シェフィールド便り(5)歩きながら食べよう

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第5号(1998年11/12月)掲載

 イギリスに来ていろいろ驚くことはあったが、食文化について受けた衝撃もハンパなものではなかった。リンボウ先生の『イギリスはおいしい』(文春文庫)をはじめ、イギリス料理のレベルは日本でもよく知られているので、覚悟はしてきた。それに関しては、「地球上で唯一、料理に美味と芸術性を求めない」という評価が誇張でもなんでもないことがわかった、というにとどめる。実は私がもっとショックを受けたのは、その食べ方である。

 子どもの頃、食事時の行儀のことはうるさくいわれた。食べる前には手を洗いなさい、食べるときはきちんと座って、食べはじめるのはみんながそろってから、ごはんつぶは残さないように、などなど。しかし滞英して、これらにまったく普遍性がないことに気づかされた。

 もっとも代表的なイギリス料理といえば、フィシュアンドチップスだろう。手元の『ジーニアス英和辞典』(大修館)で「fish and chips」を引いてみると、「魚(主にタラ)のフライと棒型ポテトフライの組合せ、英国の大衆的なFAST FOODで・・紙に包んで売られ、歩きながら食べる」とある。この語釈はつくづくよくできていると思う。そう、彼らは歩きながら食事をするのだ。

 日本のような手頃な定食屋はこちらにはない。外食するなら、高いレストランに行くか、パブで酔っぱらいに囲まれながらゲレ食ならぬパブ食をとるしかない。それに代わって発達しているのが、TAKEAWAY(持ち帰り専門の料理店)。とりわけフィシュアンドチップスの店は、日本のコンビニのようにそこここにある。

 むろん客の中には家に持ち帰って食べる人もいることだろう。しかし、断然目を引くのは、店を出たとたんにその包みに指をつっこみ、歩きながらつまんでいる姿だ。食べ終わる頃には、手は油でぎとぎとになってしまうが、そんなことに頓着するヤワな人々ではない。

 フィシュアンドチップスに限らずなんでも、またどこでも彼らは歩きながら食べてしまう。あるときバスに乗っていたら、途中でスーパーの袋を抱えた男性が乗ってきた。彼はバスに乗り込みながら、もうそのスーパーで買ったばかりのパンを手でちぎって食べているではないか。私はあいた口がふさがらなかった。

 かくして街のあちこちで人がものを食べているという奇妙な光景がひろがる。来た当初は、「行儀悪いなあ」という言葉が反射的に出たものである。確かに日本でも繁華街へ行けば、歩きながらファーストフードをほおばる若者は大勢いよう。しかし、こちらでは老若男女を問わないのだ。ビジネススーツできめたイギリス紳士だろうが、いいトシをしたおばさんだろうが、、。また、イギリスではシャワーとよばれるにわか雨がよく降るが、まさに「アメニモマケズ」彼らは食べ続ける。

 そして、いちばん心が痛むのは、食べ残したチップスやクリスプス(フライドポテトのことをチップスといい、日本でいうポテトチップスはクリスプス crisps という。)などが道ばたに散乱しているのを見るときである。食べ物は大切にしたい。

 というわけで、私に刷り込まれた食事に関する固定観念はズタズタにされた。イギリスに学ぶべき点は多い。だが、この食文化だけは NO,THANK YOU だなあ。


 *この拙文にしばしば登場する友人のポールに前々回の文章を見せたら、次のように指摘された。「tennis」に近い発音をカタカナで表すと「テニス」より「テナス」になるとあるが、それは違う。「ni」の音は確かに「ニ」と「ナ」の中間音だがむしろ「ニ」に近い。従って「テニス」にすべきだ、と。生兵法は大怪我のもと。反省します。


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