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そのむかし、日本に軍隊があったころ、「工兵第五連隊」がかけた吊り橋です。 いかにも兵隊さんが架(か)けた橋らしく、設計に無駄がありません。戦前・戦中は、この橋を渡り、兵隊さんが演習場に通いました。 原爆投下のときは、多数の被災者がこの橋を向こう側からこちらに渡り、逃げてきたそうです。 いまの橋は戦後の昭和29年(1954)に架け替えられたものです。 「工兵橋」という名称も、いまは漢字ではなく、ひらがなで「こうへい橋」と書きます。 橋のたもと(写真の奥)に、「こうへい橋」の由来を書いた金属プレートがあります。 橋の幅は、人がふたりすれ違えるていどです。吊り橋なので、歩くと橋桁がわずかにユラユラして、その歩き心地がなんとも言えません。 この橋についてはこちらのサイトをどうぞ。 工兵橋の架かる川 京橋川 < ヤマネコの森 |
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見立山の上から撮影。夕暮のビル街に沈む広島城。![]() |
見立山にて。ビル街の向こうに瀬戸内海の島々が蜃気楼のように浮かぶ。![]() |
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牛田総合公園のすぐとなりの「見立山(みたてやま)」=牛田緑地の突端部の中腹にある記念塔です。 道路から山を見上げると必ず目に入る、目立つ位置にあります。 近づいて見ると、文字がみな無惨に削りとられており、何の塔かわかりません。 牛田の住民は、この塔を毎日、遠くから見あげて暮らしています。でも、何の塔かを知らぬ人がほとんどです。 実は、この塔は、昭和7年(1932)に建てられた軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)拝受五十周年記念碑でした。 軍人勅諭とは、明治15年(1882)明治天皇から陸海軍人に与えられた勅諭のことです。 第二次世界大戦の物資不足のとき、この塔の銅の文字板は「お国のため」に供出され、ノッペラボウの塔になりました。 日本が戦争に勝てば、銅の文字板はすぐにもどされるはずでした。 しかし、銅板は、もどされませんでした。 かといって、この塔は壊されることもなく、周囲をフェンスで囲われました。 誰も触れたがらぬノッペラボウのこの塔は、半世紀以上もちゅうぶらりんです。 ヒロシマ、そして日本には、こんなノッペラボウたちが、他にもいるような気がします。 この塔について、詳しくはこちらをどうぞ。 見立山の記念塔 < ヒロシマの今から過去を見て回る会 |
夕方、牛田緑地の尾根道。![]() |
牛田山は、最高部でも標高261メートルほどの、馬蹄形の山地です。 牛田山とその周辺の雑木林を「牛田緑地」と言います。広島市街地の「コンクリート砂漠」に囲まれた原生林で、小鳥や小動物の楽園になっています。 自然の樹木が密生する標高百数十メートルほどの尾根伝いの道を、小鳥たちのさえずりを聞きながら歩くのは、とても気持ちいいです。 自宅から十分も歩けば登山気分を味わえるというのは、牛田の住民の特権でしょう。 牛田緑地には、ところどころ茂みがとぎれた「ビューポイント」があって、市街地や瀬戸内海を見おろす景色を楽しむことができます。 地図を見ると、見立山−牛田山−尾長山−天神峠−二葉山を結ぶ「広義の牛田緑地」は、「C」を左右裏返した勾玉(まがたま)の形に見えます。 この勾玉を取り囲むように、牛田緑地のふもとには、不動院−牛田早稲田神社−饒津(にぎつ)神社−広島東照宮−仏舎利塔−高天原墓園−・・・・・・など、多数の神社仏閣や墓地が飛び石的に並んでいます。 近所の中高年や小学生のハイキングコースとして親しまれてる牛田山ですが、本来はアニメの「もののけ姫」のような霊的な場所なのかもしれません。 牛田緑地の山道の写真、牛田山から市内を見おろした眺望などは、こちらのサイトをどうぞ。 牛田山 |
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← 山頂から、偶然、火事の猛烈な煙が見えました。 (2004年5月2日午後3時57分撮影) 山頂には「陸軍輸送」と刻まれた石柱があります。なぜ? → 牛田緑地の山道の写真、牛田山から市内を見おろした眺望などは、こちらのサイトをどうぞ。 牛田山 展望図 < ひろしま百山 |
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雨あがりの夕方、霧にけむる牛田山と、早稲田神社。![]() |
県史跡「木の宗山銅鐸銅剣出土地」 | (東区福田町字狐が城867番地の1) |
県史跡「疊谷弥生遺跡群」 | (東区上温品四丁目65番1号 安芸高校内) |
牛田山の頂上(標高261m)から二葉山と仏舎利塔を見下ろす。市街地のむこうに瀬戸内海の似島(にのしま)が、そのまたむこうに江田島が霞んで見える。![]() |
小雨にけむる二葉山と仏舎利塔![]() |
闇夜に浮かぶ二葉山と仏舎利塔![]() |
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関ヶ原の合戦で石田三成らとともに活躍した、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)ゆかりの寺です。 広島市で唯一国宝に指定されている建物があります。 国道54号線と、アストラム・ライン(東京の「ゆりかもめ」に似た交通機関)のすぐ近くですが、別の空間のような感じがします。 また、豊臣秀吉の遺髪墓などもあります。 不動院のホームページ |
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「みたき」は、最寄りのJRの駅は三「滝」と書きますが、お寺の名前は正式には三「瀧」と書くようです。 このお寺は、広島市街地の西の山の中腹にあります。 「向晩意不適、駆車登古原」(晩にむかいて意かなわず。車を駆りて古原に登る)という漢詩の名句がありますが、私もたまに牛田の自宅から車を10分ほど走らせて遊びに行きます。 市中心部から遠くないのに、まるで別世界の深山幽谷の雰囲気です。 写真の「三瀧寺多宝塔」は、和歌山県の広八幡神社にあった1526年創建の塔を、原爆犠牲者供養のため1951年に移築したもので、広島県重要文化財に指定されています。 三滝ホームページ < 広島市のHP |
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アストラムラインも見えます。![]() |
光明学園と見立山。![]() |