Events and Symposium


スミソニアン-明治オンラインセミナー
    /Tuesday Morning Museum Seminars in Tokyo (via Zoom)

[In English, Click HERE]
2020年11月よりスミソニアン協会と明治大学との連携でZoomを活用した博物館の専門家による合同の連続セミナーを開催しています。セミナーでは東南アジアにおける保全の取り組みから、サウス・ダコタ州のレッド・クラウド酋長の壁に掲げられた侍の刀にまつわる話まで、博物館運営や文化財保存についてユニークな視点からの議論が交わされました。

本サイトでは録画した各セミナーを閲覧していただくことができます。

ちなみに、セミナーをはじめとした今後の連携講座については、確定次第、本サイトをはじめ発信させていただきます。当面の間、お問い合わせはいつでも右記のメールアドレスまで気軽にください:islands@meiji.ac.jp

主催:スミソニアン・国立自然史博物館アジア文化史プログラム、明治大学島嶼文化研究所、後援:在日アメリカ大使館

(YouTubeはこちら) 2020年11月14日:Paul Michael Taylor, Robert Pontsioen(スミソニアン協会)
コメンテーター:佐々木憲一(明治大学文学部)
モデレーター・通訳:山田亨(明治大学文学部)
スミソニアンと日本:過去、現在、そして、これから

今回の公開セミナーでは、スミソニアンのアジア文化史プログラムよりPaul Taylor氏とRobert Pontsioen氏を迎え、スミソニアンの国立自然史博物館(National Museum of Natural History)にある世界各国から集められた所蔵物の中から、日本に関連のある所蔵物にまつわる議論をする。

(YouTubeはこちら) 2021年3月30日:Douglas Mudd(Edward C. Rochette 貨幣博物館)
物質文化としての貨幣:貨幣博物館のキュレーションとコレクション

貨幣は何千年も前から存在し、様々な形態で存在してきた。金属が貨幣として使われるようになる以前には、貝殻、羽、牛、さらには、石などが使用されていた。しかし、いずれも耐久性に乏しかったり、小さな通貨単位に分割することができなかったり、また、運搬が難しいなどの欠点があった。紀元前2千年頃、アジア、北アフリカ、そして、ヨーロッパでは、特に貴金属(銅、銀、金)に関する冶金学が普及したことにともない貨幣革命が起こる。紀元前1千年紀初頭、これらの金属は棒や線、(銅やその合金である青銅などの)道具、あるいは宝飾品といった形態で、小アジアやレバントからインドや中国、さらにはイタリアやエジプトに至る広大な地域での交換手段となった。しかし同時に、交易のための計量や装飾品、そして、便利な道具といったかたちで金属はまだ伝統的な方法で使用されており、貨幣としての定まったかたちや用途はなかった。千年紀半ばに小アジア、北西インド、中国で貨幣が独自に発明されたことは、物質文化としての貨幣に大きな転換点をもたらした。硬貨は、一定の重さと純度を持つ金属片として、そして、通貨単位として用いられ、それに発行者を示す印を組み合わせることで、貨幣の使用、識別、規制が容易になった。これにより、硬貨は名もない地金ではなく、それを発行した文化を識別する重要な手がかりとなった。紀元前7世紀後半に古代ギリシャがリディアの硬貨を採用したことで、考古学的遺跡の識別や年代測定に硬貨が重要な役割を果たすようにもなった。 2,600年前から大量に生産されてきた硬貨は、耐久性も高いことから、歴史的な遺物の中で最も普遍的に発見されるものとなっている。硬貨に刻まれたシンボルや文字を理解することで、硬貨はまさに「手の中の歴史(history in your hand)」となるのである。

(YouTube はこちら) 4月6日:Jasper Waugh-Quasebarth(オハイオ州立大学)
コミュニティ・エスノグラフィーと持続可能な関与:アパラチアにおける事例

工芸品の研究には、どのような共同作業の可能性があるのだろうか?工芸品研究からどのような教訓をコミュニティ・エンゲージメント・プロジェクトに応用できるのだろうか?本報告では、コミュニティとの持続可能な関与をどのように維持していくのかということを理解するための実践的なエスノグラフィのケーススタディを議論する。楽器などの工芸品から地方空間の変化まで、コミュニティへの関与や協力が文化遺産に関わる相互にとって有益で持続可能な作業のために、いかに新しい可能性を開くかを探る。本発表は、経済的・社会的状況の変化により、多くの人々が不確実な将来に直面しているアメリカのアパラチア地方でのフィールドワークを基礎にしている。地元の森から楽器を作成し地元の経済を立て直すという、場所をベースにしたアプローチがこの研究の中心である。本報告では、研究者個人や組織的なレベルで、個人やコミュニティとの長期的な関係を持つ研究で生じる方法や疑問も論じる。

(YouTube はこちら) 4月20日:田中裕二(静岡文化芸術大学)
博物館活動の資金調達とファンドレイジング:スミソニアンでの研究と江戸東京博物館での経験から

本報告では、国立自然史博物館(スミソニアン)での調査・インタビューと江戸東京博物館での業務経験をもとに、日米の博物館における資金調達のアプローチと戦略の現状を概観・比較する。博物館における展示やプログラム、また、その他の活動への助成を提供する外部組織の役割など、2か国間の比較をもとに博物館が直面している資金調達の問題に対する様々な解決策を検討する。本報告は、文部科学省の助成を受け実施された調査に基づいている。

4月27日:Robert Pontsioen(スミソニアン協会)
スミソニアンのサムライ・ミステリーの解明:「生人形」の紛失と発見

1893年に開催された世界でも類を見ない大規模な博覧会だったシカゴ万国博覧会。この万国博覧会に自国の歴史と文化を紹介する目的で、美術品や工芸品などが日本から送られた。その中には、日本独特の美意識を表現した8体の「生人形」のなかに、興味深い侍の生人形があった。スミソニアン協会は博覧会終了後にこの侍の生人形を購入し、国立博物館で断続的に展示した。しかし、展示から外された後、この生人形は姿を消したため、何十年間、紛失したと思われていた。本報告では、最近になって再発見したこの侍の生人形に関わる分析とともに、19世紀末の日本とアメリカの芸術的・文化的環境における生人形の位置づけについて探る。

(YouTube はこちら) 5月18日:Hanna Szczepanowska(ウエストバージニア大学)
ラタン椰子の保全科学: シンガポールとアメリカからの視点

ラタン椰子は、東南アジアの熱帯地方に生息するヤシ科の植物で、儀礼、宗教、実用、芸術といった様々な目的のための素材として供給されてきた。シンガポールの美術館やスミソニアン博物館にはラタン椰子を用いた現代美術品や工芸品の展示があるなかで、スミソニアン博物館の収蔵品からは、ラタン椰子の並外れた特性を見ることができる。ラタン椰子美術品・工芸品の美しさと価値は、その外観によって決まることから、その特性を理解することは、情報に基づいた保全の戦略を立てるのに不可欠である。それでは、ラタン椰子をどのように識別するのか?何がその外観を定義するのか?ラタン椰子の形態と外観の化学的性質は、多面的な分析法と実験方法によって特徴づけられる。本研究では、ラタン椰子の光沢のある表面を構成する生物源ケイ石は、ミャンマー、インドネシア、カンボジア、マレーシアといった地域から得られた新鮮なサンプルより分析を行い、そして、歴史的工芸品として用いられるラタン椰子と比較を行った。珪酸質層に直接影響を与えるラタン椰子の加工方法は、東南アジアでのフィールドワークにおいて記録することができた。上記の研究、および、生物源珪酸質層の化学的分析は、博物館におけるラタン椰子の芸術品や工芸品の保存に関する基礎を提示する。

(YouTube はこちら) 5月25日:Curtis Sandberg(Apablasa Global Connections - Strategic Cultural Engagement)
ホワイトハウスの考古学者:物質文化としてのホワイトハウス・コレクション

ホワイトハウスの機能や意味は、人々によって多様な解釈が導き出されている。アメリカの通貨に印刷されたり、映画で描かれたり、テレビで放送されたり、美術品に含まれたり、ホワイトハウスは有名な象徴でもあり、至る所で目にするイメージでもある。実際のところ、ホワイトハウスは3つの機能を有している。オフィスであり、式典の場であり、大統領の住居であり、そして、博物館でもある。また、博物館としてのホワイトハウスの特色は、その家具や装飾品、美術品といったコレクションに見ることができる。ホワイトハウスでは、学芸員部局が研究と保存を監修し、広報機関がその歴史と居住し職務に従事してきた大統領とその家族、そして、スタッフの生活の記録をおこなっている。本報告では、ホワイトハウスの収蔵品を取り上げ、その発展を検証し、美術史というよりも工芸品に焦点を当てながら展示品や建物自体を考察する。ホワイトハウスと所蔵品は、アメリカの歴史や社会、そして、文化にかんする議論の基礎として捉えらることができる。本報告では、建物のデザインを検討するとともに、さまざまな時代を代表する作品も検証することで、世界中の人々にとってのホワイトハウスの意義を探る。本報告を通じて、各国の専門家たちと、それぞれの指導者の住居をどのように管理し、どのように伝えているのかという議論を交わすとともに、国境を越えた協力を促進できればと思っている。

(YouTube はこちら) 6月8日:佐々木憲一(明治大学文学部)
日本における考古遺構の管理

日本では46万件以上の考古遺跡が登録されており、毎年約9,000件の発掘調査が行われている。本報告では、埋蔵文化財の管理制度とその実践について紹介する。日本における発掘調査の96%以上は、開発工事やインフラ整備の前に行われている。つまり、これらの遺跡は発掘後に取壊され、その代わりに遺跡の発掘調査報告書がまとめられる。例えば、高速道路の建設に先立って行われる大規模な発掘調査は、半年以上の期間が必要とされ、その結果5トン以上の土器片が出土する。このような大規模な発掘調査では、報告書が発行されるまでに、遺物整理・図面作成に2年以上の期間が必要となる。発掘、遺物整理、出版にかかる費用は、日本円で6億円以上(アメリカドルで500万ドル以上)に上ることもある。そして、発掘調査や遺物整理室での分析に携わる都道府県や市町村、自治体が設立した発掘・調査専門の独立組織、そして、民間の発掘調査会社が発掘に関わる責任を担うことになる。どの組織が発掘を行うかは、発掘の規模や土地の所有者が誰かのほか、自治体における文化財担当の専門職員の有無といった地域的な事情にも左右されるのである。

(YouTube はこちら) 6月15日:Hanna Szczepanowska(ウエストバージニア大学)
ベトナム、カンボジア、ミャンマーの森林や工房で採取された東南アジアの漆の化学的分析

漆は何世紀にもわたって、東南アジア全域で実用品、装飾品、儀礼用の道具に使用されてきた。本研究では、まず、ベトナム、カンボジア、そして、ミャンマーにおける漆の採集方法と工房での使用方法を記録した。また、研究対象である森林や工房での観察結果と、フーリエ変換赤外分光法(FTIR)、熱分解ガスクロマトグラフィー/質量分析法(Py-GC-MS)、走査型電子顕微鏡-エネルギー分散型X線分光法(SEM-EDS)を用いた漆の分析結果を組合わせ分析した。ベトナムのアンナンウルシ(Toxicodendron succedanea)からのラッコール(laccol)、ミャンマーのブラックツリー(Gluta usitata)とカンボジアのカンボジアウルシ(Gluta laccifera)からのチチオール(thitsiol)など、3種の異なる樹種からの漆を同定した。また、いくつかの有機および無機の添加物も特徴づけらた。本研究の目的は、東南アジアにおける漆の調達と加工方法の地域的な違いについての知識に貢献することである。

(YouTube はこちら) 6月22日:Cesare Marino, Paul Michael Taylor, Robert Pontsioen(スミソニアン協会)
レッド・クラウド、ドッグ・チャイルド、そしてインディアン・カントリーにおけるサムライの「ロング・ナイフ」

本報告では、1890年代に撮影された、大草原地帯北部の北米先住民と日本の刀(samurai swords)を撮影した2つの不思議な記録写真を再検討・再評価する。どちらの写真も出版されているが、19世紀の先住民の所有物の中でも解説のない魅力的で奇妙なものとして紹介されている。サウスダコタ州パインリッジ居留地のオグララ・ラコタ族・レッド・クラウド酋長の家の壁に掛けられている刀は、1890年の11月か1月初旬に撮影されたものと推定され、Bleed(1987)が初めて出版したものである。2枚目の写真は、北西騎馬警察(現:王立カナダ騎馬警察:RCMP)の偵察官であったブラックフット族(シクシカ族)のドッグ・チャイルドが所有していた刀で、1890年から1894年の間にアルバータ州グライヘンで撮影されたものであり、Drew(1980)が最初に論じている。本報告では、19世紀の北米先住民の現場で唯一知られているこれら2つの文脈における刀の存在について、その背景と考えられる説明を試みる。

(YouTube はこちら) 6月29日:山田亨(明治大学文学部)
世界遺産登録にみられる文化と法律の距離:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を例に

2018年夏、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界遺産委員会に登録された。「隠れキリシタン」や「カクレキリシタン」ともいわれる潜伏キリシタンたちはその多くが信仰を公にはしてこなかったため、一般的な世界遺産に見られるような壮大な教会や世界的に知られた巡礼地といった目立つものを有してはいない。そのため、世界遺産としての登録の際、長崎県の各自治体をはじめとした関係者は潜伏キリシタンの歴史を視覚的に表象できる地域全体の地理的景観を文化財として取りまとめ、ユネスコへの申請を準備した。しかし、景観は限られた空間である博物館には収まりきらず、また、景観は一般的な文化財とは違い地域住民の生活とともに常に変化する異質な文化財でもある。長崎の各地の博物館はその景観の中に位置し、そして遺産に関わる遺物を保有していたりするものの、法的な位置づけでは世界遺産ではないというはざまに置かれている。本報告では、博物館と世界遺産としての景観の間にある距離に焦点を当てることで、遺産保存にまつわる文化財と景観、そして、国際法の関係を探る。

(YouTube はこちら) 12月14日:Robert Pontsioen(スミソニアン協会)
スミソニアンの日本コレクション(1859、1923、1965):アメリカ国立博物館における収集理由の変化

本セミナーでは、スミソニアン・国立自然史博物館で過去に展示された日本にまつわる3コレクションに焦点を当てる。この3コレクションとは:(1)マシュー・ペリー提督による外交航海の際に収集されたコレクション(1859年収蔵)、(2)1923年に寄贈された武器、衣装、装飾芸術、そして、民族学的資料等で構成されるコレクション、そして、(3)1965年にスミソニアンが民俗学者の野間吉夫より購入したコレクションからなる。これら3コレクションの特性と収集方法は、国立自然史博物館における資料収集に関する手法、目的、および哲学的基盤がどのように変化したかを提示している。

ロバート・ポンシーオン : スミソニアン協会・国立自然史博物館アジア文化史プログラム主任研究員。 研究テーマは伝統工芸職人社会におけるフィールドワークをはじめとし、伝統工芸、伝統工芸手法の再現、文化遺産振興戦略。フィールドは日本およびアジア地域の物質文化。

2022年1月11日:山内健治(明治大学)&柳沼亮寿(明治大学島嶼文化研究所客員研究員・日本国際協力システム)
岡正雄と日本の人類学&明治大学アラスカ調査の足跡

岡正雄は、戦前、ウイーンにおいて“Kulturschichten in Alt-Japan” (Cultural layers of old-Japan)を執筆し、戦後はウイーン学派の民族学の技法と米国流の人類学的手法をいち早く取り入れた文化人類学者であった。また、戦後、国際人類学会に寄与すると同時に、日本の人類学の研究機関(大学・博物館)に大いに影響を与えた。本発表は、1)岡正雄と日本の人類学を簡単に紹介した後、1960年代に岡正雄を中心にした2)明治大学アラスカ調査の足跡と成果を紹介し、現在的なその意義を議論したい。

(YouTubeはこちら) 6月21日:佐々木憲一(明治大学)
Meiji University Expedition to Alaska in 1960s

In 1960, Meiji University organized a large-scale research expedition to Alaska as part of the school’s 80th year anniversary project. A group of archaeologists were in the initial expedition. They conducted archaeological research in Alaska in collaboration with scholars and institutions in the United States. In this presentation, Sasaki will present vivid details of the Japan-US archaeological collaboration behind the expedition.