はじめに一言

  • 本稿は、二年まえの平成7年度に私が受け持った授業「現代中国文学研究A」で配布した参考プリントの原稿の一部を、ほぼそのままHTML化したものです。

  • 15回の授業で、結局「死について」と「女性問題」のふたつのテーマしか取り上げられませんでした。今回HTML化するのは、前者です。

  • 私は今年度も同名の授業を担当します。くわしくは担当授業科目をどうぞ(クリックしてください)。

  • 授業は同名でも、授業内容はもちろん二年前とは違います。が、多少、今年の授業内容と関係ある記事もふくんでいるので、旧稿を載せることにしました。

  • 今年度、私の「現代中国文学研究A」を聴講するかたは、授業の参考になさってください。

  • 二年前の旧稿をいま読み返してみると、幼稚な表現や、学生さんのウケねらいの部分など、われながら気になります。しかし、あえて、数カ所を除いてほぼそのままHTML化することにしました。
     あるいは、なつかしいと思って読んでくださる卒業生のかたもいるかもしれない、と、思い・・・

       加藤 徹  97,3,17記



以下、本文





現代中国文学研究A1995年



テーマ1 

について





 「死」のテーマで取り上げる詩の冒頭部の所載頁は以下のとおり。各自テキストを入手のうえ、事前に目をとおしておくこと(生協で買えます)。

テキスト:松枝茂夫編『中国名詩選』上・中・下(岩波文庫)

  • 上巻……127頁,158,159,160,262,264,266

  • 中巻……37,93

  • 下巻……149,161,163,165,180,198,324,351






I. 死の自覚の発生



(-.-)y-~~~ 諸君は「個体発生は系統発生をなぞる」という言葉を聞いたことがあるだろう。
 幼児は自分中心の宇宙に安住し、「死」や「性」に対する関心が薄い。が、すこしづつ自分が外の世界の中の一要素にすぎぬことに気付く。そして思春期ないし「第二次性徴」の年齢になると、にわかに「死」と「性」の両者に興味を持ちはじめる。
 個人の深層意識において「死」と「性」の自覚は表裏一体の関係にある。この自覚のプロセスは、「人類」という系統全体の歴史においても同様である。




 サルに言語を教えるのに、アメリカン・サイン・ランゲージという記号を用います。これにより、サルに言葉を覚えさせ、死とはなにかを聞いたところ、「終りと同じだ」と答えたということです。

     (高田明和『臨死体験の不思議』22頁)



(-.-)y-~~~ 今から数万年前のネアンデルタール人の遺跡には、埋葬のあとがある。今から五千年あまりむかしのシュメール文明の段階になると、「死」の意識はかなり明確になってくる。




 ウトゥ(太陽の神)よ。
 一言あなたに話したい。
 耳を貸してくれ。
 わたしのことばをあなたに届けたいのだ。
 耳をかたむけてほしい。
   悲しいことに、わたしの町では、人はすべて死ぬ
   心重いことに、人はすべて滅び去る。
 わたしは城壁の外を眺めていて、死体がいくつも川面に浮いているのを見てしまった。
 わたしとても、そのようになるだろう!

    (クレイマー訳「ギルガメシュ叙事詩」)



(-.-)y-~~~ ギルガメシュは、古代シュメールの都市国家ウルクの英雄。彼の活躍を神話化した「ギルガメシュ叙事詩」は、人類最古の文学作品の一つである。人類最古の文学のテーマが「死」であったことの意味を、各自、考えてみてほしい。
 同叙事詩の準主役であるエンキドゥ(ギルガメシュの親友)は、動物の群れの中で生きる野生児だったが、女神の誘惑を受けて「性」に目覚め、動物たちから見捨てられてしまい(性の自覚)、紆余曲折ののち最後に神の罰を受けて死ぬ。親友の死を見て絶望したギルガメシュは、不老不死を求めて、長い旅に出る。
 次に日本神話の「死」の起源説話を見てみよう。




 女神イザナミは、夫イザナギと性交し、神々を生んだが、最後に火神を生んで火傷を負って死に、ヨミの国(冥界)に行ってしまった。
 夫のイザナギは、愛する妻を追いかけてヨミの国に行った。が、腐乱し変わり果てた妻の姿を見て逃げ出した。
 イザナミは憤慨し、イザナギを追いかけた。
 イザナギはからくも逃げ出し、現世と冥界の境界を岩で封印した。冥界に封じられたイザナミは、夫に呪いの言葉をかけた。

「あなたが支配する現世の人間を、毎日、千人ずつ絞め殺してやる!


 それから人間は死ぬようになった。

    (『古事記』『日本書紀』より要約)



(-.-)y-~~~ 老衰であれ病死であれ、即死の場合をのぞき、人間の死因はすべて窒息死である。人は、最後に喉をゴホゴボと鳴らしながら息をひきとる。呼吸系の筋肉は脳や心臓よりも先に衰え、自分で啖がきれなくなるからだ。
 古代人はそれを、目に見えぬイザナミが首を絞めに来るためだと考えた。

 [余談] 最近の研究によれば、イザナミは縄文系の古い女神であり(5500年前の土偶が出土している)、類似の神話(ハイヌウェレ型神話)も太平洋諸島を経て遠く南米まで分布しているという。

 ちなみに現代医学では、瀕死の患者の喉を切開してチューブを差し込み、強制的に人工呼吸させることで、数日間の延命が可能になった。これを業界用語で「スパゲティーにする」という。
   いざというとき、余計なことをしないでイザナミに首を絞めてもらう方がいいか、スパゲティーにしてもらうか。
 あなたも今日中に、まわりの人たちに遺言しておこう。




 土着の神であるオホヤマツミノミコトには、二人の娘がいた。
 姉のイハナガヒメは醜く、妹のコノハナノサクヤヒメは美しかった。
 オホヤマツミノミコトは二人の娘を、天孫であるアマツヒコヒコホノニニギノミコトと結婚させた。ところがニニギノミコトは、醜い姉をオホヤマツミに返し、美しい妹だけを留めて交合なさった(性的魅力の自覚)。
 オホヤマツミは嘆いて言った。
 「私が娘をふたりとも奉った理由は、姉のイハナガヒメをお使いくださることで岩のように長い命を、妹のコノハナノサクヤヒメをお使いくださることで木の花のような繁栄を、同時にご享受なさるように、と考えてのことでした。
 いま妹だけを留めて姉をお返しなさった以上、天つ神のご子孫の寿命は、今後みな花のようにはかなく終わる運命となりましょう」と。(死の起源

     (『古事記』より要約)



(-.-)y-~~~ 日本神話において最初に明確に「美女」とされるのはコノハナノサクヤヒメである。本多勝一が指摘しているとおり、「女性の美醜」への関心というものは、文明化がかなり進んだ段階ではじめて発生するものである。




 蛇にそそのかされたイヴは、アダムに禁断の木の実を食べさせた。木の実を食べた二人 は、自分たちが全裸であることに気付き(性の自覚)イチジクで陰部を隠した。
 神は罰として二人をエデンの園から追放した(死の起源)。

    (『聖書』より要約)



(-.-)y-~~~ 「もともと不死だった人間性に目覚めたことで死という宿命を背負うことになった」という解釈は、「ギルガメシュ叙事詩」「エデンの園神話」など古代人類共通のもの。
 ちなみに現代の生物学者は「細胞分裂=不死から有性生殖=死へ」という進化の図式を説くが、これも古代の神話と同系上の発想といえる。




 生き物は死ぬものだという原則が、単細胞生物の場合には当てはまらないことになります。

                            (桜井邦朋『寿命の法則
        ー人間の死はいつ決められたか』15頁)






II.古代中国人の死に対する見方



(-.-)y-~~~ 意外や意外、古代中国の知識人は「死後の世界」の存在に否定的だった。
 
古代ギリシアの知識人、たとえばソクラテスなどが「死後の世界」の存在を積極的に肯定していたのと対照的である。




 樊遅(はんち)が知とはなにかを問うた。先生(孔子)は言われた。「民の義を務め、神霊は敬してこれを遠ざけること。これが知というべきである」

    (『論語』雍也第六)


   先生は怪・力・乱・神については口にされなかった。

    (『論語』述而第七)






 季路が神霊につかえることを問うた。先生は言われた。
「いまだ人間につかえることができないのに、どうして神霊につかえることができよう」
「恐れながら死についてお尋ねします」
「いまだ生についても知らないのに、どうして死がわかろう」

    (『論語』先進第十一)






 人間が死んで幽霊になることはありえない。
 なぜなら、天地が始まってからこのかた、死んだ人間の数は無数である。もし、人間が死んで幽霊になるなら、道路のうえを一歩あるくごとに幽霊にぶつからねばならぬではないか。
 また、もし幽霊が死人の精神だとすれば、幽霊が裸でなく服を着ているのはおかしい。衣服には精神がないのだから。
 結局、人間が死んで幽霊になって、ものを知ったり、口をきくことはありえない。ましてや他人に害を加えることなどできるはずがない。

    (王充『論衡(ろんこう)』論死篇より要約)



(-.-)y-~~~ 中国文明において、知識人は一般に「死後の世界」に否定的だった。歴史の皮肉というべきか、このなまじの合理精神が宗教としての「儒教」に限界をもたらした。つまり儒教は、仏教やキリスト教のような「来世における救済」を約束できないのだ。この儒教の限界性が原因となり、学問知識と無縁な庶民層ではかえって迷信が蔓延し、しばしば狂信的な武装宗教結社が組織される結果となった。他の文明圏ではまれなことだが、中国史では、武装宗教結社がときの王朝を滅亡させた例が少なくない。
 現代日本における宗教の混乱状況も、ここにその遠因があるのかもしれない。




 子貢(しこう)は勉学に疲れ、孔子に言った。「願わくば少し休息したいのです」
 孔子は言った。「人生に休息はないのだよ」
 「では、一生、休息できないのですか」
 「できるとも。あの墓を見なさい。あそこに入れば、死が休息であることがわかるだろう」

    (『列子』天瑞第一)






III.日本人の場合



(-.-)y-~~~ 現代科学では「死」のメカニズムについて「エラー説」と「プログラム説」の二つの説があるが、吉田兼好は明らかに「プログラム説」を説いている。




 春が終わってから夏が来て、夏が終ってから秋が来る、という見方は正しくない。
 春がそのまま夏の気配となり、夏の猛暑の中にすでに秋の気配がプログラムされている
 すべては連続しているのである。
 死も、あなたの前に、ある日とつぜんに立ち現れるものではない。あなたは、生まれたときからずっと背中に死を背負っているのだ。
 人間はみな、自分がいつか死ぬ運命であることは知っている。けれども、死がそれほど差し迫ったものだという自覚を人間がもたぬうちに、死はじんわりとやって来る。
 あなたは海岸に立ち、はるか沖合を見て「満ち潮はまだだな」と安心して気付かない。が、あなたの足元の岩場には、もはや海水が音もなく満ちてきている。

     (吉田兼好『徒然草』第百五十五段より意訳)






 いつか死ぬとはわかっていたが、今日死ぬとは思わなかった。

    (『伊勢物語』



(-.-)y-~~~ 原文「遂に行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」。
 必ずしも否定的ニュアンスだけでないことに注意。その日その日を精一杯生きて、ふと気付いたら死んでた、というような死に方を賛美する傾向も、伝統的に日本人には根強かった(例:癌告知問題)。
 キリスト教世界の合言葉「memento mori!」(死を忘れるな)と、なんと対照的なことか。


 われ死して祖国ふたたび蘇(よみがえ)る 

    (特攻隊隊員の遺書より)






IV.現代科学の死のとらえ方






 以上、考え得る限りの疑義をもってOBE中の事例を考察してきたが、全体としては、実際には取り上げたOBEの事例はすべて、単なる脳の作り出すイメージ現象(幻覚)と考えることは困難であり、客観的なリアリティを持つものと判断される。

[中略]


 人間の自己意識(見ている自己)は、時として(特に死ぬ時に)自分の身体から離脱することがあるとすれば、身体の死後も、自己意識は存続する可能性があるということになり、身体の死をもってすべてが終わると考えている多くの現代人にとって、大きなパラダイム・シフトを意味していよう。

     (斎藤忠資「体外離脱体験は幻覚か?」広島大学総合科学部紀要III
       「人間文化研究」第3巻(1994)第76〜77頁)



(-.-)y-~~~ 「OBE」は「Out-of-the-Body Experiences (体外離脱体験)」の略。近年「臨死」への関心が高まっている。
 斎藤忠資先生はわが人間文化コースの教官。


 寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。そうすると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二〇億回打つという計算になる。
 寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に約五億回、息をスーハーと繰り返すと計算できる。これも哺乳類なら、体のサイズによらず、ほぼ同じ値となる。

           (本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』6頁)






 

V.「死」と演劇の発生



    

省 略



 この項については、その後「宗教から初期演劇へ」という論文にまとめたので、こちらをクリックして参照してください。ーー97,3,17記




VI.「死」を歌う



(-.-)y-~~~ というテーマで授業していると、どうしても雰囲気が暗くなるので、教室の気分転換に、みんなで歌をうたおう。ぼくがアコーディオンで伴奏するゾ。

 まずは紀元前二世紀ころのギリシアの歌から。
 この曲の古楽譜は解読されており、現在、リラ(竪琴)による復元演奏が可能である。復元楽譜は下記の『中世・ルネサンスの音楽』という本に載ってるし、録音CD(「古代ギリシアの音楽」)もある。
 さあ、歌いましょう!


 Ho-son dges phai-nou  me-den ho-las sy ly-pou
 pros o-li-gon es-ti to dgen,to te-los ho chou-nos ap-ai-tai

    (「セイキロスのスコリオン
        ー皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』33頁)



(-.-)y-~~~ 西洋の童謡には「死」をテーマにしたものが意外に多い。「誰がコマドリ殺したの」もそのひとつである。
 少女漫画家の魔夜峰央(まや・みねお)は、もともと怪奇物を得意とする作家だったが、1978年

パタリロ!



の連載を開始しギャグ路線に転じた。1982年、同作品がTVアニメ化されるとその

クック・ロビン音頭

も大いに流行した。
 が、その流行のわりには、クック・ロビンの意味について、明確に知っていた子どもは少なかった。


Who killed Cock Robin?    誰がコマドリ殺したの?
I, said the Sparrow.      「ぼくが」とスズメ。
With my bow and arrow,    「この弓と矢で
I killed Cock Robin.  ぼくがクック・ロビンを殺した」

Who saw him die?       誰がその死を見た?
I,said the Fly,          「おれが」とハエ。
With my little eye,       「この小さな目で
I saw him die.           その死を見た」

Who caught his blood?      誰がその血を受けた?
I, said the Fish.         「あたし」とサカナ。
With my little dish,       「この小さな皿で
I caught his blood.         その血を受けた」

……(中略)……

All the birds of the air      空の鳥はみな、
Fell a-sighing and a-sobbing,    嘆いて泣いた。
When they heard the bell toll 哀れなクック・ロビンのために
For poor Cock Robin.       鐘が鳴るのを聞いたときに。



(-.-)y-~~~ 数世紀にわたり歌いつがれてきた、英国の伝統的童謡(マザーグース)の中の名作。不思議な悲しみをたたえたメルヘンの世界である。
 「クック・ロビン」がなぜ殺されたのか理由は説かれず、ただ葬送までのプロセスだけが、擬人化された動物たちにより延々と歌われる。
 それは英語圏の人々が深層心理のレベルで持つ「死」に対するイメージを心象風景化した世界といえよう。




 大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計。
 百年いつも動いていたご自慢の時計さ。
   おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ。
 今はもう動かないその時計。

      (保富康午・訳詞、ワーク・作曲「大きな古時計」)






 1.死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子供
   他にはなにも残さなかった/墓石ひとつ残さなかった

 2.死んだ女の残したものは/しおれた花とひとりの子供
   他にはなにも残さなかった/着もの一枚 残さなかった

 3.死んだ子供の残したものは/ねじれた脚と乾いた涙
   他にはなにも残さなかった/思い出ひとつ残さなかった

 5.死んだ彼らの残したものは/生きてるわたし生きてるあなた
   他には誰も残っていない/他には誰も残っていない

            (谷川俊太郎・詞、武満徹・曲「死んだ男の残したものは」)



(-.-)y-~~~ この曲を書いた武満徹(たけみつとおる)も、死んでしまった。
 余談ながら、彼は大人になってから音楽の道に入った。彼が音楽を学び始めた当時はまだ第二次大戦直後の荒廃期で、楽器すら乏しかった。彼は住宅地を歩いていて、どこからかピアノの音が聞こえてくると、そのたびに見知らぬ他人の家の扉をたたいて「ピアノを弾かせてください」と頼んだ。
           当時はどこの家でも、見知らぬ他人である彼に、喜んでピアノを弾かせてくれたという。
 日本がまだ「日本」だったころの、遠い昔の話である。


 1.扉を叩くのはあたし/あなたの胸に響くでしょう
   小さな声が聞こえるでしょう/あたしの姿は見えないの

 2.十年前の夏の朝/あたしはヒロシマで死んだ
   そのまま六つの女の子/いつまでたっても六つなの

 3.あたしの髪に火がついて/目と手が焼けてしまったの
   あたしは冷たい灰となり/風で遠くへ飛び散った

 4.あたしは何にもいらないの/誰にも抱いてもらえないの
   紙切れのように燃えた子は/おいしいお菓子も食べられぬ

     (ナジクヒメット・作詞、飯塚広・訳詞、木下航二・作曲「死んだ女の子」)






 

VII.平均寿命





☆江戸時代の農民の平均寿命……28歳
 同時代のイギリス(リヴァプール、1840年)では
   上流階級……25歳    商人と上層手工業者……22歳
   労働者・日雇労働者・僕婢階級……15歳
 当時のマンチェスターでは労働者の子供の57%以上が5歳未満で死亡

    (立川昭二『日本人の病歴』66頁)





☆縄文時代……14.6年
 江戸時代……20歳代後半〜30歳 (17世紀)
       30歳代なかば   (18世紀)
       30歳代後半    (19世紀)

      (鬼頭宏『日本二千年の人口史』36頁、75頁)



(-.-)y-~~~ 日本人の平均寿命が史上はじめて50歳を越えたのは、第二次世界大戦後しばらくたってから。




VIII.おまけ




「こうやって同窓会の度に物故者の黙祷をするのはいいけれど……
  何人までやるか、決めておこうよ。
  一人で黙祷なんていやだよ」

    (永六輔『大往生』68頁)





 ☆
 この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり
 帰って来て謎をあかしてくれる人はいない
 気をつけて このはたごやに忘れものをするな
 出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない

    (オマル=ハイヤーム作、小川亮作・訳『ルバイヤート』44頁)



(-.-)y-~~~ 作者は11〜12世紀のペルシア人。



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