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伝統と現代、それぞれの『論語』の読み方

2016年度 渋沢栄一記念財団「論語とそろばん」セミナー 第1回
平成28年(2016)2月10日(水)19:00〜21:00 日本工業倶楽部にて 講師 加藤徹
最初の公開2016-2-10 最新の更新2016-2-11
★儒教と儒学を区別した日本人
★素読と訳読
★生産財としての教養、消費財としての教養

学而第一
子曰学而時習之不亦説乎有朋自遠方来不亦楽乎人不知而不慍不亦君子乎
『呉大澂 篆書 論語』より江戸時代の和本の『論語』より
 江戸時代は『論語』をリンギョと読んでいた。「子曰」の訓読のしかたは、現代は「シ、イはく(発音はイワク)」で統一されているが、江戸時代までは「シ、イはく」「シ、ノタマはく(発音はノタマワク)」「シ、ノタフまく(発音はノタウマクorノトーマク)」「シ、ノタフばく(発音はノタウバクorノトーバク)」など多様な読み方があった。
 現代の日本人が教科書や入試問題で慣れ親しんでいる漢文訓読のスタイルは、明治四十五年(1912)に文部省が公布した漢文訓読の指針「漢文教授ニ関スル調査報告」(『官報』第8630号・明治45年3月29日に掲載)に準拠している。江戸時代から明治にかけて、訓点記号の使い方や送り仮名の読みぐせなどは、学者の流派ごとに違いが大きかった。文部省は、服部宇之吉(はっとりうのきち)ら当時の学者に依頼し、合理的かつ統一的な漢文訓読の規則を定め、漢文教科書の指針とした。中村春作編『訓読から見なおす東アジア』ISBN978-4-13-025145-7「詩吟と唱詩の言語」参照。

 現代中国人は、漢文をそのまま読んでも、意味を理解できない。日本人が漢文を訓読するのと同様、現代中国人も「補」と「換」という訳読メソッドで漢文を理解する。中村春作編『訓読から見なおす東アジア』ISBN978-4-13-025145-7「詩吟と唱詩の言語」参照。
漢文「学之、不乎? ・・・」
現代中国語孔子「学習了(知識)、然而按一定的時間温習它、不高興嗎? ・・・」

【参考】 江戸時代以前の漢文の本は、あまり句読訓点をふらなかった。
 例 「天文版論語」の画像 天文2年(1533年)跋 国立国会図書館デジタルコレクション - 論語 10巻  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288426
現代日本の訳読
 cf.Web 漢文大系 http://kanbun.info/keibu/rongo0101.html
現代中国語訳の一例
孔子说:“学了又时常温习和练习,不是很愉快吗?有志同道合的人从远方来,不是很令人高兴的吗?人家不了解我,我也不怨恨、恼怒,不也是一个有德的君子吗?”
出典:http://baike.baidu.com/view/2403825.htm 2016-2-4 閲覧
英語訳の例
The Master said: “Isn't it a pleasure to study and practice what you have learned? Isn't it also great when friends visit from distant places? If people do not recognize me and it doesn't bother me, am I not a noble man?”
出典:http://www.acmuller.net/con-dao/analects.html#div-2 2015-11-4閲覧

雍也第六
伯牛有疾子問之自牖執其手曰亡之命矣夫斯人也而有斯疾也斯人也而有斯疾也
『呉大澂 篆書 論語』より江戸時代の和本の『論語』より

金谷治訳注『論語』岩波文庫1963/2006 p.111
 伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)あり。子、これを問い、牖(まど)より其の手を執(と)る。曰(のたま)わく、これを亡(ほろ)ぼせり、命なるかな。斯(こ)の人にして斯の疾あること、斯の人にして斯の疾あること。

貝塚茂樹訳注『論語』中公文庫1973/2009 p.155
 伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)あり。子、これを問う。牖(まど)よりその手を執(と)りて曰(のたま)わく、これ亡(な)し、命なるかな。斯(こ)の人にして斯の疾あるや、斯の人にして斯の疾あるや。

※「これを亡ぼせり」→おしまいだ。「これ亡し」→こんな道理があるはずがない。
cf.Web漢文大系 http://kanbun.info/keibu/rongo0608.html


素読、侍読(侍講)、講釈、会読、訳読

そどく【素読】( 名 ) スル 意味を考えないで,文字だけを声を出して読むこと。そよみ。すよみ。 「論語を−する」(大辞林 第三版の解説)

じどく【侍読】〔「じとう」とも〕「 侍講(じこう) 」に同じ。 「春水は浅野家の世子−として屢(しばしば)江戸に往来した/伊沢蘭軒 鷗外」(大辞林 第三版の解説)

じこう【侍講】@君主に侍して学問を講義すること。また,その人。侍読。A明治時代,天皇・東宮に書を講じた官職。(大辞林 第三版の解説)

【侍講】 〇隨師聽講,研讀學業。後漢書.卷六十四.盧植傳:「植侍講積年,未嘗轉眄,融以是敬之。」 〇職官名。為帝王講授文史經書,漢時雖有侍講之稱,但未以為官名。唐始置侍講學士,宋兼置侍講。元、明、清三朝,翰林院倶有侍講學士及侍講。(『漢典』http://www.zdic.net/c/d/13b/300728.htm 2016-2-4閲覧)

渋沢栄一(1840-1931)の素読体験
『渋沢栄一自叙伝』(復刻版、大空社、1998)より
 其の当時は一般に百姓や町人には、学問などは必要がないとせられておつたにも拘らず、父晩香は、今日の世に立つにはどうしても相当の学問がなければならぬといふので、六歳の頃から父は私に三字経の素読を教へられ、大学から中庸を読み、論語まで習つたが、八歳頃から従兄に当たる手計村(てばかむら)の尾高惇忠(おだか・あつただ/じゅんちゅう)氏に師事して修学した。維新前の教育は、何れも主として漢籍によつたもので、江戸表などでは初めに蒙求とか文章物を教へたりしたやうに聞き及ぶが、私の郷里などでは、初めに千字文三字経の如きものを読ませ、それが済んだ処で四書五経に移り、文章物は其後になつてから漸く教えたもので、文章軌範とか、唐宋八大文の如きものを読み、歴史物の国史略、十八史略、又は史記列伝の如きものを此間に学び、文選でも読めるまでになれば、それで一通りの教育を受けた事にせられたものである。
 私の師匠である尾高惇忠の句読の方法は他の師匠と多少趣を異にして居り、初学の中は、一字一句を暗記させるよりは寧ろ沢山の書物を通読させて自然と力をつけ、此処は斯ういふ意味、此処は斯ういふ義理であるといふ風に、自身で考えが生ずるに任せるという遣り方であつたから、尾高に師事してから四、五年の間は、殆んど読むことだけを専門にする有様であつたが、十一、二歳の頃になつて朧気ながら其の意味が分かるやうになつたので、初めて幾らか書物を読む事が面白くなつて来た。


広瀬淡窓(1782-1856)「論語三言解」
 攘夷か開国か。幕末の微妙な問題を『論語』の有名な文章にひきつけて論じる。いわばヨーロッパの民話の「石のスープ」のように、『論語』を出汁(だし)ないし触媒とすることで、活発な議論を可能にしている。江戸時代後期の武士にとって、『論語』が「生産財としての教養」のバックボーンになっていた実例の一つ。
 ネット上では、「近代デジタルライブラリー」でも読める。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913222/493?tocOpened=1
『論語』顔淵第十二
子貢問政。子曰「足食、足兵、民信之矣。」子貢曰「必不得已而去、於斯三者何先。」曰「去兵。」子貢曰「必不得已而去、於斯二者何先。」曰「去食。自古皆有死。民無信不立。」
子貢政を問ふ。子曰く「食を足し、兵を足し、民、之を信にす」と。子貢曰く「必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於(お)いて何をか先にせん」と。曰く「兵を去らん」と。子貢曰く「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん」と。曰く「食を去らん。古(いにしえ)より皆死有り。民信無くんば立たず」と。
cf. Web 漢文大系 http://kanbun.info/keibu/rongo1207.html

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