現代日本の官僚支配―「技官」の視点から考える

   西川伸一  *『QUEST』第22号(2002年11月)掲載

はじめに

 本誌第21号(2002年9月)掲載の辛島理人「大学はどうなっているか、どうなるか?」の冒頭部分(33頁)をまず引用する。

 「財務省主導の「財政再建原理主義」、このようにささやかれる昨今の緊縮財政にあって、大都市圏にある国立大学はバブルともいうべき状況である。行方を失った公共事業が大学に行き場を求めている。工事現場のない国立大学は皆無だ。」

 国立大学の施設整備を担当するのは、文部科学省大臣官房文教施設部の官僚たちである。

 また、私事で恐縮だが、9月初旬に長女がある国立病院に入院した。その病院の敷地内では病院付属の研究所の建設工事が進んでいた。建設現場には、「設計 厚生労働省健康局国立病院部経営指導課」「監理 厚生労働省関東信越厚生局病院管理部施設整備課」と掲示されていた。

 文部科学省、厚生労働省ともに、公共事業とは縁遠いと考えがちな省庁である。だが実はレッキとした公共事業官庁の顔をもつ。いったい全国に国立大学や国立病院がどれくらいあることか (答えは国立大学99:2002年5月1日時点、国立病院184:2002年7月1日時点)。そして、公共事業を事実上切り盛りする官僚たちは、「技官」とよばれる。

「技官」とはいかなる官僚か

 国家公務員採用試験はさまざまな試験の区分に従って行われる。2002年度のT種試験では、13の試験区分があった。もちろん、試験の区分ごとに試験科目は異なる。受験者はこのうち一つを選んで受験する。そして、「行政」「法律」「経済」を除く10の試験の区分を「技術系試験区分」という。

 簡単にいえば、「技官」とはこの「技術系試験区分」(「理工T(一般工学系)」「農学T(農業科学系)」など)で受験し合格し、各省庁に採用された官僚たちのことをさす。あるいは、理科系出身の技術畑の官僚たちと言い換えてもよい。これに対して、「行政」「法律」「経済」の3区分によって採用される文科系の官僚たちを事務官という。

 ついでながら、国家公務員採用試験では、試験の合格は採用を意味しない。試験を行う人事院は合格者を発表するだけで、各省庁がその合格者のなかから採用予定者を決定する。T種試験の場合、例年、合格者のなかで採用される者は半分ほどでしかない。私のゼミの昨年度のある卒業生は、 2001年度のT種試験法律職に合格し、その席次は合格者310名のなかで48番であった。しかし彼はどこの官庁からも採用されなかった。そこでものをいうのは、どこの大学出身かという学校歴である。(これについては、拙文「まず学校歴の前例主義をやめよ」を参照されたい。)

 キャリア官僚といえば、東大法学部卒の事務官をすぐに連想する。彼らは、ポストを2年周期で異動し出世の階段をかけ上っていく。頻繁に異動を繰り返しゼネラリストとして育てられる。ところが、実は数の上では技官の方が多数派である。 1996年度から5年間の省庁別採用状況を集計すると、防衛庁および外務省をのぞく1府10省庁で、キャリア事務官は1049名に対して、キャリア技官は1560名。「技官率」は約60%となる。とりわけ、国土交通省および農水省にはキャリア技官が多い。2000年度では、国交省で事務官33名に対して技官74名、農水省に至っては事務官11名に対して技官114名が高級公務員の卵として入省した。

 もちろんキャリア技官の異動も激しいが、農水省ならばたとえば農業土木一筋、国土交通省ならば「川屋」(河川局)、「道屋」(道路局)と俗称されるように、それぞれの専門分野のなかでステップアップしていく。スペシャリストといってよい。

 筆者は『官僚技官』(五月書房)という本を今年2月末に刊行した。その前後から、「技官」に迫った記事をよく見かけるようになった。

 朝日新聞では、昨年10月29日から5回にわたって「土建国家の終章 技官の転落」が連載された。これは、兵庫県芦屋市の助役に出向した旧建設キャリア技官が、昨年はじめに発覚した同市汚職事件で逮捕されるまでの「転落」の経緯を描いたものである。毎日新聞は、毎週月曜日掲載の「理系白書」において、霞が関における文系優位・技官冷遇を取り上げた(2002年3月25日)。そして、読売新聞は横浜市長選で旧建設キャリア技官出身の現職が敗れたことにつき、「技官型首長」の役割に疑問を投げかけた(2002年4月2日)。

 また行政学の専門家も最近、技官に着目している。今年3月下旬には新藤宗幸・千葉大教授の『技術官僚』(岩波新書)が出された。加えて、今年5月に福島大学で聞かれた日本行政学会では、藤田由紀子・専修大専任講師が「行政における専門性――技官制度に関する分析視角」と題した報告を行っている。

 技官の「露出度」はなぜこのように上がったのか。背景には公共事業のあり方を見直そうという近年の気運の高まりがあることは疑いない。族議員がよく問題にされるが、公共事業についてより注目されるべきなのは、族議員と強く結びついた“族技官“の存在であろう。「公共事業の中心に技官がいる」とさえいわれる。

技官と公共事業

 典型的な公共事業官庁といえば、国土交通省と農水省である。国土交通省は周知のとおり、建設省、運輸省、国土庁、そして北海道開発庁といういずれも「札付き」の公共事業官庁が統合されて生まれた巨大公共事業官庁である。農水省も農業土木省といってよいほど、農村版公共事業=土地改良事業を全国展開している。たとえば、諌早湾干拓事業は農水省による国営干拓事業である。

 ところで、毎年、年末になると、次年度予算の政府案が発表され、新聞紙上をにぎわせる。その際、必ず指摘されるのが、公共事業分野の予算配分シェアの硬直化である。「惰性のシステム」が一目瞭然となる。経済・社会状況の変化に従い重点分野を見直す、すなわち予算配分の再検討を行うことは容易ではないことを再認識させられる。

 なぜこうなるのか。予算編成作業が増分主義に従っているためである。物事を 180度転換させるとか、白が黒になるとかではなく、なだらかな増加の傾向が続きながら変化する――こうした現象を増分主義とよぶ。毎年度の予算編成作業における「惰性のシステム」には、このことばがよくあてはまる。というのも、次年度予算案は前年度予算をベースに微調整されるためである。各省庁は全額消費の原則といって、前年度予算は基本的にすべて使い切るから、どの省庁でも次年度予算の大幅な削減や増加は生じえないしかけになっている。

 この点を別のことばでいい換えたものが、公共事業の予算配分における「五族協和」である。戦前の「五族協和」の原意が転じて、公共事業の主要分野である道路、治山、治水、農業基盤、港湾、下水道を「五族」とし、「協和」ちは「五族」が互いに配分シェアを侵食しないことを意味する。要するに、“族技官“がそれぞれ聖域=「技官王国」を築き上げ、公共事業分野の予算配分シェアの硬直化が続いてきた様をさしたものである。

 それについて、旧大蔵事務官は「大蔵省が予算の査定をするといっても、公共事業については、要求官僚から上がってきたものを追認するだけ。明らかに無駄があっても、とてもじゃないが手は出せない」とこぼしている。

 治水事業を例に取れば、第9次治水事業5か年計画(1997〜2003年度)では、第8次治水事業5か年計画が達成した氾濫防御率52%を、59%に向上させるとしている。その後も、氾濫防御率100%を目指して事業規模は際限なく拡大されてゆくことであろう。河川局の技官は「いまの堤防で十分」とはけっして言わないし、道路局の技官は「道路特定財源は余っている」とは絶対に認めない。農業土木技官は農道空港事業をまちがっても失敗とはみなさない。「引き続き事業を緊急かつ計画的に実施する必要があります」が彼ら共通のセールストークになる。こうして発注されるゼネコンを潤す。もちろん、そこには技官OBがずらりと天下っている。『週刊ポスト』2000年10月6日号は同年1月時点での旧建設官僚のゼゼネコンへの天下りリストを掲載した。それによれば、ゼネコン61社に143人が天下り、そのうちの141人までが技官OBであった。

 こうして見てくると、公共事業は、技官、ならびに技官 OBが天下っているゼネコン双方の実利に奉仕する福祉事業ではないのか、とすら思えてくる。地元の事業を自分の手柄のように吹聴する政治家をそこに加えてもよい。しかし、ただのランチはない。ツケは国民に回ってくる。たとえば高速道路網の整備は不採算路線の増加となって、国民に重くのしかかっている。本州四国連絡橋公団の大幅赤字(758億円;2000年度決算)は言うに及ばず、日本道路公団でさえ「赤字転落する直前の旧国鉄」と同じ所まで来ているという。

 技官とゼネコンと政治家がもたれあい、国民にたかっている。そのカラクリと彼らのホンネをつきとめる。すると、「積極的に」むだな公共事業が行われるからくりが透けてくる。

「技官差別」ゆえの「技官王国」

  なぜ技官たちは聖域をつくり、それをかたくなに守ろうとするのか。それを理解するためには、「惰性のシステム」を続けざるをえない技官のおかれた境遇を考える必要がある。

 事務官に比べて、技官は昇進面できわめて冷遇されている。それは、昨年5月22日の参院予算委員会でも取り上げられた。問題提起したのは、保守党の入澤肇氏である。入澤氏はその事態を、以下のような数字で明らかにしている。

        2002年度採用予定数     審議官級     局長級    次官級

事務官      270名(45%)      186名(81%)    87%     97%

技官        355名(55%)        44名(19%)     13%      3%

 「建設5倍、運輸10倍、農水100倍」という表現もある。たとえば、農水省は技官を事務官の10倍採用している。しかし、幹部職員の比率は事務官10に対して、技官1。つまり、技官が幹部になる比率は事務官の100分の1ということになる。これをさして「農水100倍」。同様に、旧運輸技官は10分の1、旧建設技官は5分の1であった。

 「技官差別」と形容しても過言ではあるまい。その歴史は古い。1939年に内務省に入省した後藤田正晴は、「当時の役所では、技術系はかなり軽視されていました。技術系は7,8年から10年は出世が遅れる。だから、同じ課長でも技術の課長はおじさんで、事務官課長は若手です。」(『情と理(上)』講談社、43頁)として回想している。旧建設省の前身は、内務省土木局であった。「技官差別」は明治政府以来の根深い問題なのである。

 また、のちに首相になる大平正芳は通産大臣当時、こう答弁している。

 「明治政府からずっと、御承知のとおり日本の官僚制度は、事務官といいますか、法科出身というか、そういった階層が昇進も早かったし高い地位を占めておった…… (中略)……技術者の問題でございますが、これは、従来事務系統から申しますと大きな格差があったと思いますが、それも漸次縮小の過程にあると思います。」

(第61回通常国会・衆院商工委員会 1969年7月1日)

 しかし、入澤氏の示す数字に明らかなように、差別は「漸次縮小」どころか、「全然是正されていないまま来ていまして、今や爆発寸前なんです」(入澤氏)という状況にある。

 同じ国家T種試験を経ているにもかかわらず、技官はガラスの天井によって出世が抑えられている。それへの対抗手段として、技官たちはそれぞれの専門分野を「技官王国」とし、それに関する人事と予算を実質的に牛耳ってきた。事務官や他の「技官王国」からの口出しは許さない。旧運輸事務官 OBは、運輸技官の牙城・港湾局との折衝の経験をこう語る。「たとえば港湾局は膨大な公共事業予算を持っているが、私たちが運輸省全体の予算不足を補うために“少しなんとかならないか“と持ちかけても絶対に応じてくれなかった」。

 この引用文にも示唆されているとおり、事務官と技官の仲はたいへん悪いようだ。事務官に言わせれば、「予算折衝でも、技官の連中は“あんたら大蔵官僚にこの専門分野のことがわかるのか。黙って予算をつければいいんだ“と露骨な顔をするよ」と技官の専門家気取りが鼻につくし、技官から見れば「法文系の人たちになんの専門知識があるのでしょうか。彼らにはこれといったものがなく、それで、ともかく仕事を二の次にして出世しなければと走り回っているにすぎません」と事務官の「ひらめ官僚」ぶりが目に余るのである。

 ただ、ここで見逃せないのは、両者はいがみあいながらも、相互依存関係ないしは相互寄生関係を形成している点である。恥ずかしながら、この観点は拙著執筆時には思い至らなかった。

 「彼ら〔事務官集団――引用者〕は技官集団に個別の事業計画の作成や個々の薬品の許認可行為をゆだね、その実務に介入しないことで、予算の安定的獲得や組織の権限維持といった「省益」を追求している。そればかりか、技官集団が外部につくりあげてきたコミュニティにたよりながら、みずからや部下の生涯にわたるキャリアパスを確実なものとしている。…… (中略)/ したがって、技官を多数かかえる官庁において、事務官=法制官僚と技官のどちらが優位しているかといった「伝統的」論点は、現代日本の官僚制組織の考察において、的外れといえる。」

(/は改行 新藤、前掲書、168‐169頁)

 筆者も「伝統的」論点にとどまっていたことを猛省したい。なお、引用文中に「個々の薬品の許認可行為をゆだね」とあるが、これは厚生労働省の医系技官や薬系技官 (医師免許、薬剤師免許をもっている)をさしている。薬害エイズ事件発生の構造的原因として、毎年のように変わる事務官局長が配下の技官の仕事に介入できなかったことがあった。

 さらに、「技官王国」は地方をも支配する。昨年10月時点で、全国47の都道府県庁のうち28府県庁の土木部長ポスト(名称は府県により異なる)は、旧建設技官の出向者が占めている。旧建設庁はこのほか、住宅課長、河川課長ポストや各市の建設関連ポストなどにも技官を多く送り込んできた。開発優先の公共事業を推進してきたキーパーソンは、各自治体に出向した技官といってもさして誇張ではあるまい。落選した高秀秀信横浜市長は「川屋」であった。繰り返しになるが、そのツケは膨大な借金として国民にのしかかる。

文部科学省大臣官房文教施設部

 最後に、本稿冒頭に引用した辛島氏の指摘を解説する意味で、ほとんど知られていない文部科学省のノンキャリ技官について紹介しておこう。 lang=EN-US style='font-size:13.5pt;mso-bidi-font-size:12.0pt;font-family:Century;

 国立大学の施設整備は、文科省の最重点政策の一つに位置づけられている。こんにち、国立大学が保有する施設の総床面積は2200万平方メートルを超える。そのうち55%が築後20年以上経過しており、老朽化や狭やく化が著しい。

 1996年に「科学技術基本企画」が閣議決定されたことに歩調を合あわせて、当時の文部省は大学施設の充実を急ぎ、97年には学識者などによる「今後の国立大学等施設の整備充実に関する調査研究協力者会議」を設置した。同会議は翌年3月に「国立大学等施設の整備充実に向けて――未来を開くキャンパスの創造――」という報告書を作成。さらに2001年3月30日には「第2期科学技術基本計画」が閣議決定され、大学等施設の老朽化、狭やく化の改善を国の最重要の課題と位置づけた。これを踏まえて、文科省は同年4月18日、「国立大学等施設緊急整備5か年計画」を発表したのである。

 それによれば、国立大学等の施設のうち、今後1100万平方メートルの整備が必要とされ、大学院施設(約120万平方メートル)、すぐれた研究拠点等(約40万平方メートル)、先端医療に対応した大学付属病院(約50万平方メートル)、ならびに1970年以前の施設のうち約390万平方メートルについて、2001年度から5か年で優先的に整備を進めていくという。所要経費は最大約1兆6000億円とはじいている。

 その結果が、「工事のない国立大学は皆無だ」という現状である。

 こうした文科省発注の公共事業の中心に位置するのが、同省大臣官房文教施設部である。1900年に文部省大臣にその前身である建築課が設置されているので、すでに100年以上の歴史をもっていることになる。

 当初の大臣官房建築課は、戦後になると、大臣官房臨時教育施設部、教育施設局を経て、1949年6月に施行された文部省設置法において管理局教育施設部となった。その後、第2臨調の答申をうけた機構改革で、84年7月より大臣官房文教施設部に、そして、2001年1月からは文部科学省大臣官房文教施設部となっている。同部には部長の下にナンバー2の技術参事官、さらには、施設企画課、計画課、技術課の3課が置かれている。部長、技術参事官、各課の課長の合計5ポストは、すべてノンキャリア技官が占めている。文教施設部は、旧文部省ノンキャリア技官の「王国」なのである。

 さて、巨額の公共事業を扱う文教施設部には、旧建設省や農水省のようなゼネコンとの癒着関係はないのか。文教施設部だけが、技官の天下りを介した事業との不明朗なつながりから無縁でいられるとは考えにくい。新聞で取り上げられた状況証拠を紹介しておく。

 「旧銀杏会」とよばれる組織――。毎日新聞1997年 1月20日の朝刊の記事で一般に知られるところとなった。設備工事会社など45社が加入。「文部省技官OBが天下っている会社であることが入会の条件」とは会の幹部の発言である。前身の「銀杏会」は93年のゼネコン汚職事件発覚後、解散したが、「旧」をつける形で事実上存続させた。やっていることは談合のあっせんである。同会に入っている会社に落札させる。96年度の「実績」では、都内の6国立大学10事業をすべて同介加入の会社が落とした。

 その記事によれば、入札情報発表後の半年以上前に、文教施設部が概算要求に算出した「工場見積額」が一部業者に漏れていたというのである。「工場見積額」から極秘のはずの「予定価格」の予測がつき、入札は行う意味を失う。「旧銀杏会」の「実績」はなにを意味するのであろうか。

 さらに、旧文部技官のOB組織に「文施OB会」なるものがある。会則第2条には、会員相互の親睦及び福祉を図ることが目的だと謳ってある。そのOB会員名簿をみると、在職時の受注者側である建設業界に天下り、しかも営業畑のポストに就いている者が多いのに気づく。つまり、建設業界は彼らの技官としてのキャリアが培った技術をほしいのではなく、文科省発注の公共事業に食い込む「入場券」としての活用を考えているのだ。

 他の省庁の技官とそのOB、および業者もこの相似形を至る所で形成している。天下りを必然化する人事慣行を改めない限り、この構図を崩すのは不可能に近い。そして、巨額の税金がむだ遣いされる。私たちがそれを「実感」できないことをいいことにして。


back