3.大学出身者による交通学研究

 太田黒敏男先生は1918年から「銀行論」を担当しながら「交通論」の講義を務めました。学位論文は「北米合衆国に於ける鉄道の発達統制及び影響を論ず」で,これにより1932(昭和7)年商学博士となります。しかし麻生平八郎先生の交通学研究により徐々に銀行論の研究に集中し,米国銀行制度や日本金融史の研究へと移っていきました。

 麻生平八郎先生は1931(昭和6)年からドイツ語の担当として商科専門部講師となりました。最初はマルクス経済学の研究を進め,他面翻訳の活動も進めていました。しかし太田黒先生の勧めもあり,次第に交通学の研究へと移っていき,1934年に最初の論文である「交通の本質とその生産的機能」を『明大商学論叢』に発表します。なお,この論文以降『明大商学論叢』に発表された交通関係の論文は1945年までに36編にも達しています。 麻生先生はマルクス経済学の交通論への適用と展開を試み,特にローゼンベルグのマルクス資本論の理解を交通の本質を分析する上で創造的に展開していきました。麻生先生の研究は第1に経済学の研究,特に独占資本主義の分析,第2に経済学を適用した交通学研究,とりわけ資本論の交通に関連する部分の詳細な解説と新しい展開,第3に産業経済論,第4に労働問題に大別することができます。これらの著書は1932年から1976年までの間に27冊にものぼっています。 大学では,ドイツ語を担当しながら同時に交通論を担当し,1939(昭和14)年に商学部助教授,翌年には商科専門部教授になっています。なお,交通学研究の展開の中から海運・陸運などの各論分野についての研究も行われ,海運での代表的著作として『海運及海運政策』(巌松堂書店,1942年),陸運では『交通経済各論要項』があげられます。

 このような各論研究は1945(昭和20)年の敗戦以降さらに続けられました。1949(昭和24)年には商学部教授となり,1953(昭和28)年にはドイツのスツッツガルト工科大学に留学し,カール・ピラート教授の研究室で交通及び交通政策を研究,特に海運政策に対する研究に中心が置かれていきました。

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