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Buddhist chant 読経

Last updated 2023年4月21日 Since2021/06/01
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-m0YTfU2xYe7XrhrucPWLf7

参考 tweet
畏れ多きことながら、迦陵頻伽のお顔には、既視感がございます(^_^;

畏れ多きことながら、迦陵頻伽のお顔には、既視感がございます?? pic.twitter.com/L8INLVj1yN

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 13, 2021

芸術的作品における「お経」の影響
・宮沢賢治のメモ「雨ニモマケズ」<『法華経』(ほけきょう)「常不軽菩薩」(じょうふきょうぼさつ Sadāparibhūta Bodhisattva)
 [青空文庫で読む] [google画像検索「雨ニモマケズ 曼荼羅」]
・歌「うっせえわ」の歌詞「一切合切凡庸な」<『正信偈』(しょうしんげ)の語句「一切善悪凡夫人」
・石川智晶の歌「逆行」(「戦国BASARA3」エンディングテーマ)<『般若心経』(はんにゃしんぎょう)の「舎利子、色不異空・・・」
・ジブリのアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』1994で「踊り念仏」の教祖に収まった禿狸「この世は闇じゃ、ドロ舟じゃ。念仏唱えてただ踊れ。ナムアミダブツ、オダブツじゃ」<空也・一遍の「踊り念仏」「念仏踊り」
・『ウルトラマンマックス』第24話(2005年12月10日放送)「狙われない街」<『法華経』如来寿量品第十六の自我偈(じがげ)

読経のコンセプト 「道場観」(どうじょうかん)
いつの時代、どこの場所でも、お経を「受持、読・誦、解説、書写」する場所はブッダの聖地となる、という『法華経』由来の考えかた。
参考 寺山修司の言葉
劇場があって劇が演じられるのではない。劇が演じられると、劇場になるのである。/つまり、劇場は「在る」のではなく「成る」ものなのだ。――『寺山修司演劇論集』(国文社、1983年)p.273
劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的出会いが生成されるための「場」のイデオロギーのことである。どんな場所でも劇場にすることができるし、どんな劇場でも劇が生成されない限りは、日常的な風景の一部にすぎなくなる。――『寺山修司著作集 第5巻 文学・芸術・映画・演劇評論』(クインテッセンス出版、2009年)p.370
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平安時代:読経争い
 ↓ 鎌倉時代:「鎌倉仏教」「鎌倉新仏教」浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗
   民衆への布教の一要素は「音芸」と「能声」
   虎関師錬『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ 1322年)音芸志「経師、声明、唱導、念仏」・・・読経は「音芸」の一つで「能声(のうしょう)」が尊ばれた。
    cf.法然上人行状画図(1307‐1316頃)48「つねには四十八人の能声をととのへて、一日七日の念仏を勤行す」
 ↓ 室町時代:時衆(江戸時代から「時宗」と表記)の「観阿弥」「世阿弥」「音阿弥」が猿楽(能楽)を完成。

【備忘用】夕方、18歳の宮沢賢治が耽読した「赤本法華経」を見ながら、「謡い経」(by 柴咲コウ at NHK「おんな城主 直虎」) https://t.co/f7umFAJ1KA を聴くと、清少納言『枕草子』202段の「 陀羅尼は暁。経は夕暮れ。」の本当の意味がわかるような気がする。 pic.twitter.com/8TN4gHLZa0

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) June 22, 2022
現代人がカラオケで歌を楽しむのと同様、平安貴族は読経を音楽として楽しんでいた。
清少納言(せいしょうなごん 966年頃-1025年頃)『枕草子』(まくらのそうし)より
「陀羅尼」と「経」が、物語と遊びのあいだにあることに注意。
枕草子の原文は https://ja.wikisource.org/wiki/枕草_(國文大觀) でも読めます。
198段 経は法華経。さらなり。普賢十願(ふげんじゅうがん)。千手経(せんじゅきょう)。随求経(ずいぐきょう)。金剛般若(こんごうはんにゃ)。薬師経。仁王経の下巻。
199段 仏は如意輪(にょいりん)。千手。すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒(みろく)。地蔵。文殊。不動尊。普賢(ふげん)。
200段 書(ふみ)は文集(ぶんじゅ)。文選(もんぜん)。新賦(しんぷ)。史記。五帝本紀(ごていほんぎ)。願文。表。博士の申文(もうしぶみ)。
201段 物語は住吉(すみよし)。宇津保(うつほ)。殿うつり。国譲りはにくし。埋れ木。月待つ女。梅壺(うめつぼ)の大将。道心すすむる。松が枝。こまのの物語は、古蝙蝠(ふるこうもり)さがし出でて、持て行きしが、をかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子うませて形見(かたみ)の衣など乞ひたるぞ、にくき。交野(かたの)の少将。
202段 陀羅尼は暁。経は夕暮れ
203段 遊びは夜。人の顔見えぬほど。
204段 遊びわざは小弓。碁。さまあしけれど、鞠もをかし。
注「202段 陀羅尼は暁。経は夕暮れ。」;陀羅尼(だらに dharani)の読経は現代のラップ、経(sutra)の読経は現代のヒーリング・ミュージック healing music に相当。
 現代の陀羅尼の例:『妙法蓮華経』陀羅尼品第二十六 https://youtu.be/ijiyBbi8jnQ
 現代の「謡い経」の例:『観音経』=『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五・観音偈 https://youtu.be/UwlGQSJ4UsU NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』より)柴崎コウ「謡い経」
 柴崎コウさんが謡っている「観音経」の英語訳は、仏教伝道教会(BDK)のhttps://www.bdk.or.jp/document/dgtl-dl/dBET_T0262_LotusSutra_2007.pdf pp.299-302に載っています。
参考 中村光の漫画『聖☆おにいさん』第38話(コミックス第6巻)「No Music, No Life」

現代人がカラオケでアニソンを歌って点数を競うように、平安貴族はお経を歌ってのど自慢を競い合った。
○国語事典『広辞苑』の説明
どきょう‐あらそい【読経争い】‥キヤウアラソヒ
経文中の主要な文句を諷誦(ふじゅ)し、その声や節回しを競い合うこと。 栄華物語初花「そこはかとなき若君達などは―今様歌ども声を合はせなどしつつ」
⇒ど‐きょう【読経】

 平安時代には、宗教的な勤行としての読経の他に、音楽として楽しむ読経もあった。 貴顕は自分で読経したり、僧俗の美声の読経を聴いて楽しんだり、 管弦の伴奏をつきの読経で盛り上がったりした。
関連論文
○日本人の音楽芸術のバックボーンとなった「妙音成仏」(みょうおんじょうぶつ)の思想
鳩摩羅什(くまりじゅう)訳『法華経』(ほけきょう)方便品第二の偈(げ)より
・・・、若使人作楽、撃鼓吹角貝、簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸、如是衆妙音、尽持以供養、 或以歓喜心、歌唄頌仏徳、乃至一小音、皆已成仏道、・・・
・・・もし人をして楽をなさしめ、鼓を撃ち角・貝を吹かしめ、簫・笛・琴・箜篌、琵琶・鐃銅鈸、 是の如き衆の妙音、尽く持し以て供養し、或いは歓喜の心を以て、歌い唄いて仏徳を頌すれば、乃ち一小音に至るまで、皆已に仏道を成せり、・・・
 以下、天台宗の公式サイトより引用。「法話集 No.138 琵琶の音」http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=162 2021年2月6日閲覧
 天台宗の四つの伝承法流の一つ玄清法流(げんせいほうりゅう)では琵琶を奏でながらお経を唱え、三宝大荒神や諸仏を祈ります。

 私たち僧侶が琵琶を弾く理由は「法華経」に由来します。「方便品」に、琵琶や楽器で妙音を奏で仏を供養するならば必ず仏道を成就することができる、と説かれています。つまり「妙音成仏」を目指す修行のよすがとして琵琶を弾奏するのです。
(中略)
 玄清法流の開祖を玄清法印といいます。天平神護二年(七六六)、現在の福岡県太宰府市近郊に生まれた玄清は幼くして仏門に入り、十七歳で眼病を患い失明します。後の盲僧のため一派を開こうと決心し盲僧の祖インドの阿那律尊者にならい琵琶を弾き始めます。二十歳の時一大発心し、琵琶を携えて山に籠り二十一日間厳しい修行を行います。満願の朝「心願を成就したければ速やかに比叡山に登って一人の聖者にまみえ、その方を至心にお助けせよ」というお告げを授かります。玄清は早速登叡し導かれるように伝教大師最澄に出会います。当時伝教大師は根本中堂の前身である一乗止観院を建立中でした。しかし大蛇が出て御堂の建設が阻害されていたのです。地神の仕業だと察した玄清は琵琶を弾奏しながら地神陀羅尼経を唱え地神供養を行います。地神は大いに歓喜し、たちまち大蛇の難は消除したと伝えられています。玄清の琵琶を用いた祈祷には感応道交の力があったのです。

 妙音成仏と感応道交、これが琵琶弾奏のテーマです。しかしそれのみならず、祈りの場に集う人々の心に琵琶の音が響くことも私たちは古くからとても大切にしてきました。私たちの奏でる琵琶の音が御仏はもとより皆様の心に届き、共鳴共振することを願って現在も修練と試行錯誤を重ねています。
(文・玄清法流 華王院 坂本清昭)
→[雅楽 GAGAKU or Japanese Imperial Court Music and Dance]も参照。

参考図書 清水眞澄『読経の世界』(吉川弘文館、2001) ISBN:4642055215
 [松原正剛の千夜千冊・第612夜]

参考 tweet
ニコライ堂のニコライ(1832-1912 日本正教会の創建者)は「仏教はキリスト教以外の諸宗教の中で最上のものである」(講談社学術文庫『ニコライの見た幕末日本』p.38)、「この教えはキリスト教から借りてきたのではないか」(同書p.51)と書いた。キリスト教徒の目には、日本仏教はこう見えたらしい。

ニコライ堂のニコライ(1832-1912 日本正教会の創建者)は「仏教はキリスト教以外の諸宗教の中で最上のものである」(講談社学術文庫『ニコライの見た幕末日本』p.38)、「この教えはキリスト教から借りてきたのではないか」(同書p.51)と書いた。キリスト教徒の目には、日本仏教はこう見えたらしい。 pic.twitter.com/i5Lp8mAeWB

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 8, 2021

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