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中国の「民歌」 〜長崎清楽として伝わらなかったもの


2009-3-10 最新の更新 2009-06-17
[太湖船]  [小白菜]  [藍花花]


太湖船
太湖船の旋律を[MIDIで聴く]

山清水明幽静静、湖心飄来風一陣、行呀行呀進呀進。
黄昏時候人行少、半空月影水面揺、行呀行呀進呀進。

水草茫茫太湖愛、飄来陣陣芦花香、行呀行呀進呀進。
水色閃光銀線揺、湖面点点是帆影、行呀行呀進呀進。

(注)歌詞は歌手によって出入りがある。
「湖心」を「湖上」に、「茫茫」を「漫漫」に歌う、など。
太湖(wikipediaのPDの写真より)

【日本語による子守歌の例】
○○ちゃん(※) よいこだ ねんねしな
ゆーらり ゆらゆら ゆめのくに
ゆーらり ゆーらら ゆーららら
たーっぷーり あそんだね
ゆーめのなかでも あそぼうね
ゆーらり ゆーらら ゆーららら

  ※「○○ちゃん」の部分には乳幼児の呼び名を入れる。

 江蘇省無錫の「太湖」の光景を歌った民歌。
 たまに混同する人がいるが、この「太湖船」は、いわゆる明清楽の曲ではない。
 テレサ・テンをはじめ、中国の多数の歌手がこの曲をカバーしている。
 女性専用の曲、というわけではないが、女性歌手が歌うことが多い。
 大正から昭和前期にかけて、日本でもこの曲が大いに流行した。日本国内でもレコードや楽譜が刊行され、日本語の歌詞による替え歌、手毬唄、即興的な子守歌なども作られた。またバイオリンやマンドリン、ハーモニカなど洋楽器の練習曲としてもよく弾かれた。宮沢賢治(1896-1933)がチェロ(セロ)を弾くために、自筆でこの「太湖船」の楽譜を書いてもっていた、という逸話は有名。
 現在でも、二胡の練習曲の定番として、よく弾かれている。
 1990年代にも、サントリーのウーロン茶のTVコマーシャルの曲として「太湖船」の女性中国人歌手による歌が流れ、リバイバルヒットした。市販のCD「サントリー・ウーロン茶・CMソング・コレクション『烏龍歌集』」 にも収録されている。

【歌詞の大意】青い山に静かな湖面 湖の中心から風が吹いてきます 行きましょう行きましょう
たそがれ時に 道行く人の影も少なく 空の月の影が水面に揺れています 行きましょう行きましょう
水と緑にめぐまれた太湖に心はなごみます 芦花の香りもただよっています 行きましょう行きましょう
水面のさざ波に光が銀の糸のようにきらめきます 湖面には点々と船の帆影が見えています 行きましょう行きましょう

【日本語による替え歌の例 (昭和初期──戦前の手毬歌)】 取扱注意
支那の町の支那の子 親の無い子は唯一人 売られて行きます上海へ
父は遠き満洲で 馬賊のために殺されて 今では冷たい土の中
母は海に飛び込んで 鯨の餌になりました 坊やは良い子だねんねしな
明日の夢は何の夢 でんでん太鼓に笙の笛 坊やは良い子だねんねしな

※残酷なナンセンス・ソングであるが、きたるべき戦争で多数の人間が死ぬことになる運命が、子供たちの無心な歌声を通して予言されていたかの如くである。
 中国人は今も、この替え歌に不快感をもつことが多い。

【上記の歌詞の中国語訳】 取扱注意
支那街上支那孩、無爹無娘無人愛、隻身被売到上海。
爹爹満洲去未帰、遭遇馬賊性命賠、葬身寒土哭無涙。
母親尋短跳大海、鯨魚呑了母屍骸、好孩好孩好小孩。



小白菜
小白菜の旋律を[MIDIで聴く]


小白菜呀、地裏黄呀。三両歳呀、没了娘呀。
跟着爹爹、好好地過呀。就怕爹爹、娶後娘呀。
親娘呀! 親娘呀!

娶了後娘、三年半呀、生个弟弟、比我強呀。
弟弟吃麺、我喝湯呀、端起碗来、涙汪汪呀。
親娘呀! 親娘呀!
 1970年代から80年代にかけて、日本で最も有名な中国の曲は「北風吹」(Beifeng Chui)だった。
 これは新中国の革命模範劇「白毛女」の中の一曲で、タイトルの日本語訳は「北風吹いて」である。
 NHKの中国語講座のテーマソングは、ずいぶん長いこと、この「北風吹」だった。
 テレビやラジオのチャンネルを回していて偶然「ラーソー、ソレ、ミレミー…」という「北風吹」のメロディーを耳にした日本人は多かった。
 この「北風吹」のメロディーは、河北省の民謡「小白菜」を下敷きにして作曲されたものである。

 中国では「小白菜」「孟姜女」「繍荷包」「茉莉花」の四つの民謡をあわせて「四大民歌」と呼ぶ。
 日本で言えば、ソーラン節とか花笠音頭くらいポピュラーな曲である。
 歌の内容は、「小白菜」というニックネームで呼ばれた幼い農村の子が、まま母からイジメられて嘆く、というもの。
 「小白菜」の性別は不明だが、どちらかというと女児によくつけられたあだ名である。

 ハクサイは中国原産の野菜で、日本の食卓に普及したのは意外に新しく、昭和に入ってからである。
 中国のハクサイには、キャベツのように丸くふくらんだ「大白菜」と、スラリと長い「小白菜」の二種類がある。
 日本の町の八百屋さんで売っているハクサイは「大白菜」のほうである。

 歌詞の大意は──(1)小白菜が、収穫されぬまま畑で黄ばむ。二、三歳のとき、かあちゃんを亡くした。とうちゃんといっしょに、いい子にして暮らすから、だから新しいかあちゃんをもらわらいでね…「かあちゃん! 本当のおかあちゃん!」
 (2)新しいかあちゃんがきた。三年半たって、弟ができた。弟は、あたしよりかわいがられる。弟は麺を食べる。あたしはスープだけ。お碗を持つ手は、涙でぐしょぐしょ。「かあちゃん! 本当のおかあちゃん!」

 余談ながら、「小白菜」と呼ばれた実在の有名な女性がいる。清末に「楊乃武と小白菜」の冤罪事件が起きた。ある時「小白菜」(本名は畢秀姑)の夫が病死した。官憲は、彼女が夫を毒殺したのだと疑い、残酷な拷問を続け、死刑判決をした。たまたまこの事件に興味をもった西太后が再審を命じたため、小白菜の冤罪は晴らされ、奇跡的の生還をとげた。中国では「楊乃武と小白菜」の誤審事件は有名で、何度も映画やテレビドラマになっている。
 「小白菜」は、歌でも史実でも、受難の女子の代名詞である。



藍花花
藍花花の旋律をMIDIで聴く [1=Eb]  [1=G]  [1=D] 



ラーれー ラーラソラーれー ラーれソーラー ミーミレドーらー
青 線  線 那個藍 線  線藍 格  英 英的
レーミ ソーソーミーラー ソーミーレミレド らーそーらー 
生 下  一 個 藍 花  花実 実的 愛 死 人 

【日本語歌詞(意訳)】
  1. 青糸に藍の糸 藍の花咲く アイちゃんは かわいい女の子
  2. 畑のコーリャンは すらりと高い アイちゃんもすらりと美しい
  3. 正月に口きき 二月に婚約 三月に結納 四月にお嫁入り
  4. 鳴り物いりの輿(こし)に乗り アイちゃんはこっそり涙をぬぐう
  5. 輿からおりたアイちゃんを 迎えた新郎は 死にそなじじい
  6. 「どうせ死ぬんなら早く死んでよ あんたが死んだら あたしは逃げる
  7. 羊の肉をひっさげて 命をかけて 走って逃げる
  8. いとしいあの人の胸の中に 飛び込んで死ぬまで添い遂げる」
陝北民歌(陝西省北部の民謡)「藍花花」は、いわゆる「西北風」の特色が濃い民歌で、これも全国的に有名である。
「藍花花」は、アイの花、という意味で、ここでは黄土高原の貧しい農村の娘の名前。
歌詞の内容は、中国映画『黄色い大地』や『赤いコーリャン』を見たことのある人なら、すぐ理解できるであろう。
昔の中国では、結婚や恋愛の自由はなかった。女子は、親が決めた相手のところに嫁がねばならなかった。貧しい農村では、嫁入りは、事実上の人身売買であることもあった。
藍花花は20世紀前半に実在した美少女だった──とも言われる。
彼女は延安宝塔区南川臨鎮街に生まれた。1935年、紅軍(人民解放軍の前身)の文芸工作に従事する兵士が 彼女と知り合い、互いに愛情がめばえた。が、紅軍が黄河を渡って遠征を続けたため、二人は別れざるをえなかった。 藍花花が紅軍兵士と恋愛したことを怒った両親は(当時、女子の自由恋愛は不道徳とされていた)、 彼女を「石」という金持ちの家に嫁がせた。藍花花は結婚後も紅軍の恋人を忘れられず、1939年に「石彩」という 息子を生んだあと、40年に憂悶のうちに病死した。
後に、恋人の紅軍兵士が陝北に戻ってきたときは、すでに藍花花はこの世にいなかった。
紅軍兵士も悲しみのあまり病に倒れた。病床で悲しみのうちに、この「藍花花」という歌を作って亡くなった。
──というのが、現代中国で知られている「伝説」であるが、どこまで真実なのか、真偽のほどは定かではない。
「藍花花」はいろいろな人が歌詞を補作し、芝居や映画のネタにもなった。
歌にはさまざまなバージョンがある。歌詞は最長で84番まであるが、現在、最もよく歌われるのは8番までの歌詞をもつバージョンである。
  1. 青線線那个藍線線,藍格英英的采、生下一个藍花花実実的愛死人。
  2. 五穀裏的田苗子、唯有高粱高、一十三省的女儿[口阿]、唯有那个藍花儿好。
  3. 正月裏那个説媒、二月裏訂、三月裏交大銭、四月裏迎。
  4. 三班子那个吹来、両班子打、撇下我的情哥哥、抬進了周家。
  5. 藍花花那个下轎来、東望西找、找見周家的猴老子、好象一座墳。
  6. 你要死来你早早的死、前[日向]你死来、後[日向]我藍花花走。
  7. 手提上那个羊肉、懐裏揣上 [米羔]、冒上性命我往哥哥家裏[足包]。
  8. 我見到我的情哥哥、有説 不完的話[口阿]、[口自][イ門] [イ両] 死活 [口約]、 長生一搭。


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