卒業生の声

2011年度 博士前期課程修了 小浦あす貴さん

数学=人+感動+自分との出逢い

小浦あす貴さん

何年経っても、「感動した」という記憶はなかなか薄れないものです。私が大学で一番に出会った感動は、1年生前期のゼミナールAという授業内のことでした。海外の小学生向けに英語で書かれたテキストを輪読しましたが、1文読むだけでも時間がかかり、なんといっても「行間」を読むことの大切さを教わりました。小学生向けのテキストですから、内容はどれも知っているものばかりでしたが、それらを改めて自らの言葉で説明し証明することは明らかに「講義」とは違うもので、準備にかけた時間に比例して高い満足感と感動が得られたことを今でも鮮明に覚えています。

もともと代数系の勉強がしたいと思い数学科へ進学を決めたのですが、ゼミナールAで出会った後藤四郎教授に感銘を受け、後藤研究室で博士前期課程を修了するに至りました。

学部時代の感動体験は、その後も2年前期「複素関数論」での三角関数の微分の証明や、3年前期「代数学」での局所化の話など、さまざまです。後藤研究室へ配属されてからはやはり感動に出会う機会も増えましたが、同時に苦しさを覚える時もありました。自分が行なってきた勉強法を含め、これまでの考え方だけでは到底「研究」には辿り着けないこと痛感しました。しかしその壁を乗り越えるのも、また自分自身にしかできないこともわかります。それはゼミでの指導教官の厳しく手厚い指導はもちろん、親身に相談に乗ってくれる先輩方とのやりとりの中で徐々に越えていくことができました。また、非常に恵まれた環境を整えていただき、国内外の多くの研究集会に参加し“世界”を感じたことも意識を高く持てた要因です。大学院の2年間では、確実に価値観が変わったと思います。大げさに聞こえるかもしれませんが、後藤研究室で数学という学問はもちろんのこと、数学の美しさや厳しさ、学びに対する姿勢、ひいては生き方までをも学ぶことができたと感じています。

「『学び』とは、現在とは違う自分へと離陸することである」いま私は教職に就いていますが、そこで耳にした言葉です。私にとって明治大学数学科で過ごした6年間は、まさに『学び』そのものであったと感じてやみません。

明治大学数学科では、“大学に入った時点からの”向上心に応じていくらでも面倒を見てくださる教授陣や先輩方が待っていてくださいます。数学に興味がある皆さん、ぜひ明治大学数学科の一員になりませんか。きっと、自分の生きる道が見えてくるはずです。

居相真一郎さん

投げ飛ばされたらその分でかくなって帰ってくればいいじゃないか

居相真一郎さん

私は武道も学んでいました。武道とは、何が一番大切かを捉え、その一点に力を尽くしてゆくことだと思っています。順序が重要です。先ず、何が一番大切かを捉える事、それは「自分の本心」を観定める事だと思うのですが、そこから生まれる「本気」をもって、その次に力を尽くせば、大きな力が出るでしょう。もちろん、そのようにしても志が成就するとはかぎりませんが・・・。もし志が倒れたらどうするか。そのとき、武道はまた志を立てて進んでゆく。

月に雲がかかって見えないように、「自分の本心」を明らかにしている大学生は少ないように思えます。私が大学2年の時、アルバイトをしていた居酒屋で、店長の大将から「お前、なにこんな所で燻ってんだよ。」と怒られたことを懐かしく思い出します。深夜、仕事が終わると大将と二人で酒を酌み交わすのですが、いつものように「お前の話はうすっぺらいなぁ」と口火を切って、大将が語ってくれます。

「人は8歳ぐらいから記憶が残っていてね、そうすると二十歳の君の中にはだいたい12年間の君があるわけだ。でもね、人生のある期間、君で言えば、いまの大学の2年間かなぁ、そのときは金も情報もいっぱい入ってくる。それで飽和状態になってしまう。そうなってしまうとね、“その期間だけの人間”になってしまうんだ。小学校からの10年間を忘れてね。内に2年間しか持たない学生のうすっぺらさは俺には良く分かる。ふわふわしていて、昨日覚えたような話しかしないしな。お前は12年間全部を使って向かってこいよ!ワッハッハ。お前の12年間なんてたいした事ないのは分かっているよ。でも、そんな12年間でも全部を一つにして向かってくるやつは強いと思うし、いいも悪いもその12年間が君のすべてなんだ。お前が言う「自分の本心」は外には無く、その12年間の内にある。その12年間全部を使って見つけろよ。」

これを読んでくれている方が、数学科という特殊な学科を選ぶのは、「数学へのあこがれ」が心の奥底にあるからだと思います。数学に挑戦したい、それが「自分の本心」として定まるなら、そこから生まれる「本気」を大事にして前へ一歩踏み出してください。その「本気」を「本気」で応えてくれる先生方が明治大学数学科にはいらっしゃいます。もしかしたら先生方の本気の強さで投げ飛ばされてしまうかもしれませんが・・・。「投げ飛ばされたらその分でかくなって帰ってくればいいじゃないか。」これは数学科の先輩から伝えてもらった言葉です。いまもその声をよく思い出しています。

齊藤宣一さん(東京大学大学院数理科学研究科 准教授)

将来のそして現役の後輩達へ

齊藤宣一さん

私は,現在,東京大学大学院数理科学研究科で,准教授として,講義,院生の研究指導,そして自分自身の研究に従事しています.しかし,1991年(もう20年も前のことです)に明治大学理工学部数学科に入学しときは,自分が,将来,研究者や大学の先生になるということは想像もしていませんでした.

私が,大学に入学したときは,世の中にはまだバブル景気の余韻が残っていて,生田キャンパスにおいても,有名企業から複数の内定をもらうのが当然というのが常識でした.ところが,2年生になると,世の中は不景気に一転し,一年前の状況は夢のようでした.そういう世の中の変化を教訓にした訳ではありませんが,私は,大学では何かを勉強しようと思っていたので,当時の標準的な(明治大学とは限らない)大学生と比較すると,変わっていたかも知れません.とはいえ,私は,決して勉強熱心だった訳ではなく,ただ,大学に入学するまで,形式的な受験勉強以外には,まともに勉強したことがなかったので,格好よく言えば,知性や教養に飢えていたのだと思います.数学科を選んだ理由も,4年間勉強をするのに,性に合わないことは辛いだろうから,好きなことをしよう,と思ったからで,とくに明確な問題意識があったわけではありませんでした.当時,数学科は,創設3年目で,卒業生どころか,4年生も居ない若い学科であり,先生も若い方ばかりでした.これは私にとっては幸いなことでした.すなわち,発展途上の数学科の中には,私にとってちょうど居心地が良く,結果,学科の成長に,私自身の成長が引っ張られたのだと思います.それで,その後もいろいろあり,現在に至っています.人生,何が起こるか分からないものだとしみじみと実感しています.

高校生そして大学生の皆さんの中には,大学に入学すると,自分の将来がもうほとんど決まってしまうと感じる人もいるでしょう.だとしたら,それは大きな間違いです.かつての私がそうであったように,皆さんの将来はまだ何も決まっていません.そして,明治大学で過ごす一日一日が,皆さんの将来に大きな影響を与えるものであって欲しいと,私はそう願っています.

以上

山田欣司さん(東京農業大学第二高等学校 教諭)

数学科での思い出

早いもので教師として社会に出て15年位経ちますが、大学当時の思い出は、つい先日のことのように思い出されます。そのくらい明治大学数学科での活動は充実していたのだと思います。

私は数学科3期生として入学をしましたが、大学院の同期としては、北海道教育大の居相准教授や東大大学院の齋藤准教授がおり、今も現役で研究者として活躍されています。

このような仲間と楽しく過ごせたことが、とてもいい思い出になっています。

当時ゼミは4年生から始まっていましたが、ゼミに参加することによって、数学の問題を解くことと、数学を学ぶこと・教えることがまったく違うということを、はっきりと気づかされました。私自身の気づきは遅いのかもしれませんが、数学科では4年生くらいになってやっと何をやっているか理解したり、楽しくなったりするのだろうと思います。

大学院では幾何系に所属していました。偶然にも同期や一つ下の4期生で他に幾何を学ぶ人がいませんでしたので、M2のゼミでは私1人に対して服部・佐藤・阿原各先生3人を独り占めさせていただきました。さすがに3人の先生方の前で話すのはいつも緊張しましたが、先生方にはとても親身になって指導していただきました。さらに時間外にも、佐藤先生に4年生のゼミで終わらなかった教材を、私一人のために時間を作っていただき終わらせたり、阿原先生には院でのゼミの内容の相談やゲームの話をしたりしました。

数学科ゼミのシステムは、当時とは違いますが、先生方の親身の姿勢は今も変わらないと思います。

早坂太さん

近況報告,そして後輩たちへのメッセージ

早坂太さん

● 近況報告

私は現在、鹿児島高専で数学の教員をしています。鹿児島高専は、鹿児島県霧島市にある高等専門学校で、中学校卒業者を受け入れ、5年一貫の技術者教育を行っている学校です。2010年4月に鹿児島高専に来て、今年で3年目になります。自然豊かで気候も人も良いここ霧島の地で、元気で素直な学生達とともに、毎日忙しくも、高専での教育・研究に励み、充実した日々を送っています。

● 数学科に進学してくる未来の後輩たちへのメッセージ

明治大学理工学部数学科での4年間を大切に過ごして下さい。数学科に来れば、数学をしている人(数学者)と接することができ、その活動の様子や数学が発見・創造される過程を近くで見ることができます。見るだけでなく、勉強を重ねることで、その喜びを追体験することができます。自ら発見する喜びを味わえることもあります。数学科に進学し、このような営みの中に身をおき、熱意をもって数学に取り組むことは、将来どのような職業についたとしても貴重な財産になると思います。

工藤丈征さん

近況報告,エピソード,そして後輩たちへのメッセージ

● 近況報告

現在、静岡県浜松市のソフトハウスで、エンジニアをしております。

大学で学んだことを、直接、生かすことは、ありませんが、主にCAD関係のソフトを製作しているので、幾何学、数値解析、(品質管理という意味で)統計学を使うことがあり、数学とは、それなりに、縁のある仕事をしています。

● 学生時代で,印象に残っている思い出とかエピソード

応用数理学会で発表したことです。入試の成績も良くなかったですし、そんな場で発表ができるようになるとは、入学当時は全く思いもしませんでした。御指導頂いた先生方に感謝です。

● 数学科に進学してくる未来の後輩たちへのメッセージ

自分が面白いと思ってやり続けたことは、将来、役に立つ場面が出てくるものだなと感じることが多々あります。学生時代に、そういうものを見つけて欲しいと思いますし、それが数学に関することであれば幸いです。

坂本聡さん

1期生からのメッセージ

坂本聡さん

● 「自分の内面を育てる」

ここ近年のインターネットの普及により「検索する」ことで何でも情報が得られるようになりました。 「記憶しておく」ことがそんなに重要でなくなったことは大変喜ばしいと私は思っています。 私の小・中・高校時代の教育が大変な「記憶偏重」の部分があった事が今となっては苦々しく思い出されます。 それでは「記憶する」ことではなく何が大切になってくるのかというと 「判断する・考える」ということももちろん確かにあるのですが「自分の内面を育てる」ということではないでしょうか。 数学を真に学ぶことは「自分の内面を豊かにする」と私は思っています。

● 「数学は言語である」

これから数学を学ぶ皆さんに何かメッセージできることがあるとすれば それは「数学は言語である」という事です。

「公式」は何か独立してあるのではなく、数学の物語の一部であり、その重要な部分にフォーカスした「命題・定理」ということです。 あなたがこれから数学の本を読む時や数学の講義を聞く時には いったい今は「数学語による理論の提示がなされている」のか あるいは今は「日常語による解説がなされている」のかを明確に区別することは あなたの数学を育てていくことに意味のある方法となるでしょう。

そして「数学・言語の文法は論理である」ということになるわけですが、その前に。 ぜひ、数学語の中にある「すべて」と「存在する」という言葉の意味を深く考えて欲しいと思っています。 移ろいゆくこの世界においてなぜ「すべて」などと言えるのか? それを見たわけでもないのになぜ「存在する」などと言えるのか? その過程において「背理法」さらには「数学的帰納法」への理解が深まるでしょう。 また「集合論がなぜ必要だったのか」という事への理解も深まるでしょう。

● 「計算しない数学」のエピソード

話がかなり飛んでしまうのですが、 私が学生だったかなり初めの頃に、ある時、後藤四郎先生が講義のなかで「われわれのやろうとしている数学は計算しない数学だ」とおっしゃいました。 その時のショック・衝撃を今でも覚えています。計算することが苦手だった私はやってみたいと思いました。(←笑うところです) それからずいぶん時が経ってわかったのは、「計算しない」ということは「本質を抽出する」という事でした。 「本質を抽出する」という意味は、そのひとの内面の数学的事象と経験からだけではなく、人類・自然・歴史の積み重ねてきた数学的事象と経験から「本質を抽出する」ということです。

それでは あなたが<自分の内面に数学を育てる>ことが真に実りあるものになることを願ってやみません。

1999年度博士前期課程修了 原井川聡さん

後輩へのメッセージ

私の明大数学科生活を一言でいうと『思考の深化』に触れられたことだと思います。 自分が知りたいと思ったことに対してまっすぐに、深く考え抜く。結果として、数学を通して自分と正直に向かい合え、充実した時間を経験できました。

現在はシステム開発の仕事に従事し、日々いろいろなトラブルを経験してきました。 発生するトラブルは多種多様ですが、根本的に原因の追究と対策案の作成において、明大数学科での経験は大いに役立っています。

後輩の皆さん、社会へ旅立つ前に明治大学数学科で自己深化を経験してみませんか?