げを授かります。玄清は早速登叡し導かれるように伝教大師最澄に出会います。当時伝教大師は根本中堂の前身である一乗止観院を建立中でした。しかし大蛇が出て御堂の建設が阻害されていたのです。地神の仕業だと察した玄清は琵琶を弾奏しながら地神陀羅尼経を唱え地神供養を行います。地神は大いに歓喜し、たちまち大蛇の難は消除したと伝えられています。玄清の琵琶を用いた祈祷には感応道交の力があったのです。

 妙音成仏と感応道交、これが琵琶弾奏のテーマです。しかしそれのみならず、祈りの場に集う人々の心に琵琶の音が響くことも私たちは古くからとても大切にしてきました。私たちの奏でる琵琶の音が御仏はもとより皆様の心に届き、共鳴共振することを願って現在も修練と試行錯誤を重ねています。
(文・玄清法流 華王院 坂本清昭)
→[雅楽 GAGAKU or Japanese Imperial Court Music and Dance]も参照。

cf.okyou-houbenpon.html#b7
英訳はBDK英訳大蔵経 https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/BDK/bdk_search.php?md=normal&num=B0262 より引用。
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』方便品第二より
乃至童子戯、聚沙為仏塔、
ない/し/どう/じ/け じゅ/しゃ/い/ぶッ/とう
乃至、童子のたわむれに、すなをあつめて仏塔をつくる。
And even children in play
Who made buddha stupas out of heaps of sand
如是諸人等、皆已成仏道。
にょ/ぜ/しょ/にん/とう かい/い/じょう/ぶつ/どう
かくのごとき諸人ら、皆すでに仏道を成せり。
All such people have certainly attained
The path of the buddhas.
(中略)
乃至童子戯、若艸木及筆、或以指爪甲、而画作仏像。
ない/し/どう/じ/け にゃく/そう/もく/ぎゅう/ひつ わく/い/し/しょう/こう に/え/さ/ぶつ/ぞう
乃至、童子のたわむれに、もしくは草木および筆、あるいは指の爪甲をもって、しかして画きて仏像を作る。
This even includes children in play
Who have drawn a buddha image
With a blade of grass or a twig,
Brush or fingernail.
如是諸人等、漸漸積功徳、具足大悲心、皆已成仏道。
にょ/ぜ/しょ/にん/とう ぜん/ぜん/しゃッ/く/どく ぐ/そく/だい/ひ/しん かい/い/じょう/ぶつ/どう
かくのごとき諸人ら、漸漸に功徳を積み、大悲の心を具足して、皆すでに仏道を成せり。
Such people, having gradually accumulated merit
And perfected great compassion,
Have certainly attained the path of the buddhas.
(中略)
若使人作楽、撃鼓吹角貝、簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸、
にゃく/し/にん/さ/がく きゃッ/く/すい/かく/ばい しょう/ちゃく/きん/く/ごう び/は/にょう/どう/ばつ
もしくは人をして楽を作さしめ、鼓を撃ち角貝を吹き、簫・笛・琴・箜篌、琵琶・鐃・銅鈸、
Those who paid homage with all kinds of sweet music−
With drums, horns, conches, pipes, flutes, lutes, harps,
Mandolins, gongs, and cymbals;
如是衆妙音、尽持以供養、或以歓喜心、歌唄頌仏徳、
乃至一小音、皆已成仏道。
にょ/ぜ/しゅ/みょう/おん じん/じ/い/く/よう わく/い/かん/ぎ/しん か/ばい/じゅ/ぶッ/とく ない/し/いッ/しょう/おん かい/い/じょう/ぶつ/どう
かくのごときもろもろの妙音、尽くもって以もて供養し、あるいは歓喜の心をもって、歌い唄いて仏徳をほめたたえ、乃至ひとつの小さき音をもってせるは、皆すでに仏道を成せり。
Those who joyfully praised the qualities of the buddhas
With various songs or
Even with a single low-pitched sound,
Have certainly attained the path of the buddhas.

参考図書 清水眞澄『読経の世界』(吉川弘文館、2001) ISBN:4642055215
 [松原正剛の千夜千冊・第612夜]

ニコライ堂のニコライの日本仏教観
参考 tweet
ニコライ堂のニコライ(1832-1912 日本正教会の創建者)は「仏教はキリスト教以外の諸宗教の中で最上のものである」(講談社学術文庫『ニコライの見た幕末日本』p.38)、「この教えはキリスト教から借りてきたのではないか」(同書p.51)と書いた。キリスト教徒の目には、日本仏教はこう見えたらしい。

ニコライ堂のニコライ(1832-1912 日本正教会の創建者)は「仏教はキリスト教以外の諸宗教の中で最上のものである」(講談社学術文庫『ニコライの見た幕末日本』p.38)、「この教えはキリスト教から借りてきたのではないか」(同書p.51)と書いた。キリスト教徒の目には、日本仏教はこう見えたらしい。 pic.twitter.com/i5Lp8mAeWB

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 8, 2021

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