2.商学部の創設と交通論
校友実業会総会が開催された同年,専門学校令が公布され,明治法律学校は明治大学と改称しました。翌1904(明治37)年4月には学則が改正され,法学部・政学部・文学部・商学部が設けられ,総合大学の基礎が築かれました。 商学部の創設には,東京高等商業学校の教授陣が深く関わっていました。東京高等商業学校は,当時の優良校であり,その教授陣のほとんどすべてを明治大学商学部が講師として網羅していたことは,誇るべきことであったようです。その中で,商学部創設と同時に交通関係課目がいくつか設置されています。 明治大学商学部の交通学は,関一先生によって始められました。関一先生は日本に交通学を輸入し,その基礎を築いた人物です。第2・3学年で「鉄道」を,第3学年では「経済政策」を担当しています。(1904年〜1914年) 同時期に「海運」及び「海上保険」を担当したのが村瀬春雄先生で,1904年〜1909年まで同科目を担当し,その後「海運」は堀光亀先生が担当することになりました。(1907年〜1920年) 関一先生や堀光亀先生などの東京高等商業学校の講師陣によって商学部における交通学講義の基礎が築かれましたが,大学出身者による交通学研究は1918(大正7)年に講師となった太田黒敏男先生,1931(昭和6)年に就任した麻生平八郎先生によって本格的に進められることになります。 |