シェフィールド便り(6・最終回)ボキャ貧首相にクロスワードパズルを

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第6号(1999年1月)掲載

 「そろそろ次の《シェフィールド便り》のことを考えなきゃなあ。あと何回あるんだっけ。もうネタ切れだわな、、、」こんなことを悩みながら図書館から帰ろうとしていた。その出口のゲートのところに、いつものおじさんがすわっている。本のバーコードをスキャンして貸し出しの手続きをしてくれるのだ。その彼がえんぴつを片手に熱心に新聞に目を落としていた。「これこれ仕事中でしょ」ということばをぐっと飲みこんだ。「これは使える!」とひらめいたからだ。

 くだんのおじさんは記事を読んでいたわけではない。新聞に載っているクロスワードパズルを解いていたのだ。イギリス人はクロスワードパズルが大好き。列車に乗れば、1両の中できっと何人かは新聞のクロスワードパズルと格闘している。これはもう賭けてもいいくらいだ。イギリス軍がイラクを爆撃した(抗議!)とき、高級紙から大衆紙まで全国紙7紙を買い集めてみた。見事に12月18日付の全紙にクロスワードパズルがある。

 読者層の違いを反映してその難易度も異なる。高級紙はむずかしく、大衆紙はやさしい。たとえば、もっとも長い伝統を誇る高級紙『タイムズ』のむずかしさは有名で、自分は『タイムズ』のクロスワードが解けるんだ、ということは語彙力の自慢になるらしい。どんな単語が答えとして求められているのだろうか。前日の解答がいっしょに掲載されるので、それをご紹介しよう。

 TRICEPS(上腕三頭筋) ROSEHIP(野バラのうれた実) CAJUN(米国ルイジアナ州に住むAcadia人の子孫) ICH DIEN(ドイツ語で「私は仕える」・英国皇太子の標語) GINRUMMY(トランプ・二人で行うrummyの一種)

 最後のものなど、ではrummyとはなにか、もう一度辞書を調べなくてはならない。一方、「10歳の子どもでも読める」といううわさの大衆紙『サン』のものはどうか。ご丁寧なことに、一つの答えを考えるのに二つもヒントをくれる。たとえば「ヨコの16:昔も今も日本の通貨・あこがれること(3文字)」。答えはもちろん「YEN」。YENには「あこがれ」という意味もあったのか!

 『タイムズ』、および同じく高級紙の『ガーディアン』には、通算何題目の出題かナンバリングが打たれている。『タイムズ』は12月18日分で20978題目、『ガーディアン』に至っては21461題目。毎日出題されてきたとして、単純計算で『ガーディアン』のクロスワードは58年以上の歴史をもつことになる。よく題材が尽きないものだ。

 いずれにせよ、イギリス人はこうして毎日語彙力を鍛えている。語彙力はその人の教養や見識を測るバロメーターになっているのだ。日本の新聞もクロスワードを毎日載せて、国民の語彙力ひいては民度の向上に貢献してはどうか。それは大げさとしても、長時間通勤の苦痛を多少なりとも緩和する足しにはなろう。

 「ボキャ貧首相」ということばが流行語になる事態はもうやめにしたい。そのためには、われわれ一人ひとりが語彙力の重要性にもっと目を向けるべきではないか。こまめに国語辞典を引き語彙を増やしていく楽しみにようやく気づいたのが、私の「在外」研究の最大の収穫だったかもしれない。


 *家庭の事情で急遽、在外研究をここで打ち切らざるを得なくなりました。そこでこの連載も今回かぎりとします。最後は少々息切れしましたが、穴をあけることなく続けてこられてよかったです。これも森田代表はじめ皆様の温かい励ましのおかげ。深い感謝を意を捧げて連載終了のごあいさつに代えたいと思います。ありがとうございました。


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