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漢字の運命V
最新の更新2023年4月7日 最初の公開2023年4月7日
参考 [
漢字の運命T
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はじめに
ポイント、キーワード
辞書的な説明
呉音の例 漢訳仏典『妙法蓮華経』 江戸時代の「両点本」(真訓両読、真読音読)
漢音の例 江戸時代の『論語』
唐音の例 江戸・明治の明清楽(みんしんがく)
なぜ日本人は漢字の字音を統一しなかったのか?
附録 「平等」はなぜヘイトウではなくビョウドウ?
はじめに
2023/4/8土曜 10:30〜12:00 朝日カルチャーセンター・新宿教室
以下、
https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/cc635233-5a57-53f8-3de9-639a8dcb9080
より自己引用。引用開始。
知っているようで知らない、日本人と漢字の歴史を、豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。日本人は聖徳太子(574−622)の時代から漢字・漢文を本格的に使いこなすようになりました。以来、日本の漢字文化は独自の発展をとげ、他国では見られない以下のようなユニークな特徴が生まれました。
・音読みと訓読みがある。漢字「明」には音読み「めい」と訓読み「あかるい」がある。
・音読みが複数ある。「明」は呉音「みょう」、漢音「めい」、唐音「みん」である。
・漢文(古典中国語の文)を日本語として読む定型的訳読法「漢文訓読」を確立した。
・江戸時代における漢字や漢文の普及が明治維新を可能にした。
・日本人が考案した大量の新漢語は、中国語や朝鮮語でも使われている。「中華人民共和国」の「人民」と「共和国」は、日本人が近代西洋の概念の訳語として漢文古典をもとに考案した新漢語である。
なぜ、こうなったのか。日本人と漢字の歴史を、わかりやすく紹介します。(講師・記)
YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lEWVh_Uxjlj_46yQQUZjdu
ポイント、キーワード
漢字の音訓の整理
漢字文化圏の諸国のなかで、漢字に音読みと訓読みがあり、しかもそれぞれ複数ずつある国は、日本だけである。
韓国語の漢字には音読みしかない。しかも韓国語の音読みは、一字につき一音である。
日本語も、漢字の訓読みを廃止して、漢字一字一音に整理すべきだ、という意見もある(あった)が、現在は下火となっている。
日本語の漢字の読み方が複雑な理由は、日本社会に原因がある。
東京 トウケイかトウキョウか?
正しくはトウケイ。東の呉音はツウ、漢音はトウ。京の呉音はキョウ、漢音はケイ。漢音でそろえてトウケイと読むのが、東京の正しい読み方。
京
呉音:キョウ 漢音:ケイ 唐音:キン 訓読み(教育外):みやこ
諸橋轍次『大漢和辞典』の「京」の項では、(1)ケイ/キヤウ、(2)キン、(3)ゲン、と特殊な音読みまでをも挙げる。
東京(とうケイ)と八王子、成田、横浜、千葉を結ぶ鉄道は、京王線、京成線、京浜東北線、京葉線などと呼ばれる。
では、なぜ「埼京線」は例外なのか? また「東京駅」はなぜトウキョウエキと読むのか?
トウケイは、いつから、なしくずし的にトウキョウと読まれるようになったのか?
そんなことを気にする日本人は、あまりいない。だから日本語では、漢字の音訓の整理や統一がいまだ不徹底である。
cf.参考記事 「
なぜ東京を「とうきょう」と読んではいけないのか――直木賞作家、門井慶喜が「東京の謎」を解き明かす!
」
「神儒仏」しんじゅぶつ
日本人の行動規範の教養は、神道・儒教・仏教であった。神道は和語、儒教は漢音系漢文訓読、仏教は呉音系真読、と、それぞれの教養の言語は違っていた。
cf.中国の「儒仏道」
「和魂漢才」
菅原道真の著といわれる『菅家遺誡』(かんけ・いかい。鎌倉時代もしくは室町時代の偽書か)の言葉。平安時代中期には該当する概念が成立していた。
和魂漢才というときの「漢」は、漢音系漢文訓読によってよむ漢文古典、『論語』や司馬遷の『史記』などを指す。
「和魂洋才」
幕末明治の知識人は、西洋の近代的概念を「新漢語」に翻訳した。新漢語は「漢音系漢文古典」の教養をふまえて考案された。
中国や朝鮮の知識人が、明治の日本人が考案した「新漢語」(日本漢語)をすんなりと受け入れた一因は、漢文古典という教養の素養を共有していたから。
辞書的な説明
訓読
日本人は、漢字には「音訓」つまり固定的な「音読み」と「訓読み」があるものだ、と考えている。
「訓」という漢字には、「教える」という意味や「字句の意味を解釈する」という意味がある。「教訓」は前者、「訓詁学(くんこがく)」は後者。
日本語の「訓読」(くんどく。くんよみ)は、訓詁学の訓と同じ意味。
「漢文訓読」は「かんぶんクンドク」、漢字の訓読(み)は「クンヨミ」で、それぞれニュアンスが異なる。
漢字の訓読みは、漢字に対応する和語(わご。やまとことば)をあてるもので、和訓、国訓などとも呼ばれ、どの漢字をどのように訓読みするかは、固定化されていた。
漢字文化圏では、漢字・漢文に自国語をあてる「訓読現象」が広く見られたが、千年以上にわたり体系的・固定的な音訓システムを維持したのは日本だけである。韓国・朝鮮の漢字は音読みだけで、訓読みはない。
音読
「おんどく」と「おんよみ」で、意味用法が異なることに注意。以下は「おんよみ」についての解説である。
日本の漢字の音読みは、昔の中国語の発音を日本語の発音でまねたものである。
日本の漢字の音読みは、遣唐使時代の「漢音」が標準だが、その前と後に流入した音読みも併用して使われるなど、複雑である。
呉音・・・「遣唐使以前」ないし飛鳥時代以前に日本に流入した漢字音。6世紀に日本に流入した漢訳仏典(いわゆるお経)は、今も呉音で読むのがふつう(例外的なお経もある)。
漢音・・・「遣唐使時代」、特に奈良時代から平安中期にかけて、唐の首都・長安の発音を体系的に日本語に移植したもの。特にことわりがない限りは、日本語では漢音で読む。
唐音・・・「ポスト遣唐使時代」に、主に鎌倉時代から江戸時代にかけて日本に流入した音読み。「暖簾」(ダンレンではなくてノレン)、「箪笥(たんす)」、「西瓜(すいか)」、「石灰(しっくい。当て字は、漆喰)」など。語彙数は少ない。
慣用音・・・誤読が定着したもの。少数かつ非体系的。例「洗」を「セン」、「輸」を「ユ」、「消耗(しょうこう)」を「しょうモウ」と読む類。
例えば、東京という地名は本来は漢音読みで「とうけい」が正しい。京王線、京葉線、京浜東北線の「けい」は、東京(とうけい)の「けい」である。が、埼京線は呉音の「きょう」であるなど、この原則は徹底していない。
中国語も韓国語もベトナム語も、漢字は一字一音が原則なので、外国人にとっては日本語よりも学びやすいという。
真読
「しんどく」。仏教用語で2つの意味がある。1つは経文?(きょうもん)?を省略せず全部読みとおす、という意味、つまり「転読」の対義語。もう1つは経文を呉音で字音直読する意で、「訓読」の対義語。
日本仏教では、経文の訓読より、真読のほうが格上扱いされる傾向がある。
人名音読(じんめいおんよみ)
日本では、一部の人名は訓読みしても音読みしてもよい。
藤原定家は「さだいえ」と「ていか」、徳川慶喜は「よしのぶ」と「けいき」、原敬は「たかし」と「けい」、など。
ただし、徳川家康や西郷隆盛など、むしろ人名音読を適用しない人物のほうが多い。
近年の俗説や誤解では、人名音読みのほうが格が高く敬意をこめている、とか、人名音読は「有職読み(ゆうそくよみ)」の一種である、という間違った見解が広まってしまっている。
呉音の例 漢訳仏典「妙法蓮華経」真読訓読・両点本
江戸時代の「両点本」。鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」如来寿量品第十六・自我偈の冒頭部分。
経文の原漢文の右脇に真読用のふりがな(呉音。旧字音仮名遣い)が、左脇に漢文訓読用の訓点(合略仮名=ごうりゃくがな、も使用)を施してある。
高解像度版は
WikiMedia Commonsのこちら
。
【真読】呉音で読む。宗派ごとに「読み癖」がある。これは現代の一例。
自(じ)我(が)得(とく)仏(ぶつ)来(らい) 所(しょ)経(きょう)諸(しょ)劫(こっ)数(しゅ)
無(む)量(りょう)百(ひゃく)千(せん)万(まん) 億(おく)載(さい)阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)
常(じょう)説(せつ)法(ぽう)教(きょう)化(け) 無(む)数(しゅ)億(おく)衆(しゅ)生(じょう)
令(りょう)入(にゅう)於(お)仏(ぶつ)道(どう) 爾(に)来(らい)無(む)量(りょう)劫(こう)
為(い)度(ど)衆(しゅ)生(じょう)故(こ) 方(ほう)便(べん)現(げん)涅(ね)槃(はん)
而(に)実(じつ)不(ふ)滅(めつ)度(ど) 常(じょう)住(じゅう)此(し)説(せつ)法(ぽう)
我(が)常(じょう)住(じゅう)於(お)此(し) 以(い)諸(しょ)神(じん)通(ずう)力(りき)
令(りょう)顛(てん)倒(どう)衆(しゅ)生(じょう) 雖(すい)近(ごん)而(に)不(ふ)見(けん)
衆(しゅ)見(けん)我(が)滅(めつ)度(ど) 広(こう)供(く)養(よう)舎(しゃ)利(り)
咸(げん)皆(かい)懐(え)恋(れん)慕(ぼ) 而(に)生(しょう)渇(かつ)仰(ごう)心(しん)
衆(しゅ)生(じょう)既(き)信(しん)伏(ぶく) 質(しち)直(じき)意(い)柔(にゅう)軟(なん)
一(いっ)心(しん)欲(よっ)見(けん)仏(ぶつ) 不(ふ)自(じ)惜(しゃく)身(しん)命(みょう)
(以下略)
【訓読】我、仏を得てよりこのかた、経たる所のもろもろの劫数、無量百千万、億載阿僧祇なり。
常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。それよりこのかた無量劫なり。
衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現はす。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く。
我、常に此に住すれども、諸もろの神通力を以て、顛倒の衆生をして、近しと雖も而も見えざらしむ。
衆は我が滅度を見て、広く舎利を供養し、ことごとく皆、恋慕を懐ひて、而して渇仰の心を生ず。 衆生、既に信伏し、質直にしてこころ柔軟、一心に仏を見たてまつらんと欲し、みずから身命を惜しまず。
(以下略)
【現代語訳】わたし(釈迦如来)が仏になって以来、経てきたところの時間は、劫の数にして、無量百千万億載阿僧祇、という膨大な長さの時間です。
その間、わたしは常に仏法を説き、無数億の人々を教化して、仏道に入れました。それからこれまで、無量劫の時を経ています。
わたしは人々を救うためのゆえに、方便で、涅槃を現して見せました。しかし本当のところは、わたしは滅度していません。わたしはずっとこの娑婆世界にとどまり、仏法を説いているのです。
わたしは常にこの娑婆世界にとどまっています。が、さまざまな神通力で、心が顛倒している迷える衆生には、近くにいるわたしの姿を見えないようにしています。
人々はわたしが滅度したと見て、さまざまに仏舎利を供養します。みんなが、仏を恋慕する気持ちをいだいて、そして渇仰の心を生ずるのです。
人々が、仏を信じてしたい、心がすなおでだやかになり、一心に「仏にお会いしたい」と欲して、自らの命も惜しまぬようなったら(以下略)
日本仏教の僧侶は、漢訳仏典を呉音で読む。ただし例外もある。
真言宗では『理趣経』に限り、漢音で読誦する。
黄檗宗(おうばくしゅう)は唐音で読誦する。
漢音の例 江戸時代の『論語』
[
伝統と現代、それぞれの『論語』の読み方
]も参照。
子曰学而時習之不亦説乎有朋自遠方来不亦楽乎人不知而不慍不亦君子乎
明治時代以降の読み方と、かなり違うことに注意。
以下は、現代日本の教科書の漢文訓読による読み方。
【訓読】子曰く「学びて時に之を習ふ。亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや」と。
【現代語訳】先生(孔子のこと)は言われた。「習ったことを機会があるごとに復習する。なんと喜ばしいじゃないか。友人が遠方からくる。なんと嬉しいじゃないか。他人が自分を理解してくれなくても恨まない。なんと立派な君子じゃないか。」
江戸時代は『論語』をリンギョと読んでいた。「子曰」の訓読のしかたは、現代は「シ、イはく(発音はイワク)」で統一されているが、江戸時代までは「シ、イはく」「シ、ノタマはく(発音はノタマワク)」「シ、ノタフまく(発音はノタウマクorノトーマク)」「シ、ノタフばく(発音はノタウバクorノトーバク)」など多様な読み方があった。
現代の日本人が教科書や入試問題で慣れ親しんでいる漢文訓読のスタイルは、明治四十五年(1912)に文部省が公布した漢文訓読の指針「漢文教授ニ関スル調査報告」(『官報』第8630号・明治45年3月29日に掲載)に準拠している。江戸時代から明治にかけて、訓点記号の使い方や送り仮名の読みぐせなどは、学者の流派ごとに違いが大きかった。文部省は、服部宇之吉(はっとりうのきち)ら当時の学者に依頼し、合理的かつ統一的な漢文訓読の規則を定め、漢文教科書の指針とした。中村春作編『訓読から見なおす東アジア』ISBN978-4-13-025145-7「詩吟と唱詩の言語」参照。
唐音の例 江戸・明治の明清楽(みんしんがく)
明治10年(1877年)刊『月琴楽譜』より。[
紗窓(明清楽資料庫)
]も参照。
李白の七言絶句「春夜洛城聞笛」の字音直読
「誰家玉笛暗飛声」誰が家の玉笛か暗に声を飛ばす
呉音 ずい け ごく じゃく(ぢやく) おん(おむ) ひ しょう(しやう)
漢音 すい か ぎょく てき あん(あむ) ひ せい
唐音 ジュイ キャア ヨ テ アン フイ シン
華音 shui2 jia1 yu4 di2 an4 fei1 sheng1
「散入春風満洛城」散じて春風に入り洛城に満つ
呉音 さん にゅう(にふ) しゅん ふう/ふ まん らく じょう(じやう)
漢音 さん じゅう(じふ) しゅん ほう ばん らく せい
唐音 サン ジ チュン フヲン マン ロ ジン
華音 san4 ru4 chun1 feng1 man3 luo4 cheng2
「此夜曲中聞折柳」此の夜 曲中 折柳を聞く
呉音 し や こく ちゅう(ちう) もん せち る
漢音 し や きょく ちゅう(ちう) ぶん せつ りゅう(りう)
唐音 ツウ エエ キョ チョン ウヱン ツイ リウ
華音 ci3 ye4 qu3 zhong1 wen2 zhe2 liu3
「何人不起故園情」何人か故園の情を起こさざらん
呉音 が にん ほち こ く おん(をん) じょう(じやう)
漢音 か じん ふつ き こ えん(ゑん) せい
唐音 ホウ ジン ポ キイ クウ ヱン ジン
華音 he2 ren2 bu4 qi3 gu4 yuan2 qing2
なぜ日本人は漢字の字音を統一しなかったのか?
遣唐使時代の日本では、漢字音を漢音に統一しようとした。が、21世紀現在に到るまで、それは果たせていない。
なぜ、日本だけが漢字音を統一できないのか?
それは、あえて統一しない「非合理の合理性」に理由がある。
[
日本漢字音の謎
]を参照。
例「三月」 サンガツ、と呉音読みするとMarchの意。サンゲツ、と漢音読みすると 3 months (3ヶ月)の意。
例「人間」 ニンゲン、と呉音読みすると人の意。ジンカン、と漢音読みすると「人の世界」の意。
呉音と漢音の使い分けは、むしろ近代において増えてきたことに注意。
例えば、近世日本語の「人間」は、ニンゲンもジンカンと読んでもともに「人の世界」の意だった。
織田信長が好んだ「幸若舞」の「敦盛」の句は有名。
参考動画
https://youtu.be/beO6_p-rXQI?t=775
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」
ニンゲン、ゴジュウネン、ゲテンのうちをクラぶれば、ユメマボロシのゴトくなり。ヒトタビ、ショウをウけ、メッせぬもののあるべきか。
人の世の50年間の長さを、天上界の最下層である下天のうちとくらべると、人の世の50年は下天の24時間にしか相当しない。夢か幻のようにはかない。 およそ、この世で、ひとたび命をうけて死滅しないものはあるだろうか。いや、あるはずはない。
例「京劇」 大正時代から1970年前後までは「ケイゲキ」。文化大革命の「革命現代京劇」以降は「キョウゲキ」
芥川龍之介も、加藤徹の学生時代の指導教員も、中国の京劇を「ケイゲキ」と呼んでいた。
加藤は学生時代から「キョウゲキ」と呼んでいた。
附録 「平等」はなぜヘイトウではなくビョウドウ?
西洋では、equality(平等)とimpartiality(公平)は微妙に違う概念である。
日本語では公平は「こうへい」と音読する。しかし平等は「びょうどう」と呉音読みし、ヘイトウとは読まない。
なぜか?
実は、日本語にも公平(くびょう。呉音読み)という言葉があった。
例
https://kotobank.jp/word/公平・公并-2032305
以下、中国大使館の公式サイトの
http://jp.
china-embassy.gov.cn
/jpn/jbwzlm/rbjw/201007/t20100720_2030669.htm
より引用。閲覧日:2023年4月8日。引用開始。
和製漢語:中国 日本と世界を繋ぐ絆 / 2009年「各国大使館員日本語スピーチコンテスト」受賞作品 / 2010/07/20 / 政治部 汪澍
【前略】 アヘン戦争、ペリー来航をきっかけに、中日両国は西洋が切り開いた近代化の流れに巻き込まれました。明治維新を経て、日本は積極的に西洋文明を吸収するようになり、その中で、和製漢語が多く誕生しました。つまり、日本人は漢字を新たに組み合わせることによって、西洋の概念を訳し、新たしい言葉を作りました。
和製漢語が中国に伝わったのは20世紀の初頭。近代化に成功した日本は発展のモデルと見なされ、和製漢語は近代文明を伴って中国に伝わってきました。
ーー和製漢語は中国と世界を繋いだ。独立、
平等
、自由、民主、法制、主権、民族、国際、それまで分からなかった近代思想、近代語彙が中国に入りました。
ーー和製漢語は東洋と西洋を繋いだ。哲学者・西周が作った言葉ーー哲学、中江兆民が作った言葉ーー美学、東洋の立場から学問の新天地を開き、アジアの知恵を近代世界に注ぎ込みました。
ーー和製漢語は伝統と未来を繋いだ。
近代化という未曾有の激変を前に、伝統そのものに自信を喪失し、漢字を廃止しようとの議論もあったあの時代の中国
は、和製漢語から希望を汲み取りました。伝統は決して消えることはない。中日両国の共通財である漢字は、依然に力強く生きています。
和製漢語のブームは20年間も続きました。ある統計によると、現代中国語の中、社会科学関連語彙の六割は和製漢語であります。残念ながら、その後中国侵略戦争の勃発によって、和製漢語の交流はそれで終わりました。
和製漢語は、近代一時期の中国、日本、世界の三者関係を映しました。つまり、日本を経由し、中国は近代世界との接点を探り、アクセスを試みました。
【中略】21世紀は、平等に交流しあう、理解しあう、協力し合うウィンウィンの時代になってほしい。21世紀は、平和と友好を広げ、戦争と対立を根絶する時代になってほしい。
皆さん、一緒に頑張ろうでありませんか。
引用終了
加藤徹注:近代西洋の概念の訳語「自由、平等、博愛」(フランス語 Liberté, Égalité, Fraternité)のうち、
平等だけ呉音読み「びょうどう」である理由
は、日本の伝統的な仏教用語「平等」を転用したから。
例 宇治平等院鳳凰堂(10円硬貨に描かれている建物)
以下、平等院の公式サイトの
https://www.
byodoin
.or.jp/faq/byodoin/
より引用。閲覧日2023年4月8日。引用開始。
Q 平等という言葉がなぜついているのですか?
A 仏の救済が平等ということを意味します。
そして、仏の平等を光で顕わします。平等院は光のお寺なのです。
引用終了
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