はじめに一言
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「死」のテーマで取り上げる詩の冒頭部の所載頁は以下のとおり。各自テキストを入手のうえ、事前に目をとおしておくこと(生協で買えます)。 テキスト:松枝茂夫編『中国名詩選』上・中・下(岩波文庫)
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☆ サルに言語を教えるのに、アメリカン・サイン・ランゲージという記号を用います。これにより、サルに言葉を覚えさせ、死とはなにかを聞いたところ、「終りと同じだ」と答えたということです。 (高田明和『臨死体験の不思議』22頁) |
☆ ウトゥ(太陽の神)よ。 一言あなたに話したい。 耳を貸してくれ。 わたしのことばをあなたに届けたいのだ。 耳をかたむけてほしい。 悲しいことに、わたしの町では、人はすべて死ぬ。 心重いことに、人はすべて滅び去る。 わたしは城壁の外を眺めていて、死体がいくつも川面に浮いているのを見てしまった。 わたしとても、そのようになるだろう! (クレイマー訳「ギルガメシュ叙事詩」) |
☆ 女神イザナミは、夫イザナギと性交し、神々を生んだが、最後に火神を生んで火傷を負って死に、ヨミの国(冥界)に行ってしまった。 夫のイザナギは、愛する妻を追いかけてヨミの国に行った。が、腐乱し変わり果てた妻の姿を見て逃げ出した。 イザナミは憤慨し、イザナギを追いかけた。 イザナギはからくも逃げ出し、現世と冥界の境界を岩で封印した。冥界に封じられたイザナミは、夫に呪いの言葉をかけた。 「あなたが支配する現世の人間を、毎日、千人ずつ絞め殺してやる!」それから人間は死ぬようになった。 (『古事記』『日本書紀』より要約) |
☆ 土着の神であるオホヤマツミノミコトには、二人の娘がいた。 姉のイハナガヒメは醜く、妹のコノハナノサクヤヒメは美しかった。 オホヤマツミノミコトは二人の娘を、天孫であるアマツヒコヒコホノニニギノミコトと結婚させた。ところがニニギノミコトは、醜い姉をオホヤマツミに返し、美しい妹だけを留めて交合なさった(性的魅力の自覚)。 オホヤマツミは嘆いて言った。 「私が娘をふたりとも奉った理由は、姉のイハナガヒメをお使いくださることで岩のように長い命を、妹のコノハナノサクヤヒメをお使いくださることで木の花のような繁栄を、同時にご享受なさるように、と考えてのことでした。 いま妹だけを留めて姉をお返しなさった以上、天つ神のご子孫の寿命は、今後みな花のようにはかなく終わる運命となりましょう」と。(死の起源) (『古事記』より要約) |
☆ 蛇にそそのかされたイヴは、アダムに禁断の木の実を食べさせた。木の実を食べた二人 は、自分たちが全裸であることに気付き(性の自覚)イチジクで陰部を隠した。 神は罰として二人をエデンの園から追放した(死の起源)。 (『聖書』より要約) |
☆ 生き物は死ぬものだという原則が、単細胞生物の場合には当てはまらないことになります。 (桜井邦朋『寿命の法則 ー人間の死はいつ決められたか』15頁) |
☆ 樊遅(はんち)が知とはなにかを問うた。先生(孔子)は言われた。「民の義を務め、神霊は敬してこれを遠ざけること。これが知というべきである」 (『論語』雍也第六) ☆ 先生は怪・力・乱・神については口にされなかった。 (『論語』述而第七) |
☆ 季路が神霊につかえることを問うた。先生は言われた。 「いまだ人間につかえることができないのに、どうして神霊につかえることができよう」 「恐れながら死についてお尋ねします」 「いまだ生についても知らないのに、どうして死がわかろう」 (『論語』先進第十一) |
☆ 人間が死んで幽霊になることはありえない。 なぜなら、天地が始まってからこのかた、死んだ人間の数は無数である。もし、人間が死んで幽霊になるなら、道路のうえを一歩あるくごとに幽霊にぶつからねばならぬではないか。 また、もし幽霊が死人の精神だとすれば、幽霊が裸でなく服を着ているのはおかしい。衣服には精神がないのだから。 結局、人間が死んで幽霊になって、ものを知ったり、口をきくことはありえない。ましてや他人に害を加えることなどできるはずがない。 (王充『論衡(ろんこう)』論死篇より要約) |
☆ 子貢(しこう)は勉学に疲れ、孔子に言った。「願わくば少し休息したいのです」 孔子は言った。「人生に休息はないのだよ」 「では、一生、休息できないのですか」 「できるとも。あの墓を見なさい。あそこに入れば、死が休息であることがわかるだろう」 (『列子』天瑞第一) |
☆ 春が終わってから夏が来て、夏が終ってから秋が来る、という見方は正しくない。 春がそのまま夏の気配となり、夏の猛暑の中にすでに秋の気配がプログラムされている。 すべては連続しているのである。 死も、あなたの前に、ある日とつぜんに立ち現れるものではない。あなたは、生まれたときからずっと背中に死を背負っているのだ。 人間はみな、自分がいつか死ぬ運命であることは知っている。けれども、死がそれほど差し迫ったものだという自覚を人間がもたぬうちに、死はじんわりとやって来る。 あなたは海岸に立ち、はるか沖合を見て「満ち潮はまだだな」と安心して気付かない。が、あなたの足元の岩場には、もはや海水が音もなく満ちてきている。 (吉田兼好『徒然草』第百五十五段より意訳) |
☆ いつか死ぬとはわかっていたが、今日死ぬとは思わなかった。 (『伊勢物語』) |
☆ われ死して祖国ふたたび蘇(よみがえ)る (特攻隊隊員の遺書より) |
☆ 以上、考え得る限りの疑義をもってOBE中の事例を考察してきたが、全体としては、実際には取り上げたOBEの事例はすべて、単なる脳の作り出すイメージ現象(幻覚)と考えることは困難であり、客観的なリアリティを持つものと判断される。 人間の自己意識(見ている自己)は、時として(特に死ぬ時に)自分の身体から離脱することがあるとすれば、身体の死後も、自己意識は存続する可能性があるということになり、身体の死をもってすべてが終わると考えている多くの現代人にとって、大きなパラダイム・シフトを意味していよう。 (斎藤忠資「体外離脱体験は幻覚か?」広島大学総合科学部紀要III 「人間文化研究」第3巻(1994)第76〜77頁) |
☆ 寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。そうすると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二〇億回打つという計算になる。 寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に約五億回、息をスーハーと繰り返すと計算できる。これも哺乳類なら、体のサイズによらず、ほぼ同じ値となる。 (本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』6頁) |
☆ Ho-son dges phai-nou me-den ho-las sy ly-pou pros o-li-gon es-ti to dgen,to te-los ho chou-nos ap-ai-tai (「セイキロスのスコリオン」 ー皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』33頁) |
☆ I, said the Sparrow. 「ぼくが」とスズメ。 With my bow and arrow, 「この弓と矢で I killed Cock Robin. ぼくがクック・ロビンを殺した」 Who saw him die? 誰がその死を見た? I,said the Fly, 「おれが」とハエ。 With my little eye, 「この小さな目で I saw him die. その死を見た」 Who caught his blood? 誰がその血を受けた? I, said the Fish. 「あたし」とサカナ。 With my little dish, 「この小さな皿で I caught his blood. その血を受けた」 ……(中略)…… All the birds of the air 空の鳥はみな、 Fell a-sighing and a-sobbing, 嘆いて泣いた。 When they heard the bell toll 哀れなクック・ロビンのために For poor Cock Robin. 鐘が鳴るのを聞いたときに。 |
☆ 大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計。 百年いつも動いていたご自慢の時計さ。 おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ。 今はもう動かないその時計。 (保富康午・訳詞、ワーク・作曲「大きな古時計」) |
☆ 1.死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子供 他にはなにも残さなかった/墓石ひとつ残さなかった 2.死んだ女の残したものは/しおれた花とひとりの子供 他にはなにも残さなかった/着もの一枚 残さなかった 3.死んだ子供の残したものは/ねじれた脚と乾いた涙 他にはなにも残さなかった/思い出ひとつ残さなかった 5.死んだ彼らの残したものは/生きてるわたし生きてるあなた 他には誰も残っていない/他には誰も残っていない (谷川俊太郎・詞、武満徹・曲「死んだ男の残したものは」) |
☆ 1.扉を叩くのはあたし/あなたの胸に響くでしょう 小さな声が聞こえるでしょう/あたしの姿は見えないの 2.十年前の夏の朝/あたしはヒロシマで死んだ そのまま六つの女の子/いつまでたっても六つなの 3.あたしの髪に火がついて/目と手が焼けてしまったの あたしは冷たい灰となり/風で遠くへ飛び散った 4.あたしは何にもいらないの/誰にも抱いてもらえないの 紙切れのように燃えた子は/おいしいお菓子も食べられぬ (ナジクヒメット・作詞、飯塚広・訳詞、木下航二・作曲「死んだ女の子」) |
☆江戸時代の農民の平均寿命……28歳 同時代のイギリス(リヴァプール、1840年)では 上流階級……25歳 商人と上層手工業者……22歳 労働者・日雇労働者・僕婢階級……15歳 当時のマンチェスターでは労働者の子供の57%以上が5歳未満で死亡。 (立川昭二『日本人の病歴』66頁) |
☆縄文時代……14.6年 江戸時代……20歳代後半〜30歳 (17世紀) 30歳代なかば (18世紀) 30歳代後半 (19世紀) (鬼頭宏『日本二千年の人口史』36頁、75頁) |
☆ 「こうやって同窓会の度に物故者の黙祷をするのはいいけれど…… 何人までやるか、決めておこうよ。 一人で黙祷なんていやだよ」 (永六輔『大往生』68頁) |
☆ この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり 帰って来て謎をあかしてくれる人はいない 気をつけて このはたごやに忘れものをするな 出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない (オマル=ハイヤーム作、小川亮作・訳『ルバイヤート』44頁) |